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LUZの熊野古道案内

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2012年 04月 30日

熊野の旅 鯉のぼり

 毎年、七里御浜で「鯉幟」が泳ぎます。
 もう、随分になりますね。
 二十年ってことは無いです。
 お手本は四万十川でしょうね。
 今は全国でこんな風に一杯泳いでいますが、まね軍団ではそこそこ古い方に入るのかと思います。
 主催者は「七里御浜鯉のぼりの会」です。
 発足当時自分の子供が小さかった人も今では「孫」のp鯉のぼりって感じになり、亡くなられた方もおられるくらいです。
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 今年、泳いでいるのは200匹だとか…
 もちろんこれはお古の鯉のぼりです。
 寄付して貰った鯉のぼりを修理しながら使っています。
 市内。近郊ではそんなに補充できませんしね。
 
 この地方は鯉のぼりに血道を上げるところではありません。
 「鯉のぼり」や「吹き流し」「幟」はては「大漁旗」まで、親や一族の面子にかけて頑張るところもあるようですけどね。
 そもそも、中心部の木本町なんかでは鯉のぼりを上げる場所もありませんでした。
 玄関を出れば一尺の余裕も無しで道ですし、隣との間には通路も無い…
 中庭(坪の内)に立てても見える訳も無し…
 鯉のぼりに熱心なのは一寸郊外で広い庭があって他所様によく見える農家のある所みたいです。
 熱心じゃあ無いとろろで、更に生まれる子供が居なくなるとますます鯉のぼりなど見かけなくなりました。

 この鯉のぼりが泳ぐのは昨日から6日のお昼までだそうです。
 鯉のぼりが上がっている間は、車を停めて浜に出てくつろぐ人が多くなります。
 駐車場は用意されていません。
 国道42号線鬼ヶ城トンネルを抜けると前方に「鯉のぼり」が見えます。
 坂を下って堤防の内側に入ると見えなくなりますが、二つ目の信号を越えると道路が上り坂になり堤防の高さまで上がります。
 そこで再び鯉のぼりが見えるようになり、堤防を越えて浜に降りる工事用道路があります。
 一般車両も降りられますし、十数台は停められます。
 しかし、舗装の先は砂利浜です。
 絶対に入らないでください。
 砂浜と違い一般車両は走れません。
 一軒硬そうですが砂浜より悪いです。
 四駆でも軽いジムニーでやっとこさです。
 思いパジェロとかランクルは駄目ですよ。
 まして、おもちゃの四駆乗用車なんて…

 作業した昨日は上天気だったのですが、今日は朝からどんより…
 明日からは天気が悪い日が続くのだとか…
 「鯉のぼり」てえのは、「五月晴れ」とセットのものです。
 この鯉のぼりは雨の日でも泳いでいますが…
 「水を得た魚」って言いますが、鯉のぼりばっかりは「干物」みたいなものです。
 やっぱり、天日の下の方が似合います。
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    NIKON D800E 24-120 Zoom ISO200
 
熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2012-04-30 10:05 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 04月 29日

熊野の旅 なんだかなあ… 2

 先ほど買い物に行く途中で鎧甲に身を固めた男たちと、一寸時代がずれているような、さも「熊野詣風」の旅装束の女との集団が歩いていました。
 鎧からすると平家の公達では無いですね、
 朱胴の鎧ですが、たいした武将という訳でもなさそうだし…
 背中に「旗指物」が付いていて「松阪勝手何とか…」と書いてあったように思います。
 写真を撮ってブログネタにするのが普通でしょうけど、恐ろしくこの地にそぐわない集団なので撮る気にもなりませんでした。
 見かけた人に言わせると、熊野在住の「文化人」?、「芸能人」?「アーティスト」?も入っていたのでは無いかと言うことです。
 芝居の宣伝かな?
 補助金をばっちり持って行って仲間内が愉しむようなことをやるので私は嫌いな集団ですが、それがかんでいたのなら撮らなくて正解でしょう。

