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LUZの熊野古道案内

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2015年 11月 30日

熊野の旅 恒例・高齢者の写真展

 もう、「恒例」と言って良いでしょう。
 今年も師走になるので、「木本敬老会写真展示」を行います。
 日時の確定はまだですが、今展示している木高の絵画展が終わったらでしょう。
 会場は何時もの通り「お休み処 おかもと」です。
 「おもてなし館」のはす向かいです。
 何時もお年寄りがたむろしているところです。
 ディケアセンターより皆さん生き生きしていますよ。
 制度上は無いのですが、こんなのがあちこちにあれば介護保険の使用も少し減るでしょうね。
 
 昔は浜に掘っ立て小屋があって、お年寄りが集まって遊んでいました。
 そんな場所は大体男のたまり場でしたが、この「お休み処」を始め、町のあちこちでたむろしているお年寄りは圧倒的に女の人が多いです。
 老人に女性が多いのもあるのですが、統計では「健康年令」はあまり変わらないのですけどね。
 酒を飲んだりしなくなると男の方が社交性がなくなるのかな?
 おばあさんとおじいさんが固まれば、おばあさんに負けるでしょうしね。
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 今年も葉書サイズ(KG)の写真を人数分焼いて袋に入れ、『コルクボードで展示します。
 年末くらいまで置いて、皆さんが見た頃からは、外して持って帰って貰います。
 昔のように折に触れて写真を撮るなんてしない時代ですから、結構喜んでくれます。
 年に一度、こうしたスナップが残りますからね。
 希望した人のはアップも撮ってあります。
 背景を消すなんてことはして居ませんけどね。

 この人達は昭和12年生まれくらいから上です。
 若い人でも昨日、一昨日に載せた写真の頃に成人になり、青年団活動した人達ですね。
 さすがに、戦争経験者は敬老会にも来られなくなってきたようです。
 もうそろそろ、「戦争遺児」が敬老会に招待されるようになるのですからね。
 いくら年数が経ったからと言って、戦争を美化したり、あって当たり前・・・なんて、風潮が広がるのは困りますね。
d0045383_19505272.jpg

 日本は伝統的に「異論」を認めない風潮があります。
 だから、「物言わぬが利口者」というような処世術が常識だと言われます。
 本当は怖い話なんです。
 「異論」を唱えて叩かれるより、その場をやり過ごす方が将来に大きな災いを残すことになることもあるのですけどね。
 私はどっちに道「お利口さん」には成れませんから、正しいと思えば異論でも吐きます。
 もう少し若い人にもそうした生き方をして欲しいものです。
 「モンスター」は居るのにねえ・・・

   

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by je2luz | 2015-11-30 04:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2015年 11月 29日

熊野の旅 村の道から市道本郷平線へ

 昭和35年当時になると、世の中に自動車が増えてきました。
 それと共に、自転車やせいぜいリアカーがやっとだった村の道が車の通れる「市道」に改良され始めました。
 勿論、用地などは無償提供です。
 生活が生まれ変わりますからね。
 偶然に近いのですが、そうした工事風景が写されたネガがありました。
 場所は飛鳥町小阪字平・・・
 私の実家方向から中学校の吊り橋方向で、岩本と中村の家が写っています。
  中村の隠居は写っていませんね。
 工事は素の道から一段下がった田んぼ、「こせばち」から石垣を積み上げて道を広げる物です。
 石屋さんが積み上げる旧来の工法ですね。
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 元の道は嫌カークラスの道ですが、自動車が入るためには、この上流の崖の部分を広げる難工事かどこかに橋を架け直すしかない地域だったのです。
 集落内は「平・だいら」と言う名前の通り小阪では一番平坦で道は作りよかったのですが、どう県道や国道につなげるかが難問でした。
 この道は集落の一番下まで行って、今は永久橋「淺見川橋」になっている場所で、吊り橋を架けて大又川を渡りました。
 上流へは崖を削り本郷と結んで行きました。
 これでも、この工事は早いほうですね。

