LUZの熊野古道案内

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2010年 11月 30日

熊野の旅 秋の山あい アマゴが育つ

 熊野名産の一つに「あまご」があります。
 大又川などではアマゴの釣りも楽しめますが、そちらはお遊びです。
 「名産」と言うほどにたくさん育っているのは、熊野市の秘境ともいえる「赤倉」です。
 かつては交通の要所にもなり、山の上の「丹倉」と合わせると結構な数の家があり、「赤倉分校」なんて小学校の分校があった位ですが、今ではよそからの文化人を含めてもほんの少ししか住んでいません。
 この山あいの綺麗な谷川を利用して「アマゴの養殖」をしているのが「赤倉アマゴセンター」です。
 はじめたのは今の当主さんのお父さんです。
 今は全国でアマゴの養殖も増えているようですが、この人が始める頃は手探りで随分苦労したようです。
 およそ「アマゴ」と言うやつは、肉食で獰猛なくせに神経質で水質にもうるさいようです。
 清流・渓流に住み着く連中ですから、濁った水は嫌い、温かい水も嫌い、いつも流れて酸素がたっぷり無いと駄目、人の気配など騒々しいのも嫌い…と言うことらしいです。
 そういう意味では、ここ「赤倉」の谷は絶好の場所なのでしょうね。

 こんな風に神経質な魚ですから、飼い方が確立するまでが大変だったようです。
 自力で谷水を引き込む池を作り…水を管理し…
 そもそも、ウナギの様に大量の稚魚を買うすべも無いし…
 餌も良く分からないし…
 と言うので大変だったでしょう。
 でしょう…ではなく、今も大変なのです。
 大雨が降って谷が濁ったり、沢崩れがあればアマゴが全滅する可能性もあります。
 日照が続いて谷の水が減ったら水の確保に苦心しなくてはなりません。
 水質の悪化は致命傷になるようで、アマゴの養殖をやるとまともに留守も出来ないようです。
 夫婦とか親子が揃っていないと出来ない仕事のようです。

 普通の市民の目に触れるのは、イベントの「アマゴのつかみ取り」に出てくるアマゴです。
 地元での消費はほんのわずかで、ほとんど出荷されているようです。
 『熊野発』の『おいしいもの』です。
 熊野でも、料理屋などでは食べられます。
 川魚は足が速いです。
 産地のそばで食べるのが一番です。
 かといって、駅前食堂では無理ですしね。
 口にしにくい名品の一つでしょうね。
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by je2luz | 2010-11-30 09:54 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2010年 11月 29日

熊野の旅 井戸の祭り 下の大馬神社 2

 井戸町の続きです。
 井戸は田圃が多い…それも、低地で洪水のたびに浸かってしまう所が多かったです。
 農地としては不適当な面もあったからでしょう、水田なのにどんどん埋め立てられました。
 埋めた後には拾い宅地が出現し、「赤阪」「丸山」「井土」などと言う町が出来たのです。
 旧来の井戸と言うのは「松田地」松原」「紺屋地」などと言う山のすそに張り付いた集落だけだったのです。
 もう、昔の井戸をおぼえている人も減ったでしょうね。
 最初の駅前の沼地の埋め立て、今の丸山町を作ったのは私が中学の頃で、完成して家が建ち始めたのは伊勢湾台風のときです。これを覚えているのは、伊勢湾台風で熊野市駅周辺が水浸しになったとき、新築の家の一階部分がほぼ水没し、壁が落ちたりしたのを見たからです。
 私がニコンFを手にする3日前の話です。

 まあ、そんな成り立ちの井戸町ですから、新町民は埋め立てて出来た真ん中に住み、旧住民はそれを取り囲むように山手と海側に住んでいます。
 開発が始まって半世紀、だんだん、旧住民と新町民の区別が分からなくなりました。
 近くに住む私などでも、苗字を聞くと推測できる程度です。
 田舎ですし、そんなに遠くから引っ越してくる人も居ないですから、苗字で井戸の人、浜筋の人、志原尻の人、飛鳥の人、五郷の人、南郡の人・・・なんて推測するのです。
 これも、昭和の初期頃からの人口移動で段々分からなくなって、先祖様を推測するようなものです。
 本人の方が先祖が何処の出か知れないことが多くなってきているのは全国的なことなのでしょうね。
 そのうち、アメリカのアフリカ系の人たちのように、自分たちの先祖探しがブームになるかもしれませんね。

