LUZの熊野古道案内

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2011年 09月 30日

熊野の旅 せっかく原発を拒否したのに…2

放射性物質を拡散させるな
 この問題は、一部の市民の方は耳にし、心配されていますが、一般にはまだ知られていないようです。
 これは、「アエラ」というまじめな週刊誌が取り上げたもので、「東日本大震災のがれき」を全国の自治体が協力して焼却など行うという計画です。
 国のこの方針に対し、全国で手を上げた自治体もあります。
 趣旨は結構なことで、みんなで助け合うべきでしょう。

 三重県では結構たくさんの自治体が手を上げました。熊野市も手を上げています。
 隣の和歌山県はほとんど手を上げませんでした。
 問題なのは、東北地方のがれきに「福島県」が含まれるのです。
 国の方針が定まらず、放射性物質を含んだがれきも「大量のがれきで薄めれば良い…」なんて話も出ています。  
 昔の公害対策で総量規制では無く濃度規制でごまかそうとしたのと同じ発想です。
 やっかいなのは、普通の公害物質と違い、いくら薄めようと放射性セシウムなどは、焼く時の排気や残りの灰としてどんどん蓄積してしまいます。
 そして、セシウムのように半減期が短いやつでも30年以上経って「放射能がやっと半分」になるだけです。
 放出はされていないとは思いますが、ウランなどになると半減期が3万年とか…
 安全基準の100倍あると…
 セシウムでも300年以上でやっとぎりぎり安全レベルです。
 ウランだと30万年先です。
 こんな話をしないのが国であり電力会社や通産官僚なのです。

 熊野市も今は自分所の災害ゴミで手一杯ですが、手が空けば知らない間に持ち込まれる可能性があるのです。
 一般質問を止める代わりに、市長の談話で「放射性物質の含むがれきは持ち込ませない」という方針を明示できないか…と、打診したのですが
「そんな談話など出せない」という答えが返ってきました。
 どうやら、国の受けを狙って手を上げたのに国に逆らう談話など出せないと言うことらしいです。
 「市民よりお上」と言う体質が出たのかも知れません。

 この問題こそ、市民の声で押しつぶさないと大変なことになりそうです。
 放射性物質だけは拡散させてはなりません。
 東北の復興とは別次元の問題です。
 これを口にすると、「東北の復興に反対するのか!」と、議論をすり替える向きもあります。
 しかし、せっかく原発を拒否して来た熊野なのに、これだけは守って行きたいです。

 焼却炉も熊野市の場合有馬・芝園にあります。
 つまり、住宅地の真ん中にあるのです。
 
 これについても、当初や集会など色んな手段を通じて反対の意思を表明していただきたいのです。
 なにしろ、この受け入れ表明は議会に出す議案では無いので市長だけで決断して手を上げたのですから…
 つまり議会では否決すら出来ないのです。
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 話は変わりますが、この波田須の売店…
 地元の要望で作ったらしいのですが、連休でも閉まっていました。
 もう、留守番できる人も居ないのかも…
 売るものを作る人も年取ったし…
 全国にはもっとでかいのが閉まったままに成ってますよね。
 開くときにはマスコミも大々的のもてはやすんですけど…

 
熊野市周辺地図です
 
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by je2luz | 2011-09-30 17:01 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 09月 30日

熊野の旅 せっかく原発を拒否したのに…1

 これも「身内の恥」なのかも知れませんが…

 熊野市は半世紀前の原発騒動の時に漁民や市民の反対で無事に逃げ切り、更に、収まってからも前々市長の時に、候補地返上をわざわざ申し込むまでやり、候補地から名前が消えています。
 今の市長にも原発に対するスタンスを質問し、「個人的には要らない思っている」という見解を本会議で引き出しました。
 その直後に「福島原発」にの事故が発生しました。
 ここまでは、私の描く筋書き通りなのですが、その後がいけません。

 週刊誌「アエラ」の記事でご存じの方もあるかと思いますが、「東日本大震災のがれき処分」を全国の自治体に協力を求める呼びかけに、全国の自治体の一部が手を上げました。
 このことは前にも書いたように良い事でしょう。
 塩水に漬かっていた木材を焼くと通常のゴミ以上にダイオキシンの発生が予想されます。
 この発生量は炉の設計と運転管理によってずいぶん変わります。
 高温燃焼方の炉では発生量が減ります。
 それも、連続炉であれば1100度以上1300度とかをずっと維持しますから、ダイオキシンが出来ても更に分解してしまいます。
 田舎の古い炉は、ゴミの量からしても8時間とかの運転しかしていません。
 つまり、朝の立ち上げ時と夕方の停止準備中に、500度から800度というダイオキシン発生温度域を通過します。
 それも毎日の話なんです。
 だから、都会の炉より悪いのですが、まあ、そちらは運用とかで目がつぶれる範囲でしょう。

