LUZの熊野古道案内

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2011年 05月 31日

熊野の旅 木本旧堤防撤去開始 1

 昭和時代に営々と築き上げられた、「木本旧堤防」の撤去が始まりました。
 伊勢湾台風までの昭和、そして、この辺から奥の伊勢湾まで破壊しつくした「伊勢湾台風」の後…
 かさ上げの連続でした。
 この複合体が木本の町を守ってきたのですが、昭和の終わりに近づいて建設されたのが、「新堤防」と言うものです。
 旧堤防を波が越えているのに同じ高さで作ると言う、不思議な事を計画した不思議さのが私とこの堤防の係わりのはじめでした。

 「せっかく作るのに波が越えた堤防と同じ高さは無いでしょう?」
 こうした単純で当たり前の疑問が住民運動と言う形で、木本の堤防に面した家全部120戸ほどの署名捺印を貰ったのです。
 入札直前での発表と言うことで、そのときにはストップもかけられませんでした。
 しかし、この堤防がほぼ完成しかけたときに、私たちの懸念どおりに「新堤防」を波が三箇所も越えてしまったのです。
 幸いなことに被害は出ませんでした。
 理由は、「旧堤防」が撤去されていなかったので、二つの堤防の間の懐が受け止めてくれたからです。
 この事を受けて、計画では新堤防完成と同時に旧堤防を撤去する計画が実行不能になりました。
 先の署名を提出する時に、「新堤防は不完全で波が越える。そのときの責任はこの設計で強行する当局の責任である」と言う趣旨が盛り込まれて居たからです。
 そうして経緯と、所轄の運輸省への陳情の際に応対してくれた技官が、ここの七里御浜に思いでもあり痛く気に入っておられたと言う幸運も後押ししてくれて、「潜堤」という大工事がなされることに成ったのです。
 水槽実験、実施計画・・・継続事業…
 20年ほどの時間が経過して、今年の春にようやく、鬼ヶ城東口から、井戸川河口までの「木本港」の全体は完成しました。
 
 潜堤の台風時の高波に対する効果はかなりのものです。
 海に面して暮らしている私は、海が荒れ波が浜を走り、更に大きくなって堤防に当たると言う地響きや衝撃をずっと体感してきています。
 こうしたものは距離の二乗に反比例しますから、この距離で体感している住民はほとんど居ません。
 近年は台風が少ないのですが、堤防に当ることはなくなりました。
 それだけに、高波に関しては今の所出来る一応の対策は完了したと思っています。
 それでも、「潜堤」と言う物は全く姿が見えないので評価が低いし、少し離れた人では存在を知らない人も居るくらいです。
 だから、旧堤防撤去には不安を持つ人も多いです。
 私自身も、「万全」とは思っていませんしね。
 
 そこで、動いたのが先ごろここにも載せました署名活動と、入札延期・・・地元との話し合い…更なる対策の約束取り付け運動です。
 一応の話し合いの成立を受けて、撤去にゴーを出し、今工事が行われています。
 『なんでゴーサインを出した!』 とも言われます。
 20年余りに渡ってこの問題の要所要所で動き、キーを握っては来ましたが、ここまでこれたのはこの周辺の住民の方々の協力があったからと、当局がこうした工事にしては珍しくこの少数の住民の願いを聞く姿勢を取ってくれたからです。
 こんな工事は形だけの説明会で終わって押し進められることがほとんどですからね。
 一連の工事はひとかけらの民有地にも触らずにやれますからね。
 そして、当局としては…「伊勢湾台風級の高波にも耐えられる設計」で間然されるはずなのですから尚更です。
 最大の譲歩を引き出して、見切り発車は防ぐことが少数の住民が出来るベストだと思っています。
 今回の署名は柿谷が増え、人も居なくなった、たった42軒だけだったのです。
 それでも、木本全体を守るにはこの人達の力が必要なのです。

 熱意、タイミング、幸運・・・
 これから先も、これが続けばよいのですけどねえ…
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by je2luz | 2011-05-31 09:59 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 30日

