LUZの熊野古道案内

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2016年 03月 31日

熊野の旅 覚えておいた方が・・・クリーンセンター

 熊野市は町の真ん中に「ゴミ焼き場」と「屎尿処理場」があります。
 熊野灘から七里御浜を横切ると国道42号線が走っています。
 そして、一列の各種用地があり、すぐにこの二つを併設した「クリーンセンター」があります。
 その裏は産田川の一部・山崎沼大前池と続く湿地です。
 更にその先は久生屋の住宅・・・そして山・・・
 そんなに厚みの無いのは木本から始まる七里御浜沿いの地形です。
 まあ、平地の少ない所の一等地にこれがあるのは奇跡です。

 昔、小さな焼却炉を作った時には芋畑くらいしか無かったのですが少しずつ開けたんです。
 農地の他には自動車屋とかパチンコとかが出来て来ました。
 そして、20年ほど前に、今の焼却炉を作らなくてはならなくなって、秘密裏に熊野市の山あいを候補地探しに担当課と一部議員で歩きました。
 「環境対策特別委員会」を設置して、積極的に関与したので、この辺りの経緯はかなり詳しいのです。
 でも、山は険しいし、集落を離れると造成出来そうなところもあまり無いし・・・
 元の場所が最良という事になりました。
 元の焼却炉は「焼却炉」というよりは「灰がま」という方が良い、もの凄いもので、排ガス対策どころか、野焼きに煙突を付けたようなもので久生屋の住宅街に文字の読める雑誌の燃えかすが降るような状態でした。
 「今度の炉は灰も降らんし、有毒のダイオキシンも出さんさか、あそこに作らせて欲しい・・・」と久生屋などを説得して建設に漕ぎ着けたのです。
 こうした施設って、一度動くなんてなったら、受け入れ先は山奥しか無いし、かと言って元の場所にも戻れないし・・・焦げ付くものなのは他の町でも普通なのです。
 説得が功を奏して焼却炉は現地に作ったし、屎尿処理施設も大改修を繰り返して現地を維持しました。
 今年の三月未完成した屎尿処理の最終処理施設で改良は終わりました。
d0045383_2113678.jpg

 その最後の建物は普通で言えば4階くらいの高さがあるので、「屋上を津浪避難施設に・・・」と設計段階で要求して、旨く採択されました。
 「屎尿処理」と「津浪避難」は別省庁がらみですが、今の時代だから認められたのでしょうね。
 かくして、ビルの脇に階段タワーを建てました。
 施設稼働前から一応登れるようにはなっていたのですが、写真のようなドアが付き、通路も市道からゲート無しで入れるように確保されました。
 このドアは簡単に壊れます。
 非常時は壊して入って下さい。
d0045383_21154432.jpg

 なぜ、わざわざ詳しく書くのか???
 このそばには「主婦の店」「パチンコ屋」「オークワ有馬店」「エディオン」「東京靴流通センター」「なかみち」など皆さんが買い物に行くお店が一杯あるんです。
 そして、それらは全部その建物内部では逃げられないのです。
 買い物中に大地震が起きたら・・・
 このゴミ焼き場を目指すのが最良なのです。
 つまり、熊野市民の皆さんなら覚えておくべき防災知識なのです。
 役所は「マイマップ」で今の所手一杯みたいです。
 防災はどこで起きても大丈夫な知識をどれだけ身につけているかで生きるか死ぬかが決まると思います。
 今一度確認して置いて下さい。
 そして、このブログを読まない人にも教えて置いて下さい。
 千年に一回の大きさは起きないかも知れませんが、津波が来なかったらそれで良し・・・
 一旦逃げて下さいね。
 
 うるさいやつですね。
 もう、20年も前から言い続けています。
 東南海の周期は短いですから、学者より先に騒いでいます。

      
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by je2luz | 2016-03-31 04:24 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2016年 03月 30日