 「アエラ」が問題にしたのは、東北のがれきの中に「放射性物質が混入したもの」が入る可能性があるという事です。
 馬鹿のような事故を起こして、地球規模で汚染を広げたのに、さらに、がれき処分・焼却で汚染物質を全国に拡散しようという恐ろしいはどの役人の馬鹿さ加減です。
 でも、全国の自治体の一部は、国に覚えがめでたくなるようにと思ったのか、喜んで手を上げています。
 熊野市もその中の一つなんです。

 この問題があるのに、災害を理由に9月議会でが「一般質問」は無くなりました。
 恐ろしい問題でも、議会の議決も承認も要らないというので市長一存で進んでいます。
 「放射能汚染がれきだけは受け入れられない」という市長談話でも出せないか?と言う私の打診に対し…
 「そんな見解表明は出来ない!」と断ってきました。
 そんなの言えば国には嫌われますからね。
 少なくとも、「言い出しっぺ」には成らないと言うのが高級官僚での体質でしょうね・

 と言う訳で、私の機関誌の大量発行しか無くなりました。
 例によって、ここの市民は文句は言っても立ち上がりませんから…

 6ページものの中で、この問題に関する分を、次に記事として続けてアップします。
 熊野原発はこの写真の波田須町の隣に出来るはずだったのです。
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熊野市周辺地図です
 
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by je2luz | 2011-09-30 11:21 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 09月 29日

熊野の旅 波田須と波田須アートフェスティバル

 昨年からなのかなあ・・・
 波田須で「波田須アートフェスティバル」なんてのが行われるようになったのは…
 波田須に住み着いている、音楽家?夫妻が音頭をとって、「世界的フェスティバルにする!」などという壮大な計画をぶち上げたものです。
 在来の祭には冷たくても、こんなものには弱い行政は、少なからぬ補助をつけました。
 全国で色んなことをやりながら食べてきた人ですから、企画作りなどはお手の物でしょうね。
 どういう訳か「花の窟神社」のお綱掛け神事にシンセサイザーの音楽とアクロバット的な踊りを組み込ませちゃったほどの営業力がありますからね。
 新聞社などもずらりと協賛企業で名を連ねています。
 去年は初回だったので、少々もめながらも波田須の区も住民も協力しないといけないかなあ…と、思ったようです。
 でも、いわゆる「文化人」と典型的な田舎の老人ではかみ合いません。
 やってくる出し物は「アーティスト」…私などは知らない有名な人やグループのようですから集客力もそんなにはないし…(波田須の人はほとんど知らないでしょう)
 そんなこんなで、主催者はそれなりに満足したようですが、じいちゃんばあちゃんには訳が分からないままだったようです。

 そして、今年も、台風12号のあと、9月17日(土)~25日(日)に開催されました。
 去年、このイベントに疑義を挟んで一部の人に叱られましたので、主会場ではない波田須小学校を訪れ、会場外から主会場を眺めていました。二回ある連休のうち最初の方の日曜日・19日昼頃です。
 一時間あまりいましたが、展示会場でもある波田須小学校に見学者が来たのは一組のアベックだけでした。
 主会場の方も眺めていたのですか、その時間には車の出入りは無し…
 暇だから近所のおじさんなどに声を掛けてちょっとだけ話を聞きました。
 「去年は協力したけどもうできん!」と声を荒げ、「まあ見てくれんし…」と、その理由になる個人の所有物を見せてくれました。
 破損しても一言も無かったとか…
 さもありなん…今年も小学校は展示会場になっていましたが、全く管理がされていない無い状態でした。
 私は写真を撮るのには好都合でしたけどね。
 「波田須区も協力していることになっているみたいやけど、上の人が勝手にやとるんやろ?」と、言う人…
 でも、公式にはそうでは無いのでしょう。
 市役所には格好付いた企画書と報告書が上がって行くでしょうからね。

 去年これに関連してここにも書いた「ふるさと協力隊」??の女の子のことでも、引き上げて行く10日ほど前でも担当課では「評判も良いし、本人もやる気ですから、このまま延長で残ってくれると思います」と言っていたのです。
 私のような部外者でも、逃げ出すとは言いませんが「引き上げて行く」のは知っていました。
 でも、帰る準備しつつも、市の方には直前にもきちんとしたレポートは出したそうです。
 仕方ないのですが、役所ってそんなところですね。

