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LUZの熊野古道案内

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2011年 10月 31日

熊野の旅 集落の力 波田須2

 熊野市は地形が複雑でこまかい集落がたくさんあります。
 海岸線でも漁業協同組合が6つもあったのですから、いかに細切れなのかがおわかりかと思います。
 山間部に入ればもっと複雑に刻まれているので、町・大字・字という区分でも平野部と違い隣の字でも家はつながっていなくて当たり前です。
 昭和の合併の旧熊野市でも八ヶ町村半集まったのですからね。

 波田須町は大字に当たる区分でしょう。
 昭和の時には波田須村では無く新鹿村の一部だったと思います。

 道路(新道)が出来るまでは岬越えで歩くか伝馬船で行き来するか、陸の孤島の一つだったのです。
 海に面していても浜は無く、入り江では無い磯だけの岸辺です。
 かつてはこの地先にも漁業権があり、波田須が持っていたようですが、船を着けることも出来ない所ですから手放したようです。
 今では隣の新鹿では無く、向かいの遊木が持っているとか聞いたことがあります。

 半農半漁から「漁」が消えたのですが、農の方も平野部がゼロの地形なので食える農業にはなりません。
 背後は山ですが、海に面した山は良質の木が育たないので山働きも他の所より少なかったようです。
 頼まれてもう少し良い山に行くには他の集落の人よりうんと余分に歩くことになり苦労する所です。
 でも、良い所はあります。
 日当たりが良い、台風の風は当たりにくい、津波は登ってこられない、本州で一番暖かいとまで言われるほど温暖な場所…なのです。

 集落内の道は国道311号線を除いて「ジェットコースター」みたいな物です。
 もし、車で来られたら、国道脇に車を置いて歩いてください。
 坂道発進の苦手な方だと大変なことになります。
 これだからこそ、例え前に家があっても縁側からは屋根しか見えないので日当たりは良いし、プライバシーも守られます。
 川があるではなし…
 棚田のミズには苦労したようです。
 なのに、こんな所に古くから人が住み着いたのです。
 徐福さんは住み付きに来たのでは無く、「天台烏薬」という「不老長寿の薬草」を探しに来たのです。
 その「天台烏薬」と言われる灌木があちこちで見られるのも波田須です。
 これをお茶にして商品化した所もありますが、とてもとても「不老長寿」にはなれないようです。
 効くのなら昨日書いたような「ウコン」なんて流行るはずはありません。
 そこまで行かなくても、ものすごく健康に良いならずっと服用されてきたと思いますが、この辺では見向きもしませんでしたからね。
 今の薬事法だと分析して効能が認められないと駄目ですし、「不老長寿」なんてとんでもない効能は、例え薬でも謳えないでしょう。
 そして、本当なら「ノーベル賞物」???
 いや、人類が増えすぎて禁止されるでしょう。

 他にも色んな伝承や行事があった所みたいですが、段々消えて行っているようで、住民の皆さんが心配しています。
 地味な物が多いので注目を浴びることも無いですしね。
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 外部から見ると、「活性化」の前に「生き甲斐対策」が大事に見えます。
 田舎共通のことですけどねえ…
 60歳70歳…やる気を出して何かを始めても元々跡取りが残っていないのですから、10年先が…
 「小遣い程度でええさか、内職とかちょこっとした農産物はないかいのう…」
 と、言う人が居ましたが、それが一番でしょう。
 でも、世の中・行政はそんなのでは振り向いてくれにくいんです。
 「波田須アートフェスティバル」なんてのなら補助もあるんですけどねえ…
 住民と外来文化人・行政のギャップが大きいようです。
 昔々には秦の国から徐福さんなんてのがやって来た土地で、当時の世界最先端の文化の香りもかいだ所なのでしょうけど…

 でも、「自力更生で何とか…」と言う機運で集会が持たれるのは良いことですね。
 なまじ行政が絡まないので、行程表なんてありませんしね。
 来月はどんな話が出るのでしょう。
 続けていれば何かが見えてくるでしょう。

by je2luz | 2011-10-31 10:26 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 10月 30日

