LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ

<   2016年 09月 ( 32 )   > この月の画像一覧


2016年 09月 30日

熊野の旅 熊野の容量

以前の役所で貰った資料を見ていたら、熊野市の宿泊施設の収容人数の表がありました。
 少し古いので、今の「海ひかり」が「かんぽの宿熊野」になっていますが、経営者が変わってリニューアルしてもそんなに定員は変わっていないでしょう。
 私がよく知らないものも含めて29施設・・・1332名となっています。
 この中では「熊野少年自然の家」210名などは普通の宿泊施設と定員に入れて良いのやら疑問ですね。
 そんなのを抜いて1100人くらいの収容人数があるんです。
 民宿の類ではほとんど稼働していないものもありそうですから、1000人くらいが熊野市の宿泊者収容能力でしょう。

 熊野は観光地と言いますが、私など浮かべる観光地と趣が違うのは、宿泊施設が完全にバラバラですね。
 観光スポットとも関連が無いのです。
 そして、宿泊施設の多くが「ビジネスホテル」を名乗っています。
 「なみ」「みはらし」「河上」「平谷」「七里ヶ浜」合計295名・・・全体の1/3がこのジャンルですね。
 商都でも工業都市でも行政の町でも無いのにビジネスばかりと言うのも何かを示しているのでしょう。
 観光ホテル的なのは「海ひかり」「熊野倶楽部」「瀞流荘」合計330名・・・これが熊野市内に分散しています。
 カーナビじゃ無いと案内も大変でしょう。
d0045383_22233322.jpg

 田舎らしい「農家民宿」は飛鳥の「やまもと」と赤倉の「あかくら」まだ二軒14名かな?
 商売になるとかでは無いですが、「田舎」「熊野らしさ」を売りにするなら、こうした農家民宿とか、許されるなら、「民泊」が目指すべき姿なのかも知れません。
 副業的な収入で暮らしの助けに・・・
 宿主次第では都会人を引っ張り込むかも・・・

 古道歩きの人をどうする?
 まさか「善根宿」と言う訳には行きませんけどね。
 農家民宿や民泊的なところを好みそうな層だと思いますけど・・・
 茶がゆにサイレの丸干し・・・ヒグラシの声。カエルの鳴き声・・・
 このジャンル・・・まさに宿主次第でしょうか?
 行政だって力を貸せる部分があるでしょう。
 ただ・・・専業では成り立たないだろうという難しさはありそうです。

[PR]

by je2luz | 2016-09-30 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2016年 09月 29日

熊野の旅 国を買いに来る勢力に注意

 もう20年くらい前からですか・・・
 日本の領土を買いに来ている勢力がありますね。
 その頃は、「水資源を買いに来ている」なんて報道されましたが、北海道の原野の水が目的では無いでしょうね。
 いまも、日本全国で密かに土地が買われているのだとか・・・
 手っ取り早く稼ぐ連中は、東京のマンションとか観光地のホテルみたいですけどね。
 世界中に千年も余って掛けて橋頭堡を造り進出してきた華僑のたくましさは想像を絶するでしょう。

 紀伊半島は気候も温暖だし、少し高台なら津波も怖くないし・・・
 ひび割れだらけの日本列島で活断層の空白地帯はこの辺だけだし・・・
 飲み水に事欠くことも無いし・・・
 不便と言っても狭い日本、このまま道路が延びれば3時間で飛行場、2時間半で港です。
 日本人には遠くても、大陸の人にしたら「近所」でしょう。

 お解りですよね。
 もうそろそろ紀州の土地も買われだしているのでは無いでしょうか?
 売りに出しても買い手が無いだけに、「買いますよ」と言われたら売る人も多いかも知れません。
 おそらく、本名では買いに来ないはずです。
 日本の企業が代理で買うはずです。
 つまり・・・
 日本人は外人に警戒心が強いですし、中国人・華僑は中々受け入れません。
 それでも、外人慣れとか植民地慣れして居ませんから、簡単に騙されるかも知れません。
d0045383_19394151.jpg
 この写真、中国ではありません。
 ヴェトナム・ハノイです。
 この様に、地球上どこでもたくましく生きた行ける中華の人達を日本人は受け入れられるのかどうか・・・
 絵空事では無く、少し考えなくてはならない時期のようです。
 共に賑やかに暮らすのか、自分たちだけでひっそり穏やかに暮らすのか・・・

