LUZの熊野古道案内

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2014年 12月 31日

熊野の旅 大晦日 呪文が効かなくなった?

 昔はフグを食う前に、「気象庁・気象庁・気象庁」と三回唱えれば良いと言われていました。
 とまり、「当たらない」と言う事でした。
 しかし、気象レーダーだドップラーレーダーだ衛星写真だなどと観測技術が発達したので、台風の正確な位置を除いて良く当たるようになりました。
 変化に応じて時間単位で修正までしちゃいますからね。
 そして、古い方の予報は消えちゃいますから、余計も良く当たります。

 今日はお昼頃までは「快晴・雲量0」なんて状況で、「本当に夜には降るんかいな?」という感じでした。
 しかし。2時過ぎには雪の降り残しのような雲が西北方向から流れてきました。
 まだ、水辺線までは届いていませんが、どうやら、夜には雨というのが当たりそうです。
 雲の割りに気温は高いですけどね。
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 先ほど「産田神社」を覗いてきました。
 氏子の人が掃き清めていました。
 初詣の準備万端です。
 天気が心配ですね。
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 この辺の神社は常駐の神主さんの居る所は少ないです。
 お寺でも無住の所が増えていますが、神社もその傾向はあるのでしょうね。
 神社とかキリスト教の教会とか・・・外から見ると維持をどうしているのかわかりませんね。
 「神社庁」なってのも私にはわかりません。
 宗教としてでは無く文化財として守らなくてはならない所が沢山ありますしね。
 たまに入れる100円玉では無理ですよね。
 写真撮りに行っているときは賽銭箱にも近づきませんし・・・

 賽銭箱の盗難も多いです。
 神主さんも居ないし、参拝者も少なくて目撃者も居ないし・・・
 神様が恵まれない人に授けるのは良いのですが・・・
 賽銭箱を壊されるので氏子はあとが大変なんです。
 貯金箱では葉書の切ったのとかでお金が抜けますが、賽銭箱は重いのでうまく行かないのか、運び出してぶっ壊したりします。
 罰が当たったという話しも聞きませんね。
 やっぱり神様は優しいのでしょう。

   

  

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by je2luz | 2014-12-31 15:40 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 31日

熊野の旅 大晦日~元旦 熊野市周辺

 先日来の天気予報、少しは変わったのですが、良い風には転びませんね。
 31日に低気圧が通過し、元旦朝には気圧の谷が・・・
 前からより31日が少し悪くなって雨もあるかも・・・
 そして、その後の気圧の谷に寒気が下りてくる?
 「雪」の予報が消えません。
 ちらつくことはありますが、予報で「雪」なんて・・・
 どうやら、新出町稲荷と木本神社の初詣を早めに済ませて、「寝正月」ですね。
 お年玉をあげなくてはならないことも無いし・・・
 出掛けても珈琲を飲む店も開いていないし・・・

 そもそも、町から正月気分をそいだ原因の一つに・・・ 
 「スーパーが休まない」と言うのもあります。
 私などは便利なのですが、平常通りスーパーが開いていれば、何も日持ちするお節など作らなくても・・・
 と、なっちゃいます。
 あれって、正月三が日とか買い物もしないで越さなくては成らないのもあって作られた面もあります。
 「お節が無いと正月気分になれない」と言う人も居ますが。「お節が食べたくてしようが無い」なんて人は少ないでしょう。
 それが証拠に「中華」だとか「ハム」だとかが人気になっちゃうんですよね。
 「数の子」「昆布巻き」「黒豆」「タツクリ」「かまぼこ」「にしめ」「寿司」・・・
 地方によっては「鰤」だとかもあるようですが、それぞれはまずくは無いけど、今時は「ご馳走」じゃないですよね。
 でも、お店が閉まっていて、暮れの間に正月の食事を確保するなら、こんなのが良かったでしょう。
 普通のメニューでも、昔のように帰省客?が多かったら、ついつい買い溜めします。
 何しろ足りなかったら大変ですからね。
 いまでは、「そんなの関係ねえ!」なんです。
 暇なんだからみんなで買い物に来れば良いのです。
 だから、暖かい美味しい物が良いし、余分に買わなくて良いので助かります。