熊野の旅 台風一過

 「台風一過」と言うのは「秋台風」の時に使われるものです。
 夏台風は迷走するし進行もいい加減なので通り過ぎた後に綺麗な青空を引張ってこないことが多いのです。
 今回の二号はあき台風のコースをスムーズに通っていったので、「台風一過」と言う幹事の天気を持ってきました。
 少々早くさばけちゃったので、強引に引張る力は無かったようですけどね。

 昨日夜中に「警報」が「注意報」にかわり、しばらくすると「国道・県道の交通規制解除」も放送されました。
 多分、高校生はがっかりしたでしょうね。
 警報が出たのが日曜日だし、その夜のうちに解除なってしまいましたからね。
 雨に強い土地なので高校生くらいの時は「警報」で学校が休みになるのが楽しみなのです。
 もっとも、うんと昔はそんな規定がなく、生徒が自主的に休んでいましたけどね。

 かなりの雨量があったようで、海が白くなっています。
 洪水状態になると茶色く濁るのですが、川が濁らない時には海が薄い青色に変わります。
 元の海水が塩分の強い「黒潮」なので、真水が入るとものすごく変化します。
 受け入れる側の容量がでかいので、沖のほうまでは変化せず岸の近くが変わっています。
 川でも水温の違うものが合流すると中々交じり合わないのですが、海では水温は違うし比重もまるで違いノで少々の事では交じり合わないようです。
 海が深く透き通っていても黒く見える、「群青色」の海を見慣れていると、トルコ石のようなしろっぽい海は頼りないです。

 海の色って、場所によって随分違いますね。
 もちろん天候によってがらっと変わるし…
 黒潮の海と瀬戸内は違うし、日本海も違うし…
 底の泥炭みたいなものの影響か、「バルト海」はやたらと茶色いし…
 イタリア南部とエーゲ海では違うし…
 南シナ海はちょっぴり緑色が強かったような気がします。
 でも飛行機から見る広い海…太平洋はこの辺の海の色に近いです。
 つまり、ここの海の色は多数派なんですね。
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by je2luz | 2011-05-30 14:24 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 29日

熊野の旅 もうやってくる 台風

 台風2号が日本の太平洋岸を綺麗な弧を描いてなめて行くようです。
 あの位置で出来る今の時期の台風はフィリピンから台湾に向かい大陸に行くのが通常です、
 右に首を振っても朝鮮半島に北の方向にしか曲がれないのですが、今回はすんなり右に曲がっているようですね。
 このコースは「秋台風」のコースです。
 台風シーズンと言われる時期はこのコースを通るので日本では秋が台風シーズンと思われているわけです。
 中国本土などは日本よりはるかに早い時期が台風のピークなんですよね。

 まだ、5月なのにこのコースに台風が入ってくる・・・
 そんなに多いケースでは無いですね。
 有難いことに、温暖化で海水温が上がったとはいえ、この時期だと日本近海の水温はまだ低目ですから、勢力は衰えてくれると思います。
 しかし、ばっちりと梅雨前線は横たわっているようですね。
 つまり…
 台風本体の雨風より前線の方が怖いことになりそうです。
 台風から離れた所での大雨は油断しがちですからね。

 紀伊半島は前が太平洋、そして、すぐ後ろに山は控えるのでご存知のように降雨量がものすごく多いです。
 何千年も何万年もこれが繰り返されていますから、地形もそれに慣れています。
 前に日本海溝があり落ち込みが激しいので、扇状地だとか沖積平野など無いので川の水が溢れてあたり一面水浸しなんて起きないのです。
 平野なんて神様がジョレンやトンボを使って均してくれたのではなく、川が暴れて土砂をばら撒いたから出来たものですからね。 洪水の時に水が来て当たり前なんです。

