LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ

<   2012年 03月 ( 31 )   > この月の画像一覧


2012年 03月 31日

熊野の旅 春 桜事情

 今年の春は寒いです。
 少々桜が遅れています。
 冬が寒かったので少し気温が上がると意外と早く咲く物なのですが…
 学者によると、秋の気温が一定に落ちた日から開花タイマーが働き出すのだとか…
 どっちにしても、この辺では少し遅れ気味です。

 そもそも、桜ってやつは個体差が結構あるようで同じソメイヨシノに見えても片や満開、片やちらほら…
 温室で管理できる物でも無し…
 おまけに。「桜まつり」なんてのは町内の花見、長屋の花見みたいに思い立ってすぐになんて出来ません。
 早いときには次の年の日にちが決まる何て物です。
 おまけに、開催するのは日曜日…
 いくら賞味期限の長い桜でも…

 ちらりほらり…
 古い歌なら
 「あなたと二人で来た丘 港が見える丘・・・ ちらりほらりと花びらが…」 
 一杯咲き誇っていないと「寂しい風景になるようです。

 明日は熊野市紀和町小森で「小森桜まつり」です。
 雨天決行だとか…
 
 来週は熊野市神川町で「「那智黒の郷 神川桜まつり」です。
 多分、この日には奈良県吉野郡下北山村池原でも桜まつりがあると思います。
 日曜日は7日に一回しかありません。
 未だに一日限りのイベントは「日曜日」です。
 そして、桜が咲く時期の日曜日って二回程度で、たとえば第二日曜日としたら一番早ければ8日、遅ければ14日になるんです。
 主催者にはなりたくない日程決めですね。

 今日はかなりの雨です。
 天気予報では午後には止んできて、夜には晴れ、明日は上天気だそうです。
 でも、いっぱいしたくして行く人たちの気分がそがれているでしょうね。
 それに、明日ではいささか早いようです。
 まあ、酒飲みには「桜は口実」でしょうけどね。
 主催するところが過疎の小さな集落ですから、どっと押しかけられたらもてあますでしょうけど、あまりに少ないと開催する気力がそがれるでしょう。
 一日のイベントでは「地域興し」なんて物にはならないはずですが、「集落の求心力」「来年への気力」としての働きは大きいと思います。
 
 かなりの辺地ですし…
 明日起きて、小森まで行く気力が起きるかどうか…
 私の方も高齢化で気力が…
 ここの桜祭りは一度も行ったことが無いのです。
 何しろ、少し前には熊野市では無かったですからね。
d0045383_11265420.jpg


 
熊野市周辺地図です
 
[PR]

by je2luz | 2012-03-31 11:30 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 03月 30日

熊野の旅 春 七里御浜 地引き網

 昨日に引き続き、消えてしまった春の風物詩です。
 
 海の方では、春先になり、鰯が獲れ始める頃になると「地引き網」が引かれました。
 漁としては春だけでは無いのですが、鰯の季節が一番目立ちましたね。
 それに、子供の頃の私が浜で眺めるなんてのは、季候の良いときしかありません。
 穏やかで。「ひねもす のたり のたりかな」なんて詠まれるような海が似合う漁法です。

 大敷のように網を張ってどっしりと待ち構えるで無し、巻き網や棒受け網のように魚を追いかけ回すでも無し…
 堤防に見張りを立てておき。鳥が騒いだり、海面が縮緬皺のようにざわついたりしたら仲間を呼び寄せて船を出し、魚の群れを取り囲むように網を張る。
 網の両端のロープをろくろで巻き取って引き寄せて浜に引き上げて魚を捕る…
 何とものんびりした漁法です。

 まあ、こんな漁法ですから今の近代漁業には向きませんね。
 どこでも、半農半漁と言われる形態の所で、海岸が砂浜や砂利浜の所です。
 と、言うより…
 そうしたところはこの漁法くらいしか漁師は出来なかったのでしょう。
 だから、時代が変わると、小さな農家でも食えない、たまに出るような漁業でも食えない…と、言うことで成り立たなくなったのだと思います。