 年末になってもこの辺のスーパーのケースには、「三斤繋がった食パン」「模様だらけのかまぼこ」「ものすごい量の牛肉パック」「どっさり入った豚肉」なんてのはほとんど並びません。
 20年ほど前は山積みしていましたが、売れ残る漁が半端でなくなってきたのでやめちゃいましたね。
 そんな雰囲気も「節季の気分」を盛り上げなくなりました。
 帰ってくる息子たちも減っちゃったのです。

 今年は年末に売り上げが上がらないそうです。
 二つの店で聞きましたが、同じ様な状態だそうです。
 やっぱり、「アベノミックス」なんて縁が無いようです。

 景気が悪いと、初詣のお賽銭にも影響があるんですよ。
 不景気が始まると、大阪住吉大社などは景気回復を祈って再選に大口が増えるのだそうですが。長引くと。神頼みすら出来なくて激減するのだとか・・・
 都会では少し持ち直すかも知れませんが、田舎では、年金切り下げの連続で・・・
 高齢化でお宮さんまで来られない人も増え続けるし・・・
 おまけに天気がもう一つで寒いなんて・・・
 御利益一杯の稲荷さんでも集客力は落ちる一方です。
 イルミネーションでもやれば増えるのでしょうかね?
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 除夜の鐘・年越し花火は今年もありますが、元旦の天気も込みで増えるか減るか・・・
 七里御浜からの初日の出が駄目だと、遠来の客は熊野三山へ・・・
 もっとも、朝まで居てもコンビニしか金が使えませんけどね。
 暴走族が来なくなったのは良いことですけどね。

   

  

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by je2luz | 2014-12-31 04:50 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 30日

熊野の旅 あと二日・・・ 役所って

 今日は「小晦日」こつごもり
 明日は「大晦日」おおつごもり・おおみそか
 西鶴などの時代は「おおつごもり」と呼んで居ますね。
 私の子供の頃、爺さんは「つごも」と呼んで居ました。
 方言って古い言葉を残していますからね。
 江戸時代の物語など見ると、田舎の人間には珍しくない言葉が出てきますよね。
 東京の連中の方がものを知らないってことです。

 役所はこの年末年始、曜日の巡り合わせの関係で長期休暇です。
 26日が仕事仕舞い・・・正月5日仕事始め、それまで休みですからね。
 婚姻届や死亡届は受け付けますが他は止まります。
 民間の人で気がつかないで困っている人も居るでしょうね。
 普段は用のない所ですが、一旦必要なときには他では間に合わせられませんからね。
 なのに・・・
 熊野市だけではなく他の市のHPでも、この長期有業のお知らせは見られません。
 すごく不親切です。

 もう一つ、役所の不親切・・・
 広報くまののお知らせはそこそこ丁寧なのですが・・・
 連絡先電話番号が「内線」だけなんです。
 市民だって全員が熊野市役所の代表番号を知っているわけではありません。
 むしろ知らない人がほとんどでしょう。
 0597-89-4111を打ち込んだからって行が狂う場合はほとんどありません。
 私だって、89か85か迷うことがあるのですからね。
 内部の人間には常識でも、世の中はそうでも無いのです。
 私はここの載せるときにはなるべく「0597-89-4111」を加えています。
 市外の人だって見たり問い合わせたりする可能性がありますからね。

 これを書いてすんなり変わるようなら柔軟で良いのですけどね。
 世帯数(人)が(世帯)に変わるのに窓口で申し込んでも、何年も掛かったのですから・・・
 お願いですから、内部で解決して下さい。
 市民からの声が届かないと言われるのも少し納得出来るんです。
 ちっちゃなことですが、そうしたことの積み重ねなんです。
 それが行政の体質を表します。
 私がうるさいのでは無く、ほんの少し代弁して居るだけですよ。
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by je2luz | 2014-12-30 04:40 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 29日

