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LUZの熊野古道案内

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2009年 11月 30日

熊野の旅 ざるの目はふさがったかな? 囲碁教室

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 昨日は写真のような「囲碁」の大会がありました。
 かなり大々的で、女流のプロも指導と講演に来ていたようです。
 「碁」の下手なのを「ざる」と言い、将棋は「べぼ」といいますね。
 でも、プロの呼び方は、「棋士」で良いんでしょうかね?

 会場は指導教室は新築の「文化交流センター」で行われ、普通の対局は木本小学校講堂という分散型で行われました。
 木本小学校講堂の正面には市民会館があるのですが、適当な中ホールが無いということで分散したのでしょうね。
 想像以上に参加者も多いけど、主催者側で動員した下働きのスタッフの多さにも驚きました。
 「部員か交流センター」の前には物産販売のテントまで出ていました。
 一大イベントとして開催したようです。
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 対局場の方では年配の方を中心に大勢の人が「碁」を打っておられました。
 熊野には民間の「碁会所」がずっとあります。
 どれくらいの人が通っているのかわかりませんが、「碁会所」があるということは、それなりの「碁愛好家」が居るということでしょうね。
 
 熊野は碁石の「黒石」の産地です。
 例の『那智黒石』・・・『熊野黒石』です。
 碁石は『白』と『黒』セットで売られます。
 黒は「那智黒」、白は「貝」です。
 那智黒は碁石程度の消費量に対しほぼ無尽蔵です。しかし、白の原料の「貝殻」で肉厚と色を兼ね備えたものはそんなに多くないようです。
 高級品になる方が色もよく厚みがましてきます。
 黒の方は厚みを増すのも容易ですが、貝の方ではなかなかそうも行かないようです。
 だからでしょうか、那智黒石屋さんは、「碁石をセットで売っても値段のほとんどが白石だよ…」と、言いますね。
 おまけに減る物でもなし…買換え需要も少ないようです。
 『硯』もかつては「那智黒」がかなり売れていたのですが、今では中国産に駆逐されています。『碁石』はどうなのでしょうね。
 「碁」は中国にもありますしね。
 結構手間のかかる碁石作りですから、中国との競合は苦しいでしょうね。
 宣伝して売れるというものではないでしょうしね。

 そうそう、『那智黒石』や『御浜小石』を扱う老舗の岡室さんの所の店の名前は『岡室碁石』だったと思います。
 この店が出来た頃にはやっぱり主力だったのでしょうかね。
 日本橋室町の百貨店の三重県物産展に一緒に出かけましたが、一週間展示しても…
 那智黒石の置物は売れたことがありますが、碁石の方はああした場所で売れるものではないようです。

 神川町では黒石用に那智黒石の板を丸く打ち抜いてどんどん磨いていたものなのですが、今はどうなっているのやら…
 神川に出かけることがあれば覗いてきます。
 熊野の物産といえば必ず入ってくるものですからね。

 カメラはソニーα350+シグマ24mm


熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2009-11-30 12:10 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 11月 29日

熊野の旅 見晴らし満点 環境良し

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 この緑に囲まれ、海を見渡す施設は、「三重県立熊野少年自然の家」です。
 管轄は多分、教育委員会なのかと思います。
 館長?は学校の先生が就任していましたからね。
 天下りではなく、出向みたいな感じですから教育委員会の所轄ですね。

 この施設、宿泊施設で、主に小中学生の林間学校などに使われています。
 地元の学校に行った子供の多くはここに泊まって、カレーライスなどを食べた記憶があるのではないでしょうか?
 教育施設ですから、夜には星を観測したり…
 ここにはきちんと「天文台」らしい「ドーム」が作られています。
 覗かせてもらった事はありませんが、多分、まともな天体望遠鏡は設置されているのだと思います。

 見てのとおり、下り尾根の途中にあり、見晴らしもよく、緑もたっぷりで環境は抜群です。
 これのある場所は、熊野市金山町の一番上です。
 歩いてゆけるところには飲み屋さんなんてありません。もちろん、ゲームセンターなどはあるわけもなし…
 子供が夜中に抜け出す心配もありません。
 下手に谷中に外をうろつけば、鹿やいのししに出会いかねません。
 大体出たがらないと思います。

