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LUZの熊野古道案内

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2005年 05月 22日

古道のわき道 3 鬼ヶ城1

 熊野古道からほんの少し外れたところにあるのが、熊野の名勝『鬼ヶ城』です。
 新宮から続いた緩やかな砂利浜の最後のとこらから始まります。
 地殻変動で『獅子岩』などと共に海底からせり上がってきた岩壁です。約1Kmつながった、太平洋の荒波に突き出した奇岩の連続です。熊野灘に面しているため夏場になると荒波のため通行が不能になります。今は、遊歩道が一部台風で壊れていますから立ち入り禁止になっていて、東口から西の千畳敷との間が通れません。
 一般的には東の千畳敷側からの観光で鬼ヶ城を見たことになっていますが、本当の魅力は一周して初めて分かると思います。
 千畳敷は日の出と共に朝日が差し込む洞穴で、海賊の本拠になっていたと言われます。しかし、台風には高波がここまで届きますから、本拠にしていたことは無いと思います。
 松本峠の展望台から少し海岸より、鬼ヶ城の上の山に来ると、古い物見用の古城痕があります。遠くは太地の梶取岬、串本方面まで見渡せるので、海賊にとっては最適な見張り場だったでしょうね。
 黒潮がものすごい速さで流れていますから、串本から鳥羽大王崎までの間は陸地から離れて航海する事は昔の船では遭難を意味しますから、手の届くところを船が行くと言うことが海賊にとって、これまた好都合でした。かくして『鬼の元浦』木本が栄えたこともあります。坂上田村麻呂などと言う変なやつが来るまでは・・・
 写真は夕日の鬼ヶ城の荒磯です。
 カメラはバルダ・バルディックス・・レンズ・エナゴン75mm3.5 です。


# by je2luz | 2005-05-22 20:15 | 熊野
2005年 05月 21日

古道のわき道 2 大馬神社

 大馬神社「おおま」と読みます。これも馬が付く最古に神社という説もあります。
 浜街道の入り口、木本と花の窟の間に流れる『井戸川』の上流にあります。この川は熊野灘に面した急峻な山から流れ出てほんの数キロで太平洋にそそぐものです。そんなに短い川でも水が切れることはありません。
 その川に支流のひとつをたどると突然大きな岩倉と滝が出現します。それが大馬神社です。うっそうと茂った杉の大木の陰から恐ろしいような岩とその脇から流れ落ちる見事な滝・・・古の人がそこに神を見ても不思議ではないところです。
 熊野の『花の窟神社』『産田神社』『大馬神社』の三社の中では一番しっかりした神殿と拝殿を持っています。ここには神主さんが居られますが、熊野の三社は全て民間信仰の対象になっていますから、随分遠くからのお参りと寄進があるようです。
 国道(浜街道)から分かれて3Kmくらいのものでしょうかね。途中から500m位は未改修の狭い道ですが、対向する車はほとんどありません。
 神域の入り口には駐車場が用意されています。駐車場から滝と拝殿まで約300mくらいです。神域の木立と滝と岩に圧倒されることだと思います。
 日本古来の神は自然そのものであることが実感できる場所です。信心心とは別のものだと思います。
古道のわき道 2 大馬神社_d0045383_19544782.jpg


# by je2luz | 2005-05-21 19:55 | 熊野
2005年 05月 20日

古道のわき道1・・・産田神社

 熊野古道の浜街道からほんの少し山寄りにに入ったところに『産田神社』があります。産田はうぶたでまさにお産そのものを表します。イザナギ・イザナミ夫婦がここで火の神を生んだのだそうです。
 火の神は何処の神話でも初期に生まれろ神ですね。ここ、熊野の有馬と言うところは日本の神話の初期の頃に既に登場する場所です。しかし、それ以降、全然出番がありません。この当たり一体は熊野灘が運んでくる砂利によって作られた七里御浜が河口をふさぐので海岸から一歩入ると沼地、湿地帯があります。古代人にとっては農耕にも適し温暖で住みよい場所だったでしょうね。暖かすぎてのんびりして・・・南方気質で向上心に欠け、歴史から取り残されたのかも・・・それに、いくら頑張っても絶対的に平地が不足して大量の食料の確保が出来ません。つまり、『クニ』を形成するには適さないと言うことです。
 走した背景で古代から今日に至るまで、熊野の地は発展には縁の無い場所なのでしょうね。
 開けていないから神秘的・・・海路も怖い、陸路は難行苦行・・・信仰に対象にはうってつけですね。こうして、『蟻の熊野詣』といわれるほど参拝者が来た?らしいです。その割りに、街道筋も開けていませんね。もっとも、お伊勢さんのように街道筋も開けてしまってやじさんきたさんが物見遊山で歩いたのでは熊野三山参りの御利益はなくなるでしょうがね。
 産田神社の横には小さな川が流れています。神田上水で産湯を使うとか。帝釈天で産湯を使うと言いますが、日本の火の神はここ『産田川』で産湯を使ったのでしょうか。
 地元では安産の神としておまいりする人が多いです。
 子供に焼き殺されたのだそうですか???
 ここも、古代の神社なので残されているのは小さな神社です。見かけは普通の村の鎮守様と変わらないものです。ここも、無人ですからゆっくり世参拝して休めます。車も数台は入り口に置けます。

