LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ

<   2012年 07月 ( 32 )   > この月の画像一覧


2012年 07月 31日

熊野の旅 水害と水浴び場

 去年の台風12号関連水害は近年には見られないほどの洪水を各河川で引き起こしました。
 堤防の決壊、護岸の崩落、住宅地や農地への浸水、山腹崩壊、深層崩壊まで水にかかわる災害のすべてを起こしたものです。
 その結果として、川床が異常に高くなった所も多いです。
 ものすごい勢いで水が流れるのですから、川床は下がりそうな物なのですが、川床の石や砂が流されると、玉突き式に上流からの土石がやってくるし、山や谷からの補充もあるので河床が上がると言うことが起きるのです。

 井戸川とか産田川のように、平坦な所のある川ではその傾向が強くなります。
 自然界でも山の出口に「扇状地」を作るとされているのですから当たり前なのでしょう。
 大又川でも河床の上がった所が多く見られます。
 もちろん、洪水でえぐられて護岸が消え、山が侵食された所も一杯です。
 山が崩れなければ洪水のたびに土砂が下流に流れて、川は岩盤まで下がるはずです。
 何万年とか言う単位なら下がってゆくはずですけどね。

 市内の川には、子供のための「水浴び場」が昔からあります。
 プールなんてのがない時代には、「水泳」=「水浴び場」だったのです。
 いまでも、学校のプールなんて無い所も多いのです。
 およそ集落のあるところには清流があるのが当たり前の所ですからね。
 この辺出身の人にとって、夏の思い出は海にしろ川にしろ近い所で一日中…毎日毎日遊んだものかと思います。

 飛鳥の子や五郷の子は大又川、井戸の子は井戸川、有馬の子は産田川、泊の子は海と宮川…などということです。
 昨日も書きましたが、子供の数が激減していますから、水浴び場も寂しい光景になってしまいました。
 それに、井戸川などでは、元々「水浴び場」だった所の川の様相が変わってしまい、農業用の堰で造られていた深みが消えて遊べなくなっています。
 産田川も産田神社の横の水浴び場が埋まってしまい、浚渫したかったようですが、農業者から「田圃に入る水がにごる」と言うクレームで駄目になったそうです。

 少なくなったとは言え、子供たちの大切な「故郷の思い出」の一齣を作る機会を減らすのかかわいそうですね。
 よそからじいちゃんばあちゃんの所にやってくる「都会の子」にとっても、「田舎の思い出」を造る場所でもあります。
 そのために、水浴び場に続く道は昔から夏になると綺麗に草が刈られていたのです。
 今年もきちんとあらけられています。
 お盆に帰ってくる「熊野の血を引く子供」を待っているようです。
d0045383_10375368.jpg





 
熊野市周辺地図です
 
[PR]

by je2luz | 2012-07-31 10:38 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 07月 30日

熊野の旅 想像以上にひどい・・・ 

 熊野の川や海は放射能とか公害とは無縁です。
 まあ、自然界にも放射能はあるし、福島で排出された放射性物質も地球をぐるりと回って北半球全域を汚した頃でしょうけどね。
d0045383_1083259.jpg

 これが昨日、7月29日日曜日午後1時過ぎの「大又川・浅見川(くらもと)」光景です。
 立派なテントは立っていますが、遊んでいる子はほんの少しです。
 天気も上々、水も適量…
 なのにこの状況です。
 ここがこの調子ですから、ここから上流の川には大又まで誰も居ません。
 鮎釣り人の姿も見えませんでした。
 四万十などには負けない清流なのですけどねえ…

d0045383_10133467.jpg

 こちらは、午後1時半過ぎの「大泊海水浴場」の全景です。
 浜には店は出ています。
 でも…
 こちらも想像以上にひどい状況です。
 確かに浜の店は民間の業者さんだし、どうあろうと行政には関係ないでしょうけど…
 しかし、海水浴客が来ていた頃には「民宿」も夏休みにはそこそこはやっていたのです。
 期間も短いし、経営的には疑問もあるのですが、結構な数の民宿が出来ていましたね。
 この様子では、「夏休みの家族連れ」なんてもはや来ていないのでしょう。
 交通費、宿泊賃なども、東京からだとバリ島の方が安そうだし…
 海は一緒だけど、向こうには「バナナボート」なんて遊びも用意されているし…
 「ナシゴレン」もおいしいし…

 海水浴は産業にはなりにくいです。
 でも、来てくれれば「宿泊客」も増えるのです。
 総力を挙げて「野球大会」「ソフトボール大会」を誘致する大義名分が、「ホテル業界が潤う」と言う物だとすれば、海水浴だってそれくらいの波及効果はあるでしょう。
 「カヤック」だ「ジャンキ」だとかには補助金を出して船まで買ったりするのですが、海水浴は駄目なようです。
 まともなPRも出来ていませんね。
 トップの趣味に合わないのか、取り巻きに好きなのが居ないのか???