 中学校の所の吊り橋は、国道42号線が昭和44年とかに改良され、今の位置、川沿いになった時にコンクリート製の車が通れる物になりましたね。
 この橋も、当初の地元説明とは違う入り口が広くなっていない物が出来てもめた物です。
 当時の国道工事は地元だましが常識だったようです。
 鬼ヶ城トンネルも当初案には歩道があったのだとか・・・
 そんな話を聞いているので、今の私はお上の言うことを真に受けないことにしています。
 でも、今でも騙されます。
 原発に騙されなかっただけましでしょうかね。

 この写真を良く見ると、手前の岩本の家の納屋と向こう側中村の納屋二つの屋根は「杉皮葺き」ですね。
 杉皮で葺いて丸太を置き、川原の石で押さえてあります。
 この頃にはこの屋根も残って居ました。
 トタンが出てきてトタンに葺き替えたり、当時流行って小阪でも作られたセメント瓦に葺き替えたりして急速に消えて行きましたね。
 残念ながら私にネガではこの「杉皮葺き」のきちんとした写真が無いのです。
 
 他所にあるような分厚く葺いたものでは無く、ほんの数枚重ねた物で、それ自体では風に耐えられないので、足場丸太を置いて石で押さえるという簡易的な物だったのです。
 これが熊野地方の典型的な屋根だったのです。
 この屋根はムカデの大好きな材料を使っていたのでムカデが居て当たり前だったようです。
 昔はこの地方の家には「ムカデを食用油に漬けた塗り薬」が常備されていました。
 2代目市長、坪田さんの話では、国鉄バスで旅をした人はこの屋根が並んだ光景を見て、「なんと貧乏な土地なんだろう・・・」と感想を述べたそうです。
 農地も少なく、材木の搬出もままならない奥熊野は貧乏だったわけです。
 今も同じ年金でも国民年金の人ばかりの熊野は低所得ですね。
 この地方には「お屋敷」などと呼べる旧家もほとんどありません。
 戦国武将も取りっこしないほど石高のないところですから・・・

   

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by je2luz | 2015-11-29 04:13 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2015年 11月 28日

熊野の旅 清流大又川 丸木橋があった頃

 大又川には、昔、丸木橋が沢山ありました。
 丸太をそのまま使ったのや、ほんの少しだけ鋸を入れて太鼓状にしたのを二本ほど合わせてあり、それを石から石へを渡して橋に使っていました。
 大又川は急流だし、そこそこ川幅もあるので簡単には橋が架けられなかったのです。
 大又でも古い橋は二本ほど、小阪では飛鳥神社の所にはコンクリートの立派な橋がありましたが、あとは、学校の所の吊り出しだけでした。
 佐渡も自転車屋の所の木造の橋、下でも宮の平の橋、農業用水を兼ねた水道橋くらいでしたね。
 こんなに少ない橋では生活に不便なので、あちこちに、丸木橋を架けていました。
 小阪だと「はせど」「更田下」「九升まい」「蔵本」「西の平」くらいにはありました。
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 この写真の真ん中で大又川を横切っているのが当時の「九升マイ」の丸木橋です。
 相ヶ谷と平を結ぶ物です。
 真ん中に支えがないので良くたわみました。
 少し上流に吊り橋があり自転車でも渡れるのですが、歩くにはこっちの方が近い人も居たのです。
 私はほとんどこれを渡らずに吊り橋でした。
 それ位なのでこの丸木橋は早く無くなりました。

 この手の橋は水が出れば当然流されます。
 だから、ワイヤーで岸のどこかに繋いであったのです。
 それでも大洪水だと流されてしまい、水が引き始める頃には集落の力持ち達が「鳶口」とロープを持って、下流へ探しに行くのです、
 近ければ次の大カーブに引っかかりますが、運が悪いと何キロも下流へ・・・
 水が残って居る時は流れに逆らって引っ張ってきます。
 水が完全に引くと担いだりひっぱたりしながら帰ったのです。
 水を吸った丸太はもの凄く重いですし、ゴロだらけの大又川を担いでくるのはちょっと想像出来ない力仕事だったのでしょうね。
 私は子供だったので引っ張ったことも担いだこともありません。
 そんな力仕事に支えられて、こうした生活のための丸木橋は維持されてきたのです。
 逆に言えば、それを支える若い衆が居たのです。