 前回の写真の下のものは旧住民の多い「松原」の出し物です。
 今日は上のが旧住民の多い「松田地」のものです。
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 こっちは「丸山町」かな?
 同じ法被を着た、熊野名物、「駅前のジュリー」が写ったカットがありますからね。
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 ???
 熊野名物「駅前のジュリー」に会いたいっつて???
 会いたい方は、熊野市駅前の書店に行ってください。
 そこのご主人が「駅前のジュリー」です。
 これは「自称」ですし、本人が名乗ってから随分の月日が流れていますからねえ…
 残念ながら近年の写真しか無いのでジュリーに似ていたかどうかは立証できません。
 論より証拠、ぜひ熊野古道歩きに来て、会って見てください。
 熊野古道の薀蓄も結構学習したようです。
 お客様次第では案内してくれるかもしれません。
 ただし、私同様、「面接重視」になるでしょうね。
 本人の許可が出れば、「その後のジュリー」の写真は載せられるのですが…

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by je2luz | 2010-11-29 13:40 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2010年 11月 28日

熊野の旅 井戸の祭り 下の大馬神社

 井戸町は旧有井村の半分を占める地区で、田圃の広がる田舎でした。
 戦後、その田圃が次々と埋め立てられて住宅地に変わって行きました。
 熊野市駅の裏が埋め立てられたのが最初でした、
 当時は井戸川の河口が閉塞して台風や豪雨になると田圃が浸かって湖状態になったものです。
 私がアマチュア無線で頑張っていた頃、「熊野市です」と言うと、「ああ、駅の裏に湖のあるところですね」などといわれたのが何回もあります。
 それ程のべつ浸かったのです。
 いまではその対岸も埋め立てられ上流に掛けては井戸小学校の用地造成をかねて埋め立てられ…田圃はかつての1/4も無いと思います。
 このように拾い宅地が造成され、元は狭い木本町にあった、県事務所、警察。職安、裁判所、郵便局などの公共施設も引っ越して行ったのです。
 分譲した住宅も建てられ、人も移動して行きました。
 この分譲が始まった頃には人口の減少が始まっていたのですが、「核家族化」と「田舎離れ」がこうした住宅需要を支えていたのです。
 もう一つは、日本の「土地神話」ですね。
 「土地は財産、持っていれば上がる」と言うものです。
 熊野には「大金持ち」は居ません。「小金持ち」は居ますから、土地を買うだけ買って…と言うのが結構あったのでいまだに手付かずの土地が残っています。最初の分譲は私が東京時代・・・昭和40年ごろなんでしょうかね。
 それでも、井戸町は驚異的に人口が杖増した。
 今ではそうして移り住んだ、分家した跡継ぎなどの人も初老から老人になってきています。そして、その家が更なる「核家族化」しても、出来る家は熊野ではなくなっています。
 大阪千里と同様文化住宅の廃棄家屋が増えようとしています。
 そして、土地神話は崩れ「土地は下がるもの」になっているようです。でも、「土地神話」を信じる人、信じたい人はまだまだ居るようですね。

 それでも、熊野市では子供も多い井戸町ですし、範囲も広いですからお祭りは結構大きくなったようです。
 各町内から繰り出してくる出し物が子供中心と言うのも、新興住宅地だったからでしょうね。
 木本の祭りでも子供中心ですが、井戸の方が大人はうんと脇役になっているようです。
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 ほかと違い、浦安の舞の舞姫もまだ豊富なようです。
 候補者が多ければ「いやいや」と言う子も少ないでしょう。なんだかすごく愛嬌が良い子が多かったですね。
 今付き添っている親がようやくここの今の祭りを経験して育った年代のようですね。
 祭りの出し物を作って町内をまとめてゆく団地などでもある手法が定着したようです。
 都会より良いのは、人口の流動性が低いことでしょう。

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by je2luz | 2010-11-28 11:33 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2010年 11月 27日

熊野の旅 育生・大森神社 どぶろく祭り 寸景

今日は記事を掛けないのでどぶろく祭りのスナップだけです。
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by je2luz | 2010-11-27 01:00 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2010年 11月 26日