熊野の旅 記念通り・いこらい市

 「いこらい市」の「いこらい」は方言で「行こうよ」みたいな言葉から取っているはずです。
 始まった頃は物珍しさもあったし、近所の人もそこそこ集まったのです。
 そして、「常連さん」も見られました。
 都市部と違うのは、町中とは言え、流入してくる人はほとんど居ません。
 記念通り関連ではアパートが一棟出来ただけですね。
 そして、常連さんの中には他界された人も・・・
 お店の方も、初期には地元のお店や素人さんみたいな店もぽちぽちありましたが・・・
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 たまになら「面白い」で出店出来ても、恒例になってくるとくたびれても来るのでしょうね。
 毎月第四日曜・・・
 露天商・催事屋さんが飯を食えるほどには売れません。
 「サンマ丸干し振る舞い」「くまもん」「赤福」など、目玉のある時はそこそこ人は出ますが・・・
 こんな風に書くと叱られるのですが、公平に見ればこれが現実なんです。
 先日の「紀南病院内覧会」の時に。「いこらい市より人が多いかも・・・」と言ったのですが、あの内覧会には400人ほどの来場者があったそうです。
 何も無くても、「めずらしいから」だけでも人が出ています。

 昨年度分の「いこらい市限定割引商品券」の時でも、割引券自体が思うように売れず期限を延ばす羽目になったのも、このイベントの限界を示しているのでしょう。
 割引券が地方創生事業で発行されたのも、「思うように売れなかったこともほとんどの市民は知らないままです。

 「記念通り商店街」と言うもの、それと「いこらい市」の関わり・・・
 既存商店とテント掛けの店との関係もしっくりいっていませんね。
 来る人はほぼ毎回同じになってしまっているし、そのお客さんは「記念通りのお店」には見向きもしない・・・
 イベント会場の造りから言って、歩道上の店を見ろというのも無理だし・・・
 商店街という形態では無くなって居るし・・・
 核であった「オークワ」は既に無いし・・・
 どっちにしても波及効果はあまり期待出来ません。

 かつて、国鉄バスの車庫のあった場所が払い下げられた時、本町の商売人が下駄履き店舗住宅を建て、記念通りに移ってきました。
 7軒の店だったので、「セブンストア」を名乗りました。
 服屋・靴屋・饅頭屋・毛糸屋・・・花屋・雑貨屋・DPE・パーマ屋・家具屋・電気屋・マッサージ屋・パソコン教室なんて入れ替わって行きました。
 記念通りの入り口という恵まれていた立地なのですが、町の衰退でどの店も苦戦したようです。
 郵便局も移転したし、農協も関電も・・・NTTは無人に・・・
 8クラスもあった木本高校も・・・

 若い人の実験ショップも良いですが、商店を再編して商店街らしさを作るのはどうなのかなあ・・・
 当代限りの人に無理は言えないかな?
 最早、商店街での売り出しも出来ない状態なのでは無いでしょうか?
 役所の好きな「投資効果」を検証して今後の補助金行政を考える時でしょう。
 その為の部署も市役所にあるし、商人の団体の商工会議所だってあるのですからね。
 このままでは宣伝のしようも無いでしょう。

      
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by je2luz | 2016-03-30 04:12 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2016年 03月 29日

熊野の旅 神川さくら祭は4月3日だけど・・・

 熊野市の山間部、那智黒石(熊野黒石)の産地、神川町の桜祭りは今年も無事に行われるようです。
 4月3日日曜日です。
 会場は旧神上(こうのうえ)中学校グランドです。
 前にやって居た広場でも見られますが、駐車場になっています。
 神川町も高齢化が進んできたので、この「さくら祭」もやれるのかなあ・・・と心配します。
 神川には「カブトムシ」に一杯お金を入れているのですが、そっちがどうなるのか今は分かりません。
 熊野市の一般人にとって、神川=さくら祭と七色ダムです。
 特産の「那智黒石」も昔のように生産されていないようですしね。
 それに、いつの間にか「碁石の里」と変えられちゃってますね。
 たしかに、水石ブームの時のように置物の石も売れないでしょうし・・・
d0045383_202959.jpg