 このフェスティバルも、「盛況のうちに終了」と言うことになっているのでしょうね。
 全国から集まってくる、アーティスト仲間の数だけでも十数人の見物人は居るでしょうからね。
 地元に関係なく、「夏合宿をやっている」とまで言うと言い過ぎでしょうけどね。
 全国から集まっているのに「入場は無料」…これをやれるのはすごい営業力です。
 市もその営業力を利用すれば良いのに…て位です。
 でも、役所だと「使う」より「食らい付かれる」かな?

 悪いことに、今はやっていない波田須保育所は主会場の隣で、このフェスティバルに貸し出されていたか…
 「あんな所を使われたらわし逃げるとこもありゃあせん!」…
 いかにもよそから来た文化人…波田須こそほとんど被害はありませんでしたが、熊野市中がごった返しているときですから、イベントを開くのは良いにしても少しくらい配慮しないと…
 すぐ後には台風15号で住民は震え上がっていたし…

 でも、こうした人は形の付いたサポートをやるものですよね。
 何をやったかは分かりませんが、たぶんね。

 で…
 来年も補助金つけて、このフェスティバルをやるのでしょうね?
 地元の祭などは消えようとしているのに…

 でも、熊野という所は色んなことで声を上げる人がほとんど居ないんです。
 「いや事言うたら嫌われる…」 と言う発想です。
 そのくせ文句は言うのだし…
 そして「いや事」を言う私のような人間の味方をしてくれる人は少ないんです。
 施政者はやりよいでしょうね。
 よそでは、「いらん図書館を作った」と言うことでリコールも起きているくらいの時代なのにねえ…
 住民のサポートが無ければ議員なんて関西で言う「いらん事言い」という事になっちゃいます。
 家で言ったも、上には聞こえません。
 つまり、行政の方向はちっとも変わりません。
 お代官様がお殿様に…そして、今じゃあ世に言うところの「天皇」に成ろうとしています。
 どこのお代官様かは言いませんけどね。
 「失礼な!」と言われそうですね。
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熊野市周辺地図です
 
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by je2luz | 2011-09-29 10:40 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
2011年 09月 28日

熊野の旅 岬の学校 波田須小学校 2

 波田須小学校は海に突っ込んで行く山の急斜面のかなり上の方を削って作られています。
 運動場部分は盛り土になっているようです。
 何しろ平地の無い地区ですから、広い平らな土地など確保できなかったのです。
 この校舎になったのも昭和30年代でしょう。
 その前の校舎は、すぐそばの狭い石段をうんと下ったところにありました。
 一番上が校長先生の官舎でその隣が家庭科などの教室、次の段とその次が普通教室、そしてうんと下がった一番下が狭い運動場…という段々畑にねじ込んだようなものでした。
 自動車など近づきも出来ないし…いくら何でもと言うことで引っ越したのが国道のそばの写真の新校舎なのです。
 今でも古い方の校舎の一部と敷地は残っていますが、引っ越して当たり前の所です。
 ぼろぼろになってからでも、そちらの学校の方がもっと趣がありましたね。
 以前ここに載せたこともありますね。
 取り壊しを計画したときには解体屋さんが入札に来なかったという立地なのです。
 重機どころか搬出の車も近づけず、全部、人力と架線を張っての仕事ですから普通の解体単価では入札に現れませんよね。
 そうじゃなくても、木造家屋でも「産業廃棄物」で普通に焼いちゃうことも出来ないんですから…
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 休校になった新校舎はこんな風な昭和の校舎です。
 でも、この学校は急斜面を削っただけに、この窓の外にはものすごく高い石垣がそびえています。
 まだ、崩れたことは無いのですが、その石垣は昭和19年の東南海地震を経験していません。
 何気なく見過ごしますが、ちょっと不安な立地です。
 ただ…石垣だけの崩落ならこの廊下部分がやられるだけで教室は何ともないと思われます。
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 平成11年、休校になるときの全校児童だそうです。
 校長室の壁に飾られています。
 隣の新鹿小学校までは3Kmほどで児童の足で歩くのは大変ですが、教育的見地からすると統合して当たり前ですね。