 まともな橋が欲しいというのが大又川沿いの人達の大きな望みだったのです。
 昭和30年代の終わり頃から、一本、又一本と橋が架けられ、丸木橋は役目を終えたのです。

 写真の背景に在る学校は飛鳥中学校でまだ木造ですが、体育館は昭和33年に完成した超近代的な鉄骨アーチの物で今も残って居ます。
 下の段の校舎左端が音楽室、上の段の左端は理科室でした。
 体育館は熊野市で一番先に良いのを作って貰ったのですが、今では・・・

 向こうの方の山の上に見えるのは「小阪青年クラブ」です。
 「更田の坂」の上にあり、映画やどさ回りの芝居、地芝居などをやって賑わった物です。
 青年団華やかなりしころですね。
 この青年団も私は子供だったし、青年になる頃には東京に出ちゃったし、帰ってきた頃には「青年団」も活動が下火でしたから経験はありません。
 集まるのが好きじゃないし、あっても入らなかったでしょうね。
 帰ってきた頃は「JC」とか「青年会議」なんてのが活動していましたが入りませんでしたからね。
 青年クラブにつながる小さな屋根は新しい職員住宅ですね。

 考えてみると、「団体・クラブ」に所属したのは「中学・高校バスケット部」「大学の写真部WPS」と「熊野無線クラブJH2YIV」だけですね。
 やっぱり、引っ込み思案で内気なのでしょう。

 この頃の大又川はそろそろ農薬の害が出始める頃です。
 清流のままで魚がおかしく成り始めたのです。
 DDT(dichloro-diphenyl-trichloroethane)、ボルドー液(主成分硫酸銅)などと言う分解されない物がどんどん農地に撒かれだしたのです。
 そして昭和40年頃にはハードタイプの中性洗剤も・・・
 何時も言うように今の中国を笑えない日本になった頃です。
 今は大又川に背骨の曲がった魚は居ないようですが、一時期はかなり居ましたからね。
 イナゴが田から消え、蛍も消え、泥鰌も田んぼから消えた時代が近づいたのです。
 そして、食品ではまだ「サッカリン」なんてのがまかり通り、「赤色〇〇号」なんて食紅も・・・
 その代わり、冷蔵庫がなくても物が腐らなくなった時代です。
 でも、後に「発がん性あり」なんて言われたDDTを頭から浴びせられ、サッカリンや食紅が入った食品を食べ、畳の下にもDDTを一杯撒いて・・・なんて育ち方をした今のおばあさんやおじいさんって丈夫ですよ。
 世界一長寿なんですからね。
 毒に耐性が出来たわけじゃ無いでしょうけどね。
 
 そうそう・・・
 その頃はお腹に「回虫」が居て当たり前だったのです。
 「海人草」なんて海藻を煎じた虫下しを学校で飲まされたくらいです。
 お腹から「回虫」が消えて、アレルギーが増え、免疫も落ちたのだそうです。
 私達世代が丈夫で長生きなのは、きっと「回虫」のおかげなのでしょう。
 「共生」する事が身についています。

   

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by je2luz | 2015-11-28 04:29 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2015年 11月 27日

熊野の旅 随分太ったね

 時々書きますが、七里御浜はこの50年ほどで痩せてきました。
 最上流の井田海岸などは。もう、浜がほとんどありません。
 昔を知る人からすれば恐ろしいことです。
 井田の人が住んでいるのが不思議なくらいです。
 でも、逃げ出すことも出来ないでしょう。