熊野の旅 集落の力 波田須1

 昨夜は除服上陸の地、本州で一番暖かな土地「波田須」の集会に出ました。
 私が生まれたのは木本町、育ったのは飛鳥、そして今は木本に住んでいますので、「波田須」に居たことはありません。
 ただ、昔の先輩議員がここの出だったので色々話も聞きました。
 無線・協同組合で長年一緒の友人もここの出です。
 そして、他所から熊野を目指して移り住んできた人の家探しなどの縁も「波田須」に成ったのです。
 ブログを書くネタにも結構良い所なので時々取り上げほめてみたりけなしてみたりしています。
 そんな波田須で住民の人たちが集落のあり方やこれからのことなどを自由に話す会を開くと言うことで、部外者ですが顔を出しました。

 小さくなってしまった集落だし、急峻な地形なので昼間でも中々人が集まりにくいのに二十数名の方が集まっていました。
 顔なじみの方も数名はおられましたので入り込みよかったです。
 職業柄、そんなに人見知りする方では無いですが、、任意参加で全員知らない所なんてさすがに入りにくいですからね。
 私が覚えていなかったのですが、女の人と男の人で、私の教え子だったという人が居ました。
 アマチュア無線の講習会の生徒さんだったのですが、驚いたことに、随分昔のことなのに私が編み出した記憶方法の、「レベルーレベルはALC」「レベル一回AGC」なんてのをまだ覚えておられました。
 記憶術ですから文章には意味はありませんがこれを覚えておけば試験問題を見たときに間違いなく正解を選べるのです。
 こんな風な関係でも覚えていてくれる人も居て気楽に参加できたし、波田須の人も知らない人が来てるとも思わなかったでしょう、
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 何しろ過疎と高齢化が進んでいますから、山中の集落のように暗いイメージはついて回りませんが中々大変なのは判ります。
 『庭で桶を落としたら、拾いに行くより作った方が良い』と言う祖谷渓ほどでは無いにしてもお年寄りが歩くのも大変な所です。
 足が悪いからと言って老人車を押していたら、手を離すときにはきちんとブレーキを掛けないと間違いなく自分では拾えないでしょう。

 古くから開いてきた段々の田んぼと畑…
 悪いことに、熊野市で一番最初に「猿」の害を受け始めたくらいですから、まともには作物が作れません。
 以前にも取り上げたことがありますが、「猿が檻にいるのでは無く、畑の方が檻の中なんです。
 天井まで作らないと猿は乗り越えますし、網だと裾をめくったり破ったり、ドアには鍵を掛けないと開けて入るし…
 猿も都会の人が言うようなかわいいものでは無いのですよ。

 何か特産品でも…という話も出ていましたが、広い面積の農地がある訳でもないし、猿も居るし…
 でも、この波田須では「ウコン」が流行ったことがあって、お年よりは服用していたのだそうです。
 いまでも、自生したみたいに生えているようで気候にもあった居るようです。
 猿も食べないようだと言う声も出ました。
 産業なんて物にならなくても、生き甲斐対策になるでしょう。
 それで、少しでも健康になったら言うこと無しですね。

 続きを又書きますが、何かを決めなくてはならない会議では無いのですが1時間半ほど話が弾んでいました。
 年代もバラバラ、仕事もバラバラ…でも自由に話していました。
 良いことですね。

 
熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2011-10-30 10:19 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 10月 29日

熊野の旅 こんなのやるそうです 宣伝

 熊野市…旧紀和町の第三セクターの「財団法人紀和町ふるさと公社」が通販のパンフレットを作りました。
 今回で二回目、今度のは年末年始のご贈答用を兼ねた物みたいです。
 A3裏表、表は総天然色です。
 商品は 「紀和のきじ」、「熊野地鶏」 「丸山千枚田米」、「新姫ぽん酢」、「新姫ドリンク」などです。

 「雉・きじ」は養殖物ですが、まあ、珍しいでしょう。これの洋食は、もう20年を超すでしょうね。
 これは「きじしゃぶセット」なんてのがあり。キジのしゃぶしゃぶ肉が300g(2~3人分)ほどと「きじの極旨スープ」がついて、通常4500円が4000円だそうです。

