LUZの熊野古道案内

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2011年 04月 30日

熊野の旅 新出町稲荷

 木本では木本神社の次に大きな神社になるのが、新出町にある稲荷さんです。
 割合と広い境内に大きな鳥居もあり、後ろが岩山、こじんまりとした林…
 この敷地は、この稲荷さんを誘致?した木本の旧家「奥川」さんの所有です。
 今では新出町町内会が借りて、稲荷さんを維持している形です。
 木本は商業の町でしたから、昔は信者さんも多かったようですが、今では木本町、それもこの稲荷さんのある本町通りは石畳になったけどお店屋さんが全部で数軒になってしまい、「商売の神」も上がったりです。
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 これが今朝までの稲荷さんです。
 楠の大木の新緑に覆われています。
 この楠はいささか伸びすぎて、祭りの山車を仕舞ってある倉庫や社務所にかぶさって建物のために悪いし、今の季節には大量の落ち葉と細い古枝を落とすので掃除もままならないのです。
 そこで、少しばかり散髪をすることにしました。
 稲荷さんには「新出町稲荷特別会計」と言うのがあって、お賽銭などを積み立ててきていますので何とか散髪代程度は出せます。
 しかし、お賽銭もあまり入りませんし、お祭りのときのお供えも少ないですし…
 ものすごくお金の掛かる、「山車の修理」などはとても出来ません。
 神殿の祠も傷んできていますが、遷宮?なんて…
 この先どうなるのでしょうね?
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 この辺りでは、「寺の木は切っても神社の木は切るな」などと言う人も居るし、神域の木をいじるのですから、昨日、木本神社の宮司さんに来ていただいて、お払いをしてもらいました。
 9時ごろ仕事にかかるとか言っていましたから、そろそろ散髪が始まった頃では無いでしょうか?
 あとで少し覗いてみます。
 明るくなりすぎろし、一番前なので淋しくなるでしょうね。
 三年ほど我慢してもらいます。
 でも、狐さんもあまりじめじめした所は嫌いなんでしょうね?
 良い風に解釈しましょう。

 誰かそっち方面で有名な人が…
 「熊野の国木本の新出町稲荷はすごいパワースポットだ!」なんて言えば一杯人が来てお賽銭も増えるでしょうね。
 「熊野古道歩き」のグループなども、時々、リーダーの説明を聞きながら鳥居のところで固まっていますが、拝殿までは行かないし、お賽銭箱は奥にしか無いし…


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by je2luz | 2011-04-30 09:16 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 04月 29日

熊野の旅 熊野市物産振興会 (有)熊野市観光公社

 少しおかしな名前の会社です。
 見方によっては世間を欺く処方ですが、れっきとした熊野市の100%子会社です。
 でも、会社法で言う「有限会社」なのに「公社」を名乗っていますし、普段の表記には(有)などはつけないで、「公社」と言う公ぶっています。
 そして、市民のほとんどもこの会社が普通の有限会社だという事を知らないと言う存在です。
 まあ、資本金も公募しないし、役員も公募など考えないのですから普通の会社では無いですけどね。
 まあ、組織論は別にして、熊野市の駅前にデンと店を構えています。
 昔なら一等地なのでしょうが、鉄道の地位が低下しているので、「お土産屋さん」として場所が良いのかどうか疑問符も付きます。
 国道と鉄道がさほど多くない入りこみ客を分け合う図式ですし、熊野市はその二つが同じ所にありません。
 昭和40年代前半の国道改修で道路が海岸線に出てゆきましたからね。
 わずか300mほどですが、ドライバーと言うものは道路から外れて駅前に出るなどと言う行動派起こしません。
 ちょいとした観光スポットでも車を止めるのが億劫になって通過しちゃうのが自家用車の運転手です。
 観光に来て観光しないでひたすら走る・・・そんな人まで居るようです。
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 新築したものですからこの辺では一番綺麗な建物です。
 二階はタクシーの休憩所などが入っているようですが、一階は売店です。
 郷土物産をはじめとして、女の子好みの小間物も並んでいます。
 この売店は事業の一部で、旅行斡旋業も行っていて、市が行っているスポーツイベントなどの宿泊の斡旋などを一手に行っているようです。
 手法としては中央の省庁を手本にした感じです。
 一般のツアーなども募集しているとか…
 事業委託ですから、補助金的なお金が入ってゆきます。
 有限会社ですけど儲からないようです。(儲ける気も無い?)
 決算なども市議会に「報告」されるだけで、審議の対象にはなりません。アンタッチャブルです。
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 この会社に関してはどうも褒めにくいのです。
でも、熊野市駅の前でお店を構えて御土産を売っていますから、立ち寄ってみてください。
 昔からの民間のお土産屋さんもあるのですが、普通の有限会社と個人商店の競合ですから法的には問題ないのでしょう。
 道義的には疑問符が挟まりますけどね。


