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LUZの熊野古道案内

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2019年 05月 10日

大型連休と熊野古道

 今度の大型連休では例年に無く人出の多かった場所など報道されていました。
 三重県では、「伊勢神宮」は多かったようです。
 全国的には有名な神社が多かったのは「改元」にあやかって「御朱印」を頂こうとする向きが強かったからでしょう。
 近年、この「御朱印」が少しブームになっていたみたいですが改元で燃え上がったようですね。
 あまりの忙しさで従業員?が体調を崩した神社もあるそうです。

 昔には旅先で「記念スタンプ」を集めるのが流行って、次には「国鉄の駅のスタンプ」そして「道の駅のスタンプ」なんてのも流行りました。
 そもそも、日本人はスタンプ集めが好きみたいです。
 「西国八十八カ所」「西国三十三カ所」「武蔵三十三カ所」「近江西国三十三カ所」など考え出して庶民を信仰という名目での旅に誘い出したようです。
 これらの旅では「御朱印」を頂き御利益も頂く趣向です。
 改元に便乗できるのはやっぱり、「お伊勢さん」「明治神宮」「太宰府天満宮」など、改元で連想しよいところが先に立ち、更にはSNSで評判が立った神社仏閣に人が集まったようです。
 残念ながら熊野市では「御朱印集め」の人が来る神社は無いようです。
 熊野三山では普段より人出があったようですが、「熊野古道」は連休とかブームとかとは少し縁遠かったようです。

 考えてみると「古道歩き」に来るお客さんの多くは初老とかの人が多いです。
 ゴールデンウィークの混む時に来なくても・・・
 そして、この時期は孫の守り???
 細切れの休日の方が良さそうです。
 昔のように信心で歩くのなら長い休みも良いでしょうけど、一日で三山参ろうかと言う時代では・・・
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 ここは熊野古道・中辺路「近露」です。
 道の駅は別にありここは「古道歩きの郷ちかつゆ」という農協系らしい施設です。
 近くには「美術館」「オートキャンプ場」があり、中辺路街道沿いの「王子」も点在する拠点的な場所です。
 何度走ってもわざわざ停まるような所でも無いのですが、連休最後に入ってみました。
 売店などは充実していて熊野市の「新姫キャンディ」?までおいてあります。
 連休の最初と最後に国道311号線を走りましたが道は空いていたし、ここもあまり車は停まっていませんでした。
 中辺路も街道ですから、大型連休とかには縁が無いのでしょう。

 古道歩きは山道・峠道ですから本当の高齢者には向かないし・・・ 
 高齢者ドライバーに対する風当たりも強いし・・・
 この辺の峠道よりは「松本峠」「大吹峠」は歩きよいですけどね。
 自販機も茶屋もないし行き倒れが出ないようにしなくてはならない時期かも知れませんね・



by je2luz | 2019-05-10 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2019年 05月 05日

連休後半へ

 連休も残り半分を切りました。
 さすがに国道42号線も車が多いです。
 上り下り共に多いですがこの辺では停滞はありません。
 多分、新宮の入り口、「大橋」では停滞しているでしょうね。
 あの辺りは交通量の割に信号待ちが増えます。
 国道42号は新宮の端を突っ切っているのですが、町中の信号が今ひとつ良くないですね。
 御堂筋のように綺麗に青に変わる系統式では無い感じです、
 これを嫌って熊野川河口に橋をかけ始めています。
 随分贅沢になったものです。
 新宮にはかつて本州製紙・巴川製紙があり、製材業も社会の教科書に載るほどの一大集散地だったのですが今では小さな製材所を残すだけで、製紙工場は消えています。
 商業の中心地としての役割も熊野川流域の村々が痩せてしまうし、海岸線の東牟婁・南牟婁も衰えているので落ち込んでいますね。
 新宮は熊野三山の一つ「速玉大社」があるし、かつては「瀞八丁」のプロペラ船の拠点で観光拠点だったはずなのに、不思議と観光の町にはなりませんでした。
 温泉場として勝浦・湯川・川湯・湯の峰などが昔から有名だったので新宮に泊まる人は居なかったのでしょうね。
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 日本中に温泉が掘られた時にも新宮市は中心部に掘りませんでしたね。
 「速玉大社」の他に「神倉神社」があり、「お灯祭り」という良いお祭りもあります。
 「晋の徐福」の伝説も神社(熊野の波田須と本家争い)もあるし、「浮島」という天然記念物など観光資源がないわけではないのですが、商都として繁栄したのでそちらが主になったのでしょうね。
 ちなみに「速玉大社」「那智大社」「本宮大社」と書くと「大社は出雲だけ」という異論が出ることあります。

