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LUZの熊野古道案内

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2019年 06月 24日

世界遺産指定16周年 3

 「世界遺産紀伊山地の霊場とその参詣道」は三重・和歌山・奈良の三県、海岸線から山間部までの広大な範囲に点在する宗教的史跡とそれを結ぶ参詣道をひっくるめたものです。
 この地域は「東海地区」「近畿地区」両方にまたがります。
 この地方わけは「道州制」が導入されたら切れ目になるかも知れないほど大きな区分です。
 しかし、分けた割にはっきりしない所もあります。
 三重県は東海?近畿?なんてのもあります。
 ここの世界遺産は熊野・吉野に高野山をくっつけて広くなっているのですが、主な部分は中部・東海の端っこ、近畿の端っこなんです。
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 これは日本自動車連盟JAFのドライブマップ「中部」です、
 熊野古道の伊勢路と熊野三山などは左下の隅っこです。
 同じシリーズの「関西」では下の隅っこです。
 この地図の裏側にあるブロックごとの案内図には「熊野・東紀州」のはありませんし。「関西」の案内図には「南紀」が無いのです。
 そして、ドライブマップだから仕方ないにしても、高速とかの密度が低いので地図が白っぽいです。
 JAFの地図とは言え、「観光案内地図」に世界遺産が取り上げられて居ません。
 分断されているので売り込みも弱いのでしょうか?
 「僻地・秘境」でも無いけど。わざわざ南下する気にならないような空白地域ですね。
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 この地図だけでは無く、この辺の観光とかでの一体感は昔から弱いです。
 同じ三重県内の「熊野古道」でも尾鷲側と熊野側とでは縁が薄めです。
 まして、「伊勢路」「中辺路」「大辺路」なんかでは遠くの話のようになります。
 「三県サミット」なんてのは今でもあるようですが、三県の知事にとっても「県の端っこ」「少ない票田」なのかも知れません。



by je2luz | 2019-06-24 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2019年 06月 22日

世界遺産指定16周年 1

 「紀伊山地の霊場とその参詣道」が「ユネスコ世界文化遺産」に指定されて16年になるそうです。
 誘致活動が動き出した頃には地元の住民には「世界遺産」ってなにのことだかわからないものでした。
 熊野市などは「霊場」はありませんし、忘れ去られかけた峠道が候補でしたからね。
 「松本峠」に関しては先輩の「小山睦郎議員」さんが世界遺産なんか関係ない頃から熱心で、峠から鬼ヶ城方面に尾根を歩いた見晴らしの良いところに「東屋」を作らせました。
 それは今でも格好スポットになっています。
 東屋を作るときも「松本峠ってなんじゃ?」と地元では言われましたね。

 「木本隧道」ができるまではこの峠越えが大泊方面への街道として使われていたのですけどね。
 大吹峠などの峠道も紀勢線の記事にも書きましたが、「陸の孤島」には大事な道だったのです。
 何しろ今の国道311号線が尾鷲と熊野の境で途切れていました。
 トンネルができてつながったのが2001年なんです。
 長い間、熊野市側は須野町で行き止まり、尾鷲側は梶賀で行き止まりだったのです。
 今は改修されて国道らしく放っていますが、元になっている「新道」は戦前から戦後かけて少しずつ開かれた岬越えの細い道路でした。
 昔からの峠道よりはずいぶん近くはなっていましたけどね。
 でも、少し先輩の人などは新鹿ー遊木、新鹿ー二木島などは峠を歩いた経験者でした。
 まあ、私などでも遠足では「八丁坂」を越えて新鹿の浜へ遊びにゆきましたからね。
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 この世界遺産指定は三重県知事の「北川正恭」さんが熱心で、和歌山・奈良・三重の三県サミットで広域での指定を取りに出たのです。
 「熊野三山」「吉野の霊場」「高野山」等があるわけではなく、「九十九王子」なんて史跡があるでもなし、山道だけの三重県側を指定に組み込んだのは、ある意味すごいです。
 事前活動では、実績作りのためバスを仕立てて県中央・県北部からどんどん客を送り込んできました。(時効ですが、同じ人が何度も来てました)
 北川さんの言う「東紀州活性化」の核になる事業だったわけです。
 丸山千枚田も荒れ果てかけていたのを北川さんが公費をつぎ込んで復活させたものです。
 いまでも、オーナーさんに兼職の人やそのOBが多いのはその流れです。
 ということで、「文化財より活性化」を狙ったのは熊野市だけではありません。
 あれから16年。少し見渡してみましょうか。



by je2luz | 2019-06-22 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2019年 06月 21日