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by je2luz | 2011-04-29 10:28 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
2011年 04月 28日

熊野の旅 熊野の味 郷土料理とは…

 遅咲きの桜は咲いたし、旬の食材の「さらたけイカ」は食べたし、「鰯のから揚げも食べたし。「ゴンパチ」も食べたし、「藤の花」は咲いたし…
 海からは「塩」を含んだ霞が陸に向かってたなびいていますし…
 熊野路ももう初夏になっているようです。
 「きす」「かます」の寿司も初夏だったのかなあ?
 「茗荷の子」が出てくる頃です。
 田舎ですから、車で5分で山です。
 歩いて2分で浜に出ます。
 庭は自然に任せて半分以上はジャングルです。
 自然が一杯ですね。

 こんなに自然だらけのところですんで居ても、「季節感」は昔に比べ落ちています。
 一番変わってしまったのは、食料品店でしょう。
 そもそも、町中から「八百屋」「魚屋」がほとんど消えていますけどね。
 昭和の合併冷が出る前から「町制」を敷いていた木本町で、辻辻に八百屋や魚屋があった所でもほとんど消えました。
 スーパーになってからは、一部の鮮魚コーナーなどで「地場物」が並ぶだけで、流通センター経由の全国の産品が並びますから季節感が消えてゆきました。
 いろんな物が食べられるし、品物は安定供給されているし、ありがたい面もあるのですが、買い物の時に「地場物コーナー」を覗かないと、「ああ、夏だなあ・・・」と言う感覚が味わえなくなっています。
 真冬に「ニュージーランドの南瓜」なんて並びますからね。
 地球は丸いし、傾いた地軸で自転と公転をしているのですから当たり前なんですが・・・

 昔からの「田舎の旬の物」って、料理屋さんには出ないようですね。
 と言うより・・・
 大層なものでは無いですからね。
 「サラタケイカ」でも、地元では茹でておかずにしますが、こいつをおかずになるほどつけた料理となると、「お袋の味の店」の定食になってしまいます。
 「他所の人には気の効いた物をださなあかん!」 と言う感覚では、うんと小さなやつを「珍味」として出すだけになりますね。
 これは、ここだけではなく全国そうなんですけどね。
 悪いことに、こんな「田舎料理」は地元の人はわざわざ食堂では食べませんから、ますますメニューには載りません。
 むずかしいです。

 かといって、「私のところに来れば食べさせます」 なんて言うほどそうした料理は作れませんしね。
 まして、「気の効いた盛り付け」なんて出来ませんしねえ…
 鍋料理じゃないのに、鍋ごと食卓に持っていって腹一杯食べる…
 年に数回程度、自分で作って自分だけが味わっています。
 ご希望の方は、写真付きの書類選考でもしてからならお作りしないこともありません。
 男女平等で無いと法に触れるそうなのでどっちが駄目などとは書きません。
 年齢による差別も駄目だそうですから、しませんが、区別はさせていただきます。
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by je2luz | 2011-04-28 10:16 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 04月 27日