 プライベートビーチとまでは行きませんが、ゆったり遊べるのは間違いないです。
 昔と違って、赤旗ラインには浮きを浮かべてありますしね。

 写真の後ろに見えているのが、高規格道路「尾鷲熊野道路」のいったん終点になる所です。
 ストローの出口ではなく、人と金を吸い上げるストローの入り口です。
 そんなこと、昔から分かっているのに、期待を持たせるような宣伝をするんですね。
 「最後のチャンスだ!」なんて、不要と思えるような公共事業をばりばりやるんです。

 この道路の向きがおかしいこともほとんど取り上げられていません。
 不思議なことです。

 
熊野市周辺地図です
 
[PR]

by je2luz | 2012-07-30 10:44 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 07月 29日

熊野の旅 情勢は? 水辺の様子

 晴天続き…
 夏休み前半、7月最後の週末…
 
 今日は大泊海水浴場と飛鳥町大又川の水遊びの状況を見てきます。
 今日、盛況でなかったら…
 台風も9号10号と出来ているので、来週末くらいには荒れてくるかもしれません。
 ブログをアップしてから出かけます。

 熊野市には笹川良一さんの寄付?で出来た「海洋センター」なんて屋内プールもあります。
 紀和町板屋にあるので中心部からは少し遠いです。
 おととしかな?
 2010年5月には温泉のお湯を使えるようにしたので、水は冷たくないはずです。
 出来た頃…
 我が家の子供が小さかった頃に連れて行ったこともあるのですが、その頃は北山川の伏流水を汲み上げていたので、恐ろしく冷たかったです。
 子供でさえ長くは遊んでいられないと言うものだった記憶があります。
 建物の周りに苦労ホースを引っ張りまわして温かい水を作ろうと涙ぐましい努力をしていましたが、そんなことではプールの温度は上がりませんでした。
 いまは、温水プールで、老人のリハビリ運動に使われるくらいです。
 夏休み中はそんな企画はやっていないでしょうけど、色気が無いですね。
 もっとも、そんな時だと気兼ねなく写真は撮れるでしょうけどね。

 出来た頃の紀和町は熊野市ではありませんでした。
 違う自治体と言うこともあってこのプールは熊野市民になじみが薄かったのでしょう。
 この「海洋センター」は「競艇」が稼いだ金を、先に書いた笹川良一と言う右よりの怪物が寄付みたいな形で全国に造った物です。
 造るには寄付は来るのですが、痛んできて補修するとかにはお金は出ないようです。
 もちろんランニングにも出ませんね。
 橋下さんなら取り壊しになっちゃう物かと思います。
 地元に子供は居ないし、公共交通機関で遊びに行ける場所でもないし…

 山の中で泳ぐ場所にも事欠くから造ってくれた物ですから当然でしょうね。
 結構まともなプールですよ。
 遊びの要素のない健全すぎるプールです。
 「混雑していて危険ですから泳がないでください!」なんて変な放送がある心配はなさそうです。
d0045383_9415796.jpg

 写真は温泉プールへの階層が終わった披露行司で、オリンピック・銀メダリスト中村まいさんが来たときの物です。
  
 
熊野市周辺地図です
 
[PR]

by je2luz | 2012-07-29 09:42 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 07月 28日

熊野の旅 夏休み 海水浴

 熊野市には二つの海水浴場があります。
 中心部から近い、「大泊海水浴場」と少し離れているけど少し広い「新鹿海水浴場」です。
 ともに大きな町の無い所で水質は毎年最高ランクになります。
 かつて、「レジャーブーム」なんて言葉が出てきた頃には、よそから海水浴に来る人も大勢居ました。
 近年は単純な「海水浴客」「夏休み家族旅行」などは減ったようですね。
 いつも書くように、バリやセブだと航空券は安いし泊りも日本の民宿の半分以下で泊れるし…
 中々、日本の田舎の海水浴場に足が向かないようです。