串本田原 ロケット基地

 昨日の続きというわけではありません。
 ここから60Km ほど南の東牟婁郡串本町田原に民間のロケット打ち上げ基地が出来ると発表がありました、
 田原は「紀伊田原駅」のある、静かな小さな地区です。
 「国民宿舎あらふね」「キャンプ場」「海水浴場」などのある、古くからのリゾート地ですね。
 ここ出身の先生がここで教鞭を執られ、熊野無線クラブに居られたことがあります。
 そうで無ければ、国道を走って串本方面に向かっても田原は築かずに通り過ぎるくらいです。
 鉄道だと、太地ー下里ー紀伊浦上ー紀伊田原ー古座ー姫ー串本です。
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 国民宿舎から先の海岸が予定地なんでしょうね。
 前は太平洋で落下させる余裕が一杯ですし、H4ロケットほど大きいものでなければ運ぶのも比較的楽なのかも知れません。
 和歌山県は全面バックアップだとか…
 ここでも「観光」を持ち出しています。
 ミサイルではありませんから悪い話でも無いでしょう。
 種子島・内之浦などに比べ見物には行きよいかも知れませんが…

 少し遠いので打ち上げの光景は望遠鏡で見る距離かな?
 太地・梶取あたりが丁度良いかも知れませんね。

 打ち上げは「スペースワン」という会社で、キャノンや石川島播磨、清水建設。系譜外郭などの出資で、小型ロケットを使い、年間20基もの人工衛星の打ち上げを目指すのだそうです。
 JAXAの大型ロケットよりはうんと安上がりで実用衛星を打ち上げるのでしょう。
 小型、固形燃料ロケットって、ミサイルとよく似た構造です。
 北朝鮮にはものすごく怒るけど…
 科学と軍備って手を繋いで進歩してきたのですからねえ…
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 そうそう…
 串本は西牟婁郡串本町だったのですが、平成の大合併で東牟婁郡古座町と合併し、西から東に変更なって居ます。
 今は和歌山県東牟婁郡串本町なんです。
 古い私などは違和感があります。



by je2luz | 2019-06-21 16:50 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2019年 06月 09日

月例 広報くまの 6月号より 1

 今月号のトップは熊野古道がユネスコ世界文化遺産に登録されて15年と言うことで、その特集記事です。
 第一回となっていますから。来月にも載るのでしょう。
 当然のように「花尻薫先生」の写真もでています。
 記事の一部をそのまま載せますが、打ち直さないで画像です。
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 熊野古道に関して行事その他は三重県が主体になる事が多いです。
 そもそも、この世界遺産指定に熱心だったのが北川正恭知事出したし、和歌山県、奈良県を巻き込んだ誘致活動でしたし、指定範囲も広域で「伊勢路」も広いですから県がまとめることになるのでしょう。
 しないには指定された場所が13箇所もあるようですが、趣のある峠越えの道は古を忍べますが、鬼ヶ城・獅子岩・七里御浜などは観光名所になっちゃいます。
 その分、古道歩きの人が分散されてしまいますね。

 細かい記事では・・・
 「熊野大花火大会 七里御浜海岸の場所取りについて」というのがあります。
 花火の前には毎年ブルドーザーと人力で浜の整地作業が行われ、早くから勝手に張られたビニールテープの除去で困っています。
 毎年除去されるのに懲りずに張る人が居ます。
 場所取り解禁はは回りが完了してからの。8月12日月曜日午後五時からです。
 三丁目下と新出町・馬留下になると思います。
 例年多くの人が場所取りに来ますが浜は広いですから撮れない人は居ないはずです。
 ただ、広い所なので知らず知らずに広い面積に綱を張る傾向があります。
 「あんたとこ何人?」と声を掛けると、「10人ほど・・・」と言いながら30人分ほど取っているのもあります。
 当日になるとよそからの人が立ち往生して、空き空きの縄張りを恨めしそうに眺めています。
 ぜひ。譲り合ってください。