 この原因の一つに熊野川水系に作られたダム群があります。
 徹底的に砂利の流下を止めてしまいました。
 この工事が動き出す時に、東京農大の先生が「これらのダムは七里御浜を痩せさせ将来に禍根を残す」と言うレポートを発表しました。
 しかし、国策で動き出した事業ですからそんな物は無視され、無かったことにされました。
 私がそのレポートの存在を知った時には何所のあるのかすら分かりませんでしたが、鵜殿村にだけ保存されていました。
 しかし、その恐れが現実になって来ても、建設省は因果関係など認めませんでした。
 その後、国も正式には「因果関係」は認めなくても「関連」は認めているようです。
 しかし、ダムを外すことも無し、対策は取られていませんね。
 アメリカではダムを外したりしていますけどね。

 そんな中で木本海岸には「潜堤」が作られ、理論通りに効果が現れています。
 設置されたのは井戸川河口のボックスカルバートの所から鬼ヶ城西口までです。
 完成と同時に浜は太り始めました。
 よそに良くある「養浜工事」の突き出し堤防ではその上流では太るけど下流は食われると言う物ですが、この「潜堤」では全面的に太ります。
 ボックスカルバートは一種の突き出し堤防ですが、その働きより潜堤のあるなしの方が大きく作用するらしく、潜堤のない上流の方が少し痩せて、潜堤のある下流が太っています。
 写真では少し分かりにくいですが、向こう側が上流で、そっちの方が波が大きく遡っています。
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 そして、カルバートの排水口は陸のうんと上になっています。
 カルバートに当たる波の衝撃を吸収するために置かれたテトラポッドも今では陸の上になりました。
 現実はカルバートの排水効率が落ちるので困るところもあるのですが、浜としては良いことなのです。
 カルバートからこちらに掛けての浜は、太って、昔ほどでは無いですが、何段かの高さに盛り上がっています。
 残念ながら、昔のような大きな石の帯、中くらいの石の帯、小さな石の帯なんてのが繰り返される状態にはなりません。
 今では10cmも15cmもある石は流れてこないのです。
 鵜殿の河口を出てからこちらに来る間にすり減って小さくなるのですが、昔はそんな石も一杯来ていました。
 もう、阿田和辺りにもそんなのはほとんど無くなって居ますからね。

 来る量が減っている「御浜小石」を大切にため込むしかないのが今の七里御浜です。
 最下流の木本海岸が一番太って、一番安全なのですが、あと何十年保つでしょうか?
 頑張って「潜堤」を作って貰いましたが、その先に関しては私も手の打ちようがありません。
 鵜殿から井戸川河口まで20Kmに潜堤を作るには2000億円???
 年に10億円放り込んで200年・・・50億で40年・・・
 国土と生活を考えれば他の下らない土木をやめる価値はあるのですが、目に見えないので理解して貰えませんね。
 駄目になったからでは遅いのですがね。

 ???
 50年、100年経ったら住んでいる人がほとんど居ないのかも知れませんけどね。

   

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by je2luz | 2015-11-27 04:41 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2015年 11月 26日

熊野の旅 写真発見 伊勢湾台風の傷跡 下北山小口橋

 昔のネガを見ていたら、昭和34年(1959)9月26日の伊勢湾台風が残した爪痕の写真が見つかりました。

 私がニコンFを手にしたのは伊勢湾台風で寸断された紀勢本線と参宮線が復旧した日でした。
 当時の国鉄の保線区はもの凄い勢いでしたから、三日くらいでなんとか通しました。
 沿線では電柱はほとんど倒れていましたし、水田など壊滅状態でしたが、それでも汽車は通すという意気込みでしたね。
 今の、ぱらりと雨が降ったら止めちゃうのとえらい違いでした。
 松阪から先、津方面は鉄橋が落下したので暫くは駄目でしたが、たしか、木造の仮橋で通したと思います。
 クワイ川・秦面鉄道の世界ですね。(そんなの知らん!と言われそう・・・)
 そんな台風明けに伊勢まで受け取りに行って、発売したてのNIKON Fを手にしたのです。
 ニコンもまだ来ていなかったし、伊勢湾台風の被害を写した写真は手元に無いのですが、後日、下北山村浦向、母親の郷に行った時に撮った下北山村の小口橋の写真がありました。
 
