LUZの熊野古道案内

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2012年 06月 30日

熊野の旅 熊野と自然エネルギー 

 熊野というところ…
 今式の若い娘に言わせれば、「パワースポット」でしょう。
 何しろ、「神々の郷」ですからね。

 しかし、今流の自然エネルギーで言うと、そんなに豊かな方では無いです。
 もう、水力発電の方ではかなりの資源を利用しています。
 この先は大型発電所を作れる場所は少ないでしょう。
 過疎化が進んでいるので、水没させても立ち退き対象は多くないし、山林の価値が全くなくなっているのでコスト的には安くはなっていますが…
 他で言うと…
 「風力」ですが、こちらは「コンスタントに風が吹く…」と言うような高原とか峠がありません。
 主な峠の「矢ノ川峠」・「長尾山」・「風伝峠」・「小阪峠」などは無線などでなじみのある所ですが、どこも台風の時には50mを超す暴風が吹き荒れますが、普段にそよそよと風が吹き続ける所ではありません。
 山又山が横に連なるのなら裏表の気候の差で風が生まれるのでしょうが、紀州はかつては「紀伊山脈」と呼んでいた山々も、「はてなし山脈」なんて短いのを除いて「紀伊山地」と呼ばれる「山塊」扱いになっています。
 つまり、峠、尾根を挟んだ気候の差でコンスタントに風が生まれるという地形では無いのでしょう。
 測るまでも無く。体感で分かる程度です。
 そして、「太陽光」…
 これは、一般に思われるよりは海岸線なら太陽は出ます。
 瀬戸内のようには行きませんけどね。
 でも、ここは近くに大きな電力消費地がありません。
 今の技術ですと、送電ロスもあり送電コストが他より多く掛かりますね。

 残りは「波力」なんてのもありますね。
 これは冬場を除いてエネルギーはたっぷりです。
 しかし、いきなり外海になる場所では利用しにくいでしょう。
 これも、発電量の割に送電コストの掛かる所では…
 目の前の日本海溝との温度差による熱電対発電も考えられますが、まだ実用レベルでは無いようですしね。
 
 「地産地消」と言う考えでなら、小規模水力発電などもやれる所はそこそこあります。
 水を分水するなんてことは「水利権」が全部「電源開発」に握られているので不可能ですが、一時利用で元の流れに戻すなら水を利用させて貰えると思います。
 何しろ、一山越えて、熊野川水系に降る雨とわき出した地下水はその一滴までが孫末代まで「電源開発」の物という契約が交わされているのですからね。
 太陽光もメガソーラーとかではない物なら出来るでしょう。
 工場なんて無いし、電車も無いのですから、家々の屋根にパネルを載せるだけで余るだけのエネルギーが降り注いでいます。
 ただ…
 私でもそうなのですが、今更屋根にソーラーパネルと設置しても、償却できるするまで自分の寿命が無い人が多すぎて…
 半分以上の建物は対象外になるでしょうね。

 私が設置したのはたった一枚のソーラーパネルです。
 LED照明とかノートパソコンは夜中中十分まかなえますが、コスト的には???
 これは「非常電源」として作ったもので、実用的にならせめて10枚は並べないといけませんね。
 それだけあれば、冷蔵庫も掃除機も洗濯機も回せますけどね。
 でも、コスト的には引き合わないです。
 余命10年とかでは…

 40年ほど前…
 この家を設計する時にやりたかったのですが、時代的に早すぎて出来ませんでした。
 シャープの社長宅がソーラーを据える前でしたからね。
 「売電」なんてことももちろん出来ませんでした。
 全く自己負担・自己完結ではどうしようもありませんでした。

 我が家は長期間の停電でも何とか暗闇ではない生活が送れるようにしましたが、一番怖い「津波」では、この装置もろとも壊されるかも知れません。
 津波さえ15mの堤防を越さなければ…
 太陽に比べればほんの些細な地球の身震いなのに…
 利用できる自然エネルギーってわずかな物ですね。
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by je2luz | 2012-06-30 11:02 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 06月 29日

熊野の旅 古い道 評議道

 熊野古道は古い道です。
 熊野信仰と結びつけて「世界文化遺産」になっちゃいました。
 でも、「道」という物は人間が同じところに住むようになった頃から発達したのでしょうj。
 最初は同じところを通るので踏み固められただけの「けものみち」の一種だったのでしょう。
 それが段々手を加えられた物になり、距離的にも難易度も考えた合理的な物ぬ変わっていったのでしょうね。
 だから、古い道ってえものは一杯あります。
 この辺の山中には今は使われないけど昭和の初め頃には迷うことなく集落間を歩ける道が縦横に走っています。
 人が通らなくなって、草や雑木が茂り、路面も柔らかくなって崩れていった物もあります。

