LUZの熊野古道案内

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2011年 12月 31日

熊野の旅 今年も暮れました

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 今日の夕陽です。
 花の窟神社前から眺めた物で、熊野三山、那智山の方に沈んで行きました。
 次に顔を出す時は2012年の初日の出です。
 夕方の天気予報ではどうも水平線から登る初日の出は見られないようです。
 今日は夕方まできれいに晴れていたのですけどね。
 雲が出る分、夜中から朝に掛けての気温は高めだとか…
 初日の出を拝もうという人には困りものですが、初詣だけの人には少し有り難いことかも知れません。

 元々、朝が苦手で、日の出など撮影しようと言う時は徹夜になるのですが、「駄目」と分っている時はすんなり寝ることが出来ます。
 でもねえ…
 低気圧は北の方だから目を覚ましたらギンギラギンに日が差しているって事もあるんですよね。
 1月1日の日の出と1月2日の日の出では時間も一分とかの違いですし、場所も一度も変わる訳では無いんです。
 絵にしちゃうと一緒なんですよね。

 2011年は春先に東日本の地震と津波、そして孫の代までたたる原発事故がありました。
 義援金を出した紀伊半島南部が半年後に大水害…今度は貰う側になってしまいました。
 地震に水害…日本列島はどちらからも逃げられませんね。
 でも…
 それでも要らない物は作るんだしねえ…
 避難路も無いのにほとんど意味の無い「電線地中化」なんてのを止める気は無いんだそうです。
 「電信柱がない方が非難しよい」のだそうです。
 その先に道が無いのにねえ…
 まさに屁理屈。
 こんな2011年でしたが、2012年には少し変えられるでしょうかね?
 変えたいですね。

 まあ、何はともあれ今年も暮れました。
 良いお年をお迎えください。

 
熊野市周辺地図です
 
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by je2luz | 2011-12-31 19:58 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 12月 31日

熊野の旅 月例 広報くまの 2012新年号

 熊野市の広報誌、「広報くまの」は毎月月初めに配られます。
 新年号だけは大体前月末に配られてきます。
 新年号は表紙を開くと市長と市議会議長の年頭の挨拶が毎年載っています。
 それから先は新年だからと言って取り立てて新しいこともありません。
 暦では新年ですが行政の方では年度途中ですからね。
 そして、そんなに明るいことも載らないし・・・

 人の動き    2011年12月1日現在
     人口    19.362  (-9)
      男      8.874  (-6)
      女     10.488  (-3)

    世帯数     9.642  (-14)

 割合と小さな数字が並びました。
 人口の減より世帯数の方が大きく減っています。
 これはお年寄りが子供の方へ引き取られたとか言うことかもしれません。
 公表された亡くなられた方は大体高齢者ですが今回分には若い方が入っていました。
 熊野では60代でも若い衆なのに44歳だったとか…

 「入札参加資格申請の受付について」という雉もあります。
 少し前に二回も入札についての怪文書が飛んでいますが、熊野市は指名入札制度を建設工事などでは行っていますから、まずは登録しないと請負は基本的にはできません。
 2月24日までだそうですから問い合わせをして書類を出してください。一般人にはほとんど関係ない書類ですが・・・
 「物品入札参加資格審査申請の追加受付」なんてのも出ています。
 これも5万円以上の物を熊野市の買ってもらおうと思う人は書類を出して審査を受けておかなくては買ってもらえないという制度です。
 書類は熊野市のHPまたは市役所総務課で入手できるそうです。
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by je2luz | 2011-12-31 09:54 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 12月 30日

熊野の旅 おかえりなさい

 そろそろ熊野出身の都会人が帰ってくる頃です。
 昔だと、こちらにズッと居る人と他所にでている人は一目で分ったものですが、今ではほとんど区別できなくなりました。
 見かけは都会も田舎も同じになりましたね。
 「故郷に帰るから…」と言うので頭もきちっとセットしめかし込んでいた帰省組は目立った物です。
 それに、この辺ではほとんど着ないオーバーなんてのを着込んだり…
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 乗客がぱらぱらしかいない紀勢線も盆と正月は一杯になります。
 でも、昔のように通路にも一杯なんてことは無くなっています。
 鉄路の比率が落ちていますからね。
 紀勢本線線が全通しているから廃線にならずに済んだのですが、木本ー尾鷲間がもし切れていたら、国鉄最後の頃に廃止が決まるか、第三セクター化されて、超ローカル線に落ちるかバス路線になるかしていた可能性もあります。