熊野の旅 熊野市 ハワイとチベット

 熊野市は海と山があり、地形は複雑、気候も多様です。
 冬になると「極寒」ともいえる毎晩氷点下になる山間部と寒のさなかでも零度を割らない海岸部があります。
 「チベット」と「ハワイ」の両方がある・・・などと言ってきました。
 考えてみると…
 熊野って東京からの交通時間地図ではハワイより遠いし、インターネット環境などはハワイに遠く及ばないし…
 いまでも、昭和30年代に言われた「陸の孤島」状態はあまり改善されていません。
 そういう意味からすると、「ハワイ」ではなく「マダガスカル」でしょうね。
 独自に進化したものは「めはり寿司」くらいしか無いですけど…

 東北、弘前城の桜が開花したとか…
 そんな時期になって満開になる桜が熊野市の山間部にあります。
 熊野市飛鳥町小又の川っぷちの古木で、中々見事な桜です。
 品種は良く分かりませんが、とにかくこの木は遅いのです。
 他のより20日も遅れて咲きます。
 今が満開ですからね。
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 田舎らしい景色…
 「白樺ーーー青空ーー南風ーーー」
 残念ながら熊野の田舎屋の屋根は尖がっていません。
 水車も随分昔に姿を消しました。
 それに、これはこぶしじゃないし…
 でも、日本の田舎って感じですよね。

 この辺りも冬は寒いです。
 でも、夏は夕方になると涼しい風が吹き、日が沈むと寒いくらい…夜中は窓を閉めて布団を着ないと眠れません。
 ロシアの女帝さんなら「夏の宮殿」を立てたがるでしょうね。
 10Kmほど走れば海岸線で「冬の宮殿」の候補地が一杯です。
 ネットはCATVが使えますから「そこそこ」の速度は出ますが「光」なんて、「夢のまた夢」ですけど…
 WiMaxなんて何のことやら…

 中々土地とか家を売ってくれない土地柄ですが、そろそろ、子孫も見切りをつけたところも出てくるはずです。
 「夏の宮殿」と「冬の宮殿」の両方に、農園をつけた貴族生活を実現しても、数百万で足りると思いますよ。
 東南アジアのように綺麗なメイドさんは期待できませんが、人生経験豊かな「ばあやさん」なら雇えるかも…


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by je2luz | 2011-04-27 09:48 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 04月 26日

熊野の旅 産田川

 産田神社は産田川のほとりにあります。
 と言うより、産田川は産田神社のそばにあります。
 神社の名前が「産田」だし、言われもここでイザナミ(伊弉冉、伊邪那美、伊弉弥)がお産したのですから、川の名前より先に「お産」があったのでしょうね。
 江戸っ子は「神田上水」で産湯を使ったと自慢したようですが、火の神カグツチ(軻遇突智・迦具土神)はこの川で産湯を使ったのでしょう。

 日本の神様の名前は大和言葉の古いものらしく、わけの分からないものが多いし、文字・漢字が入ってきて書き記す時に苦労したらしく、複数表記になっているものが多いですね。
 表意文字ですが、無理矢理表音文字にしてあるものは、北海道のアイヌ語の地名を漢字にしたようなものですね。
 つまり、当て字なんですからこれが正しいなんてがたがた言うのもおかしな話です。
 いまのアニメの世界と良く似たもの…などと言うと神道の人には叱られるでしょうね。

 アメリカでも「天地創造説」を信じて学校にも行かさないとか言う人がいるようですが、アメリカほどでは無いですが、日本にも「古神道」・「神話」を信じている人も居るようです。
 神話って世界中で良く似たものがあったりしますから、人間の心理として共通な部分もあるのでしょう。
 神話を歴史として利用するのは古代の国家、支配者の手法だそうです。
 近代でも戦前には日本でも利用されていましたけどね。

