LUZの熊野古道案内

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2012年 01月 31日

熊野の旅 熊野のタクシー

 人口が少ないし、列車で降りる観光客もそんなに多くないのに、熊野市駅にはいつも客待ちタクシーが何台も並んでいます。
 もっとも「流し」なんてやっても手を挙げる客など居ませんし、市街地は10分もかからずに回ってしまいますからね。
 バスの本数は少ないし、足の無い人にとっては大事な交通手段なのでしょうが、どれくらいの利用があるのか心配になります。

 ここのタクシーは二系統あります。
 この二系統体制は私が子供の頃からの物です。
 私が子供の頃には「木本タクシー」と「双葉タクシー」というのがありました。
 「木本タクシー」は松原にあったと思います。
 「双葉タクシー」は水谷茶屋でしたね。
 木本タクシーの方が古いようでしたが、黒塗りのT型系統のセダンを使っていたりしました。
 私の祖父は、この木本タクシーの山本さんとか言う運転手がお気に入りでその人ばかり呼んでいましたね。

 紀勢線が全通し、紀伊半島の観光資源を狙って関西の私鉄が入り込んできた時、「木本タクシー」は「近鉄タクシー」になり、「双葉タクシー」は「南海タクシー」になりました。
 鬼ヶ城の売店や食堂は「南海電鉄」、入れなかった近鉄は外に「近鉄ロッジ」なんてのを作ったり…
 観光ホテルの「オレンジホテル」なんてのが出来たのは「高島屋日発」とか言う南海系列でした。
 尾鷲の「サンポートホテル」も同じ南海系列でしたね。
 しばらくして、国内の観光には先が無いと分った段階でこの大手二社は紀伊半島からどんどん撤退して行きました。
 国鉄紀勢線を近鉄に売却しようなんて動きもありましたが実現しませんでしたね。
 近鉄に売ってあったらもう少し客が居たかな?
 近鉄は伊勢線があるし紀伊半島一周となれば色んな戦略を考えたかも知れませんし、逆に不採算だからと言って廃線したかも知れませんね。

 観光部門から撤退してからもどうでも良い程度のタクシーはしばらく看板はそのままでしたが。今では「クリスタルタクシー」と「第一タクシー」になったようです。
 それでも二社体制ですね。
 基本的には流しをやらないので「ハイヤー」のように黒塗りです。
 夜中に人がうろつく町では無いのでタクシーという物は夜の12時を過ぎると駅にも居なくなるし走行しなくなるのです。
 最近は飲み歩かないので分りませんが、以前は12時になってくるとスナックのママさんが「タクシー呼びましょうか?」と必要そうなお客さんに声を掛けた物です。
 それを潮に客の半分くらいが帰るというパターンが多かったです。
 今は「運転代行」なんてのが田舎にもありますから様子は変わったでしょうね。
 でも、いまは飲み客ががた減りですから「代行運転手」も本業としては大変かと思います。
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by je2luz | 2012-01-31 09:48 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 01月 30日

熊野の旅 三重県立木本高等学校第13回卒業生

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 これが卒業50年目の同年会の記念写真です。
 卒業生384名 出席者88名 物故者41名
 まあ、こんな物でしょう。
 卒業生の男女比率は三倍も無かったのに、物故者では男が三倍も居ます。
 寿命が近づくともっと開くのでしょうね。
 この数字もまあこんな物でしょう。

 新制高校になって13回目って事です。
 生まれは戦時中、物心ついたのは戦後の何もない時期。高校に上がる頃にはまだまだ進学率も低く、まして大学まで行く人数は更に少なくなっていました。
 それでも、私の4歳違いの兄の頃よりは贅沢になって居ましたね。
 京大二名を筆頭に三重大、東京学芸、早稲田、慶応、明治、青山・・・結構一流校に入ったのも私の学年の特徴です。
 かと言ってガリ勉では無かったし…
 学校には逆らうし…
 まあ、高校時代は教員が勤務評定闘争で騒ぐし、生徒は生徒で放課後に生徒集会は開くし…
 大学時代は学園紛争…
 その名残でしょうか?
 私の年代はいくつになっても少しばかり大人になりきれないのが居ますね。
 私などは、「青臭い理想論」を未だに信奉しています。
 そして、人生は「恋愛至上主義」なんです。
 どちらも現実がついてきませんけどね。

