LUZの熊野古道案内

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2018年 06月 12日

伝統?

 日本の田舎にはいろんな行事がありました。
 特に田舎のほとんどが農村だったので農事に関連したものが多かったようです。
 普通に行われる「正月」「小正月」なんてのに加えて、折々の農事に祈りを込めた行事を加えていったようです。
 この辺は大きな穀倉地帯ではなく山間部の小さな田畑を耕してきたところですからそんなに大きなお祭りもないですね。
 何しろ「北山一機」などと言った「百姓一揆」が軟調や戦の落人より歴史に多く出てくるくらいですからね。
 私は田んぼもある食管法で言えば「生産者」の家で育ちましたし、周りもほとんど農家でした。
 育った時期が戦後になりますから、どんどん生活が変わっていった時代でした。
 「新生活運動」なんてのが頭を持ち上げてきて、「婦人会」を中心に「古い習慣は悪い」と
 「文化大革命」ほどは過激ではなかったですけどね。
 それでも、いろんなことを「迷信」という言葉で否定排斥するのを子供のころに見聞きしました。 

 私が子供のころ、飛鳥町小坂では「早苗饗・さなぶり」と言う、田植えが終わった時の行事に合わせて「運動会」がありました。
 秋には「いのこ・亥の子」という行事でぺったんこの餅に塩味のあんこをまぶしたものを作りました。
 でも小正月に各地で行われたという「鳥追い」とか「モグラ追い」に話か聞きませんでしたね。
 そして。「虫追い」については「あったんだよ」とは聞きましたが、目にしていません。
 子供たちがたいまつに火をつけて田の畔を回って、「うんか」などの害虫を日に誘って焼き殺すというものです。
 紀和町丸山千枚田では、この「虫追い」が復活しています。
 ただ。その実態が少しばかり???かな?と思います。
 写真をご覧になった方もおられりと思いますが、今流の灯りが千枚田一面にともされ、花火も…
 農事行事ではなく「イベント」ですね。
 千枚田を文化財・遺産として守ってゆくこととずれが生じている気もします。
 身内が楽しむにはコスト(公金)が…
 と思うのは私だけでしょうか?
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by je2luz | 2018-06-12 04:25 | Trackback | Comments(0)
2018年 04月 08日

板屋九郎兵衛の郷 2 川のそば

 この道の駅・板屋九郎兵衛の郷は川のそばです。
 この辺りの川は河床が低く谷のようなものが多いのですが板屋は少し平地があるので「堤防」のある川です。
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ちょっと写真の撮り方が悪くて高低差が解りませんね。
 左の黒っぽいのが道の駅で向こう側がB&G海洋センターです。
 右側が4m程下がったら川で流れの緩やかな板屋川です。
 堤防から陸側は道の駅で1mほどで他はもう少し低いです。
 
 この計画が持ち上がった時には議員だったので「水は大丈夫?」と質問したら、「12号台風で浸水した高さは考慮してあります。」と言うことです。
 つまり、建物は何とかあの水では大丈夫ですが駐車場は冠水するのですね。
 50年に一回とかですが、地球が狂いだしているので少し心細いです。
 新しいのだけ上げても…と言うことなのかな?

 この土手、もの凄くワラビが生えそうです。
 草刈りが行き届いていて、一面に枯れたワラビ羊歯が生えています。
 暖かい日が来れば二三日で「早蕨の萌いずる」になるでしょう
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 これが軽食コーナーです。
 道の駅としては小さい方ですからこのコーナーもこじんまりです。
 大食堂を用意してもまともには稼働しないでしょう。
 うどんにめはり…
 開店式典のあとは大忙しでしたね。


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by je2luz | 2018-04-08 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2018年 04月 07日

板屋九兵衛の郷 1 三俵の餅

朝には雨も止んでいたので紀和の道の駅オープンを見にで掛けました。
 完全には晴れていませんし。霧も無く風伝降ろしはありませんでした。
 15分ほど前に着くように走ったのですがそこそこ車が走っていましたね。
 着いてみると現地はもの凄く広いのでまだまだがら空きでした。
 それでも、板屋の人などが結構集まって居ましたが、開場前なのでロープが引かれていて外に居ました。
 「三俵も餅撒くって書いてあったさか、大勢やのう!」と声を掛けたら…
 「中田さんも三俵につられて木本から来たんやろ?」と、切り替えされました。
 「背広じゃのうてかまんのかえ?」という人も居ましたが
 「今は失業中やで」というと…
 「そうや、今度は頑張って貰わんと!」と言ってくれる人も居ます。
 「秋には力不足で済みませんでした」と昨年から続くお詫びをしてきました。