熊野の旅 行商・持ち売り

 大正から昭和へ掛けて、全国で行商が盛んになったようです。
 全行程歩きの時代では運べる荷物が少ないので遠くへ行くのも大変だったでしょう。
 鉄道がどんどん広がると、人間だけでは無く、荷物も沢山運べるようになりました。
 自分は持てるだけ持って汽車に乗り、持ちきれない分は鉄道で送って貰えるようになったからです。
 遠くに行く行商の人は「定宿」が決まっていました。
 それも、今のビジネスより安い宿が用意されていたのです。
 「木賃宿」などと呼ばれる物です。
 元々は自炊するときの薪代で泊まれるという意味だったようですが、行商の人達は低料金で食事も付いた宿屋を使っていたのですが、安い宿の代名詞として「木賃宿」という言葉だけが生き延びたようです。

 私の家の近く、井戸町に入ってすぐの所に、この辺の人が「木賃宿」と呼ぶ旅館がありました。
 割合と近年まで看板だけは揚がっていたのですが今はありません。
 建物は昔のままで残されていますし、住居としては使われているようです。
 私が高校とか大学当時には薬屋さんなどが泊っていたようです。
 ちなみに、全国的には薬屋さん=富山ですが、この辺では薬屋さん=大和なんです。
 とやまとやまと・・・ややこしいですが、奈良県大和も修験者も居たし薬草の産地なので行商の薬屋が昔から居たのです。
 富山が「越中富山の万金丹」 なら、 大和の方は「陀羅尼助」ですね。

 遠くから定期的のやってくるのは薬屋さんでしたが、山間部や海岸線のように商業が成り立たない所が一杯あったので、木本などその地方の中心の町からは、近在向けの行商人が生まれました。
 この辺では「持ち売り」と呼ぶことが多かったです。
 昨日の「魚屋さん」もそうですね。
 他には昭和になる頃までは「反物」だったようですが、私が子供の頃には洋服になって居たので、「服の持ち売り」も盛んでした。
 洋装の「アッパッパ」などと言われるワンピース、ズロースにシミーズ・・・
 仕事着の「モンペ」「野良着」「手甲」・・・
 ちょいとしゃれた「麦わら帽」「スカーフ」・・・
 戦後の一寸強くなりかけたご婦人方が待ちわびていたようです。
 農協の購買より少し気の効いたやつを持って歩かないといけなかったとか・・・

 この「持ち売り」から店を構え大きくなった人も居ます。
 「スーパー・オークワ」の創始者さんもここから身を起こしたようです。
 「主婦の店」という風車のマークのスーパーチェーンが出来ると、木本に店を構えました。
 「主婦の店・大桑」です。
 それが発展したのが「スーパー・オークワ」なんですよね。
 今でも、うんと年寄りは、オークワのことを「主婦の店」と呼んだりしています。

 他には記念通りの洋服屋さん「こまや」さんもここからですね。
 紀和の鉱山などもよく売れたそうです。
 当時としては数少ない現金を稼ぐ人が大勢居たのですからね。
 魚の持ち売りから大きくなった人も居ますね。

 アメリカンドリームじゃないですが、立身出世が若者の夢だった時代・・・夢をつかんだ人も居たわけです。
 一山当てる・・・のではなく、こつこつと積み上げていった人達ですね。
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 昭和の中頃まで・・・
 集団就職で東京や名古屋・大阪に中学出の子供達が出ていった時代・・・
 就職先はそんなに良い会社などでは無く「蕎麦屋」「クリーニング屋」「町工場」などの中小企業どころか零細企業がほとんどだったのに、頑張って、自分の店や工場を作った人も多いです。
 今の客のように看板だけの「有名チェーン」を追いかける人が少なかったので、店を持てたのでしょう。
 ここでもやっぱり「情」の問題があるようです。

  

  

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by je2luz | 2014-12-29 04:17 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 28日