 以前だと、この木本だけで二統の地引き網があったのです。
 この地引の漁業権は「潜堤」の工事のときに買い取って消滅しています。
 今から二十年ほど前ですが、その時にはすでに網は引かれていませんでした。
 いわゆる「観光地引」としてたまに引かれた程度でしたからね。
 有馬でも口有馬、釜の平、志原尻などにありました。
 松原に木造の和船がおかれ、網が積まれていつでも出せるようになっていました。
 魚の群れが来たときが漁期なんですからね。
 そして、魚が来ても気がつかなかったり人が集まらなかったり、集まっても通り過ぎていたら駄目なんです。
 網を巻き上げる関係でそんなに場所は動けません。
 漁漁権の問題以前の構造の問題ですね。

 海岸の風物詩…
 「松原遠く きゆるところ…」 何て歌も実感が無くなったし…
 「我は海の子 白波の…」なんて子供も見かけません。
 それでも、七里御浜はもう春です。
 店先には「小イワシ」が並んでいます。
d0045383_104249.jpg


 
熊野市周辺地図です
 
[PR]

by je2luz | 2012-03-30 10:42 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 03月 29日

熊野の旅 春 大又川 舞ウグイ

 熊野市の山間部を流れる「大又川」は上流部では国道42号線、下流部では国道309号線と平行に走ります。
 清流で流れも速い川です。
 源流からすぐだというのに「渓谷」という感じではありません。
 かと言って大きな川と言うほどでもありません。
 昨年の台風12号では大暴れをし、橋を何本も落とし、護岸を至るところで崩し、田んぼを河原のようにしてしまいました。
 雨の多いところなので、人間もそれなりに棲み分けをしてきているのでこうした被害はあまり起きない川でした。
 しかし、近年では一旦雨が降り出すと川の水が増えるのが早くなっています。
 山が荒れて保水力が無くなっているし、山間にあった田んぼが廃耕田になってこちらも貯水力が無くなっているからです。
 それに加え、地球温暖化で台風は本土に上陸するまで発達を続けるという今までには無い気象状況です。
 何百年も掛かって築き上げた自然と人間の折り合い関係が崩れています。
 この清流「大又川」とて例外ではありませんね。

 大又川はこんなに南にあっても山間部を流れるので冬は厳しい気候になります。
 川岸の方が凍ることもあります。
 子供の頃には川面に氷が張ったのを見たことがあるくらいです。
 そんな川でも、春が近づくと一番にネコヤナギの花が咲き、土筆や蕗の薹が顔を出します。
 そして、4月に入り桜が咲き…
 本格的な春になると昔はもう一つ春の風物詩が見られた物です。
 『舞ウグイ』です。

 『舞ウグイ』とは、「鯏の産卵」です。
 ウグイが集まってきて浅瀬で輪を作ってぐるぐる回ります。
 背中は黒くなり、お腹は真っ赤になっています。
 周辺のウグイが集まってきて何百という数になり輪を作ります。
 産卵場所に選んだ場所は川底の苔ははげ、石はひっくり返って白く変わるくらいです。
 狂ったようにぐるぐる回り人が近づいたくらいではさばけません。
 恋に狂っているときは「ウグイ」だって「人間」だって同じなようです。

 私が子供の頃、この季節になると、川を毎日観察している人が居ました。
 山の猟師で川の漁も大好きだった「平次おじ」でした。
 山ではこの人に追いかけられたら猪でも鹿でもたまったものじゃ無い…と言われる腕前でした。
 この人のおかげで、子供の頃には「猪肉」や「鹿肉」にありつけた物です。
 子供にとっては猪肉などは匂いがあってあまりおいしいものでは無かったですけどね。
 この「平次おじ」が川を見張っていたのは。この「舞ウグイ」を見つけるためです。
 集まってきて騒ぎ出してから産卵を終わるまで二時間足らずですから、見張りをしていないと次の春まで駄目なんです。
 見つけると、「投網・とあみ」を使って獲るのです。
 「一網打尽」という感じです。
 だから、「ほぼ産卵が終わってさばける寸前に網を投げていたようです。
 それでも、今だと「資源保護に反する」とか言われる漁法ですね。
 獲ったウグイは串に刺して炙り乾かしていました。