 小口の橋はずっと吊り橋でした。
 バスもわたれる吊り橋だったのですが、最後の頃は、バスだけ渡して、お客は別に歩いてわたるというはど老朽化していたのです。
 そして、待望の鉄橋が架かって大喜びしたのが昭和32年10月です。
 二年経たない34年9月に伊勢湾台風で落下しました。
 遙か谷底に横たわる鉄橋の残骸が見えて居ました。
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 北山の人は随分がっかりしたでしょうね。
 長年の夢だった新しい橋が落ちちゃったのですからね。
 他所から来た人には車の渡れるおんぼろ吊り橋は興味を引いたでしょうけどね。
 初代が吊り橋、2代目は寿命二年、そして今のが3代目です。

 この手の写真見たことないのですが、確かに真新しい橋が落ちたのは私の記憶にもあります。
 もの凄く長い橋杭があったように思いますから、ダムの水もないし、激流や流木に耐えられなかったのでしょうね。
 伊勢湾台風のように被害が甚大になると、この様な橋が落下しても大した話題にもならなかったですね。
 台風の最中で誰も渡っていなかったようですが、橋も怖いですね。
 先年の12号台風では熊野市でも五郷で二本の橋が落下しましたからね。
 井戸川では沈下橋どころか鉄道の鉄橋も落ちましたね。

 169号線の橋、前鬼の橋などはダムの水があるから「高い」と思ってもさほどのことないですが、ダムの水がないと谷底は遙か彼方ですよ。
 水を溜める前に見に行って怖かったです。

  

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by je2luz | 2015-11-26 04:30 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2015年 11月 25日

熊野の旅 紀伊木本駅ー熊野市駅 交通事情

 木本が元気だったのは駅が「紀伊木本」だった頃でしょうかね。
 その頃は「日本国有鉄道」でした。
 汽車は「紀勢西線」・・・尾鷲からは「紀勢東線」・・・連絡バスは「国鉄紀南線」
 他に私鉄の「三重交通バス」・・・奈良県方面へは「奈良交通」・・・一部の新宮行きは「熊野交通」も・・・
 タクシーは「木本タクシー」と「双葉タクシー」
 木本ー新宮筦のバスは一番多い時には15分に一本走っていました。 
 国鉄関係の切符は木本駅で売っていましたし、三重交通などは駅前の今はしまっているコンビニの辺りにあった切符売り場で売っていましたね。
 走っていたバスは国鉄はボンネットバスで三重交通は割合と早く箱形になりました。
 でも、戦後すぐの頃は国鉄紀南線矢ノ川峠越えは日本で長野とここだけに導入したジーゼルバスで馬力があるのに、三重交通は「木炭車」がありました。
 小阪に駐在所の所の「ヘリ道」の坂が登れなくて、バックして惰性を付けて登ったり、客を降ろして押して貰ったりして居ました。
 その後で流行った、「田舎のバスは おんぼろ車・・・」なんて歌みたいだったものです。

 そんな時代のバスは匂いもひどいし、道もひどいからバスに酔う人も多かったのです。
 それでも、近在の人は「木本へ行く」のがもの凄く楽しみだったのです。
 子供達は木本まで映画を見に行く時は行く時は評議を越えて歩きましたね。
 蔵名天狗などが出てくると拍手が一杯わき起こった時代です。
 駅前の食堂でうどんやチキンライスを食べるなんてもの凄い贅沢だったのです。
 でも、そんな時代の木本は商売も盛んで儲かったらしいです。
 記念通りの入り口・・・今のセブンストアの所が国鉄バスの車庫でした。
 覚えている人もほとんど無くなったのでしょうね。

