LUZの熊野古道案内

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2010年 10月 31日

熊野の旅 漁師町で無い鵜殿漁港

 港が無いのに大きな大敷を持つ阿田和、そのすぐそばにある「鵜殿港」は「鵜殿漁港」でもあります。
 鵜殿は少し前までは「日本一面積が小さな村」…などと言うことで少し有名だったところです。今は紀宝町との合併でそんなキャッチフレーズとは縁が無くなりました。
 その狭い「鵜殿村」は「紀州製紙」の城下町です。
 大きな製紙工場がでんと構え、その社宅などを入れると村の面積の何割と言うような比率だったかと思います。
 狭すぎて、従業員の住まいも確保できないので、隣の紀宝町の一部も城下町的な雰囲気でした。
 その製紙工場へのチップの搬入などもあり、熊野川河口に「鵜殿港」が整備されました。
 元々、貯木場があって沼地的なところもあったのですがほとんどが埋め立てられていたのと、貯木場は熊野川を下ってきた筏を引き込むためなので、入り口は熊野川に面していました。

 熊野川河口で大量の石が流れ出るところですから。海岸線はうずたかい砂利になっていましたから、それを開削するだけではすぐに閉塞します。
 と、言うことで、半分「突き出し港」と言う方法で作られました。
 
 黒潮に押されて、河口からの砂利は鵜殿側…七里御浜側に流れようとするのを防いだ訳です。
 当然のように下流の七里御浜の浸食はダムの影響もあり急速に進みだしました。
 当たり前のことなのですが、工事は強行され、すぐそばの紀宝町井田海岸がひどいことになり、対策に何億も掛けますが直しようも止めようも無いです。

 この「鵜殿港」は「鵜殿漁港」でもあるのですが、鵜殿村は漁村ではありません。
 鵜殿漁協は「熊野川鵜殿漁協」なんて内水面の物が出てくる位です。
 海の漁師のいるのは、隣の「紀宝町井田」、更に隣の「御浜町阿田和」みたいです。
 この二箇所の魚は鵜殿に揚げられるようです。
 井田などは魚を揚げる代わりに、海岸が無くなり、生命財産まで危険にさらされています。
 鵜殿港の突き出し部分を取り壊しても手遅れでしょうけどこのままでは…

 少し考えれば分かることでも、「作る側の調査」ではいつでも「影響なし」なんです。
 それも、大学教授とか研究室がお墨付きを出してきました。
 今では、政治家がらみや天下りの「コンサルタント会社」がやるのですから何をかいわんや…です。
 そこに住む気もないし、どうでもよい人が、「作る側」に大金をもらって作成する「環境影響調査報告書」ですからね。
 そんなものの端っこを少しは知りえる立場にもいましたから、そのいい加減さもいやらしさも少しは分かります。

 ダムに鵜殿港…
 人間の力は大したものです。
 何万年もかかって養ってきた「七里御浜」を「十年単位」で壊してゆけるのですからね。
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by je2luz | 2010-10-31 11:57 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2010年 10月 30日

熊野の旅 港の無い漁村 阿田和

 紀伊半島はほとんどのところがリアス式海岸で、そこそこ良港が並んでいます。
 良港であっても、背後地が無くて近代式漁港に出来ないところ、住む所にも事欠くところがあるくらいです。
 一番長い「七里御浜はそこそこの背後地はありますが、今度は砂利浜ですから港が出来ません。
 他所に行くと、「掘り込み港」と言って、人工の入り江を浜に作ったところもありますが、港の入り口がすぐに埋まってしまう厄介なものです。
 さらに、前が外海になるところでは、小さな掘り込み港では、ちょっとの時化で使い物にならないことが多いです。
 たいした漁村でもなかったし、砂利の移動の大きな七里御浜だし、前は熊野灘だし、掘り込んで使えるほどの土地も無し…
 色んな条件で、御浜町阿田和は港の無い漁村として残っています。

 すぐそば7Kmほどのところに、「鵜殿港」が整備されたのでさほど船に関しては不便も無いのでしょう。
 それよりは、大敷網を直したりするために使える、広い浜がある方がありがたいでしょうね。
 昔のように、浜から船を出す時代では無いですが、「阿田和大敷」は結構元気です。
 目の前の海にも、浜の上にも漁船はおろか伝馬船すら見えない漁村です。
 大敷網の準備でもしていなかったらすぐ脇の国道42号線を走っても、そこが漁業の基地、漁村だとは思わないでしょうね。
 すこし、海に馴染んだ人でも、せいぜい「地引網」程度だと思うでしょう。
 でも、「阿田和」は大敷の基地なのです。
 今では獲れた魚は、ここに浜上げされず、鵜殿などの「港のある漁村」に水揚げされます。
 大量に揚がったときは、市場のしっかりした勝浦や尾鷲に船のままで行くこともあるかと思います。
 熊野の大敷もその方式ですからね。
 仲買い、問屋の居ない田舎の港に大目の魚を水揚げすれば…結果は見えていますからね。
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by je2luz | 2010-10-30 11:37 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2010年 10月 29日