 昨日も知り合いと話したのですが…
 「風さえ吹かなんだら少々降ってもええけどねえ・・・」
 『あの台風なら200から300mmで収まるじゃろうね』
 「それなら、この辺は安心じゃね」
 『よそでそんだけ降ったら被害が出るじゃろうね』
 「前線もあるし、気の毒に…」
 ・・・
 と言うことです。
 豪雨地帯っていい所でしょう?
 ただ…
 傘なんか役に立たない…
 車のワイパーも役に立たない・・・
 ちょっと不便ですけどね。
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追記
 まだまだ遠くに居るのに…
 10時に、県道「七色峡線」「飛鳥ー日浦線」が交通止めになっちゃいました。
 台風が過ぎるまで雨が継続して二時間以上止まないと解除なりません。
 すごく長くなるかも…
 「七色峡線」は迂回路がありますが、かなり遠回りです。
 「飛鳥日浦線」も遠回りだし、そっちの方が???
 これらの交通止めは雨量規制で崩れたりはしていませんし、近年崩れては居ません。

 追加 10:50に県道「熊野川ー紀和線」通行止め

 追追加 13:00 国道169号線 その他山間部の県道全部交通止め
     残るは国道42号線、311号線の海岸線部分
     海岸部は多くは降っていないんですけどねえ…
     そんなに計測場所も無いように思うのですが最近の県道はすぐに止まります。
     ゲートがないので通行可能なんです。
     責任逃れかな???

 追々追加 13:30 JR紀勢本線「特急南紀」運休します。
     陸の孤島に戻りつつあります。
  でも、木本では普通の雨ほども降っていません。
 台風の余波の雨は局地型豪雨になりますからね。


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by je2luz | 2011-05-29 09:47 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 28日

熊野の旅 ようやく宣言 早い梅雨

 ようやく入梅宣言が出ました。
 遅かったですね。
 居習慣ももっと前に梅雨前線がうんと北の方に現れて横たわっていたのに、「5月だからって遠慮したのかな?」って私が書くほど宣言しませんでしたからね。
 宣言したってし無くったって雨は降るんだし…

 最近はぐずつき気味ですっきりしないのですが、春からの日照気味の天候で困っていた、みかん農家と田の水が心配された水田農家はほっとしているでしょう。
 軽トラックにタンクを積んだみかん農家の人の車が川のそばの水揚げポンプのところで水を汲んでいる姿もしばらくなくなるでしょう。
 次は7月の梅雨明けからです。
 春は昼間の間に水をやれるので良いですが、7月からの夏の日照の時は昼間に水をやると下手するとミカンの木が枯れますから夜中の仕事になります。
 涼しいとはいえ、庭木に水をやるのと違い広い段々のみかん畑に水をやるのですから大変です。
 一回り水をやるのに何日もかかりますから、夜がまともに寝られない日が延々と続きます。
 果樹園内にスプリンクラーのような施設があるところなんてほとんど無いですし、給水ホースが延びていても、水源のタンクに水を入れる井戸など作れない山の中腹ですからね。
 「島原の子守唄」ですか・・・
  水は 天から 貰い水……
 耕して天に至る・・・ そんな風に伸ばしていった蜜柑畑の管理は大変です。
 おまけに、栽培面積の増えたし、色んな果物が輸入され店頭に並ぶようになって蜜柑の価格は下がるし、大変みたいです。
 年中働くほど仕事のある農家なのに子供に跡継ぎをさせたくないなんて…

 降雨量の多い南紀でもこうした水の悩みもあるのです。
 でも、雨が多い年は病気は出るし、蜜柑が水臭くなるし…
 生育時期に水が適当にあって、実が大きくなってからは少し水切れ気味に…
 そうは問屋が卸さない…
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 今日は自転車レース 「ツール ド 熊野」なんてのがある日です。
 国道311号線などに交通規制がかかります。
 三つのレースが10時からスタートするようですが、雨ですね。
 終わると餅まきがあり景品も当るようです。
 新宮・熊野・太地の三箇所でありますが、この三箇所全部で「餅まき」があります。
 同じ紀州・・・人が集まれば「餅まき」 、 人集めには「餅まき」なんですね。


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by je2luz | 2011-05-28 09:37 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 27日

熊野の旅 熊野の女

 昔の流行り歌に…
 
 わたしの ラバさん 酋長の娘 色は黒いが 南洋じゃ美人
 てえのがありました。

 そして・・・
 串本節の大島版には
  私や串本 両浜育ち  色の黒いは ごめんなれ
 てえのもあります。

 南国と色黒は結び付けよいようです。
 昔の漁師のお上さんたちはいろづろでしたが、これは潮焼けで地黒と言う訳でも無さそうなのですけどね。

 男と言うものは出先ですぐに女に惚れるものらしいし、女も珍しい他所の人に惚れよいもののようです。
 「稗つき節」なんかもその口でしょう。
 そして、この辺でもそんな実例がありますね。