 人の動き  令和元年5月1日現在
   人口   16,854  (+55)
    男    7,756  (+56)
    女    9,098  (-1)
  世帯数    8,893  (+61)
 これが令和のスタートの数字です。
 今月の増加は県職・警察・教員などの定期異動によるものでしょう。
 独身赴任が多いと言うことでしょうね。
 相変わらず遠距離転勤は男と言うことなんでしょうね。



by je2luz | 2019-06-09 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2019年 05月 28日

国道311号・168号)合流点~道の駅近露

 熊野市有馬町芝園で国道42号線から分岐し、御浜町・紀和町を通り奥瀞方面からの国道169号線に合流すると、しばらくは169号311号併用区間になります。
 改良された快適な道を進むと。新宮市宮井・宮井大橋の所で国道168号線とぶつかります。
 ここで左へ行けば168号169号併用道路で新宮市橋本にでますし、右に曲がるとしばらくは311号168号併用です。
 このように国道ってあちこちで併用しています。
 何本も作るのが大変なのでこうなるのでしょうね。
 今回はこの新宮市宮井の交差点から本宮町の分岐点で左折し、311号線を走り中辺路町近露の「道の駅近露」まで走ります。
 近露の道の駅は熊野古道の「牛馬童子」の石像のあるすぐそばです。

あげなおしました。 

 次はこの「道の駅近露」から国道311号線経由で田辺市内までです。

 この動画の最初にある、宮井での合流点は新しい橋になり路も変わったのですが、国道3本の合流・分岐点なのに信号が無いのです。
 通行量はそんなに多くないですが気をつけてください。



by je2luz | 2019-05-28 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2019年 05月 13日

土木工事 自治会

 我が町内・木本町新出町は戸数45ほどの小さな町内です。
 本町通り一番南、井戸町との境で江戸時代には「新宮藩」と「紀州本藩」の国境です。
 完全な平地にあるし戸数は少ないし、連絡用のパンフレットなど配るのも一人ですぐに出来ます。
 「自治会」はこの小さな町内でやっているのですが、どんどん空き家は増えます。
 施設に入ったり呼び寄せ介護で居なくなったりみたいです。
 私より若い人って何人居るのでしょう?
 家にして8軒くらいかな?
 新出町だけでは無く木本町全体、熊野市全体、日本の田舎全部でしょうね。
 そんな所でも地元に関係ある土木工事などあるとその内容のわかるパンフレットを貰って配らないといけません。
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 これは今から始まる町内と市役所の境にある岩山の「法面崩壊対策工事」・急傾斜対策工事の説明パンフレットです。
 ここ数年続いています。
 要害山の続きで岩山なのですが、近年は樹木が大きくなりすぎて強風時に「根返り」の心配もあります。
 と言うことで落下防止と崩壊防止の工事になりますが、費用対効果には少し疑問があるレベルになりますね、
 日本全国切りが無いのがこの手の防災工事です。
 そして、毎年のように山腹崩壊の災害が起きます。
 公平に判断して防災対策するのも難しいのでしょうね。



by je2luz | 2019-05-13 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2019年 05月 10日

大型連休と熊野古道

 今度の大型連休では例年に無く人出の多かった場所など報道されていました。
 三重県では、「伊勢神宮」は多かったようです。
 全国的には有名な神社が多かったのは「改元」にあやかって「御朱印」を頂こうとする向きが強かったからでしょう。
 近年、この「御朱印」が少しブームになっていたみたいですが改元で燃え上がったようですね。
 あまりの忙しさで従業員?が体調を崩した神社もあるそうです。

 昔には旅先で「記念スタンプ」を集めるのが流行って、次には「国鉄の駅のスタンプ」そして「道の駅のスタンプ」なんてのも流行りました。
 そもそも、日本人はスタンプ集めが好きみたいです。
 「西国八十八カ所」「西国三十三カ所」「武蔵三十三カ所」「近江西国三十三カ所」など考え出して庶民を信仰という名目での旅に誘い出したようです。
 これらの旅では「御朱印」を頂き御利益も頂く趣向です。
 改元に便乗できるのはやっぱり、「お伊勢さん」「明治神宮」「太宰府天満宮」など、改元で連想しよいところが先に立ち、更にはSNSで評判が立った神社仏閣に人が集まったようです。
 残念ながら熊野市では「御朱印集め」の人が来る神社は無いようです。
 熊野三山では普段より人出があったようですが、「熊野古道」は連休とかブームとかとは少し縁遠かったようです。