 その頃の「舞ウグイ」…「ウグイの成魚」は大きな物でした。
 大きいやつは1尺・30cmを越しましたし、普通のでも6寸はあった物です。
 私が大人になってくるに従って川が農薬で汚染され魚が減ってきた頃には、数も減ったけど体も小さくなって行きました。
 舞ウグイになっても5寸・15cmがせいぜいなんて情けない状態でした。
 昔を知る人間から見ると、「未成年の不純異性交遊」みたいな感じです。
 数も少なくて惨めな輪でしたしね。
 盆踊りの吾が小さくなった頃と一致します。

 そして、農薬も毒性が減り、人も減って汚すことが減ってきたのですが小さくなった魚は戻りません。
 近年、子供が帰ってきたときなどに釣りをしても、こんなのが良く食いついた物だというような細かいのが上がってきます。
 悲しくなりますね。
 何かが狂ってしまったようです。
 見かけは同じでも、かつての大又川では無いようです。

 魚が減ったのは「平次おじ」のせいではありません。
 あの人が川に出なくなってから減って行き、小さくなったのですから…
d0045383_10183371.jpg


 
熊野市周辺地図です
 
[PR]

by je2luz | 2012-03-29 10:19 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 03月 28日

熊野の旅 国道42号線

 国道42号線は紀伊半島をぐるっとネックレスのように回っている道路です。
 昔の熊野古道同様、浪速からでも尾張からでも江戸からでもこのルートで人はやって来ます。
 野を越え山越え…と言いますが、この国道に関しては「野を越え」はありません。
 「山を越え」の部分だけですね。
 大正ー昭和と「新道」が整備されるにつれて、峠の下にトンネルが掘られ、本当の峠を越えることは無くなり、さらに昭和40年代の改修で更に長いトンネルになって低いところを越える峠が増えました。
 しかし、山の向こうが同じ標高なら長いトンネルで結べますが、標高差が大きいとやっぱり坂道が残ります。

 熊野市内では「佐田坂」という区間があります。
 海の側の大泊と小阪峠の向こうの小阪の標高差が300mです。
 この区間の長さは8Kmほどです。
 だから、急勾配の急カーブ区間です。
 ここのカーブは少々無理をした感じで曲がりにくい物です。
 若い衆が元気だった頃には「峠族」なんて居たくらいです。
 それに、以前は新宮から熊野へかけては製材所が多く、重い材木を積んだ過積載のトラックが荷を積んだときには登り方向なので結構邪魔になった物だったのです。
 勝浦からの保冷車も多かったですし、大泊や新鹿からの石材出荷もありました。
 だから、この「佐田坂」は難所だったのです。
 いまではこうした産品を運ぶトラックは激減しましたけどね。

 この難所と矢ノ川峠の難所を解消するために、「尾鷲熊野高規格道路」なんてのが工事中です。
 この工事が進んでいるようになってから、佐田坂の上の方に、長い「登坂車線」が作られ始めました。
 三年ほどかかってようやく完成に近づいて、ほとんどの所は供用開始になるようですが、まだ一番上の区間はもう一年かかるようです。
 なんともはや…
 再来年には「高速道路」が完成して、トラックはほとんど走らなくなるのに…
 まあ、無駄に近いのですが、4月からは佐田坂が走り良くなるはずです。
 ただし、一カ所だけ「丸山橋」と呼ばれるところの谷を渡る左カーブは変な風に分離帯があるので無理をすると激突すると思います。
 何しろカーブがものすごいですから、ロングの平ボディ大型トラックと並んだときの圧力はすごいはずです。
 くれぐれも普通のドライバーはお気を付けください。
d0045383_11265270.jpg

写真撮ってきました。
 このカーブです。
 
熊野市周辺地図です
 
[PR]

by je2luz | 2012-03-28 10:26 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 03月 27日

