LUZの熊野古道案内

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2014年 11月 30日

熊野の旅 木本堤防 今 これから

 海岸堤防とか川だとかの工事は秋の台風シーズンが終わってからの着工になることが多いです。
 いくら「台風銀座」が寂れたとは言え、ここはかつての「台風銀座5丁目」くらいでしたから、役所の予算が使えるようになる7月ごろからの着工だと、工事半ばで高波や洪水で基礎掘りが埋まったり。型枠が流されたりする可能性が強いです。
 だから、10月ごろの入札着工になります。
 地元からは「まだかいな」「今年はやらんのかい?」という声が出る頃に動き出すのです。
 木本堤防もようやく今年度の工事が姿を現しました。
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 今やって居るのは、昨年度で作った浜に降りる?浜から上がる?階段の新設です。
 木本堤防には親地町の漁船の出し入れ用に作ったゲートを除いて、6か所の開口部があります。
 三陸の地震以来、全国のこうした樋門は「常時閉鎖」が普通になって居ます。
 木本堤防は閉めてしまうと浜に降りることが出来ず、出てしまった人は帰れません。
 全国でも最高の高さを競うような堤防なのに外向きの階段が無かったから常時開放だったのです。
 台風の高波は来るまでに時間があるので、開けてあっても消防団が締めて回って間に合うから、不用心ながら開けてあったのです。
 しかし、国の予想でも千年に一回とは言え、堤防に開口部があったら津波対策では駄目なのです。
 今は、観音開きの扉の片方を閉めてあります。
 津波襲来まで4分とか10分と言われますが、半分閉めてあれば間に合うこともあるからです。

 去年は6か所のうち4か所の階段が出来ました。
 そして、今、残りの二か所が完成します。
 内側の三段ほどの階段の無い所もありますが、今年度中にはそれも出来上がるし、内側の壁もほとんど出来ます。
 そして、今の時代なので国道側からは階段だけでは無く、車いすでも登れるスロープも設置されます。
 今年度予算では全部完成とは行きませんが、少しだけ残しほぼ完成です。
 これで、ゲートの閉鎖が出来ます。

 閉めてくれれば、大地震の後で、私が樋門閉鎖に走らなくて済みます、
 このPCの前が堤防まで一番近いのです。
 約20m・・・片側閉めてある現状では閉鎖まで3分ほどでしょう。
 揺れが2分で、正気に返って飛び出すまでに1分・・・
 最短4分の津波だと間に合いません。
 第一波が少し小さければ何とか・・・
 閉め損なったら間違いなく死にますね。
 でも、私が行かないとこの辺で閉めることの出来る人間が居なくなっちゃっています。
 津波の避難もままならない高齢者が多いのです。
 でも、「もう死んでも良い歳でしょう?」とは言えませんよね。

 堤防に関わって四半世紀以上・・・
 死ぬまで縁は切れそうに無いです。
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by je2luz | 2014-11-30 04:48 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2014年 11月 29日

熊野の旅 木本堤防 色んな事

 木本の堤防は随分古くから構築されたようです。
 元は木本海岸にも松原があったのです。
 私が子供の頃から高校時代位まではその名残がありました。
 先日載せた堤防工事の写真にも松の木が写っています。
 木本隧道の辺りから木本を撮った写真にも海岸には松の木があります。
 昭和30年代後半までは何本か残されていたようです。
 戦前に撮られたこの裏辺りの写真にも当然松は写っていました。
 同じように、井戸町の松原にも松原があったのでしょうね。

 私が記憶している木本堤防はこちら側は石垣でした。
 向こう側も基礎部分は石垣でした。
 継ぎ接ぎして高さを稼ぐ時に、こちら側の石組みはセメントでまかれ見えなくなりました。
 新しい堤防は、前と後にコンクリートの壁を作り、その間を砂利や土で埋め、天場をコンクリートで蓋をして「一町上がり」が多いのです。
 普通に並が当たる程度では強度はあるようですが、年月が経つとアンコにした砂利などがさがったり、一寸した隙間から徐々に流れ出てしまったりして、空洞化してきます。
 何しろ圧搾などしないままで蓋しちゃいますからね。
 こうした工事現場は木本の堤防工事や有馬海岸の堤防工事現場でずっと見て居ました。
 そんなに真面目な工事でも無かったですよ。
 天場など厚みが足りないのがごろごろしているはずです。