 熊野の大山林所有者、大地主と言われた酒屋さんはご主人が半分趣味で小間物を売り歩いているうちにこの土地にやってきて、女の人にほれてしまい、九州とやらの財産を全部処分して木本に移り住んだのだそうです。
 番頭さんから手代の人まで連れてきて、来るなりこの辺の土地や山林を買い取って行ったのだそうです。
 その女の人は世代が違うので私は知りません。

 熊野で一番と言われた天麩羅屋さんも旅の途中でここの女の人にほれて住み着いちゃったのだそうです。
 ものすごく仲良くお店をやっていましたね。
 もう、引退されていますけどね。

 商売熱心な「干物屋さん」もその口で、旅先の熊野で今の奥さんと知り合って住み着いちゃったとか・・・
 前にブログにかいたことがありますけどね。
 この夫婦も仲良く商売しています。

 仕事熱心なプロパン屋さんは熊野高専にやってきて、卒業したのに国に帰らずに住み着いちゃいました。
 それも、女の子が好きになって替えれなくなっちゃったとか…

 山間部では、秋田から山仕事に来ていた男がやっぱり女にほれ込んで秋田には帰らず熊野に住み着きました。
 この人は市議会議員にもなり、私も一緒に働いたことがあります。

 かくかように熊野の女も中々のようです。
 でも、最近はここに住み着かずに連れて行っちゃう例が多いようです。
 少し魔力が落ちたのでしょうか?
 まあ、私も行く先々で好きになるタイプを見つけるほうですけどね。
 そこへ住みついたり、連れて帰るだけの腕や勇気は無いですけどね。
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 ベトナム。・フエの路上食堂で一緒になった娘です。
 現地で見ると、雰囲気に溶け込んで可愛く見えるものです。
 他所から来た人には熊野の人間は南方系で外人っぽく見えるのでしょうかね?
 地元から見ても、私の元カノは清純で可愛かったですけどね。
 他にも数人は居ましたね。
 半世紀ほど前ですけど…


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by je2luz | 2011-05-27 09:29 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 26日

熊野の旅 また旅

 外に出ると言うことは癖のもののようです。
 飲み歩くのも、出始めるとネオンが瞬く時間になると落ち着かなくなって、ふらりと出てしまうもの。
 パチンコ族も暇があれば…暇がなければ作ってでも出かけちゃうようです。
 そんなものなのに、一旦出なくなるととんと出かけなくなったりします。

 芭蕉も「漂泊の思いやまず・・・」とやらで、長いたびに出かけましたね。
 旅なんてのはそんなもので、どっしり腰を落ち着かせてしまうと中々神輿が上がらなくなりますが、虫が起きてくると今度は腰が落ち着かなくなります。
 
 日本の映画では、「また旅物」てえのがありました。
 「かっぱからげて 三度笠・・・」
 お決まりの縞の合羽に大きな菅のかさ、腰には一本独鈷・・・
 口に長い串でも咥えれば「木枯らし紋次郎」ですね。
 今じゃあ「紋次郎」と言っても、「イカのおつまみ」しか思い浮かばない人も多いでしょう。

 こんな類のものですから、「旅行」のほうでも、出かける人は年中うろうろするようです。
 動かない類の人は、根が生えたように例え誘われても出掛けないようですしね。
 つまり、「観光客数」なんてのも、実態は2とか3とかで割った人数の人が出歩いているってことでしょう。
 昔のように、「ノーキョウ」などの団体さんは激減していますから、年に一度・・・なんて人は減っているのでしょうね。

 家の前の国道42号線を走るバスで一番見かけなくなったのは…「〇〇後援会」と言うやつです。
 昔は1号車から延々と繋がった都会の議員さんの後援会のバスが勝浦温泉向きに走ったものですが、公職選挙法が厳しくなるとともに姿を消しましたね。
 勝浦温泉不振の一つの原因かもしれません。