 
熊野市周辺地図です
 
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by je2luz | 2012-01-30 14:14 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 01月 29日

熊野の旅 もうすぐ春です

 昨日「寒ブリ」を書いたばかりですが、もう、今週末、二月四日は立春です。
 これからが寒い時なのですが、「立春」という言葉の響きは良いですね。
 現に寒くても陽は長くなっているし日射しもも強くなっています。
 そろそろ土筆も蕗の薹も顔を出すでしょう。
 日だまりのレンゲも…
 そして、そうこうしているうちに食べ損ねた大根にも花が咲き…

 春の前、二月二日には「花の窟神社のお綱掛」があります。
 寒いのでついつい写真を撮りに行かないのですが、風さえ吹かなければここも陽だまりなんですけどね。

 神事の開始は午前十時だと思います。
 ものすごく混むなんてものではありません。
 近隣の人たちと、花の窟神社の信者らしくよその人、マスコミとカメラマン、少しの文化人…と言った顔ぶれです。
 そんなに広くない神域に十分入れますからね。
 200人?も居ない感じです。
 それでも、最前列にでるには少しだけ早いほうが確実ですね。

 祝詞奏上・浦安の舞・玉串奉奠などがあり、奉仕作業の男衆が白装束で山に登り、道綱のロープを投げ下ろしてしめ縄を引き上げてから「お綱掛」が始まります。
 国道を横断させ浜に綱が出されると参拝者が引っ張って、綱を張ります。
 昔は「松の枝」に掛けたのですが、随分前に松が枯れて以来コンクリートの柱の天辺に掛けています。
 代わりの松は育っていません。
 松の生育には向かないような混載で足元がふさがれていますから、ひょっとすると育つ前に松食い虫の犠牲になるかも知れません。
 松の足元はきれいに掃除して松の独壇場にしてあげないといけないのだそうです。
 それでは神域が丸見えになるので雑木を除去しないのでしょうけどね。
 ずっと前に提言したこともありますが、変わりませんね。

 今は鳥居の向かい側に売店が新築中です。
 駐車場もつぶされているので少し離れた臨時駐車場になって居ます。
 「立派な」土産物売り場が出来ます。
 「年中無休」に近い形で店開きするという当初計画は聞いています。
 正確な事業計画が提示されないので詳しくは分りません。
 今年度中には完成すると思いますから、「縞の財布」が空になるほどでは無くとも、うんと土産を買って帰ってください。
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熊野市周辺地図です
 
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by je2luz | 2012-01-29 10:15 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 01月 28日

熊野の旅 寒と言えば…

 寒と言えば昔は「寒ブリ」でした。
 と言っても、戦前はものすごく捕れて、四国・宇和島などでは「鰤御殿」が建ったり、鰤を肥料にしたなんて話もありますが、私が物心ついた頃にはそんな時代は終わっていました。
 「大敷」と言われる巨大な定置網が発明され、鰤の習性も覚えられ、通り道にそれを仕掛けて「一網打尽」という漁法で捕りまくったのと、「養殖ハマチ」の成功で「鰤子」と言われる稚魚を乱獲したのとで資源が急速に枯渇していったようです。
 それを少し反省して、稚魚の捕獲などの規制をやったり、定置網の規模の拡大をやめたりしているようです。