 ローカル紙には載るでしょうけどね。

 ここの豪族は「多蛾丸」という海賊の元締めでした。
 どれほどの悪さをしたのか知りませんが、征夷大将軍「坂上田村麻呂」に退治されちゃいました。
 それ以降は大名になるほどの勢力を持った家も無し…
 争乱の度にあちこちの村から出兵したようですが、敵味方バラバラ…
 落人をかくまった記録もあるようですが、武将が武将らしくしてここに居たことは無いでしょう。

 なんだかなあ… という感じです。

 ここに似合うのは…
 ふんどし一丁の男衆
 つんつるてんの着物で裾よけ?おこし?が衣装の一部と言った女ども
 真っ裸で走り回るガキ
 刀を差したのは「奥熊野代官所」のお代官様
 もし鎧を着ているなら、元結いを切ってボロボロの落ち武者…
 だと思いませんか?
 格好良いのが来たとしたら、征服者とかいじめに来る連中でしょう。

 イザナギ・イザナミはヤマトタケルのような出で立ちだったでしょうか?
 その時代にはここも国の中で重要だったし、重要人物も居たでしょうけどね。
 でも、あんな時代のまっすぐな刀が伝わっているという話も聞きませんね。
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 ここで火之神が生まれたのだそうです。
 でも、お袋さんが焼け死んだからと言って、親父さんがその火之神を殺しちゃったとか…
 今はやりの事件が神話の時代にこの有馬で起きたのですね。
 ???
 所で…
 火の神様を殺しちゃって、日本はどうなったのでしょうね?
 そんなにどうでも良い神様なのでしょうか?
 私って皮肉れていますね。
 でも、不思議ではありませんか?

 
熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2012-04-29 12:19 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 04月 28日

熊野の旅 なんだかなあ…

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 今日の熊野市駅の午後…
 上りの列車がもうすぐ来るという時間です。
 ホームには4人のお客さん…
 そして、駅前は3月28日完成だったはずの工事がだらだらと行われています。
 もちろん、「ご迷惑をお掛けいたします」なんて看板など出ていません。
 なにしろ、自分たちが27日にやる500万円を超える予算をつぎ込むイベントにさえ間に合わせれば良い…という考えでやっているのですからね。
 憶測では無く、半ば公式の答弁で、「何とか5月27日には間に合わせたい」と行ったのが熊野市なんです。
 そこには「観光客」も「通学生」も見えていないのです。

 この差し出しの屋根もほとんど意味が無いのです。
 このひさし部分にタクシーもバスも入り口さえ入らないのですから…
 そして、乗降客の減少で旧来の屋根のある通路さえ一杯になる事は無いのです。
 何のため???
 「お金を使うため!」なんでしょうね。
 近年の熊野市の無駄遣いの元凶は…
 市民の多くが気がついているのですが、トップとそのお友達のエリートが余分なことを考えるからです。

 「過疎債・合併債を使うので熊野市の負担がほとんど無いのだから良いでは無いか!」と公言をしてはばからないってどんな神経なのでしょうね。
 「非国民」以外の何物でも無いでしょう。
 85%、90%の国の負担や、返済の負担だって、日本の血税なのです。
 どうしてもやらなくてはならない防災工事とか住民福祉なら分かるのですけどね。
 千万円、億円単位の無駄遣いは…

 平和ですね…
 クーデターが起きないし、デモすら無いのですからね。
 私の意見の賛同してくれる人も少し増えましたけど…

 全国の皆さんは、自分の金を少しでも取り戻すために、この熊野の施設を利用してください。
 それ以外に元を取る方法はありませんから…
 まだ、ゴールデンウィークは一週間あります。
 列車もがら空きです。
 思い立ちさえすればいつでも来られますよ。

 
熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2012-04-28 19:44 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
2012年 04月 28日