 海水浴は非常に不安定な遊びです。
 今日あたりには、台風が出来る予定だとか言いますが、沖合いに台風が発生して「土用波」が立つと、熊野のように外海の海水浴場では泳げなくなるのが速いです。
 波をなめると命がなくなります。
 不思議なことに、海水浴と言うのもは濡れて当たり前なのですが、雨が降ってくれば寒くなくても浜辺から人影がなくなります。

 夏休みに入ってからの天候で客数が随分変わるので、浜の茶店などは大変なのです。
 梅雨明けが遅いとさっぱりだし…
 設営するには大変な労力がいるし、天気次第だし、天気が良くてもウィークデイは子供だけで来るので金は使わないし…
 ものすごく大変な仕事だのにアルバイトの人件費も出なかったり…
 近年では軽いクーラーボックスなどあるので、飲み物も持参してくるし…
 おまけに、江ノ島などと違い、家まで水着のままで車に乗って帰れるから、海の家とか要らないし…
 川があるのでシャワーも掛からなくて良いし…
 とにかく、金を使う要素がないのです。
 観光・レジャーにはなっても、「観光産業」「レジャー産業」にはなりません。
 銭にならないからでしょうか?
 近年は行政の方では「海水浴場」を売りにしません。

 期間も夏休みに入ってから、8月のお盆まで…
 1ヶ月ありません。
 雨天・曇天・高波休日です。
 そして、たった半月ほど経った8月になると、「くらげ」のシーズンになります。
 海流に乗って流れてくるので年によって随分違いますが、こいつが来ると海に入れません。
 毒のある触手があり、刺されます。
 人によっては入院することもあるほどなんです。
 蜂ほどすごくは無いので、私などは蚯蚓腫れ状に晴れ上がっておしまいですけど…
 
 こんな風なことで、田舎の海水浴場は大変なのです。
 湘南海岸でも海の家の経営が難しいなどと言われる時代ですからね。
 さらに、地方によっては放射能…
 熊野ではその心配が無いのですが、「津波」なんてのも心配されていますしね。
 新鹿海岸には「津波避難タワー」が建てられて、海水浴客が非難できるようにはしています。
 住民用は無くてもお客様用には用意したようです。
 今の基準では、登っていても駄目な場合がある物ですけどね。
 市内唯一の「津波避難タワー」です。
d0045383_9514487.jpg

 大泊は山が近いのでそちらに逃げれば大丈夫です。
 荷物をまとめたり、考えたりしなければ生き残れるでしょう。
 余裕は最短で4分です。
 でも、全国でも指折りに安全な海水浴場だと思いますよ。
 スマトラ島の海水浴上よりは安全でしょうね。

 今年は夏休みに入ってかんかん照りです。
 そろそろ子供たちは真っ黒になる頃です。
 写真を撮りに行くにはいささか暑いです。
 それに…
 ビキニやハイレグの水着を着たギャルがめっきり減ったのも目立ちます。
 地元の女の子は中学生くらいからあまり海に来なくなります。
 日焼けが美容の敵だと思っているのでしょうかね。


 
熊野市周辺地図です
 

 
 
 、
[PR]

by je2luz | 2012-07-28 09:52 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 07月 27日

熊野の旅 土用 日照り・うなぎ・虫干し

 今が土用なのでしょうね。
 こうした物はきっちり決められているようですが、調べないと切れ目がはっきりしません、
 「土用」はスーパーの魚の売り場に行くと大体分かりますね。
 それも「丑の日」だけが表示されているのですが、このビラが目安になります。

 この辺では、「土用波」と言う物をよく言いました。
 土用の頃になると波が荒くなるのです。
 台風の季節に入ってきて、遠くにある台風の余波で波が荒くなるのです。
 夏型台風はこの沖合いをうろうろする物が多かったので、上天気なのに波だけが長く荒いが多く、海水浴の事故が増えたのです。
 今と違って、子供の遊泳能力は高かったのですが、それでも、熊野灘とか粗い外海に面した所では「土用波」は危ない物で、子供たちにもその危険性は叩き込まれました。
 大人からも、ガキ大将からも…
 それもあってか、今で言えば「危ない所」で遊んでいたのに事故は少なかった物です。
 思いっきり水を飲んだり、おぼれそうになったりしながら、海や川の楽しさと怖さを体で覚えて行ったのです。
 残念ながら、PTAがやたらとうるさくなってからは、そうした伝承も薄れ、体験することもなくなって「ひ弱な子供」と、それが大人になった「過保護な大人」が増えちゃったようです。