 「鰤」は回遊魚ですから、潮に乗ってやって来ます。
 厄介なことにこの潮の流れは随分変わります。
 広い海を流れるのですし、気分次第で蛇行します。
 潮岬などの半島の所で方向が変わるのは当たり前ですが、海の真ん中でいきなり向きを変えて、熊野灘の遙か沖合しか黒潮が流れない時があります。
 当然、鰤でも鰹でもサンマでも通る場所が変わります。
 鰹やサンマは船の方で追いかけます。
 しかし、定置網は動けません。
 物理的になら少々は動けますが、認可された位置がきっちり書かれていて動かせないのです。
 伊勢エビの定置網などは磯のすぐそばなので船が網を巻き込むことは少ないですが、大敷となると沖合に張ってあるので大型船が巻き込んで航行不能になる可能性もあります。
 だから、海図にも記載があり、びくとも動いてはならないのです。
 潮の流れに合わせて、500mでも動ければ…

 鰤などの好きな音を流して群れを誘導しよう…なんて研究がされていたとか聞いたこともあるのですが、実用化は出来なかったのでしょうね。
 鴨やアホウドリなどならデコイなんて人形を置くだけで寄ってくるとか…
 水中では「イケ鰤」「別嬪鰤」の模型を置いてもそんなに遠くからは見えないでしょうね。

 鰤も「寒」の時期に捕れると「寒ブリ」と呼ばれて高く売れます。
 でも、時期がずれて春先になると「彼岸鰤」と言って値段が下がります。
 血管の中に寄生虫らしき物が出てきて生の切り身だと目に見えてしまいます。
 食べて毒になる訳では無いようですけど、当然値段は安くなります。
 漁師にとっては同じ鰤でも捕れる時期で売り上げがものすごく変わるのです。

 最近では「育ちすぎた養殖ハマチ」が「鰤」の名前ででていますね。
 でも、「本物の鰤」の切り身は照り焼きにしようとしても網をはみ出す大きさなんですけどね。
 うんと贅沢する気にならないと、「天然鰤の照り焼き」は食べられません。
 それと、焼いた後のロースターの掃除も頭に浮かびますしね。
 外でコンロを使って焼くのが一番おいしく、後も簡単ですね。
 何も高い備長炭でなくても、マングローブを切り尽くして焼いている輸入品の炭でもおいしくは焼けます。
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 この使えなくなっている木本港にもここを母港にしている大敷の船が着くはずなのですが…
 そして、こうした流木が流れてその集団が大敷に掛かると…
 海の汚染が見えないうちに進んでいるので、大敷網の汚れがひどくなっているのだそうです。
 内海は少しきれいになったけど、外洋全体が汚れたとか…

 
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by je2luz | 2012-01-28 11:16 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 01月 27日

熊野の旅 温州が終わって…

 熊野市の隣は「年中ミカンの採れる町・御浜町」です。
 地域的に区別で、熊野市も年中ミカンが採れていますね。
 温暖だから…と言いますが…
 どちらかというとミカンのみが熟れるのは寒い時ですね。
 でも、温暖で無いと育たないし…

 ミカンの類では一番ポピュラーで、一番食べやすく、一番親しまれているのは「温州ミカン」ですね。
 これも品種が色々あって、この近所で見つけられた「崎久保」なんてのから「宮田早生」だとかなんだとか、色々あります、
 ミカンは「枝変わり」という突然変異の枝が出来よい物らしいです。
 その枝の「芽」を丈夫な夏みかんなどの木に「芽接ぎ」するとどんどん増やせます。
 もちろん、「交配」で品種改良もされていますし、品種は増える一方です。
 「温州」以外のミカンも毎年くらい新しいのがでているようです。
 でも…
 「新品種発表」などでは新聞もテレビも褒めそやしますが、現実は中々売れません。

 そもそも、「温州」以外の「晩柑」は昔の「夏みかん」に始まって中々売れないので苦労して売れる物を作ろうとしてきたのです。
 「甘夏」「八朔」「ポンカン」「三宝」「ネーブル」なんて比較的名前が売れた古くからの物の他には、「カラー」「デコポン」なんて知る人ぞ知るもの、地元でも知られていない品種…
 今年からは「ザボン」の親戚のようなどでかいやつが役所のカウンターなどに置かれています。
 名前を聞いたけど忘れちゃいました。
 テレビでもやっていましたが、子供の頭くらいですが、皮と白い部分がものすごく厚いようです。
 どうやら、見せびらかしたり飾った方が良さそうな物みたいです。
 「ザボン」だって、そのもの自体よりは「長崎名物・ザボン飴」の方が有名ですからね。