熊野の旅 育生・大森神社 どぶろく祭り 2

 地元の人が減ってしまったので他所の人が多いとはいえ、ほとんどが熊野市内の人です。
 この日は、井戸町・有馬町・久生屋町などでもお祭りがあるので、その地区の人は来たくても来られません。
 新聞社やテレビ局も祭りがぶつかると大変でしょうね。
 この「どぶろく祭り」と有馬の「産田神社・新嘗祭」はマスコミにとっては外せない大きな?祭りですからね。
 どちらも伝統のあるものですから、簡単に日を変えるわけにも行きません。
 私は一人ですから、「どぶろく」と「井戸」の二つにしました。
 来年は「産田さん」にします。
 そちらは「ほうはん」とか言った山盛りの飯を食わせる行事があるとか…
 日光の方では、東照宮に参る大名に半分嫌がらせのようにてんこ盛りの飯を食わせるのがあるそうですが…ここは大名も居ないし来ないし…謂れなどは来年書きます。
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 市内から集まった人ですが、人口が少なくても10カ町以上村合併した所だし、地形も複雑なので顔見知りの範囲が意外と狭くなりがちです。
 私は広い範囲での顔見知りが多い方ですが、地域によってはまるで知らない人ばかりのところもあります。

 どぶろく祭りの会場は神社の横の広っぱで、真ん中に広くブルーシートが敷かれていて自由の座り込んで飲んだり食ったりするようになっています。
 11月末といっても天気がよければぽかぽかと良い心持のようです。
 ハイキングのようにお弁当を持ってお茶も持って…サザエさん世代のような光景も見られます。
 もちろん、コンビに弁当ではなく、自家製で「タッパ」や「お重」に綺麗な弁当が入っています。
 今では正月でさえ、「御節」が「重箱」に入っていることが少ないですが、中々良いものですね。
 都会ではお重に入った御節は料亭や百貨店のだそうです。いやですねえ…
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 こんな風に車座になって家族や友達が弁当を食べ、酒を飲む…
 ホームパーティなどと言うものより親密になれるでしょう。
 他所から来ても、このシートの上は自由に占領できます。
 手製の弁当が無くても、地元のご婦人たちが腕によりを掛けた、『サンマ寿司』『めはり寿司』『おでん』など食料には事欠きませんし、お酒も最初に杯を買えば『どぶろく』は飲み放題です。
 ステージでは喉に自信のある育生周辺の人がカラオケを歌っています。
 早めに申し込めば飛び入りも可能なようです。
 なにしろ、山の真ん中にもカラオケ店がある土地柄ですからね。
 今流の字余りのような歌を歌おうにも用意されていないと思いますけどね。

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by je2luz | 2010-11-26 10:26 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2010年 11月 25日

熊野の旅 育生・大森神社・どぶろく祭り 1

 熊野の祭りの中では特徴があって少し有名なお祭りの一つの「二木島舟こぎ祭り」が今年で終わってしまいました。
 もう一つの「育生のどぶろく祭り」は健在です。
 二木島のは中学生の男の子などが主体だったので、昔はものすごく活気があって賑わったようですが、高齢化が進んで当然のように子供が居なくなったので、舟を漕いで競争することが出来なくなったのです。
 山間部の育生町も同じ…いや、それ以上に老齢化は進んでいますが、祭りの主体が「どぶろく」なので今の所維持できています。
 神社の方で舞う「浦安の舞」の舞姫はどうやら町外からも借りてきているようですが、祭りは滞りなく出来ているようです。
 戸数も減ってくるし、当然氏子も減るし、祭りの経費を捻出するのが大変そうです。
 元気な年代の人は、どぶろくを振舞う広場の出店やカラオケ、どぶろくの給仕係などで総動員されますから、地元の人でお祭りに来るのはお年寄りだけみたいに見えます。
 働き盛りで、座り込んで飲んでいるのは町外の人ばかり…みたいです。
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 地元のお年寄りの人たちも楽しそうにしていますが、遠来のお客さんに遠慮してなのでしょうか、広場に敷いたブルーシートには座らずに外っ側の方に居ます。
 このおばあちゃんも楽しそうです。
 このカメラ、「ミノルタ・オートコード」なんて二眼レフなので、やっぱり懐かしがるし、「このカメラが新品の頃にはあんたも別嬪じゃったんじゃろねえ」などと話をしながら撮らしてもらうとこんな表情になります。
 今から55年前のカメラですから、このおばあちゃんもせいぜい30くらいでしょう。
 こんな時は古いカメラを持って行くのも良いものです。
 
