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LUZの熊野古道案内

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2019年 06月 20日

ごみ 3 核のゴミ

 次は厄介な気の遠くなるような話でもある「核のゴミ」です。
 放射性物質って地球には存在します。
 そして、徐々に崩壊してきたはずです。
 そのうち。今ある放射性物質は段々無害になるはずです。
 福島原発事故で放出されてしまった放射性物質の時でも、ヨウ素132なら2時間17分で半分、255時間ほどで1/10になるそうです。
 セシウムなども短い方ですが、長いのになると、ウラン235は7億年、238は45億年だそうです。
 それ位でないと今の地球に残って居ませんよね。
 原発を動かして出来てくるのがプルトニウムです。
 これは同位元素次第ですが半減期が241が14.3年、240が6561年、239が24000年なんだそうです。
 「半減期」って出てくる放射能が半分になるってことで、無害になるわけではありません。
 有害度が1000倍だったら…
 半減期が24000年のプルトニウムは1/10になるのが80000年先です。
 さらに80000年経って1/100でさらに8何年経ってようやく1/1000ですらか2億4000万年掛かります。
 そんな長い年月人間が管理できますか?
 たった千倍くらいの濃度ですよ。

 プルトニウムは自然界には無いんだそうです。
 ウランよりは半減期は短いですけどね。
 ウランは自然界に存在するし、日本でも岡山県と鳥取県の県境「人形峠」で採掘されたことがあります。
 地中深くで分散されている分にはそんなに害は無いのですが、採掘精錬されると恐ろしい物質の濃度が上がり捨てるにも捨てられなくなります。
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 その始末には「ロケットで太陽に打ち込む」なんて話もありましたが、今のロケットに核汚染物質を大量に積んで安全に打ち上げる技術は無いでしょう。
 人工衛星に載せた小さな原子炉が落下するだけで大騒ぎになったのです。
 もう一つ、水素の核融合で発熱している太陽の表面に重金属のウランやプルトニウムを持って行ったら何が起きるやら…相手がでかいから問題ないのかも…
 今やれるのは「地中深く埋める」と言う方法です。
 北欧などでは実用化しているようですが、地盤が安定していないと駄目ですね。
 日本列島のようにプレートの境でずるずる動いて山が出来、地面が割れて溶岩が吹き出す所では無理です。
 それでも、やろうとしていますけどね。
 立候補した町もあったし…

 この紀伊半島は「日本列島で一番地盤が安定している」と、言われます。
 それでも、昔は巨大な書こうがあった所で、地殻変動でせり上がり、そのなごりで温泉がある所です。
 山の高さと角度まで嘘を言う国です。
 それに、人口密度が低く何かあっても死ぬ人が少ない所です。
 起こるのは神々くらいです。
 紀和でも那智でも山には一杯穴も開けてあります。
 一枚岩の岩盤じゃ無いけど「国策」の前にはどうにでも解釈されるでしょう。

 こんなこと言っていたら、国の方針に合わないでしょう。
 今の日本で良かったです。
 世界で一番好き勝手言える国みたいですから…



by je2luz | 2019-06-20 04:25 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
2019年 06月 19日