 こうした工法で作られた堤防が多いので、木本堤防の延長の西郷川導流堤の崩落も中野砂利が減って居たのが原因でしたし、先頃の台風12号などの志原川、市木川、尾呂志川などの河口で堤防が崩落したのも同じ原因です。
 一か所割れたり隙間が出来たらアンコが流れ出て簡単に壁面も崩落します。
 実にもろい堤防が日本中に並んで居ます。

 木本の新堤防の後側の構築では、木本町時代から築き上げた石組み堤防が姿を現しました。
 計画書ではこんな頑丈な石組みは無いと思われていたので、そっくり古い堤防を取り払い、後の壁を作ったら、従前通り土を詰める「ソイルフル工法」にするはずでした。
 コンクリートを取り払って出て来たのが写真のような頑丈な石組みでしたから、これをそのまま残して芯にしてコンクリートで巻き建てました。
 重量も遙かに大きいし、「横の国道の振動で下がったり、空洞になる心配は全くありません。
 計画変更の相談を受けた時も、近年の工法の弱さを知っているだけに二つ返事でOKを出しました。
 住民は「安全」を最優先しますからね。
 空き家が増えて、災害でも死者が出るなんて無くなってきては居ますけど、どうせやるなら・・・
 日本のこうした堤防の中では、最強レベルに仕上がったと思います。
 これを知るのも、県土木と工事業者以外ではほんの数名でしょう。
 道路から見えていたのですが、そんなのって誰も見ないし記憶に残らないのです。

 今は浜へのアクセス用階段の最後の二基が作られています。
 これから、落下防止兼簡易波止めの壁が作られ、国道側に作られるスロープの一基が出来るでしょう。
 もう一基のスロープと壁の仕上げなどは来年度です。

 余談みたいですが・・・
 この堤防の壁が色気無いから「木片を埋めて定期的に交換すれば木の国熊野らしくて良いでしょう」なんて学生さんグループがよそから来てアイデアを出してくれたようです。
 そんな遊び感覚で済まないのが、防災の現実なのです。
 下手するとそうした提言に役所が乗りかねません。
 これだって、十万二十万の話では無いですからね。
 現実を見ない人からは味気ないかも知れませんが、堤防を見ながら走る観光客がどれだけ居ます?
 ちょこっと飾った堤防があるからって観光客が増えますか?

 堤防は生命財産を守ることが第一義なんです。
 これは現実に堤防を預かり管理する県土木もそう思っているのですが、違う部署から横やりが入ったりします。
 熊野市役所から変なアイディアが出て、実際困っています。
 私達は単なる住民・・・
 前市長・前々市長さんはこの堤防に関しては住民代表の私に任せてくれたのですけどねえ。
 そして、この堤防に命が掛かっているのは、堤防沿いに済んでいる人だけでは無く、本町山側も記念通りの方も、木本の人全員なのです。
 気軽な遊びはやめて欲しいですね。
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 マミヤ RB 67 TRI-X400 D76二倍希釈 2011年工事

     

  

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by je2luz | 2014-11-29 04:27 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2014年 11月 28日

熊野古道トレイルランニング2014 追加

 前の記事の追加です。
 この事業、今年は、「世界遺産登録10週面記念事業」には入っていませんが、力点項目です。
 ロングトレイル整備事業 1.353.000円
 トレイルランニングレース開催事業 800.000円
 合わせて 2.153.000円です。
 整備事業は今年から行う、50Kmコースの整備を行うものですが、これだけの予算で何所までやれるのかな?と思います。
 看板を作って設置したら消えちゃう???
 新規ですからねえ・・・

 運営の方は、前に記事に書いたように、参加費を取っていますから、基本的には自主運営出来るようなのはずなのですシステムでしょう。
 参加ランナーが500人とかになれば、スタッフなどを加えれば、600人を越えるのでしょう。
 せっかくの入り込みですが、紀和町でこなせるのかな?
 せっかくの企画でも市民に知られていないのも・・・
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by je2luz | 2014-11-28 13:10 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2014年 11月 28日