 喧嘩が強くて人望もあるのが「ガキ大将」で、その「ガキ大将」はその腕力を「いじめ」なんかに使わないで、その集落、町内の子供たちの遊びのルールを定めて、みんなが安全に遊べるように気を配った物なのです。
 危ないことをする、怖いことを知らない小さな子には、怒鳴りつけたり、頭をこつんとやったりして教え込んだのです。
 まさに体に叩き込んだ訳です。
 そんな「ガキ大将」の制裁を「暴力だ」なんて騒ぎ出したのはいつ頃からなのでしょうね?
 私が大きくなりかけた頃には消え始めていました。

 うなぎの方は値上がりで騒がれていますから、今年は口にしないと思います。
 毎年放流している「大又川」も、これだけ「シラスうなぎ」が値上がりしたのでは、まともには放流できていないでしょう。
 今の値段なら、わざわざ釣りに出かけても勘定は合うのですけどね。

 子供の頃…
 この、かんかん照りの季節になると、「虫干し」など行われていたように思います。
 これは万葉の時代からの行事だったのでしょうね。
 「はるすぎて なつきにけらし しろたへの ころもほすてふ あまのかぐやま 」
 なんて…この季節になれば何でもカラカラに乾きますからね。
 たんすの物を出して風を通していたのは記憶にありますが、自分ではやったことが無いです。
 畳を庭に運び出して乾かすなんてのもありませんしね。

 昔は「のみ」なんてのが居たので畳を干して、戻すときには「DDT」なんて今では禁止されている殺虫剤をたっぷり撒いておいたのです。
 そのおかげなんでしょうかね?
 日本から、「蚤」「南京虫」「しらみ」なんてのが姿を消したのは???
 発がん性が怖いのか、害虫で眠れないのが怖いのか???
 女の子などは「しらみ退治」で頭が真っ白になるほどDDTをぶっ掛けられたのに…
 ものすごい発がん性があるそうですが、その世代の女の子が、今の70代とかなんです。
 癌どころかものすごく元気ですね。
 毒物に耐性が出来たのかも…
 「さっかりん」「AF2」「合成着色料」…恐ろしいような物を食べて育ったんですけどねえ…
d0045383_11581542.jpg

 
熊野市周辺地図です
 
[PR]

by je2luz | 2012-07-27 09:10 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 07月 26日

熊野の旅 当分先なのに…花火の場所取り

 「熊野大花火大会」は8月17日です。
 今年は金曜日ですね。
 休みの前ですから客が増えるのですが、「会社が終わってから…」なんて考えだと、熊野にたどり着けません。
 やっぱり、17日は休みを取って朝から来ないと…

 この花火が「木本の花火」だった頃からそうなのですが、見物用の場所を確保するのに、浜に綱を張ります。
 それが、広い浜では眼の錯覚もあり、ついつい広い面積を取ってしまいます。
 浜で6畳分なんて小さな物です。だから、少人数の予定でも20畳もあるような場所を確保するのです。
 非常に困ったことなのですが、ちっとも変わりません。
 変わったのは、昔は荒縄だったのが、今は色とりどりのビニールテープになったことだけです。
 早い所では7月に入るとと綱を張ってあります。
 近づいた頃にブルドーザーで整地したりして撤去するのですが、早々とやるんですね。
 今は、会場のど真ん中になるん我が家の前に、花火本部が「有料浜席」と言うのをを確保しているし、団体用のバス会社のも確保されています。
 最初の頃は個人との争いも多かったようですが、その分だけは定着したようです。