 それなりにこの連休には観光客も紀伊半島を南下してきているようです。
 勝浦・湯川もかつての勢いはないし、この熊野地方は受け入れのキャパシティは大きくないです。
 寂れ果てかけていた「白浜」は息を吹き返している感じです。
 巨大な観光チェーンのホテルは元気のようですが、ああしたホテルは何もかも内部で完結しているので、「待ちの賑わい」は生まれませんね。
 温泉場も様変わりしています。
 私などの旅に求めるものは置き去りにされたようです。




by je2luz | 2019-05-05 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2019年 04月 09日

他所の熊野古道 王子とは?

 何種類かある熊野古道の内でここを通る「伊勢道・熊野街道」は和歌山県側とは全く違い、北に向かい「お伊勢さん」に繋がっています。
 この道が盛んになったのは、「お伊勢さん」が流行りだしてからみたいです。
 中辺路や大辺路は都に通じていますが、平安時代などには伊勢路方向には大きな町も無かったですからね。
 江戸期に入ると「伊勢参り」がものすごく流行ったようで、その分、一旦は「熊野詣」が下火になったこともあるそうです。
 伊勢の「おかげ参り」は慶安3年(1650)に流行りだし、その後大ブームが宝永2年(1705)、明和8年(1771)、文政13年(1830)、明治3年(1871)4回ほどあったのだとか・・・
 この江戸期から明治の「おかげ参り」の流れで「伊勢道」を通る「お遍路さん」が増えたのでしょう。 
 この記述にある年号では無いのですが、文化年間の頃の記録として「熊野年代記」には文化元年(1804)20000人。同2年20478人、3年26000人、4年18729人・・・文政8年(1825)11746人など記録にあるそうです。
 ブームで無くてこれですからブームの時倍増すれば5万人とかですね。
 少し前に鬼ヶ城の入り込み客15万人と言ったりしてましたから、日本の人口と交通事情を考えると大変な数字ですね。
 「ありの熊野詣」は江戸時代になってから、いにしえの盛んだった頃のことを例えた言い方だそうです。
 これは江戸後期、新宮での人数のようですが、平安時代などでは紀伊地に比べ熊野地は1割程度では無かったろうかと言われます。
 江戸期になると様子は変わって伊勢路の比率が上がっていたと思われます。
 旅人が関東からの人が増え、お百姓さんなども増えたそうですからね。
 「伊勢に七度熊野に三度」とか「熊野に参らないと一人前じゃ無い」なんて言葉もあったそうです。
 江戸を始め関八州の人達が熱心だったようです。
 この辺での言い伝えの「かんとべえ」なんてのは最後の明治のブームのことでしょうね。

 古い時代の「熊野詣」の頃から、和歌山側では上皇だとか法皇だとか貴族が参詣に来たので、色んな話もあるし、そうした人が寄進した「九九王子」なんてものが並んでいます。
 正確に九九あったわけでは無いようですが、「○○王子」てえのが、案内板にあるし道路標識にもあります。
 難儀して越える街道の途中途中にこんなのがあると、歩く励みにもなったでしょう。
 「一里塚」「丁塚」でも励みになったようですからね。
 こうしたものが載った観光案内書みたいなのも一杯出ていたようですからね。
 伊勢街道でも「大泊観音」など載った冊子が出されていたようです。
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 中辺路辺りだけでもこれだけ残って居るのですからね。
 特別見るものも無い、景色も良くない中辺路でもスタンプラリーのようにこうしたものを尋ね歩くと道中が楽しくなるでしょう。
 今の時代のようになれば、全部回りたいなんて思わせるでしょうしね。
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 この人達は「牛馬童子」と「大坂本王子」へ向かうようです。
 4月には入り日が長くなったとは言え、16時52分です。
 団体バスは居なかったし???
 何処に泊まるのでしょう?