ごみ 2 産業廃棄物

 昔々はこうした分類はありませんでした。
 工業化が進むとその製造過程で随分余分なごみが出るようになりました。
 それも、化学物質とか有害物質を含むごみが出始めました。
 「ごみは捨てるか燃やす」というのがずっと続けられていましたから、高度成長期に入ると首都圏のそうしたごみが富士山麓にまで捨てられました。
 気がついたら、何十年も経って裾野方面、富士川方面にまで地下水が汚染されていました。
 そんな隠れたので無くても、東京湾も伊勢湾も排水でどろどろになり、水俣湾や神通川では奇病が発生し、空気は汚され四日市や川崎などではぜんそくで住民がまともに生きられなくなったり…
 それを受けてようやく産業界に少し責任を持たせるようになりましたね。
 何処までを「産業廃棄物」に入れるかも線引きがはっきりせず…と言うか、小規模事業所のものの処理方法が無かったのが現実です。
 都市部、工業地帯では締め付けもある代わり、金は掛かるけど回収システムも段々出来て行きましたけどね。
 昔なら、基礎堀した土などは埋め立てようとして利用されたのですが、地下4階も8階もまで掘り下げた廃土は「廃棄物」にしかなりません。
 それに、「廃土」を放置すると有害物質の入ったものでもお構いなしになるのが産業界ですね。
 立派な企業でも工場廃液を混ぜたものを「埋め立て材料」なんて認可を取ってバラマキに掛かったことありますね。
 これは三重県と県下の熊野にも縁のある企業とでしたね。
 以前には新宮や鵜殿では住みたくないと言われるほど臭かったこともあります。
 でも、企業城下町的になると声も出せない時代が長かったです。
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 このように、「採算」「儲け」が優先する業界では締め上げないと何をするやら…
 有害なPCBが含まれるから使用禁止になって回収したトランスも保管していたはずのが姿を消していました。
 古い蛍光灯器具もトランスにPCBがあるから…と言われましたが端末ではちゃんと回収は出来ていないようです。

 身近では、紀北町などの「建設残土持ち込み」が問題になっていますね。
 うずたかく積み上げて崩れる恐れがあっても、条例が無いから阻止できない…
 熊野市にも昔に話が出たことがあります。
 陸路運ぶ話でしたが169号線などが悪路だったのが幸いして来ないで済みました。
 良い港もないし、道路でも遠いし…
 良い物も来ないけど悪いものも来ませんね。
 採算度外視の別項目で書く予定の「最悪の廃棄物」なら目を離したら来るかも知れません。



by je2luz | 2019-06-19 04:26 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
2019年 06月 17日

紀勢西線・東線 連結60年 3

 紀勢線についてもう少し… 紀勢本線って国道42号線と同様、紀伊半島を首飾りのようにぐるりと回っています。 国鉄の路線は始発点・終点の間を結ぶために作られているのが多いです。 東海道本線・山陽本線・北陸本線・高山線などそうです。 紀勢本線は東西に分かれていたときは、紀勢西線は天王寺(和歌山)ー新宮・紀伊木本、紀勢東線は名古屋(松阪)ー尾鷲とそうした路線でしたが、全通すると様子が変わりました。 列車・路線の両端を結ぶ列車って通しで走る意味が良くわからないことになります。 大阪ー名古屋なら、当時でも関西本線、東海道本線があり、伊勢方面には近鉄の方が効率的です。
 国鉄時代には「普通」「快速」「準急」「急行」「特急」といろんな格付けの列車が走りました。 客車も「一等」「二等」「三等」とあり、きっぷの色が違いました。 庶民が乗るのは「三等」で、「赤キップ」でした。 「違反切符」ではないのですが良いものではない意味になりましたね。

 この紀勢本線は国鉄民営化で「西日本旅客鉄道」と「東海旅客鉄道」に分割されました。
 この時、県分けの時同様、熊野川が境で三重県は東海、和歌山県は関西になりました。
 今ではこちらの列車は気動車なので電化区間も走れますから、「特急南紀」は紀伊勝浦まで乗り入れていますが西日本側の列車は新宮駅を過ぎると架線がないのでこちらには入れません。

 国鉄民営化、分割以降は熊野市側から大阪に向かう時、天王寺へ出る人がほとんどいなくなりました、
 列車でゆくにしても、松阪経由、近鉄でゆくほうが早くて安いということになりましたからね。
 
 国鉄当時にはいろんな列車が生まれては消えましたね。
 そのうち、「準急」が消え、「急行」も消え、「快速」も来なくなりました。
 何しろ黒字になったことのない路線です。
 今は普通列車と「特急南紀」だけです。
 国鉄時代の一時期は、「天王寺発名古屋行普通列車」なんてのが運行されていました。
 「東京発播州赤穂行普通列車」もマニアの間では知られた存在でしたが、この紀勢本線の普通列車も「遠回り長距離列車」として知られていました。
 一度、汽車の中で若い男の人二人が、「全線通して乗る」と言うのに出会ったことありますが、「南紀」なんて名前もついていたようですが、14時間もかかったようです。
 そりゃあ、通しで乗る人はいないでしょう。
 「播州赤穂行」には乗るには乗りましたが、京都で降りちゃいました。
 天王寺発新宮行の夜行列車も二本も走っていた時代があり、一本は木本まで来ていたように思います。