 尾鷲との境の分水嶺「矢ノ川峠・808m」には茶店がありました。
 国鉄バスは木本ー尾鷲42Kmを2時間40分も掛かったので、矢ノ川峠で10あまり休憩しました。
 あの峠は年に数回だけですが「富士山」が見えます。
 私はバスで肥える頃には見ませんでしたが、無線で登るようになって一回だけ見ました。
 今でも富士山を見るために遠くから来るマニアが居るようです。
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 今はこうした交通機関がどんどん廃止され、県と熊野市のような自治体が補助金を出してなんとか走らせてもらって居る状態です。
 乗り合いタクシーもまだまだカバー範囲は少ないです。
 その為か、熊野市はタクシーが多いです。
 人口からも列車の数からしても多いですね。

 写真は駅に出ている今のタクシー料金概算です。
 鬼ヶ城ー1100円 瀞流荘・北山筏乗り場 8300円
 311号、169号も良くなったのですから、行き先や料金も書き直した方が良いかも知れません。
 こうしたものも観光宣伝の一部ですからね。
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by je2luz | 2015-11-25 04:16 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2015年 11月 24日

熊野の旅 木本の浜(七里御浜)と漁師

 昭和30年代頃までは木本も船が一杯ある漁師町で、その拠点の親地町は人口もすごく多かったものです。
 私が撮った昭和33年とかの写真では脇の浜、鬼ヶ城東口の海には中型の漁船がひしめいています。
 そして、その船は木本の浜に引き上げられたのです。
 九十九里浜よりは脇の浜の小さな入り江でも波が穏やかですから毎日引き上げるまでもなかったようです。
 漁船が段々大きくなる頃には木本の船は激減し、漁師も激減しました。
 私の子供達が小学校の頃には木本の浜に揚げられる船は数隻になった居たように思います。
 家の前の浜には地引用の和船が置かれていましたが、その地引も引かれなくなってきて、イベント用の地引になって来ていました。
 浜と漁師の縁が段々薄くなってきたのですね。
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      昭和35年(1960) 鬼ヶ城の磯から木本方向 
      NIKON F NIKKOR 105mm f2.5
 あまり引かれなくなったとは言っても地引を引けば、良い時には大きな鯛も掛かりますし、鯖だとかハゲだとか色々揚がりましたね。
 本格的に引く時はイワシとかの群れを囲んで引くのでどかっと獲れたのですけどね。
 その為には。二隻の船と浜で網を巻き上げる人間と、大勢が必要なのです。
 魚が湧いたからと言えば鐘を鳴らしたりサイレン慣らしたりして、人を集めたのです。
 地引は本業の人以外半農半漁的な人が居ないとなり立ちません。
 昔は人力のろくろを回しましたから、発動機より大変だし時間も掛かりましたね。

 この下の地引などは漁師でも無いこの辺のおばさんも手伝いに出て網を引き、揚がったさかののお裾分けをもらって居ましたね。
 昭和30年代まででしょうね。
 木本の浜のそんな光景を知る最後の年代が私の歳になってきました。
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 今でも木本では親地町は漁師町と言うことになっています。
 でも、「漁民」なんてほとんど居ないんです。
 干物を加工する店は何軒もあります。
 写真を載せている浜の魚干し場も親地町の魚屋さんのものです。
 今は浜に構えるのは一軒だけかな?
 この干し場専用のようなゲートがあります。
 左が加工場ー右がゲートです。
 でも、加工場から浜までは国道を横切らなくてはなりません。
 もっとトンネルよりには国道の下を抜けるゲートもあるのですが、加工場がそちらから遠いですからね。
 そちらのゲートは船を引き込める大きさに作られています。
 昭和40年頃にこの国道42号線の改良が設計された頃には、まだ、台風の時には引き上げなければならない船があったということです。

 地引の裏話・・・
 日本放送協会が昼プレとか言う番組で木本の地引を放映した時・・・
 生放送で鳥羽一郎さんがゲストだったと思いますが、我が家の前のゲート下で鯛を料理したのですが・・・
 地引で掛からなかったら困るので二木島の養殖漁師さんの車が待機していました。
 万一のためですから決してやらせでは無いんですよ。
 地引に大きな鯛が入って居たかどうかも私は知りません。