熊野の旅 熊野古道トレイルランニング2014 無事に終わって欲しい

 表題の「熊野古道トレイルランニング2014」というのが、今月末、11月30日日曜日に紀和町の山の中で行われます。
 近年少しブームになってきている、山道を駆ける競技です。
 ショートコースで9Km  4000円
 ミドルコースで30Km  7000円
 ロングだと50Km  10000円 の長く過酷なものです。
 この50Kmコースなどは、今年初めて開発されたものだと思います。
 ここは丘陵地帯では無く、山伏さんが修行した紀伊山地です。
 道路以外の部分もあると思われるので大変だと思います。
 尾根がなだらかに繋がる所ではありません。
 どこまで整備できたのか解りませんが、地元の山に詳しい人の中では心配する人も居ます。
 マニアで上級者ばかりなら良いのですけどね。
 レースが長いのでゴール制限が9時間(9時間半)となっています。
 陽の短い時期なので午前7時スタート、ゴール制限16時となっています。
 やたらと遅れて日が暮れたりしないように、駅伝同様、途中のゲートで時間をオーバーした選手はそこで打ち切りになります。
 もうエントリー受付は終わっているようです。
 500人とかの大人数だとか・・・
 マラソンのように全コースに監視が行き届くという訳には行きません。
 主催者もリーダー的なベテランさんも大変かと思います。
 スタート自体がこの時期だと日の出のすぐ後です。
 
 ロングコースは今年初めてとか・・・
 無事に終了して欲しいものです。

 山岳競技では「ツール・ド・ジャパン」の自転車レースの山岳ステージもこの辺で行われています。
 坂道は結構きついし、良いことに、交通規制しても余り迷惑駆けない「田舎道」なので、長い山岳コースも設定しよいでしょう。
 喜んで良いのやら、悪いのやら・・・
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by je2luz | 2014-11-28 04:24 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
2014年 11月 27日

熊野の旅 今度は金山の祭り

 金山町・金山神社のお祭りは、12月15日だそうです。
 すごく遅いお祭りですね。
 理由はあとで出て来ます。
 暮れが近づいて、忙しない時期になるのは少ないでしょう。
 ここも、今では七五三の祈祷を兼ねているようです。

 近年は金山の高台は、一万年に一回の津波でも大丈夫そうなので熊野市では珍しく分譲地も売れるし家も建っています。
 小学校も新しいし、保育所も新しいし、今年からは有馬保育所も統合されて子供が多いです。
 ???
 紀伊半島、この辺が隆起したのはどのくらい前なのでしょう?
 太古は金山も海の底だった筈なんですけどね。
 それでも木本や有馬なんてほんの少し前に海の底から上がってきたんですから、金山の方が遙かに安全でしょう。
 九州の沖では近代に入ってから島が沈んだし、もう少し前にはギリシャでも沈んでいるし、アトランティス大陸も沈んでいるのですから、一万年だなんだは目安にもならんでしょう。

 金山の祭りは日にち主義らしく、15日は月曜日です。
 議会の会期中なので議会の進行具合で休会になるか微妙です。
 なんだか、神社の周りをみんなで「なった・拠った」縄で囲むのだとか・・・
 注連縄・結界なのでしょうか?
 金山は色々と独特の文化伝承のある所らしいです。
 「相撲取り踊り」なんてのは復活したとかで見に行きました。
 この12月の祭りは一度も覗いたこと無いので行きたいのですが・・・
 神事は一応10時ごろからだそうです。
 縄を掛けるのはその前とか・・・
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 岡本実先生の「金山の史話」という本では・・・
 お綱掛け
 毎年12月の1人15日の二回、地下(じげ)の当屋に当たる者たちが、金山神社の森に来て、社殿の周囲をぐるぐると、しめ縄をめぐらせます。これをしめかけの日と云いました。
 しめ縄の長さは七十五ひろ、社前の向かって右にある、イチイカシの巨木に縄を結わえ付け、そこからぐるぐる社殿をとりまき。社前の向かって左にあるイスノキに戻りつき。結わえます。
 昔は一回だけだったようですが、金山に昔、12月20日の大火事があり、以来、火伏の神をお招きして、15日にもお祓いをして。お綱かけを行うようになりました。
 この神事で、お浄めが済むと、氏子たち一同の心からも火魔は駆逐され、真冬に備えて、心の準備がととのいました。   (1973.8.31・前川佐七)