熊野の旅 ゴールデンウィークだそうですね

 今日からゴールデンウィークだそうですね。
 元々曜日に関係ない生活だったので、このゴールデンウィークというものももう一つピンと来ません。
 役所が休みという以外は、道路が少しこむだけです。
 熊野市のようにリタイア組が多いところでは、「連休」なんて実感が湧かない人が多いでしょう。
 昔は「山林労務者」とか「一次産業従事者が多くて、「土日」すらいい加減だったのですが、今だと、「山働き」も「土方」も日曜休みの職場に変わったところが多いですけどね。
 子育てが終わるとますます曜日もどうでも良くなり、ゴールデンウィークも意味が無くなります。

 連休前に「鬼ヶ城の周遊道路」は久しぶりに通行可能になったようです。
 でも、東口への道路は修理中です。
 近年、鬼ヶ城をまともに観光できるときは少ないですね。
 「熊野古道」に行政の関心も移っていますから…
 まして、「津波」なんてのが現実味を帯びてくると、イメージ的に大変です。
 最近言われているような「空前のスケール」となると。鬼ヶ城では助かりませんからね。
 ここだけでは無く、海岸線の名勝、海のレジャーポイントはどうしようも無いです。
 ことに太平洋岸はどこでも命がけって事になりますね。
 でも、東京に居たって、名古屋に居たって駄目なときは駄目なんですから…

 今の時間…土曜日午前10時40分…
 名古屋とか大阪を早朝に出発した車がそろそろ家の前を通過する頃です。
 暫く家の前で車を観察していました。
 他所へ遊びに行く車が多いはずの上りと、入り込み客の多いはずの下りを比べると、あまり変わりなし…
 今日などは下りが多くないと「収支」が合わなくなります。
 こっちから出て行く人は。買い物とかレジャーランドとかで同じガソリンを焚いても使う金が熊野古道歩きの人よりはるかにお金を使います。

 下りの車のナンバーを観察しても、地元の三重県ナンバー和歌山県ナンバーがほとんどです。
 高速無料化の時もこんな状況でしたね。
 無料区間の高速も延びてきたのですが、都会の客を引っ張る要素にはなっていないのでしょう?
 よその人で、紀勢自動車道が出来てきたことなんて知ってて居る人はほとんど居ないでしょうし、「これを機会に熊野へ…」なんて思う人もほとんど居ないでしょう。
 こちらでは、部分開通すると報道されますから、松阪だ名古屋だ…と出かけるきっかけにはなるようですけどね。

 昨日、「産田神社」へ写真を撮りに行きました。
 「花の窟神社」は新しい観光施設が出来たばかりなので車も人も居ましたが、セットのはずの「産田神社」には観光客は居ませんでした。
 そばの市道も産田橋が落ちてしまってまだ直っていませんからね。
 バスも止まったままなんですから、あまり来ないでしょう。

 観光は「産業」だという考えですから、金を使わせるところにだけ人が来れば良いのかも知れません。
 謂われなどをよく知っているとか、「気」なんてのを感じ取る人以外には、熊野市の霊場は見るべきものなどありませんからね。
 分かって貰うことなんて不可能に近いものが売りなんです。
 実在するやら居ないやら…
 古代信仰だと言いつつ、新興宗教と同じように「信じるものにしか分からない」ものですから…
 今はやりの、「パワースポット」だと「有名な霊能者」に言って貰って、ネットやワイドショーやおちゃらけ番組で放送して貰えば、「かわいい女の子」が沢山来るかも知れませんね。
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 私が産田さんに行ったのも、カメラのテストってことなんで信心深い訳でも無いんです。
 何もない小さな鎮守様みたいな神社ですが、「いいところ」です。
 縄文時代から人が住んでいた所ですから、「火の神様」が生まれたのも本当かも知れませんよ。

 
熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2012-04-28 11:15 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 04月 27日