 今年から堤防の形が変わったので、桟敷の建設が難しくなりました。
 今まで使ってきた木製の桟敷などは改造不能な変更です。
 この管理と許可は三重県になります。
 先ごろ、許可基準になる桟敷の構造図面を貰ってきましたが、予想以上に大変ですね。
 基準を守ればの話ですけどね。
 それはいいのですが…
 堤防の上に金網バリケードのような場所取りが出現しました。
 間口の確保ではなく、場所取りなので非常に邪魔ですね。
 この上を散歩する人も多いのですが、その部分では歩けるのは国道側の高さ2mあまりの斜面横で幅40cmほどでしょうかね?
 役所が絡んでやったようですが、いささか疑問のあるやり方です。
 しかし、この部分は市も大会本部も知らん顔なのです。
 これまた、摩訶不思議なことです。
 「手が回らん」と言うのが理由です…

 この堤防桟敷の場所も、大昔の律令時代のような話で、「墾田一世私有の法」だそうです。
 我が家などは慣習法時代の「間口の幅だけ沖までは家のもの」と言う桟敷の権利はとうの昔に放棄していましたからどんな基準なのか分かりませんが、その筋の物を含め固定されたままです。
 「その代限り」と言うことらしいですが、組織や会社には「その代」はないし…当主が死んだのをどう把握するのでしょう?
 毎年申請が出てややこしくなるのを嫌って投げちゃったのでしょうね。
 市に管理してほしいと言う話もあったようですが、市のほうも投げちゃったし…
 地元から見ても、よそから来た人から見てもおかしな状態です。
 おまけに、桟敷にどっさり人が居ると言うのでもないんです。
 文句なしに桟敷が特等席なのです。

 今年の浜は少し広めみたいです。
 台風12号のときに上流(新宮方面)から砂利が流れてきたからです。
 熊野川河口の様子が変わったくらいの水と波でしたから一時的に木本の浜の砂利が増えたのです。
 木本港を浚渫した砂利も今回は海中ではなく陸上に置いたので余計に増えています。
 これから先はもう流れてくる砂利も少なくなってきているので太りにくいでしょう。
 高潮対策の潜堤は養浜効果も少しあるのですが、砂利がこなくなれば…

 10m前に出れば、幅が500mで5000平方メートル広くなるんです。
 海が荒れ加減で10m危険ラインが下がってくると同じだけ減るんです。
 5000人分とかの席が簡単に増減しますね。
 大型観光船は、「ASUKA II」「ふじ」など4隻が予定されているようです。
d0045383_1014890.jpg


 
熊野市周辺地図です
 
[PR]

by je2luz | 2012-07-26 10:14 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 07月 25日

熊野の旅 これからのイベント

 来週の土曜日、8月4日に、紀和町で「紀和の火祭り」があります。
 会場は紀和町の北山川河原です。
 火祭りなので夕方からですね。
 駐車場はすぐそばにあります。
 出し物は、「子供の太鼓」や江戸時代の北山一揆に由来すると言われる「北山砲」と言う大砲を模した物から撃つ空砲、祭り本体の高い所に吊るした籠をめがけて松明を投げる物などです。
 松明投げは当日申し込めば参加できます。
 地元の人がやる食べ物の屋台のほかに、露天商の夜店も並びます。
 熊野市の中心部から30分ほどです。

 紀和町は昨年の台風12号関連水害でかなりの被害を受けましたが、頑張って祭りをやるようです。
 会場が河原だし、上流には多くのダムがあるし…
 大雨の予想が出ると放水もありうるし、開催には気を使うでしょう。
 「これらのダムは発電ダムで洪水調整機能は本来ありません」と、先ごろまで公言していた電源開発の持ち物です。
 「ダム」「原発」どちらも、特別な法律を作って守られている恐ろしい物で「アンタッチャブル」の世界です。
d0045383_10312882.jpg

 次の日の日曜日には、記念通りで「響鼓in熊野」と言う太鼓のイベントがあります。
 15:00から21:00くらいだそうです。 
 記念通りはもっと早い時間から通行止めになります。
 日が暮れないと炎天下ですから太鼓を叩くのも聞くのも根性が要ります。
 こちらも、先日同様に記念通りを閉鎖して夜店が並びます。
 正式の露天商は居ないような町ですが、イベントに依存する商売も出来てきているのかな?
 この「響鼓in熊野」にはプロの太鼓叩きも出ていると思います。
 長時間太鼓を聞くのが苦手なので毎年二組くらいの写真を撮って逃げ帰っています。
 見物はもちろん無料です。