 日本の始まり…
 熊野にしても高千穂にしても、どうしてかくも放り出されたのでしょうね?
 やっぱり、平野もなく、食糧の増産もかなわず勢力拡大に向かなかったからでしょうね。
 でも、ふるさとを思う気持ちってなかったのでしょうか?
 古代に「ふるさと納税」があったら…
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 さぞかし、熊野の国・有馬には巨大な神社も出来ていたでしょう。
 出雲に負けない大社殿を建てる木材には事欠かない所ですからね。
 さすれば・・・
 ここは熊野三山におまいりする「参詣道の途中」ではなく、熊野三山の上に君臨する「世界文化遺産」の主役だったかもしれません。


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by je2luz | 2011-04-26 09:15 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 04月 25日

熊野の旅 元々海の底

 ここ紀伊半島の南熊野市辺りは元々海の底です。
 名勝「鬼ヶ城」も奇岩「獅子岩」も最古の神社「花の窟神社」もみんな海の底から出てきたものです。
 そんなに昔のことではないようです。
 御浜町のずいぶん陸地に入った辺りにある砂利浜の跡から出てくる「貝」も化石のようなものではなく普通の貝のようです。
 地震と津波でびくびくしていますが、元々海の底だったところに住んでいるのですからね。
 人間が勝手に埋め立てたところじゃなくて、神様が、「しばらくお前らが使えよ!」と、水から出して貸してくれて居るのですから、神様を怒らせなければ当分は海の底に戻されることは無いでしょう。
 たまに、『お前ら汚すでのう…』と、大雨で洗ったり、足りない時は高潮や津波で洗濯したりするようです。
 熊野は「原発」なんて、「神をも恐れぬ人間の思い上がりの産物」を作りませんでしたから、多分、むちゃくちゃな怒りには触れないですむでしょう。
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 写真はこの周辺でも見られる海の時代に侵食された岩山です。
 場所は南牟婁郡紀宝町神内(こうのうち)です。
 海からは結構離れています。
 このお宅の自家用庭石のようです。
 少々でかすぎて、縁側から竜安寺のように鑑賞することは出来ませんね。

 でも、びっくりすることは無いでしょう。
 エベレストもマナスルも全部海の底だったのですからね。
 そして、日本も泥をかき回してバッチャンとやって出来たのだそうですからね。
 陸地なんて平らにならせば全部海に沈むのだそうですし…
 怖がっているより、自分たちで思えばそっち向きに進化するようですから、鯨たちのように海に戻ろうと念ずればよいのかもしれません。


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by je2luz | 2011-04-25 11:02 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 04月 24日

熊野の旅 花見はなかったけど

 本格的な春…いや、もう本当なら初夏に入る頃です。
 世の中は浮かれる気分ではないのですが、イベントが増えてきます。
 東北の地震災害だけでも大変なのに、収束の見込みが立たなくしてしまった「原発事故」があるから尚更です。
 『収束の見込みが立たない』ではなく、『立たなくしてしまった』なのです。
 責任逃れ、肝っ玉のなさがどんどん傷口を広げてしまったからです。
 手抜き?し放題の現場を見られるのが嫌だったのか、海外の力は借りないのではなく排除したり…

 さて、イベントですが…
 熊野市にでは、今日、「いこらい市」があります。
 毎月あるやつですが、今回はローカル紙にまともな予告記事が載っていました。
 祭りでもイベントでも、本来は予告記事、宣伝記事が大事なんです。
 『あったよ』なんて言われたってねえ…