 しめかけの日
 毎年12月15日が「しめかけの日」、この日、金山神社では、社殿をぐるぐる取り囲むようにして、皆でなうた75尋のしめ縄を、境内のイチイガシの古木から、右(西)に向かって、樹から樹へ、神殿を取り囲むようにして、二重に張りめぐらせ、火伏の神に手をたたき、社域の火災安全と、併せて村の火災安全を祈願しました。
 この時、新年を目前にして、各戸からは、古いお札や命名札などをもってきて。社叢の中の木々の根方に供え、あとで、それを社前にあつめ、神社の火で焼却しました。
 今日では神社総代の者が、箱を用意して、その中に古いお札などをあつめ、町内二か所の宿で焼いています。   (1987.7.27・久保吉道郎)
 岡本先生が伝承を聞き取り集めたものなので、この様にダブリもあるし、若干記述の違いも出ます。
 それに、新しい方でも、もう、30年ほど経っていますから、今と少しずれていてもおかしくないでしょう。

 この様に郷土史家が本に纏めたものは伝えられますが、口による伝承は急速に消えて行きつつあるようです。
 大した意味も無いことが多いですが、それなりに、その集落の歴史を物語っているのですけどね。

     

  

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by je2luz | 2014-11-27 04:59 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2014年 11月 26日

熊野の旅 井戸の祭り 二つの大馬神社 

 先日の11月23日に、井戸の祭りがありました。
 この祭りは、普通の村祭り的な物です。
 今ではすっかり町になってしまった井戸です。
 かつては、馬留・松原は家が固まっていましたが、駅裏・・・今の赤坂はかなり低い田んぼでした。
 この田んぼ、少し大水になるとどっぷり浸かってしまいました。
 井戸川の遊水池ですね。
 だから、私が無線を始めた頃には旅行の途中でその水に浸かった田んぼを見た人が何人も居て・・・
 「ああ、熊野市駅・・・紀伊木本駅ですね。  駅裏に湖のある・・・」なんて言われたことが何度もありました。

 この辺は「松田地」の山沿いの曲がった道沿い、山に張り付いて家があっただけです。
 そして、対岸の「井土」も田んぼでした。
 だから、集落としては今では小さく見える、松田地・岡地・紺屋地などが主な物だったのです。
 戦後、赤坂の埋め立てから始まって、松の木の中学校や宅地の開発の残土で田んぼが埋められ、今の形になったのです。
 そして、家も人口も増えました。
 その代わり、遊水池が無くなり洪水に弱くなったのですが、伊勢湾台風の後で「ボックスカルバート」が作られ、良くなりました。
 しかし、三年前の12号台風の集中豪雨では赤坂・井土がどっぷり水に浸かってしまいました。
 今度の高速道路計画では更に悪化させる「盛り土工事」が予定されており、ものを知る住民は不安におののいております。

 昔の祭りは知りませんが、町の形が変わったのですから、随分祭りの形も変わったのでしょうね。
 住宅が増えたと言っても、主役になる子供の数は有井村から熊野市になった頃に比べ、今の方が少ないでしょう。

 今の祭りは、こうして出来た町などを含め、それぞれの地区の子供達による神輿などが朝出発して、お昼頃、「下の大馬神社」「下社」に集まって解散するという形です。
 舞姫による浦安の舞、獅子舞・神楽の奉納なども行われています。
 大馬や瀬戸の役員さんも揃っているようです。
 まさに村祭りの形態です。

 この「下社」は「八幡さん」と呼ばれています。
 神社の半分ほどが戦死者・英霊を祀る社殿になって居ます。
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 「八幡神社」ですから、上の「大馬神社・本社・奥社」とは別の神社とも言えますね。
 ここは、この奥にある「大馬神社」の遙拝所という性格を持っています。
 併設されている結婚式場は「大馬神社の式場」と呼ばれますし、神主さんも同じですから、井戸の人以外は「下の大馬神社」と呼ぶか、こちらを単純に「大馬神社」と呼んだりします。
 結構ややこしいです。

 「大馬神社」は「天照大神」が主神のようです。
 そして、この「大馬神社」には「多蛾丸」の首が封じられているとか・・・
 坂上田村麻呂がこの神社を作ったと言われていますが、奈良時代や平安時代によくある、たたりを恐れて祀った物の一つかも知れません。