 その次の週くらいには、「本町の夜店」「飛鳥町民夏祭り」「五郷の夏祭り」なんてのが目白押しだと思います。
 上の二つは熊野市が後押ししている「イベント」です。
 だから規模も大きいです。
 後押しする基準が良く分かりません。
 主催団体が準公式の物と言うくらいかな?
d0045383_10284264.jpg

 
熊野市周辺地図です
 
[PR]

by je2luz | 2012-07-25 10:31 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 07月 24日

熊野の旅 なぜここなの? 記念通り夜店 2

 昨夜の記念通りイベントの出し物…
 ソーランやフラダンスを見るためのコンテナを並べた観客席の最前列はおばあちゃんばっかり…
 いつも言うように、住民福祉と捕らえればこれもありでしょう。
 動員されていた市職員は数えませんが20人ほどなんでしょうかね?
 再来週は同じ記念通りでほぼ同じ主催者、補助金も入った太鼓のイベントがあります。
 これにも大勢の市職員が動員されます。
 現場で頑張る職員さんはご苦労さんなのですが…

 イベントは頑張るけど、スーパー・オークワが出てゆくことや、木本町内で大勢発生する買い物弱者に対する施策はまだ何も考えられていません。
 このようなイベントも自力のイベントではなく、市の目玉行政のイベントと言う所に問題があります。
 食料品コンビニ的なものを何とかするなんて気も無いようです。
 「個人の店には加担できない」なんていうけど、それに近くなってきた特定の商店街だけに予算も人もつぎ込むのは???
 でも、イベントをやるのって、やる側は楽しい物なんです。
 手弁当で細々とやるのでも楽しいけど、テントから発電機投光器まで揃っていて、お金まで出れば楽しいでしょう。
 私も手弁当時代にやっていたので楽しさも分かります。
 商店街の夜店的だった時代は、そのとき賑わえば良いのですからね。
 記念通り商店街のイベントのはしりの頃には毎年協力していました

 去年のイベントでは、夜店に来る人が居ると賑わうし、売り上げもそこそこだったと言う分析です。
 毎週と言うのには無理があることも認めたようです。
 でも、費用対効果は言わないで欲しいようです。
 毎週の歩行者天国も維持できないほどの見込み客しか居ないと言うことでは???
 それに、来客も出店も毎度同じですから、マンネリ化しちゃいます。
d0045383_11444591.jpg

 店の魅力は「品揃え」画題一歩でしょう。
 もちろん価格も…
 心斎橋でさえ長堀の北側になると人の流れが激減し、それによって店は減り、それが客の流れを減らすと言う現実が、もう、40年ほど前から始まっています。
 長堀川を埋め立てて駐車場にすれば、「ミナミ」の活性化になる…と期待されたのですが、心斎橋の核が「大丸」「そごう」の百貨店だったことも、駐車場に近いはずの北側の衰退につながったのです。
 まあ、そんな大きな所と比べても仕方ないですが、残念ながら、記念通りの場合、先ごろ書いたように中核になってきた「こまや百貨店」「山下文具店」「長嶋屋」「山田靴店」などは姿を消し、もうすぐ「スーパー・オークワ熊野店」も姿を消します。
 店が減り、業種が減り、商店街としての「品揃え」がなくなってきました。

 もう、三十年も前から言われてきたことですが…
 「夕飯を食ってから買い物に行くと、オークワ以外はほとんど電気が消えている。」
 「夜が駄目だからと日曜に行くとしまっている。」
 などという声もあったのです。
 そして、その頃から郊外型のホームセンターとかが出来てきて…
 さらに。100均がものすごいダメージを与えて居ます。

 町の中心と言う物は動いてゆく物です。
 大都会でも、古い商店街は寂れて、新しい所へ客が移ります。
 少し前なら誰も思いもしなかった、港のそばの倉庫とかお台場なんてのに人が集まったり…
 中心部で人口の減っていない所でも個人商店の維持は難しいです。

 熊野の場合、「倒産閉店」ってほとんど無いんです。
 「高齢化引退閉店」と言うパターンですね。
 その道を選んだのは商店主自身であることも確かです。
 「賢い選択」だったのでしょう。
 でも、そうした形態だから、店の入れ替わりが非常に少ないです。

 今の記念通りを歩いているのは、「近所のお年寄り」と「県立木本高校の学生」「市立木本小学校の児童」だけと言っても良いでしょう。
 年金とお小遣いが買い物資金では…
 いつも書くように、年金もほとんどが国民年金なんです。
d0045383_1147990.jpg