 こうした学校行事の入っていないときには一般の人も泊まれます。
 ふらりと立ち寄って、「今晩空いてますか?」と。いうわけには行かないのがこういうところです。
 下にここのHPのURLを載せておきますが、きちんと、申請書を出して、許可をもらってからおいでください。
 営利ではないので仕方ないのでしょうね。
 それを我慢すれば安いですよ。
 ユースホステル式の料金形態で、「素泊まり・630円」「リネン料・初日215円・二日目55円)で泊まれます。あいりん地区のホテルより安そうです。
 食事の中身は不明ですが、予約すれば作ってもらえます。

 熊野古道歩きの足場としてはこれ以上安いところは無いと思います。
 若い女の子なら我が家にただで止めてもよろしいですが…それ以外にこんな安いところは無いと思います。
 ここからは、熊野三山のお山や、太地・梶取岬にかけての熊野灘も一望できます。
 林間コースの遊歩道も整備されています。
 まあ、詳しくはHPで調べてください。
 『熊野倶楽部』よりは見晴らしは良いですが、ちょいと山奥って感じですが、車なら国道を分かれてからの所要に間は5分ほどしか違わないと思います。
 この写真、よく見ると右端に低い方の山に白い点のような建物がありますが、そこが「金山パイロット蜜柑園」「里創人・熊野倶楽部」です。

 三重県立熊野少年自然の家のホームページ
  http://www.pref.mie.jp/KUMASYO/HP/index.htm

 普通のユースホステルもありますから、そちらも、又、紹介します。
 それは『熊野市立』でもっと便利なところにあります。

 カメラはソニーα350+シグマ10-20ズーム


熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2009-11-29 12:07 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 11月 28日

熊野の旅 リゾート法 夢?の跡 金山パイロット

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 建設中のこの巨大な木造建築物は、「熊野市立金山保育所」です。
 かの「里創人・熊野倶楽部」と同じく、かつての農林省ご推薦の「金山パイロット蜜柑園」の中にあります。
 「里創人・熊野倶楽部」は上の写真の左の方の電信柱の後ろの山の稜線にあります。ワイドレンズですから遠くに見えますが、手を振れば見えるところです。
 金山地区は熊野市でただ一箇所人口が減らないで済んでいるところです。
 中心部が廃墟になり、昭和30年代、40年代に開発した駅裏一帯も埋まっていないのに、公が宅地分譲をしてまで、人を移動させているからです。
 だから、今ある保育所を建て替えて、大きくしているのです。
 まあ、木造で建てているだけましな方でしょう。
 少々、風のあたりがよろしい場所ですが、眺めはそこそこよいところです。
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 上の建物は「熊野市立金山小学校」です。
 この建物を建てたときには、まだ、『リゾート法』は生き残っていました。
 そして、「里創人・熊野倶楽部」の場所には「フルーツフラワーパーク」だとか「スポーツ交流施設」だとかを作る青写真がかかれました。
 そして、この辺一帯は「ゴルフ場」の絵図面ができていました。
 もちろん、18ホールの山岳コース?です。
 そのころには、日本中でゴルフ場過剰が始まり、「会員権詐欺」といわれるような破綻例や建設途中での投げ出しがおき始めていました。
 飛行機で日本の上を飛ぶと、ゴルフ場だらけ…という時で、熊野のように名古屋から220Km、大阪から180Km…コースはぎりぎり18ホール、傾斜はきつい、雨が多い、夏は暑い…遠いは、狭いは…のところに客も来るはずもなし、会員権も売れるはずも無し…しからば、『パブリック』で…
 「発電」でスタートして、それがだめなら「農業用水・多目的」に変え、それも駄目なら「治水ダム」に変えてでも作ろうという、作るのが目的の公共事業の発想と同じだったのです。
 違ったのは、運営するのは「お役所・外郭団体」ではなく、「民間企業」ということです。
 おかげさまで、建設途中で投げ出すようなことになる前に、数千万円の設計書だけの被害で済みました。

 そのゴルフ場のあおりでこの小学校の敷地は狭くて変形しています。
 ゴルフ場も青写真しかないのですし、ここは「金山パイロット蜜柑園」で好きなだけ切り取って使えるのに…
 写真でもわかるように、校舎の後ろもぎりぎりまで荒地が迫っています。
 「あと20mで良いから、後ろまで削って、校舎管理用の通路を確保して校舎も少し後ろに下げて敷地を整えてくれ…」と、要求したのですが、声を出したのは私一人…リゾート法に遠慮したのか地元からも声がなし…
 で、こうなったのです。もう直せません。
 予想通り、ゴルフ場は出来ず終いでした。
 学校よりリゾート…なんですねえ…
 そして、誰も乗ってこない企画を復活させ、全部お役所で作ったのが「熊野倶楽部」なんです。
 役人の執念ってすごいですね。
 違う方向に向かってくれれば…