 そうした「人のための道」は明治の頃には「荷車道」になり、大正時代頃から「新道」と呼ばれる「道路」に変わって行きました。
 「新道」になると自動車が通れるように設計された物になったのです。
 でも、その頃の「乗合自動車」は今の二トン車ベースのマイクロバス程度でしたし、トラックもそんな物ですから、道幅は狭く、カーブもきつい物です。
 トンネル工事が困難だったので、なるべくトンネル無しで済ませるため、山の低い所を目指して登るルートでした。
 ルート的には人の歩いていた道を元に、ジグザグ、つづら折りで高度稼ぎ、勾配を軽減した物が多いです。
 私達のように、「新道」時代の人間から見ると、「古い道」は新道を串刺しにするようにまっすぐ山を登り山を下って近道しているようです。

 木本から飛鳥町小阪に向かう「評議・ひょうげ道」もそんな感じです。
 木本高校のところからジグザグに「評議峠」をめざす道路は「新道」だった物で、旧国道です。
 その道を貫くように石段の「旧・旧評議道」が通っています。
 道なりに歩くと遠いのですが、その石段道を駆け下りると、すごく近いのです。

 子供の頃…うんと小さい頃…木本まで映画を見に来るのにその道を使いました。
 日本映画は出張してくる物を見ましたが、「ターザン」なんてのは来ないので木本まで、ガキ大将の引率で歩いて見に来たのです。
 木本の映画館でもその当時の映画は雨が降っていましたが、移動上映の物は土砂降りのようなのもあるし、時々、稲光のように画面が明るくなって止まってしまいましたね。
 今のより弱いベースのフィルムだし、傷んでいるのですぐに切れましたからね。

 子供の頃には、この旧国道をショートカットする評議道の他に、新しい国道・佐田坂をショートカットする道で大泊へ泳ぎに行ったこともあります。
 道路を歩くのの半分も距離の無いほぼ直線でしたからね。
 この道は、途中に砂防ダムが出来てからはまともに通れなくなりましたね。

 このようにして、便利な道も歩く人が居なくなって消えて行きます。
 今の人は、便利な道が分からなくなったので新道を歩きますね。
 随分遠回りなんですけどねえ…

 古い「新道」も一部は廃道になり、一部は林道などとして残っています。
 「評議越え」の旧国道も、一時期は通行不能でしたが、重要なバイパス、非常用道路として通行可能なだけの整備はして貰っています。
 良い道路が出来ても一本では駄目なんです。
 「道路網」というように網の目になっていないと、非常時、災害時にはすぐに孤立しますからね。
 今も、大馬地区は新しい幹線道路が通れなくなって、遠回りの、大馬ー評議峠経由で木本へ出ています。
 この道が通れなければ更にもう少し遠回りですからね。

 でも、こうした道路の補修などは一般の人には分からないものでしょう。
 自分が使う必要に迫られるまではねえ…

 こうした道の途中には、綺麗な水の出る「水飲み場」もあって、綺麗に片付けられていた物ですが、今では荒れているし、私などもその場所が分からなくなってしまいました。
 この辺の山には「名水」が一杯湧いているのですけどね。
 「水大師」なんてのもあるくらいですから…
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by je2luz | 2012-06-29 10:54 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 06月 28日

熊野の旅 台風12号関連水害後遺症

 先日の雨でも災害が発生しました。
 あの雨は昨年の12号台風のような雨でも無かったし、雨量の多かったのは少し北に寄った所だったのですが、外れた所でも土砂崩れが発生し道路が通れなくなりました。
 通常なら何ともなかったはずの場所が崩れました。
 台風12号でやられて復旧工事をやっている場所が広がってしまう物が出ています。
 崩落した場所はバランスが取れて草木が生えるまで崩れ続けます。
 さらに、大雨とかで動きかけて、何とか踏みとどまった所も実際は内部に亀裂があったり、水道(みずみち)が出来てしまっていて雨の度に広がっているなんて場所もあります。
 崩れれば発見できるのですが、そうした予備軍は見落とされます。
 昔なら棚田や山の畑もきちんと手入れされているし、見回りされていたので発見され、傷口が小さいうちに手当てされていましたが、今ではそうした農地は放置され、どんな状態か分からないし、田圃の床は緩み石垣も膨れていたりします。
 人間が手を加えてきた山裾の農地や里山が放置され危険な状態になっているのです。