 「熊野地鶏」の方は「熊野地鶏鍋セット」というので、地鶏カット肉約400g(3~4人分)に新姫ほんずと「熊野地鶏極旨スープ」が付いて、通常3650円が今なら3150円だそうです。

 なんか、値段があって無さそうな物が値引きになっていても…
 でも、「公社」が言うのですから安いのでしょう。
 この加工は今年完成した、立派な加工施設でやっています。
 いくら売れても施設の方は大丈夫なはずです。

 「丸山千枚田米」は例の千枚田で採れた米です。
 去年の暮れに紀和町「瀞流荘」で食べたときはおいしかったです。
 釜と水加減・炊き加減で随分味は変わりますけどね。
 上等のIH炊飯器あたりで炊くか、土鍋で上手に炊くか…

 「新姫」…熊野市が後押ししている「新姫」という「酢」に使うミカンです。
 「ポンカン」ではありません。
 ???「ぽん酢」ってなに???
 深くは考えないで置きましょう。
 300mlを3本で2700円
 この辺では和歌山県東牟婁郡北山村が「じゃばら」てえのを栽培してきました。
 特許を取得し、長年、苗や枝を村外に出さないでやって来ました。
 こっちは少し売れるようになったそうですが、特許期限が切れたので村外でも作れるようになったはずです。
 
 そうそう…
 「新姫」に関してはマスコット人形の着ぐるみも作ってあるので、熊野のイベントにはたまに出ています。
 写真載せておきます。
 かわいいかかわいくないかの判断はお任せします。
 今のはやりですからね。
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 この通販については、パンフレットがA3なのでスキャンできません。
 二回に分けてスキャンして繋いだ物ではモニターに出すには大きいですし、公社の方のHPでも見てください。
  http://www.kiwa.furusato.com/
 売り出しは2011年11月1日~2012年1月10日だそうです。

 地鶏の定義については「ウィキペディア」にもあるとおり「在来種由来の血液百分率が50%以上の国産銘柄鶏の総称」だそうです。
 飼い方も面積あたりの鶏を少なくする以外、土の上や外で飼わなくてはならないなんてことも無いですし、餌も輸入穀物の配合飼料でも関係なく「地鶏」を名乗れます。
 消費者の「自然志向」を逆手に取ったネーミングを農水省が認めたって事でしょう。

 
熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2011-10-29 08:43 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 10月 28日

熊野の旅 冬の前だけど…温州ミカン

 このあたりの海岸線はミカン畑がたくさんあります。
 と、言うより…
 平地が少ないので水田が少なく、都会が遠いので蔬菜園芸は発達せず、しかし、気候は温暖なので「ミカン」と言う事になったようです。
 農地が傾いていても良いし、段々の農地でも棚田のように利水を考えなくて良いし…

 昔からミカン栽培が行われていたようですが、戦後になると「国営パイロット」なんてみかん園が作られたりして一気に面積が増えました。
 これが紀州だけなら良かったのですけどね。
 九州から静岡あたりまでの暖かい地方全部で広がったのですから完全な生産オーバーになってしまいました。
 生産過剰になったら、国の方で「転作補助」なんてのをやりました。
 熊野の国営事業でやった「金山パイロットみかん園」もかなりの面積を伐採し「梅畑」に化けさせました。
 事実上、梅栽培は軌道に乗らず廃耕状態になったのはあまり知られていません。
 
 ミカンという物は昔ではこたつに入って…と、言う情景が浮かんだ物ですが、温州ミカンの改良が進んでどんどん早く採れるようになりました。
 何しろ、出始めがものすごく高値でそれこそ日に日に下がるのが市場の値段でしたから、必死に品種改良や栽培方法を考えたのです。
 あの大きなミカンの木をハウスに入れてがんがん重油を焚く…なんてのもあります。
 将軍様に献上する訳でも無いのですが、ここまでやるんですね。
 これも、増えすぎて燃料代も出なくなったりもしたようです。