 「いこらい市」…もとは「記念通り振興会」辺りがはじめたものだろうと思いますが、おそろいの小型テントと折りたたみの販売用の台が用意された物品販売がメインのイベントです。
 今回も「めはり寿司」「サンマ寿司」「丸干し類」「なれ寿司」「たこ焼き」…色んな斧がるそうです。
 後ほどちょいと覗いて来ます。
 写真を改めて撮らなくても前のを使っても分からないのですが、それではねえ…
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 5月15日 『丸山千枚田 田植えの集い』
  場所は熊野市紀和町丸山の千枚田です。
 千枚田を通る道路は通行止めになるので、紀和町の中心部の板屋から送迎用のシャトルバスが出ます。
 オーナーさん達(今年は名前が違ったようでした)が参加して、田植えをするイベントです。
 棚田なので田圃が小さく、畦から田植え風景を撮影するには向いています。
  そこそこの参加はあるのですが…
 補助金を入れて、職員も動員して、さほど観光(収入)にはならず…
 例によって、お役所の自己満足的イベントとも見えるものです。
 ローカルテレビでちょいと流れて…ローカル紙に載って…
 「丸山千枚田」が忘れられるのと防ぐ効果はあるでしょうが、どう見ても丸山地区の生活向上には結びつきませんね。
 普段に写真撮影などに来る他所のグループも田の畦を踏んで害はあっても金は落としませんね。
 観光ってそんなものです。

 「熊野古道」も「お遍路道」「巡礼道」なのです。
 『ごくろうじゃのう…』
 『まあ 休んでかんし…』
 これが本来です。
 それを、「観光産業」などと言って、大金をつぎ込んで施設を整備する…
 回収できるはずも無し…
 「参詣道」を食い物にしようなんて罰当たりな所業かもしれません。

 まあ、イベントも一杯あるし…
 「一回、覗いて見たって欲しいのし」


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by je2luz | 2011-04-24 09:34 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 04月 23日

熊野の旅 過疎の町と農協 頑張れ『今中商店』

 私たちの世代から見ると、「JA」と言うのは「農業協同組合」で本来、百姓の物です。
 しかし、『JA』なんて名乗った頃にはその名前のように「農協」隠しに走り出しました。
 農村の高齢化、農業の衰退、後継者の離農、農産物輸入自由化…
 色々あるでしょうけど、JAは自らの組織の延命だけを考える団体になっています。

 ここ熊野市でも、各村の農協が合併し「熊野市農協」になった頃は、まだ地域に密着しているし、地域の人も
なにやかやと利用していました。
 手詰まりに成りかけたときに、「葬儀部門」を開設し、「赤ん坊は生まれなくても葬式だけは当分続く…」と言うことで、この部門は大きくなりました。
 田舎では「農協支所」が一杯ありましたから、事実上の営業員が配置されているし、その親戚は他へ頼めないし…
 それに、「村」の機能が低下してきたので自宅での葬儀も減って、ますます商売繁盛になったのです。
 今では中心部の有馬町に市内で一番大きな斎場を持っています。
 
 「熊野市農協」は南牟婁郡と合併し「JA南紀」とやらになっています。
 「JA」って、「J]はJAPANで、{A」はagriculture だったように思いますが…

 かつて、田舎の農協は細かく支所を配置し、肥料・農薬の販売、営農指導、金融、そして「購買部」と言われる売店を運営し、山間部の生活も支えてきたのです。
 近年は休耕・廃耕の農地は増えるし、老齢化と人口減少で購買部に人は来なくなるし・・・お金を預けたり借りたりするような「働く百姓」は居なくなるし…
 この支所の維持が重荷になってきたのも確かです。

 と、言うことで…
 市内の農協支所の全面閉鎖が通告されました。
 これは全国の流れのようですね。
 農協も全国組織上部団体の意向が大きいですからね。
 細かいややこしいものを切り捨てて、政府関係の金をトンネルして稼ごうと言う組織になっている感じです。
 何かと言うと、「農協」が百姓の代表として扱われていますが、実態は????
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 熊野市でも農協支所の閉鎖が始まりました。
 しかし、売れていないと言っても、なくなると集落にお店がなくなるところも多いのです。
 写真は熊野市神川町の旧・農協神川支所の後を引き受けて、個人商店が4月から営業を始めたものです。
 店主さんは、「五年は頑張らんと…」と言っていますが、その五年間、地元のお年寄りたちがこのお店を支えて呉れればよいのですがねえ…
 そして、まだまだ若い店主さんですからその先も「飯が食える商売」でないと困ります。
 限界集落寸前の地域ですから、こうしたものがやって行けないと、一気に廃集落に進みかねません。

 頑張れ、「今中商店」!