熊野の旅 台風接近 退避

 台風14号は明日にでもこちらにおこしになられるようです。
 七里御浜に広げて、冬の漁の準備をしていた大敷も浮を堤防のそばまで引っ張り上げて台風の高波に備える準備を慕いました。
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 場所は御浜町阿田和、「阿田和大敷」です。
 昔はこの黄色い部分が大きな青い透明なガラス玉でした。
 今のプラスチックのは割れ無いし、括り付けよいし使いよいのでしょうが、およそ無粋なものですね。
 昔のガラス玉は網が被されていて、中々ムードがあり、あちこちでインテリアとして飾られていました。
 私も拾ってきたのを置いてあったのですが知らない間になくなってしまいました。
 直径30cmあまりもあるのですが、外の通路のところに置いてあったので誰かが持っていったのでしょうね。

 いまはブルドーザーなどを使って仕事をするので大敷の漁師さんの人数も少ないようです。
 大敷を船に巻き上げるのも大きなウインチですから、船の方でも少人数化していますね。
 後継者不足と、重労働を大きく改善してくれましたが、減らした数の漁師さんでも、後継者は相変わらず不足しているようです。

 今から春までの間が、「大敷網」が脚光を浴びる時期です。
 これから狙うのは『鰤・ブリ』です。
 なんと言っても大敷の花形は「ブリ」です。
 群れになってやってくるので取れるときはものすごい水揚げ高になります。
 でも、昭和初期のような豊漁は夢物語のようです。
 ここ紀伊半島だけではなく、全国ですね。
 古い写真では宇和島などでは、浜に石垣のように積み上げてあるのが「ブリ」だったっと時期もあるようです。
 超高級の「照り焼き」ではなく。「肥料」に成り下がった『ブリ』もあったとか言いますね。
 ニシンも肥料が目的だったようですし、「獲れる時に獲らなくては…」と言う、猟師の伝統が両方とも幻の魚にしかけていましたね。

 この台風が通り過ぎれば、そろそろ網入れをするのでしょうね。
 網入れをしてから台風が来ると、網をそっくり上げたり。うねりの少ない深みまで網を沈めたりして交わします。
 網を流されれば何千万円、上げても何十万から何百万…
 「大敷網」と言う物は「定置網」ですから、魚群が向こうからやって来て入ってくれないと坊主です。
 努力のしにくい漁法ですから、ばくち性も高いですね。
 今回は準備中にやって来たので、大敷にとっては助かったでしょうね。

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by je2luz | 2010-10-29 21:57 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2010年 10月 28日

熊野の旅 七里御浜 浜街道

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 写真はJR紀勢本線阿田和駅の新宮よりです。
 後ろはるか遠くに山が見えています。
 ワイドレンズとはいえ随分広い平野に見えますが、あの山まで15Kmほどあります。
 この方向に見るのは、七里御浜を長い方向に見ていることになります。
 右側は300mほどで海岸です。
 左側は100mも無いところから山の端っこの岡になります。
 つまり、平野では無いのですけどね。
 それでも、熊野古道・伊勢道・浜街道・御浜街道はその長手の方向に歩きますから、七里の間は平坦です。
 川を渡るのが大変なだけで、他は「東人・あずまびと」の熊野詣の道中、紀州路に入ってからでは一番楽な道です。
 鉄道も道路もこの区間にはトンネルがなくなだらかな起伏があるだけです。

 かつてはこの貨物列車の後ろに小さく見えている「阿田和駅」では無蓋車の貨車が一杯並んでいたのです。
 トム・トラ・トサ・トキ…なんて名前を聞いて意味が分かるのは古い鉄道マニアですね。
 今ならダンピング装置の付いた専用貨車なのでしょうが、その頃は「石原産業」のマークの入った専用貨車でも普通の無蓋車でしたね。
 積むのはホッパーから落としていましたが、ならすのは「じょれん」と「スコップ」でしたね。北朝鮮の土木現場みたいなのが半世紀前には行われていたのです。

