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LUZの熊野古道案内

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2019年 04月 17日

昭和24年9月28日 の三日後

 続けて毎日新聞記事を載せましたが、この三日後に世界の歴史を変える大事件?が起きたのです。
 1949年10月1日、北京天安門で「中華人民共和国建国宣言」がありました。
 三日前の毎日では「中共 翁源に広東臨時政権 広東市接収準備」と小さく出ていますが、実際は世界をひっくり返す事態の準備が整っていたのでしょう。
 すでに国府軍、蒋介石の敗北と台湾への脱出が始まっていたわけです。
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 国府軍の負けがはっきりしたのでしょう、英国の大使に引き上げ命令が出たのも並んでいますね。
 大変な時代だったのです。
 本格的な南北冷戦のスタートですね。
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 こののち、朝鮮戦争、ベトナム戦争・・・こうした代理戦争が日本の復興を支えたのですから怖い話です。
 日本は敗戦処理がうまくいって国土を南北に切り裂かれなかったことは幸いですね。
 下手すると国の境が歯舞色丹の所では無く「津軽海峡」になって居たかも知れないという話がありますからね。
 樺太や千島での終戦宣言後の守備隊による抵抗が国を救ったとも言えるのですが、あまり、表に出ませんね。
 終戦後だし日本は敗戦国だし表には出せないのかも知れません。
 国際問題って厄介なものです。



by je2luz | 2019-04-17 04:25 | 旅 番外編 | Trackback | Comments(0)
2019年 04月 16日

千葉・白石・靑田・川上 別所!?

昭和24年9月28日毎日新聞の続きです。
 たった二面の新聞なのにスポーツ記事が出ています。
 野球がダントツで人気のあった時代です。
 「大映ー東急」「巨人ー中日」、東京六大学「慶応ー法政」。関西六大学「同志社-立命館」と結果が出ていますね。
 そして、プロ野球は選手成績も・・・
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 巨人軍を見てください!
 千葉・白石・靑田・川上・・・とならんでピッチャーは別所です。
 中日には西沢がいます。
 東映には小鶴がいます。
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 私はまだ小さくてこの頃はまだ野球放送など聴きませんでした。
 少しすると「巨人フアン」になり「靑田」が好きでした。
 このメンバーで「別所」の名前を見ると「300勝投手・巨人のエース」と、浮かぶ人が多いでしょうね。
 でも、この年は「別所事件」の年なんです。
 南海のエースを引っこ抜いた大事件だったのです。
 この事件があってからプロ野球界では協定とかが出来たのだそうです。
 巨人軍ってその後でも、「江川・空白の一日事件」なんてのを起こしましたね。
 協定違反で無くても、金田・落合・清原・川口・広沢・工藤・小笠原・・・よそのエースや4番バッターをお構いなしで引っ張っています。
 あまりにも露骨なやり方が巨人の人気を落としてきたのかも知れませんね。

 こんな小さな記事から戦後の野球の一面を思い出しました。
 広告も時代らしく洋裁学校が文化、ドレメ系列などが並んでいますし、映画の広告には「足を洗った男・長谷川一夫・山根寿子」「北ホテル・アナベラ」なんてのがでています。
 UP通信社の副社長が本社を訪問したことが飛行機の紹介と共にでているのが戦後すぐらしいです。
 「サンフランシスコ・講和条約」は1951年9月8日昭和26年でこの新聞の2年後です。
 ボーイング377と言う飛行機はB29を元にした大型旅客機だったようです。
 下のように改造されたものはアポロ計画のロケット部品輸送とかで使われ、新聞に載ったこともありますね。
 スペースシャトルはジャンボにおんぶされていましたけどね。
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 もう、パン・アメリカと言う航空会社は無いんですよね。
 航空バッグが流行った頃、パンナムは人気だったのですが・・・