 井戸川河口の「獅子岩」は大馬神社の「狛犬」だと言われます。
 もっとも、狛犬として出来て来たのでは無く、獅子岩があったので「狛犬」にしちゃったのでしょう。
 花の窟神社時代には「狛犬」なんて無かったのかも知れません。
 何しろ、社殿も無い「古代信仰」ですからね・・・
 でも、大馬神社も元は背後の山と滝をご神体として生まれた古代信仰の地であるように思われます。
 「多蛾丸」の首がここまで飛んできたなどと言うのも、霊地でなければ生まれない物語です。
 私は歴史家では無いので直感でこう思うだけです。
 何しろ、私から見ると、社殿が無い方が良いくらいの場所ですから・・・

 「坂上田村麻呂」に叱られるかな?
 私は心情的に「多蛾丸」の味方です。
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by je2luz | 2014-11-26 04:59 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2014年 11月 25日

熊野の旅 久々に里創人・熊野倶楽部

 天気はいいし、暖かいし、お祭りも無いし・・・
 久々に金山の山頂に登りました。
 私の山から切り出した「日時計」の写真を久々に撮りました。
 時刻は11月23日 13時18分 です。
 夏だと影ば短いのですが、この時期だと長く出ますね。
 この柱、佐田坂を登り切った小阪峠からやって来ました。
 塗装を掛けない杉の丸太ですし、天辺に傘を着せていないので傷みが少し早いです。
 小口から水がしみ込みますから、いくら乾燥する山の上でも腐り出すというか、ボケ始めます。
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連休最終日の午後1時過ぎ・・・
 よそから来る人は、もう帰途についた頃です。
 食堂の方は結構客が居ました。
 バイキング・・・1650円だと思います。
 私は食べませんが、外のテーブルで女の人達が子連れで食べていたので、大体のメニューが見られました。
 バリエーションも多く、6人ほどでしたが結構楽しんでいましたね。
 それに「満席」とでていました。
 地元の人に言わせると、「両方高いけど、金山の方がまし・・・」と。言う人が多いです。
 地元からでも、行きよくて入りよいのは「鬼ヶ城センター」なのですけどね。

 このバイキングの値段、私達が議会の視察の時、鬼ヶ城センター側からの注文で食べた、三段重の定食とほぼ同じですね。
 観光地の普通の昼飯として、高いか安いか・・・
 食事目的の旅行ならお昼ご飯でもこれ位はありでしょうけど・・・
 事実上これしか無いようなメニュー構成だと、一寸困る人も居るかも知れませんね。
 「熊野は高い」と言う声も聞いたことがありますが、お店自体の選択肢が少ないのも困るかも知れません。
 テレビのルポなども「海鮮料理」とか少し高目のグルメ紹介になっちゃいます。
 元来、熊野古道を通る巡礼さんは難行苦行、金の無い旅だったのです。
 見掛けるハイカーさんを「貧乏人」とは言いませんが、物見遊山、豪遊の旅人には見えません。
 企画物の割安の語り部付きツアーが多いようです。
 「里創人・熊野倶楽部」は元々、熊野古道歩きの人はターゲットにして居ないと言っていた所です。
 「一泊二万円ほどでお得に・・・」と言う企画でしたからね。

 食堂には人は居ましたが、他は・・・
 もともと、見物・観光はここを拠点に出掛ける所ですから、「飯を食うか風呂に入るか」の目的が無ければ、ここに来ても仕方ないんです。
 売店も久しぶりに覗きましたが、元はあった「干物」など見当たりませんでした。
 連休で売れちゃったという雰囲気では無かったような・・・
 ミカンは一袋300円・・・ 何も言いますまい。
 かつては「ミカン狩り」がそばのみかん園でやって居たのですが、やめたのかな?
 休日でもパンや那智黒、木製品などの体験教室も閉まっていたし・・・
 運営委託契約はまだ半分残って居るくらいでしょう。
 三重県はこれからどうするのかなあ???
 十年では減価償却も終わらないし、耐用年数も一杯残って居るし・・・
 人の居ないこうした施設って淋しいですね。

 名前は「中核的交流拠点」だったかな?
 意味が一寸判りにくい施設なんです。
 雇用も随分減ったようだし・・・
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by je2luz | 2014-11-25 04:37 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2014年 11月 24日