 でしょう?
 これ昔からある神川の「那智黒の碑」です。
 「那智黒石の里」って彫ってありますよね。
 近年、熊野市が「囲碁」に凝っちゃったので「碁石の里」に変えちゃったようです。
 でもね・・・
 『碁石』って「蛤の白石」と「那智黒の黒石」セットなんです。
 そして、値段のほとんどが「白石」と「碁笥」の値段だそうですよ。
 宮崎が白石の産地・・・碁石は宮崎だそうです。
 まあ、着々と姉妹都市提携に進んで居るようです。
 神武東征の出発点と終着点(漂着点)の縁もあるのだそうです。
d0045383_20161510.jpg

 これが会場の「旧・神上中が降雨運動場」です。
 6年ほど前に芝を植え、鹿が食うからといってネットも張って保護しています。
 校舎は木造で中々良いものです。
 山あいにあって趣があって・・・文化人には受けるのですが、足場が悪いので中々使われません。

 ところで、「神武東征」・・・
 今まで、観光とかの方で使おうとか言う話し聞きませんでしたが、姉妹都市の時になると出て来ました。
 それは良いのですが、しっかりしないと神宮東征は新宮に取られそうですよ。
 「八咫烏」は熊野交通も使っているし・・・
 「秦の徐福」もすっかり新宮の方に取られているし・・・
 PRは恐ろしく下手ですからね。
 市内のイベントもまともに載っていないくらいですから・・・
 期待しましょう!
 「観光立市」なんですから・・・
 でも・・・「小森のさくら祭」あるのかどうかも分かりません。
 
      
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by je2luz | 2016-03-29 04:23 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2016年 03月 28日

熊野の旅 記念通りいこらい市 人気店?

 27日日曜日・・・
 「いこらい市」を覗きに行きました。
 撮った一枚目の写真が10時22分で、下のものです。
 次のが10時24分です。
d0045383_2223536.jpg

d0045383_22241168.jpg

 私が市民会館の前に着いた時、いこらい市にしては珍しく、人だかりがありました。
 「なんじゃろう?」と思っているところへ軽トラックがバックしてきました。
 漁協の移動販売車でした。
 皆さんこれを待っていたんです。
 前はそんなに人だかりするほどでも無かったものですが、人気が出て来たのかな?
 一台目は「鯖」だけ・・・
 「もうすぐ二台目が来るし、そっちには鰺ら乗っ取るで・・・」と、漁協の兄ちゃん・・・
 かくして、車は人に囲まれました。

 お客さんはこの辺の平均的主婦ですね。
 奥さんからおばちゃんに・・・そしておばあちゃんになった歳の人が多いのです。
 木本から鮮魚屋さんも消えかけているし、井戸まで行くのも大変だし、今日は安いし、新しいし・・・
 段々、人気が出たんでしょうね。
 でも、これ位が人山に見えちゃうイベントも淋しいかな?
 そして、これが賑わいだと思うようになってしまった人の感覚も淋しいですね。
 「昼下がりの決闘」の西部の町???

 もう一つ・・・
 パイが小さくなっちゃったので、この売り上げが商売に響くという声が出るのも現実なんです。
 「肝心の買い物に行けない場所には来てくれない・・・」という声も・・・
 やっぱり、市内の買い物弱者の実態を把握して、それに合わせた生活維持まで考えないといけないのですね。
 「行政は関わらない」などと、他人事を言うようでは熊野市民を支えられませんね。
 どうせ、何百万も放り込むなら、もっと血の通うところに放り込んで行くべき時でしょう。
 家に帰ればご飯が出てくる人だけで考えては民のことは分からないでしょう。
 今では高いところから眺めても、民のかまどの煙は見えませんけど・・・
 仁徳天皇は民のかまどから煙が出ていないのを心配なされたとか・・・

 そう言えば・・・
 昔は小鰺の季節には、「トントントントン」家々から鰺を叩く音が聞こえたものです。
 ミカン酢が出る頃ですから秋だったのでしょうね?
 春先は「ウルメの寿司」?
 そして「カマスの寿司」
d0045383_2248150.jpg