 この列車は「紀州製紙」の専用貨物列車です。
 戦後になり、まだ鉱山が盛んな頃には鉱石を積んだ無蓋車とともに、外材を積んだ無蓋車と漂白剤などを積んだタンク車が一杯通りました。
 「紀州製紙」「本州製紙」「巴川製紙」三つもあった製紙会社向けです。
 そして…
 その列車に乗って、「松くい虫・松の根線虫」がやってきたのです。
 「松の無い有馬松原」を作り出し、段々山の上の松まで枯らして、秋の味覚のマツタケをなくしたのです。
 外来生物で早くから日本の生態系を破壊し、目立ったのが「松くい虫」「松枯れ」だったのですが、結局は何の対策も講じられずに広がってしまいました。

 「マツタケの一杯入ったすき焼き」「炭火で焼きながら食べるマツタケ」…
 アメリカさんを恨みます。

 天秤棒で前後につけた「目籠」に山積みして、「マツタケ」を市木辺りのおじさんが売り歩いていたものですよ。
 いまなら、それが売れたら数百万円でしょうね。
 恐ろしくて、夜道を空の目籠を持って浜街道は帰れないでしょうね。
 毎日、「ガードマン」に護衛してもらわなくては…
 でも、そんだけ採れたのですから、当時は庶民でも買えたのですし、襲われる心配どころか歩いて帰る足取りが軽いほどの売り上げにも成らなかったのかも知れません。

 マツタケのそんな食い方をした最後の世代なのかもしれません。

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by je2luz | 2010-10-28 10:02 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2010年 10月 27日

熊野の旅 無人市場

 田舎道には「無人市場」がつき物です。
 始まった頃にはぽっつんぽっつんでしたが、今では日本中の田舎にありますね。
 こんな道で一体誰が買うのだろう・・・と、思うようなところにもあります。
 役所やマスコミ流に言えば、「産直」ってことなのでしょう。
 まあ、そこそこ売れている…いや、売れるだけしか出さないように、お百姓さんが学習してきています。
 空き缶を置いてあってお金が丸見え・・・というスタイルが初めの頃には多かったのですが、世の中には悪い人がいるものですから、「物はなくなる、売り上げも持って帰る…」ってことが度々起きたようです。
 人によっては人間不信になって青空市場をやめた人もいるくらいです。
 田舎の青空市場だと、お客さんも一見さんは少ないですから、泥棒さんも定連さんかもしれません。
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 この立派な無人市場は国道とかに面したものではなく、地元の人以外は通らない…それ以外の人には「知る人ぞ知る」というものです。
 どうやらここを走り回る土木関係の会社が作ったとか・・・地元対策なのでしょうかね?
 30駒を越すような大きなもので、ミカン畑を一部潰して作った工業団地のそばにあります。
 この工業団地は隣の御浜町が活性化のために企画したのでしょうが、国内では工場なんて作らない時代に入ってからですから、他所の企業は来ていないようです。
 もっと便利で、港まであるような工業団地でさえ売れないのですから紀伊半島の南の端では…

 でも、今、本当に今、わが熊野市では「工業団地」を造成中です。
 同じようにミカン畑を潰して谷を埋めています。
 埋め土は「尾鷲熊野道路」のトンネル残土で、運搬もただですから、安いと言えば安いものですし、すでに工作放置に近いような、元リゾート候補地ですから埋めなくても荒地になるといえばそうなのですが…
 このミカン畑も国費で作ったものだったのですから、国費で埋めるのかな?
 出来上がっても御浜町の団地候補地同様空き地のまま残る可能性が大きいともいえるでしょう。

 熊野の場合、この造成地にグランドも出来るようです。
 大きな運動公園ができたばかりだと言うのに、なんだかこの山の上にもグランドが…
 私が議会を留守にしている間に…市民が知らない間にすごい計画が作られたようです。
 人口二万。高齢者4割…今持っているのが野球場2、総合グランド2、サッカー場、テニスコート…これでも足りないのだそうです。
 日本国が豊かなので作ってくれるのだそうです。
 全国、この調子ですから、国の財政が破綻して当然でしょう。
 困ったものですが、止められそうに無いですね。