 今の人は、御利益を求めて「熊野三山」に来るのでは無く「古道歩き」がほとんどでしょう。
 と言うことは・・・
 この「王子」の働きって大きいでしょうね。



by je2luz | 2019-04-09 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2019年 04月 05日

熊野古道と旅支度

 世界文化遺産に登録されてから、大賑わいとは言えませんが古道を歩く人も見かけるようになりました。
 昔は「蟻の熊野詣」と言われるほど大勢が参拝に来たようです。
 江戸期以降では関東から「伊勢参り」と同時に「熊野詣」も盛んになったそうです。
 関東では「熊野にお参りする」と書き置きすれば、女だけのグループでも旅に出られたのだそうです。
 「入り鉄砲に出女」と関所の見張りが厳しかったはずなのにお目こぼしがあったのでしょうかね?
 「金比羅参り」もかなり自由だったようで、「犬」だけでも代参が出来たとか・・・
 私のじいさんなど明治時代とかにはまだ関東からの参拝者が居たようで。関東からの人を「かんとべえ」なんて言ってました。
 「関東・べえ」なんでしょうね。
 江戸者は馬鹿に出来ないから、上州とかの人を馬鹿にしたのかも知れません。
 食いかけていた熊野地の人が旅人を笑うなんてねえ・・・
 でも、「善根宿」なんて、木賃宿よりもっと優しい「出世払いの宿」まであったらしいですから、優しい面もあったのでしょう。

 伊勢方面から熊野街道に入ると山また山です。
 東海道とかの街道と違い宿場など整備されていなかったようです。
 そして、「茶屋」も整備されない山道ですし。今のように分かりよい標識があるでも無し・・・
 山賊も出たでしょうしね。
 まともに路銀も無い巡礼さんの中には道に迷い。崖から落ち、川でおぼれて命を落とした人も多かったでしょう。
 街道筋にぽつんと立っている地蔵さんなどにはそうした行き倒れの人を供養した者もある戸尾もぴます。
 この辺では神志山にある「巡礼の供養の碑」が知られています。
 この熊野古道伊勢道・熊野街道などは山越えがあると言っても海岸線に近い尾根越えですから他の街道に比べると、「野宿で凍え死ぬ」なんて少なかったでしょうね。
 宿?民泊?で作って貰ったにぎりめしや目はりを腰に付けて歩いたのでしょう。
 昔より今の方が途中での飲み物食い物の補充は難しいかも知れません。
 昔の人なら、谷川の水は気軽に飲んだし腹はこわさなかったでしょう。
 今の熊野古道で歩くように地図に出ている部分は、「始神峠」「大吹峠」「松本峠」「横垣峠」「風伝峠」など何処も峠の茶屋なんてありませんね。
 食い物屋もほとんどありません。
 今の田舎では市街地でも食堂は少ないですからね。
 お店も国道沿いのコンビニ以外は少ないし・・・
 古道に近づく前に、目に付いた店や食堂で腹を満たすことを考えないと・・・
 団体の場合は主催者が弁当の手配をしたりするようですが、個人の人は下調べしてきた方が良いでしょう。
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 ここは169号線中辺路の小さな道の駅です。
 「サンマ寿司は完全予約制になりました。前日までの予約を・・・」と言う張り紙があるほどですから、「牛馬童子」があり、駐車場もトイレもある国道そばの熊野古道でも商売になって居ないようです。
 この前後のお店となると、「近露」?「渡良瀬・川湯」? 歩いて行ける所では無いですね。
 昔より難儀する熊野古道かも知れません。
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 熊野市文化交流センターで4日から7日まで開催中です。
 女流画家さん達の恒例の展覧会です。
 お立ち寄りになってください。


by je2luz | 2019-04-05 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2019年 03月 22日