 ライブやっても聞くような年の来場者が居ない?
 トランポリン据えても飛び跳ねる子供が少ない!
 サイレの丸干しをただで振る舞う時にはそこそこ集まるのに・・・
 イベントそのものに人気があるのでは無い???
 そして、これが普段の商店街の活性に繋がる???
 記念通りと本町以外に受け皿が無い???
 消化試合にしちゃあいかんです。
 やる方も気の毒になって来ますよ。
 最近はえらい人も来ないようだしね。

 平成28年度も「いこらい市」は続きます。
 基本的には第4日曜・・・
 4月は駅前の市のイベントと合流するのかな?
 そっちは又書きます。

      
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by je2luz | 2016-03-28 04:14 | Trackback | Comments(0)
2016年 03月 27日

熊野の旅 古道好きは女性の方が多い?

 私は熊野古道・伊勢道・浜街道の脇に住んでいます。
 家の前は国道42号線で歩道も前の堤防も古道歩きの人が通ります。
 裏側の方は本町・石畳通りでそちらも古道歩きの周遊コースです。
 多数の人はこの二つの道を使って居ると思います。
 眺めていると、国道側を歩く人にはガイドはほとんど付いていませんね。
 地元の語り部さん・ガイドさんが付くと松本峠から花の窟神社に向かう時、本町を使うようです。
 その為に石畳も作ったのでしょうからね。
d0045383_22154859.jpg

 あと一週間はあちこちにお雛様が飾られ、「雛めぐり」なんてのが行われていますから、古道歩きの人達も覗き込んでいます。
 このご一行さんも、創業100年を超す老舗呉服店さんの中を覗き込んでいます。
 何時もながら、古道歩きのお客さんってご婦人が多いです。
 まあ、昔の、「農協さん」の時代から、団体さんは女性が多いんですけどね。
 男は宴会がらみの慰安旅行以外は群れたがらないようです。

 と言うことは・・・
 やっぱり、ご婦人に受ける観光地じゃ無いと駄目???
 それも若い子では無く妙齢のご婦人向き・・・
 かと言って、極楽浄土を願うとかぽっくり信仰の歳でも無いし・・・
 女子会気分のようにはしゃぐ団体さんが多いです。
 ???
 ご婦人方だと、今のトイレの間隔・数で足りるのかな?
d0045383_22231914.jpg

 これは、旧奥川邸(ツアーデザインセンター)のお雛様です。
 今年はメインのお雛様は出所が明記されていました。
 前にも書きましたが、昭和初期とかのお雛様で立派なものだと、持ち主・嫁さんの実家が推測出来ちゃうのです。
 この木本でその頃に生まれて立派なのがある家なんてそう数は無いですからね。
 人口3000から5000の時代の木本町ですからね。
 右側の飾りは立派なものです。
 そして、持ち主の方もそのように推測する時にすぐに上がってくるお家の娘さんです。
 木本で指折りの綺麗なお嬢さんだったお人です。
 今のお雛様の方がきらびやかですが、「立派」とはちょっと違いがありますからね。

 古道歩きの町中ルートは三本に別れますから、全部を見せる時間が無いようです。。
 木本の主な見所の「旧奥川邸」と「旧栃尾邸」はどうやら片方になっているようです。
 「旧奥川邸」の方が本来の木本の家なのですが、土足で見られるように改造しちゃった「旧栃尾邸」の方を見せるツアーが多いようです。
 どちらも史跡でも無いし、重要文化財でも無いし・・・
 見る方もそんなに深い興味・造詣があるでも無し・・・
 それで良いのかなとも思いますが・・・
 古い時代を少し知る人間から見ると、少し疑問も感じます。
 屋号で呼ばれる大店も消えましたしね。

      
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by je2luz | 2016-03-27 04:19 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2016年 03月 26日

熊野の旅 ?一応完工?? でも、綺麗になるのは何時でしょう?