 この先の方の二木島の小学校は今年の3月で休校になりました。
 記事にも書きましたが、二人の子供が転校して行き、残った児童だけでは勉強もままならないと言うことで、父兄が申し出て急遽休校になったのです。
 こんな場合、父兄に相談するとかだとすんなり行くのですが、町内会だとかに相談を持ちかけると、「村の中心が無くなる」、「どーなるもんか!」と、子育てを終わった老人の反対に遭って進まなくなります。
 最近では、年寄りもあきらめよく鳴ったようですけどね。

 このような空き校舎があちこちにあるのですが、これを維持するのも大変です。
 残せと騒ぐ地元も老齢化が進んで、中々勤労奉仕で休んでいる母校の手入れをするところに行きません。
 有志ががんばっても、昔のようには寄付も集まりませんしねえ…
 少し前に書いた「神上中学校」(こうのうえ)…神川の中学校校舎も雨漏りしていて地元が寄付集めに乗り出そうとしているようです。
 でも、地元にいるのはほぼ全員お年より…
 外に出て行った人が頼りです。
 そんなときに邪魔をするのが、「個人情報保護法」なんて運用面でヒステリックになっている法律です。
 地域社会も何もかも破壊されつつありますね。
 日本は人の輪でやってきたのに…

 
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by je2luz | 2011-09-28 10:27 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 09月 27日

熊野の旅 岬の学校 波田須小学校

 先日、「鐘」の写真を載せた学校…
 「熊野市立波田須小学校」です。
 だいぶん前から休校になっています。
 学校というのはなかなか廃校にはなりません。
 子供が戻ってくる見込みが無くても、「休校」にしてあるのが全国にいっぱいあります。
 理由は予算の関係なのです。
 廃校にすると、「教育財産」ではなく「普通財産」になります。
 市立ですから私立のように学校で無くなったからと言って「固定資産税」が掛かる訳ではありませんが、国からの維持費が出なくなります。
 規模に応じて一校いくらで出るのですが、市全体合算で交付されるので、休校の校舎分も現役の校舎に回せるから、残すのです。
 そうしたからくりがあるので交付金をもらっている割に休校の校舎は傷みが早いです。
 民家でも人が住まなくなると風も通さないし痛むものですからね。
 校舎も悪ガキが走り回ってガラスを割ったり壁板を割ったりしても、子供が居る方が痛まないのです。
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 校庭から子供が消え、この遊具が使われるのも、休みの時などに気が向いた子供がやってくるときだけになっています。
 休校になってしまうくらいですから、そうして回ってくる子供もほんの少しだと思います。
 でも、滑り台の板は光っていました。
 運動場も我が家の庭よりは草の丈が短くきれいでした。
 都会の真ん中でもすぐに草に覆われるものですが、すぐ裏が山ですから、目を離せば我が家の庭と同じようになるでしょうね。
 
 高台にある「波田須小学校」は眼下に海が見える学校です。
 岬にある村の学校・・・
 そういうイメージがぴったりです。
 同じように休校になっている「神上中学校」は「山の村の学校」にぴったりなんです。
 熊野市中と言うより、全国にこんな学校が一杯あって、町中のは建て替えられ、田舎のは休校や廃校になっていったのです。
 田舎の校舎はほんの少しが再利用されるだけで、朽ちて行きます。
 集落、村が消えようとしているのですから無理も無いのですけどね。
 かつては村の中心にもなっていた学校なんですけどねえ…

 
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by je2luz | 2011-09-27 08:43 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 09月 26日

熊野の旅 昨日で良かった・・・木本小学校運動会 2

 昨日は時々おかしな雲が出ながらも無事に運動会が済みました。
 空を見ながらなので、少しずつ進行が早くなり、終了も早かったようです。
 昨日くらいの天気なら熱中症なんて気にしなくて良いし…
 運動会に雨が降ると校長先生が「雨男」と言うことになってしまうのですが、何とかその冠を被されなくて済んだようです。
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 今の子供は過保護というか…
 生徒のためにテントが張られ、教室から自分のいすを持ってきて…
 父兄のためのテントも学校側で張る時代ですから当然なのでしょうけどねえ…
 生徒数が減っているから設営は楽でしょうが、その分、父兄の数も減っています。
 そして、増配されているとはいえ、先生の数も減っています。
 ギンギラギンの飾り付け、耳をつんざくような音楽はありませんでした。
 こんなスピーカーの音で足りる程度しか人が居ないってことなんでしょう。