 そして、学校にでも使えなかった蜜柑園に、下の写真のような宅地分譲が…
 都会の均衡ではなく、熊野市の郊外ですよ。
 このすぐそばにも、旧・金山小学校跡地を使った分譲地もあります。
 すでに戸数が一万まで減っている熊野市で、その1%も引越しさせるんですからね。
 ダムに沈むわけでも無し…
 ???
 うんと先を読み、地球温暖化・海面上昇。日本列島沈没に備えたのかもしれません。
 地盤は悪くないし、海抜数十メートル…
 台風対策さえしておけば日当たりはよいし、風通しもよいです。
 坂の上ですが老後の生活にもよいかもしれませんよ。
 まだまだ空き地だらけですから、造成分譲するのかもしれません。
 廃墟化した市街地の土地は売れる見込みはないですけどね。
 民業圧迫…でも、看板は「地域活性化」でしょうね。

 カメラはソニーα350+シグマ10-20ズーム


熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2009-11-28 12:14 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 11月 27日

熊野の旅 断崖絶壁 大丹倉

 断崖絶壁というと、「大峰山」のものが写真に使われます。
 どう言う訳か、断崖絶壁は人間をひきつけるらしく、昔は修行の場として、近代では観光地として有名になることが多いです。
 このあたりの山は、険しいといってもきれいに植林がされる程度の山がほとんどで、「断崖絶壁」なんてあまりないのです。
 岩がむき出しで切り立って見えるのは滝のあるところがほとんどですからね。

 そんな地形のところで、育生町に抜ける「県道・御浜北山線」の途中には、見事な断崖があります。
 谷沿いの中腹を走る道路から見上げると、見るものを押しつぶすような巨大な岩山がそびえています。
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 これは道路脇にちょこっと作られた、展望所からの眺めです。
 「大丹倉・おおにくら」と呼ばれる岩山です。
 この姿が見られるのはこのあたりからだけです。
 この写真で35mmカメラ換算で20mmくらいのワイドで撮っています。
 こんな風にそびえていますから、ワイドでないと収まりが悪いほどなのです。
 谷底から300mほどあるようです。
 やっぱりここも、昔は山伏の修行の場所だったようです。
 大峰山でもやるように、こんな崖の上から上半身をせり出さされて、「もう悪いことはしないか!」などといわれたら…誰だって、「もうしません!」と叫ぶに決まっています。
 私は山伏なんかになりたくないです。

 この裏手の山の上には「丹倉」といわれる集落があって、かつては大きな田んぼもあったそうです。
 道路が上がっていて、車で行けます。駐車場から10分ほどでこの岩の上に行けるようです。
 この「大丹倉」は熊野の観光ガイドには必ず出てくるところです。
 どちらかというと、高いところが嫌いですし、歩くのも嫌いですから行ったことはありません。

 「丹倉」の「丹」は赤い・・・「倉」は岩山・崖・・・ということです。
 このすぐ下流には、「赤倉」というところがあります。
 同じ語源ですね。
 現に、赤い岩があり、「大森神社」のそばを流れる「尾川川」の石には、にはこの岩山から出た、「赤い石」も混じっています。
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 なるほど、真っ赤です。
 「丹」といわれるだけのことはあります。
 「丹」には水銀という意味もあるのですけどね。
 最近は少なくなりましたが、七里御浜の砂利の中にもこの「赤い石」が混じっています。
 ここから、紀伊山地の中をうろうろとさまよって、新宮の河口まで運ばれ、さらに長年波にもまれながら木の本まで流れ着くのです。

 この「大丹倉」は育生の集落からも見えていますが、断崖の部分が見えず、おとなしい「こぶ」しか見えないので、「大丹倉」を見るのはこの道中の県道からが一番でしょう。
 上に出れば紀伊山地、果無山脈が見渡せて広大な景色だと思うのですが、そのような景色は、育生町の「粉所」といわれる集落に行けば簡単に見られます。
 その集落はここの並びになるので、ものすごく開けた、壮大な山並みの景色が見られます。
 そこは時々テレビに出てくるのですが、景色ではなく、台風のときの避難風景としてじいちゃん・ばあちゃん達が出てきます。
 景色がよい分風当たりが強いし、「超」が付くほど老齢化が進んでいますから、台風時には早々と集会所に自主避難しますからね。