 労働力として外人を・・・という時代もありましたが、今の田舎ではすでに外人の両動力が必要なのは介護と医療の現場くらいになって来たのです。
 アジア人同士は解り合いよい所もあります。
 大変な話ですけどね。

 
 この子達はヴェトナム人です。
 太平洋戦争、ヴェトナム戦争でひどい目に遭ったのに不思議なくらい親日の人が多いです。
 この辺にもヴェトナムの人が見掛けられますね。 
 この子達はヴェトナム人です。
 太平洋戦争、ヴェトナム戦争でひどい目に遭ったのに不思議なくらい親日の人が多いです。
 この辺にもヴェトナムの人が見掛けられますね。 


[PR]

by je2luz | 2016-09-29 04:21 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2016年 09月 28日

熊野の旅 淋しい話では無いのかも

 一つ前には、淋しいというか恐ろしい話を書きました。
 明治ぼ文明開化以来、富国強兵・近代化・高度成長などという道を進み、戦争による人口減以外はひたすら人口が増えることに支えられた国家でした。
 国民も人が増え町が大きくなることが、「繁栄」であり「幸せ」だと思ってきました。
 それが無理になった時、もの凄くショックを受けるようです。
 
 人も少なくのんびりと・・・
 片方で一部の人はそんな生活に憧れたりのするのです。
 飯が食えればその方が幸せな人も居る訳です。
 消えてしまう日本人は、都市志向が多いのか、田舎志向が多いのか???
 明治以来の都市志向人間の比率が変わらないなら、日本の先は無いでしょう。
 香港やシンガポールのような都市国家では無いですからね。
d0045383_17345531.jpg
 人口が大幅に減って、当然土地は余るはずです。
 今田舎に住んでいる年寄りでも「俺の土地はいくだ!」「田んぼもあるぞ!」と言いつつ、冷静に考えれば、子も孫もここには居ないし、もうすぐ空き家と荒れ地になることはわかっているのです。
 でも、それを考えるのは怖いでしょう。
 私は木本本町に住んでいます。
 随分空き地が増えましたが、まだ、少し町の形を残しています。
 でも、端から順に考えて行くと、私より若い人はほんの僅かです。
 5年はまだしも、10年経ったら誰が残ってる?
 空き家・古家に誰が住む?
 大金掛けて家を都営壊しても、跡地を誰が買う? 

 中心地の木本でこれです。
 かつての新興住宅地でも、空き家が目立ちだしています。
 築後40年とか・・・
 まだまだ住めても買い手もないし、中々売らない・・・
 更に田舎に入るともっと大変です。

 「危険家屋」になると、行政が強制撤去も出来る様に法律は整備されました。
 今の都会なら、下がったとは言えそれなりの価格ですから、強制撤去の費用は跡地の売却で回収出来るし、権利者にもなにがしか残るでしょう。
 でも、この辺でこの先そんなこと出来るでしょうか?
 ますます、相続放棄が増えるでしょう。
 でも、こうした事実もほとんどの人は知りません、知りたくないんです。

 「この土地とか家を子どもに残すと、えらい迷惑を掛ける・・・」
 今までの日本ではあり得ないことなんですけど、もうすぐ起きますね。
 行政は厄介な「物納」「寄付」を嫌がります。