 こうした流れに対抗しようと言う振興組合の頑張りは分かるのですが、行政側は実質的な取り組み無しで一般に受けそうなイベントに総力を挙げて協力するのはいかがな物か…
 使う計画もない旧家の家屋敷を買う金はあっても街づくりは考えないみたいです。
 駅前に噴水を作り、危ないようにわざわざ道を曲げ、余分な金を使って石畳にして、ベンチを置いて…
 これで、活性化したというのですから…
 市民も…
 「駅のベンチに高校生が座ってる」と、喜んでいますけどね。

 そうそう…
 「電線地中化」などという、たいそれた計画も記念通りにはあるのです。
 これも、何のため????
 その手の補助金があるから???
 「熊野市の金はほとんど使わないから良いではないか!」
 と、日本人ではないような発言をする御仁がお決めになるのですからね。

 来年には「イオン」と「オークワ」とコンビニの「サークルK」が井戸町内で向かい合わせに争うことになります。
 車の人は便利でしょう。
 人の流れが変わります。
 でもそこには個人商店などありません。
 賑わえば賑わうほど町が寂れると言うことです。
 そして、歩くしか出来ない人は、買い物も出来ない…
 イベント予算の半分も使わないでも、食料品コンビニの助成くらい出来るでしょう。

 江戸時代の飢饉の時…
 北山のお百姓さんが村を代表して大和に米の買い付けに向かい、その道中で飢えのために死んだそうです。
 その人の口には小判がくわえられていたとか…

 年金の振り込まれた貯金通帳を握って餓死するなんてことが起きなければ良いのですけどね。
 
 よその子供のソフトだ野球だと血道を上げるより、熊野に骨をうずめる機で残っている年寄りに食い物が買えるようにするのが行政だと思うのですけどね。

 
熊野市周辺地図です
 
[PR]

by je2luz | 2012-07-24 11:47 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 07月 23日

熊野の旅 一応盛況だったけど・・・ 記念通り夜店1

 昨夜は昨年度に引き続き熊野市が全面的に協力する「記念通りのイベント」がありました。
 去年はこの時期から毎週土曜日の夜、「社会実験」と言う冠で9月まで延々とやったものです。
 当然のように、客の方も飽きてくるのもあって動員数も少なくなってゆきました。
 今年は月に一回に減らし、夏場は夜店、秋からは昼間で12月まで行うようです。
 先日から書いていますように、今は夜店のシーズン、縁日の季節です。
 弁天さん、稲荷さんは終わりました。天神さん、竜宮さんはまだでしょう。
 これらは宗教がらみということで補助金は入っていないけど、伝統の物です。
 各町内が一生懸命、自力更生で頑張っています。
 本町の夜店もあります。
 これは商工会議所という準公的機関の予算が入ります。
 そして、商工会議所には現職の市職員が出向しています。
 
 熊野市にはちゃんとした商店街はなくなっています。
 昔の中心的商店街の「本町通り」は皇紀2600年に造った「記念通り」に、戦後になって店が並び出して役割を終えてゆきました。
 その頃に、記念通りにあった国鉄バスの車庫が国鉄バス紀南線廃止により払い下げになり、本町の商店が共同で移転したのです。そこは今でも名前だけが「セブンストア」です。
 名前の通り、7軒のお店だったのです。
 長嶋屋(饅頭屋)、山田靴店(靴屋)、毛糸屋などがあったのがかすかに記憶にあります。
 ここは変遷が激しく、DPE店・雑貨屋・ミシン屋などが出来ては消えて行ったのも記憶にあります。
 考えようでは、本町通が寂れるのを見越して7軒もの店が引っ越そうとするだけ本町の商売人にも元気があったのです。

 本町が元気だった頃には井戸町側では松原商店街も元気でした。
 当然、紀伊木本駅の駅前も元気でした。
 何しろ不便でしたから田舎の町が元気で居られたのです。

 私が東京に出た頃、木本中学校の新築移転用地を造成し、その残土で駅裏の田圃を埋め立てる工事がやられました。
 二車線の道路に歩道をつけたもののある、熊野市がやった、都市計画的な街づくりでした。
 時は戦後の復興期から高度成長に入る頃で、やたらと元気そうな雰囲気があった頃なので、この通りに中心街が出来るはずだったようです。
 郵便局、裁判所、職業安定所、関西電力、紀南信用組合などの機関もそのときに木本から出てゆきました。
 そんな街づくりなのに、歩道が戦前に作られた記念通りより狭い!
 おまけに、取り立てて制限が無かったのか、「小金持ち」が投資のためとか「次男坊の家を建てるため」などと言って、使わない土地を買ったので、長い間、空き地や芋畑のままということで、中心が移動したのではなく、分散しただけに終わりました。
 それに、次男坊など帰ってくるはずもないし…(私は帰ってきましたけどね)
 