by je2luz | 2019-04-16 04:25 | 旅 番外編 | Trackback | Comments(0)
2019年 04月 11日

オリンピック前夜 1963 東京 3

 続けて昭和39年のオリンピック直前の東京について書きます。
 戦後の復興期が終わりかけた頃で色んなことが大きく変わった時代です。
 この少し後になると銀座には「みゆき族」なんてのがうろつくようになりますし、世の中はミニスカート時代になって行きます。
 大学生も学生服からブレザー、スーツに変わりました。
 今載せているシリーズはその大きく変わる時代の真夜中から明け方へ掛けての銀座周辺です。
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 何てこと無い路地裏のゴミ出し風景ですが、この時代は最先端の光景なのです。
 「セキスイ」がプラスティックのゴミペールを出し、東京都に承認され五に圧名に革命が起きた時なのです、
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 同じ銀座の光景です。
 東南アジアの光景では無く、半世紀前はほとんどこの光景だったのです。
 分別も無し、ゴミは増える一方・・・
 ひたすら東京湾を埋め立てて処分・・・「夢の島」なんてすてきなものが出現してくる時代です。
 金に換わるものは明け方に大八車・リアカーを引いたゴミ集めの人が回収していました。
 今は集積場のゴミを横取りすると窃盗罪に問われますね。
 「セキスイのゴミペール」は丈夫に作られていたので、ゴミ回収の時に投げ出されても持ちこたえたのです。
 かくして、その方式が全国に広がったのです。
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 さすがは銀座!
 この時代にビニール袋でゴミ出しするお店もありました。
 もちろん無分別です。
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 諸外国と違うのはほとんどの道ではこのように綺麗にされていました。
 でも、吸い殻はゴミだと思われていない時代です。
 ゴミ一つとってみても、時代は動きますし、お国柄も出ます。
 でも、ゴミは減らないようです。
 生物分解性のプラスティックの普及も進みませんね。



by je2luz | 2019-04-11 04:25 | 旅 番外編 | Trackback | Comments(0)
2019年 04月 10日

靖国 150年

 靖国神社は今年で150年を迎えるそうです。
 その歴史の半分はこの神社が存在する理由とも言える戦争の時代でした。
 私がこの記事を書くと腹を立てる人も居るかと思います。
 私は戦死した父親を大事にしていないようですからね。
 一応、私も「遺児」の一人です。
 靖国にも何度か参拝していますし、中学の時には団参で熊野市中の同学年の遺児で東京に行った記憶があります。
 家族でも参拝したこともあるし、受験前にもお参りしました。
 東京では随分写真を撮りましたが、靖国を撮ったのは二回くらいしかありませんね。
 今回、ネガをチェックすると日本しか出てきません。
 記憶に残っている、おばあさんがもんぺを履いて急ぎ足で社殿に向かう写真が見当たりません。
 今の私の取り方に近い写真だったのですが・・・

 この写真は昭和37年とかの時代ですから、戦後17年ほどしか経っていません。
 遺児の一番若い方になる私がようやく18歳とかです。
 子供を亡くした親でも40代から60代です。
 夫を亡くした妻となると30代から40代でしょう。
 私のように父親の顔すら知らない遺児はぴんと来ませんが、靖国に参る人達は今では想像できないほど生々しかったのでしょう。
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 何処の国でも国に命を捧げた英霊に対して礼を尽くして祀っているようです。
 それが権力者に利用されることも多いようですし、日本でもその過去があり、今も影響が残って居るように思えます。
 すなおに「靖国」を受け入れられない私のような人間も結構居るでしょう。
 そして、死後でも階級が生きている軍人の世界がそこに透けて見えます。
 「千鳥ヶ淵」との関係もすっきりしません。
 あと20年もすると、直接の当事者は遺児でさえ居なくなってしまいます。
 変な風に利用されなければ良いのですが・・・
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 美化してはいけないこともあるのです。