 考えてみると「古道歩き」に来るお客さんの多くは初老とかの人が多いです。
 ゴールデンウィークの混む時に来なくても・・・
 そして、この時期は孫の守り???
 細切れの休日の方が良さそうです。
 昔のように信心で歩くのなら長い休みも良いでしょうけど、一日で三山参ろうかと言う時代では・・・
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 ここは熊野古道・中辺路「近露」です。
 道の駅は別にありここは「古道歩きの郷ちかつゆ」という農協系らしい施設です。
 近くには「美術館」「オートキャンプ場」があり、中辺路街道沿いの「王子」も点在する拠点的な場所です。
 何度走ってもわざわざ停まるような所でも無いのですが、連休最後に入ってみました。
 売店などは充実していて熊野市の「新姫キャンディ」?までおいてあります。
 連休の最初と最後に国道311号線を走りましたが道は空いていたし、ここもあまり車は停まっていませんでした。
 中辺路も街道ですから、大型連休とかには縁が無いのでしょう。

 古道歩きは山道・峠道ですから本当の高齢者には向かないし・・・ 
 高齢者ドライバーに対する風当たりも強いし・・・
 この辺の峠道よりは「松本峠」「大吹峠」は歩きよいですけどね。
 自販機も茶屋もないし行き倒れが出ないようにしなくてはならない時期かも知れませんね・



by je2luz | 2019-05-10 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2019年 05月 05日

連休後半へ

 連休も残り半分を切りました。
 さすがに国道42号線も車が多いです。
 上り下り共に多いですがこの辺では停滞はありません。
 多分、新宮の入り口、「大橋」では停滞しているでしょうね。
 あの辺りは交通量の割に信号待ちが増えます。
 国道42号は新宮の端を突っ切っているのですが、町中の信号が今ひとつ良くないですね。
 御堂筋のように綺麗に青に変わる系統式では無い感じです、
 これを嫌って熊野川河口に橋をかけ始めています。
 随分贅沢になったものです。
 新宮にはかつて本州製紙・巴川製紙があり、製材業も社会の教科書に載るほどの一大集散地だったのですが今では小さな製材所を残すだけで、製紙工場は消えています。
 商業の中心地としての役割も熊野川流域の村々が痩せてしまうし、海岸線の東牟婁・南牟婁も衰えているので落ち込んでいますね。
 新宮は熊野三山の一つ「速玉大社」があるし、かつては「瀞八丁」のプロペラ船の拠点で観光拠点だったはずなのに、不思議と観光の町にはなりませんでした。
 温泉場として勝浦・湯川・川湯・湯の峰などが昔から有名だったので新宮に泊まる人は居なかったのでしょうね。
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 日本中に温泉が掘られた時にも新宮市は中心部に掘りませんでしたね。
 「速玉大社」の他に「神倉神社」があり、「お灯祭り」という良いお祭りもあります。
 「晋の徐福」の伝説も神社(熊野の波田須と本家争い)もあるし、「浮島」という天然記念物など観光資源がないわけではないのですが、商都として繁栄したのでそちらが主になったのでしょうね。
 ちなみに「速玉大社」「那智大社」「本宮大社」と書くと「大社は出雲だけ」という異論が出ることあります。

 それなりにこの連休には観光客も紀伊半島を南下してきているようです。
 勝浦・湯川もかつての勢いはないし、この熊野地方は受け入れのキャパシティは大きくないです。
 寂れ果てかけていた「白浜」は息を吹き返している感じです。
 巨大な観光チェーンのホテルは元気のようですが、ああしたホテルは何もかも内部で完結しているので、「待ちの賑わい」は生まれませんね。
 温泉場も様変わりしています。
 私などの旅に求めるものは置き去りにされたようです。




by je2luz | 2019-05-05 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2019年 04月 26日

熊野市史 上・下

 私の手元の「熊野市史」はどういう訳か「中巻」が欠けています。
 買おうかなと思いつつ欠けたままです。
 付属的な「熊野市史年表」はあるんですけどねえ・・・
 「中巻」は近世なので欲しいんですけど、今更買うのもと思っている内に年を食ってしまいました。
 熊野市史は昭和58年(1983)坪田市長当時に発行されました。
 全国的に村史・町史・市史などが編纂された頃ですね。
 1300ページとかが三巻ですから大きなものです。
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 ここから時々つまみ食いしています。
 視力が落ちてからは拾うのも面倒になってしまいました。
 ぼけるかな?