 広大な景色、山並みの遠望・・・肉眼にはすばらしいのですが、写真にはもうひとつです。
 紀伊山地はもの目立つような独立峰もなく、緑の山々が果てしなく重なり合ってつながるものですからね。
 でも、すばらしい眺めですよ。
 もし、車で育生町に入ったなら、中学校のところを右に曲がって、「粉所」まで登ってみて下さい。7分くらいです。
 道は狭いですが、きちんと舗装されています。
 取り立てて展望台も作っていないはずですが、集落のどこからでも景色は見られます。
 ただ、私有地ばかりですからね。畑を踏まないようにしてくださいね。

 カメラはソニーα350+シグマ10-20ズーム


熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2009-11-27 11:10 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 11月 26日

熊野の旅 交通の難所 札立峠

 育生町へ向かうにはいくつかのルートがあります。
 山の中の割りに、ルートの多いところです。
 そして。育生と言うところは、「空が広い」のです。
 一番最初の駐車場の銀杏木のある景色のように、山が低く、遠くに見えるところなのです。
 でも、海との間には険しい山があるので私たち海辺の住民から見ると、ものすごく山の中に感じます。
 熊野の中心部から育生町に向かうルートで道路として一番順当とされるのが、「県道・御浜北山船」とか言われる、通称、「札立峠越え」です。
 海岸を走る国道42号線を分かれてからは、ひたすら山をよじ登り、峠まで登ったら、今度は転がり落ちるように下り続ける道です。
 今は全面舗装なので路面だけはいいのですが、絶対に居眠り運転の恐れは無いと言う道です。

 海側と山側の気温の差からでしょうか、霧がよくかかる山道です。
 それに、見事に植林された山に包まれているし、峠を越すと北斜面になるので日当たりの悪いところが多いです。
 山側の切取り部分や橋の欄干などはコンクリートで作られた物ですが、見事に苔むしています。
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 この写真よりもっと見事な緑の壁が雨上がりの太陽に照らされて光っている場所もありました。
 無精者なので車を止めませんでしたが、あっちにもこっちもこんなのばかりです。
 札立峠越えが完成して半世紀ほどだと思いますが、まるで「遺跡」みたいに苔むした道です。

 熊野古道の石畳も人が踏まなければ、こうなってきます。
 下手に乗ればすってんころりん…ですね。

 この「県道・御浜北山線」はアマチュア無線家の方なら、結構遠くの人も走ったことがあるのです。
 今はトンネルになっていますが、古い峠のすぐ上にはテレビなどの中継所のある「長尾山」があるからです。
 高い山に阻まれ、テレビの電波もマイクロウェーブも飛んで来れない紀伊半島の南部、熊野市ではアマチュア無線の電波もVHF以上になると外に飛んでゆきません。高い山の上でだけ外部との接触が出来るのです。
 だから、熊野市と交信することが難しく、車で登れて外とも交信のできる場所を探して、この道を登ったのです。
 私も以前は年に何度も「長尾山」には上っていましたし、今でも息子は帰省するとこの長尾山に登ることが多いです。
 しかし、峠までは走っても、それから先の、育生町には足を踏み入れる事は少ないですね。

 この道中、海側の斜面には、摩訶不思議な講演があります。
 場所は南牟婁郡御浜町神木ですが、作ったのも管理しているのも熊野市という、『ふれあいの森』です。
 県道との分かれ目には分かりにくいですが看板もあります。峠のすぐ手前です。
 駐車場には公衆便所も作られ、展望台もあります。
 本体は、その駐車場から急な階段を下りた辺り一帯です。
 森林公園ですが、もう四半世紀を越す物でしょうね。
 いかんせん不便ですし、田舎の人にとってはわざわざそんなところまで行かなくても、すぐ傍から全部山なんですからね。
 でも、放棄しないで管理していますよ。
 褒めてよいのかどうかは分かりませんけどね。
 多分、旧農林省の補助事業でしょう。
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 一度しか下に下りたことが無いので全く記憶にありませんが、都会の人にならいいところかもしれません。
 この沿線、唯一つの公衆トイレですから、もし、この道に入られるなら覚えておいてもいいでしょうね。
 下まで降りれば殆んど誰も来ません。駐車場でも人に遭う頃は無いですけどね…
 かつて、ここの事を、『ふれあいの森』ではなく『さわりあいの森』と呼んだこともある位です。
 「それでもいいんじゃない?…人口増になるんなら…」なんて、ブラックユーモアまであったのですがね。
 「ぜひ行ってみてください…」と、言うほどの物ではないですが、通りかかったら寄ってみて下さい。