 路線がどこまでが下りで、どこからが上りか判断しにくいようなところですから、列車も「速玉」「南紀」「くろしお」「はまゆう」など色んなのが生まれては消え、走行区間もいろいろ変わったようです。
 それだけ紀勢本線はややこしい歴史を経てきたようです。
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 昔は木本までは大阪経済圏でした。
 歴史的に紀州藩であったことと交通の便がそうさせてきたのですが、全通後の列車の変遷、道路の改良で、本来行政が三重県・東海圏なので徐々に商業関係も東海へ移ってゆきました。
 今でも、電気は大泊の宮川以南は「関西電力」、電話は「NTT西日本」などは残っています。

 十年一昔…
 紀勢線が全通したのは「六昔」ですね。
 列車はきれいになったけど乗る人が…
 この「キハ40」も消えましたね。



by je2luz | 2019-06-17 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2019年 06月 16日

紀勢西線・紀勢東線 60年 2

 今月号の「広報くまの」に木本ー神川ー池原を結ぶ「索道」が載っていましたね。
 対象から昭和にかけて、この「索道」があちこちに張り回されていたようです。
 私が現物雨を見たのは、紀和から尾呂志経由阿田和駅までの紀州鉱山の鉱石運搬索道です。
 鉱石を積むために阿田和駅の山側には索道で持ってきたものを貯めておく「ホッパー」がありました。
 鉱山への人の出入りもあるし、鉱石もあるので「阿田和駅」は結構大きかったです。
 鵜殿駅は「紀州製紙」の工場があり、その関係の荷物があったので、ここは引込線もあり、つい近年までそこそこ広い駅でしたね。
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  2013年の鵜殿駅上り方向、まだ、紀州製紙専用の貨物列車が廃止される前です。
  国道42号線には引き込み線の踏切がありました。
   
 「紀伊木本駅」は南牟婁郡から吉野郡上・下北山村などへの物資の取次もあるし、汽車の終着駅ですから嫌でもすべての客は降りるし、此処から先は矢ノ川峠越え、42Kmを2時間40分の日本一難所とも言われたところもあるので、一泊して気力・体力を整える旅人もいて、たくさんの旅館が食べていけたのです。
 矢ノ川道にバスが走る前は、やはり、索道があり旅人を運んだようです。
 矢ノ川を越えるか。はたまた。熊野灘をかすめる難所をゆく「巡航船」に乗るか…
 こんな話聞くと、木本と尾鷲の間は旅をしたくないでしょう?
 
 もっと昔の人は、江戸や上州からでも歩いてきたのですから。少しくらいの峠も近代人ほど苦手ではなかったでしょう。
 いくらご利益があると言っても「熊野詣」のために片道150里も200里も歩いたんですからね。
 四国は88箇所もあるところを回るのですが、熊野は基本的に三山ですからね。
 和歌山側にあった、99王子なんて言っても小さな祠だったりお堂だったりみたいです。
 熊野詣ついでに「西国三十三箇所」を回るなんてのは無かったようです。