by je2luz | 2019-04-10 04:25 | 旅 番外編 | Trackback | Comments(0)
2019年 03月 30日

オリンピック前夜 1963 東京 2

 昨日の記事と写真で分かりますが、あのオリンピックで東京は大改造されました。
 青山通りなども大拡幅され東宮御所の一部にも手を付け、青山墓地もオリンピックで断ち割られましたね。
 当時の新聞には「墓地改装のお知らせ」とか何とかで延々と広告が載りましたね。
 世界でも一番送れていると言われた下水道も一気に整備されたし、夏になると断水する水道も、「オリンピックのため」という大号令で利根川水系からの分水をやっちゃいました。 時の「オリンピック担当大臣」は「河野一郎」さんでした。
 超大物を据えて走りましたね。
 今の大臣が駄目だとは言いませんが、違いすぎるように思いますね。 
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 その時代の日産のトラックです。
 何とも物々しいボンネットトラックです。
 ナンバーには「品」とか区分がありません。
 この頃までは車も少ないので品川の登録には区分が無かったのです。
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 これは西銀座の工事現場ですが、今は鉄のブロックですが木製のブロックでふたをしていたのですね。
 ユニックも単純で取り回しはしにくそうです。
 この作業員さんって「大林組」???
 後ろに移っている「右折禁止」の看板は古い時代のですね。
 東京オリンピックの頃から道路標識も分かりよい「ピログラム」の考え方が取り入れられ世界中に普及したのだそうです。
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 これが銀座4丁目交差点です。
 銀座三越も随分ぼろいですね。
 都電の後ろが銀座1丁目から日本橋、進行方向が8丁目から新橋です。
 奥が月島、手前が西銀座・皇居ですね。
 「銀座9丁目は水の上♫」なんて歌もありました。
 そして、この時期に「銀座の柳」が引っこ抜かれました。
 良いも悪いも「オリンピック」が錦の御旗でしたね。
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 銀座でも朝早くにはこんな人達が歩いていた時代です。
 おじさん達は戦闘服の名残をとどめています。
 「戦後はまだ遠くない時代」だったようです。
 それでも、日本中元気でしたね。
 初代の縦目セドリックが写っていますね。
 今じゃあ「ストライキ」する元気も無いようです。
 「一億総中産階級」になったとも思えないのですが…



by je2luz | 2019-03-30 04:18 | 旅 番外編 | Trackback | Comments(0)
2018年 12月 26日

古いニュース番組

 平成が終わると言うことで、今上天皇の子供の時からの映像が流されたりしますね。
 当然のこととしてムービーもスチールも白黒が多いです。
 私などはそうした画面を見ていると今で言う「クラシックカメラ」でプレス陣達が頑張っているのを見て楽しくなります。
 私が写真を始めた頃には35mm時代に入る頃ですが、まだまだ、二眼レフやスプリングカメラを使っている大人が多かったです。
 
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 これはグラフレックス社の「スピードグラフィック・クラウングラフィック」という物で、1947年から1973年迄作られ、通称「スピグラ」と言われ、プレスの定番でした。
 戦後は日本の新聞社も導入しましたが、高いので朝日新聞、毎日新聞などでも写真部の上級の人しか使えなかったという話です。
 ニュース映像でもバックに映り込んでいることも多いですし、映画では「ローマの休日」など多くに出てきます。
 これは私がeBayで買った物ですが、レンズもコダック・エクターで定番のままです。
 シノゴ4×5のフィルム以外にブローニーも使える便利なものだったのです。
 これに大きな電球式のフラッシュを付けて「ピカッ!バシャ!」が新聞社流だったのです、
 もちろんこれは今でも動きますよ。
 メチャメチャ重いし今では実用にはなりませんね。
 これを渡してもらえないカメラマンが「ローライフレックス」で記者会見写真やスナップを撮ったのですから、昔のカメラマンはすごかったですね。
 オートフォーカスなんてないし、自動露出やズームなんてありませんからね。
 私の時代のカメラ使いはスナップでは「置きピン」という手法でいちいちピント合わせはしません。
 そんなことやっていたらシャッターチャンスを失うし、日が暮れちゃいます(笑)

 と言うことで、ニュース画像の後ろが気になる世代です。
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by je2luz | 2018-12-26 04:02 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2018年 12月 19日

大丈夫なのかなあ・・・

 「今の若い者は・・・」とはあまり言わないのですが・・・
 「ゆとりの連中は・・・」とも言いませんが・・・
 だって、最近並んで頭を下げるのは若くもないし、ゆとりでも無い御仁ばかりしょう?
 立派な学歴と経歴のある人も「なんだか・・・」ですし、そこまで行かないまでも結構上り詰めた方々も「ホントかよ・・・」です。
 まあ、スポーツ界って昔からああでしたからびっくりはしませんけどね。
 時代が変わったので問題になっている面もありますが、競技に関係ない所で馬鹿やる指導者は増えたのかな?

 私はNETの方でカメラ関係の質問箱とか知恵袋とかに首を突っ込んできましたが、段々そうしたコーナーがおかしくなりつつあります。
 あまりにもひどい質問・・・
 自分で調べる気が全くない人・・・
 引っかけようという意図の見える質問・・・
 特定個人を攻撃す匿名の投書・・・
  こうした物がどんどん増殖します。
 カメラ関連だけでは無く、もっとひどい所もあるようですけどね。
 それにしても、「見ても分からんの?」と言いたくなる人も多いです。
 小さい時から手取り足取り教えられてきたのかな?
 工作もキットを組み立てただけ?
 宿題は親が金払ってやって貰った子供?