 カメラはソニーα350+シグマ10-20ズーム


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by je2luz | 2009-11-26 11:19 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 11月 25日

熊野の旅 育生町 大森神社 どぶろく祭り 2

 熊野市の祭りの中では二木島町の「舟こぎ祭り」と並んで特徴のあるお祭りとして観光ガイドブックにも顔を出す、この育生町の「どぶろく祭り」は良く考えると。『左党』でないとこれと言って何も無いお祭りなんですよね。
 神事とか取り立てて変わったものではないし…
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 主役の『どぶろく』が登場する前に、脇役の『おつまみ』が準備でおおわらわです。
 他の祭りと違い、集まってくる人の目的が「お口に入るもの」なんですから良く売れます。
 神事は11時前から行われていますが、祭り本番は12時ごろからの「どぶろく」の振る舞いが始まってからです。
 もっとも、その前からテント掛けで用意された生ビールを飲んで宴会状態のグループもありましたけどね。
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 お昼ごはん時にもなるので、お弁当の類もたくさん並んでいて、食べる物には不自由しないお祭りです。
 お隣の上北山?から『ゐざさ寿司』も来ていました。
 地元・育生町の婦人会などが中心になって、寿司にお餅におでんなどずらりと並んでいます。
 小ぶりのサツマイモが袋にどっさり入って500円なんてのも売れていましたね。
 表には出ない形で、「猟友会」が「鹿さし」「鹿のたたき」も食べさせていました。
 山のど真ん中…鹿やイノシシに泣かされているところですから、猟の本場でもあります。
 ここも若い猟師がいなくなってきて、本格的に鹿や猪を追いかけるグループも減ったようです。
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 以前は焼き物の湯飲み茶碗もあったようですが、今年は専用の紙コップを買えば、後は「飲み放題」と言う『酒飲み天国』のお祭りです。
 神事が終わってすぐに「拝殿」に行けば、お下がりの「お神酒」がいただけます。
 こちらはもちろん無料です。
 でも、「お下がり」を戴くのですから、「初穂料」とまでは行かなくてもお賽銭くらいは…
 ???
 お祭りなので片付けてあったのかな?
 賽銭箱には気が付きませんでしたよ。
 「どぶろく」は戴きませんでしたが、『ネタ』を戴いてきたのに、お賽銭も供えないで来ました。

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熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2009-11-25 10:06 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
2009年 11月 24日

熊野の旅 育生町 大森神社 どぶろく祭り 1

 今でこそ、地ビールだワインだとあちこちで酒が仕込まれますが、日本では酒を製造する事は難しかったのです。
 醗酵文化といわれるほど、発酵食品の多い日本ですが、こと「酒」に関しては、『アルコール専売』と言う税収を目的とした規制の網がきっちりかぶっているからです。
 戦後の物資が乏しい頃には、闇で酒を造ろうという人間も多かったので、警察の方も目の色を変えて摘発に走り回っていたのです。
 今のように、「酒かす」をお湯で溶いた「甘酒」ではなく、きちんと「麹」を使った甘酒を仕込む家も結構あったのですが、こいつを少し置くと「どぶろく」のようにアルコール度がどんどん上がってしまいます。
 「甘酒」は良いけど「どぶろく」は作ってはいけないのです。

 こんな厳しい、「酒製造」の規制でも、『伝統』と言うものの力で、「どぶろく」の醸造を認められてきたところがほんの少しあります。
 その一つが、熊野市育生町の『大森神社』です。
 何しろ、建保元年(1213)…鎌倉時代から伝わっているとされる物ですから、国のほうもやめさせられなかったようです。