 「青切りミカン」なんてのも、昔は9月末頃だったのが、今では8月末くらいには出てくるようです。
 そんな特殊なものでは無い、「普通のミカン」もどんどん「早生」に成ってしまいました。
 たしかに、早くから甘いしおいしいのですが…
 いまは10月の末です。
 この時期にこの辺のミカン畑には全く実の無い木が増えています。
 「総取り」と言って、最後の収穫と同時に商品にならない実も取って畑に放置するのです。
 実を残すと木の精力が無駄になりますからね。

 「晩生」なんてのがほとんど無くなっていますから、「お正月のミカン」が少ないのです。
 少なければ値段も上がりますよね。
 でも、今更「晩生」を栽培し直す農家は無いですね。
 農園主も年を取りすぎていますからね。
 このままだと、小規模農家のミカンが無くなる日が来るかも知れません。

 と、言う事で…
 「温州ミカン」のおいしいのは、今から少しの間です。
 市場や店先では見かける事は少ないでしょうが、三重・南紀のミカンは甘いですよ。
 東京の人のように「静岡ミカン」の酸っぱさに慣らされている人には甘すぎるかも知れません。
 日本橋の百貨店に出店していた頃にはよく言われました。
 『あなた なんかやったでしょう! 甘すぎるわよ!」なんってね、
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 正月を過ぎると上のような「晩柑」類になっれしまいます。
 それなりに、食べるとおいしいのですが、何しろこいつらは面倒ですからねえ…

 
熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2011-10-28 09:45 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 10月 27日

熊野の旅 観光という名の環境・景観破壊

 各地で「観光振興」という名目で、せっかくの良い環境が壊され、その場所の景観に合わない(当事者は合わせたと言いますが…)施設が出来たりします。
 なぜ???
 簡単な話です。
 行政の長というものは、昔から「箱物」が目に見えるので大好きです。
 住民も目に見えるものを作った首長をほめるんです。
 そして、建設・建築業者は選挙で後押しするんです。
 国立公園だって世界遺産だってそれが目当てで誘致に奔走するのですからね。
 そりゃあ、口ではそんな事言いませんけど…

 又々、文化人の反発を受けそうですが、そんな人も単に古いものをそのままで維持するより、「会館」なんて作るのに賛成して、イベントをしたがるんです。
 まさに便乗予算に期待する集団の一角なんですけど自覚が無いようです。

 だいぶん前から熊野では「世界遺産・熊野古道」を歩く人たちを歓迎する?おもてなしをする?と言う事で、色んなことが計画されて居ます。
 駅前のロータリーの改良????市民は「無駄遣い」では無く「改悪」とまで評しているのですが当局はやめる気はありません。
 何しろ、赤門出身のコンビが計画したもので「人が死ぬぞ!」と警告しても「安全だ!」と言うのですから仕方ないです。

 今着工したのは、日本最古の神社「花の窟神社」の前の茶屋を取り壊し、お土産屋などの施設を作る工事です。
 この今まであった茶屋は当局への報告ではほとんど毎日開いていて手狭な位なんだそうですが、市民が見ると開いているときの方が少なかったのですけどねえ…
 まあ、それは良いにしても、これを建てるために残り少ない「松の防風林」を切り倒します。
 滅多の来ないバスとかを入れるためなんだそうです。
 うまく育っていなくて高さも無い松林なんですが、ちょっと前にマスコミにたたかれた「速玉大社」の脇の山以上に「花の窟神社」の景観に影響するんですけどねえ…
 今度のは観光客用の施設が出来るのだし、神域でも無いのでマスコミさんはほめる方に回るでしょう。
 新宮のは住民側の利便だったので叩かれましたけどね。

 この施設が出来たからって、熊野古道歩きの人が増えるとも思えないし…
 その人達の懐を狙わないとこんな施設を作る意味も無いし…
 でも、今の旅人の「縞の財布」の紐は中々堅いです。
 
 横の民有地が買えないからって、事を急いで松の木を切らなくっても…
 普通なら熊野古道好きの文化人あたりが保全運動でも起こしそうなものなのですが、火を付けても燃えないのがこの地方なのです。
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熊野市周辺地図です
 

 

by je2luz | 2011-10-27 09:57 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 10月 26日