 紀勢線ができるまでは波田須・新鹿・遊木・二木島・甫母・須野・梶賀・早田なんてところは「陸の孤島」だったのです。

 紀勢本線はこうした陸の孤島を普通の集落に変えてくれたのですが、大きな漁港にもなれず平地もないので期待したほど発展しなかったようです。
 その後の道路整備以上に期待された事業だったのですけどね。
 明治以降近代化の象徴が「鉄道」だったので、「五新線」だけではなく、尾鷲や木本からも吉野に向かう鉄道が計画されたようです。
 「軽便鉄道」「森林鉄道」と言う形で開設しようとしたようです。
 残念ながらこの辺では実現しなかったようです。
 熊野川水系では「筏流し」が古くから行われたので鉄道には移行しなかったのでしょう。
 それに、「車引き」が牛を使って材木など運んでいたようですからね。
 山の中は「木馬・きんま」と言う橇?で出していました。
 こうしたことで紀勢本線がこの地区で唯一の鉄道になりました。
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 この写真は昭和32年頃の規制西線だと思いますが、座席の背もたれがにもケットが貼られていない板のものです。
 多分「オハフ61」という系統の車両でしょう。
 窓が普通サイズですが、参宮線では窓の小さな客車がもっと後まで走っていましたね。
 時間は掛かるし、座席はこんな風だし、汽車は混むし…
 「旅」って大変なものでしたが、その分だけ楽しかったと思います。
 天王寺まで夜行で一晩、東京へも夜行で一晩…駅判食べて…

 この東西紀勢線の連結が70年前の7月15日だったのです。
 7月15日にはその式典と記念列車の運行があるようです。



by je2luz | 2019-06-16 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2019年 06月 15日

紀勢西線・東線 連結60年 1

 私が高校に入ったときは、まだ紀勢線は西と東に別れていました。
 尾鷲側は三木里まで、こちらは紀伊木本までだったのが工事の関係もあり新鹿まで伸びていました。
 高校の遠足で新鹿まで汽車に乗ったのですが、貨物車両、無蓋車トムかトキによじ登って乗りました。
 今だったらそんな乗車は学校行事では認められませんよね。
 その当時も駄目だったのでしょうけど大勢だし…
 そして、昭和34年(1959)7月15日に紀勢線が全通したのです。

 汽車も直通になったけど、他にも大きく変わりました。
 「紀伊木本駅」が「熊野市駅」になりました。
 開通した熊野市ー尾鷲間が6割ほどトンネルということもあり、新宮から熊野・尾鷲・松坂方面の列車は蒸気機関車がなくなり、ジーゼル機関車牽引かジーゼル気動車になりました。
 新宮から和歌山方面は従来どおり蒸気機関車が引っ張っていました。
 このことが先では向こう側、紀勢西線は電化されたのに、こちら紀勢東線は無電化のままになりましたね。
 蒸気機関車は加速は悪いし、ばい煙は出るし…
 でも、汽笛の音、あのドラフト音は良いものでした。
 駅から400mほどで間に要害山もあるのに、ここまで聞こえてきましたね。
 汽笛は風向きのよっては山を越えて飛鳥まで届きました。
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 昭和34年当時の熊野市駅・紀伊木本駅ですがボンネットバスがいます。
 隣接して日通(丸通)が見え、荷物の集積場には材木が山積みになっています。
 紀勢線全通も産業振興に役立つと期待されていたのですが、しばらくするとトラックの時代に入り、一次産業も衰退するし…今では貨物列車もありません。
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 これが紀勢線全通時に投入された「DF50」と言うジーゼル機関車です。
 国鉄が蒸気機関から電気・ジーゼルへの切り替えに入った頃ですした。
 貨物も旅客もこれで引っ張っていたと思います。
 夜行列車「那智号」もこれに引かれ、多気で「伊勢号」と合流し、名古屋で一時期は「能登号」一時期は「出雲号」と合流して早朝に東京駅につきました。
 名古屋からは電気機関車に引かれました。



by je2luz | 2019-06-15 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2019年 06月 12日