   

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by je2luz | 2015-11-24 04:22 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2015年 11月 23日

熊野の旅 熊野・那智黒・囲碁・日向

 熊野市は全国で唯一つの那智黒石・・・碁の黒石の産地だと言われています。
 この黒い石は「黒色粘板岩」で非常に緻密な岩石です。
 黒色粘板岩自体は四国の方にも同様の鉱脈があるとか言われますが、熊野市の神川町で産出するような緻密で真っ黒なものは少ないようです。
 神川でも本当に良い石はある程度限られているようです。
 近年では那智黒の置物なども作られていますが、これらは那智黒のクズを粉末にし、プラスティックを混ぜて整形したものです。
 布袋様とか色んなのが出来るのは練り物だからです。
 本来の加工品は、「碁の黒石」「硯」「水石」などです。
 削って磨いて・・・
 そんなに加工しよいものでは無いようです。
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 全国唯一箇所の黒石の産地と言うことで、近年、「囲碁」を町おこしにしていますね。
 21日に文化交流センターへ行った時も囲碁大会が行われていました。
 女流棋士とかも来て、各クラスの対局や囲碁教室が行われていました。
 私の知り合いにも、碁をたしなむのが居ます。
 2人居るのですが、2人とも強いのだとか・・・
 私はせいぜい五目並べですからね。
 じっと座って考え込むなんてのは苦手です。

 なんだか、子供達で囲碁に凝っているのがそこそこ居るそうです。
 ひょっとして本物に育つ子が居るかも知れませんね。

 将棋は「へぼ」がつき、碁は「ざる」が付くようですね。
 家の方ではもの凄く下手なのを、「ザルじゃなく目カゴじゃ!」と言いますが・・・
 にしても。文化会館の会場全部使っても足りないとか・・・
 他所からも来るにしても、大勢なんですね。
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 碁石には黒石と白石があります。
 白が180、黒が181用意するのだそうですが、値段が全然違います。
 白石は貝を切って磨きます。
 貝は「碁石蛤」とやらの古くて半化石状のが最高級だとか言いますが、古くは色んな浜のものが使わていたのに江戸時代に日向の蛤が主流になったのだそうです。
 そして今では日向でも採れず輸入品だとか・・・
 なのに・・・
 黒石の那智黒も日向に送られ、日向で磨いた白石とセットになります。
 そして、どう言う訳か、白の方が遙かに高いんだそうです。
 黒石作りでは道も飯が食えないようです。
 これ、碁の世界では「常識」のようです。
 「全国唯一」でも、駄目みたい・・・
 門外漢からすると不思議なものですね。
 今の所「交渉の余地なし」なのかな?
 日向との交流も生まれてきたようですが・・・
 沢山売れるというものでも無いですけど・・・

 那智黒を有名にした物のもう一つのものは、「硯」です。
 これが那智の土産でよく売れたそうで、那智の土産物として「那智黒」と名前が付いたとか・・・
 しかし、今では硯は中国に押されっぱなし見たいです。
 あの一杯飾りを掘るなんて今の日本では無理ですね。

   

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by je2luz | 2015-11-23 04:18 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2015年 11月 22日

熊野の旅 今日は保ったけど・・・ 育生どぶろく祭りは?

 今日の天気予報は「昼頃雨」・・・
 でも何とかもちました。
 記念通りでは「いこらい市」、産田神社では「七五三」。山崎運動公園では「有名校が集まる野球」・・・
 他にも一杯あったのでしょうけど、どんよりしていても降らなきゃあ上等でしょう。

 明日は勤労感謝の日・・・
 恒例の育生町大森神社の例大祭・・・いわゆる「どぶろく祭り」です。
   10:00 神事
   12:00 どぶろくのふるまい 余興
   14:30 もちほり  だそうです。
 でも、雨が心配です。
 前の日に降ったり、その日がぐずついたり・・・結構雨の影響を受ける祭りです。
 「飲むなら乗るな! 乗るなら飲むな!」
 