熊野の旅 育生大森神社 どぶろく祭り

 古くは鎌倉時代からだとも言われる「どぶろく祭り」です。
 アルコール専売のうるさかった時代にも、その伝統故で許可を貰って継続してきたようです。
 神社脇の小さな小屋が醸造所のようです。
 冷暖房など無く、自然の気候そのままに任せるので、飲み手に言わせると、年によって味が変わるとか・・・
 毎年、「今年は美味しいどぶろくが出来ました」という挨拶を聞きますが・・・それぞれのおいしさでしょう。
 営業用の酒じゃ無いので、それも、面白味なのでしょうね。

 大森神社の祭りはこのどぶろくが目玉になって居ます。
 朝からきちんとした神事があります。
 社殿は小さめで、祠に近いのですが、実に丁寧に最後の「撤饌」まで行われています。
 七五三のお祓いもやって居るようですが、どう言う訳か、「神事」の方のお参りは少ないです。
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 杉木立の中の社殿周辺は寒いです。
 今年は暖かめだったので火は燃やされていませんでしたが、毎年、火を焚いて拝殿に入っていない人は暖を取っています。
 しかし、「寒いから」が理由でなさそうです。
 やってきている人のほとんどは、「どぶろく」目当てなんですね。
 神社横の広場では、地元の人達が「おでん」「猪鍋」「焼きそば」など売っているのですが、ここの祭りでは外部から来る人も、昔の村祭りのように、重箱にご馳走を詰めてやってくる人が結構居ます。
 広場に広げられたブルーシートに思い思いに陣取って酒盛りをします。
 神事は10時ごろから、どぶろくの販売は12時ごろから・・・
 客の目当ては二時間遅いのですから、神事に間に合わないのは一向に気にしないのですね。
 それもいいでしょう。
 謂われはどうあれ、神様の前でも無礼講でしょう。
 残念ながら、私は運転するので一滴も飲めません。
 「祭りで飲むこと」と限定した醸造許可なので持ち帰りは出来ません。
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 ここ数年はこの祭に出かけて居ますが、今年ほど上天気に恵まれることも少ないです。
 しかし、上天気の元でのお祭りでも。やはり、目立つのは高齢化と過疎ですね。
 まだ、売店も維持できていますが、これを維持する為に人手が割かれ、神事の方にも人が出せなくなりつつある感じです。
 
 観光パンフレットなどには「どぶろく祭り」が載せられています。
 簡単な祭りのようですが、勝手に作ってはいけない「本物のどぶろく」が飲める祭りで、珍しい物ですからね。
 以前からテレビの取材も毎年入っています。
 熊野市の一つの目玉なんです。
 しかし、「大森神社のまつり」と言う事なので、文化財的であっても役所の手助けは入っていません。
 同じ日にしないで行われている市民が頑張っている「お祭り」は全て自前です。
 そして、「イベント」となれば、補助金は入るし、トランポリンの貸し出しや職員の応援まで・・・
 少し、違和感を覚えます。

 「補助してくれ」とは言っていないのでしょう。
 でもねえ・・・
 守るべき「民族的行事」なんですがねえ・・・
 えらい人が出席して玉串を供えて・・・
 それでは力にならないんです。
 せめて、同日に「イベント」をやって、間接的に邪魔をすることくらい控えて欲しいですね。
 少ない「見込み客」しか居ないのですから・・・
 こうした所でも「民業圧迫」が現れます。


     

  

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by je2luz | 2014-11-24 05:02 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2014年 11月 23日

熊野の旅 祭りてんこもり 三社にお参り

 前に書きましたように。今日はお祭りとイベントがてんこ盛りでした。
 単純にお参りするのなら、朝早くから回れば広い熊野市と言えども、交通停滞なんて無いのですから、一杯お参りできますが、「お祭り」んぼ写真を撮りに行くとなると、人が集まる時間に行かないと様になりません。
 どの祭りも。10時とかが神事の始まりです。
 イベントも漁場の朝市では無いですから、やっぱり10時からとかですし、どこも、人が出てくるのは更に遅いです。