 これは昨日の「熊野市駅前」です。
 春から工事に掛かっている「駅前整備工事」が未だに完成していません。
 駅前ロータリーを撤去して平にし、チョボチョボっと水が流れる噴水?と色んなタイルと石で一部を舗装する工事です。
 年末に慌てて?工事を進行させましたが間に合いませんでした。
 これがほぼ完成形です。
 要するにのっぺらぼうでドライバーにとっては怖い駅前に変えたのです。
 図面、パース段階で構造の不備と危険性を指摘したのですが、市長と顧問の東大コンビは「問題なし」と言うことでそのまま工事を進めた物です。
 けが人で済めば良いのですがねえ…
 元暴走族の私からすると、ドライバーにとって走りにくく、歩行者も中途半端に見通しがきくので油断する交差点になっています。
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 これが駅舎を出る時目に入る「熊野市駅前」です。
 建物などは全く変わっていません。
 ロータリーの市長が「評判が悪い」という裸婦像と植え込みが無くなって、ノッペラボウになったのです。
 こんな風な駅前の手直しで観光客が増えると思いますか?
 見かけからは分らないほどの巨費が入っているのですけどね。
 たまたま、熊野市駅で下車した観光客が目にするだけで、これを見に来る人が居るでも無し…何の特色も無い駅前なら全国に一杯あります。
 紀伊長島駅だってきれいな駅前がありますからね。

 こんな所にお金をつぎ込むのは、「熊野の負担がほとんど無いから良いだろう!」というトップの感覚のなせることです。
 そのほとんど他所の金というのも、合併債や過疎債なんて物で、やっぱり国民の金なんですよ。
 全国2000あまりの自治体がこの調子で使うのですから日本国の借金が増えて当たり前なんです。
 こんなハード面は出来ても、民生部門には中々金が使えないのも役人のなせる技です。
 そして、市民も「公共事業神話」に未だに浸っているのですから始末が悪いです。

 と、言うことで熊野市駅前は工事中のままで正月を迎えます。
 完成しても危険防止のために三角ポッドは据えることになるかも知れません。
 それか、追加工事で電光サインポストを付けるのかな???
 無駄遣いでは無く、公共事業を増やす良い施策だと自慢するのかも…
 足元の悪い所がありますから気をつけてください。
 それと、まっすぐ横断してはいけませんよ。
 横断歩道は消してありますからね。

 今年のぼやき納めでしょうかね?

 
熊野市周辺地図です
 

 
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by je2luz | 2011-12-30 09:43 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 12月 29日

熊野の旅 もうすぐ春?

 今年も今日を入れて三日です。
 その次の日は「春」ですね。
 年賀状には「迎春」なんて書きますからね。
 もっとも、「1月になると春」というのは旧暦の話ですね。
 その旧暦でも1月1日は二月です。まだまだ春という気分にはなりませんが、日は随分長くなって植物は春の準備を整えますからね。
 寒い寒いなんて言っているのは人間だけかも知れません。
 そして、昔の人はその「春の息吹」とやらを感じ取ってその時期を年の初めにしたのでしょう。
 中国にしろ日本の都にしら結構寒い所ですからね。
 これでもっと暖かくて四季の無い所で人類が繁栄していたら、単純に太陽の動きだけで暦が決まったのかも知れません。
 冬至の明くる日が新年の方が自然ですからね。
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 今から一番寒い「寒」を迎えるのですが、葉っぱ一枚無い桜の木も…
 「うん!そろそろ日差しが強くなってきた。」
 「あと少しの辛抱だ!」と思って?いるのでしょう。

 今年は「小森の梅まつり」「神川の桜祭り」も中止になりましたが、来年は「小森の梅まつり」の復活は決まったようです。
 この桜は「神川」のものですが、ここの桜祭りも無事に復活するのでしょうか?
 年寄りが多いですから、一度休んで腰を掛けちゃうと立ち上がるのも大変でしょうからね。
 この木の新芽とつぼみが動く頃には決まると思います。