熊野の旅 秋祭り終盤と山の神

 今月は「神無月」…「山の神」以外は出雲国に行っちゃって留守だとか…
 現世の方では「山の神」の方がお食事会だ海外だ…と出かける事が多いようですけどね。

 「鬼の居ぬ間に洗濯」じゃ無いですが、「神の居ぬ間にお祭り騒ぎ」というのでしょう、各地で鎮守様のお祭りが多かったと思います。
 そろそろ、秋祭りも終盤ですね。
 この辺では、「飛鳥神社」の祭りが11月3日だと思います。
 育生町大森神社の「どぶろく祭りは11月末です。
 昔は秋の取り入れがうんと遅かったので9月だとか10月のはじめなんて農繁期の最中でした。
 農繁期の早なったのと、祭りが早くなったのとは一致しますね。
 運動会まで早くなっちゃって、「熱中症」でバタバタ…なんてねえ…

 秋祭りが終わる頃になると、このあたりでは「山の神」の祭りが始まります。
 「山の神」は正式の神様じゃ無いようで、ほとんどが小さな祠があるか、かつては祠があったけど今では代わりの石碑や目印の石しかないなんて物です。
 お祭りと言っても、神主さんなど呼ばずに集落が集まって懇親会のようやっていました。
 飛鳥町に行くと、小さな集落ごとに山の神があるくらいですからね。
 それだけ、みんなが山で生きてきたんですね。

 山の神のお祭りは「女の神様」を祀って居るという事で、昔は供え物や料理は男が作るという地区も多かったようです。
 お餅だったり「ぼた餅」だったりしたようですけどね。
 男が作るので「どでかいぼた餅」だったと聞いていますが、今でもたまに配られてくる「ぼた餅」は饅頭屋に頼んでいるはずなのに普通の物の4倍くらいの大きさです。

 山の神の前には「神様が喜ぶから…」と、男性のシンボルが供えられていた物です。
 これは地域の男どもで「彫刻の才能」がある者が作ったのです。
 最近ではあまり見かけなくなりました。
 日本は多神教でおおらかな者です。
 インドのヒンズー教も多神教で道ばたなどに石で作った大きな一物が立っていたりするそうですね。

 山で生きる人が減った山の集落からは「山の神」も引き上げて行くのでしょうか?
 「もののけ姫」の世界では無いですが、段々、人間と神が離れて行くようです。
 「御利益」の無い神は不要なんでしょう。
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熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2011-10-26 09:55 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 10月 25日

熊野の旅 七里御浜の流木

 台風12号から一月半…
 七里御浜はほぼ全域でゴミの山です。
 熊野川や井戸川などから流れ出た流木を中心としたゴミで「埋め尽くされている」と言って良いような状態です。
 今のところ、片付けられる見込みは立っていません。
 一部の住民からは、「みっともないからどけさせろ!」という声も出ています。
 しかし、熊野から南牟婁に掛けての実情は浜の流木に手を付けられる状況では無いのです。
 護岸の崩壊、家の背後地の崩落、農地の壊滅・・・数限りない災害箇所で、「予算が付いても施工できないのでは無いか?」と心配される状態です。
 「みっともない」と言いますが、たかがと言ったら叱られるかも知れませんが、「通りすがりの観光客」の目を気にしているだけでしょう?
 本当にやらなくてはならない事に手が付かないのに見かけだけ掃除してとりつくろう方が「みっともない」事でしょう。

 ボランティアで片付くような通常の台風後のゴミでは無く、一本の流木を動かすのに10人も掛かろうかというのがゴロゴロ転がっているのです。
 キャタピラーのある重機で浜の外に持ち出さないとどうしようも無いのです。
 今後の大水の時怖い、河川敷内の流木も全部が排除できた訳ではありません。

 確かに「格好良い」といえる状態では無いです。
 しかし、地区の現状をもう少し広い目で見て欲しいですね。
 行政の味方をする訳でも無いですが、「優先順位」てのがあります。
 と、・・・言っても・・・
 急がないはずとかあまり要らない公共工事がやられているのも確かですけどね。
 付いた予算は粛々とこなさなくては…
 困った官僚体質が目について悲しくなるときがあります。
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by je2luz | 2011-10-25 09:48 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 10月 24日