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by je2luz | 2011-04-23 09:59 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2011年 04月 22日

熊野の旅 私的機関紙 清流より転記 木本堤防

 私が非常に不定期に発行しているリーフレットの一つに『清流』と言うのがあります。
 必要に応じて発行し、対象地区に自分で配布しています。
 『清流』 SEIRYUU SEIJI-RYUU と言うおじんギャグのサブタイトルも付いています。
 他にもこのタイトルの無いリーフレットも出しますが「、自分の足でポストに入れる方法では配布範囲が限定されてしまいます。
 今日転記するのは、一昨日夜の県土木の説明会を受けて、木本町内に配ったのですが、発行数約500部ですから、かなり抜けているはずです。

清 流 SEIRYUU SEIJI-RYUU 2011年4月 第4号 発行者 中田征治
 木本堤防のその後

 新聞の報道など少し伝わっているかと思いますが、木本旧堤防の撤去工事について、経過をお知らせいたします。(4月20日説明会がありました)

 新堤防といわれる海側の堤防が完成したのが平成2年です。
 この「新堤防」の設計に不安を感じて住民の方々と署名運動をしたのが私が本格的に木本堤防に関わった最初で25年ほどになります。
 不安が的中して、完成までに出来ていた部分の新堤防を波が越したのです。
 すぐに、上京し運輸省に「新堤防の不備」を陳情し、幸運なことに全国でも例を見なかった、「外海での潜堤」に着手していただけたのです。
 海中に沈んでいて姿は見えませんが、17年の年月と約50億と言う巨費で木本町を守ってもらったのです。
 しかし、それでも伊勢湾台風をはじめとする台風の高波で被害を受けてきた海岸線に住む住民の不安は消せません。
 当初計画どおりに、潜堤完成とともに行われる「旧堤防撤去」の工事が施工されようとしたときに、再び、住民の方の協力を得て。県土木との交渉の場を持つことができるようになりました。
 
 住民の切実な訴えに県の方も出来るだけ答えるように努力していただき、元の計画には無い、更なる高波対策、堤防への階段設置などの実現に向けて前進することになりました。
 これも、住民の願いを「声ある声」として伝えられたので実現してきたのです。
 説明会も丁寧に行われ、参加した住民の声に耳を傾けてくれました。
 市の建設課も住民サイドに立って県との交渉に立ち会ってくれております。
 長年、土木事業なども見てきていますが、こうして、役員さんだけではなく住民全般と接触して、工事が進められる例はほとんどありませんでした。
 これも、ひとえに皆様のご協力のおかげだと感謝しております。

 工事としては、連休頃に着手し、花火までに古い堤防の上半分を切り取って撤去します。花火期間中の工事はありません。
 二丁目から布袋町・旧モスバーガーまでを第一工区として、「井本組」、そこから旧消防署のところまでを第二工区として「森岡組」が受け持ちます。
 工法は「ワイヤーソー」と言うワイヤーをのこぎりのように使うもので音やホコリが少ないそうです。
 土木業者も地元ですから無茶はしないと思います。

 後半の下半分の撤去と後ろの壁のコンクリート打ちには年度一杯(3月まで)掛かるかもしれません。
 東日本大震災の関係で、資材などの手配が遅れる可能性もあるからです。

 今後の課題は、新堤防の天場の国道側に波返しを兼ねた構築物を作ること、堤防に登る階段の数を増やすこと…
 もう一つ、今回の地震で考えなくてはならないのが、前回、昭和19年12月の「東南海地震」M7.9なら木本はほぼ問題ないのですが、想定を超える8.5とかになった場合、例え堤防を越えなくても、ゲートが開いていると秒速15mを越す高圧の水が流入ではなく、飛び込んできます。
 高波と違うのは、その勢いの波が30分も余って続きます。
 つまり、ゲートの近くの家が破壊されるだけではなく、本町よりかなり低い記念通り方面まで波が走ることが予想されます。
 取れる対策はただ一つ、「ゲートを常時閉めて置く事」なのです。
 閉めるとなると、堤防から浜に降りる階段も作らなくてはなりません。
 