 『大森神社』はそんなに大きな神社ではありません。
 「尾川川」のほとりに鎮座するこじんまりした宮様です。
 育生に入るとここの森はあちこちから見えてはいるのですが、周囲の山々に溶け込んでしまい、見落とすくらいの物です。
 境内には杉の古木もあるのですが、神域は割合と樹齢の若い木が多いのです。
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 前夜の雨が止み、日が差し始め、地面からは水蒸気が立ち上り、写真には上手く写りませんでしたは「光芒」が走る中々の風情でした。
 お祭り当日、神事が始まる時間だと言うのに、参道はこんな感じです。
 人口も激減しているので、地元の人で神社が埋まる事はなくなってきたのでしょう。
 一寸離れたところに大きな駐車場が用意されていますが、「祭りは今日のはずだけど…」と、思うほどしか車がありませんでした。
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 800年も続くお祭りが伝わる神社ですが、「社」は小さく「祠」のような物です。
 広めに作られた石垣に囲まれた神域の中に設えられた祠は精巧な「春日造り」のものです。
 両脇には「稲荷さん」と「阿須賀神社」の小さなものが祀られています。
 そちらは見落とす程度のものですけどね。
 この神社も尾川・長井。粉所の氏神様。鎮守様だそうです。
 祭神は天児屋命(アメノコヤネノミコト)とか…天照大神ではないようです。

 歴史も謂れもある神社とお祭りですが、参拝客?の目当ては、神事が終わってお昼頃から始まる「どぶろく」の振る舞いと出店にあるようで、神事の行われている時間には人もまばらで、来ている人も杉木立で日が当たらない境内には入らず、イベント会場のほうでくつろいで待っていました。
 もっとも、やってくるのは「氏子」ではなく、物見遊山の人なんですから、当たり前なのでしょうね。
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 駐車場から「大森神社」へ向かう道筋は、ぽつぽつと神社の幟もあるのですが、近付くとこんな看板が並んでいます。
 今の時代ですし、地域外の客が殆んどになってきているし、札立越え、一の水越え、神川経由、西山経由…どの道を来ても山道でちょいと運転を間違えれば転落する道中です。
 昔のように、酔っ払って帰ってもせいぜい田んぼに落ちる程度と言う地元の人とは違いますし、ご時世ですから、「飲ませた方」にも責任がありますからね。
 しかし、『どぶろく祭り』の道すがら、この看板を見るのもねえ…
 飲む気の無い私から見れば、漫画チックに見えますけど…

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by je2luz | 2009-11-24 11:20 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 11月 23日

熊野の旅 行ってきました 育生どぶろく祭り

 昨夜の雨も上がり、今日は上天気…
 一山越えて育生町まで足を伸ばし、「大森神社どぶろく祭り」に行ってきました。
 生地は明日から書きますが、育生はすっかり秋でした。
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by je2luz | 2009-11-23 14:11 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 11月 22日

熊野の旅 本当においしい干物は…

 南紀の味で一番誇れるのは、最近開発されているような「今風郷土料理」ではなく、「丸干し」のような庶民の味でしょうね。
 どんな風に体裁を整えても料理屋さんなどで格好つけにくい代物ですけどね。
 テレビなどで見ると、『アジの丸干し』などでも、ものすごく大きな物を写しますね。
 あの方が見掛けが良くて「アジ」が『鯵』に見えますからね。
 おまけに、東京の人は小田原などの大降りの「鯵の開き」の方になじみがありますからね。
 でも、丸干しはあまりでかいと美味しくないのです。
 あまり小さいと、塩味ばかりになりがちなので、『丁度良い』のが美味しいのです。
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 そして、やっぱり美味しいのは「自然乾燥」、「天日干し」です。
 上の写真は紀伊長島の町中の小さな魚屋さんの店先で見かけたものです。
 道の反対側にもすこしだけ干してありました。
 自分ちで売れる分だけ干しているのでしょう。
 明日から明後日が食べごろででしょうね。
 表面に少ししわがより始める頃が食べごろです。
 あまり生だと、骨ごと食べる時に、骨と身が一体化していません。
 乾きすぎると、尻尾のほうが硬くなりすぎる感じです。
 つまり、干物には食べごろの時期があるのです。

 昔は海沿いの田舎の町にはこうした「魚屋」さんがたくさんあったものです。
 そして、それぞれのお店でこんな風に一寸ずつ干物を干していました。
 店によって塩加減が違うので、それぞれ贔屓の魚屋があったのです。
 スーパーで買い物するように生活習慣が変わってしまい、町中の「魚屋」「八百屋」などが姿を消して行き、こんな風な風景も少なくなりました。
 流通形態も変化したので、干物は「塩干魚加工業者」『干物屋』が作る物となっていますからね。