熊野の旅 小さな観光スポット 飛鳥町小又

 国道42号線を南下してきて、長い矢ノ川トンネル・大又トンネルの二本を抜けると熊野市です。
 道路脇の起点からの距離は100Kmを少し超えた頃です。
 最初の集落は「飛鳥町大又」です。
 横を流れるのが「大又川」です。
 しばらくすると「道の駅・熊野きのくに」があります。
 それを過ぎて左カーブを曲がって400mほどのところを左折すると小さな支流沿いに小さな集落があります。
 そこは「飛鳥町小又」で、流れる川は「小又川」と言います。

 この小又という集落も高齢化と過疎がどんどん進行しています。
 農地も狭く大農家もありません。
 この地域でだいぶん前から、「めだかの学校」というのを始めた人が居ります。
 自分の田んぼに睡蓮を植え、魚を飼っています。
 年中水を張っていますから、水生動物やトンボの楽園になっています。
 寒いところですから冬は凍ったりしますけどね。
 睡蓮の季節になると近郊の人のちょっとした観光スポットになっています。
 国道から分かれて1Kmほどでしょうかね。
 小さな看板が出ています。

 そのそばでは、「水田アート」というのが始まっています。
 「古代米」と呼ばれる、色んな色の米を使って田んぼに模様を描き出すものです。
 こうした古代米は収穫した米にも色が付いていますが、生育途中の葉っぱの色もかなり違います。
 生育の早さや背の高さ穂の出る時期も違います。
 背の高さだと45cm位から110cn位までの差があるようです。
 同じ時期に植えても、穂が出るのに1ヶ月も差があるのだとか…
 結構大変な作業になるようです。

 古代米を作物、商品として栽培するにはこの方法は良くないようです。
 これでは交雑してしまい雑種米になりますからね。
 こうした植栽は、まさに「アート」のためです。
 いま、その古代米で書くパターンを募集しています。
 残念ながらご本人のHPはまだ無いようです。
 去年の模様はDVDにしてあり、ご希望の方には分けてくれます。
 連絡先は私の手元にありますがいきなりここに載せるのもどうかと思いますので、必要な方は私に連絡ください。
 やられているのは小又の小畑さんです。
 見頃は7月中頃から9月初旬だそうです。
 夏休みにこちらに来られたときにでもちょっと覗かれてはいかがでしょうか?
d0045383_910071.jpg


 
熊野市周辺地図です
 
[PR]

by je2luz | 2012-03-27 09:10 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 03月 26日

熊野の旅 高速道路 自動車専用道路

 先日、紀勢自動車道の一部が開通したそうです。
 「海山ー尾鷲北」という、こちら寄りが部分開通したとかで、所要時間が5分短縮したとか…
 まだ「大内山ー紀伊長島ー海山」の25Kmが開通していないので本物の高速道路にはつながっていません。
 今度の区間は8割がトンネルだそうです。
 JR紀勢線の熊野市ー尾鷲間は6割トンネルで景色が見えるところが少ないのですが、この自動車道は全く日も当たりませんね。
 まあ、高速道路とかはトンネルでなくても、高いガードレールに切り通し、風切り・防音壁などの連続で何も見えませんけど…

 時間は短縮されるけど、「旅」の楽しみはどんどん減ります。
 列車でも窓が開かなくなったし、速度も上がって動体視力が余程良くないと遠くのもの以外見えなくなって、「車窓」というイメージが薄れました。
 車も同じ事でしょう。
 もっとも、私の場合は長距離は真夜中に疾走すると言うパターンなので一般道でも景色のない場合が多いですが…