熊野の旅 年末なのに・・・年度末なのに・・・

 木本ではそこそこ大きな工事が二つやって居ます。
 いや、予算が付いています。

 一つは国道沿いの「木本堤防修景工事」
 もう一つは「電線地中化共同溝工事」です。

 「木本堤防修景工事」はいつも取り上げて居る四半世紀にわたる木本を守る堤防の工事の最終章です。
 これは三重県の発注です。
 来年度の予算で一応の完結を見る物で、今年は堤防からの落下防止壁の設置と浜への階段の残されていた二本がやられます。
 この暮れが押し詰まってから、国道側の防護ネットを作り、コンクリート壁の型枠を入れています。
 大晦日まで10日ほどの時にやり始めたのにはびっくりしましたが、なんと、今日も型枠を嵌めていました。
 型枠で年を越すのかコンクリートを流して年を越すのか・・・
 納期は3月末で方から時間はあるようにも思えますが、実に熱心ですね。
 他の現場の都合があるのかな?
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 駅前の「電線地中化共同溝工事」は市の発注です。
 私が一般質問でも取り上げなくてはならない程、無駄も多く、なおかつ、一年ずつ予算が繰り越されてきたおかしげな工事です。
 私の質問は「毎年繰り越してきた工事費は2015年3月末までに予算を消化しなくては成らないはずだけど、大丈夫なのか?」と言うもので、当局は「承知しております。大丈夫です、」と答えています。
 普通の常識では、一年繰り越した物は繰り越したその年度で使えなかったら、補助金は返還することになるはずなのです。
 しかし、年末になっても工事には掛からず、ただ、今日から始まるという看板が出ただけです。
 この工事、トラブル続出って感じなのです。
 この先は固い岩盤の掘削もあるし、地元商店との話し合いも出来たのかどうか不明という物なのです。
 駅前広場でもJRとの話し合いがきちんと出来なかったので大幅に遅れた経緯があります。
 今の熊野市の体質は「外部との話し合い」なんてのは無視して居る感じなのです。
 関連の予算では市議会の委員会で付帯決議が付くほど信用されていないのです。
 「お上意識」そのものが工事を円滑に出来ない原因みたいな気もします。
 なんだか他の工事では、きな臭い話も漏れてきますし・・・
 それも根っこは同じですね。

 でも、残り三ヶ月・・・
 本当に工事終われるのでしょうか?
 本会議での発言ですしね。
 知らなかったでは済まないでしょう。
 私が表に出したからか、民間人でも知っている人が居ます。
 国や県にどう言うのかしら???
 地元とひともめしたらアウトかも・・・
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 写真見て気がつきました。
 工事開始平成25年12月27日  期限が平成27年2月27日 ですね。
 完全継続工事だったっけ?
 役所休みですよね?
確認出来ませんね。
 
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 ここから先・・・万町・記念通りの入り口までは随分長いです。
 旧百五の前・・・砂利が崩れて家に影響することは無いですが、騒音とホコリ・・・
 大丈夫でしょうか?
 あの地面は土とか砂利では無く「地球そのもの」なんです。
 心配しているのは私だけでは無いようですよ。

  

  

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by je2luz | 2014-12-28 04:59 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 27日

熊野の旅 魚いらんかえ~ カンピンタン

 これも私が子供の頃・・・
 まだ、冷蔵庫が「氷冷蔵庫」の頃の話です。
 アメリカではGEの丸っこい冷蔵庫が普及していたのですが、日本では町中のお金持ちは「氷冷蔵庫」・・・
 田舎では氷が手に入りませんから「井戸」が冷蔵庫代わりでした。
 まだ、「肉」なんて物はおいそれとは口に入らない時代ですから、蛋白質は豆腐と魚でした。
 冷蔵出来ないので、干物でももの凄く塩をきかせていました。
 だから、かびたり腐ったりしないで「カンピンタン」になったのです。
 「カンピンタン」が判らない???
 私だって語源は知りませんが、目茶目茶乾いた状態です。
 夏の舗装道路に出て来てカチカチになったミミズ・・・あれがカンピンタンです。
 タツクリの鰯・・・これもカンピンタンです。
 サイレや鰺の干物があの状態まで乾いちゃうのです。
 焼いて熱いうちは割ることもかじることも出来ますが、冷めたら歯が立たない・・・だから、お茶に浸けてふやかす・・・
 それでも「もったいない」から人間は食べました。
 猫は「もったいない」なんて考えませんからまたいで通り過ぎます。
 だから。「カンピンタンの干物」を「猫またぎ」などと呼びました。