 熊野市で一番大きな小学校だった「木本小学校」も生徒数で「井戸小学校」に追い越されてずいぶんになります。
 今だと「金山小学校」なんてかつては、田舎の学校扱いされたところにも追い越されているのかも知れません。
 中心市街が老齢化し、若い人が郊外に居を構える「ドーナツ化」はこんな田舎の町にも起きました。
 間口が狭くて奥行きの深い、良い風に言えば「京都風」の町並みでは、二世帯暮らすなんて戦後の社会では出来ませんからね。
 昔は、当たり前で、そんな住宅でもたくさんの子供を作って育てたんですが…
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 この子たちは木本小学校の児童では無いようです。
 こんな風によその子供がいっぱい遊びに来ています。
 木本小学校と隣の井戸小学校の校区はべったりくっついています。
 狭い範囲に二つの小学校がある、都会並みの所です。
 平野の少ない所ですから、狭い範囲に人が住みつきましたし、昭和の合併までは、こちらは南牟婁郡木本町、隣は南牟婁郡有井村だったのですから、小学校が違って当たり前です。
 「産めよ増やせよ」の戦時中から戦後の「ベビーブーム」に掛けては、木本小学校の児童数が1500を越えたというのですしね。
 今となっては、統合して当たり前なのですが、そうは行かないのが学校統合なんですよね。
 母校に対する郷愁では無く、地域エゴとも言える発想が出てきますからね。

 合併論者の中には、この木本小学校を廃止して、跡地にショッピングセンターを作って商売人を集めよう…なんて言う人も居ます。
 一体いつの時代の発想なのでしょう?
 人口はすでに19500人…私たちの世代がほとんど居なくなる10年あまり先には12000人になると言われているのです。
 活性化では無く、「スーパーが引き上げても。せめて買い物が出来るように…」と言うのなら分かりますけどね。
 なら、大きなビルは要らんでしょう。
 その論者の考えるビルは「税金ビル」です。
 だって、市場が壊滅する時代、後継者も居ない商人が新規ビルのテナント料も払えそうに無いのに建設費など払えるはずがありません。

 この子たちが、最後の熊野の子供に近いのでしょうね。
 林業も漁業もこのままでは食えません。
 食えるのは公務員と準公務員や銀行員…
 でも、人口が半減したら公務員だってどこまで雇えるのやら、銀行もいつまで残るやら…
 旧南牟婁郡全部が合併しても二万人ほどでしょう。
 国の構造がそうなのですから、口で言うようには止められないでしょう。
 大河の中に細い竹の棒をさすほどの抵抗にもならないでしょう。
 
 三大都市圏から若い人を連れてきて、最低保障15万円ほど与えて、最低1年間、最長3年住んでもらう施策を国が始め、それに乗って若者が来たことが、役所の自慢する活性化なのです。
 ご自慢の人材も一年で逃げ帰っちゃったのもあります。
 「三人も住民登録させた!」と自慢するなら、「外人花嫁」たちにもっと優しくする方が実があるのでは無いでしょうかね?
 どこの田舎でもそうでしょうが、知らない間に国籍の違うお嫁さんが増えているようです。
 
 
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by je2luz | 2011-09-26 10:36 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 09月 25日

熊野の旅 秋空の下・・・木本小学校運動会 1

 澄み切った青空とは言いかねる、ひょっとしたら一雨来るかも…というような雲のある天気ですが、熊野市立木本小学校と木本幼稚園、木本保育所の合同運動会が行われています。
 近隣のみならず、全国でもたくさん運動会が行われているでしょうね。

 二週間も早くやって、ばたばた倒れる児童がでてニュースになっていましたが、どうしてあんなに早くやるのでしょうね?
 昔の子供のように、夏井休み中炎天下で遊び回っている子がほとんど居なくなった今の都会っ子に、残暑の厳しい9月上旬に運動会しろって考えが分かりません。
 学校のカリキュラムだとか行事予定だけで決めたのでしょうね。
 夏休み気分が抜けないで、勉強になりにくいうちに運動会も済ませちゃおう…
 そんなのに、誰も疑問を持たないのでしょうか?
 「何か言うと先生に子供がいじめられる」と言う強迫観念を持った父兄もずいぶん前から見かけられます。
 その逆で何でも学校の性にするモンスターとかも居るし…
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 かつては入所希望者が定員よりはるかに多くて、入所資格を得るための偽就労証明書が横行した木本保育所ですが、今では子供も減ってしまっています。
 それでも、三学年分ほどが一緒に行動するので「団体」に見えます。
 運動会も保育所単独で行って、狭い保育所の運動場は見物人でごった返したものです。
 更に昔になると、この木本小学校の児童数が1500人ほど居ましたから、小学校の運動会は大変な騒ぎでした。
 二日も前から場所取りをして…家内中、親戚まで弁当持ちで…
 子供の出番は当然少ないので、見落とさないようにプログラム片手に…
 町別対抗リレーなどに出られるのはものすごく足の早い子だけ…
 子供の多かった親地町などは二つに分かれるくらいだったのです。
 いまでは、高学年全員リレーなんてのでないと格好つきません。
 山間部に行くと、小学生から中学生までの全員リレーなんてのがあります。
 選手を選ぶほど子供が居ないんです。
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 この光景は全国共通でしょう。
 ビデオにカメラに携帯電話…
 向こうの方の観客席を見てもらえば分かるように、この辺の小学校では父兄のカメラマンも場所取り競争しなくて良いです。
 私など父兄で無いカメラマンも自由に歩き回って好きなところで前列に出て写真が撮れます。
 「良いですねえ…」と言われそうですが、こう出来るのが困ったものなのです。
 動きがとれないくらいなら、一応「来賓」扱いなのですからテントの下でカメラを構えますけど…