色んな数字

 ニュースで流れた数字、どう思われました?
 「世界幸福度ランキング」です。
 国連の関連団体が毎年発表するものでどの程度信憑性があるのかは不明ですが、参考にはなるでしょう。
 日本の順位は…
  • 2015年 46位 2016年 53位 2017年 51位
  • 2018年 54位 2019年 58位
 と、少しずつ下がっているようです。
 調査対象が156カ国ですから上から1/3位に入っているようです。
 戦後すぐくらいなら「たいしたもんだ!」と思えたでしょうけど…
 韓国57位で日本のすぐ上に居ます。
 上位三国は1位フィンランド 2位ノルウェー 3位デンマーク の北欧の国です。
 税金は高いけど福祉は充実していますからね。
 下位は 南スーダン 中央アフリカ共和国 アフガニスタン タンザニア
 内乱・紛争の国が並びます。
 生きていることが幸せなのやら不幸せなのやらわからない状況みたいですから…
 宗教も救いにはならないようです。

 日本では生活が豊かそうでも満足感が無く先が不安で幸せを感じにくいのでしょうね。
 G20に入っているのですから、20位くらいにはなりたいですね。

 国内の同じようなランキングだと三重県はほぼ真ん中らしいです。
 公式のこうした調査は全市町村とかでは行われていませんが、もし行ったら「熊野市」はどの辺でしょう?
 単純に言えば、季候は良いし、空気も綺麗だし、食うものもそこそこ美味いし…
 まだ病院もあるし、スーパーやホームセンターもまだあるし…
 原発はないし近年地震もないし…
 田舎はほとんど何処でも所得は低いんだし…
 でも、真ん中には居ないのでしょうね。
 これは住民の感覚による所も大きいですからね。
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 これは今度発表された「地価」です。
 熊野市と近隣をピックアップしました。
 下落は続いています。
 そもそも、今年の都市部の上昇も「上がらないと困る」という政策面とか金融機関などの思惑も絡んでいるのでしょう。
 都市部でも「空き家」「空き地」がどんどん増えているし、マンションの売れ行きもおかしくなっているのに土地が上がるって…
 井戸町丸山は駅前です。
 土産物屋さんは坪30万ほどで熊野市が買い上げましたね。
 まだ、取り壊しても居ないし未活用です。
 まあ、一時期は赤坂・井土で坪50万だ70万だなんて騒ぐ人も居ましたけどね。
 それに、土地が下がると行政は固定資産税が減るので困るんです。
 買い支え????
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by je2luz | 2019-03-22 04:16 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2019年 02月 22日

世界遺産この先

 テレビで世界遺産「富岡製糸場」が取り上げられていました。
 最初のブームが終わって人は来ないし、煉瓦造りの古い製糸工場が老朽化で補修が必要だし・・・
 とんでもない費用が必要だとか・・・
 長崎の「軍艦島」も廃墟化している所なので人を立ち入らせるためにはこの先補修とかでかなりの費用が予想されているようですね・
 「石見銀山」も同じ悩みがあるようです。
 日本中に世界遺産が出来てくるし、人の興味は移って行くし・・・
 高齢化と人口減少で国内旅行は衰退の一途をたどる予想ですしね。
 世界遺産指定=観光振興、と言う図式ではしゃいできた所が思惑が外れているようです。
 熊野古道も役所の思惑は「貴重な文化遺産を守る」なんて気はほとんど無かったですからね。
 でも、熊野古道は遍路道なんです。
 歴史的にも「善根宿」が重宝されるような路だったのです。
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 これは三重県の外郭が作ったパンフレットでツアーの企画です。
 パンフレットの費用だけでも○百万???
 それは補助金でまかなわれるので、旅行業者と違い採算の計算無しでしょう。
 賑わせにはなるでしょう。
 それに、熊野古道は維持費が少なくて済む遺産ですね。
 災害で崩れた時は随分掛かりましたけどね。