 そんな時代・・・
 山間部でも毎日魚売りが来ました。
 頭の上に浅い桶を載せて・・・
 「魚いらんかえ~」と一軒一軒売り歩いたのです。
 江戸の町では天秤棒で桶をぶら下げて「一心太助」などが売り歩いたとか・・・
 飛鳥も江戸の如く結構新鮮な魚が手に入ったのです。
 小阪辺りの魚売りの出発地は木本ー評議峠越え 泊ー佐田坂 新鹿ー八丁坂
 大又小又方面だと賀田ー鳥越峠 なんて人も居たようです。
 頭にドーナツ状の藁で作って布を巻いた座布団をのせて桶を載せました。
 これを「いただき」と呼んで居ましたが、魚だけで無く材木でも何でも女の人は頭に乗せました。
 男は肩を使いましたが、小さな肩では担ぎにくいし、力も入りにくかったのでしょうね。
 慣れている人は手を放したままで歩いていましたね。
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 こうして運んでくる魚、サイレや鰺に始まってシビまでその日に上がった新鮮なのが来ました。
 そんなのを買って、思いっきり塩をして・・・
 冬は山間部は寒いのできれいな干物が出来ました。
 始末して食べるので、最後は「カンピンタン」でした。

 関西では
 「ぼうさんが へをこいた」
 などと下品な数え方をするようですが、南朝の公家さんが住み着いたこの辺では・・・
 「いわしの かんぴんたん」と数えました。

  

  

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by je2luz | 2014-12-27 04:48 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 26日

熊野の旅 元旦の天気は?

 大晦日から元旦に掛けても天気は、大晦日=「曇り」、元旦=「曇り時々雪」だそうです。
 熊野市に「雪」の予報なんて見たことないですね。
 ただ・・・
 雪は雨と違いここまで南下しなかったら晴れますからね。
 ほんの少しだけ期待出来るのかも・・・
 でも、こんな予報だと遠来の初詣と熊野灘からの初日の出を見に来る人はがた減りでしょうね。
 コンビニの売り上げだけが下がります。

 今年の大晦日も新出町稲荷の初詣の参拝者の接待をすることになりました。
 町内会はお供え物を用意して木本神社の宮司さんに来て貰いご祈祷を受ける所までやります。
 その先は「若くない若い衆」がやります。
 熊野って、江戸幕府か!
 「若年寄」と「老中」で切り盛りしています。
 そろそろ、大政奉還じゃ無いですが稲荷さんを何とかしないと・・・
 鳥居が腐ってきたので一旦はペンキで誤魔化してもそうは保たないでしょう。
 30軒ほどの町内で100万円の鳥居は・・・

 社務所に掲げられている奉加札を見ると、昔は木本には随分商売人が居て、商売の神様の稲荷さんには寄進してくれたようです。
 どうやら、こうした神社なども格差がどんどん広がっているようです。
 市内でも、観光サイドから宣伝する「花の窟神社」は参拝者も増えたし、初詣でまで宣伝するので、一極集中になりつつあるようです。
 あの神社・・・御利益あるって聞かないのですがねえ・・・

 まあ、それでも大した人数じゃ無いですね。
 この辺の人でも熊野三山の方に行きたがるのですからね。
 かく言う私も、東京時代に意味も無く「明治神宮」へ初詣に行きました。
 あそここそ御利益なさそうな感じなんですが・・・
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by je2luz | 2014-12-26 17:36 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 26日

熊野の旅 冬の旅人 おこじきさん

 昔・・・
 私が高校の頃まででしょうかね・・・
 毎年冬になると熊野を訪れる旅人が居ました。

 「お乞食さん」です。
 夏でも回ってくる人も居ましたが、この辺は暖かいので越冬にやってくる人が何人か居たのです。
 都会と違い同じ所で年中ものもらいは出来ませんから、この辺は冬だったのでしょう。
 