 「ばあちゃsん何処の人?」
 「ここのひと」…と言っていましたが、育成の人はほとんど分かりません。
 まあ、プリントして育生のどこかに届ければ本人のところに届くでしょうj。
 それが田舎の良いところですからね。

 こんな風に、田舎の祭りを楽しむには地元の人にも声を掛けてみることです。
 「兄さんも食べるかえ?」なんて、弁当を勧めてもらえることもありますよ。
 でも、「飲んだら乗るな」のどぶろく祭りです。
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by je2luz | 2010-11-25 10:43 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2010年 11月 24日

熊野の旅 祝! 花園出場 三重県立木本高等学校

 本当に久しぶりです。
 20年余り前にも出場したのですが、三重県立木本高等学校ラグビー部が花園ラグビー場の全国大会に出場を決めました。
 日本では少しマイナーなスポーツで、柄の悪いスポーツのように言われていますが、元来は英国紳士のスポーツで、審判が絶対と言う厳しいものです。
 ボールがおかしな格好をしているのは基は羊?の胃袋を使ったからとか・・・
 近年ではルールも随分変わってきて試合の流れがよくなっていますが、以前だとちょっとしたルール違反全てで笛がなり競技が止まるほど厳格だったスポーツです。
 泥んこでまさに肉弾戦、体力も居るし闘争心も必要…フォワードのようにスクラムを組む選手は揉まれるので耳の形まで変わってしまいます。
 私などはラグビーの校内試合があるような木本高校で過ごし、これまたラグビーの強い早稲田にいたのでラグビーは非常に親しみよいスポーツなんです。
 何しろ高校時代の校内対抗では「ウイング」で走っていましたからね。(割と楽で格好よいポジション)
 それでも、公平に見ると、ラグビーには余り一般受けしてもてる要素は余り無いですね。

 花園は野球の甲子園のようなものです。
 高等学校の競技は野球も関西、ラグビーも関西がメッカなのです。
 大学になると、野球は「神宮」、ラグビーは「秩父宮ラグビー場」と関東に移りますね。

 元々一般受けしないラグビーです。
 いくら地元の人がラグビーに親しみを持っていても、親馬鹿リトルリーグから上がってくる野球に比べると父兄の突っ込みようも違います。
 全国大会出場となるとやたらと経費が掛かりますね。
 応援のバスを仕立てて、選手は泊まり込みだし…
 もうすぐ寄付集めが廻りだすのでしょうね。
 20年余り前の出場の時は、熊野市は前々市長の坪田さんで100万円の寄付予算を組んだと思います。
 木本高等学校の生徒は南牟婁郡の子供も半分居ますから南牟婁郡の町村も寄付をしたと思います。
 今は合併で自治体が二つ減りました。寄付も減るのかな?

 まあ、何はともあれ
 おめでとうございます!

 早稲田が慶応に10年ぶりに負けたんだそうですね。
 ラグビーでは慶応に負けるなよな! 

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by je2luz | 2010-11-24 09:41 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
2010年 11月 23日

熊野の旅 ちょいと取材に…

 冬眠暁を覚えず…
 では無いのですが、昨夜は雨が降っていたし、今日の天気はどうだろうなんて思っていたら上天気のようです。
 少しゆっくり寝たので、今からカメラを揃えて出かけます。
 デジ一とミノルタα7700iと・・・ブローニーが悩みます。マミヤで痛めた腕が完治していないのでこれを持ち出すと又壊しそうですし・・・ワイドが搗くのはセンチュリーグラフィックくらいだし…のんびり、二眼レフか?