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# by je2luz | 2005-05-20 19:37 | 熊野
2005年 05月 19日

浜街道・・・花の窟

 日本最古の神社と言われる花の窟はいささか難しい漢字を使うので、最近『花の岩屋』と易しい漢字で書く時もあります。イワヤをクツと読まれるより優しい漢字のほうがいいのかもしれませんが、長年親しんだ字で無いとピント来ませんね。
 獅子岩から300mほどで花の窟につきます。
 日本最古の神社と言うからにはさぞかし立派な鳥居や社殿があるものと思われるでしょぷが、大和朝廷に直接つながる神社でも無し、神代の頃のものですから、人間の世になるとしかと分からなくなったようです。天岩戸とちがい古事記に有馬と言う地名が記載されているのでここに間違いないだろうということです。
 古代信仰の対象はは大きな岩であったり、滝であったり、山であったりします。恐ろしいほど巨大なものや美しいもの醜いもの・・・それらがご神体になるのは日本だけでなく世界中同じことですね、
 この花の窟のご神体?は巨大な岩です。
 ここはイザナミとイザナギの間に火の神が生まれその火によって焼け死んだ母親を葬った場所と言われています。それもこの岩の上に葬ったとか言いますが、墓所としては似つかわしくないところです。上からの景色はまさに絶景ですが・・・
 この神社には社殿はありません。小さな鳥居と無住の社務所があるだけです。鳥居の前には世界遺産指定以来休憩所が作られ、地元の人が接待しています。駐車場も最近拡充されてかなりの数が停められます。見学所要時間は15分くらいでしょう。
 何も無い神社ですが、民間信仰としても信者さんは多いようです。春と秋には岩山の天辺から神社の入り口までのしめ縄を張り替える神事がありますが、バスを仕立てて参加される人も居るようです。
 ここについての史実?いわれ等はたくさんの人がアップされていますから、素人の私は触れないでおきます。
 次は浜街道から少し外れて、この火の神を生んだ場所『産田神社』を案内します。
浜街道・・・花の窟_d0045383_1622019.jpg


# by je2luz | 2005-05-19 16:23 | 熊野
2005年 05月 18日

浜街道・・獅子岩

 木本から井戸川と言う小さな川を越えると山が浜までせり出してきます。
 最初の出っ張りが『獅子岩』です。
 昔、この当たり一帯は海の底でした。何回かに分けて隆起してきたらしいのですが、この獅子岩ともうひとつの名勝『鬼ヶ城』は同じときに隆起したものらしいです。
 この岩は木本側から見るとこんもりした木の生えた岩にしか見えませんが、花の窟側の展望台から見ると、神社にある狛犬のような形をしています。獅子が太平洋に向かって吼えているような形です。
 初日の出の時はほぼ正面の海から朝日が昇ります。そして初夏から夏至にかけては、うんと東北にずれてくるので、朝日が獅子の口に入ります。この写真は5月7日くらいのものです。
 この獅子岩は誰が記念写真を撮ってもきっちり「獅子岩」に写る写真向きのものです。標準レンズで撮るとこの大きさになります。
 この獅子岩から日本最古の神社の『花の窟』までの間は、紀伊山地の一つの峰が海に入りこんでいます。今は獅子岩の尻尾を踏むような形で国道が通っていますが、固い岩盤の岩山なので昔は前の浜に降りて有馬、新宮方面に向かったようです。海が荒れた日は山越えをしなければならなかったようですが無理をして犠牲になった人も居たようです。越後の親知らずほどの難所ではありませんがね。
 この獅子岩は井戸町大馬(おおま)にある『大馬神社』の狛犬だとも言われます。
 獅子岩のそばには人面岩があり、これも花の窟側から見ると人の顔に見えます。獅子岩の横の喫茶店の駐車場に車を止めて見ることが出来ます。
 展望台の下はきれいな砂浜ですから一休みするのも快適です。
 木の本の前から始まったこの砂利浜が『七里御浜』で新宮との境の熊野川河口まで20Kmほど続きます。名前に偽り無く七里続く美しい海岸です。
 しかし、三十年余り前の『熊野川総合開発』による数々のダムにより土石の流入が止まってしまい、近年は痩せる一方です。かつては10cmあまりのものから数ミリのものまで色んなサイズが帯状に波を打ちながら続いていたのですが、今は磨り減った小さな物だけになってきました。
 地殻変動ではなく人間の罪でこの地が再び海に戻るのかもしれませんね。
 獅子岩を過ぎると古事記に出た来る神話のふるさとです。
 次はここを紹介します。『花の窟』
浜街道・・獅子岩_d0045383_191566.jpg

 Voightlander VITO ll Color Skopar 50mm3.5  コニカシンビ200

# by je2luz | 2005-05-18 19:04 | 熊野