 昭和36年に私が東京に出た頃には、まだ、山手線の中や駅前に「傷痍軍人」が白い着物で募金していましたし、数は減っていても新宿の地下通路のは「浮浪者」も居たのです。
 「浮浪児」はその頃には子供じゃ無くなっていました。
 東京では東京オリンピックを機に「浮浪者狩り」が行われて、収容された人や東京を逃げ出した人が居たのです。
 大阪では万博の時にやりましたね。
 そうして消えた「浮浪者」がバブル崩壊の頃には「路上生活者」「ホームレス」などと呼び方を変えてどっさり増えたのです。

 田舎を回る「お乞食さん」「乞食」も段々数が減りましたね。
 世の中が変わってきて「お乞食さん」などと呼んで、施しをし、体まで気遣う人がどんどん居なくなって、「不審者」として扱うようになってしまったので、門付けで物乞いが出来なくなってきたのです。
 今は門に立っても物をくれないで110番を掛けられるでしょう。
 たまに、国道筋で見掛けますが、門付けしている姿は見ません。

 「お乞食さん」も毎年やってくるので、人とも顔馴染みですが、寝る所も決まっていました。
 山の南斜面の洞穴や岩のくぼみみたいな所で泊っていましたね。
 「乞食の穴」と私達は呼んでいました。
 火を焚く場所を作ってありましたが、今のようにブルーシートなんて簡単で軽い物が無かったので、むしろなどで一寸だけ囲っただけの物ですし。長居をしませんから大した物では無かったです。
 この辺では獅子岩の所でも野宿する「お乞食さん」が居ました。
 獅子岩の足元に居ましたが、取り立てて排除されずに居られたのですから、世の中がやさしかったのでしょうね。
 歩いて回るものもらいですから行動半径は広くなく、多分、この辺のあちこちにねぐらがあったのでしょう。
 「乞食の穴」の場所は業界情報として仲間内には知られていたようです。 
 
 毎年来ていたお年寄りのお乞食さんが来なくなったとき・・・
 お袋や近所の人が、
 「今年はこんのう・・・」
 「死んだんかいのう・・・」 と、心配していました。
 冬を知らせる渡り鳥みたいだったのです。

 いくら南国でも野宿するには熊野だって寒いです。
 人の心だけが少し暖かかったのかな?
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 昭和30年代の木本脇の浜
 荷揚げ場所など無かったのですが、こんなに沢山の漁船が居たのです。
 親地町の子供達は堤防の上で、1尺あまりの丸太を紐に付けた竿でカツオ釣りの練習をして居た時代です。
 日本中が元気で、日本人が優しかった時代です。
 一杯乞食が居ても今よりみんな幸せだったのかも知れません。

  

  

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by je2luz | 2014-12-26 04:41 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 25日

熊野の旅 獅子岩・鬼ヶ城 天然記念物の風化 2

 獅子岩と鬼ヶ城が波の浸食や風による風化で形作られたことは何時も書いていますが、もう、今は波が浸食することはありません。
 先でこの辺が又沈下したら解りませんけどね。
 風による風化は一日も休まず進んでいます。
 普通の風より潮気のある方が進みが早いかも知れませんね。

 前回議員をして居る頃に、この風化の進行を止めないと、獅子岩が狛犬では無くなるのも時間の問題だと思い、当時の観光課にも頼んで、何とか出来ないか調べました。
 技術的には可能だと思われるので、奈良の史跡保護を担当する人に問い合わせると、世界中の石造りの建造物の保存などでやられている方法を動員すれば進行を遅らせることは可能だろうという返事は貰えました。
 屋内での保管…これはとても出来ない相談ですが、樹脂などによる方法は可能かも知れません。
 と言う事でしたが…
 「天然記念物」と言う事なので、そちらの方を打診したのですが・・・
 予想通り・・・???
 『鬼ヶ城も獅子岩も天然記念物です。地質学的な価値を認めた物であって、景観を保全するための物ではありません。風化して行くのも自然です。災害や人的な破戒から守るのは認められても、景観保護のための工作は認められません。』
 『天然記念物に指定したのは地元からの要請を受けて調査した結果ですから、趣旨通りにやって下さ。』
 至極ごもっともです。
 顎が欠けても浸食や風化の作用が目に見えるだけですし、鬼ヶ城とセットで隆起した地殻変動の証に変わりが無いわけです。
 「名勝」「奇岩」「景観」だけ言うなら、「天然記念物」なんて指定を受けなくて良いのです。
 昔々、国立公園の中でも目立つ売り物用に「天然記念物」の看板を貰って利用したのですからね。
 いまではほとんど役には立っていませんが、簡単には「お役ご免」とは行かないでしょう。
 やれないかと思ったのですが入り口で壁に当たったのでした。