 話がそれましたが、こんな立派な青空市場も、野菜の生産地でもないので、並ぶものが限定されてしまいます。
 今はどの展示台も、「ミカン」「蜜柑」「みかん」…
 もうすぐ「青ネギ」「白菜」「水菜」などの冬野菜が並びだすでしょうけどね。
 出荷用ではない自家製野菜ですから不ぞろいが多いですけど、安い人のは安いです。
 スーパーのチラシと違い、自分で確かめないと安いのか美味しいのか分からないのも、「青空市場」の楽しみなのかもしれませんね。

 この青空市場に行きたい人は、国道42号線御浜町山路口信号からオークワの流通センターなどのある山手に上がってください。紀勢線をくぐってゆける道はそんなにありませんから地元の人なら分かるでしょう。
 薬のモリヤマの少し木の本よりからです。 

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by je2luz | 2010-10-27 09:47 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
2010年 10月 26日

熊野の旅 さらば熊野高専

 随分昔、30年ほど前でしょうかね…
 初めて高専に足を踏み入れたのは、やっぱり「高専祭」でした。
 機械科だったのでしょうかね…「ホバークラフト」なんてのを作っていました。
 一応、ものすごいホコリとともに浮き上がっていましたね。
 私は大学で理工学部でしたがクラブが写真部で早稲田祭ではそっちにばかり関わっていて、理工学部の連中が何を展示していたのかさっぱり知りません。
 それだけに、高専の展示で、「工業学校だなあ…」と思ったものです。
 
 その後に熊野高専に足を踏み入れたのは、「電話級アマチュア無線技師養成講習会」ですね。
 二回やったように思いますが、夏休みに入って寮生が変える直前に時期の暑いさなかでした。
 その頃の高専は男子校で講師をしに行くのも楽しみがなかったものです。
 暑いさなか、クーラーなんか無い教室で居眠りをする生徒相手に休憩を挟んで3時間の授業…楽じゃあなかったです。
 当時の熊野無線クラブには高専の、伊藤・小西・西田・高岡各先生方が居られました。
 今では小西先生が講師で残っておられるだけでしょうね。
 無線免許の申請の時には寮の方まで出かけて手伝ったものです。
 これまた男子寮しか無いし…
 まあ、私の学部も1000人余りの中で女子は2名でしたけどね。

 あまり高専には縁がなかったのですが、先生やOBの人とは結構縁があったものです。
 あと5ヶ月で閉鎖です。
 学校が引っ越すって大変そうなのですが、そうでも無いように、つい先日、名張市と近大の方で校舎使用の協定に調印したとか新聞に書いてありました。
 皇學館大學のやっていたはずの大学キャンパスがそっくり残っているので、一般教室はすぐにでも使えるようです。
 実習室の確保と工事が必要でしょうが、高専も昔のような「工場」は少なくなって「システム工学」のような部門に移っているので、さほど大変なものでもないのかもしれません。

 最後の「高専祭」一般公開最終日のお昼時…
 その割りには客が少なかったような気もします。
 今回の高専祭の写真が高専に生徒が居る写真を撮る最後だと思います。
 その割りに高専の生徒の写真が少ないですけどね。
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by je2luz | 2010-10-26 10:03 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2010年 10月 25日

熊野の旅 最後の高専祭

 昨日は「近畿大学工業高等専門学校」…「熊野高専」の学園祭最終日を見に行ってきました。
 来年の春からは名張市の方に引っ越してゆくので熊野では最後の学園祭です。
 この学園祭は「熊野祭」とも呼んでいますから、次回からはその呼び方も変わりますね。
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 去年もそうでしたが、来場者は女の子が多いです。
 今では「近大高専」も共学になり女の子も随分居るのですが、やっぱり「男子校」「お兄ちゃんの学校」のイメージが強いのでしょうか、この写真の年くらいから10くらい上までの女の子の見学者が多いです。
 むつけき野郎がうじゃうじゃ居るようでは一般客は寄り付かないでしょうけどね。
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 高専祭もこれで最後ですが、「高専」らしい展示物がほとんどなくなっていますね。
 食い物の屋台とバンドの演奏などにしか見物人が集まらないので張り合いも無いのでしょうけど…
 子供の理科離れ、理系離れが進んでいるのですから仕方ないのかなあ…とも思いますが、普通の学校の学園祭になってしまったのではねえ…
 来年からは「名張市」と言うかなり広い市場が見込める場所に行くのですが、「工業高等専門学校」らしさをアピールしてゆかないと、競争も激しいはずですからね。
 「国立鈴鹿高専」ともぶつかる位置になりますね。
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 この真剣な表情で焼いている「たこ焼き」も「商品」です。
 「大阪の子供」では無いのがはっきり分かる姿ですね。
 高専は5年制なので、15歳から20歳まで生徒が居ます。
 それだけ色んなのが居ると言う事です。
 それにしても…
 実験・実習の時もこんなに真剣にやっているのでしょうかね?
 来年は名張でこんなのが見られるはずです。
 ただ…
 名張の女の子が集まってくれるかどうか???