 今朝は一応日の出には目が覚めたのですが、晴れすぎて「朝焼け」があまり出ないようだったので、起き出すのをやめました。
 年寄りでは無いので、二度寝でも三度寝でも出来ます。
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 まあ、目が覚めたのもあり、9時前に出発して「産田神社」へ・・・
 七五三が主体みたいで一般の人は居ませんでした。
 三十分ほどの滞在で、金山ー札立峠ー赤倉経由で育生町「大森神社」へ・・・
 一枚目の写真が10時8分で、最後のカットが12時24分ですから、結構居ましたね。
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 お祭り風景の写真はすぐに撮れても、やっぱり、どぶろくの振る舞い風景を撮らないと、「どぶろく祭り」らしくなりません。
 その後、札立て峠越えで金山経由井戸町下の大馬神社へ・・・
 途中、大丹倉を背景にUP!の写真も撮っておきました。
 行く道で撮ったのは後ろ姿ですからね。
 三脚を積んでいても「自撮り」の習慣はありません。
 井戸に着いて、神社前の橋を対岸に渡ってすぐの所に駐車して神社に入って一枚目が13時08分・・・
 各町内の神輿が入り終わり、神楽の奉納の時刻でした。
 ここでの最終カットは13時21分・・・
 余り写材がありませんでした。
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 これで、今日は「三社参り」になりました。
 熊野の三社なら、「産田神社」「花の窟神社」「大馬神社」でしょうけどね。
 それに、ここには「三社参り」の風習もありません。

 家に一旦帰り、写真をPCに転送して、もう一度出掛けたのは14時ごろでしたが、天理教の行事は終わっていました。
 そして、記念通り「いこらい市」はまだ、ローソンから上木本へ掛けては通行止めになって居ましたが、お店の片付けがほとんど終わったようでした。
 これだけ駆け足で回っても、とても回りきれませんでした。
 詳しくは別に記事でアップします。
 
     

  

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by je2luz | 2014-11-23 18:18 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2014年 11月 23日

熊野の旅 勤労感謝の日 新嘗祭

 11月23日は「新嘗祭」です。
 元は実りに感謝する天皇の行事に由来した物ですね。
 戦後、GHQの指示で名前が変わってとも言われる祝日です。
 秋祭りの親分ですね。

 今日の産田神社の大祭には「新嘗祭」の言葉が入っているようです。
 1月の祭りでも出てくるのですが、今日も「骨付きサンマ寿司」があるようです。
 いくらサンマ寿司・さいれの寿司の元祖とは言え、骨の付いた姿寿司は欲しくないですね。
 幼少のみぎりより、乳母様が魚の骨はきれいにむしって呉れたので、下々の食するような・・・喉に骨が刺さるような魚は見たことないのです。
 お殿様は目黒の秋刀魚を喜んだそうですが、あの殿様より「やんごとなきお方」なのです。
 それはさて置き・・・
 産田神社・大森神社・大馬神社と、三つの祭りですが、回るのはしんどいでしょうね。
 三つ回って、「三つのお願い」すれば聞いて貰えるかな?
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 昨夜、記念通りのイルミネーションを撮りに行ったら、駐車場で係りが整理しているので、何事かと思ったら、天理教も明日行事があるのだそうです。
 前泊でお客さんが来る規模らしいです。
 飛鳥記念通りは「いこらい市」です。
 少しは流れてくれるのかな?
 200人も他所の人が来たらすごく増えた事になるでしょう。
 とても、「いこらい市」を見る時間は無いですけどね。
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 これが市営イルミネーションの目的だったのです。
 「ようこそ くまの」とあるでしょう?
 こうして飾ることで観光客の誘致を図り、来た人にはそぞろ歩きをして貰う・・・
 去年もそうでしたが、今年も商店街?はイルミネーションの邪魔をしないように早く店を閉めています。
 だから、イルミネーションは暗闇の中で映えていますよ。
 学校脇の木の下で抱き合ってキスしていても大丈夫な位静かです。
 是非、カップルでおいで下さい。

 不思議なことに・・・
 去年、「もの凄く力を入れて飾り立てた「亀齢橋」・・・
 なぜだか今年は素っ裸です。

 去年の1200万円ほどの予算で買ったLEDが残って居たので、今年の予算は490万円です。
 ほぼ全課からの職員動員で飾り付けがなされました。
 取り外しも又動員されるのでしょう。
 隠れ予算ですけどね。
 一杯の見物人なら、職務外の仕事でも、職員も少しは張り合いがあるでしょうけど・・・

     

  

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by je2luz | 2014-11-23 04:58 | 熊野 | Trackback | Comments(0)