 ここにも載せた吉熊の記事を見た人が多いので…
 「あんた若う見えるがえ!」と言う人も居ます。
 老けて見えるよりこの年になるとありがたいですね。
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 「道の駅」ですから国交省からの認定書の授与とか色んなセレモニーが続き、来賓挨拶も多めでした。
 今日は少し寒めでしたから待ちかねる人も多かったです。
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 下がアスファルトだから餅が良く転がるので、脇で写真撮っていても沢山足元に転がってきました。
 後に転がったのを追いかけなくても充分拾えるので結構拾えました。
 今は餅は食べませんけどね。

 皆さん楽しそうでしたし今日は一杯人も居ましたがこの先は大変だと思います。
 熊野尾鷲道路が出来る前の国道42号線大又に比べれば板屋の国道311号線の通行料は少ないですからね。


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by je2luz | 2018-04-07 16:45 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2018年 04月 02日

紀和町

 紀和町は古くから鉱山の町でした。
 戦中戦後の大増産時期には人口も一万人を越えていたそうです。
 鉱山で今、目に触れるのは板屋の選鉱所跡と瀞流荘ー湯ノ口の観光鉱山電車、板屋の鉱山博物館くらいです。
 目に触れないように静まっているのが鉱山からの廃水を処理するプールですが、これは半永久的に鉱害を含むわき水を集めて処理し続けなくてはなりません。
 近年は年間800万円かかって熊野市の予算に組まれますが、県経由国の金なのです。
 でも、税金が消えて行くのが止まりません。
 鉱脈が地面より高いところにもあるため、しみ出す水が酸性で重金属まで含むのです。
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 このトンネルはずっと先まで続いています。
 しっかりした扉が付けられたのはこの奥で「きのこ」が栽培されているからです。
 温度が一定で湿気もあるのでキノコ栽培には適した場所でもあるのです。
 以前に担当課に注文付けたのですが、「キノコ類は重金属などを吸着しよいので、坑内の水を気楽に散布などして欲しくない」と言うことです。
 この先反対側鉱口は閉鎖されていないようで、縦坑など分岐もありコウモリも住みついているようです。
 何百年も掘り続けた坑道ですから今ではどこをどう走っているかしかとは解らないのでしょう。
 三重県北部の亜炭採掘跡のように上に宅地とかある訳でもないので立ち入りを禁止していれば取り敢えず問題は起きないのでしょう。
 トンネルから出て来ているパイプ類には鉱害のある水が入っているのでは無いでしょうか?
 したたり落ちる水も酸性でトロッコの線路まで傷むのだそうです。
 山から資源を貰った代わりその代償も支払わされるようです。
 銅山なのに地元に精錬所を作られなかっただけ紀州は幸いだったのでしょう。
 足尾や神岡のようになっていたら・・・


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by je2luz | 2018-04-02 04:29 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2018年 03月 30日

熊野の旅 オープン間近 板屋九郎兵衛の郷

 「板屋九郎兵衛」と言われても熊野の人もほとんど解らないでしょう。
 私も解りませんでした。
 なにしろ板屋は昭和の合併当時入鹿村で西山村や上川村と合併して「紀和町」になり、木本町など8ヶ町村合併して出来た熊野市の中心からは随分遠かったですからね。
 「板屋九郎兵衛」とは本名を玉置九郎兵衛という江戸時代の板屋村の庄屋さんだそうです。
 この熊野市地域振興課、熊野市ふるさと振興公社発行のパンフレットに・・・
 「親分肌の男で義理人情にも厚く、弱気を救け強きをくじくという性格で村人からは絶大な信頼を集めた人物です。この九郎兵衛のお墓は板屋地内の小高い丘にあり、お墓に触ると願い事が叶うと伝わっています。この九郎兵衛、賭博の胴元として有名だったことから、地元では「勝負の神様」として知られています。」 と書かれています。 「弱気を助け・・・」はパンフレットにそうあるのでそのままにしてあります。 私の誤変換ではありませんから・・・
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 この「板屋九郎兵衛の郷」は前にも写真を載せて触れた、新しく出来る国道311号線紀和町板屋に出来る道の駅です。
 準備が予定より少し遅れたので4月6日とか7日とかにオープンだそうです。
 パンフレットを用意する時には日にちも決まらなかったようです。
 すぐ目の前になる民間の店との兼ね合いもあるようです。
 なにしろ、外郭団体がやる事業ですから色々とありそうです。
 ただ、将来的には紀和町の中核的なお店になって貰わないと困るのです。
 私が議員在職中に予算が出て来たのですが、そう言う趣旨で賛成したものです。
 当局が最初説明したような「民間の受け皿」は見つかる道理も無く「ふるさと振興公社」がやる官営です。
 国道311号線の交通量が劇的に増えるという要素も無いので経営は端から苦しいでしょう。
 169号線の小森バイパス改修が出来たら関西からの客はそっちを真っ直ぐ本宮・新宮に向かうでしょうね。
 それに川の水も少しばかり心配ですね。
 12号水害の水位よりは上げたようですけどね。
 電気自動車充電施設はあります。