 震災の自粛が長引くと、お出かけ集団のお出かけ癖が消えちゃいます。
 東北の方々の分が純減なのですから各地は苦戦するでしょうね。
 なんとか、「お出かけ癖」をなくさないようにして欲しいものです。

 私も、一旦腰を落ち着けてしまうと「無精者」の方が強く出てきます。
 今年は娘のおかげでベトナムを歩いてきましたので、「お出かけの虫」が目を覚ましたようです。
 やたらと出かけたくなります。
 「今のうちに歩かないと…」
 いやですねえ…
 歳を計算すると余計に出かけたくなります。
 ベトナムの残りとラオス?カンボジア?ビルマ???
 カッパドキアも良いけどなあ…

 こんな風に、国内より海外の方が咲きに浮かんでくる人種が増えてしまったから、国内旅行が衰退するのでしょうね。
 1ドル360円当時は、海外で飯を食うのも、コーヒー一杯飲むのもしんどかったのに…

 出かけるにしても、「三度笠に振り分け荷物」ではなく、「LowePro」のカメラ用リュックを背負った姿ですね。
 わらじの代わりにトレッキングシューズ…
 おんなじなのは安宿探しが日課になることですね。
 それと、映画のようにはもて無いってことです。
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by je2luz | 2011-05-26 09:58 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 25日

熊野の旅 秦の徐福と観光客

 秦の始皇帝に命じられて「不老長寿の秘薬」を探しに出たのは「徐福」だけでは無いようですが、少なくとも日本に徐福さんがやってきたのは間違いないようです。
 厄介なことに、「徐福伝説」はこの辺だけでは無いようですけどね。

 熊野市の波田須は上陸地点とされているようですし、隣の新宮市には徐福の墓もあります。
 日本で探していたのは「天台烏薬」と言う植物だそうです。
 探していたものかどうかは判りませんが、「天台烏薬」と呼ばれる潅木はこの辺では植わっています。
 見かけではそんな「不老長寿の秘薬」に成りそうなものでは無いですけどね。
 たしかに地元では。「秦の徐福が探しに来た天台烏薬はこれだよ」といわれています。
 不思議なことに、本家本元の熊野ではこれを食すとか薬に使うと言うことが無いのです。
 「センプリ」「コナスビ」「ジュウノウ」「ユキノシタ」・・・一杯、薬草を使ってきたのに、「天台烏薬」を使わないのはどうしてでしょうね?
 近年では「天台烏薬茶」なんてのが観光客用に売られていますが、随分続く「健康食品ブーム」の間も、これを配合して「不老長寿」まででは行かなくても「美容健康」を謳って売り出す会社もありませんでした。
 つまり…
 分析しても普通程度のビタミン・ミネラルが無いのでしょうね。

 「秦の始皇帝」は日本中で有名ですが、「徐福」って、この辺のように伝説のあるところ以外では無名に近いのでしょうかね?
 他所へ行ったときなど、「かの有名な〇〇〇が…」などと説明されても、こちとらはさっぱり分からないということが多いですからね。
 このように「かの有名な・・・」も当てになら無いです。

 この「徐福さん」は実在の人物で、子孫の方々が中国に居られるようです。
 中国でもそのあたりでは「有名人」のようですね。
 なんだか、縁のある人達がこことか新宮を訪れたこともあるようです。

 中国が力をつけてきて、かつての「ノーキョー」のように世界中に団体旅行を送り出している時代です。
 隣の和歌山県は中国の観光客を誘致することに燃えているようです。
 日本では有名にするのがむずかしい「徐福さん」ですが、中国本国でうんと有名に出来れば、この辺には中国人の好きな「温泉」もあるし、観光客が押し寄せてくれるのでは無いでしょうか?
 それくらいの規模でないと、「観光産業」とはならないでしょうね。

 毒にならないのなら、『天台烏薬』も食べさせて…
 二木島の鯛に天台烏薬の葉を貼り付けて酒蒸しにし、「鯛の天台烏薬蒸し」なんてのは、ヘルシーそうですよ。
 養殖の鯛の価格も低迷していますしねえ…
 もちろん、食後のお茶は「ウーロン茶」ではなく「天台烏薬茶」です。
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by je2luz | 2011-05-25 09:35 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 24日