 もう一つ分かっているのは、井戸の祭りですね。
 毎年完全にかぶっちゃうので育生の帰りにちょっとだけ写真を撮ります。
 下の大馬神社・遙拝所がメイン会場で、井戸中の各町内から出し物が集まります。
 井戸は広いですし、まだ子供も居ますから少し賑わいます。
 県道七色峡線では少し交通整理がありますが交通止めするようなことはありません。

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     今日の記念通りいこらい市 13:12
 何時ものことなのですが、11時頃をピークに人が減ります。
 10時から人が出てお昼までなら2時間ですよね。
 いささか短すぎませんか?
 店は食い物屋が主なので買い物に来る人は居るのですが、滞在させるだけの出し物や市内各地から集客するだけのものがないのですね。
 今日はソーランらしい一団が残って居ましたが催しは終わっていました。

 今日も例の「地方創生補助金」の二割引特別商品券が売られていました。
 買い物する人はそれを買って使ったようですね。
 各店に商品券が溜まっていました。
 目的通り熊野市民の消費を喚起したのでしょうか?
 特別レインボー商品券でも、「広く市民」には波及しなかったようなのですけどね。
 これなどは、この「いこらい市」だけ限定なんです。
 ちょっと意味不明の用途になっちゃって居ますね。
 使える店の線引きもどうなったのやら???
 売れ残ったものの精算もきちんとしなくてはならないし・・・
 事務サイドも大変でしょう。
 後日、正式の決算報告を要求します。

   

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by je2luz | 2015-11-22 14:33 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2015年 11月 22日

熊野の旅 馬は肥えても良いけど・・・

 暦の上ではすっかり冬で、あと2日すると「小雪」なんて日だそうです。
 でも、まだ季候は秋で空も秋空です。
 「天高く 馬肥ゆる頃」とか・・・
 動物は冬に備えて沢山食べて脂肪を溜めるのだとか・・・
 人間も動物ですから同じように・・・
 「食欲の秋」
 自然の摂理なんですね。

 この辺は昔から馬は居ません。
 のこうは古くより「牛」ですし、武士も居ないのですからそっちの馬も必要ないし・・・
 この時期から冬にかけ、この辺では「さいれ・サンマ」の季節なんです。
 一昨日かな? 遊木にサンマが揚がりました。
 そして、丸干し作りも本格的に始まりました。
 今からのはほとんど「新物」です。
 冷凍物よりやっぱり美味しい気がします。
d0045383_19383086.jpg

 これは新物の天然乾燥風景です。
 きっちり網で覆われて居ます。
 昔はトンビとカラスが突っついたのですが、今は鳥たちに自由に突っつかせる魚屋さんはありません。
 値段も値段ですし、鳥がたかるようだと衛生面でもクレームが付くでしょう。

 今年も高いです。
 無塩が一匹120円ですから、浜値も高いはずです。
 丸干しも130円ほどかな?
 写真でも少し大きいです。
 干物屋さんも買う人ももう少し細いのを欲しがります。
 秋深くなったら、馬は肥えても良いですが「さいれ」は痩せてくれないと困るのです。
 魚屋の親父さんにしてみれば、「嫁さんは太くても良いけどサイレは痩せて欲しい!」と思うでしょうね。
d0045383_20423719.jpg

 同じ魚でも、北海道や三陸沖だと、「丸々肥えた脂の乗った」のがもてるんですよね。
 熊野へ来れば、小さくて痩せ気味」がもてるんです。
 クチバシが黄色く肩が盛り上がったのなんか駄目です。
 これは丸干し文化の熊野では他の魚もそうみたいです。
 「いわし」「うるめ」アジ」「キス」「かます」・・・
 丸干し用は小振りですね。
 「女の子」も???

   

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by je2luz | 2015-11-22 04:30 | 熊野 | Trackback | Comments(0)