 その後に、井戸川の反対側に「ジャスコ」が出来て更に中心がぼやけ…
 有馬に郊外型のホームセンターや家電店スーパーが出来て益々分散しました。
 その間に、人口は3万から2万へ…
 老人が1/3を越すまでになったのです。
d0045383_10285637.jpg

  
熊野市周辺地図です
 
[PR]

by je2luz | 2012-07-23 10:30 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 07月 22日

熊野の旅 赤とんぼ

 一昨日かな?
 赤とんぼが集団で飛んでいました。
 まだ、その季節ではなく、高い山へ避暑に行く途中だったのでしょうね。
 真夏に無線のために「矢の川峠」とか「長尾山」などに登ると「赤とんぼ」がたくさん飛んでいた物です。
 シオカラトンボなんてのは焼け付いた石の上などに平気で止まっているのに、赤とんぼは真夏は避暑に行くのだそうです。
 東京の連中は丹沢などに出かけるようです。

 田舎では「虫」が減っています。
 そして、それを食べる「蛙」も減って、更にそれを食べる「蛇」や「鳶」も減っているようです。
 水質検査のひとつとしてやられる、「水中生物調査」てえのがありますが、「カワゲラ・カゲロウの幼虫が居たから川はまだ綺麗だ」、などと発表されますが、確かに居るのですけど数が激減しています。
 私が子供の頃には大又川に掛かる橋の上など夏の夕方には渡れないほどトビケラが飛び回っていた物です。
 当然そいつらも元は川に居たのです。
 医師の陰に潜んで大きくなるのだし、姿を見られたやつは魚の餌になったのです。
 この飛んでいる連中はその生き残りで、川に卵を産みます。
 川の魚はトビケラの飛ぶ日は大忙しで食べまくったのです。
 一匹でも結構大きいのに、毎日毎日どっさり水辺に落ちてきますから、食べるのも大変だったろうと思われます。
 と、言うことで、魚がでかくなり数も多かったのです。

 私たちは川で遊ぶことが多かったし、魚釣りには「がろじ」…四国では「ざざむし」を餌にしました。
 川に入ってごろ石を動かせば無尽蔵に居たのです。
 それが、今では捕るのに苦労します。
 そして、釣れる魚もものすごく小さくなっています。
 情けないほど小さなのが大きな餌に食いついてきます。
 農薬の毒性は以前より小さくなったはずだし、休耕田・廃耕農地が増えたので使う総量も減って
川は綺麗になってきたはずなのに…
 生活廃水だって、人口が激減したのだからましになったはずなのに…
 洗剤も「石鹸粉」にはしてくれませんが、合成洗剤もソフトタイプになったはず…
 でも、メーカーが言うようには環境にはやさしくなっていないのでしょうね。

 七色とか池原のダムではブラックバスやブルーギルが繁殖して在来種は生きられなくなっています。
 こいつらは流水は嫌いなはずなのに、餌を探して支流に上がり始めているとやら…
 進化始めたかな?

 この悪を目当てにいまだに釣り人が来ます。
 それを目当てにボート屋さんが山の中にあります。
 大手の放送局は止めているけど、ローカルの「三重テレビ」などは今でも「バス釣り」の番組を流しています。
 さすがにリリースする所は放送しませんが、釣果を報告する魚を並べるシーンが無いのは今でも放しているのでしょうね。
 視聴者さえあればなんでもありの放送局ですからね。
 ため池の水を抜いて退治しても、すぐに話に来るやつが居て大きなのが泳いでいるとか…
 困った時代ですね。
 ダムなんて水を抜いて退治などできないし…
d0045383_9573986.jpg


 
熊野市周辺地図です
 
[PR]

by je2luz | 2012-07-22 09:58 | 熊野 | Trackback | Comments(0)