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by je2luz | 2010-10-25 09:35 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
2010年 10月 24日

熊野の旅 今の旬は? 1

 秋がようやく深まってきた感じです。
 街中から半袖姿が姿を消しました。
 「食欲の秋」、「味覚の秋」などといいますから、人間の体が夏ばてから回復して食欲が出るし、「秋の食材」が出回ってくるのでしょう。
 日本人の場合、「新米」を食べさせておけば、おかずは漬物だけでも良いくらい、「米食」だったのです。
 今の日本人は、「新米」が美味しくても、ご飯で腹一杯にしようと言う人は減ったでしょうね。

 米の保管技術が進んで、籾は低温保存なので以前より、「ひね米」の味は落ちないし、「ひね米・古米」どころか「古古米」なんてのでさえ、混ぜられると分からないようになってきています。
 ちゃんとしたところで高い米を買えば大丈夫なのでしょうが、スーパーなどの米の表示なんて…
 それでも、今の時期は「新米」が一番の「旬の食べ物」でしょうね。

 果物の方は、この辺では「ミカン」が旬に入ってきましたが、何しろ、隣が「年中みかんのとれる町」の御浜町ですから、これまた旬が分かりにくいです。
 旬を実感するのは、「ミカンがもらえること」、国道でも県道でも車の通る道なら、「やたらとミカンが売っている」と言うことです。
 「産直」って、なんでもそんなに安くないことが多いのですが、この時期の「温州みかん」は探せばものすごく安いのが出ていますね。
 出始めの頃の「小袋」が姿を消し、5Kg/10Kgの大袋になっていますけどね。

 選果場を通ってきたものではなく、無選別や選果場行きの前に自主選別した格外品などが多いですが、お買い得のがあります。
 「温州みかん」は「S・小}が美味しいのです。
 皮ごと食べられますからね。繊維分たっぷり、ビタミンたっぷりです。
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 「美味しいか?」って言われても、「この辺のミカンは美味しいよ」としか言えません。
 畑のある地域、斜面の向き、長年培った土の質…色んな要素で随分味が違います。
 直売しているのが、南牟婁と熊野で50軒やそこいらはあると思いますから、さっぱり分かりません。
 通るたびに、順番に買って食べてみて探すのが一番だと思います。
 秋の熊野古道を年に二回歩きに来て、一回に二軒分買って帰るとすると、一回りするのに10年はかかるでしょう。
 その間中、味と場所を覚えていないと「美食家」とは言えませんね。
 「美味しんぼう」なんてのは、伝聞の能書きばかりで、とても全部食べつくしての話ではないようですからね。
 私などはあまりミカンは買わなくて、適当にもらったのを食べるので、、何処のが美味しいのか良く分かりませんが、味が随分違うのだけは確かです。
 それに、その年の天候で大きく変わるし…

 今年のミカンは、全般に小粒ですが美味しいようです。
 ただ、街中でこの辺りのミカンを見かけることは少ないと思います。
 ブランド化できませんでしたからね。
 「お取り寄せ」が一番確実でしょうね。
 そのお店の推薦も難しいですが…

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by je2luz | 2010-10-24 11:15 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2010年 10月 23日

熊野の旅 熊野でも耐えられないでしょう

 奄美大島は想像を絶する豪雨が降ったようです。
 時間雨量100mmほどでも時間が短ければ・・・30分なら50mmしか降らないのですが、これが長く続くと大変です。
 水がはけてゆかない上に続きが振りますからね。
 奄美も紀伊半島同様、後ろが山で川はすぐに海の注いでいるはずです。
 平野をのたのたと流れる川ではないのにあふれてしまうのですからね。
 
 台風の3日間で700mmなんてのはありますが、それをほぼ一日にちじめられたら…
 紀州でも持ちませんね。
 近年、この辺でも豪雨の被害があまりなかった尾鷲市内などでも浸水騒ぎが起きてきています。
 「日本一」と言われるほど雨の多いところでは、危ないところには人は住んで居無いのですけどね。
 これからは増える一方でしょう。