 私が議会に復帰して一番最初に腹を立て、抗議したのが、「熊野市駅前広場改修」でした。
 市長が「評判悪い」と言った「裸婦像」を撤去し、噴水を造り、道を微妙に曲げるものでした。
 その工事は「一応」終わったのですが、未だに評判は良くないです。
 なにしろ、「横断歩道」は見えにくいし、舗装は未完成のまま・・・

 そして、その続き?で実行されたのが、私がずっと反対してきた「電線地中化共同溝事業」です。
 最初に災害があったとは言え、毎年「繰り越し明許」でずっと一年遅れでやって来ました。
 今年度に終わらないと大変なのでずっと取り上げてきました。
 そして、年度末・・・
 「電線地中化共同溝工事」は何とか終わったようです。

 私などの感覚では、こうした工事が終わると言うことは、歩道もほっくり返した車道の舗装も復旧されて完工だと思うのですが、違うようです。
 そうして設計の詳細は発表されていませんので、今の所は分かりませんが、三月末ではそうした修復は無しで完成らしいです。
 最近の土木工事の常識ってそんな設計なのでしょうか?
 とにかく説明などありません。
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 取り敢えず、電力・電話線・光カーブル・有線テレビの線を入れるパイプだけが埋められたようです。
 駅前の工事の年度から6年かな?
 私たち素人から見れば「未完」ですね。
 新年度に入れば、熊野市の工事では無く、関電やNTTとかZTVなどによる線入れと隣接家屋への引き込み工事があるのでしょう。
 またまた、商店には迷惑が掛かりますね。
 あと数年しか営業出来ないかも知れないのに、5年も6年も店先を荒らされて・・・
 そりゃあ、感謝の言葉など出るはず無いでしょう。

 この間に建設課の課長さんも三人退職され、この4月には4人目かな?
 当初のいきさつなど遠い昔・・・「熊野市史」の世界みたいですね。
 この間に何軒お店が増えたのでしょう???
 減ったのなら写真屋・土産物屋・コンビニなどありますけどね。
 街灯の電気代とか維持管理の契約はどうなったのかな?
 聞きに行かなきゃあ教えてくれません。
 それに、相変わらず歩道上の駐車は減らないし・・・
 そうだ!
 電線入れないと電柱も引っこ抜けないんですよね。
 もう一年、我慢ですね。

 でも、今の所、記念通り全線の計画が止まっているだけましですよね。
 これをやめると約束したのは4月から数えれば3代前の課長さんです。
 約束も時効ですね。
 
 で・・・
 歩道や車道の舗装まで綺麗になるのは???
 もう、この事業の補助は無いのでは無いでしょうか???
 色々ありすぎて分からなくなります。
 分かったら報告します。

 追加です・・・
 このパイプの出口の高さ・・・
 先般の水害でこの辺が使った高さより低いのですが・・・
 防水するから良いの???
 でも、その水位くらいは考慮したの???
 設計責任者の見解が聞きたいですね。
 関係部署の人はこのブログ見ないかな???
 こんな事で一般質問の時間を犠牲にしたくないんだけどねえ・・・
 同じ場所で水位を示した写真もここに載せたはずです。
 出来れば、聞きに行く前に見解をお示し頂きたいものです。
 
      
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by je2luz | 2016-03-26 04:32 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2016年 03月 25日

熊野の旅 完成期日直前 木本堤防スロープ路

 熊野市駅から国道42号にぶつかるところ・・・
 以前は浜に出る通路があり、樋門が開いていて普段は海が見えていました。
 この樋門はこの新堤防が作られるまでは無かったのですが、花火の時も駅からの客が真っ直ぐ出られず、左右に迂回していたので、作って貰いたいと進言すると、一旦は断られたのですが、時の坪田市長と前川県議の協力も得て新設したものです。
 しかし、東南海地震の発生時期も近づくし、最終仕上げで外階段も設置して普段は樋門を閉め切ることにしました。
 そうなると、健勝者でも登りかねる内側階段では、車椅子は勿論、少し足の弱った人も堤防上に登れず、浜も海も見られなくなりました。
 それを解消するのに、この駅からの突き当たりと、鬼ヶ城側にある二丁目の信号の部分に、スロープとゆるめの階段を加えることになりました。
 27年度事業ですから、この3月が年度仕舞いです。
 昨日、業者さんが現場を洗っていました。
 踊り場部分に、ちょっと蛇足的な休み場?も作られました。
 最初のパースでは、堤防天場の通行の邪魔になる様なものが書かれていましたが、今後の工事やメンテナンスに支障を来す恐れがあるので、へっこんだ踊り場に寄せたのでしょうね。
 それに、国道側にレリーフも・・・
 何だかこそくな装飾でお金だけ掛かった感じ・・・
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d0045383_2257385.jpg