 松本峠も使われなくなってからは地元の有志のかたが草刈りなどしてくれていました。
 松本峠・大吹峠などはそこそこ歩く人も居るでしょうけど、山間部の古道はこの先維持が大変になるでしょうね。

 「熊野古層シャトルバス」 名古屋名鉄バスセンターーー花の窟神社神社 はまだ走っているようですが・・・



by je2luz | 2019-02-22 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2019年 01月 17日

お綱掛け神事 事前に参加も・・・

 来月2日には、世界遺産・花の窟神社で「お綱掛け神事」があります。
 ご神体の岩山から下界まで張り渡す「お綱」をみんなの力で張り渡す神事です。
 2月と10月の2日の日に行われます。
 半年では無く飛んでいるのは台風の影響かも知れませんね。
 今はクレモナのロープを添えて張りますが、元来は荒縄状の長ーい綱を崖の上から松の木の枝を中継点に下まで張ったのですから。台風時期には耐えられなかったのでしょう。
 祭りに関しては「紀伊続風土記」に出てくるようです。
 同じような記述が「日本書紀」にあり、出雲・伯耆国にあるそうですが、そちらは誤記なんだそうです。
 八つ橋だけでは無く。何でも本家争いってあるんですね。

 この縄を引っ張る「お綱掛け神事」は毎回書きますが一般の人が自由に参加できます。
 有馬の人で無くても良いのです。
 そして、この長い綱は地元の人たちで作られます。
 神社の前、道の駅「お綱茶屋」の所にある小屋で作ります。
 稲藁を選り分け、木槌で叩いて柔らかくし、縄にする作業です。
 縄を作る作業は「縄をなう」と、言います。
 新聞では「縄なえ」となっています。 
 漢字では「縄を綯う」と書きますね。
 当然のようにこれは元々「ハ行」ですね。
 この作業にはたくさんの人手が要るのですが年々人が減ってきて困るようです。
 1月20日日曜日、午前8時から作業に入るようです。
 仕事が出来る姿で行けば参加できると思います。
 ただ・・・
 稲藁を触る作業なので少し手が荒れるかも知れません。
 でも、中々、このような神事に参加できる機会とか無いと思います。
 参加されてみてはいかがでしょうか?
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by je2luz | 2019-01-17 04:18 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 30日

世界遺産 今年も増えた

 毎年増えるのが「世界遺産」ですが、その中でも日本が突出して多く申請し、多く指定を勝ち取っていますね。
 「ユネスコ」の大スポンサーと言うこともあるのでしょうし、日本中の自治体が無形だろうと有形だろうと、文化遺産だろうと自然遺産だろうと何でも良いから引っ張りたがっていますからね。
 ユネスコ文化遺産「紀伊山地の霊場とその参詣道」・・・「熊野古道」はひとかたまりでも和歌山・三重・奈良の三県にまたがっています。
 最近は「広域連合」???で申請するのが増えていますが、今回指定された「来訪神」は北は秋田から南は沖縄まで8県に渡るみたいですね。
 消えかけている風習の所もあるようですが、「保存」という手法で残るのでしょうね。
 「なまはげ」は有名ですが、本来は素朴な田舎の集落の行事ですから良さが消えなければ良いのですが・・・
 「観光」という名で温泉場の余興に出される???

 この辺にはそうした物はありませんが、「火祭り」はありますね。
 「那智の火祭り」「神倉さんのお灯祭り」「紀和の火祭り」・・・紀和のはちょっと異質かな?
 全国では「鞍馬の火祭」「秩父の火祭り」「吉田の火祭り」「二月堂修二会」「五山送り火」・・・一杯ありますね。
 秩父などはもう祭り自体が世界遺産みたいですから、「日本人の原点・火祭り」なんて団体での申請は無いのかな?
 数が多すぎて収まりがつかないかも知れませんね。
 粗製濫造・・・免許状乱発なんですから・・・
 これでも、地域振興・観光振興と言いたてるのでしょうか?
 Wikipediaでは「紀和の火祭り」も全国の火祭りに互して名前が出ていますよ。
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by je2luz | 2018-11-30 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2018年 11月 14日