 神川の桜は厄介者の「電源開発」が敷地内に植えた物が多いのです。
 残してくれたのは、「水の流れない七色峡谷」「腐りがちなため水」「下流域の河床の上昇」「海岸浸食」「集落の分断」・・・ろくな物は無いのですが、「桜」だけがまともですね。
 因果関係は無いと言うことになっていますが、「台風12号」の下流域の大水害もダムが一枚かんでいると思われます。
 でも、原発よりはましでしょうね。
 電源立地交付金は少ないですけど…

 
熊野市周辺地図です
 
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by je2luz | 2011-12-29 10:21 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 12月 28日

熊野の旅 歳末朝市 3

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 作っているのは「門松」です。
 ミニチュア判で玄関に置いたりするサイズです。
 毎年やっている「門松作り体験コーナー」みたいな物です。
 プラスチックの桶と先をとがらせた竹三本、松、梅、これを支える土、桶を化粧する割竹などをセットにしたもので適当に選んで自分で組みたたればできあがりです。
 飾りの部分は自分で選ぶので組み立ての時間だけでは無く、できあがりに個性が出ますね。
 すごくてんこ盛りの人やすっきり生け花風の人まで…

 この門松は東京風です。
 雑誌などに出てくるタイプですね。
 世の中がグローバル化してきているので抵抗なく受け入れられているようです。
 でかいのは作るのが大変そうですがミニチュアなら誰でも出来そうです。
 これも、クリスマスツリー同様、プラスチック製のまで売られていますからね。
 まあ、クリスマスツリーは良いにしても門松がプラスチックってえのはねえ…
 お飾りもプラスチックだし…
 おとそ代わりがノンアルコールのビール…
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 後ろに見える酒屋さんは中々良いでしょう?
 木本一の老舗の酒屋さんです。
 木製の酒の看板…本物です。
 こんな風なお店が並んでいたのですが今ではほとんど無くなりました。
 この本町通りは江戸時代からお店が並ぶ通りに成っていたようです。
 栄えたのは大正から昭和の中頃までだったのでしょね。
 その頃と変わったのは、お店が無くなったこと、表が改装されサッシになったこと、そして空き地がものすごく増えたことですね。

 住む人が居なくなって家が取り壊されても後には何も建ちません。
 間口が三間ほど、奥行きが20間ほど…
 一軒取り壊してもまともな家が建たないのです。
 二軒合わせて表と裏に分ければ良い住宅地になるのですが、表通りはこのような立派な道ですが裏は三尺の路地…建築基準法でも家が建てられなくなります。
 それに、同じ時期に建て替えるなんてある訳も無し…
 マンションの建て直しみたいな物です。

 朝市の方では今年ようやく水揚げが始まった「新物さんまの丸干し」もでていましたが、少し大ぶり…つまり、脂が落ちていないので見かけは青光りしてきれいですが、地元で言わせれば本物では無かったです。
 当然「サンマ寿司のすしな」には向きませんね。
 お正月の寿司には今朝の水揚げがぎりぎりですね。
 果たして脂の落ちたやせたサンマが回ってきてくれたかどうか…

 昔だと・・・
 「ことしはサイレが少ないのう…」
 『それに、脂があって寿司には向かんで…』
 「つらいのう…」
 『高いしのう…』
 って、会話が町中で聞かれたでしょうね。
 今では一般の家庭で「さいれの寿司」が作られなくなってきているので、嘆く人も減りました。

 この『さいれの寿司』が標準語の「さんまの寿司」と呼ばれるようになった頃から、家庭内での『さいれの寿司』の地位が低下していったようです。
 そして、既製品の「サンマの寿司」が甘くなって行きました。
 これも時の流れでしょうか?
 誰が見ても「サンマ」と分るのですし、古来の「さいれの寿司」をわざわざ「サンマの寿司」なんて変えて行く必要があったのでしょうか?
 商品というか品名ですからね。
 食事に干物など出さないでとんかつやエビフライを並べて都会の人向けだと思い込んでいる民宿の人と同じ発想のような気がします。

 
熊野市周辺地図です
 
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by je2luz | 2011-12-28 10:38 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 12月 27日