 我が家の目の前なんですが、ここまでお茶を運ぶのは・・・
 このくぼみは道路側なので海は少し向こう側です。
 それよりも、スロープ側、登り切った部分の踊り場が少し短い感じです。
 押して上がってきたら平らな部分で休めないですね。
 ちょっとデザイン優先になりすぎかも?
 これは実際に車椅子で使う人に聞かないと分かりませんね。
 自転車防ぎと言う意味があるのかも知れませんけどね。

 内側の波防ぎ、転落防止のコンクリート壁で、国道からの高さもあるのに設置されていなかった旧消防署前の数十メートルにも設置されました。
 この堤防天場は二丁目の開始地点から旧消防署まで全部歩くと、約1000歩です。
 往復2000歩。それに自宅までを加えるとほとんどの人は3000歩にはなるでしょう。
 ちょっとした歩行訓練に丁度良い長さです。
 見晴らしは良いし、安全だし・・・
 ただし、両端には横断歩道はありません。
 二丁目信号と新出町信号には横断歩道がありますし、旧消防署は信号からの距離が近いので今のままでは作って貰えませんね。
 無理な横断は避けて下さい。

 熊野古道、浜街道歩きの人は昔の人を偲んで、旧消防署のところで浜に降りて獅子岩まで歩かれては如何ですか?
 昔々はこの区間、井戸川河口を命がけで渡ったり、獅子岩と顔面岩のところでは高波の時は波間を見計らってやはり命がけで走ったそうですから・・・
 極楽浄土へ行くほどの御利益があるのですから少しくらいは苦労しないと・・・
 ここは遍路道・・・
 物見遊山のハイキングコースでは無いのですよ。
 それに、道道の神社仏閣へのお賽銭も忘れずに!

 国道から見えるように設置される浜松からの100M刻みの距離表示は国道事務所に申し込んであるので、そのうちに戻されると思います。
 この区間だけ無いのですからね。
 うるさい住民ですよね。
 小言幸兵衛???

      
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by je2luz | 2016-03-25 04:28 | 熊野 | Trackback | Comments(1)
2016年 03月 24日

熊野の旅 金山残土捨て場 市民農園

 昨日の続き・・・
 元は国営ミカン農園パオロット事業で造られた、金山パイロットも出来上がった頃には全国で広がったみかん園で生産過剰に・・・
 そして、今度はミカンの木を切れば補助金とか、他の果樹に植え替えたら補助金とか・・・
 その流れで、一部は「梅畑」になっていました。
 パイロットの組合が持て余したので、私たちの鬼の国物流で預かり、理事の鈴木氏が雑木まで生えかけていた梅畑を職人も入れて復活させていました。
 しかし、南部のようには行かず苦労していました。
 そこの梅で漬けた何年前のか解らない梅干しが我が家にあります。
 そうだ・・・ここで採った桑の実の「桑の実酒」もあるはず・・・

 そこの谷が、遊木トンネルや高速トンネル残土の捨て場になり、あの、台風12号関連大水害の時の井戸川の堆積土砂捨て場にもなったのです。
 かくして、この谷は、色んな土質の混在する造成地となったのです。
 井戸川から来た砂以外は瓦礫だらけ・・・
 とても農地とは見えません。
 そんな場所が三段か四段の大きな農地になりつつあります。
 誰がみても「農地」には見えませんが、登記上も工事目的からも「農地」なのです。
 今のまま進めば、「市民農園」になります。
 紀和町には遊休農地を復活させた「市民農園」が既に出来ています。
 金山が出来れば町歩で数えるほどの農園が出来ますね。
d0045383_21415969.jpg