 長男の頃…
 一学年、曲がりなりにでも二クラスあった頃は前列に出るには勇気とテクニックが要った物ですけどね。
 あれから三十年足らずで…
 昔なら、山の分教場並み…「あらあ、三太だ!」の学校と同じくらいになったのです。
 この広い熊野市で生まれる子供が三クラス分ほどなんです。
 南牟婁郡を入れて五クラス分…
 二つの高校が残せ無いのが分かった居るのですけど…
 未だに高校統合の話はタブーのように避けられています。

 そろそろお昼です。
 天気は大丈夫なようです。
 先生方も慌てて進行しなくて良くなったようです。
 
 
 
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by je2luz | 2011-09-25 11:48 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 09月 24日

熊野の旅 台風12号 被害概要

 台風12号関連水害による被害の概要…2011年9月14日現在・熊野市調べ
   人的被害  軽傷 1名

   家屋被害  全壊     32
           半壊     50
          一部損壊    1
          床上浸水  817
          床下浸水  308
            合計  1.208
 二木島地区を除いて市内全域に広がっていますが、井戸町、紀和町が圧倒的に多くなっています。
 熊野市の世帯数が一万戸を切っているのですから、この建物戸数はものすごい比率です。
 しかし。山崩れを含めて32戸もの全壊家屋がありながら、軽傷1名というのは優秀です。
 急流の川があるのに、いわゆる、高い堤防に守られていて、堤防が決壊してどく流が押し寄せるというような浸水の仕方では無く、じわりと水が押し上げてきて、床下、床上になったものがほとんどなのでけが人も出さずに済んだ所が多いです。

 公共施設関係でも多大な被害が出ています。
 海岸部の簡易水道を除いてほぼ全ての上水道と簡易水道が被害を受け断水しました。
 中心部では大泊水源・井戸水源・産田水源がやられ、井戸水源では2億4千万ほどの被害になるようです。

 なんと言っても、中枢機能を担う市役所の地下室がかん水して、電源施設全部がショートしてしまったのがその後の熊野市の混乱を増長しました。
 20年も前、私が前回議員をしていたときに進言したのに聞き入れず、10年ほど前に一部浸水したときにはほかの議員からも指摘されたのにこれまた聞き入れずにいたことがこれを招いたのです。
 市役所周辺で、言うなれば一番低いところに市役所の心臓部分をおいてあったのですからね。
 これは、怠慢といえることでしょう。
 指摘が無くても怠慢ですが、指摘を無視してきたのですからね。

 これによって色んな機能が麻痺し、市民や熊野出身者に対する業務や情報面でものすごく迷惑掛けたのに、前にも書いたように、CATVにもHPなどにも、自らのミスをわびる言葉も、情報を出せなかったことに対する「お詫び」なんて出しませんでしたからね。
 市役所も被害者…と、言いたいのでしょう。
 しかし、素人に指摘されるほど・・・
 それも、今回が初めての浸水では無いのですから人為的災害ともいえるのです。
 伊勢湾台風の時は今回より更に1mほど水位が高かったのですからね。
 市役所自体はそのときにも浸水しないだけの高さに一階から上はあります。でも、心臓部が半地下ではねえ…
 そして、今発表されている市庁舎の被害は…2億7500万円…です。
 ちなみに、まだ電気は復旧していません。
 土木業者の名前の入って発電機が動いています。
 まあ、無理は無いとも言えますが、当局の説明は素人以下で質問する気にもならない状態です。