 この新しい区間が出来たからと言って家の前の国道の通行量は増えたようには思えませんね。
 もうすぐ、切れている「大内山ー深山」もつながり、青森から尾鷲まで高速を降りないで来られるようになりますが、今更高速も珍しくないし…
 手ぐすねを引いて待っているのは、真ん中辺の大型ショッピングセンターでしょう。
 大阪ほど魅力があるとは思えませんが、名古屋まで足を伸ばす若い紀州人が増えそうです。
 ますます、「紀伊国」ではなくなりそうです。
 ストローも200Kmもあるので少し吸いにくいでしょうけどね。
 私も年ですから吸い上げられることもないです。
 ただ、「セントレア・中部国際空港」が近くなり、ベトナム・ビルマが隣になってきそうです。
 早朝に熊野を出れば夜にはハノイで食事ですからね。
 東京の人だと、熊野に来るより早く香港のアバディーンで食事にありつけます。
 金銭的には田舎の民宿に泊って、田舎料理を食べる方が高いかも知れません。
 熊野から出て行けるのは最大19000人…
 2000万人首都圏の人はどっちへ行く?
d0045383_10606.jpg


 
熊野市周辺地図です
 
[PR]

by je2luz | 2012-03-26 10:06 | Trackback | Comments(0)
2012年 03月 25日

熊野の旅 イベントだらけの熊野です

 どこの町でも、「イベント」というやつは増える一方のようです。
 「お祭り」というやつは限界集落から順番に消えているようですけどね。
 古いものは捨てて新しいものに…
 明治の時代と敗戦直後にはものすごい勢いで働いた力です。
 そして、今の時代も違った形で働いているようです。
 明治のは「古い因習排除」「西洋化」の流れだったのでしょう。
 敗戦後は「旧体制の排除」「アメリカ化」と言うことでしょう。
 今のは???「民衆文化排除」「お役所化」とでも言えるでしょうね。

 古くからのお祭りとかは「宗教」に関わることが多いですから役所は知らん顔する方が楽です。
 新しいものも、「役所主導」を体よく隠して「民間の発案」なんて形をとりますね。
 実に巧妙です。
 と言うことで、どんどん増殖しています。
 市だけではなく県も色んなのを発案して下ろしてきます。
 もちろん「補助金付」です。
 スポーツイベントはもちろん、世界遺産指定後は関連行事が一杯計画されました。
 東紀州と言われる県南だけが指定されている「紀伊山地の霊場とその参詣道」なんて世界遺産指定地に関わるイベント予算が続くと、北の方の不満が大きくなり、県をカバーできる企画・・・『美し国おこし・三重』…うまし国なんて響きの良いものが作られました。
 そして、その関連イベントが三重県中の市や町に降りてきました。
 また、イベントが増えました。
 それに飽き足らず、熊野市独自でイベントを作りまくります。
 「企画会社」だったら、「スポンサー」がないと出来ませんが、「市」ともなると「公金」がありますからね。

 今年増えるもの…
 「錦の御幡献上行列」…有馬
 「オール熊野 世界No.1 フェスティバル」…駅前
 「世界少年野球大会」…野球場他
 なんてがあります。
 これにつぎ込む補助金だけでも1000万を超します。
 今までのもので消すものは無いようです。
 さぞかし、地域活性に役立つでしょうね。
 ほぼ毎週何かやってるって事ですからね。
 陰でひっそり消えて行く民間の「盆踊り大会」なんてのもありますけど…

 スーパーの移転転出が本決まりになり、中心街としての役割を本当に終えようとしている「記念通り」では「歩行者天国」を去年にもましてやるのだとか…
 事態の変化に対応する気は役所には無くて、『ホコテン』をやれば賑わうなんて感覚です。
 これは前にも書きましたが、福引き抽選のあった時以外の一般人の人出はものすごく少ないし、数少ない専門店の宣伝や売り上げには残念ながら結びついていません。

 まあ、ぽつぽつと予定などは載せますが、こうしたイベントの一覧とかは「公報くまの」にも載りません。
 「載せた方が人も集まるよ」と、正式に提案したのですが変わりませんね。
 公報とイベントは部署が違いますからね。
 終わってからの写真など載りますけどね。
 地方紙じゃないんですよね。
 少なくとも、公金を放り込んだのくらいは載せて欲しいものです。
 〇公マーク入りなんかにしたら、無駄遣いがばれて困るかな?
d0045383_10523585.jpg