 温暖化がはっきり目に見えてきているのですが、世界中、真剣には取り組みませんね。
 「経済優先」もあるでしょう。例え、先での損失が今の利益より大きくても当期利益さえ出れば…ですからね。
 個人のレベルでは、「自分が努力したって」と言うのが結構多いようです。確かに、小さな数字でもやら無いと始まらないのですけどね。
 わが日本国となると、前の総理は「25%削減」などとぶち上げましたが、現実には「ガソリン焚け」「電気を使いなさい」の政策に国費をつぎ込んでいます。経団連の偉い人などの会社が儲かるようにね。

 我が家の庭はジャングル状態です。
 べつに二酸化炭素を吸収させようというのでは無いですけどね。
 こいつを刈り取ってごみに出すと、吸収した炭酸ガスがほとんど全部空中に戻されます。
 堆肥にすると、少し遅れての循環になりますが、その過程では余計に悪いメタンガスが出るし…
 「炭」にしてどこかに保管するしか本当の二酸化炭素吸着固定は出来ませんね。
 以前から言っているのですが、「入鹿鉱山」の置くから順番に隅を詰め込んだら・・・随分の炭酸ガスの固定になるでしょうね。

 紀州や奄美が耐えられない雨がもうすぐ都会を襲います。
 ちょいと山が遠いので少しだけ事情が変わるでしょうけど、大きな川の出口は全部大都会ですよね。
 そんな時代でも、日本の中ではやっぱり雨に強い場所のトップの方に残るのが熊野かもしれません。
 「神々」がお守りしてくれているはずですから…
 でも、10月はやばいかもしれません。
 「山ノ神」以外は留守なのだそうですからね。
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by je2luz | 2010-10-23 10:56 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2010年 10月 22日

熊野の旅 山と海の境 風伝峠

 先日、朝そこそこ早く紀和町に向かったとき、風伝峠を越えて下ってくる朝霧を見ました。
 この日のは駆け下りるタイプではなくゆっくりと下っていました。
 峠の向こうの紀和町側が冷え込んで海の側の御浜町側との温度差が大きい時、そして紀和町側に霧が一杯出来るほど風の無い日に見られる光景です。
 秋から冬にかけて見られるのですが、日が昇って気温が少し上がった時に出るのですから、朝のうちと言うことですね。

 観光客の方ですと、朝一番に風伝峠越えに向かうときに、運が良ければ出会えるでしょう。
 早すぎると、風伝峠も、越えた向こう側の丸山地区もすっぽり霧の中ですね。遭難するような峠でも無いですし、1里ほどしか無いですがが、まさに「五里霧中」ってことで、ムードはあっても景色はさっぱり…でしょうね。

 同じように山一舞で海と山間が背中合わせのところは、大泊と飛鳥町の小阪峠、新鹿町と飛鳥町の八丁坂などがあるのですが、こちらではこんな風に霧が山を越えてあふれ出るってのが無いですね。
 柳川の飛鳥町小阪は秋の終わりから冬にかけては朝霧が発生して、丹が登っている時間でも夜が明けないくらいなのですけどね。
 日本海側では、ものすごい勢いで走る霧が海まで届くところがあるようですけどね。
 もっとも、気象条件に左右されすぎるし観光資源にはなりにくいですね。
 それに、決して暮らしよい機構では無いですしね。
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 この朝霧や朝露が良質な杉を育て、美味しい高菜を作ってくれるのですけど、暮らすにはもう一つですね。
 何しろ、冬になると8時になっても、下手すると9時になっても霧の中で朝が来ない…
 お天道様の当たらない冬の朝は寒いです。
 そして、霧の出ない日は、ものすごい冷え込みで気温は格段に下がります。
 子供の頃でも寒かったのですから、この年になってからだと身にこたえるでしょうね。
 私は今では海の側に住んでいますから・・・
 10月の末になってから大根を蒔いても大丈夫だし、エンドウの苗は休みなく延び続けて正月頃には花を付ける熊野市のハワイ暮らしです。
 一山越えると、熊野市のチベットになりますからね。
 理想は、ロシアの女帝「エカテリーナ」のように「夏の宮殿」「冬の宮殿」を海と山に作ることでしょうね。
 今なら一流企業や公務員の退職者なら、この辺で両方を買うことが出来ますよ。
 とても、宮殿とはいえないものですけど、夏の宮殿は庭付き畑付き田圃付き一戸建てですよ。
 なんならお墓も付きますけどいかがですか?
 熊野市は歓迎してくれます。
 少々、国民健康保険税が高めですけどね。

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by je2luz | 2010-10-22 09:57 | 熊野 | Trackback | Comments(0)