 この少し先にほんの少し小さな夢があるのかも・・・


[PR]

by je2luz | 2016-09-28 04:15 | Trackback | Comments(0)
2016年 09月 27日

熊野の旅 淋しい話になるなあ・・・

 機関紙「清流」の原稿を考えて居ると。本当の未来を書くべきかどうか悩みます。
 「数字は嘘つかない」という意味では、不確定部分があるにしても、将来に関し避けられない部分も見えます。
 時々書くのですが、国や国連なども「本当は怖い話」を避けます。
 行政だってそんな部分は隠したり避けたり、誤魔化したり・・・
d0045383_19494032.jpg
 例えば。人口の話・・・
 日本の人口は減少に転じて居ますし、これが止まることは無いと言われています。 
 色んな算出法があるからでしょう、予想人口もかなりばらつきますが、急激に減るということだけは共通しています。
 厚生労働省の推計でも、2060年には総人口が9000万人を. 割り込み、高齢化率は40%近い水準になるとなっています。
 随分先みたいですがたった40年ですよ。
 熊野市が最初に出来てから64年です。
 この間に人口は半減です。
 国全体でもそれに類するほど減るのです。
 I・J・Uターンで地方を活性化???
 幻影を見させると言うことなんです。

 淋しい数字を上げれば・・・
 近年の熊野市の出生数は大体100です。
 かつては木本だけでも200ほどあったし、飛鳥でも80を越えていたのです。
 単純に計算して、この子達を一人もよそにやらなくても、70年で7000人なのです。
 甘い方に無茶な数字ですよね。
 南郡も良く似たものなのです。
 これをベースに考えないと夢物語になってしまいます。
 その為には「土地神話」から早く目覚めないといけません。
 先祖から預かった土地です。
 使う人も居なくなります。
 「そんなはず無い」と、言いたいでしょうけど、土地があっても残らないのに、土地も無いままで、「熊野に残れ」とか、「熊野へいらっしゃい」は無いでしょう。

 この先は「発想の転換」。「価値観の持ち直し」・・・
 馬鹿げているけど避けては通れない道です。
 今日はこの辺まで・・・
 


[PR]

by je2luz | 2016-09-27 04:12 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2016年 09月 26日

田舎 今・昔

 今は昔・・・
 竹取の翁ほどの年じゃ無い?
 ???
 あの時代だと私の年は「翁」を通り越して居るかも知れませんね。
 女性だと江戸時代には・・・
 数え20で年増、25で中年増、30で大年増 と呼んだのだそうですからね。
 中学や高校の女の子が20過ぎの女性を「おばさん」というのは、日本古来の正しい認識なの???
 今の世だと、30で年増というと機嫌を損ねるし、60でも大年増などと言えば二度と口をきいて貰えませんよね。
d0045383_21164434.jpg
 昨日は二箇所の運動会を覗いてきました。
 来賓で行くには苦手ですが、ぷらりと出掛けて写真を撮って帰ってくる分には良い物です。
 木本小学校の運動会は姉がここで居たので、65年ほど前には子供の頃に見に来ました。
 その頃は私の小坂小学校でも同級生が18人で今の木小と同じくらいあったのです。
 そして、木本小学校は1000人を超す大規模校でした。

 何ともすごい運動会で、場所取りは花火の比ではありませんでした。
 各学年の徒競走でも男女何組走ったのでしょう?
 町内対抗なんて、親地町などは一組では足りなかったですね。
 だから、朝早く開会して終わるのはとっぷり日が暮れてから・・・
 小坂の小学校などでは一般参加のプログラムが多かったのでやっぱり日が暮れるまで掛かりました。
 PTA、青年団、婦人会などどっさり押しかけてきましたからね。
 でも、「老人会」なんて団体は無かった様に思います。

 今と違い「青年団」という物が生きていたので、色んな所で活躍していました。
 こうした学校行事、道普請などの勤労奉仕、盆踊り、更には「地芝居」なんて素人の演劇などで田舎に娯楽を与えたり・・・
 それに、この青年団が事実上の婚活組織でしたね。
 若い衆が年中色んな行事で一緒なのですから、放って置いてもくっつきますからね。
 でも、私の頃には、2割が高校進学、残り8割は就職で名古屋や大阪へ・・・
 田舎で百姓になったり、山行きになる子供は居なくなり、青年団活動も下火になったようです。
 その時期ぐらいから、盆踊りも段々寂れ、集落の行事も変質し始めたように思います。
 私はその頃東京でうろついていました。
 帰ってきたことには「JC」や「青年会議」なんてハイカラなのが出来ていました。
 どれにも所属しませんでしたが、色んな男や女が混在する「青年団」とは別物みたいでした。
 演説の仕方を練習したりするそうでしたけどね。
 演説出来ても女の子一人くどけんのかい!