 途中で井戸の祭りを覗いて育生に向かおうかと思います。
 一山向こうなのでねえ…
 酒飲みじゃないし、運転するから「どぶろく」を飲むことも出来ないし…


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by je2luz | 2010-11-23 09:12 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2010年 11月 22日

熊野の旅 消え行く国営パイロット

 昭和の時代、国がやった「パイロット事業」はあまり成功例が無いとも言われたものです。
 ここでは、熊野市と御浜町の一部にまたがる「金山パイロット柑橘園」と御浜町の同じような「パイロット蜜柑園がありました。
 先にやった「金山パイロット」も出来た時には、全国的な「蜜柑余り」にの時代に入っていて経営的には苦労しました。
 後の方の「御浜町蜜柑園」の方などは、延々とかかって工事しているうちに、「温州みかん」はどうしようもないほど生産過剰になっていたので、出来たところに植えても良いのは「甘夏」などの晩柑類と言うひどいものでした。
 売りよい「温州みかん」でも駄目なのに、「晩柑」では端から経営できないのが分かったようなものでした。

 こうして、雑木山をゴルフ場張りに削って造成した「国営パイロット」と言う名の広大な蜜柑畑も、「減反」と言う政策で蜜柑を切り倒しました。一部は梅を植えたりしていました。
 でも、基本的には荒れる農地が増えていったのです。

 この「国営パイロット」に目をつけたのが「リゾート法」です。
 一旦はつぶれた企画ですが、息を吹き返して蜜柑園が「里創人・熊野倶楽部」なんてのになりました。
 そして、分譲団地が出来て、工業団地が出来て…
 高規格道路「尾鷲熊野道路」の工事で出てくるトンネルの残土でどんどん埋め立てられて行き、今度は追加で梅に転作していた辺りの谷が全部埋められます。
 一億ほどの買収費で蜜柑園が消えるのです。すごいですねえ…
 トンネルのズリで埋めても、地目は「農地」は農地、「雑種地」は雑種地なんだそうです。
 十年は草も生えないほど痩せた石の砕いたので作る畑も、我が市の偉い人は、「礫の方が果樹を育てるのに向いている」とおっしゃいます。
 元のパイロットが「痩せた土地でどれだけ苦労したか」なんてのは分からないのでしょうね。
 元居た農林省などには立派な成功例の報告が上がっていたでしょうからね。

 と言うことで、昭和に国営で作った農園が再び官費で埋め立てられ公園と体験農場になる予定だそうです。
 おそらく、市民など近づかない公園でしょう。
 なんだか、色んな施設も作るそうな…
 でも、市民は無関心だし…人の金だし…
 出来てから文句は言いますけどね。
 問題提起には乗って来ません。
 無関心が全ての始まりなんですが…
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by je2luz | 2010-11-22 12:31 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2010年 11月 21日

熊野の旅 熊野路も冬です

 気温がそんなに下がらない熊野路でも、陽の高さは低くなり、長さも短くなります。
 夕方などは日の落ちるのが早くなっているので「冬」を感じます。
 寒いところが少し苦手な植物でも、この「陽の長さ」には敏感に反応するものが多いようです。
 この海岸線では冬になると「つわぶき」が花をつけます。
 何しろ派手な花ですから咲き始めるといやでも目に飛び込んできます。
 砂地でも岩場でも日向でも半日陰でも…丈夫なのでしょうね。
 山茶花のようにひっそりとした花ではなく「咲き誇る」と言う監事なので冬らしくないのですが、これを見ると、「冬なんだなあ…」と思います。
 つわぶきの一杯咲く所で育ったからでしょうね。
 絵を描くとか一句ひねるなんて風流なものでは無いのですけどね。
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 この写真は今日の花の窟神社入り口の群落です。
 売店の女の人は「絵手紙」なるものを書いたのだそうです。描ける人は良いですね。

 この辺で冬を感じさせるもの…
 「南天の実」「アロエの花」「水仙」「山イチゴ」・・・
 最近は「ウチワサボテンの花」を見なくなりました。流行らなくなったのでしょうね。
 私が子供の頃には大きな「ウチワサボテン」があちこちの庭にそびえていたものです。3mを越すような大きなものが多かったですが、棘はあるし台風などでは折れて落ちてくるし…
 まあ、厄介なものには違いないです。
 我が家にあったのも4mを越すような立派なものでした。最後はバラバラに崩れてしまいましたね。
 黄色い綺麗な花を咲かせましたけどね。

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by je2luz | 2010-11-21 11:07 | 熊野 | Trackback | Comments(0)