 人間が手を入れることが罪悪のように言う人も居ますが、田舎の人間が住んでいる場所は太古より延々と手を加えて住めるようにしてきた場所です。
 人の力と自然とが折り合いを付けて暮らしてきた所なのです。
 単純に人間が手を引けば、自然だけでバランスが取れるところまで破壊が進みます。
 その過程では災害が多発します。
 おまけに気象変動で今は降水量の増加などの悪い兆候が出ています。
 田舎は家もまばらですが、人口密集地の都会はそうした田舎の下流にあります。
 山間だと大きな山崩れがあっても人家や住民の被害は少しです。
 その鉄砲水でほんの少しでも下流で溢れるとものすごい被害が出ます。
 でも、都会の人って上流に思いをはせることは無いのですね。

 これから梅雨の後半…集中豪雨の季節です。
 晴れるか土砂降りか…
 洗濯物が乾かないと嘆くような梅雨の方が安全と言えば安全なのですが…

 今年は梅雨前線が動きにくいですね。
 九州は毎年やられる所ですが、今年は前線が居座っているので長引いていてお気の毒です。
 かと言って、こっちへいらっしゃいとは言いたくないし…
 気象変動で万一「梅雨」が無くなったら、日本は「瑞穂の国」では無くなって、食料生産もままならなくなるでしょうしね。

 昔話では、「雨乞い」って多いですね。
 弘法大師も都で雨乞い合戦をやったとか…
 その割に、大雨を収める話は無いですね。
 堤防を作ったり…
 他には恐ろしい話…
 龍神様とやらをなだめるのに人柱を立てるとか乙女を捧げるとか…
 洋の東西を問わず、神様って「乙女」が好きなんですね。
 そうすると。私も神様の資格があるかも…
 
 今日もどんより…
 
 遊びに行きたし 傘は無し…

 傘くらいはありますが、遊びに行く所も無いのが田舎ですね。
 余分なことをしないで、「のんびり出来る」のが田舎の良さなんです。
 「のんびりするしか無い」とも言えるのですけどね。
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by je2luz | 2012-06-28 11:01 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 06月 27日

熊野の旅 初夏 半夏生

 今の季節が「半夏生」だそうです。
 子供の頃は「はんげしょう」ではなく「はげしょ」と思っていましたが、これが一体何だったのか記憶にありません。
 じいさんなどは口にしていました。
 雑節の一つで夏至から11日目だという説とその前後五日間だという説がありますが、どっちにしても今頃の話ですね。
 関西では「たこ」を食べるなんてネットにはありますが、私はその「たこ」を食べた記憶はありません。
 ここも一応関西圏なのですが・・・
 何かあると必ずそれに合わせた食べ物があるのが日本の田舎なのですが、一体何をどうしたのでしょう?

 昔々はこの頃に田植えだったとか…
 私が子供の頃でももう少し早く田植えは終わっていましたね。
 稲作ってどんどん早くなっていったのですね。
 大きな台風は秋に来ることが多かったので台風の被害を避けるためにも少しでも早く作りたかったのでしょう。
 この辺の稲刈りはお盆が終わったらすぐに始まりおます。
 残暑と言うよりは盛暑という季節ですね。
 稲作関連の言葉は「季語」なんてのが合わなくなった物の最たる物かも知れません。
 だって、紀宝町などでは。もう稲に花が咲くのですからね。

 ところで、初夏になって季節を感じる食べ物って何だったか…
 「生節」が出回ったのがこの季節だったのかな?
 ウナギ釣りの季節に入っているので「鰻」もこの季節からでしたね。
 「鮎」はこの季節から…でも、本当においしいのはもう少し大きくなってからですね。
 「かます」ってこの季節からなのでしょうか?
 「カマスの寿司」が夏の頃に出てきたように思いますが、私のばあさんが作ったの以降は口にしていないので記憶も薄れました。
 「みょが」はこの季節ですね。
 じめじめしたところで白い可憐な花が咲いているのは不釣り合いなほど綺麗です。
 
 畑の方では「夏野菜」と呼ばれる物が出始めるので賑やかです。
 冬の葉っぱ物に比べ、夏野菜は「実物」が多いので華やかです。
 そうそう…
 ジャガイモの収穫期ですね。
 子供の頃には、田圃のそばの「みぞ」で洗ってきて、茹でて食べました。
 取り立てのジャガイモはおいしいですからね。
 「じゃがバター」ではありません。
 子供の頃、冷蔵庫も無い時代の田舎には「バター」なんて無かったです。
 「マーガリン」が出てきましたが、臭くて何ともならなかった記憶があります。
 それも、夏には無かったですね。