熊野の旅 井戸川災害復旧工事 3

 井戸川の中流部、下の大馬神社・宇井団地から上流に関しては、砂地の河床では無く岩だらけの川です。
 洪水直後に積み上がってしまった岩を一部取り除きましたがまだまだ足りません。
 この区間に入ると道路や堤防の護岸が壊されたり、足元をえぐられて宙に浮いたところが沢山あります。
 井戸川の護岸に関して言うと、ものすごく根の浅い石垣、擁壁だらけです。
 少し下に岩盤があっても岩着させていないところが多く、そこがやられています。
 この洪水で構造的な手抜きが露呈した格好です。
 まず、そうしたものの修理と壊れていないところでも、根を深く下ろして洗われても崩落しないようにする工事が先に行われます。
 
 井戸川本流にはそこそこ大きな砂防ダムもあります。
 これはとうの昔に土石で埋まってしまい役に立っていませんでした。
 掘削浚渫をお願いしてもやって貰えなかったのです。
 今回ほどの土砂が流出すると、全部を止めることは不可能ですが、多少は被害を軽減できたでしょう。
 この土砂除去工事は「災害復旧」に当たらないと言うことで、砂利採取業者さんに取って貰うとか・・・
 「本来は中々許可の下りないものをただで許してやるから取ってくれ・・・」と、言うことなのですが、砂利業者と言えども、要らない分の石や砂は要りませんし、泥混じりのものは要りません。
 そして、一気にダンプカー数百杯とか千杯とかの量も要りません。
 県土木が思うほど・・・と言うより・・・効果があるほど採れるのは何時になるやら・・・
 金を払ってでも早急に取り除いてくれるようには要望しておきましたが・・・
 背後地の大馬・瀬戸の山が非常に危険で土石流が何時起きてもおかしくない状況ですからね。
 そちらの方も「林政」と合議して出来るだけの対策をするよう要望するしておきました。
 何しろ、ほとんど全部が県の管轄ですし、私は県議ではありませんからこんな機会に要望するのが近道です。

 「県道七色峡線」の復旧はまだまだ当分先です。
 狭い峡谷状の所なので、土嚢を積んで仮設で車を通してしまうと工事は出来ないし、仮設と言えども河川敷を使うほどの川幅も無し・・・
 仮橋を架けて向こう側の山腹に道を付け、もう一本仮橋を架けて戻ってくると言う大工事で仮設道路を作ります。
 それが出来るのは来年の夏以降になりそうです。
 更に本復旧が出来上がるのはもう一年先・・・
 神川の人・和歌山県北山村の人・野地製材の人には随分待って貰うことになりますが、地形が悪すぎます。
 通れない二年・三年の間にも過疎は進むのでしょうね。
 片道20分から40分余計に掛かるのが二年三年となると・・・
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 このように井戸川を見ると、河口部から上流まで、ほとんど切れ目無く災害復旧工事が行われます。
 復旧工事以外では、流木を止める柵が一基作られます。
 普通の台風の雨程度ならそんなに多くの流木も出ませんから役に立つでしょう。
 膨大な量の時にはこれがダムになって県道を川が流れると言うこともあり得るような気もします。
 そんな雨が降らないことを祈りますが、温暖化が進むと・・・
 小氷河期が来るとそっちは言いにしても、もっと困るでしょうしね。

 この辺では珍しかった「沈水橋」も無くなります。
 取水用の堰も姿を変えます。
 水はけは良くなっても段々味気なくなるのが日本の川です。
 取って付けたような「親水公園」を作っても、出来たときには文化人は褒めますが、その人たちも近寄らない代物ですしね。
 
 「神仏のご加護を!」
 熊野は神々の郷
 日本は神国
 「神」に頼らないといけないと言う意味なのかも知れませんがね。

 
熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2012-04-27 10:50 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 04月 26日