 余談ですが…
 要らんことを相談する偉い大学の先生が居ても、こうしたときに相談する人が居ないんでしょうね。
 この意味を分かる人が熊野市になら居ると思います。

 消防団の消防自動車も二台水没したようです。
 団員に犠牲が出なかったのでよしとしましょう。

 そして、全国でも時々あるように、ダムの放水のタイミングの悪さで浸水した可能性が強いのが「紀和町」です。
 電源開発のダムは「発電ダム」で「治水ダム」では無いのですから、水は電源の財産で放水は電源の権限には違いないのですが…
 放水を本格的に始めたのが遅くて洪水の時期にはものすごい水量を放出したようです。
 紀和町出身の議員さんが市長に対し、「電源開発に対し抗議する気はありませんか?」と質問すると…高級官僚的に、先の法的な部分を説明し、「抗議する立場ではないし抗議する気は無い」と非常に人間味の無い答弁をしました。
 出身が官僚というのでは無く、暖かみが無い人間性が垣間見える気がします。
 三重県議会で同じ趣旨の質問を受けた三重県知事は、「今後。電源開発と放水方法などについて協議してゆきたい」と、法には無い部分でも住民の安全に配慮する答弁をしています。
 
 以前は水利権更新に同意する権利を有した県知事ですが、今では、その権限は国に取り上げられて、「助言」しか出来ないようになってしまったのですが、そんなこと関係なく住民の安全第一という思考回路があると言うことです。

 これらの数字も全くの概算です。
 増えることはあっても減ることは無いでしょう。

 台風さんにも少し考えてもらって、一回の台風あたりに降る雨を500mmまでにしてもらいたいです。
 そして、この災害でやられた、河川や山腹の修復にめどがつくまでの2年間ほどは、200mm位まで減免して欲しいです。
 冷たい行政でも「災害控除」があるのですからね。
 龍神さんとかも「神様」でしょう?
 いくら紀州でも続けて1000mmを超す雨には耐えられません。
 これを木曽路・飛騨路と名古屋に持って行ったら…
 15号で100万人に避難勧告を出したのですから、名古屋市どころか濃尾平野全域に避難指示でしょう。
 死傷者も伊勢湾台風以上になるでしょうね。
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熊野市周辺地図です
 


      
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by je2luz | 2011-09-24 10:49 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
2011年 09月 23日

熊野の旅 罹災証明

 12号台風・15号台風では浸水した地域が多く、床下・床上浸水、山崩れや護岸崩壊によって建物が半壊・全壊した家がたくさんあります。
 熊野市の災害見舞金は。床上浸水2万円、家屋半壊3万円、家屋全壊5万円です。
 まさに「お見舞い」程度です。
 これは当然のこととして、罹災届があったところにしかでません。
 罹災届を出して、調査してもらわないと当然見舞金は出ませんし、罹災証明をもらっておかないと、税金申告の時に「災害控除」が受けられません。
 もっと大きな罹災者向けの援助制度もここからスタートします。
 今回のような場合は市役所も総力あげて浸水地区を聞き取り調査に出ますが、当然離れた場所などでは漏れがでます。
 熊野市だけで無く、どこの自治体でも同じはずです。
 忙しいさなかに届けを出すのも忘れがちでしょうが、忘れないでください。

 ここで言う、床上浸水・半壊・全壊の解釈は自治体の物と保険会社の物とでは差があるようです。
 保険をかけてある人は自治体の物より保険の方が高額になると思いますから、そちらへの連絡も忘れないでください。

 床上浸水で建物が無事で済んだ家でも、長く漬かると塗り壁が落ちます。
 大壁の家では建材の中に入り込んだ水がなかなか乾きません。
 床下浸水でも、都市部になると入り込んだ水が汚穢を含んだヘドロを持ち込んできます。床浸水では部屋中にこれが入り込んでいます。
 取り除いて、洗えるところは洗って…役所からは消毒にも来てくれますが…
 においが残ってしまう場合もあります。
 完全下水道でも逆流はするのですが、くみ取り式の多い田舎町では大変な量の汚穢があふれ出すのです。
 何度も浸水されたりしたお店などでは、本格的に移転を考えているところもあるようです。
 山間部では、集落から出て行く動きがありますし…