 冷蔵庫が無かったので、食品にものすごく制約があった訳ですね。
 旬の物を…それも、生の物を手に入れて食べたのでは無く、生の新鮮な物しか無かったってことです。
 今でも少し季節に合わせた食べ物を思い出せるのはそのおかげなんでしょうね。
 今の人は、「季節の食べ物」なんてのは実体験では無く知識で身につけるみたいな物でしょう。

 書いていても「半夏生」の食べ物が浮かんできませんでした。
 我が家では取り立てて何も無かったのでしょうね。
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 寿司名人の祖母です。
 NIKON F 最初のカットです。
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by je2luz | 2012-06-27 11:01 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 06月 26日

熊野の旅 生産地? 消費地?

 色んな物が場所によっては生産地と消費地に分かれますね。
 田舎は一次産業が盛んで食料などの生産地で都会は消費地…というのが一般的に考えられています。
 一応それは正しかったのですが、今では高齢化が進んで、田舎の中でも「ド田舎」では、野菜は他所から来ます。
 加工品の豆腐・こんにゃく・漬け物なども他所から来ます。
 冷凍食品を多用するお年よりも多くなり、食料品の消費地化しました。
 魚でもししゃも・シャケ・エビなどの輸入品から鮮魚まで他所の物が並びます。
 水産物まで消費地化してきました。
 それでも、まだ、水産の方は出荷の方が多いです。
 たった二万人の食べるよりは多く獲れますからね。

 他には…
 「酸素」は生産の方が多いでしょう。
 何しろ、熊野市は8割以上が山林だし、はげ山とか岩山がありませんから山林の荒廃が進んだと言っても緑ですからね。
 他には「電気」も生産地です。
 七色ダムの発電量の方が市内の消費電力より大きいですからね。
 使うのは一万世帯の一般家庭と数軒の製材所と一軒の機械部品工場だけみたいなところですからね。
 
 この電力生産地も「計画停電」の対象地区だそうです。
 ここは「関西電力」の管内ですからね。
 ダムだらけ、発電所だらけの紀伊半島…原子力発電所ゼロの紀伊半島も原発停止のあおりを受けます。
 停電しても住民がほんの少し不便なだけで、日本経済には影響がほとんど無いです。
 その代わり、節電効果も少ないです。
 田舎では、今流の窓も無い部屋をわざわざ作る人もほとんど居ません。
 それでも、あの「クーラー買え政策」で随分クーラーを買った家が多く、クーラー慣れしちゃった人が居るので不満も出るでしょうね。
 名古屋や大阪より3度から5度ほど気温が低いのですけどね。
 海があり、緑の山があり、排気ガスは無し、人いきれも無い…
 この辺で一番厚い木本でも新宮や尾鷲よりは「焼け入り」が少ないのです。
 つまり、家が建ち並ぶ面積が狭いのです。
 
 真夏でも過ごしよいところなんです。
 そして、真冬も過ごしよいのです。
 海岸線では、兼好法師の「夏を旨とすべし」と言う言いつけを守って家を建てておけば良いのです。
 
 ところで…
 この水力発電がある電力生産地では不思議な事が起きました。
 発電所のお膝元の熊野市神川町…
 去年の台風12号関連水害の時、停電が一週間も余って続きました。
 発電所は動いていて、送電しているのに…
 電力は電源開発の物だし、使っているのは関西電力の施設と電気ですからね。
 発電所から直接配電も出来ず…
 ダムサイトとか発意伝書関連のところには電気が点いているのに、ダムの下の神川は闇夜…
 そんな物です。
 笑えませんけどね。
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by je2luz | 2012-06-26 11:30 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 06月 25日

熊野の旅 短い川 長い川

 熊野市内には川が沢山あります。
 地形が複雑だし雨は多いし・・・
 おまけに低い山なのに海から見える山の斜面に降った分の水はほとんど平らな所が無いので、合流すること無く海に落ちてきます。
 つまり、海側の斜面では。見えている所で始まった川が見えている所で海に注ぐのです。
 山のひだの数だけ川が出来ます。
 知床ほど切立っては居ないし奥が深くないので小さな川が多いのです。
 その反面。裏側の斜面の水は出口が無いので延々と迂回してかるか先の新宮で海に出ます。