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by je2luz | 2018-03-30 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2018年 03月 19日

熊野の旅 昔は大賑わいだったそうです

 昨日お参りした紀和町楊枝の薬師様そこそこの人出でした。
 駐車場も満杯なので手前の県道の路肩にも駐車していましたが、お参りを済ませた人がどんどん帰るのでごった返すようなことにはなりません。
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 こんな小さなお堂ですが「後白河上皇の頭痛をお治しした薬師様」なので、昔からこのお祭りには沢山の人がお参りしてきたようです。
 受付で記帳してお願いするとお堂の中で祈祷して貰えるらしいです。
 千年も前からの言い伝えですからね。
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 前の広場にはたこ焼き・鯛焼き・甘納豆などの屋台が出ています。
 昔はもっとお店も多かったし子供も沢山居たそうです。
 今は中高年の方ばかりですね。
 「頭に効く」と言っても大内山の「頭の宮」は「受験」なんて方に結びついて、遠くからも受験生の御利益信心がお参りするそうですが、こちらは「頭痛平癒」なので広がりが少ないようです。
 昨日は語り部さんが団体さんを案内してこられていました。
 楊枝は三十三間堂とも縁が在るそうですね。
 菅原道真さんとも縁が在ればよかったのに・・・

 このお堂を持って行くのは基本的には楊枝の方々のようですが、過疎と高齢化、それに集落全部が檀家という訳でも無いそうですから大変ですね。
 神道の方もいらっしゃるようです。
 十津川ほどでは無いでしょうけど・・・
 地元の方とお話ししていても子供さんやお孫さんが地元に居ないので集落自体の先が見えて淋しい話になります。
 それでも、何とか日常生活を維持出来るだけのことは模索しないといけませんね。


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by je2luz | 2018-03-19 04:23 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2018年 02月 25日

熊野の旅 熊野・板屋九郎兵衛の里

 「熊野・板屋九郎兵衛の里 」という名前を聞いても殆どの人はなんだかわからないでしょう。
 これは紀和町板屋にこの春にオープン予定の道の駅の仮称名です。
 場所は板屋のコミュニティセンターやプール、鉱山資料館の並ぶところです。
 目下工事中で、年度末までには完成予定のはずです。
 小船の梅まつりに行く道筋をちょっと遠回り?させて工事現場を覗きに行きました。
 コミュニティセンターを改造して「紀和出張所」を移転する工事もやっていますか、こちらは既設の建物の内部変更が主なので外からは進行状況はよく分かりませんでしたが、道の駅の建物はかなり出来ていたので、建設業者さんにお願いして外観の写真を撮らせてもらいました。
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 道の駅の建物は平屋建てで見えていますが、当初はこれもセンターの建物を改造して横の壁に穴を開けるというような構想だったのですが、このように完全に独立したものになりました。
 独立させても価格が大きく増えるものではなく、使い勝手などははるかに向上したでしょう。
 ただ…
 かなり遠慮した配置で道路から建物があまり見えないのは不思議なんですが…
 敷地はまだまだ余裕があるのですが、用途規制とかがあるのかな?