 と、言うことで…
 青空市場などでは「ポンカン」が場所を占領し始めました。
 なのに…
 この辺独特だった「春光柑」の姿が近年見られません。
 「おいしい!」と言うほどのものでは無いので消えちゃったのでしょうかね?
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熊野市周辺地図です
 
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by je2luz | 2012-01-27 14:17 | Trackback | Comments(0)
2012年 01月 26日

熊野の旅 前鬼の山に雪が掛かると…

 熊野の山間部、飛鳥の辺では、「前鬼の山に雪が掛かると寒い」と言われてきました。
 「前鬼」とは大台山系にある山伏の修行場でもあった所です。
 集落もあったそうですが、今はもう無いと思います。
 飛鳥の一部からほんの少しだけその辺りの山が見える所があります。

 大台山系は1000mを越す高い山がありますから、雪が積もります。
 海からも遠いので寒い所ですね。
 そして、寒波が来ると最後の雪を全部引き受けてくれます。

 この山塊に雪が掛かるとその後からは、雪の頂を越えてくるので季節風がうんと冷たくなります。
 海岸線の木本ではその風を直接受けないのですが、温度の影響を受けますからやっぱり寒いですね。
 少し寒さの質が変わるという感じです。
 同じ海抜でも、井戸川沿いになると川伝いに瀬戸奥w越えた大台山系からの風が吹いてきますから、風も強くなり「体感温度」がぐっと下がります。
 この二日ほど前から、「前鬼の山」は真っ白です。
 しばらくは溶けそうに無いですね。
 と、言うことは…
 しばらくは寒い日が続くのでしょう。

 こんな季節でも、東から南に向かう斜面の熊野古道・大吹峠や松本峠などは季節風を受けないので日だまり状態です。
 中辺路のような山間部だと霜も降りるし道も凍る日があるでしょうけどね。

 そうそう…
 又々鬼ヶ城への道路が閉鎖なって居るようです。
 工事の関係もあって、一番メインの鬼ヶ城東口から千畳敷への通路が通れないようです。
 これが再開されるまでは鬼ヶ城観光は全く出来ません。
 周遊路も通れることの方が少ないし…
 世界遺産では無いし、古くからの観光地だし…
 お役所からは古女房のようにないがしろにされている感じです。
 「観光」を言うなら「駅前の噴水」よりは「鬼ヶ城」の方が大切だと思うのは私だけでしょうか?
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by je2luz | 2012-01-26 09:33 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 01月 25日

熊野の旅 今年はサンマが高い

 今は旧暦の20日…闇夜に入りました。
 この辺のサンマ漁は「ぼけ」と言われる「棒受け網」で捕るものがほとんどです。
 漁体に傷が付かないので良いのだそうです。
 更に、サンマの水揚げでは日本有数と言われる「遊木・ゆき港」のサンマ漁船は闇夜の明け方に掛けて漁を行います。
 集魚灯を使うので闇夜で無いと効果が少ない…
 明け方になると宵の口に腹一杯餌を食べたサンマもそれを消化しておなかがすっきりしている…
 と、言うことで、はらわたごと丸干しにするこの辺の干物「サンマの丸干し」には向いているのです。
 おなボンポンにうんちが入っていたのではうまく干せませんからね。
 人間が絶食して自然ミイラになるのと同じですね。
 ???
 食欲が落ちるかな?