熊野の旅 門前町・城下町

 熊野三山は厚い信仰に支えられてきたと言われています。
 大きなお寺や神社の周りには宿屋や土産物屋があって参拝客を相手に商売をして町が出来ていった…と教科書では習いました。
 教科書には出ない部分では、大きなお寺とか大きな神社で「講」なんてのが出来てはるばるお参りに行く所では、行く道では「精進」して旅をするのですが、お参りを済ませると、『精進落とし』などという名目で結構遊んだとか…
 お伊勢さんの「古市」なんてのはその典型かと思います。
 今では、「精進落とし」と言えば「お料理を食べる」なんて事みたいですが、昔の「精進落とし」は女の人を食べる事だったとか…

 熊野三山も「蟻の熊野詣」とまで言われるほど「行列の出来る霊場」だったのかと思いますが、那智以外では「門前町」なんて雰囲気は無いですね。
 那智は確かに「門前町」だし、勝浦温泉あたりは「精進落としの温泉場」って感じですね。
 でも、「新宮」にはそんな面影は無いです。
 私が子供の頃の戦後すぐくらいでも「速玉神社」の前に土産物屋が並ぶなんて光景は無かったです。
 新宮は材木と製紙工場によって栄える「商都」って感じでした。
 「本宮大社」に至っては、わずかに土産物屋と食堂はありますが町にすらなっていません。
 世界遺産に指定される前、さらには国道168号線がまともになるまでは観光客すらまばらだったのですからね。
 その分、本当の参拝者がお参りしていたのでしょう。

 ところで、こうした神社仏閣と言う物、「宗教法人」に成っている物がほとんど全部です。
 広大な面積の中に豪華絢爛な建物が並んでも、「固定資産税」などは課税されていません。
 田舎の市町村にとって数少ない自主財源の「固定資産税」が免除されているのですから、他の部分で商売が成り立たないと…
 他の税金でも「宗教法人」は優遇されていますしね。

 熊野市ではそんなどでかい物はありませんが、中心部にある宗教団体の敷地が免税になっています。
 土地の評価が高く、固定資産税が高いのが自慢なくらいの熊野市で、本来の敷地以外の宿舎なども宗教活動に使う施設と言う事で免税になっているはずです。
 肥大化した自治体会計の中では百万や二百万はたいした比率じゃ無いかも知れませんが…

 もっと大きな物を抱える自治体で、門前町も形成されていない所はあまりメリットは無いでしょうね。
 まあ、御利益はあるでしょうけどね。
 
 近代では神社仏閣より自治体にとってはメリットのあった「企業」も「税金減免」を条件で進出した物が多いです。
 こうした物も、本社は他所で法人税は他所の収入ですし、高給取りの従業員も他所の住所です。
 更に、今では「契約社員」と「リストラ」ばかりで、まともな住民税を払う労働者も居ません。
 下手すると、「若い生活保護受給者」が大量発生する始末です。
 この「城下町」の方がもっと大変な事になっているようです。

 新宮は「巴川製紙」「本州製紙」と川向かい鵜殿村の「紀州製紙」の三つもの製紙工場の城下町でも会ったのですが。今は新宮市内の二つが姿を消しています。
 外貨を稼いでいた「巴川製紙」の跡地は、この地方のお金を吸い上げて行く「ショッピングセンター」に化けています。
 一見華やかですが、経済の実態からするとプラスマイナス大変な差ですね。
 私も若い頃には、この「巴川」にチップを運んだ事もあります。
 林業が壊滅状態で、この地方では、製紙原料の「チップ」を作っている所もほとんどありません。
 ただ一つ生産を続けている「紀州製紙」いや「北越紀州製紙」もチップが地元供給されないのですから、鵜殿に残る意味も少なくなっているでしょう。

 この「紀州製紙」があるので紀勢線に貨物列車が一往復走っているのです。
 これが消えるときには又一つ城下町が消えますね。
 日本国から製紙工場が消えて行く流れのは逆らえないのかも知れません。
 紙がたくさん売れるという事とは別次元の話ですからね。
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熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2011-10-24 10:15 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 10月 23日