 それでも、そんな組織が成立するだけ若い衆がまだ居たんですね。
 今だと、熊野市生まれの子どもが全部残ってもせいぜい100人なんです。
 70年貯めても7000人でしょう?
 
 せせこましいところに住まなくても、熊野市は広いんです。
 9割が山でも残りの一割でも広すぎるくらいです。
 考え方を変えれば、素敵なことなんですよ。
 いつも言うように、そろそろ、「土地」=「財産」という概念を変えないといけません。
 祖先からの預かり物の土地をどう維持するか・・・
 大変な事ですよ。
 今でも家のすぐ裏に鹿や猪が出るのに・・・
 でるのでは無く「住みつく」と大変です。
 棲み分け出来る「都市計画」を立てなくてはいけません。

 トランプさんじゃ無いが、「シシとの境に万里の長城を作る!」ですが・・・
 シシに金を出させるのは不可能ですね。
 「肉で払って貰う」???
 今の法律ではシシ肉・鹿肉は簡単に売れません。
 熊野市の紀和町の食肉処理場を利用しても、あそこまで1時間以内に運ばないと駄目なんです。
 ドローンで運ぶには重すぎますね。


[PR]

by je2luz | 2016-09-26 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2016年 09月 25日

熊野の旅 議員と金

 あれだけ政務調査費とか活動費の不正が騒がれたのに、何だかまるで人ごとだったのでしょうかね。
 「予算があれば使わなきゃ損!」・・・
 議員って、行政の無駄遣いをチェックする仕事もするんですけどねえ・・・
 議員の歳費が高いとか安いとか以前の問題でしょう。
 安すぎてまともに議員活動出来ないなら歳費を上げれば良いんですよね。
 まあ、市民の方は口を開けば「議員の給料は高すぎる」と言いますから、上げるって言いにくいのかな?
 今は減ってきているのでしょうけど、「議員なんだから寄付しろ」なんてことを平気で言う輩も居ましたけどね。

 議員の活動を評価して給料を決めるのも不可能ですね。
 国会議員でも任期中一度も出席出来なかったという大物も居ましたしね。
 出席して党の言うままに採決に参加する陣笠議員よりは役には立っていたのでしょうけどね。

 私の報酬?
 高いと言えば高いでしょう。
 隠居の年令でもきちんと呉れますからね。
 それにここは熊野市ですし・・・
 安いと言えば安いのかも知れません。
 活動費など無しで「清流」をだして持ち出しになりますからね。
 でも、好きでやってることですし・・・
 言いたいこと言って、理想論など振り回して飯が食えるなんて幸せですよね。
 残念ながら、議員って、権限や決裁権が無いので市民の皆さんの希望を実現に持って行きにくいのです。
 ちっとは出来たのでしょうけど、とても及第点はつけられません。
d0045383_19342382.jpg
 そろそろ、「清流35号」の編纂です。
 10月中頃までには発行します。
 10月には「議員懇談会・語る会」もあります。
 あまり好きには発言出来ませんけどね。
 「志原尻」「釜の平」「磯崎」に私は出席します。


[PR]

by je2luz | 2016-09-25 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2016年 09月 24日

17号は15号のコースで台湾ー中国だそうです

 心配していた熱帯低気圧が台風17号になりました。
 でも、米軍系の予想では秋台風のコースに乗らないで、夏型で台湾経由中国大陸だそうです。
 つい先頃、大半は猛烈な風でやられたばかりですね。
 あまり育たないで進んで貰いたい物です。
 このコースだと大陸で右に曲がり朝鮮半島に行くか青島あたりから日本を狙うか・・・
 一旦は関係なくなっても。月末から月初めに影響が出ますね。
 しつこい秋雨前線が消えて居れば良いのですが、どうもそうは行かないような・・・
d0045383_22244400.jpg
 10月2日は,花の窟神社秋の例大祭・・・お綱かけです。
 前の日の10月1日夜は木本神社秋の例大祭、始まりの儀式「鈴上げ」ですが、これはよく降る行事なんです。
 鈴あげの小雨は良いのですが「お綱掛け神事」は・・・
 晴れて欲しいものです。