熊野の旅 歳末朝市 2

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 朝日を浴びて…
 でも、寒かったです。
 雪も無し…ただ寒いだけ…
 でも、木本で寒いなんて言っては贅沢です。
 この朝は山間部紀和町西山などには雪が少し積もりましたからね。
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 寒いなか、ギターの弾き語り…
 指が凍えるでしょうね。
 高音の方の弦を押さえる指は痛いでしょうね。
 この子の前に男の子が弾いていましたが、その時はそんな風に思わなかったのですが…
 こうした路上ライブも若い人が居ないので寂しいです。
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 この通りが「石畳」です。
 世界遺産指定を受けて「修復」では無く「新設」しました。
 石灯籠など建てなかっただけましかも知れませんね。
 この道が出来、熊野詣でがまだ盛んだった頃は砂利道でした。
 下が砂利浜ですから地道でも水はけは悪く無かったですからね。
 私が子供の頃も砂利道でした。
 その頃の本町通りは木本のメインストリートでしたから人通りが多かったです。
 新宮行きのバスは駅を出発して記念通りー上木本ー二丁目ー関船町・・・と、この通りを通っていました。
 こんな道幅ですから当時のバスは小さかったのです。
 でも、対抗するのが大変で軒を削ることもあったのです。
 バスが大きくなってここを通らなくなった頃には新宮ー木本間の三重交通は20分に一本程度は走っていた物で、結構混み合っていました。
 今では通学時間とか朝夕は30分に一本、その間は一時間一本なのかと思います。
 高校生も通学に使いますが、二つの高校共に鉄道の駅から徒歩で行ける所なので圧倒的に列車通学が多いです。
 歴史的に列車のダイヤは熊野市駅を使う県立木本高校に合わせてあります。
 後進の阿田和駅を使う県立紀南高校の生徒の方が少しばかり不便になります。
 列車の方がバスより少ないのですから、そうなってしまいますね。

 昭和30年代頃までの本町は夜になっても歩く人が多かったし、履き物は「下駄」でしたから、夜には砂利を踏みしめる音が結構うるさかった物です。
 何しろ、家の中もテレビなんて無いので静かでしたからね。
 紀勢線はここで切れているし、巡航船はのべつ欠航するし…
 旅人も沢山木本に泊まりましたからね。
 旅館・料亭・割烹旅館…小料理屋・バー・スタンド…女郎屋までそろった町だったのですからね。
 近隣の山間部の村の人にとっては「木本へ行く」なんてのは大都会に行くようなものだったのです。
 その頃にこんな朝市をやろうなんてしたら、商売人に「店先で邪魔するな!」と、叱られたでしょうね。

 
熊野市周辺地図です
 
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by je2luz | 2011-12-27 12:05 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 12月 26日

熊野の旅 歳末朝市

 昨日のの「歳末朝市」はいくら暖地の木本とは言えさすがに少しばかり寒かったです。
 有名な朝市と違いお店はにわか仕立ての半分素人です。
 野菜も三軒ほどでていましたが、本当の産直とかプロの野菜屋さんはいません。
 だから…
 立派な白くて丸い根菜があったので…
 「それ、蕪?大根?」ときくと…
 『聖護院です!』って答えです・
 「だから、聖護院の蕪なの?大根なの?」と重ねてきくと…
 『聖護院です!!』と。少し機嫌が悪くなります。
 「聖護院には蕪と大根があるし、随分食感も違うので、それどっち?」と重ねると…
 『聖護院は聖護院でしょう!』って感じです。

 (聖護院には蕪と大根があり。品種では無く種類が違います。
  聖護院かぶらはアブラナ科アブラナ属の植物で、  聖護院大根は、アブラナ科ダイコン属の植物
 だから食感は随分違います、蕪の方が柔らかなんです、千枚漬けでは蕪の方が漬かりよいし私は好きです。)


 このへんでは昔からあまり「蕪」は食べないのですが、最近では両方でていますからね。
 普通、「蕪」の方が葉っぱを沢山残すのですがそれは中途半端で葉っぱの切れ込みの確認も出来ず…
 と言うことで買いませんでした。
 これが主催者の出店です。
 まあ、商工会議所は農協では無いので仕方ないのでしょうかね。
 この部分の写真は載せない方が良いでしょう。

 自衛隊の募集事務所が熊野にあります。
 たまにイベントに出ていますが、今回は結構大勢で来ていました。
 子供用の軍服も用意してPRにつとめていましたが…
 なんだかなあ・・・
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 確かにこうした格好をさせると子供はかわいいのですけどね。
 学校のセーラー風よりかわいいです。
 でもねえ…
 これがPR何でしょうかね?
 もちろん陸上のもハンガーに掛かっていました。
 