Google Map 国土地理院地図

 問題になっている防衛省のイージス・アショア-の問題で、ちょっと気になる発言があります。
 「平面図と立面図の縮尺が違うことに気づかないで製図して仰角を測った」などと言うのは論外の話で、中学生の夏休みの宿題でも先生に叱られるでしょう。
 まあ、その陳謝を兼ねた住民説明会で居眠りするような役付職員が居るのですから…
 旧日本軍も結構ひどいと言われますが、こんな人達で大丈夫なのでしょうかね?
 また、こんな大きな事業の計画段階で、現地を全く知らない人が図面作って居たんでしょうかねえ…
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 そして、私が気になったのは、「Google Mapを使いました。」ということです。
 そして、「マップを使うことに問題はありません。」と言う発言です。
 日本では地形を正確に記してある「国土地理院の地図」があります。
 平面から山の高さの等高線まで、地形を語る原点だと思います。
 Google Mapの地図は国土地理院のものを取り込んだのでは無く、自主作成とかゼンリンの物とかが使われていると言われています。
 「ミサイル・アショア-」の設置と、付随するレーダーの照射範囲を左右する、周辺の山に対する仰角を割り出す元が、地理院の地図では無いと言うことが怖いです。
 「ありゃ!レーダーが届かん!」では済まない話です。
 嘘もここ迄行くと、大変なものです。
 事業をやるために偽装するのはよくある話ですが、保色山をを富士山に仕立てるくらいのものでしょう。
 辺野古同様ここでも市民不在で物事は進むのでしょうか?
 そのうち、基地の回りとかで写真撮るだけで逮捕され二度と帰ってこない国になるかもですよ。
 近所の国はみんなそうですからね。

このミスを見つけたのが秋田のローカル新聞の記者さんだったそうです。
地形を知る記者から見て、最高峰「鳥海山」より1/3しかない山の仰角がめちゃ大きいのに気がついて検証したのだそうです。
 なんだか、日本の上層部の力量低下を感じますね。



by je2luz | 2019-06-12 04:25 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
2019年 06月 08日

温泉と観光

 日本という国は火山国で地震も多いけどその付録で「温泉」が多いです。
 この紀伊半島には太古の大火山・カルデラの跡はある物の火山の無い場所になって居ますが、プレート活動のおかげと古代の地層のおかげで温泉があります。
 箱根や別府の湯とは成り立ちが違うのは先日の「タモリ」の番組でもやっていましたね。
 勝浦・湯川・白浜・椿・川湯・湯の峰などは古くからの温泉場として有名でした。
 だから、南紀は温泉場と言う知名度はありますが、何百メートルも千メートルもボーリングできるようになると日本は温泉だらけになりました。
 竹下首相の一億円で余計に増えましたね。
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 これは日本の中心部の「日帰り温泉」の分布図です。
 今は都市近郊に温泉が掘られてこんな風な分布になり、むしろ、南紀は少ない所になって居ます。
 前から書いていますが、都市近郊でこうした「日帰り温泉」「温泉テーマパーク」がどんどん作られて、都会人の囲い込みが行われています。
 東京では古い所で、池袋温泉・平和島温泉なんてのがあったのですが、今では東京ドーム温泉や大江戸温泉物語など大型のものがかなりありますね。
 寂れかけた熱海は盛り返したようですが、伊東や修善寺などは結構苦戦しているとか・・・
 そんな情勢で有名温泉地の勝浦や白浜でも随分様子が変わったようです。
 「ゆかいリゾート」などの大手チェーンのホテルは集客できても昔からの「温泉宿」は苦戦しているようです。
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 これはこの一年ほどで私が行った和歌山県下の日帰り温泉8箇所です。
 プロットしていない所では、以前に行ったことのある「湯川」「勝浦」「熊野倶楽部」「湯ノ口温泉」「旧・簡保」などです。
 日帰り温泉の入浴料は800円から神川・碁石の里の400円までですね。
 日帰り温泉と行っても温泉ですから建物もそこそこ大きなものが多いですし、ポンプアップなどの経費も結構掛かっていますね。
 全国統計でも毎年新規開業もあるけど閉鎖される温泉場も多いようです。
 3000を超す温泉があればそうなるでしょう。
 新鹿温泉などは加温の必要もあったので維持できませんでしたね。
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 上の写真は「わたらせ温泉」大露天風呂前の様子です。
 こんな所まで「田辺市」なんです。
 平成の大合併で市町村の分かれ目がわかりにくくなりましたね。
 中辺路道の繋がりなら田辺でしょうが、311号が改修される前なら本宮町は新宮の方がなじみよかったかも知れませんね。
 こんなに広がると行政も手を入れるのが大変でしょう。