 海の側斜面の短い川でも、雨が多いし、水が染み込んでしまう砂地や土石で出来た扇状地など無く、山からしみ出した水がそのまま流れてくるので小さいのに水涸れしない川ばかりです。
 源流から数キロしか無くても水が切れない…
 だから川魚がちゃんと住んでいます。

 隣の河口まで随分離れているし、大洪水でも隣の川と合流したことが無いはずなのに…
 どういう訳か同じ魚が居ますね。
 まさか、今の悪質釣り人のように魚を放して廻った縄文人や弥生人が居たとも思えませんしね。
 鮎やウナギは海に出るから分かるんですけどね。
 ウグイの一部も海に出るとか…
 でもハエなんてのは塩水には弱いのに…

 この短い川にお化けウナギが居たりします。
 そんなに餌が豊富とも思えないし…
 大きくなったらすぐに海に出られるのに…
 新鹿の里川でもお化けウナギが捕れたことがあります。
 渇水期の川幅と同じくらいの丸太ん棒のようなやつだと新聞に出ましたね。
 大泊の宮川でもあったとか…
 そんなに沢山のウナギが育つほど川が大きくないのですが、ちゃんとシラスウナギはやってくるのですね。
 鮎も居ますね。
 キロメートルと言うより百メートル単位でしか生息域の無い川でも住み着いています。
 ポリネシアの人のように住めそうな川を探して鮎も旅をしたのでしょうか?
 不思議な物です。
 ウナギとヤマメは山を歩くそうですけど…

 最近ではそんな川が住民の脅威にもなっているのです。
 「地震・津波」が関心事になると海に注ぐ川が怖いのです。
 わずか数百メートルの河口部分しか平では無いのに…
 でも、その範囲に家が建っていますからね。
 30メートルの高さを稼ぐ山までの距離も近いです。
 距離にすれば数百メートルです。
 他所よりは近いです。
 それでも…
 津波が来るのが4分とか10分とかだそうです。
 避難するのは…
 半分ほどがお年より…
 震源地が近いので立ってられない揺れが1分ほど続き…揺れが止まって気が落ち着く頃には2分はたっています。
 玄関に行って靴を履いて外に出ると早くて3分でしょう。
 残り1分で何メートル行けるやら…

 津波対策で「河口樋門」を作って欲しいという要望も出ています。
 津波まで三十分もあった所でも消防団員が死んでいます。
 4分とか10分で締められる樋門は今のところありません。
 地震センサーでギロチンのように落下するものでも作らないと駄目ですね。
 電動式なんて速度は遅いし、電気は止まるし…

 こんな綺麗な自然にも見方によっては問題もあるのです。
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by je2luz | 2012-06-25 11:50 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 06月 24日

熊野の旅 熊野川 成川の渡し

 昔、大きな川には橋がありませんでした。
 東海道などは軍事的な意味でかけなかった所もあるようです。
 熊野川の河口部、熊野街道・伊勢道・浜街道にも橋はありませんでした。
 今は鉄道の鉄橋、国道42号線のバイパス用、同じく国道42号線の古い方の大橋と、三本の鉄橋が並んでいます。
 熊野川は水量の割に川幅は狭いです。
 その分、流れが急になっています。
 今の技術だと橋杭の間隔も広く出来るし、そんなに難しい所では無いのですが、昔はかけられなかったようです。
 木製の橋時代にはここには橋は出来ませんでした。

 ここに橋が架かったのは昭和10年と、新しいのです
 紀伊半島ではたった一本の重要道路なのにこれまではかけられなかったのです。
 橋が無いと言うことは、「渡し船」と言うことです。
 とても徒歩で渡れる川では無いですからね。
 うんと上流に行かないと吊り橋は架けられないし・・・

 浜街道で使えるのは、「成川の渡し」と「阿須賀の渡し」があったようですが、一般には「成川の渡し」を使ったようです。
 川幅は狭いですが、ここで川を横切るって大変なことだったでしょう。
 高出力の機関船ならまだしも手こぎでは平常時でもまともに横切れない感じです。
 大きな川でも大井川などは「輿」に乗ったり、「肩車」して貰ったり、自力で渡ったりしたようですが、ここでは船しか無かったでしょう。
 
 どこでも、洪水になれば「川止め」になって旅人は足止めされた物ですが、浜街道などは雨も多いし流れは速いし…のべつ止められたのでは無いでしょうか?
 新宮川は大きな町ですから、宿も遊ぶ所も沢山あったでしょうけど、三重県側はさほど大きな町でも無し…
 それでも、「宿」は並んでいたようです。
 当然「茶屋」の他に「女郎屋」もあったはずです。
 いかがわしい所…ではなく、全国どこにでもあった物ですからね。