 このシーズンは暮れが近づいてもサンマが捕れず、ようやく捕れても脂がのっていて「サンマ寿司」には向きませんでした。
 丸干しにしても、今風の「一夜干し」みたいな柔らかなままで食べるには良くても、青光りする丸干しには向きませんでした。

 ようやく捕れ始めても量が上がりません。
 魚などは量が少なければ高値になります。
 捕れすぎれば燃料代にもならないほど浜根は下がるし…
 出漁見合わせなんてするほどになっちゃうのですからね。
 と、言う状況なので今年は「丸干し」が高目です。
 この辺では「サンマの丸干し」は「一吊り」という売り方をします。
 サンマは人工乾燥以外の「天日干し」は片側二匹、両側で4匹を紐でくくり、振り分け荷物のようにして竿に掛けて乾かします。
 この方法だと紐を結ばなくてもくくれるし、乾いてきてしっぽの方がやせてもサンマの自重で段々締まって行き抜け落ちることが無いのです。
 今はナイロンの紐ですが昔は稲藁でしたね。

 このような売り方が基本なので、この辺ではスーパーでも丸干しはつるして売っていることが多いです。
 でも、暖房などでどんどん乾いて行きますので、長く売れないとカチカチ…「カンピンタン」になってしまうのですけどね。
 それが嫌な人はパックしたのを買います。

 「サンマの丸干し」の値段を言う時も「一吊り」を前提にすることが多かったのです。
 そのサンマの値段は「298円」位がスーパーの普通の値段なのですが、今年は「398円」がズッと続いて居ます。
 国道のそばで、「丸干しが安い」とされる水産会社の直売所も、今年は、「激安! 一匹75円!」と書いてあります。
 いつもの年ですとこの値段が町中の普通で、この魚屋さんが「激安」と書く時は「60円」「50円」のはずなんです。
 やっぱり高いようです。
 脂も完全には落ちきっていないようですし… 
 丸干しは値段を動かし良いですが、「サンマの寿司」って、一匹10円高いからと言って通販価格などは上げにくいでしょうね。

 この月夜の間にどれだけ水揚げがあるでしょう。
 増えないと「新物」の丸干しが下がりません。
 今は冷凍物が安いのですが、今年が高いままだと今年の暮れ頃の冷凍物が少なくなって次のシーズンの出だしも高値かも知れません。
 北から下りてきたサンマですが、放射能は大丈夫らしいです。(測っていないようなのですがね)
 回遊魚でどんどん南下するので根付きの磯魚なんかよりは汚染されにくいでしょう。
 わざわざ「ラドン温泉」なんてのへ出かける人が居るくらいです。
 夜光の腕時計や目覚ましを使ってきたのです。
 そう思えば気が楽になるでしょう。
 地球を汚したのはとんでもない話ですけどね。
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熊野市周辺地図です
 
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by je2luz | 2012-01-25 10:21 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 01月 24日

熊野の旅 限界集落 農業用水路

 昨年の12号台風関連水害で市内での被害は各方面で発生しました。
 山間部では当然のように農地と農業用水路に大きな被害が発生しました。
 このあたりの農業用水は大又川などの本川やその支流の谷川に堰を作って水を引き込んでいます。
 あふれることの無い川があふれたくらいですから、その堰や水路の入り口付近が無事で済むはずはありません。
 堰の消し飛んだ所、入り口付近が石ころや岩で埋まってしまった所、途中で土砂崩れがあって破壊された所…様々です。

 こうした水路はその受益者で先祖代々営々と管理されてきました。
 大きな工事は役所にやって貰ったりしていましたが、昔はその補修管理、復旧作業などは集落の出合いで行ったものです。
 春先の「溝の掃除」「水漏れ箇所の補修」に始まって、苗代作りまでにはきちんと整備したものです。
 川の部分は台風で壊れることもありましたが、台風の時期が早いと田んぼにはまだ水が要りますから水が引ききらないうちに筵や杉の葉っぱなどを使って仮に補修して水を連れてきたものです。
 私が飛鳥で暮らしたのは子供の頃ですし、そうした作業にかり出されることは無かったですが、その頃には残っていた「若い衆」がパンツ一丁で半ば命がけのような作業をしたのです。