 「NETが普及して何でも調べられる時代」
 なんて言いますが、「調べ方が分からない?」「調べる気が無い?」・・・
 「聞くことは恥じゃ無い」とか言いますが、いい年こいて「ねえ!ねえ!」って幼稚園の子供じゃあるまいし・・・
 気長に説明することはやぶさかでは無いですが、日本の将来が心配になります。
 一時期・・・
 「今の子供は難しいこと習っているから・・・」という話が良く出ていましたが、その当時から「それは違うでしょう! 先生と親の逃げでしょう!」と思ったり、発言して非難されたりしました。
 でも、今でもそう思いますね。
 それが証拠に日本国は色んな分野でどんどん遅れ始めているようですよ。
 不思議とノーベル賞は取っていますけどね。
 こんな心配を「杞憂」というのでしょうか?
 チッキン・リッキンてえひよこが「天が落ちてくる!」なんて騒ぐ童話が西洋にもありますが・・・

 基本的な常識の積み上げとか判断力のなさが招いたのが札幌の爆発事故でしょうね。
 大人が二人も居てあんなことやるんですからね。
 ???
 「習ってないもん!」の世代かな?
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by je2luz | 2018-12-19 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2018年 05月 12日

時代ですね…富士フイルム

 私などには「富士写真フイルム」として馴染んできた会社ですが、少し前に社名から「写真」が消えて居ます。
 この会社は「フイルム」で「フィルム」ではありません。
 このたび、このフジから白黒フイルムが消えます。
 「NEOPAN SS」なんて時代が懐かしいです。
フジがやめてもまだ「ILFORD」「KODAK」「オリエンタル」「AGFA」などの白黒フィルムは残って居ます。
 私は長年…何十年もKODAK TRI-Xですし、何とか生きている間は大丈夫そうです。
 現像薬品なども生産中止が増えていますが、昔ながらのKODAK D76なんて現像液は1926年に発売されて以来まだ現役です。
 これも私は長年使って居ますし、配合が公開されているので大丈夫でしょう。
 私が写真を撮りだして60年を越しますが、白黒の世界はそんなに変わっていません。
 ただ、印画紙の方が変わっちゃいましたね。
 バライタ紙という良質パルプで作った紙に感光材料を塗っていた時代は紙に定着液などがしみ込むのできちんと水洗いしないと黄色く変色したのですが,今はプラスチックベースで土台に薬はしみ込まないので水洗い不足が無くなりました。
 と言うより…
 今は感光材料を塗った印画紙に引き伸し機で焼き付けて現像する手法を採らないことが増えたようです。
 デジタル化してプリンターで…
 若しくはモニター画面で…
 
 このところモノクロフィルムでの撮影をやって居ませんでしたが、やってみようかなと思います。
 カメラも保管庫で眠っていますしね。
 NIKON F ROLLEI FLEX IKOFLEX SPEED GLAPHIC …迷いますね。
 今私が使わないとこのカメラ達が日の目を見ることがないでしょう。
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 この手のカメラを検索すると私のHPと写真が出てくるって事はあまり生き残っていないのでしょうか?
 このスピグラは「ローマの休日」にでてくるのと同じ型式です。
 年寄りにが振り回すには重すぎますけど…
 勿論、レンズのコダック・エクターもシャッターのグラフレックス・スーパーマチックも健在です。
http://www.geocities.jp/je2luz/crowngraphic1.htm



by je2luz | 2018-05-12 04:11 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2017年 05月 13日

熊野の旅 呼び方 呼ばれ方

 この辺りでは人の呼び方がかなりバラバラみたいに思えます。
 昔と今では変わってきては居ますけどね。

 古い呼び方は「屋号」でしょうね。
 油屋・笹九・角屋・笹広・角中・・・
 店の名前でも呼ばれますね。
 丸田・朝日屋・えびす屋・大黒屋・小松屋・和田松・てんぐ屋・布袋屋・酒甚・畑辰・畑駒・川重・・・
 こうしたものは店が無くなったりして使われなくなってきています。
 名字が店名になって居たのはそのままでしょう。
 天野屋・長嶋屋・前田屋・・・