 この「成川の渡し」の船頭さんをしていたとか言う人が親戚に居て、私が子供の頃、隣に住んでいました。
 近所の人は、苗字で言わずに「成川」と呼んでいました。
 ブラジル引き上げの家は「南米」と呼んでいましたしね。
 この「成川」のおじいさんも昭和10年の熊野大橋の完成で職を失ったのでしょうね。
 隣だったのですが、寡黙な人だったのと私が小さすぎたので「成川の渡し」の事は全く聞いたことがありませんでした。
 惜しいことをしました。
 そのおじいさんの写真も無いですね。

 鉄道が出来て、篭屋も馬子も失業しました。
 電車やハイヤーが出てきて人力車が消えました。
 このように必需品だった物が消えるのが「進歩」という物らしいです。
 道路が良くなれば時間が掛からなくなって、途中で使うお金も減りました。
 鉄道も早くなって、駅弁も駅蕎麦も冷凍ミカンも売れなくなりました。
 まして、食堂車に座る時間などありませんよね。
 瀬戸内大橋で島丸ごと橋杭になってしまったところもあります。
 もうすぐ、伊勢道・国道42号線沿いの高速道路が完成します。
 尾鷲は素通りに抵抗して町中部分の高速建設に待ったをかけていましたが、どういう力に負けたのかゴーサインを出しました。
 名古屋方面から来る人には、「松阪」「多気」「三瀬谷」「滝原」「大内山」「紀伊長島」「海山」なんてところは道路標識の出口看板で見るくらいで、通った自覚も無くなります。
 そして、紀伊半島で三番目に大きな尾鷲市も同様です。
 それでも、「高速道路で地域が浮上する」なんて信じている人が居るのですから不思議です。

 他所から来る人が田舎で使うのはせいぜいお土産の千円とか、お昼ご飯の数百円です。
 この辺から、わざわざ買い物に出掛けるファミリーが使うのは、洋服から日用品、夕食まで万単位です。
 まさにストロー現象です。
 でも、新宮の大橋を落としてしまう訳にも行きませんよね。

 もうすぐ、40年あまり掛かった、鵜殿を通らないで済む「紀宝バイパス」が完成します。
 鵜殿は合併で「紀宝町」に入っちゃったし、バイパスが出来ると熊野の人も新宮の人も鵜殿を通らなくなり、そのうち忘れちゃうでしょう。
 今の私達が「成川」を忘れているようにね。
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by je2luz | 2012-06-24 12:06 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
2012年 06月 23日

熊野の旅 高波と潜堤

 熊野市の木本海岸には「潜堤」と言う海面下に築かれた堤防があります。
 海底から積み上げてきて、海面の2mほど手前で止めてあります。
 つまり、外から見た時には何もないように見えます。
 小型のボートなどは座礁しませんが、まともな船は底がつかえちゃいます。
 この場所は港湾に指定されているのですが、船が近づく場所では無く、砂利浜の波打ち際200mほどのところです。
 漁船などのために目印のヴイが浮いています。
 十数年かけ、昨年ようやく出来上がりました。

 目に見えない堤防ですが、波を殺す力はかなりの物です。
 このような外海での実施はここが最初と言うことで、水槽実験が行われ、耐久性と効果が確かめられた物です。
 ここが完成する前に、このデータを使って常滑で建設されたようです。
 熊野の海で作れるなら、常滑ならうんと優しいですからね。

 なぜ海面から見える形にしなかったか・・・
 これには国立公園も影響しています。
 木本漁港の建設でもこれが影響してコンクリートに色を塗ったりしたのですが、「景観保護」と言うことです。
 海面から突き出す物はほとんどテトラポットを投入して築きますから、工費は安いようです。
 それに引き替え、ここの潜堤はブロックを慎重に組み合わせるように積み上げるのでさばけにくい分工費も掛かりました。

 目に見えない堤防なので、あることも知らず、当然、効果など知らない人がほとんどです。
 しかし、この効果はかなり大きいです。
 潜堤の工事が始まって、徐々に完成区間が伸びてきて、我が家の前まで到達した頃には木本のほとんどをカバーしたのですが、それ以来、我が家が揺れるのは地震の時だけになりました。
 以前は、そんなに大きな台風で無くても、波が堤防の近くまで来る時には波頭が崩れて浜を叩く衝撃で家が揺れました。
 そして、堤防に当たると、ものすごい衝撃で揺れるのです。
 寝ていても目が覚める衝撃でした。
 しかし、潜堤が出来てからは、浜の上の方まで来る時も、潜堤で砕かれて上層部だけが走るので衝撃は減ります。
 そして、波が到達する高さも低くなります。
 堤防にぶち当たる波は無くなりました。
 つまり、我が家が揺れなくなったのです。