 温泉って観光地には必要ですが、昔のように「温泉だから」とやってくる旅行者は分散されてしまい、にならなくなっています。
 大手チェーンに売り払うほど規模のある所はそれなりに生き延びられるようですが、大手も外人さん頼りになりつつあるとか・・・
 「秘境ブーム」「秘湯ブーム」も大きくは育ちませんね。
 「観光」って、結局は従業員を食わせる産業ですね。
 それだけに、やっぱり、接客が大事でしょう。
 接待までいりませんが「笑顔」くらいはねえ・・・
 紀州の人は無愛想みたいです。



by je2luz | 2019-06-08 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2019年 06月 06日

列車でさえ・・・

横浜「シーサイドライン」の自動運転列車の事故が話題になっています。
 運転手の要らない夢の交通手段だそうですが、逆方向に走り出して車で目にぶつかったようですね。
 それは、「想定外」の動作で対処するようにはプログラムされていなかった事故だそうです。
 人間にもミスがありますが、機械、コンピューターにもミスはあるでしょう。
 「そんな馬鹿な!」というような事例にも対応し、安全を守るように設計するのがこうした自動運転などの絶対条件でしょうね。

 大阪「ニュートラム」が終点・住ノ江駅でブレークが効かずに車止めに衝突しけが人を出した例もあります。1993年ですから随分前ですけどね。
 このような交通システムは踏切もないし障害物は鳥と自然現象くらいです。
 飛行機には「鳥」は大敵ですが、列車なら大事故にはならないでしょう。
 とはいっても、当たり所が悪くてセンサーなどに影響出たら???
 なんて心配になっちゃいますね。
 こんな、「我が道を行く」という列車でも「想定外」が起きるのですから、しゃにむにやろうとしている公道での「無人自動車」はどうなのでしょう?
 障害物は、犬・猫・人間・鳥・猪・鹿・熊・・・
 風・雨・トタン・看板・穴ぼこ・冠水・落下物・・・切りが無いでしょう。
 それらを想定するとまともの動けなくなるほど複雑でしょうね。

 アクセルとブレーキの踏み間違い・・・
 酒飲み運転・無免許運転の防止装置・・・
 運転手のよそ見・気絶に対処する装置も未整備で、そんな黒間が走っている中に「無人運転自動車」が割って入ったら???
 ある日、「有人自動車走行禁止」と言う法律でも施行しないと・・・
 山の中や奈良の鹿、山や神戸の猪、山や観光地の猿などにも言い聞かせなくては・・・
 道端の木や標識・街灯・電信柱にも「倒れたら知らせろよ」と頼まなくてはいけませんね。
 何しろ道の上は「想定外」だらけですからね。
 車で走っていて、「びっくりした!」「ひやっとした!」というのは、運転手の頭の中では「想定内の出来事」なんです。
 人によっては「UFOが降りてくる」「幽霊が出る」まで頭のどこかで「想定内」でしょうからね。
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 VW UP!のこのセンサーが普及車に乗せられた日本では最初の非常停止用のものです。
 この後で日本車もどんどん載せたし、作動する速度も上がっているようです。
 その割にコンビニでの事故とか減りませんね。

 そもそも、無人化する目的は「人件費削減」「利益率向上」が隠された目的ですよね。
 SFの世界では随分昔から取り上げられ、最後はコンピューターが自分で補修できるようになり。「人間は不要な存在」として抹殺に掛かるというストーリーです。
 そして、ヒーローとヒロインが命がけでマザーコンピューターの破壊に向かいます。
 そのガードを破るのは想定外の行動を取るしか無いのです。
 棋士がコンピューターに勝ったのは「歩、金ならず」だったそうです。
 なんだか、今度の事故は怖い話の入り口なのかも知れませんね。



by je2luz | 2019-06-06 04:25 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
2019年 06月 04日