熊野の旅 井戸川災害復旧工事 2

 昨日に引き続き井戸川の台風12号関連水害復旧工事についてです。

 河口から3Kmほどの平坦部分は川底の浚渫が主な工事になります。
 単純に護岸のかさ上げと行かない所ですから…
 両岸を同じようにかさ上げしないと低い方に集中するし、道路をあげるには敷地の狭い区間も多いし、パラペットで上げるにも用地を確保すると神田川状態になりかねませんし…
 更に合流してくる小さいとは言え支流も勾配が無いので逆流しますし…
 以前に川から少し離れた井土で喫茶店を借りてやっていたとき、12号ほどの増水でも無かったのにそばの側溝から井戸川の水が噴き上げてきましたからね。
 一筋縄で行かないのが「水」というものです。

 災害復旧ではやれませんが、ボックス・カルバートをもう一本増設しようという計画も検討されています。
 説明会では。「カルバートが邪魔をしているから水が溢れる!」となじる声もありましたが、事実誤認ですね。
 伊勢湾台風の後、あのカルバートが作られたのです。
 昔からの念願であった、「河口閉塞」から、井戸の人は解放されたのです。
 それまでは、台風の度に河口が詰まって川が溢れ、鉄道から山側の田圃は湖のようになったのです。
 あれが出来てから少し安心できるようになり、田圃が埋められて住宅地に変わったのです。
 カルバートが無かったら…
 住宅地が出来なかったでしょうから、確かにこうした被害は無かったかも知れません。
 ほとんどの人は、カルバートがあるから住み着いたのです。
 そんなことは意識はしないでしょうけど…
 つまり、今の赤坂も井土も井戸川の遊水池を埋めた所なんです。

 でも、こうして宅地になって人口の一割ほどの人が住み着いたのですから守らなくてはならないですね。
 その根本解決は「カルバートのトンネル増設」しか無いでしょう。
 大変な工事ですが隣町の「輪中」よりは効率の良い物です。
 必要な用地には数軒の家もありますが住んでいない所がほとんどですし…
 でも、中々土地が買えないのが熊野なんですけど…

 もう一箇所…
 鉄道の鉄橋が低いのと橋杭が矢鱈と多いのも困りものです。
 昔に作った鉄橋で、橋桁がすごく細く、それを支えるために橋杭が多いのです。
 さらに、線路自体も低いのです。
 大水になると紀伊木本駅当時から駅前が冠水する高さに設置された紀勢線なんです。
 線路が冠水する前に橋桁には水が当り、近年のように山からの流木が増えると引っかかって当たり前です。
 今回も浸水もここがダムになりましたから…
 そして、その水圧に耐えられなくなって向こう側の橋杭が傾き橋桁が落ちたのです。
 しかし、これの改良は線路のかさ上げが必要だし、道路のように手前でひょいと持ち上げる訳にも行きませんから、まずやっては呉れないでしょう。
 向こう側はポイントだらけの駅構内ですしね。
 いくらJR東海が黒字でも、紀勢線は一度も黒字になったことが無いですから…
 
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熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2012-04-26 10:43 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 04月 25日

熊野の旅 井戸川災害復旧工事 1

 昨夜は三重県紀南建設事務所(県土木)が行った、台風12号関連水害の「井戸川流域災害復旧工事説明会」に行ってきました。
 私の住んでいる木本町は井戸川の水はあふれてこない所なのですが、仕事柄、井戸川の工事についても沢山の質問を受けますし、知りたいこともありますから住民では無いのですが出席しました。
 小選挙区制では無いので、市内全域が受け持ちですしね。

 何しろ、井戸川は大峪と大馬の二つの源流から河口まで切れ目無く全域やられましたからね。
 少し前に、瀬戸と大馬では説明会を済ませたようです。
 そして、住宅密集地の井戸中心部の説明会になったのです。
 被害戸数が多かった割に説明会への出席は少なかったです。
 「災害復旧工事説明会」であり「要望を聞く会」では無いので意欲が湧かなかったのかも知れません。
 この手の工事は名前の通り「復旧工事」が主体です。
 以前に比べれば、「復旧」では無い部分の「改良」「防災」の感覚も増えていますが、それでも国の予算もやっぱり「災害復旧費」ですから住民の思うには任せません。
 これは、あれだけ言われている東北の災害でも同じですね。
 ここは規模が小さい分、無理も利きにくいです。