 残念ながら、こうした物のデータは数値化される物でも無く、一般には分かりません。
 この海岸線に住んでいても、災害とかに興味のある人以外は、気がつかないのです。
 どこでも同じですが、災害の教訓なんて忘れちゃう物ですからね。
 私達の年代なら体験したはずの「伊勢湾台風」でさえ、この辺がどれだけやられたか覚えている人がほとんど無い位なんです。
 だから、それに至るまでの高波の大きさなど覚えては居ませんね。
 それだけに、こうした対策の効果も分かって貰いにくいです。
 
 分かって貰うことより町を守ることの方が先ですから、巨額を投じた工事をやって戴きました。
 「木本新堤防」の計画発表から四半世紀…
 その不備を指摘して活動したのも四半世紀と言うことです。
 ようやく、木本…熊野の中心街を高波からは守れるようになりました。
 私のライフワークだったみたいです。
 でも…
 これまでやっても「津波」には勝てません。
 昭和19年の東南海地震と同じなら木本に関しては問題ないのですが、今出されている最悪のシナリオだと…
 残念ながら、逃げるしかありません。
 町の人全部を逃がす時間はありません。
 祈るしか無い状態です。
 人力・人知なんてこの程度までですね。

 まあ、台風の時に家が揺れ、身の危険を感じることが無くなっただけましでしょう。
 まだまだ、樋門の閉鎖など課題は残っています。
 町の安全より、滅多に行きもしない浜の散歩を楯に閉鎖に反対する人が居るので困ります。
 津波は100年に一回か1000年に一回には違いないのですけどね。
 樋門閉鎖は目に見えるので勝手に実行することも不可能です。
 でも、早くしないと…
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by je2luz | 2012-06-23 11:07 | 熊野 | Trackback | Comments(1)
2012年 06月 22日

熊野の旅 夏祭りの季節

 この辺は、大きな祭は無いかわり、小さなのが一杯あります。
 それも、「夏祭り」が多いです。
 「天神さん」「弁天さん」「稲荷さん」「竜宮さん」・・・
 ご本尊様は何でも良いようで、子供の居る人はお参りしています。
 この他にも色んな町内の夏祭り・夜店・ビアガーデンまであります。
 更に更に…
 官製夜店までやってくれます。
 
 遊びをせんとや 生れけむ戯れせんとや 生れけん・・・
 なんてのがあるようですが、好きなんですね。
 市長さんも小林って苗字では無いのですが…
 「われときて 遊べや銭の 無い市民」
 と、ばかりにイベントをやってくれますからね。
 マインドコントロールで幸せになれるのなら良いのですが、市民も結構覚醒していますからね。

 吾が町内でも、少しだけ伝統のありそうな「新出町稲荷」の夏祭りがあります。
 私の名前で保健所の営業許可も貰いますし、公安委員会で通行止めの許可も貰います。
 通行止めする区間を大幅に減らして、他所様の車に迷惑を掛からないように去年から変更しました。
 7月20日…今年は金曜日ですね。
 この日は5時半には神主さんに来て貰っての神事もあります。
 きちんと神事をやる祭ですから、まともなはずなのですが、お賽銭も売り上げの方は年々下降気味です。

 そりゃあそうでしょう…
 木本町の子供の数が最高時代の1/10になっちゃったのですし、当然親も年を取って、生ビールを5杯飲んだ人が一杯で酔っ払うようになっちゃいましたからね。
 「飲んだら乗るな!」と言わなくてもこんな状態ですね。
 お店をやる側も、「元・きれいどころ」「若い頃はさぞかし…」と言った調子ですね。
 
 他の町内の予定は分かりませんが、毎週土曜日には夜店があるのだと思います。
 ここの夜店では、御輿奉仕団の若い連中が「干物」を焼いて売っています。
 地場物の干物を焼きながら売るのですが、「地場産品振興」だとか、「熊野の味を発信する」なんて変なことは言いません。
 言えば補助金が出るかも知れませんけどね。
 
 稲荷さんの建物が傷んできているのですが、小さな町内ですから、立て直しとか遷宮とかは無理です。
 商売人が多かった時代にな「稲荷さん」と言うことで寄付も集まったようですが、木本からはお店がほとんど消えて居ますしね。
 こればっかりは補助金申請も出来ません。
 さて・・・
 どうしましょう?
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by je2luz | 2012-06-22 18:53 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 06月 21日