聖火リレー

来年春には聖火リレーが始まるようですね。
 ギリシャで点火して日本へ・・・
 昔のギリシャの女官?の衣装を着けた女性達が太陽光で点火する映像は何度か見ました。
 オリンピックも政治利用されたりしましたが、今では商業利用されているようです。
 ヒトラーのベルリン大会、消えた東京大会、ボイコットのモスクワ大会・・・
 今回は「復興五輪」「コンパクト五輪」などと言って誘致したものですが、「Under control」は嘘だったし、コンパクトも真っ赤な偽りですね。
 聖火リレーも本部の意向を押し切って日本中を回る長丁場になったようです。
 今回の三重県内のコースは圏を縦断して熊野市の世界遺産を通るコースだそうです。
 どこで車からランナーに引き渡すのでしょうね?
 我が家の前はランナー?搬送車???
 この聖火リレーはそれなりに見物人は沿道に出るでしょう。
 今回のトーチは前野ほど煙は出ないんでしょうね。
 前の会には途中で消えたり、成果でタバコの火を付けたり・・・なんてのがあったようです。
 アルバイトに管理任せたら、NETにいたずら動画がでるでしょうね。
 「おけら火」のように、「持って帰って料理に使えば何とやら・・・」なんて考えるやつも居そうです。
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 この聖火台は、今、岩手県にあるそうです。
 結局、今回は使われないんですね。
 再利用では「経済効果が無い」のでしょうか?
 会場内におけないので二箇所に置こうなんて暗いですから・・・
 火が盗まれそうな気もしますね。



by je2luz | 2019-06-04 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2019年 06月 02日

水無月 記念日

 水無月に入りました。
 昨日、1日は「電波の日」「写真の日」「気象記念日」だそうで、私の興味のある物の日だったのですね。

 「電波の日」はアマチュア無線の監査指導員などやっていた頃はパンフレットなど届いたこともあります。
 違法CBがテレビ障害など引き起こして社会問題になった頃です。
 熊野などテレビの電波状況が悪い所ではアマチュア無線の2mや6mで障害が出ることもありました。

 「写真の日」は1951年に日本で制定されたもので、「World Photography Day」と言うのもあり、これは8月19日で写真がダゲールにより実用化されたダゲレオタイプ写真の特許をフランス政府が買い上げて解放し、誰でも写真が撮れるようになった日(1839年8月19日)を記念するものです。
 写真ももうすぐ200年ですね。
 考えてみるとそのうちの1/3近く、私も写真やっているんですね。
 その間に、ブローニーから35mmになり、白黒がカラーになり、フィルムカメラからデジタルカメラになりました。
 レンズも単焦点の暗いのから明るくなり、ズームになりました。
 果ては、写真を紙に焼かなくなって記録が消える時代になったのかも知れません。

 「気象の日」は1875年(明治8年)6月1日に気象台が東京に設置された記念です。
 これも人間が空を見ていた時代から、レーダーや衛星になり随分あたるようになりましたね。
 昔は、「ふぐを食う前に気象庁と三回唱えると良い」なんて冗談があったくらいでしたからね。
 一時期、各地にあった気象台から人が消えてローカルの天気があたりにくくなったりしましたが、今はよくあたりますね。
 会計検査院に「もう少しあたるように」なんて言われたのは夢のようです。
 でも、この先もあたるのかどうか・・・
 前例の無い「50年に一回」以上の現象が増えそうですから・・・
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 これは2007年に旧・波田須小学校で壊れた「百葉箱」を撮った物です。
 あちこちの学校に百葉箱と風向計・風速計・温湿度計などがあり、「気象クラブ」なんてのまであった時代もありました。
 熱心な先生が居ないと続かない活動みたいでしたけどね。
 短波放送で気象情報が流れて、それを地図上に落とし込むのが好きな子供まで居たようです。
 北緯27度05分 統計135度10分 気圧1011ミリバール、南南西の風2m・・・天候も入っていたかな?・・・なんてやってました。

 私は子供の頃にはやりませんでした。
 辛気くさいことより「チャンバラ」の方が楽しかったです。
 今調べたら、6月4日が「武士の日」だそうで「チャンバラ合戦IKUSA」なんてもあるそうですが、今年は5月11日だったそうです。
 何でも記念日になっちゃう時代です。



by je2luz | 2019-06-02 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)