 井戸川河口から下の大馬神社(遙拝所)までの平らな区間と、その上流では様相が全く変わる川です。
 たった3Kmほどなのですが、下流部は砂地の川で、その上からはゴロ石どころか大きな岩が積み重なる川に変わるのです。
 山が急なのと出口が狭いので扇状台地にはならなかったのでしょう。

 この下流部はこの水害で水があふれて住宅街をどっぷり浸けてしまいました。
 そして、水が引くと河床が1.5m~2m位上がってしまいました。
 元々、遊水池になる河原が無い川になってしまっているのでこれではすぐに溢れます。
 と言うことで、この区間は秋までに浚渫します。
 少しだけ住民の人は安心するでしょう。
 「梅雨時をどうしてくれる!」と言う声もありましたけどね。

 でも、ここに元々ネックになっている鉄橋部分が立ちはだかります。
 国鉄時代からこうした土木工事の大きなネックになる事が多いのです。
 安全第一…運送事業法とか…元は日本国有鉄道として法律で守られてきた団体ですし、「ファミリー企業」なんてのが今でも厳然として工事全般を独占しているのも常識みたいな世界です。
 河川は国のもので、井戸川は三重県の管理なのですが、この部分は県土木でも中々手が出せないのです。
 災害の復旧で鉄橋を架け直すのも管理者の県の意向より東海旅客鉄道の方が強かったとか…
 私の今までの経験からしても「さもありなん」です。

 と、言うことで鉄橋のそばから河口のカルバートまでの300mほどの工事はどうなるかまだ未定だそうです。
 決して民営化されては居ません。
 良い意味でも悪い意味でも、やっぱり「国鉄」なんです。
           続く
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熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2012-04-25 09:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 04月 24日

熊野の旅 熊野と出雲

 出雲の国は大和の国とは違う民族、違う文化だったとも言われるようですね。
 「縄文字」なんてのがあったとか…
 縄文字は南米の方にもあったとか…
 他にも「隼人」もヤマトでは無いとか…
 もちろん「アイヌ」は別ですしね。
 あきらかに容姿の違うアイヌを除いてはごちゃ混ぜになっていったようですし、それが大陸の方の国のようなややこしい民族紛争のない国を作ったのでしょう。
 そのおおらかさはいい加減さにもつながるのでしょうけどね。
 渡来人もどんどん受け入れてきたのだし…
 なのに…
 近世になってからおかしな事になったようですね。
 「鎖国」に続く「明治維新の開国」で、偏った愛国心?を煽ったからでしょうか?

 出雲国も神の国ですね。
 なにしろ、十月には「山の神」を除いて日本中の神々が「出雲」に集まっちゃうのだそうですからね。
 「通常国会」なのでしょう。
 集まるところが「伊勢」でも「丹後」でも「淡路」でも無いのが面白いですね。

 その出雲にある「出雲大社」の「大阪分祀」という団体が「熊野信仰」を取り入れているようです。
 「花の窟神社」には年に二回でしょうか、団体でお参りに来ます。
 「お綱掛神事」とは別に独自の行事をやっているようです。
 宗教団体としては新しいようですけどね。
 新宮の「神倉神社」のそばにもこの団体と同じような団体の教会?があったように思います。
 この「出雲大社大阪分祀」と「熊野」の関係については何も聞いたことありません。
 最近では、花の窟神社へのお参りの日には地元の人たちが大きな団体と言うことで接待をしているようですけどね。
 バスから自家用車からで、有名な「お綱掛神事」より多いくらいの人が参拝しますからね。
 何しろ「宗教団体」ですから、単純に「観光客」として扱う訳には行きませんね。
 それだけに、一杯来ている割に中味などは報道もされていません。

