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LUZの熊野古道案内

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タグ:吉野熊野国立公園 ( 3 ) タグの人気記事


2017年 12月 10日

熊野の旅 昔からの名勝

 土曜日…
 久しぶりに国道42号線を南下してゆきました。
 なんとなく走って串本まで…
 橋杭岩で車を停め…
 カメラを積んでいたし、干潮時間だったので岩場まで…
 レンズはいろいろ車には載って居ましたが普段通り12-24ワイドズームのままで…
 レンズがワイド一本なら構図は限られます。
 水の中まで入るファイトもないし…
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 と、言うことで…
 ここの写真を撮るのも何年ぶりでしょう?
 結構たくさんの観光客が居ました。
 皆さん、スマホで記念写真を撮っていました。

 この串本・橋杭岩は写真になりよいし、そばに広いところもあるし昔からの観光スポットでした。
 南紀と言えば「白浜・三段壁」「串本・橋杭岩」「那智の滝」「瀞八丁」「鬼ヶ城」などが絵ハガキにもなる名勝だったのです。
 自家用車の時代になるとあっちこっち見る場所を開発してゆきましたが、汽車で来てバスで見物となるとウロウロできませんからね。
 不便だった代わり、「観光=旅行=泊りがけ」と言うことで、今でいう波及効果も大きかったのです。
 それぞれの町に旅館があり、「政府指定」「日観連」などと言った金看板が掛けられていました。
 私も学生の頃などは時刻表片手に夜行列車で日本中を歩きました。
 自家用車で走り回るようになってからよりそれぞれの観光地の印象が強く残っています。
 かくこのように時代が変わってきているので、「観光」も難しいです。
 足が便利になり、道路もどんどん良くいなると客は駆け足になります。
 おまけに「インスタ映え」とやらの良いところを探し回っています。
 FaceBookなどなら多少の解説・感想も入りますが、Instgramではそんな事お構いなしですね。
 極端に言えば、背景はパネルでも良いようです。
 それが日本人から中国人まで…
 何が受けるか不確定要素が増える一方のようです。
 それでも、旅に出るきっかけは昔ながらの意「名勝」が担うことも多いようです。
 
 串本の儀平さんが橋杭岩の前に出てきていました。
 客の流れかな?



by je2luz | 2017-12-10 04:21 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2016年 01月 19日

熊野の旅 熊野市の名所・名勝 4 七里御浜

 七里御浜が全国に売り出されたのは、昭和11年(1936)にこの一帯が「吉野熊野国立公園」に指定された時でしょう、
 私が子供の頃の社会科の地図には鬼ヶ城などにはマークが入り、七里御浜松原にはピンク色の網掛けが入っていました。
 国立公園が粗製濫造になる前の物だったのです。
 もっともその頃には獅子岩以南は河口部分以外、切れ目無しで松原が鵜殿まで続いていたのです。
 その松原は戦後輸入されたパルプ用木材にくっついてきたと言われる「松食い虫」に枯らされて行きました。
 「松食い虫」はカミキリムシの小型のような虫とされていますが、実態はそいつが媒体となって広げる、松の根っこに寄生する「線虫」が悪いのだそうです。
 だから、一時やられた空中散布とかの殺虫剤もほとんど効かなかったのです。
 かくして、「白砂青松」と言われる、日本らしい松の防風林を供えたきれいな海岸線の景観が変わってしまいました。
 戻す試みは井田舞子から始まってあちこちでされましたが、昔の人には育てられた松林も「営林署」には育てることは出来ませんでした。
 何が近代林業なのでしょうね。
 そして、半世紀前から取り組まれたはずの「松食い虫に耐える松」も実用化されず・・・
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 そして、少なくとも私が学生の頃までは、砂利浜も二段三段に段を成し、浜の入り口からは波打ち際が見えなかったのです。
 砂利は波が仕分けするらしく、大きな石、中くらいの石。細かい石と帯状に別れて並んで居たものです。
 それが、ダムが出来て以来徐々に砂利は減るし、細かい石ばかりになり、段が無くなり、ずるずると波打ち際に下る浜になって来ていたのです。
 ダムとの因果関係は長年国は認めませんでした。
 建設省の終わりの頃に認めたわけじゃ無いけど「無縁じゃ無い」程度に認識は示しましたけどね。
 でも、ダムを撤去するなんてあり得ない国ですしね。

 この砂利浜に関して、木本海岸だけが近年完成した「潜堤」の二次的効果で昔の姿を少し取り戻してきました。
 明らかに太って、波打ち際も20メートルほど沖に出ましたし、砂利の量も増えて、いくつかの段が出来て来ています。
 この高波対策が丘からは見えない「潜堤」でやって貰えたので、景観も昔の通りです。
 よその海岸では毎面から出て居るテトラポッドが無粋な姿をさらしますし、陸の上の堤防際にもテトラの山が築かれて居ます。
 あれでは、自然なんて感じられませんね。