 そして、個人の方では「ちゃん」がよく使われてきました。
 大人になっても「ちゃん」のままの人も多かったです。
 「かだすてのしょうちゃん」なんて大物は一代そう呼ばれていました。
 こうした呼び方は下の名前の一部を使う事が多いし、何人も同じになるので頭に名字や屋号が付くのです。
 「鈴木の・・・」「斉藤の・・・」「嶋の・・・」これを略すと通じなくなります。
 そしてうんと名前をはしょって・・・
 「とっちゃん」「やっちゃん」なんてもの使いました。
 「やん」が付くこともあります。
 「みのやん」「せいやん」・・・
 漁師町だけではなく以前は広く使って居たように思います。
 これが、子どもの時に始まるとずっと引っ張っちゃいます。
 「かだすてのしょうちゃん」同様一代続くことが多いですね。
 「しゃん」は漁場の訛りですね。
 「せいじしゃん」「まえがわしゃん」・・・

 私の場合、子どもの時には、「せー坊」が多かったのですが、その他大人に掛けては「せーちゃん」「せいじちゃん」「せーやん」と呼ばれました。
 最近は「せいじさん」が増えました。
 「ちゃん」を付けるほどかわいくなくなったのでしょうね。

 ほかには・・・
 「おじ」なんて付くのもありました。
 「こーきおじ」「はるきちおじ」なんて・・・
 「あに」が付くのもあり、「小西の兄」「かんじのあに」「節夫のあに」・・・
 次男坊には、「じー」なんてもの付けられたようです。

 女の人は「あね」「よめ」からはじまって「かかあ」になり「ばば」まで出世していたようです。

 呼び捨ても多かったです。
 同級生は勿論、下級生など片っ端から呼び捨てして居ましたね。
 先生は当然のように生徒を呼び捨てして居ました。
 時代が下って、学校で「君・さんを付けましょう」なんて指導し始めたころすごく違和感を感じたのを覚えています。
 語尾に「ね」を付けた「えせ標準語」が入って来た頃だったのでしょうね。
 定着するのに随分掛かったようです。
 でも、「にゃあ」「ぎゃあ」でも良いと思うのですけどね。

 ふるさとの なまりなつかし ていしゃばの ・・・
 そんなのも良いではありませんか。
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by je2luz | 2017-05-13 04:17 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2017年 04月 26日

熊野の旅 27・28日

 今週末。27日28日と二日続けて、熊野市議会第三班(私の所属する班)の「地域懇談会・語る会」があります。
 4月27日 19時から新田集会所
 こちらは、木本町を二分割した北側の親地町と新田を対象にした物です。
 地域からの要望としてはこの2地区のものをうかがっています。
 出席されるのはこの地区に限定している訳ではありませんから興味のある方はおいで下さい。
 熊野市の「平成29年度予算」などについても少しだけ説明する予定です・

 4月28日金曜日 19時から飛鳥町野口集会所
 こちらは飛鳥町の下三区(佐渡・野口・神山)が対象です。
 飛鳥町は広いので色んな事はこの下三区と小阪そして両又(大又・小又)の三つに分けて行う事が多いです。
 この区分けは、以前の小学校の校区なのです。
 飛鳥村は一村で三つの小学校を持っていたのです。
 今は児童数の減少で一つになって居ますが、行事関係は別々と言うことが多いですね。
 大人の行事も人口減と高齢化で維持しにくくなりつつあります。
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 この懇談会も大詰めです。
 今期の結果を踏まえて次期の懇談会のやり方などが決められるでしょう。
 前にも書いたように、「議会としての懇談会」に関しては私は少し疑問があります。
 「地域の要望を聞いて役所の答えを伝える」ことが主眼になってしまっているからです。
 これって、市長帯同なら分かるのですが、議会が役所の出前持ちするのって???
 党派でも会派でも無い議員の集団ですから、意見が固まる訳も無し・・・
 時間的にも質問が出ても個々の議員の見解や意見を述べることが出来ません。
 私たちの班は、山本・山田・久保・中田と割とうるさいのが揃っていますから、好きにやらせとけば一人で二時間でもやるでしょう。
 現に私は毎日ブログを二本ほど書き、一般質問は欠かさずやり、「清流」の発行も続けています。
 「議案質疑」から「予算・決算の特別委員会の審査」そして「常任委員会審査」・・・はては、たまに反対討論までやって、まだ少し足りない位ですから・・・
 選挙の時でも街頭でそこそこ演説打ちますし・・・
 私なりに・・・それなりに・・・
 市民の皆さんには解って貰えている方だと思っています。
 


by je2luz | 2017-04-26 04:35 | 熊野 | Trackback | Comments(0)