 このすぐ前に民間のお店があります。
 板屋のお店として頑張ってくれているのでそことの不要な競合は避けなくてはならないのですが、それをクリアーしながら紀和町の中核として営業して欲しいという事で、「道の駅」としての営業にはかなり疑問もあるのですが、議員在職時に賛成したものです。
 経営は「熊野市ふるさと振興公社」が管理委託されると思われます。
 当社熊野市が探した民間の受け皿は見つかりませんでした。
 この場所で「道の駅」を営業して採算を合わせるのはかなり厳しいと思われますからね。
 この施設の少し楽なのは「管理委託料」と言う補助金のようなものがもらえるという事です。
 それでも、この311号線の現状と169号線の改良、海岸線の高速の延伸などの諸条件を考えると結構厳しいですが、どこまで紀和のために役立つかですね。
 紀和の人もそのあたりを心配しているようです。
 目の前にお店があるだけに微妙です。
 そして、この営業に当たる外郭団体の「熊野市ふるさと振興公社」は清流荘・湯ノ口・熊野地鶏・丸山千枚田などかなり手広く手掛けますから、人材が欲しいところです。
 



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by je2luz | 2018-02-25 04:21 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2018年 02月 10日

熊野の旅 千枚田は文化財です。

「千枚田」と言われるものは全国に一杯あります。
 「棚田百選」と言うふうに。きれいな物などだけでも100を超えるという訳です。
 日本は山地が多いですから棚田も多いのです。
 熊野市でも有馬田んぼと井戸の真ん中を除けばほとんど全部「棚田」ですからね。

 千枚田と言っても千枚ないものも多いようで、紀和の「丸山千万間」も荒れていたころは半分もないとか言われましたが、徐々に復旧されて今では「1340枚」もあるそうです。
 北川知事が観光資源として際開発しようと乗り出したときは一番荒れていたころですね。
 この「千枚田」は位置づけ次第で評価は変わるでしょう。
 「観光資源」とみるなら「採算性」がついて回り、疑問符が付きます。
 「文化財」「文化遺産」とみれば評価基準をかなり引き下げられますね。
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 この千枚田は想像以上に維持費がかかります。
 単純に「稲作地」とみるならこんなに条件の悪いところはないでしょう。
 だから、外から後押ししないとすぐに元通りの荒れ地・山に戻っちゃうでしょう。
 そのため、維持のための経費に大金がかかっています。
 石垣を積み上げた棚田ですから豪雨で崩れることもありますし、災害普及も大変です。
 今のところは「文化財」としての価値を含めて維持する意味もあるでしょう。

 その活動の一部として「棚田オーナー制度」と「棚田を守る会」と言うのがあります。
 オーナー制度は年間3万円で、特典としては、田植え・虫送り・案山子つくり・稲刈りなど各種のイベントへの招待、棚田米の新米10Kg、紀和温泉の宿泊や入浴割引などの特典があります。
 守る会の方は、年会費一口一万円で棚田米2Kgなどの特典もあります。
 オーナーさんなどはよその方がたくさんおられます。
 こうした制度をとるところも多いし、広がりをもつのはなかなか大変みたいです。
 丸山地区でお百姓さんを続けてくれる人を確保しないと維持できませんしね。
 

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by je2luz | 2018-02-10 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2017年 12月 30日

官製パンフレットと千枚田

 今のお役所とその外郭って色んな印刷物を出しますね。
 出すことが目的で、その先のことなど考えていないようなのもありますけど…
 不思議なことに名目が付けば予算ってついちゃうのです。
 よその部署の企画を切るのが難しいのかな?
 市町村役場、県の本庁や支庁に行くと入口ホールから各課のカウンタまでいろんなものが置かれています。
 私はブログネタにならないかと時々貰ってきます。
 多くは資源ごみになっちゃいますけど…

 こうしたパンフレットに載せられている記事は正確なのだろうと思われます。
 執筆者の署名はないですが、大学教授とかその筋のオーソリティに意見を聞いている?とか説明しますからね。
 少なくとも、企画段階と予算取りのときには…

 こうした役に立つパンフレットを手に入れても中々記事に出来ません。
 「著作権」とかも邪魔しますしね。
 引用した文献や資料を明記すれば少しばかり免責されるみたいですけどね。

 今日は「三重県立熊野古道センターからのてがみ」」と言うパンフレットから…
 「日本の棚田」と言う記事で丸山千枚田を取り上げています。
 この「古道センター」は県立ですから実に色んなことをやっていますね。
 熊野に居ると利用することも少ないですけどね。
 併設されている食堂にはいったことのある人も居るでしょう。
 熊野古道のセンターが尾鷲に出来たことに、出来た当初は異論もあったようです。

 2017年冬号の記事ですが、丸山千枚田の歴史に少し触れています。
 原典は紀和町史と田村善次郎著「棚田の謎」だそうです。
 短い記事なので詳しくは書かれていませんが…
 慶長6年(1601)の検地のときで7町1反8畝、元禄10年(1697)には2240枚、明治30年に2483枚と言う数字が出ています。
 平成4年に530枚まで減っていたそうですが今は1340枚まで復活しているそうです。
 前に見たものでは、始まりは鎌倉時代だろうと言うことでした。