[PR]

by je2luz | 2016-09-24 04:22 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2016年 09月 23日

熊野の旅 人的な鉱害は聞きませんが・・・ 入鹿銅山

 日本最古とも言われる紀和町の「入鹿鉱山」は基本的には「銅山」です。
 銅山のように重金属が採れるところは、「金」も採れることが多いです。
 そして、マンガン・カドミウムのような重金属も混じってきます。
 胴だけでも毒があるのに、他の重金属が一緒にでてくるので、鉱山の廃液、選鉱場の廃液などは当然それが含まれます。
 神通川、阿賀野川などの鉱害はそれですね。
 下流に農地があったり川魚を食べる習慣があったりすると、人体に影響します。
 紀和の鉱山の場合、精錬所は作られないで、鉱石のまま阿田和駅から瀬戸内に出て行ったので、垂れ流される猛毒重金属類が少なかったようです。
 垂れ流していたら、下流で熊野川の水を飲んできた新宮市にはイタイイタイ病など出たでしょうね。

 ところで、この入鹿鉱山の坑道からは有害な液体が今も出続けています。
 とても川などに流せる代物ではありません。
 「公害」という概念が社会に定着してからは、この廃液は処理しています。
 国や元の鉱山会社の石原産業などが出した金で熊野市が処理しています。
 なんと、その金額・・・ 年間800万円を超すのです。
 このままだと永久に処理続けるのでしょう。
 10年で8000万円・・・100年で8億円・・・
 平安時代から胴を採って稼いだのでしょうけど、この負の遺産処理は大変ですよ。
d0045383_19033353.jpg
 紀和にはこんな看板もあります。
 この鉱脈には金が多く含まれていたのでしょうね。
 「金坑跡」とありますから、採掘もしていたのでしょうね。
 大きな粒の金が採れるところだと川では「砂金採り」があるのですが、そんな話を聞かないので砂金になる様な金鉱脈では無いのでしょう。
 今の時期だと、「金」より「松茸」が気になりますね。


[PR]

by je2luz | 2016-09-23 04:24 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2016年 09月 22日

熊野の旅 熊野ではやっぱり鬼ヶ城

 昨日、鬼ヶ城に行ってきました。
 国道から見るとバスが結構止まっているし、様子を見に行きました。
d0045383_20325259.jpg
 西武系の滋賀県のバスの他全部で九台も・・・
 私が着いた時バスに戻ろうとしていたのは滋賀県の団体さんでした。
 そして、今から食事しようという団体さんが入り口で・・・
 耳慣れない言葉なので・・・
 「どこから?」と聞いたら・・・
 『台湾』という返事でした。
d0045383_20372665.jpg
「ようこそ熊野へ・・・  どうして熊野を選んだの?」
『わからないけどツアーだから・・・』
 まあ、それでも良いでしょう。
 団体さん出来たのですから・・・
 中国系の人達はもの凄くネットに依存しているようですから、このお昼ご飯が次にお客に直結するかもわかりません。
 台湾へ行った時、飯は素晴らしく美味しかったです。
 この人達を満足させられたでしょうか?
 結構ボリューム食べる人達ですしね。

 なんと言っても、単純に「観光名所」と言えば、熊野市では「鬼ヶ城」でしょう。
 どうして「世界遺産・紀伊山地の霊場とその参詣道」に入っているのかはわかりにくいですが、晴れていれば気分がさわやかになる景色です。
 そんなに苦労するほど歩かなくても、メインの「千畳敷」に行けますしね。
d0045383_20423631.jpg
 しかし、近年、鬼ヶ城は冷遇されています。
 この看板にあるように、今は東口(鬼ヶ城センター)から千畳敷には行けるけど、すぐその先で通行止めなんです。
 今回の通行止めは去年七月の11号台風で遊歩道が壊された時からです。
 でも、その前は二ヶ月ほどかな?通れたのは・・・
 通れるまで2年ほど掛かったのです。
 今回も既に一年以上です。
 つまり、ここ数年はまるで周遊出来ないままなのです。
 今回は「今年中」に工事が出来るとか聞きましたが・・・