 こうしてこの団体がやってくると言うことは、神話の世界では結びつきがあるのでしょう。
 私にとっては、日本の神話の世界は神様の名前からして日本語とは思えないくらいですから全く分かりません。
 言葉の方も、日本人のいい加減さで「ヤマト」が征服していった割に「大和言葉」を押しつけないで変わっていったのかも知れませんね。
 そのいい加減さの典型が私でしょうけどね。
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熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2012-04-24 10:29 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 04月 23日

熊野の旅 熊野市と宗派

 前にも触れたと思いますが…
 お葬式が続いたので又々不思議さがぶり返しました。
 一軒が「天理教」で一軒が「日蓮宗」…他は全部曹洞宗…
 長い目で見ても私の廻りではこの他では「創価学会」があるくらいです。
 お寺さんも「念仏」が一軒あるのは知っていますが、他には「大師堂」とか「水大師」なんていうお堂しか浮かんできません。
 曹洞宗以外は「両鉢」なんてお坊さんが7人も必要なお葬式は出来ません。

 この曹洞宗に固まっちゃった理由もよく分かりません。
 近いところには「高野山金剛峯寺」と言う日本仏教の元締めの「真言宗」の総本山があるのに、その真言宗では無いんですね。
 遠く「永平寺」の「曹洞宗」なのです。
 隣の吉野郡下北山なども同じようです。
 宗派は曹洞宗なのに、「弘法大師」が大好きみたいです。
 各宗は横断の「西国33箇所御詠歌」はお通夜にやるんだし…
 「御詠歌」の共通本尊の「観音様」はそんなに目立たないし…
 「観音経」を唱えているのもあまり聞かないし…
 それに…
 飛鳥とか五郷みたいに元々家の少ない村でも、同じ「曹洞宗」のお寺が何ヶ寺もあるんです。
 信仰心の厚い時代でも全部の末寺が小さなお寺になってしまいますよね。
 だから、大きなお寺さんの無い所です。
 小さな寺ばかりで住職さんも食えないので何ヶ寺もの掛け持ち状態です。

 私の家なんかは、ひいじいさんとじいさんが、檀家寺だった曹洞宗のお寺のもめ事で位牌を持ってけんか別れして、こちらには無かった日蓮宗のお寺を作っちゃったのだそうです。
 そして、その頃に「天理教」が入ってきてどっさり入信しちゃったようです。
 まあ、日本は結構いい加減なところですからね。
 いやいや…
 柔軟性に富み、新種の精神に満ちたところなのでしょう。
 耶蘇教が入ってくれば信じちゃうし…
 白装束の団体…ポアを命じる教祖様の団体…足の裏で何でも分かる団体…集団見合いの団体…女の子の信者を引き連れて居た団体…
 いやはや賑やかなものです。
 
 弘法さんが好きな人が多かったので、「高野山」にお参りする人も多かったようです。
 永平寺より近いですしね。
 もっとも、高野山には各宗派の開祖も祀られていますね。
 高野山にお参りしておけば足りるかも知れません。

 かくいう私は、身延山・比叡山・高野山・永平寺などと言う本山にはお参り?見物?に行っています。
 何宗の何派ヶ分からないお寺なら・・・
 法隆寺・薬師寺・東大寺・知恩院・西芳寺・天竜寺・三千院・金閣寺・銀閣寺・泉岳寺・増上寺・浅草寺・瑞巌寺・毛越寺・恐山菩提寺・・・
 数え切れないくらいです。
 何しろなんと言って拝んで良いのやらさっぱり分かりません。
 大きなお寺も無いので大きな宗教行事も無いです。

 で・・・
 一体誰の影響で「曹洞宗」が多いのでしょう?
 近くで一段大きな、那智山青岸渡寺は天台宗です。
 吉野の金峯山寺なんてのは戦後に立宗した「金峯山修験本宗」なんてものらしいです。
 つまり、大きなお寺の影響でもなさそうです。
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熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2012-04-23 11:45 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 04月 22日