 
熊野市周辺地図です
 
[PR]

by je2luz | 2012-03-25 10:57 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 03月 24日

熊野の旅 熊野名産・サンマの丸干しは・・・

 今日の朝日新聞三重熊野版に載せていましたし、以前に私も書いたのですが、今年はシーズン当初からサンマの不漁が続きました。
 黒潮の流れと海水温に左右される回遊魚の漁獲高は大きく上下します。
 この紀伊半島沿岸では、「黒潮の蛇行」「冷水塊」など順当な流れではない年が時々あります。
 この沖合で枝分かれし、枝の部分が七里御浜沿いに逆流したりまでします。
 その度に獲れ高が変わるのです。
 おまけに、本来なら「痩せたサンマ」が獲れるはずの海なのに、小太りで大きなサンマになることもあります。
 普通の産地なら「大きくて脂のあるサンマ」が喜ばれるのですが、ここ熊野に関しては「痩せて惨めなサンマ」が獲れないと困るのです。
 生で流通させる気は無いのですから、「丸干し」「寿司」に出来ないものは駄目なのです。
 今年は、大きい・太った…その両方です。
 「獲れない」「脂が落ちない」…
 最悪のパターンです。
 そして、もうシーズンが終わろうというのに、スーパーの売り場でも「新物」と書かれているものは少ないし、「古物」??でも4匹一吊りで398とか498もします。
 こうなると、地元でもあまり売れません。
 普通は298商品ですからね。

 困ったことに、サンマというものは「冷凍」します。生でも干物にしてからでも冷凍しています。
 ここまで不漁だと、去年の冷凍物も底をついたと思います。
 そして、今年の分はとても冷凍に回せないし…
 つまり、これからの8ヶ月ほどの間をつなぐサンマが足りないはずです。
 代用できるのは同じように脂が少ない四国沖のサンマだけです。
 間違っても北海道や三陸沖のものでは「丸干し」や「サンマ寿司」は作れませんからね。

 生で焼いても煙も出ないようなサンマですから、ちょいと獲れすぎると「養殖ハマチの餌」にしか売れなくなるのですが、無ければ途端に困るのです。
 
 かくしてそろそろサンマ漁は終わりですが、この先が心配です。

d0045383_10315652.jpg


 
熊野市周辺地図です
 
[PR]

by je2luz | 2012-03-24 10:35 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 03月 23日

熊野の旅 もうすぐ完成 おもてなしの拠点

d0045383_10114733.jpg

 これはもうすぐ完成、4月にはオープンするはずの土産物屋です。
 場所は「花の窟神社」の正面です。
 少し前まで、小さな茶店があってボランティアの人たちが休みの日だけ店開きしていたところです。
 ただで出されていたお茶を飲む人たちが立ち寄っていました。
 平日に来られた方は気がつかなかったかも知れません。
 それがまあ…「立派になられて!」

 見ればおわかりかと思いますが、民間施設ではありません。
 公金でなければとてもこんな何億もの投資は出来ませんね。
 と言うより…
 津波の備えより観光やスポーツが大事な市長でなければ作れない代物です。
 こんな風に書くので又叱られるでしょうけど、数億かけて…
 津波の避難タワーにもなりません。
 これが出来たからって観光客は増えませんよね。
 式年遷宮の伊勢神宮とは違います。
 「金を使わない」と言うことでは周知のような「熊野古道歩き」の人たちですから。感心はしてくれてもお金は使いません。
 元々が千年にわたる「お遍路道の途中」なのですから当たり前なのでしょう。
 本当に「熊野古道」が好きな人なら…
 本当に「花の窟神社」に何かを感じる人なら…
 この施設に眉をひそめるように思います。

 この施設はNPO法人に丸投げです。
 もちろん、家賃など取りません。

 かなり装飾過剰ないかにもそんな筋の人が企画したような建物です。
 駐車場からは強制的にここを通るように設計してあります。
 営業は「約束」では年中無休に近いようです。
 今までの茶店も、これを企画したときに出された実績報告では、年間200日を遙かに越える稼働日数だったのだとか…
 平日に開いていたのをあまり見かけなかったのですが…
 