 この遊歩道の管理は「三重県」になっています。
 お金無いから???
 熊野市の看板を直して呉れないようです。
 知事さんは「市長との対話」などやって居ますが、なに話しているのかなあ・・・
 というより・・・
 熊野市はどれだけ熱を入れて働きかけているのでしょう?
 鬼ヶ城遊歩道はお金になりにくいですけど・・・




[PR]

by je2luz | 2016-09-22 04:24 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2016年 09月 21日

熊野の旅 世は全てことも無し・・・とは行かないです

 台風16号・・・
 この辺では「普通の台風」以下の物でした。
 気象情報。雲行き、風の向き、経験などを勘案して、「大したことない」と判断したのですが、この辺に関しては、普通の台風以下で済みました。
 雨もテレビの予想ほどは降らず・・・
 風もまあ台風ならこんな物・・・
 波は通り過ぎる頃に吹き込む風で少し出ただけ・・・
  
 警報は早くから出そろうし、汽車は止まるし・・・
 でも、あんまり降らないから国道はそのまま・・・
 一度とめられちゃうと、雨が二時間継続して止んでいないと解除しないことになっているので大変なんです。
 下手なところでゲートが閉まると、飲まず食わずで半日とか足止めです。
 山腹崩壊とかは雨が止んでからしばらくしてから起きることもあるので仕方のない処置なんです。
 それでも、「大井川の川止め」よりはましかな?
 うん?
 大井川の両岸には旅籠も遊郭もあったようですが、169号線とかだとそうは行きませんね。
 私の年回りだと「遊郭」は知らないんです。

 こんなに静かな台風でも、被害?は出ます。
 木が倒れて県道とめたり、枝が落ちて国道とめたり、場所は書きませんがこの程度の風で公共施設の屋根が壊れたり・・・
 山林の荒廃とか、樹木の老齢化だとか、屋根材の劣化だとか・・・
 やっぱり弱いところがやられます。
 世は全て ことも無し・・・  何て上手くは行きませんね。

 それに、台風銀座だったところはそこそこ地形も構築物も人間も台風になれていますが、「銀座」では無かったところでは、台風の雨にも風にも耐えられませんね。
 なまじ平で住みよいと言うのでしょうが、降った雨は出て行かないし、谷や川も300mm、500mmの雨を吐かすほど深くも広くも無いし・・・
 それに、今まで来ないところだから護岸や堤防もそんな想定していないし・・・
 テレビ見ていても人間も本当の台風の怖さ知らないのが居るみたいだし・・・

 そう言えば何年か前、我が家も風で「破風」を壊されました。
 ペンキも塗らないで放置して40年・・・手入れ不足の劣化でした。
 私もなめて居たのです。
 この家を建てる時は「地震」と「台風」は考慮して線を引き、材木と建材を選んだのですけどね。
d0045383_21355409.jpg
 ところで・・・
 テレビとかで・・・
 「築後100年の古民家」なんて言いますね。
 我が家で築後46年です。
 戦後建てた家でも70年になって来ます。
 熊野の田舎に立っている家は「注文建築」「桧造り」なんです。
 100年なんてびっくりもしません。
 東京ドーム幾つ分の広さ・・・と同じで、大したたとえじゃ無いです。
 東京ドームなんてたかが野球場でしょう?
 マスコミさんの語り口が上手いから「100年」てすごいんだと思うんでしょうね。
 大正モダンで建てられた瀟洒な住宅でも100年超えます。
 日本古来の建築は耐久性があるのです。
 戦後の建築士さんが設計したのより、古来の大工さんが建てた家の方が長持ち・・・何て言うと嫌われるかな?


[PR]

by je2luz | 2016-09-21 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)