 上巻は江戸まで、下巻は民話や風習などですね。
 地形が複雑ですから、風習や民話なども入り組んでいるようです。
 例えば、今では「飛鳥」と一つの村扱いしていますが、古くは、大又・小又・大又・佐渡・野口・神山と、大字ごとに別の村だったようです。
 この調子で昭和の合併の8か町村半が細切れだったのですから色んなことが異なっていたのでしょうね。
 行き来も歩行の時代なので隣の集落も遠かったでしょう。
 しかし、以外と山の裏表の交流が多かったりもしたようです。
 川沿いの崖より山越えの方が安全で早かったりしたのでしょう。
 隣り合わせでも、言葉も少しずつ違うし、初盆の「水向け棚」なんかも小阪と隣の大又では逆向いてますからね。
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 昭和34年(1959)位の小阪本郷地内の道路です。
 自転車がやっとだったのです。
 私が子供の頃は青年団なども同じ飛鳥でも別組織でけんかしたりしたようです。
 さらに古く、じいさんの頃には同じ小阪でも集落間でけんかになったりしたみたいです。
 「火事とけんかは江戸の華」なんて言うように「けんか」も娯楽の一つだったのかも知れませんね。
 奥熊野代官所の記録の多くがそうした諍いに関するものが多いようです。
 お代官様や庄屋さんも簡易裁判所の裁判官を務めていたのでしょう。



by je2luz | 2019-04-26 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2019年 04月 25日

統計 熊野古道 伊勢道

 吉熊新聞に熊野古道伊勢路の統計数字が出ていました。
 以前に松本峠でカウンターらしいものを見かけたのですが今は見当たりません。
 昔からこうした数字はどこから出てくるのかよく分かりませんが、どの場所もカウント方法が同じなら比率的には同じようになるのかと思います。
 「ツヅラト峠」から「通り峠」までの伊勢道のポイントごとの数字です。
 浜街道の入り口に住んでいて体感的に「年々減っているなあ」と思っていますが、そのようです。
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 緑色の欄が「松本峠」、黄色の欄が「花の窟」です。
 花の窟神社だけが少し別物ですが、他のは「峠道」です。
 「峠道」なら「松本峠」が来訪者数28.602で尾鷲の「馬越峠」23.441を押さえてトップです。
 この二つは立地条件も良いです。
 今のハイカーは昔のお遍路さんのように歩き通すのでは無く「峠歩き」が目的ですから、アクセスの悪い所は敬遠されるようです。
 紀州に入り、熊野川を渡って霊場に入るまで100Kmほどあるのでしょうからね。
 
 松本峠で見ると、来訪者が前年度より11000人ほど、つまり1/4減っています。
 他の峠道も軒並み数を減らしていますね。
 まあ、こんなものでしょう。
 文化遺産が消えないように維持する名目が出来るくらいの来客者が確保できれば良い方でしょう。

 「花の窟」は道では無く史跡・名所であり道の駅もあるので別の意味の来訪者・来客もあるでしょう。
 来訪者数208.199人で前年度比18.8%増えていますね。
 これくらいの上下は起きるものですが、うんと先は激減の可能性があります。
 「熊野自動車道」熊野大泊ー熊野南・久生屋が開通すれば少し減り、その先の「熊野新宮道路」が全通すると・・・
 完成するのは15年も20年も先の話でしょう。
 正味18Km位とすると一回ではやらないでしょうからね。
 鬼ヶ城は大泊ー久生屋が出来るだけで減少するでしょう。

 この統計に出てくる場所は「世界文化遺産」ですが、大層な観光施設など作られていませんから、寂しくなっても「閉鎖・廃業」というようなことは起きないでしょう。
 と言うことは、元々、「金になっていない観光地」と言うことです。
 「オレンジホテル」「鬼ヶ城センター」「近鉄ロッジ」などが出来た頃は「レジャー」が地方でも産業になるとされていたのですね。
 近鉄と南海が紀伊半島のぶんどり合戦をやってました。
 木本のタクシーも「近鉄」と「南海」になって居ました。
 軽井沢周辺は西武が買い占めたし・・・



by je2luz | 2019-04-25 04:14 | 熊野 | Trackback | Comments(0)