 地震から津波襲来まで…このすぐ沖だと数分、新宮、勝浦沖でも10分ほど、うんと沖合い遠くでも20分しか見込めないのが「東南海地震」です。
 スマトラ沖地震。東日本地震と大地震があり、その間に挟まったプレートが動くのは時間の問題です。
 一日一日と確率が上がっています。
 東南海地震の規模で納まってくれれば、木本や有馬はほぼ大丈夫ですが、学者の予想では想定の範囲が広がっています。
 私が家から飛び出して新出町のゲートの一つを閉めるまで5分かかります。
 いつも私が家に居るわけもありません。
 津波が来るだとか、来ないだとか言っている時間も無いのです。
 間に合わなくても、このゲートには私が一番近いのです。
 他のゲートを誰が閉める?
 消防団が命がけで走ってきてくれても間に合わないのです。

 つまり…
 「通常の時は閉めておく」しか安全策はありません。
 昔のように浜に洗濯を干しに行く人も居ないし、布団を干す人も居ません。
多少不便でも普段は階段で出入りしても遭うしかないのかと思います。
祭りや花火にゲートを開けておいて津波に出くわす確率は宝くじより高くなっていると思います。
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 A4裏表ですし、老人の多い木本ですから、文字も14ポイントを使います。
 イラストはかけないし、写真を入れるには紙が普通のコピー紙だし…
 配っている時の話をしたおじさんにも、 『お前にのは字ばっかりで色気無いのう』と言われました。
 自分の写真を入れる人も居ますがあれは嫌ですしね。
 写真入れなくてもそこそこ顔だけは売れているつもりです。


熊野市周辺地図です
 
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by je2luz | 2011-04-22 11:23 | 熊野 | Trackback | Comments(7)
2011年 04月 21日

熊野の旅 津波…何処へ逃げよう

 この辺りは「東南海地震」の震源地のそばにあります。
 震源地候補はこの陸地も入っているのです。
 直下型・沖合い型・・・どっちにしても地震発生までの「カウントダウン」に入っています。
 
 熊野市は田舎町です。
 ビルディングなんて物はありません。
 木本町と井戸町と言う中心部でも、高い建物は三階建ての小学校、5階建ての市役所、4階建て?の県事務所、4階建て?の天理教宿舎位のものです。
 これらは全部低い所にあります。

 こんだけしかないのに、時間の余裕が5分から20分…
 とてもじゃないがそこまでたどり着けないし、木本小学校などは二階のフロアーと海岸最前線の我が家の敷地と同等なのです。
 つまり…
 逃げる場所が無いとも言えるのです。

 幸いなことに、入り江でも無いし、昭和19年の東南海地震で尾鷲などが壊滅状態になったときもここは大丈夫と言う地形です。
 でも、安心は出来ないし…
 町の真ん中に聳える岩山、「要害山」に登れば、大丈夫なのですが、登り口は二箇所だけ…
 急な階段と言うのは、命が掛かれば登れるでしょう。
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 この新しい階段の部分を登るだけで海抜20mにはなるでしょう。
 もう少し登れば、紀伊半島のほとんどが壊滅するような津波でもさらわれることは無いのですが…
 ここへたどり着く道が大丈夫なのか…
 都会の家のように弱くないはずだし、東南海のときも建物の被害は少なかったようですから…
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 この要害山は公式の避難場所には入っていません。
 上には建物も無し、水も無し…だから行政としては指定できないでしょう。
 しかし、お年寄りの多いところで何百メートルも走れません。
 生き延びてなんぼの話です。
 周辺の住民の皆さんもとりあえず生き延びるためにここに登るつもりの人が多いです。
 それが、津波から逃れる道ですからね。
 普通の津波と違って時間との争いです。


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by je2luz | 2011-04-21 09:55 | 熊野 | Trackback | Comments(2)