 市が総力を挙げれば解除も出来るでしょうけど、そっちをけって、「顎を保護する金を出せ」は無茶ですね。
 自力でやる価値を認めるかどうか・・・
 手遅れの感もありますし・・・
 20年ほどしか経っていませんから地球の歴史から見れば一瞬ですけどね。

 「国立公園」でさえ邪魔なときがあるのです。
 産業面では「魚付き林」なんてのも邪魔になることもあります。
 「農振地区」とか色んな指定があり、それぞれ、有利な補助制度を利用してきていますが、時代が変わって変更など必要でも手が出せない事も多いです。
 でも、野放しにすると、色んな乱開発の餌食になるし・・・
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 昭和39年頃の顎のある写真が行方不明です。
 見つかったらアップします。
 前にアップしたのですけどねえ・・・

  

  

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by je2luz | 2014-12-25 04:59 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2014年 12月 24日

熊野の旅 獅子岩・鬼ヶ城 天然記念物の風化 1

 鬼ヶ城と獅子岩は吉野熊野国立公園が出来たときにその中に含まれました。
 そして、鬼ヶ城も獅子岩も同じ時期の地殻変動で海底から浮上してきたものだと言うことで「天然記念物」に指定されました、
 その扱いでは「獅子岩」は「鬼ヶ城」の付帯物の扱いだったと思います。
 この二つは鬼ヶ城の浸食跡と獅子岩のが同じ高さというのが指定理由で、「格好良い」とか「狛犬みたい」なんてのは含まれていません。
 国立公園指定の方では「名勝」「奇岩」は理由にはなったでしょうけど、「天然記念物」としては関係ない話です。
 地元が申請したときは、建前が今行った理由ですが、本当は「形」の面で指定して欲しかったのだと思います。
 「天然記念物」とか「文化財」なんてのは、観光看板としては少し役立つのですが、実際は邪魔なことも多いのです。
 住居が「文化財」に指定されると改装もままならず、可入れも付かないってことが多いのも良く報じられますね。
 鬼ヶ城と獅子岩も結構邪魔なのですよ。

 獅子岩の顔は波と風の浸食で形が出来ました。
 鬼ヶ城も同じです。
 獅子岩の顔、顎の部分は私が知っているだけで二回欠けて落ちました。
 鬼ヶ城ではつい先年、千畳敷の天井から一トンもあるような岩が落下しました。
 これらは人の居ないときに落ちたので事故にならず、問題にもなっていません。
 そんなに簡単に落ちる物では無いにしても、私が二回も知っているなんて怖い話ですよ。
d0045383_19301261.jpg

 鬼ヶ城も獅子岩も御影石が風化したような「石英粗面岩」という、砂岩のような感じの岩で出来ています。
 風化していない分はもの凄く硬いのですが、表面に見えている少し黄色っぽい部分は、手で撫でるだけでもパラパラ落ちるくらいです。
 要害山の急傾斜工事などで状態が推測出来るのですが、表面から30~50cm程は風化しています。
 そこには粘りが無いのですから、限度を越えると出っ張り部分がいきなり落下します。
 山崩れなどと違い何も無いときにでも外れて落ちます。
 要害山では私が中学くらいの時、出っ張りがいきなり落ちて家を押しつぶしました。
 幸い、家に人が居ないときなので人身事故にはならなかったのです。
 欠けた跡は今もありますが、ヒビがある所から掛けたわけではありません。
 怖いものです。

 「天然記念物指定が邪魔になる」と言う事の意味を次に書きます。
 これは市議会議員の私と熊野市観光課とで昔調べた結果でもあります。
 規制緩和が多いとは言え、この方面は変わっていないはずです。
                             ー続くー

  

  

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by je2luz | 2014-12-24 04:36 | 熊野 | Trackback | Comments(0)