 1601年と言うと関ヶ原のあくる年、この検地は「太閤検地」の続きなのでしょうね。
 鎌倉期から慶長までの間に2000枚もの棚田を積みあげたパワーってすごいですね。
 北川さんが音頭をとった平成の大復興も重機が使いにくくて苦労したようですが、一から石垣を積み、「水盛り」だと思うのですが、順番に棚田に水を回す設計をしたのもすごいです。
 手抜き工事などなしでまじめに工事をしたのでしょう。
 そうした棚田が規模の違いがあっても熊野市中…日本中にありました。
 そして、消えようとしています。
 「マチュピチュ」などでびっくりすることないでしょう。
 「帝国」「王」なんていない田舎の山の中にこんなものがあるのですから…
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 丸山千枚田の石垣を積んだ職人集団は「黒鍬さん」と呼ばれたようです。
 紀州は急傾斜地が多いので優秀な石工が沢山いたのでしょうね。
 500年も経った私が子供の頃にでも飛鳥に石屋さん・石工さんが居ましたね。
 新鹿には本格的な採石場と石工さんが昔からいたようですし…


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by je2luz | 2017-12-30 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2017年 11月 10日

紀和町板屋界隈

 熊野市内でも一番後で編入?、いや…対等合併で一緒になったのが紀和町です。
 木本辺りから見ると随分遠い所なので、西山村・入鹿村・上川村が一つになった紀和町を ひっくるめて「入鹿」なんて呼ぶことが多いです。
 一時期は人口も一万人を超えるほどだった所も、昭和30年代半ばの鉱山の閉山で一気に衰退しましたからね。
 このの中心が「板屋」になります。
 その古い方の道沿いなどには昔の面影を残すところもあります。
 所山地区などには立ち並んでいた職員住宅の名残が見えるし、山の中などにも「飯場」の後も見受けられますね。

 3日の「紀和町ふるさと祭り」は板屋で行われました。
 コミュニティセンター・鉱山資料館・B&G海洋センターなどが並ぶ場所で行われます。
 熊野市紀和出張所・郵便局などもあり、紀和町の中心です。
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 遠くの建物が「コミュニティセンター」で手前が「B&G海洋センター」です。
 その中間が工事中の「道の駅」の場所です。
 今年の「ふるさと祭り」はメイン会場の半分がこの様に工事で使用不能でした。
 どうなるのかなあ…と思ったのですが、残された建物の裏側通路なども使って何とか運営していました。
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 ご当地戦隊「ジドレンジャー」も上演されていました。
 当初の上演で「タガマール」という海賊のキャラクターを非道の悪の手先として描いたので、私が「郷土の英雄多蛾丸を悪人・幽霊扱いするな」とクレームを付けて以来、徐々にひどい扱いはやめてきたのですが、購入したコスチュームが青い顔の芳しくないものなのでストーりがうまく組み立てられないようです。
 瀬戸内だって「村上水軍」を悪く言いませんよね。
 「石川五右衛門のようなドテラでも着せたら?」とも言っているのですけどね。
 大学も無いし、俳優は市職員になっています。
 脚本もその時に合わせているし、立ち回りも体操部や空手部では無いので大変でしょうね。
 私はジドレンジャーとの遭遇率が高い方でしょうね。

 空き地部分に出来るのが前にも載せた紀和の道の駅です。
 見えている既存の建物が改装されて、「熊野市紀和総合出張所」になり、この手前やや後に「道の駅」が新設されます。

 地元の人も心配していましたが…
 「目立たない場所に作って…」
 「ここの通行量でやって行けるんかいのう?」

 経営主体は「熊野市ふるさと振興公社」です。
 民間では受け皿が見つからなかったようです。
 見つからないほど先行き大変な事業です。
 だから私は…
 「紀和の流通と生活の拠点になる様に育てて欲しい」と要望しているのです。
 あと10年で地元の見込み客数は半減に近いと思われます。
 隣の所山からでさえ買い物に来るのが一仕事どころか一日仕事になるでしょう。
 おばあさんが注文入れようにも、FAXもLINEも思うに任せなくなるでしょう。
 そんな客相手に「商売」は難しいです。
 そんな時こそ「行政の出番」なのです。
 解ってやって欲しいですね。


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by je2luz | 2017-11-10 04:28 | 熊野 | Trackback | Comments(0)