熊野の旅 紀和 入鹿鉱山

 今は熊野市内になっていますが、合併前の南牟婁郡紀和町、さらにその前には南牟婁郡入鹿村と呼ばれたあたりには、平安時代にも銅を採ったと言われる「入鹿鉱山」があります。
 最後の方は「石原産業紀州鉱業所」とか言われるものだったと思いますが、今は閉山されています。
 こうした鉱山は戦前、戦時中には大増産命令が下り、手当たり次第鉱夫を刈り集めたのです。
 この「入鹿鉱山」では英国軍の捕虜が送り込まれ、終戦までに多くの儀際者が出ています。
 この英国軍の捕虜は戦後「いるかボーイズ」として、この地を訪れ和解して新聞紙上も賑わせたものです。
 しかし、この兵士たちも老齢化し、おととしくらいに訪れたのが捕虜になった人たちご本人の訪日の最後になったかと思います。

 この有名な「いるかボーイズ」の他にも、日本各地から集まった流れ者的な労務者も多かったのです。
 時代劇の「石見銀山」「佐渡の金山」のように「無宿者」「刺青者」が送り込まれる時代ではなかったはずですが、それに近いことが起きていたようです。
 各地でも見られたように、この鉱山にも朝鮮半島から強制徴用の労働者が送り込まれました。
 建て前は「募集に応募した鉱夫」と言うことみたいですが、実態は家族すら日本に送られた事を知らなかった人も居たようです。
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 この写真は紀和町の中心部、板屋のコミュニティセンターの前の空き地で撮ったものです。
 記念碑のようなものの前に置かれた字を書いた川原石・・・これは朝鮮半島から送り込まれてこの地で亡くなった方の慰霊碑なのです。
 川原石には名前が書かれています。
 おそらく遺族の方や仲間の方が訪れて供養した時のものだと思います。
 そして川原石の数は犠牲者の一部に過ぎないのだろうと思います。

 こうしたことは、日本の負の歴史、地元の恥、的に扱われるので、あまり報道もされません。
 こうした記事の書き方をすると、右寄りの人からは「強制徴用なんてなかった」、「自主的に応募してきたもので賃金も支払った」、「当時は朝鮮半島も日本であり日本国民として来たのだ」と言われそうです。
 そうした歴史観が結構のさばるのが世界をギクシャクさせる一つの要素なのでしょうね。
 日本だけではなく世界中でね。

 世界中には神様や仏様が居られるはずだし、えらい聖職者の方々も居られ、立派な寺院や神殿を今でも建立されているようです。
 でも、太古の時代より人心はすさみちっとも現世が良くなっていないとか…
 宗教のためにイザコザや戦争が絶えない…
 と言うより…
 今の世界の戦争の元がほとんど宗教とは…
 『宗教団体』って余分なものなのかもしれませんね。


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by je2luz | 2011-05-24 09:49 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 23日

熊野の旅 パーク七里御浜・ピネ 2

 引き続き、「ピネ」についてです。
 全体計画は、「CCZ」と言う名前が付いていたと思います。
 一体なにをあらわすか判らない呼び名ですね、「Z」なんて付く単語はほとんど無いし…
 で…
 調べてみると、「コースタル・コミュニティー・ゾーン」と言うことらしいです。
 旧建設省の考えたものです。