 こうして、木本海岸の景観が守られたのは、当時この海岸を所轄していた運輸省港湾部の若い技官が学生時代に熊野を訪れ、獅子岩のところで一日遊んで、こんなに良い浜が日本にも残って居るのだと覚えていてくれたからなのです。
 そして、私達が東京まで陳情に出掛けた時の大臣が三重県二区の田村元さんだったのも大きかったです。
 木本海岸と木本堤防に30年ほど心血を注いできましたが、こうした幸運が後押ししてくれたので、今があるのです。
 こうしたことを知る人も居なくなってしまいましたね。
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 今は大きな石も少し見られるようになって居ます。
 でも、戻ったのが最下流の木本海岸なのです。
 紀宝町の井田海岸から羽市木まで潜堤を作ると、2000億円程かな?
 やって貰えそうに無いですね。

 阿田和のCCZの人口リーフはさばけちゃったのかな?
 浜が痩せ始めましたね。
 よそ事とは思えないのですが・・・

 この「七里御浜」・・・
 足場は良いのですが、ポイントが無い!
 獅子岩ー羽市木ー花の窟神社付近がきれいなのですが・・・
 そして、立石から志原尻までの防風林の中には遊歩道もあるし・・・
 歩けば良いところ・・・
 かと言って、宣伝文句も中々思いつかないし・・・

    

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by je2luz | 2016-01-19 04:24 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2015年 12月 22日

熊野の旅 昭和は遠くなりにけり 時は流れ・・・

 吉野熊野国立公園は指定80周年かな?
 古びた看板だかでしょうか? 熊野市も何の式典もイベントも無いようです。
 新しいこともさほど無いのに古いのは捨てちゃう・・・
 世界遺産も既に十年・・・世間では忘れかけられているはずなんです。
 人の噂の49日よりは長持ちしますけどね。

 ここが国立公園の指定された頃・・・
 観光客も随分来たようです。
 大阪からの紀勢西線が出来ていたし、天王寺から夜行列車で勝浦・新宮へ・・・
 その頃の旅行は泊まりがけが常識ですから。那智山にお参りし、新宮の速玉さんにも参り。押しを伸ばして「国立公園・鬼ヶ城」へ・・・
 絵はがきも一杯売れたようです。
 昭和30年代終わり頃までは「絵はがき」が売れ筋でしたね。

 そんな時代、南国の海岸らしい植物の代表は「浜木綿・はまゆう」でした。
 地味な花ですが、白浜でも木本でもこれが植えられて居たものです。
 百合のような花野と細かく切れたの・・・そして、真っ白なのと少しピンクがかったの・・・
 志摩の方に行けば、白い着物の海女さんの横に浜木綿というのが絵はがきの定番でした。
 この「浜木綿・はまゆう」がすっかり見掛けなくなっています。
 最近では「ハイビスカス」「ブーゲンビリア」なんてよそ者がのさばっています。
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 足元の白いやつ・・・ 
 これが浜木綿の種?です。
 ちょっと小さい気もしますが、この種は塩水にも強く海を流れて黒潮の洗う海辺に広がったのだとか・・・
 「名も知らぬ 遠き島より・・・」
 椰子の木は中々定着しないようですが、これは草だけに広がりよかったのでしょうか?

 昭和の中頃までに一杯在って、今はあまり見ないもの、消えた物・・・
 「サボテン」「蘇鉄」「棕櫚」「バラン」「アロエ・医者いらず」・・・
 「鬼瓦煎餅」「豆板」「焼き饅頭」「町のアイスキャンデー」「スイカのかき氷」・・・
 「ポン菓子」「かち割り飴」「駄菓子屋の水飴」
 「醤油の量り売り」「酢の量り売り」「酒の量り売り」「味噌の量り売り」「塩の量り売り」・・・
 「酒屋の店先のコップ酒」
 「魚の行商」「モンペの行商」「秋の松茸売り」「鍋の鋳掛屋」「包丁研ぎ」・・・
 「町の洋装店」「仕立て屋」「靴の修理屋」「帽子屋」「下駄屋」
 
 私が東京に出た頃だと、高田馬場辺りでも、「ラッパを鳴らす豆腐屋」「走り回る納豆売り」なんてのが残って居たものなんです。

 「豆腐屋の ラッパの音が おかえりの 合図でした
 買い物帰りの 母に駆け寄り 歩いた小道 夕焼けトンボ
 三ノ輪橋から早稲田へ 今同じ風の匂い まぶた閉じれば若い日の 母が 母が 浮かびます」
・・・
 水森かおりさんの歌ですが、こんな情景が前のオリンピックの頃には残って居ましたね。
 その頃の都電は東京中走り回り、クリーム色に赤橙のラインだったかな?
 最初は15円で乗り継ぎ出来たり・・・
 都バスは高田の馬場から正門まで往復15円!
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 こうして日本中から昭和の情緒も消えて行きますね。

    

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by je2luz | 2015-12-22 04:42 | 熊野 | Trackback | Comments(0)