 その頃の田舎の集落の力はすごかったですね。
 段々「若い衆」が居なくなり…役所の面倒見も良くなり…
 せいぜいセメントの現物支給があるだけで自力更生していた作業も、セメントを貰っても若い衆は居なくなるし出来なくなってきました。
 昔ならみんながよってたかって片付けた程度のゴロ石の除去も今では出来なくなって市の災害復旧を待たなくてはならなくなっています。
 平均年齢が70歳を越すお百姓さん集団では無理な話ですね。
 これが田舎の現実なのですが、都会の人には分らないと思います。
 農業用水にはきれいな水がいつも流れていて…
 道端には草が生え花が咲いている…
 でも、これは集落の力があってこそ維持されてきた里の風景なのです。
 河原の竹藪一つでも、竹を生活に使わなくなったし人出が入らなくなったので荒れ放題、まともな河原竹も育たなくなっているのです。

 全国に人はまだ居るけど、集落としての力が無くなって生活道路や農業用施設の維持も難しくなってきた「限界集落」が増えているのです。
 テレビなどの「限界集落報道」は少し情緒的な甘いものに見えます。
 そこから送り出した人材で日本国の復興と繁栄が築かれたのですけどねえ…
 今のマスコミ人の親とかおじいちゃんはどこの人かな?
 昔の映画のように「ルーツ」を探せば「限界集落」とその予備軍にたどり着くかも知れませんよ。

 今では
 「ああ 吾が はらから いかにおえあす…」
 なんて歌も歌われませんが、故郷には廃屋しか残らなくなってきたのです。
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熊野市周辺地図です
 
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by je2luz | 2012-01-24 09:55 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 01月 23日

熊野の旅 限界? ヤッサノセ

 この時期にこの周辺の集落では「初集会」とか言われる「区・集落」の総会が開かれます。
 この「区」は行政上は何も根拠の無いものですが、この代表者の「区長」「町内会長」はその地区の代表と言うことで役所が地元の意見を聞く時の代表者になったりします。
 昔はその地区の名士がずっと持つことになっていましたが、今の時代には「名士」「旦那さん」なんてのがどんどん居なくなってしまい、最初の頃は「目立ちたがり」「やりたがり」の人がやる例もありました。
 近年では過疎と老齢化で引き受け手が無くて困る所が増えています。
 体力的にもしんどいので二年とかの任期が切れれば兎に角やめられるように会則を変えたり…
 飛び飛びにしか家が無く、空き家だらけで…
 何かやろうにも実行部隊が高齢者ばかり…
 「昔取った杵柄」もその気があっても重くて持ち上がらない…
 見かけは「限界集落」では無くても先が見えている…
 「そんな所が増えた…」なら良いのですが、ほとんどがそうなのです。

 昨日もある集落の「初集会」に出席しました。
 顔ぶれは二十年前も同じ…
 50人ほどの出席者で年金対象でないのは10人も居なかったでしょう。
 区長も体調を理由に退任して交代でした。

 そして…
 何十年も続いてきた「区の盆踊り」が議題になりました。
 踊り手が居なくて音頭取りの稽古をしても謳いようが無いのが近年の盆踊りです。
 「ソーラン」は踊っても「ヤッサノセ」は踊らないのが今の人ですからね。
 「全国で踊っている」「流行ってるんだぞ!」となったら徹夜ででも踊るのでしょうけどね。

 初盆の家が主体で盆踊りが行われ、みんなで供養してきたのですが…
 初盆は減らないのですが、遺族がもう地元に居ない事が多いのです。
 一時帰省で初盆の寺参りと墓参りに来るのですが、地元に居る時のように一週間も十日も初盆の関わっていると言うことが出来ないのでせわしなくて集落主催の盆踊りにつきあっていられないという声もあるようです。
 初盆供養はそれぞれ所属の宗教団体でありますからね。
 「曹洞宗」「日蓮宗」「天理教」少なくとも三つはある所です。
 それは「宗教行事」ですから抜けることは出来ないし、それぞれの所で「灯籠焼き」の盆踊りをやります。
 だから、区でやっても合理化にはなっていないのは確かです。