 ここ御浜の「CCZ」は沖合いに大きな岩を沈めて人工リーフを作り、浜のやせるのを防ぎました。
 そして、浜には椰子の木を植えました。
 そのそばには駐車場も作りました。
 離れた浜には公園?を造り、そこに行くための歩道橋を作りました。
 空中で五叉路になったり・・・大阪駅の前より立派なものです。
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 松のほとんど無い「御浜松原」には少し松が植えられていますが、管理は出来ていません。
 若木なのに松枯れを起こしかけています。
 「宝くじ」のお金も入ってきているようです。
 ここまでして誘導しても、あまり人が行かないんですね。
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 「何も無いところでのんびりと…」
 これには日本人の観光客は向いていませんからね。
 VIP並に分刻みで行動する傾向があります。
 車を停めて浜に出て・・・なんて時間がもったいないみたいです。
 フランス人のバカンスのように時間のある旅行は少ないですからね。
 なにしろ、海外に出かけても、、「二泊三日」「三泊四日」なんてのに人気があったりですからねえ…
 私も日本人ですから、車に乗るとひたすら目的地を目指します。
 この前のベトナムでも一都市二泊ずつが精一杯でした。
 そんな日本人の感覚と、高級官僚の感覚のズレが大きく出たのが、「リゾート法」だったのですけどね。
 リゾート法まで行かなくても、全国で展開されている観光施設整備にはそうした傾向があります。
 でも、この「CCZ」計画でできた海岸の施設と、そのバックヤードにできた「パーク七里御浜・ピネ」を見渡せば、明るくていかにも南の国らしくて立派なものですよ。
 でも、椰子の木があっても「ハワイ」には成れませんでした。
 産物はパイナップルでは無く『みかん』ですしね。


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by je2luz | 2011-05-23 10:02 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 05月 22日

熊野の旅 パーク・七里御浜・ピネ 1

 隣町、南牟婁郡御浜町阿田和の国道42号線のそばに、大きな観光施設兼ショッピングセンターがあります。
 正式な名称は知りませんが、地元では「ピネ」と呼ばれ、出来てから20年を越すでしょう。
 これは、この一帯を開発するプロジェクトで国が関わったものです。
 旧三重県二区選出の大物代議士が予算を獲得して上から降りてきたようなものです。
 決まるまで地元もほとんど知らなかった、有難い大型プロジェクトです。
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 写真は中核になる観光施設とショッピングセンター部分です。
 今見えている部分は観光用のスペースとして作ったのですが、国内観光の衰退時期に重なりましたから、最初から集客できないと言う悲劇の舞台です。
 奥のほうに、ショッピングセンターの「スーパー・オークワ」が入っていますが、新宮と熊野の中間と言うことでこれまた中途半端で地元用の小型スーパーの機能しかありません。
 写真にも看板があるように、観光客用のレストランもありますが、団体バスがどんどん来る時代では無いし、思うように客が入りませんでした。
 目的地の「紀伊勝浦」まで20Kmほどなんです。
 ここを通る時は、あと小一時間で温泉に入れるし、一休みすれば夕食なんですよね。
 勝浦行きの客にはせいぜいトイレしか用が無い…
 買い物をする帰りの団体さんは、勝浦を出て小一時間ではトイレ球形もありませんね。
 そうした立地条件ですから、立案段階で「??」が付くようなものですから、私たちはオープン前から「駄目だよね」と言っていました。

 建てる側のコンサルタントと親しくなったので、これをぶっつけると…
 「私は計画されたものを無事に完成させるために来ているのです。経営はむずかしいとは思いますが、そのときには経営に関するコンサルタントが雇われて考えるでしょう。」と、答えていました。
 全国で赤字垂れ流しとか、閉鎖とかされている税金投入の各種施設と同じ構図です。
 ただ・・・
 ここのは完全な官製施設ではなく地元の自治体と個人がかんでいるのが悲劇ですね。
 ようやく、なし崩しにでもそこそこの解決を見ているようですが、この施設のおかげでこの辺の市町村合併にも大きな影を落としたのです。
 他所の町の尻拭いをさせられるのではないか・・・と言う心配が近隣市町村の住民にはありましたからね。

 この施設は後で「道の駅」にも指定されています。
 4Kmほど先の、紀宝町「ウミガメ公園」の道の駅が拡充されていて、そちらの方が客を引張るのでこれも苦戦しているようです。
 何しろ、「道の駅」も各市町村に一箇所認可すると言うことでやたらと増えていますからね。
 この「道の秋」の看板には建設費などの持参金があるので全国の自治体が群がりましたからね。
 町営・村営・市営など、立派なものが多いのはそのせいなのです。
 皆さんも、自分たちが建てたようなものですから、利用しないと損ですよ。

 
熊野市周辺地図です
 
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by je2luz | 2011-05-22 10:06 | 熊野 | Trackback | Comments(0)