 消防の方は「地震体験車」とか「非常用道具セット」非常食」「消火器」などの展示がありました。
 そして、新しい装備の「背負い式の消火機」も実演していました。
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 ごく少量の水を高圧で霧状にして火元に噴射し風圧と気化熱で消そうという物です。
 バスッというような衝撃音と共に発射されます。
 同じ物が警察にも配備され、テロ対策に備えているようです。
 私に世代だと、灰色の放水車で学生デモを鎮圧しようとする機動隊が浮かんできます。
 早朝なのとお客がばあちゃんが多いので見物人は少ないです。

 こうしたイベントにはもう一つの制服組…警察はあまり来ませんね。
 身近すぎるのと、あまり好かれていませんしね。
 特にドライバーには…

 こうした出し物?がそろえられるのはさすがに商工会議所って感じです。
 どこでも、「商工会議所」て物は、その町の商工業を代表する機関ですから…
 ここのの意見が公式にはその町の商工業者の声と言うことになるんです。
 「商工会議所会頭」は「経団連会長」ほど有名では無いですが、地方ではその発言が政策に影響することも多いのです。
 会員制で入っていない商店や事業所も多いのですが…
 そして、会員や市民の関心がかなり低い団体です。
 本当はそれではいけないのですけどね。
 行政はそうした機関に相談して、「市民の了解を得た」と言っているのですからね。
 そして、九電がやったような公聴会や審議会で働くのもこうした団体なんです。
 もちろん会員の意見の集約ありません。
 他の町でも似たり寄ったりの所が多いのだと思います。

 
熊野市周辺地図です
 
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by je2luz | 2011-12-26 10:14 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
2011年 12月 25日

熊野の旅 昨日のイベント 今朝のイベント

 昨日は福祉の方でバザーがありました。
 覗きに行きましたが、バザーの回数が増えているので出品も少しずつ減っているような感じを受けます。
 この福祉のバザーだけで無くPTAとかのも含めてです。
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 こうした催しでは圧倒的のご婦人方が多いですね。
 そして、優しいというのか…ものすごく買い込みますね。
 100円とかですから10000円も買えば持ちきれないくらいでしょうけどね。
 私の欲しい物は何も見当たらず…
 当たり前と言えば当たり前なんですね。

 今日は朝から「歳末朝市」
 本町通りの三丁目と関船町を通行止めにしてやっていました。
 ものすごく寒かったからか、定刻の9時になっても開いていない店が多かったです。
 去年に比べ店もお客の少なかったような…
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 取り敢ずは写真を一枚ずつアップして記事は明日にでも…

 
熊野市周辺地図です
 
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by je2luz | 2011-12-25 21:02 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 12月 24日

熊野の旅 浜の流木

 台風12号の水害で熊野川や尾呂志川、井戸川などから流れ出た材木やゴミが20Kmを超す七里御浜を埋め尽くしました。
 昔なら周辺の住民が喜んで持って帰ったはずなのですが今では「薪」を焚くのは趣味で「薪ストーブ」を使う人くらいになっていますから中々片付きません。
 塩気があるので燃やすとダイオキシンが出来るって事なのですが落ち葉をどんどん燃やすのと変わらない程度の時間しか海にいなかったはずです。
 
 北の端、木本脇浜から熊野川河口の手前、井田海岸までなのですが、かなりの部分は片付けられています。
 不思議と言えば不思議なのは、海岸に民家の無い所…つまり、市街地で無い所の方が片付いているのです。
 片付けた所は見事にゴミも無い状態です。
 浜の管理者は県です。
 観光地や市街地の浜すら手が付けられないのですから人目に付かない所などやる訳は無し…
 近隣の住民が集まってやったのでしょう。
 昔なら浜に山積みにして焼いちゃったのですが、今はそんな野焼きが出来ません。
 海岸線では国際法でたき火は禁止されていたと思います。
 海岸のたき火は「遭難信号」の一種ですからね。
 でも、日本の海岸でたき火を遭難者の信号だと思う船はいないでしょうけどね。
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 これは志原川河口・志原尻の浜です。
 小さな碇が砂に埋もれています。
 ここには「地引き網」があり、木星の小さな漁船があった所です。
 半農半漁の集落の浜です。
 私がブログを始めた7年ほど前には、まだお年寄りが集まったりしていました。
 しばらくすると船が動く形跡が無くなり…
 昨日出かけた時には、もう船もありませんでした。
 朽ちて放置された和船もきれいに片付けられ、ここに地引き網があったなんて分らない状態です。
 漁業権も放棄したのかなあ???