 こんなに立派な、高い法面の造成でやって居ます。
 断面は礫・土砂・砂など色んな土質が層状になって、何千年か経ったら山の上まで洪水があった?などと学者が言うかも・・・

 きちんと造成したにしてはこの崩壊はなぜでしょう?
 年度末だけどこれで良いの?
 横の道は通行止めだから誰にも見られないはずだから???
 業者のサービスでやったのかな?
 誰か分かったら教えて下さい。
 今の所、「大抜け」はしないようですけどね。
d0045383_2147466.jpg

 これは下の段の農地予定地?です。
 一皮剥げばどんなのか分かりませんが、井戸川から来た?砂が表面にあります。
 灌漑施設があれば何か作れそう???
 でも、ここには灌漑施設はありません。
 市民農園にする時には千万単位のお金を入れて灌漑施設を作るつもりでしょう。
 ここには農地を賄えるようなまともな谷はありません。
 パイロット時代の施設など残って居ませんしね。
 この件に関しては完成予想図とか施設概要など見たことないです。
 スカーレット・オハラ・・・  あした考えよう・・・  なのかも・・・

 この市民農園が出来るのは???
 もし、農地法の関係で、完全な農園にまでしなければならないとしたら・・・
 その時の市長は苦労するでしょうね。
 思いついた係や市長には責任が及ばないのが「お役所」なのです。

 避難住宅用地でも上水道が要るし・・・
 いくら何でももう野球場は要らんし・・・
 ゲートボールやグランドゴルフには遠すぎて・・・
 老人ホームもあと10年しないうちに客が減り始めるし・・・

      
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by je2luz | 2016-03-24 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2016年 03月 23日

熊野の旅 不思議な施策 金山・市民農園

 金山にある旧・パイロットみかん園の一部が、遊木のトンネルや高速の残土で埋め立てられました。
 谷が一個埋められて居ます。
 ここを埋め立てる前に残土で出来たのが、「防災公園野球場用地」です。
 そして、あれは山の頂上ですぐに一杯になったので、金山パイロットから熊野市が土地を購入して、残土捨て場にしたのです。
 金山パイロットみかん園は国のパイロット事業ですから「農地」「農振地区」です。
 だから、この残土捨て場をそのまま「農地」として使う申請を出しているようです。
 私が議会に戻ってすぐの時、この土地の問題が出されたのですが、なんと!ここを「市民農園」にすると言う計画でした。
 およそ、トンネルの残土なんてのは岩を砕いた栄養分など無い代物です。
 そこで、私が・・・
 「そんな栄養分も無い土で造成した農地では無理でしょう」と言いました。
 すると、市長が・・・
 「古い農地の土には雑菌が居るが、こうした残土にはそれが無い。礫栽培は理想なんです。」などと言う説明をしてくれました。
 大企業の「野菜工場」じゃああるまいし・・・
 広大な市民農園で誰が礫栽培・水耕栽培するというのやら・・・
 呆れてものも言えませんでした。

 この土地の埋め立て中に、農地としての実績を作るつもりか、「ひまわり」を植えたことがあります。
 痩せ地で灌漑施設もなし・・・
 でも、わざわざ、きちんと整地はしましたよ。
 背丈30~40cmで直径5cmとかのひまわりが誰にも気付かれずに咲きました。
 悪いことに、私は通りかかってしまい、証拠写真を撮ってここに載せたことがあります。
d0045383_1955448.jpg

 これが市民農園になるはずの最上段部です。
 ひまわりを植えた頃よりは随分地盤が高くなっています。
 あの造成した土地はどこへ消えたのでしょう?
 勿論、何年経っても「市民農園」は出来ません。
 出来ても誰が借りるのでしょう?
 またまた、「農業公社」とか「ふるさと協力隊」へ公金を入れてやるのでしょうか?