観光都市熊野 道案内

 熊野市は「熊野」を名乗るくらいなので熊野古道では中心?辺りにいます。
 ただ、「古道」では「伊勢道」を含めると中間辺ですが、建造物や史跡では外れです。
 だから「鬼ヶ城」「獅子岩」なんて特別天然記念物まで「世界文化遺産」にねじ込んであります。
 町も小さいし山道も単純なのですが、それでも徒歩で歩く人は余分な経路をたどることもあるようです。
 市内各所には国土省が設置したもの、三重県のもの、熊野市のもの、民間のもの設置者がよく分からない案内標識が一杯あります。
 最近見つけたのが、国道の歩道にあった下のような路面に貼り付けた案内です。
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我が家のそばの国道42号線市役所・熊野市駅に向かう信号のところです。
 設置したてなのでまだ綺麗です。
 この国道の歩道はあまり人が歩く所では無いので結構長持ちするでしょう。
 以前、イベントの時、道順をプリントした紙を貼ってあったこともありますが、これはステッカーみたいな物ですね。
 緑色だからって「高速道路標識ではありません。

 町中にある標識も道路に建てれば「占有許可」が必要ですし、「野立て看板規制」に引っかかりますね。
 路面も本来は法律、省令、規則、条例などに基づかなくてはならないのでしょうね。
 これは車道では無く歩道ですが・・・
 町によってはこうした表示も条例で決めてある所もあります。
 世の中、「性善説」では通らないこともあるので、結構細かく規制される物です。
 前にも載せましたが、道路脇に幟を立てるのは基本駄目なんですが、よその県の国体の幟が隣の県側の国道ガードレールにどっさり立てられて視界が悪くなっていたのもありました。
 お役所でさえそうなのですから、規制も必要ですよね。



by je2luz | 2018-11-14 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2018年 09月 20日

熊野の旅 花の窟神社お綱かけ

 後二週間ほど…
 10月2日は「花の窟神社・お綱掛け神事」です。
 今年は「火曜日」です。
 毎回載せていますが、このお祭りは素朴な物です。
 怖ろしく古くからあったのかと思います。
 天上界とこの世を繋ぐ綱?
 伊弉諾・伊弉冉…
 この名前ががすんなり漢字変換されるってすごいです。
 最初の頃には字を作って登録でもしないと駄目でしたからね。
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 以前に「錦の御旗献上行列」なんてまつりが企画されたことがあります。
 二回やったのかな?
 衣装を借りて、錦の御旗を作って…
 勿論公金注入でしたね。
 鳴り物入りで始まったけど、なんだかピンと来ないイベントでした。
 江戸時代には記録があるそうですが…
 何しろ「稚児行列」をしようにも子供が居ないし、姫君と女官を揃えるのも大変な時代です。
 全国でどんどんまつりが消えて居るそうです。
 そこへこんなイベント企画しても続きませんよね。
 
 それにしても、肝心の「お綱かけ」って、人が少ないです。
 花の窟神社って鎮守様でもないでも無いようですね。
 花の窟神社・産田神社・浅間神社…もっとあるのかな?
 明治時代の随分統合したようですけどね。
 一村一社なんて無理だったのでしょう。

 お綱かけの綱が引っ張られるのは10時頃からですがその前の神事などを含めると、9時頃に行かれれば良いでしょう。
 車は充分停められると思います。
 綱が国道を通過する間は交通規制が掛かります。
 迂回路はオレンジロードですが。国道で待っても短いですよ。
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 今回を逃したら、次は2019年2月2日です。
 半年ごとでは無いのは綱と台風の関係かと思います。
 この場所に荒縄状のしめ縄を張り渡して、夏の台風は厳しいです。



by je2luz | 2018-09-20 04:22 | 熊野 | Trackback | Comments(0)