熊野の旅 外貨稼ぎ 地場産業

 田舎が生き延びるにはやっぱりお金が無くてはなりません。
 かつてこの辺からは、米・炭・材木・石・魚などが運び出されていました。
 それが他所からお金を運んできました。
 そんなに儲かるもので無くても、たくさんの人の人件費になり地域を支えたのです。
 それがあって成り立っていたのが地域の商業なのです。

 今では米も消費地に成っています。
 炭なんて趣味の世界で輸入品です。
 材木は全く産業にならず、山林も手入れできない有様です。
 石も以前のように毎日トラックが何台も走る事は無くなりました。
 石の方では一時期「白蝋病」の患者で変な風に潤った事もありますが、今ではほとんど打ち切られています。
 つまり、物を市外に輸出して外貨を稼いでくる物がなくなっているのです。
 国の構造、外国為替の問題…色々ありますけどね。

 今の時代、一番街かを持ってくるのが「年金」で次が「公務員人件費」かも知れません。
 その上に乗っかった商業なのでしょう。
 なのに、商業イベントが増える一方…

 私の家も製材所をやっていました。
 その頃は、飛鳥5軒くらい、木本で2軒・有馬で一軒、井戸で1軒など市内でもたくさんの製材があって、東京を中心に出荷していました。
 今では4軒ですかね?出荷しているのは事実上1軒?
 製材すら出来ないのですから山の木に値段が付かなくて当たり前かも知れません。

 石の切り出しも、かつては新鹿や大泊でやっていました。
 国道42号線・311号線や県道新鹿佐渡線を走るとその跡が見られます。
 これも随分前に廃業し今では尾鷲市賀田町で残っているようです。

 これらが下火になりかけたときに、私を含めた4人が地場産業を興そうと「すのこ」などを作る協同組合を設立しました。
 まったく手探りからでしたが、メンバーに雑貨屋さんが居たのでその仕入れルートを逆流させる事で流通経路を確保しました。
 製材所の廃材に近い檜の「ラス下」「貫」を最大限利用する事でした。
 その延長で「縁台」も作りました。
 携帯用の「レジャーテーブルセット」を考案しました。
 これは雑誌の表紙やインテリアの本などにも載っていましたね。
 丈夫なガーデンテーブルも開発しました。
 私達が始めた頃に、「すのこ」の釘は真鍮でした。
 しかし、真鍮もさびます。黒くさびの跡が付きます。
 ステンレスの釘は良いのですが錆びないので乾くと抜けてきますし、くぎの頭が少しでも浮いてくると裸足で登る物ですからけがが予測されます。
 と、言う事で「ステンレス・スクリュー釘」を使って作り始めました。
 数年で全国のすのこがこの仕様に変わりました。
 こうした製品の開発と設計は材木の規格や郷土を知っている方の私が手がけました。

 縁台もそれまでの物は不思議な事に「足取り外し」方式でした。
 これを「ちゃぶ台」方式を採用し折りたたみにしました。
 これにより搬送時の厚みが半分になり輸送コストが下がりました。
 今ではほとんどこの様式ですね。

 杉の端材の使い道が無いので「押し入れすのこ」を作って、これも幅を半分にしてホームセンターから持って帰りよいようにしてそこそこ好評でした。

 ふんだんにありそうに見える「檜の端材」もこの辺だけでは全く足らず、和歌山県日置川町から三重県松阪市までの広範囲から集めるまでになり、ものすごく単価の安い600円ほどのすのこで1億を超す売り上げまでに育てました。
 儲かる仕事ではありません。
 しかし、大勢の人と下請け木工所に働いて貰えました。

 しばらくすると、日本の商社は中国に製造を依頼し外材のを持ち込み始めました。
 最初は。「押し入れすのこ」でしたが、中国の田舎で育っている「桐」に目を付け「桐の押し入れすのこ・二枚組」なんて私達のと同じパターンで出してきました。
 杉と桐…押し入れに使うなら「桐」に軍配が上がるのです。
 私なら迷わずに「桐の押し入れすのこ」を買います。
 おまけに、桐の押し入れすのこが杉より安い!
 合理化のしようが無い勝負ですから、急速に追い出されましたね。