 これが「ひまわり」を植えた時です。
 2012年8月29日のブログです。
               (続く)

      
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by je2luz | 2016-03-23 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2016年 03月 22日

熊野の旅 原発が無いから安心して山菜採り 井内浦

 一つ前の記事の「防災公園・野球場」は元、高島屋系の「オレンジホテル」跡地でした。
 今日の記事は同じ高島屋系の企業が持っていた「大崎半島」のことです。
 今では「大崎半島」という呼び方を聞くことが無くなりましたね。
 一般には「井内浦・いちうら」と呼ばれます。
 小さくて綺麗な入り江がある、急傾斜の隠れ里のようなところです。
 昔は磯崎側の斜面には段々畑と田んぼまであったのですが、今は完全に耕作放置になっています。
d0045383_2212714.jpg

 この下の方に「中部電力熊野原子力発電所」が出来るはずだったのです。
 すぐ右沖合には、東南海・南海トラフ地震を起こす断層とその先は地球の裂け目のような日本海溝です。
 高波もこの写真では想像出来ないほど高い時があるようで、かなり上の方に防波堤があります。

 この辺り、企業では「高島屋系の企業」「藤田工業」などの企業が大きな面積を買い取っていました。
 勿論、大企業ですから国策にいつでも協力出来る体制でした。
 原発が頓挫すると。高島屋系の会社は「有料老人ホーム」を作るなどと言いましたが、やる気なんか無いのは丸見えでしたけどね。
 他の部分は、反対派の「一坪地主」と金稼ぎ目当ての「にわか地主」によって、買いあさられたので細切れです。
 さらに、戦時中に食糧増産目的の「開墾」がされ、細切れで登記が移されて、今では確定不能になって居るところが多いのです。
 国道311号線の改良の時、地権者確定に熊野市も協力しようとしたのですが、酷いものは「5坪山林」、「未相続で地権者不明」・・・なんてのまであって、断念し、地権者が単純化していた、旧道より上の山林に新道建設することになったのです。
 その方が道もすっきりするし、用地交渉も可能でしたからね。

 「買収目当て地主」にとっては、原発は飛ぶし、国道も通らなくなるし・・・
 半世紀前に大金を当て込んだ、市内浦の畑や山が全くの無価値になってしまいました。
 反対派の「一坪地主」の土地も、原発が出来なくなった今となっては、お荷物になっています。
 急傾斜だし、水も無いし、道も付けようがないし、利用不能ですが、もし、利用しようとしたら、地権者確定と近隣地権者立ち会いなんて作業は全く不能な地域になっています。
 でも、原発が出来なかったので、私などはちょこっと山菜を採ったりしています。
d0045383_22282045.jpg

 この辺りは本州で一番暖かいと言われるところですから、冬場にはイノシシや熊が越冬にやって来ます。
 以前、波田須で夜道にイノシシが斜面上から飛び降りてきて、私と鉢合わせしそうになり、慌てて下の畑に飛び降りて逃げてくれたのですが、怪我しなかったかと「シシ事ながら」心配しました。
 今回は昼間ですが、イノシシが通路に使っている「獣道」がありました。
 もうすぐ、このそばの竹藪にタケノコが出ますから様子見に来ているのでしょうね。
 まだ、ちょっと早いらしくほっくり返した跡はありませんでした。
 もう、ほとんど農地では無くなって居るようですが、「梅」は植わっています。
 梅も熟して黄色くなって落ちる頃ならイノシシも食べるかな?
 
 この井内浦は、鬼ヶ城の山、磯崎ー猪ノ鼻の山に隠れているので、木本や有馬などからは全く見えないのですが、直線距離にすれば数キロなんです。
 危険なんてものじゃ無いです。
 新宮だって20Km圏内です。
 でも、同意は熊野市だけで良かったんです。
 だから、中電の工作はすごかったのです。
 原発そして鴫になった私の家にも、若い工作員がせっせと来ました。
 当時はまだ一般に知られていなかった「燃料電池発電」とか「太陽光発電」について、逆にレクチャーしましたが、当然のようにそんな技術が実用化に向けて進んでいることなど教えられチェ居ませんでした。
 その当時・・・
 一体どれだけの熊野の人が、中電の「越前ガニツアー」に出掛けたでしょうね。

      
熊野市周辺地図です
 
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by je2luz | 2016-03-22 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)