 昔は盆踊りが盛んで…・みんなの楽しみで、お盆の時期にはお寺・お墓・小学校の運動場などあちこちで幾晩も行われました。
 それでも、毎晩毎晩踊り手も見物人も一杯集まったものなんです。
 帰省した同級生との再会もあり、恋もうまれ、帰りの夜道で…なんて事もあったのです。

 それなのに…
 「区主催の盆踊りをやるかやめるか」という議題では、圧倒的多数で「やらない」という事になりました。
 今まで会場に使わせて貰っていたお寺は初盆の家があればお寺として灯籠焼きもあるでしょうし、盆踊りもやるとは思いますが初盆が無ければ取りやめでしょうね。
 
 この「区の盆踊り」は昔は「青年団の盆踊り」で小学校の運動場でやっていたものです。
 来る人が少なくなるし、青年団が消滅するし…それを「区」が受け継いでだだっ広く感じるようになった小学校の運動場から一番檀家の多いお寺の庭に引っ越したものだったのです。

 寂しい話ですが、これが一つの現実です。
 やめられていた伝統行事を復活させる話も見聞きしてきましたが、この先では集落自体が維持できないくらいですから無理でしょうね。
 以前の取りやめた理由は、大体において「古くさい」というものだったので見直しも出来たのですけどね。
 下の写真は前にも載せた50年以上前の盆踊り風景です。
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by je2luz | 2012-01-23 10:37 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2012年 01月 22日

熊野の旅 メリヤス工場・ハーネス工場

 かつて日本が高度成長期で今の中国のように「世界の工場」だった頃…
 熊野市などのような田舎には「メリヤス工場」が一杯ありました。
 プレハブのような建物に工業用ミシンをずらりと並べ、ややおばさんに近い女の人が一杯働いていました。
 工場と言ってもどでかいものではありません。
 田んぼ一枚埋めて作った程度の工場があちこちにばらまかれていたのです。

 その頃に日本の給料は世界で高い方には入りませんでしたから成り立っていたのです。
 それでも、都会とか都市近郊では成り立たず田舎に来た訳です。
 今のように交通網が整備されている訳では無く、名古屋などまでの時間も長かったけど田舎の安い給料が工場を誘致していたのです。
 そして、為替自由化・円高・日本の給料の高騰でこうした「メリヤス工場」は撤退して、まずは韓国や台湾に拠点を移しました。

 田舎の「メリヤス工場」だからと馬鹿にしなさんな。
 縫っていたのは「グンゼ」なんかの一流下着などです。
 ミシンで縫った糸の端っこの始末も「ひげきり」と言われ、内職に回されました。
 こうして、安いと言いながらも、若い嫁とかおばちゃんの仕事が出来、少し家計が裕福になって行ったのです。

 同じように「ハーネス」という車の配線を組み立てる工場もあちこちの進出しました。
 熊野では波田須に少し大きな「東洋ハーネス」という工場が進出しトヨタかな?の配線を作っていました。
 これも、結構な数の若手のおばちゃんを雇用していましたね。
 この工場も「不便だから…」「遠いから…」撤退したのでは無く、もっと遠い国へ仕事を持っていったのです。
 
 こんな経済の動きの中で高速道路の無い所では「高速が無いから…」という嘆きが聞こえたものです。
 今でもそう考えている人が結構居ます。
 日本には「土地神話」などと同じように「高速道路神話」があるようです。

 かくして、熊野にも途中出来てては居ても「高速道路」「自動車専用道路」「高規格道路」の「尾鷲熊野道路」だもうすぐ出来ます。
 誰が走り何を運ぶのかが見えませんけど…
 そして、「工場用地」も造成されています。
 なんだか日本では30年ほど前に終わった図式を見るようです。
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熊野市周辺地図です
 
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by je2luz | 2012-01-22 10:50 | 熊野 | Trackback | Comments(0)