熊野の旅 熊野と外国

 熊野と外国というと、「秦の徐福」が出てきます。
 秦の始皇帝の命で「不老長寿」の薬草を探しに来たのだとか…
 探していたのが「天台烏薬」だったとか…
 現代医学で早く校が無いとか…

 歴史に残って?居るものではこれが古いものでしょう。
 でも、この立地条件から言うと人類が海に出るようになって以降には随分色んなのが流れ着いたでしょう。
 漁に出てそのまま流されてきた南方の漁師…
 冒険に出て流れ着いた向こう見ず…
 記録には残らないけど結構な数でしょうね。

 ここから出ていった人も沢山居ます。
 「普陀楽渡海」なんてのは極楽浄土向けの片道公開ですから別格ですが…
 戦前の満州にも沢山入植したようです。
 私の年の違う同僚にも「満鉄」に居た人も居ましたし、「満州引き揚げ者」の人も居ました。
 その頃だと、私の父は「北支」で戦死し、おじが「ビルマ」で戦死しているように、アジア各地に送り込まれています。
 平和に渡航した人たちには、戦前のブラジル移民と戦後のブラジル移民の人も居ます。
 「ボリビア」に移住した人は知りませんが、この地方からも居たのでしょうね。
 戦前に「ハワイ移民」も居たのかな?

 ブラジル移民で帰ってきた人も廻りには居ます。
 「ナンベー」などと呼ばれた家族も居ます。
 戦後になってブラジルで出世した人も居ます。
 サンパウロ州警察の大佐だとかでえばって居た人は南牟郡市木の人でした。
 ブラジルを訪れたときにその人の引率で警察の訓練を見せて貰いましたが、アメリカの州の軍隊のように警察では無く完全な軍隊でした。
 バストスで大農園を経営している人も市木の人だったように思います。
 でも、貧しいままで終わった人の方が多いのでしょうね。

 こんな風に世界に散っていった「熊野人」も多いようです。
 そして、近年では大昔のように南方系の人が入ってくるようになりました。
 豊田などのような工員さんとしてでは無く、夜の仕事で来る女の子とか、日本の田舎ではよく見られるように「嫁不足」を解消するための花嫁さんです。
 ほんの半世紀前には「戦争花嫁」で日本の女の子がアメリカなどに渡っていたのですけどね。

 日本の国籍法は島国だったので制約がきついようですね。
 渡航していた日本人にはそこそこ優しく、帰国も楽だったようですが、入ってくる人には厳しいようです。
 元々は「単一民族では無かったようなのに、すっかり「大和民族」で一括りしてしまいましたから、その他は「外人」「異民族」なんですね。
 「花嫁さん」になってくれても…

 米軍基地も無いし…
 近代では流れ着いたのは「トルコの軍艦」くらいだし…
 今でも「外人さん」は珍しいです。
 新宮では「合気道}?の道場に目の青い弟子がちょこちょこ来るようですけど、それ以外は…
 「世界遺産」になってからも外人さんの「バックパッカー」はあまり見かけません。
 鎖国している訳では無いのですけどねえ…
 中学校の英語講師が数人居るようですが、目に付きませんね。

 観光地だし、「秦の徐福」の伝説もあるけど、今はやりの「中国人観光客」も来ません。
 和歌山県は力を入れているので白浜くらいまでは来ているようですけどね。
 白浜は「温泉」があるし、中国人のお目当ての「大阪日本橋」とのセットで売り込めますからね。
 日本人のツアー同様駆け足?全力疾走?の団体さんに、「田舎の峠道を歩け!」と言っても来る訳無いですよね。

 と言うことで、熊野と外国って、縁が無いことは無いのですが、日本の中では、「外国が遠い場所」なのかも知れません。
 飛行場も遠いですけど…
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熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2012-04-22 11:39 | 熊野 | Trackback | Comments(0)