 このように、「総檜・縁台」は「天板のみ檜縁台」に駆逐されました。
 分ってくれるのはほんの一部の人だけ…
 「総檜」とは書いていませんから違法でもないし…

 趣味の木工で自分たちだけが何とか食べるのでは「産業」ではないし…
 かくして、悪戦苦闘しましたが事実上木工部門からは撤退せざるを得ませんでした。
 まさに悪戦苦闘・・・時間と私財をつぎ込んでの戦いでした。
 商才が無いから…と言えばそれまでですがね。

 この経験からみて、役所に頼りっきりの「地場産業興し」の合唱が遊びに聞こえるのです。
 本当に飛び込む気のない人が・・・
 アイデアだけで産業になるほど世界は甘くないです。
 町の人に自覚が無ければなおさら育ちません。
 もし、目指すのが「地場産業」なのだとしたらね。
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熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2011-10-23 10:16 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 10月 22日

熊野の旅 台風12号 風評被害

 台風12号の被害は甚大でした。
 でも、阪神淡路とか東日本とか中越のような震災被害に比べると「壊滅」という物ではありません。
 交通網も仮復旧を含めると早めに回復しています。
 テレビなどの報道は、局所的に取り上げますから、ややもするとその地方一帯がそうなっているかのように受け取られます。
 確かに、鉄道、紀勢本線は鉄橋に被害が出て不通になっていました。
 JR東海側の紀勢東線は10月11日に仮復旧してダイアも正常になっています。
 IR西日本の那智ー紀伊天満間の鉄橋などの復旧は中々進まず運休が続いていますが、国道は無事ですから代行バスが走っています。
 各国道は電光掲示板で「通行注意」など出ていますが、年度末の工事ラッシュの規制よりスムーズです。
 宿泊関係も被災した所もありますが、元々一杯にならなることがほとんど無くなっている地域ですから、支障なく泊まれます。

 なのに…
 客足がうんと減っています。
 予約のキャンセルもまだ続いています。
 「行っても見られない」
 「行ったら迷惑を掛けるかも」
 などという理由もあるようです。
 「テレビによると、熊野古道もずたずただとか…」なんてのもあります。
 「熊野古道」な200Kmもあります。壊れかけたのはほんの数キロ程度です。
 
 先ほども書いたように、報道は局所的に一番絵になる部分を写して使います。
 私のブログでも、その地区その地区の典型的は被災状況を写して載せました。
 だからといって、その地区が壊滅したのではないし、壊滅したとは書きませんでした。
 テレビの方がセンセーショナルに煽る傾向があるので現地の地形も様子も知らない人からすると、「壊滅」と思われるでしょうね。

 「熊野古道歩き」の人はお金を使いません。
 でも、熊野市ではお金に出来る所は少なくても、勝浦など「本当の観光地」ではこの「風評」「思い込み」による敬遠被害というような物が大きく応えます。
 まだまだ、従業員を使っている旅館や本業の土産物屋なんて残っている温泉場ですからね。
 たしかに、那智のお山が機嫌を損ねたようですから、見所が少し減ってはいるのですけどね。
 地震と違い「泉源」が枯れるといった事もありません。
 紀和町だって板屋地区など民家は水没しましたが観光施設は無事で、営業しています。
 でも、熊野古道歩きの人は減っています。
 紀和町ではこんな川っぷちでも、ダムの放水に見舞われない所は無事で営業していますからね。
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 熊野古道歩きの客は何度も足を運ぶタイプの人が多いですから、「今じゃ無くても…」と言う事かも知れませんが、こんなのも「癖の物」です、行かないうちに忘れちゃう人も出るでしょう。
 「奥の細道」も歩きにくい状況なのでどこへ向かうのでしょう?

 何度も来るから、中途半端な土産物には目もくれないのかも知れませんね。
 何度も来なくてはならないから、お金も始末するし…
 何度も来るから、日帰りになるし…

 
熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2011-10-22 09:07 | 熊野 | Trackback | Comments(0)