熊野の旅 ふるさと公社 相撲協会

 紀和町ふるさと公社と日本相撲協会・・・
 縁もゆかりも無い二つの団体です。
 でも、この二つは「財団法人」という組織です。
 相撲協会は法律改正によって、新しい公益財団法人に移行しようとしていますね。
 紀和町ふるさと公社はこれも営利を目的としたもので、財団法人に留まることが出来ない物です。
 確かに瀞流荘とか湯ノ口温泉なんて財産もありますが、それの管理のためでは無いですからね。
 いまは、食肉加工センターや漬け物工場、どぶろく醸造所などを抱えたまさに営利団体ですからね。
 法的に、目的がおかしいから、組織の改編、冠の取り替えの準備中です。
 でも、熊野市民にとって本当に問題なのは、これらの事業全てが赤字であることです。
 こうした物が紀和町の所有であった頃から改善はされていません。

 過疎地対策、僻地対策という名目で施設は作られてきました。
 以前にも書いたように、「資源探査」という名目で本来は探したはずの「銅」などは有望な鉱脈が見つからず、偶然「見つかった温泉」を残したのが、今の温泉の始まりです。
 「偶然」ではなく「目的」だったのですし、「残した」のは「残して貰った」なのですけどね。
 資源探査のボーリングの穴は塞ぐのですが、真の目的の温泉を塞ぐ訳には行きませんからね。
 遙か前の時効が何回も成立する前の、優しいお上のしてくれたことです。
 と、言うことで…
 それ以来、赤字を積み重ねる事になったのです。

 温泉の出が悪くなってきたので、つい先頃、再度ボーリングをして湯量は確保されました。
 でも、各施設共に老朽化が始まっています。
 「採算が合わなくても、雇用を産んでいるのだから良いでは無いか!」と言う答弁も出てくるのですが、この先これで良いのか疑問ですね。
 経常赤字の他に、補助金垂れ流しの施設建て替えなんてのもあり得ますからね。

 湯ノ口温泉などの湯は良いお湯です。
 単純泉で匂いプンプンというものでは無いですけどね。
 谷間のログハウス風のバンガロー群も少々たてこみすぎでゆったり感は無いですが、悪くは無いです。
 入鹿鉱山の遺物の「トロッコ電車」も動物園のお猿の電車と違い本物の良さがあります。
 保津川のトロッコ電車のように景色を愉しむものではありませんけどね。

 こんなものも、遠方からおいで戴くお客様のために公金を注ぎ込んで維持しております。
 国民の福利厚生のためです。
 つまり、利用しないと損な訳です。
 「瀞流荘」では昨日載せた「熊野地鶏」や「キジ肉」がプロの調理で食べられます。
 お土産も買えます。
 それから、「千枚田米」も食べられるのかな?
 うまく行けば「どぶろく」も口に出来るかも…
 温泉は後醍醐天皇にまでさかのぼれるのだとか…
 その時も「銅山」に付随して発見された物です。
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 このトロッコ電車が体験できるのは湯ノ口温泉と瀞流荘の間のかつての幹線部分です。
 このトロッコが地中。山の中心部まで走り回っていたのですが、坑道という物は採掘当時でも落盤・崩落が起きる危険な物ですし、廃坑なってからなど危険で入れません。
 炭鉱のフィルムなどで見る、狭い素掘りトンネルの急傾斜を地底に急傾斜を下る…というものではありません。
 ものすごく狭い線路に小さな車両…
 この線路の末端・切り羽の状況が分かると思います。
 本当に安全を優先したら、この区間でも観光用運行は難しいかも知れませんね。
 楊枝川とかに抜ける道路からは所々でこのトロッコの線路が山から姿を現す部分が見えます。
 かつての飯場の跡もあります。
 鉱山の跡が一杯あるのですが、危険が一杯で観光には使えませんね。
 そんな場所は不気味さがあります。
 古くは「無宿者」戦時中は「英国軍捕虜」「半島からの動員労務者」までが命がけで働いた場所ですからね。
 佐渡の金山は今では観光地らしいですけど、昭和38年かな?その当時はまだまだ整備されて居らず、坑道も生々しすぎました。
 こうした場所まで「観光」で銭にしようというのは嫌ですね。

 
熊野市周辺地図です
 
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by je2luz | 2012-06-21 12:18 | 熊野 | Trackback | Comments(0)