 ここを360日ほど開け続けるのは大変ですよね。
 建物が複雑なだけ管理も大変でしょう。
 心配になります。
 かなりの部分、ボランティアに頼るつもりのようですから…

 波田須にある、小さな小さな売店も当初の計画のようには開いていません。
 どんどん、「徐福の宮」を訪れる人が居て、「千客万来」なら自動的に熱が入って店を開くのでしょうけど…
 人が少ないから開いていても…
 買う人が少ないから生ものなどは準備できない。
 物が無いから入っても金を使わない・・・

 ここは波田須よりは客は居るでしょう。
 でも、シーズン中の休みの日以外にこれだけの施設を埋めるだけの熊野古道歩きの人は今のところ居ないし…
 松本峠と花の窟神社を結ぶコースに済んでいるのでおおよその客の動きは分かります。
 このパソコンの横の窓からもちらりとだけですが国道42号線を歩く観光客は見えるのですからね。
 裏庭に出れば、石畳の本町を通る観光客が見えますしね。
 他の人よりは熊野古道の番人をしています。
 そうしたことから感じる客の少なさはそこそこ正しいと思うのです。
 
 こんな立派なのが出来ますから、今度花の窟神社に来たときは「ただのお茶」ではなく、お金も使ってくださいね。
 国民の方全員に4円ずつ位出して貰った施設ですから…

 
熊野市周辺地図です
 
[PR]

by je2luz | 2012-03-23 10:45 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 03月 22日

熊野の旅 木本堤防の撤去工事完成 3

 旧堤防の撤去が完成し見かけはすっきりしましたが、これで完了ではありません。
 堤防に国道側から登る階段は整備されましたが、堤防を乗り越えて浜へ降りる階段がありません。
 降りると言うより、津波のサイレンが鳴ったときに逃げる階段と言うことです。
 今は浜にでる樋門が全部開放されていますが、防災上は締め切っておくべきなのです。
 東南海地震の発生が刻一刻と近づいているのですから、以前と違いこの樋門閉鎖は木本にとって重要課題なのです。
 しかし、階段を付けないと閉鎖できそうにありません。
 なにしろ、「階段では駄目だ。緩やかなスロープを作れ。」という声まであるのです。
 確かに今は出口はスロープにはなっていますが、砂利浜には車椅子も入れませんし、町全体を危険にさらしてまでスロープ完成まで樋門を開けておくのか…と言う問題があります。
 旧消防署前とかでならスロープもあるのですからね。
 なんだか、クレームのためのクレームのような気もします。

 それでも、せめて階段だけでも設置しないと樋門閉鎖は出来そうにありません。
 地震が揺り、サイレンが鳴って閉鎖に行ったとき、浜に人が居たら…
 見殺しにして樋門を閉める訳にも行かず、開けておけば万一の場合更に多くの犠牲者を産む可能性があります。
 堤防と浜の管理者の三重県は真面目に考えています。
 暫定の階段ならそんなに大きな予算も要らないはずです。
 早急な解決を要求しています。
 この堤防に四半世紀前から関わってきた者として最後のご奉公って感じです。
 まあ、勝手にやっている感じなのですが、もはや直接面して暮らす人が居なくなって居るので…
 しかし、まさに熊野の中心部全体の問題なのです。
 熊野市のトップの頭にはそんなことが浮かばないので困ります。
 「仮定の話には答えられない」というのが得意の答弁ですからね。
 そのわりに、イベントとか高速道路完成の関連には「希望的観測」をもとにした「仮定の話」で一杯予算は付けるのです。
 そして、そうした指摘には…
 「見解の相違」という便利な言葉を使います。
 私の言うことは「杞憂」では無いと思うのですがねえ…
d0045383_948718.jpg

[PR]

by je2luz | 2012-03-22 09:52 | 熊野 | Trackback | Comments(0)