 背後の浜はきれいに片付いています。
 ゴミ一つ無いきれいな浜です。
 重機が走り回った後が無いですから、この辺のお百姓さん…元漁師の人たちが人力でやったのでしょうね。
 
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 これは堤防に取り付けられたサイレンの残骸です。
 地引があった頃には、シーズンには誰かしら堤防から海を眺めていて、鰯などの群れが湧いた時に鳴らして仲間を呼んだのです。
 ミカン畑などにいる人が駆けつけて船を出し、魚を囲んだのです。
 巻き終わった頃には女子供も集まって網を引くと言うことです。
 今、ここで残っているのはこれだけです・
 でも、これを見て「志原尻地引」を思い浮かべる余所者は私くらいになっているのでしょうね。
 ここで松原に出る余所者なんていませんしね。
 こうして地引は消えて行くのです。

 この写真、カメラはニコンF2 レンズは上のがAi NIKKOR 20mm f2.8
      下のがNIKKOR UD Auto 21mm f3.5 です。
 フィルムは相変わらずKODAK TRI-X 現像KODAK D76 二倍希釈です。
 意外と差が無いですね。

 
熊野市周辺地図です
 


 
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by je2luz | 2011-12-24 11:24 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 12月 23日

熊野の旅 昭和・平成

 私も昭和・平成と二つの御代を生きてきました。
 平成になって23年ですね。
 私にとって昭和は幼い時から元気いっぱいの時代ほぼ全部が納まる長さです。
 平成はそろそろ頂上から下り坂が見え始め下りだした時期ですね。
 精神的には随分逆らっていますけど…

 何時だったのでしょうね。
 天皇陛下だか皇太子殿下だかが木本においでになるというので、国道が急遽舗装されたのです。
 駅から鬼ヶ城まで…
 見える所だけやっておこう…ってやり方です。
 まだ日本が復興しきっていない時代だったので、便乗土木工事もたいした金が使えなかったらしくペラペラのアスファルトでした。
 まだまだ国道ではコンクリート舗装がやられていた頃だったと思います。
 継ぎ目だらけで、「ゴツゥ・ゴツゥ」と音を立てながら走ったものですからね。
 国道一号線も全線舗装では無かったです。
 都内だって大阪だって都電・市電が走っていて道路が石畳の所があった時代です。

 今日は「天皇誕生日」だそうです。
 今上天皇のご成婚の時に我が家もテレビが入りました。
 まだ恐ろしく高い白黒テレビでしたが、一杯人がよってきて成婚式の馬車行列を見た記憶があります。
 電波の僻地木本ですからすでにその時には共聴アンテナでした。
 今でも電波僻地なんですけどね。
 嫌でも共聴アンテナ組合、今だとケーブルテレビに加入しなくては成らないので少し高いものにつきます。
 それでも日本放送協会は受信料の割引など考えてくれたことは無いです。

 それ以来天皇陛下と縁の無い所ですが、時々、「近くに来られているな」と言うのが感じられる時があります。
 いや…超能力なんかでは無く、何も無い時にお巡りさんが警備にでているのが目立つ時があるのです。
 三重県には伊勢神宮がありますから、天皇陛下・皇室の方々が参拝に来られることがあります。
 政治家でも総理大臣級になると100Km以上離れた所でも警戒がきつくなる感じがします。
 
 今の時代ですからこの程度ですが、戦前だったら大変な警備だったのでしょうね。
 もっとも、その頃にはここからだと汽車もないし道もないし…
 警備の必要は無かったでしょう。
 海賊も坂上田村麻呂に退治されて以来おとなしかったようですしね。
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 この磯が海賊の根城・山の上が見晴台…この木本の町が海賊の本拠地・・・鬼の本拠地=鬼の元浦=きのもと=木本だそうです。
 征夷大将軍がやってくるほどですからたいしたものだったのでしょう。
 ひょっとすると、多蛾丸が退治されるまでが木本の華の時代だったのかも知れません。

 
熊野市周辺地図です
 
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by je2luz | 2011-12-23 10:37 | 熊野 | Trackback | Comments(0)