 津波被害地の高台移転が話題になっていますが、水害でも同じことが検討されても良さそうな場所もあります。
 あふれ出て広大な面積に広がった水を、本来の川に押しとどめようとするなら、あふれ出た水位より堤防がかなり高くなくてはなりません。
 鎌倉時代や江戸時代から始まった、川や海との戦いが未だ完成していません。
 名古屋市みたいな所でも、川の途中で堤防が2mも低いところがあって水が超したのだとか…
 河川の専門家、治水の専門家、土木の専門家…専門家が出来て100年ほどになるでしょうけど…何をやっているのだか…
 まあ、本当に勝てるとは思いませんけどね。

 かなりの町で、かなりのお金をかけて「ハザードマップ」というのを作ったはずです。
 なのに…
 これだけ広域で災害が発生しても、役所もマスコミもその町の「ハザードマップ」が合っていたのか、活用されたのかについてはふれもしませんね。
 役所の作る「計画書」なんてのは「作るために作る」物も多いです。「ほかが作るから作る」のもあります。
 でも、職員が夜なべして作るのでは無く、結構大金をかけて「専門家」にお願いして書いてもらうのです。
 きれいな色刷りの物が出来ていて、きちんと報告会などもされるのですが、一般市民には周知できません。
 広報に織り込んだりすれば、役所としては「全戸配布して周知せしめた」ことになるのですが、住民の方は玄関まで水が来ないとぴんと来ないのです。
 のど元過ぎれば何とやら…
 いやなことは忘れる人間の脳の基本的な能力で災害も割合と早く忘れます。
 興味を持っている私などはそこそこ覚えていますが、特殊な例でしょう。
 そもそも、「広報〇〇」なんてあまり読んでもらえませんし…

 日本列島、四季があって変化に富み、気候もそこそこ温暖で人間が住むのには良いのですが、地震はあるし、火山もあるし、梅雨もあるし、台風も来ます。
 災害の方でも賑やかな国です。

 そうそう…
 運ぶ産品も無くなって、車の量も期待できない「高規格道路」の作る大義名分に「生命の道」なんてのがつきましたよ。
 被災地になったときに救援物資を運ぶのに高速道路が要るのだそうです。
 防災には使えないけど道路になら建設国債で金は作れるようです。
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熊野市周辺地図です
 
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by je2luz | 2011-09-23 10:36 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 09月 22日

熊野の旅 取り敢ず13億ほど…

 台風12号の水害に対する激甚災害指定は決まりましたが、この先が結構大変です。
 熊野市の一般会計予算は125億円ほどなんですが、今日上程された熊野市一般会計補正予算(第三号)では、12億5千万円ほど追加がだされました。
 総予算の一割が取り敢ず必要な災害復旧費になります。
 この先追加がまだ出てくるでしょう。
 まだ、設計なんて何も出来ていませんから、まさに概算要求的なものです。
 でも、金を作らないと…

 民間と違うのは、こうした火急の金は補正予算を組めば使えるのです。
 当然のように国の制度に則った補助金頼みですけどね。
 「災害復旧債」なんて分かったような分からないような借金もありますしね。
 「立て替えておけよ…あとで利息と一緒に元本もあげるから…」と言うものです。
 借金の繰り延べですね。
 こうしたやりくりでこんな時をしのぐのなら良いのですが、普段からこうしたシステムで借金をたらい回し、繰り延べをやっているのですから、世界一に借金王国になっても当然でしょう。

 高速道路も漁港も孫の世代まで使うのだから、孫の代に借金の付けを回しても良いのだ!…と、国会議員さんとか高級官僚は言いますね。
 孫どころか今のおじさんから見ても要らない物が目白押し…

 よその町のことですから言っちゃあいけないでしょうが、元々毎年のように水に漬かっていた場所に宅地を造り、少しの家を守るために5億円もかけたおもちゃのような堤防を作って…ばったり倒れて水浸し…
 そして、また、作り直すのだそうです。
 こんなのはおかしいですね。
 そんな場所に宅地を造った人が自己責任で作るべきでしょう。
 水に漬かったことは気の毒ですが、前提が少し狂っているような気がします。
 半世紀、一世紀に一度では無いですからね。
 行政が認可した責任上、法外なお金もかけるのでしょうかね?
 こんなの書いたら叱られるかな?
 そうした公共事業を作るのが「出来る政治家」だそうですね。

 にしても…
 この予算でやるのは、「災害復旧」です。
 基本的には「復旧」で「改善」に向かうことはほとんど無いです。
 この先で、対策事業、改良工事にもって行くのが大変なのです。
 限界集落化したところを放置すると下流では土石流の危険が高まりますし…
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熊野市周辺地図です
 
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by je2luz | 2011-09-22 19:13 | 熊野 | Trackback | Comments(0)