 日本の社会から「ハエ」は随分減りました。
 でも、天日干しをすれば、これを完全に止める事は不可能ですね。
 昔は、一杯よってくる「ハエ」を持て余す魚屋さんなどの店先では、「ハエとり紙」とか「ハエとりリボン」が必ずあったものです。ハエとりリボンをモーターで廻す機械なんて物までありましたからね。
 今はそんな風景も無いですが、ハエから開放されているわけでもないですね。
 それでも、衛生状態がすごく良い「人工乾燥」の丸干しよりは、少々疑問があっても「天日干し」の方が美味しいです。
 仕上がったときの色は、「人工乾燥」の方が、アジでもサンマでも青々して綺麗な物が多いです。
 天候にも左右されないし、紫外線による変色も起きませんからね。
 ただ…人工乾燥の機械も、昔と違って、生暖かい風で乾燥させるのではなく、冷たい風で乾かす機械に変わっているので味は良くなっています。

 生乾きの丸干しが手に入ったときは、シッポに紐を掛けて窓辺につるして乾かすか、冷蔵庫にラップを掛けずに入れて乾かすかします。
 これも、「天日干し」と「人工乾燥」の家庭版です。
 干しあがったら、冷凍庫に入れれば長く食べられますよ。
 家庭で作った冷凍食品は、半月とかで食べてください…なんて言う向きもありますが、部屋の中に転がしても長く置ける丸干しなんですから、停電でべちょべちょにならない限り、半年でも大丈夫なようですよ。

 そうそう、尻尾に紐を掛ける時は、本場流に二匹一緒にして自重うで締まってゆく方式が一番です。
 一匹ずつにしてぶら下げて置くと、乾燥してきてシッポと身が痩せてくるとすっぽり抜け落ちてしまいます。
 それから、鯵でも秋刀魚でも脂のあるやつは口からポタポタと落ちてきますから、下には新聞紙でも敷いておかないといけませんね。
 干す場所は日向で結構です。いや・・・日向のj方が良いですね。
 普通の食品は日のあたる窓際なんか避けるんですけどね。


カメラはソニーα350+シグマ10-20ズーム


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by je2luz | 2009-11-22 12:41 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 11月 21日

熊野の旅 冬近し 熊野の海と山

 南の国、牟婁の地にも冬はやってきつつあります。
 北国ほど厳しい冬になるわけではないのですが、南の人間にとってはちゃんと寒く感じるのです。
 綺麗な紅葉が無いままで何となく茶色っぽくなってゆく山々ですが、ところどころには黄色や赤の模様が入ります。
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 海のほうでは、夜になるとサンマを捕る「ぼけ・棒受け網」のいさり火が見られます。
 あまり目に触れる事はないのですが、磯の近くでは「刺し網」でイセエビ漁をする船も出ています。
 写真は鬼ヶ城です。
 夜中の海で、磯のすぐ傍で船を操っています。
 ほんの少し油断すれば岩場に叩きつけられる場所で頑張っていました。
 こうした操業をしている船を見ることも殆んどないですし、取れた「イセエビ」にお目にかかることもほとんど無いですね。
 冬の味覚なんですけどね。
 子供の頃の結婚式の折り詰めなどには、必ず「イセエビ」が入っていたものなのですが、最近では海老といっても輸入品の小さな物に化けていますね。
 語彙の少ない英語でも、でかいのと小さいのは分けているようですね。
 「ロブスター」と「シュリンプ」…
 違いますよねえ…

 山のほうでは、明後日23日には熊野の山奥、「育生町」で「どぶろく祭り」があります。
 秋祭りの最後でしょうね。
 他の秋祭りは、刈り入れが終わって、収穫に感謝する祭りですが、この育生町『大森神社』のものは、取れた米で『どぶろく』を仕込んで神様に献上し、みんなで祝うものですから、その分、少し遅くなっているようです。

 一山越えれば行けるのですが、今まで一度もお参りしたことがありません。
 今年はちょっと覗いてこようかな…と、思っています。
 酒飲みじゃないし、車ですから、「どぶろく」を飲むわけには行きませんけどね。
 焼き物の湯飲み茶碗か紙コップを買えば後は飲み放題だそうです。
 天気も明日の日曜日は雨になりそうですが、勤労感謝の日は回復しそうです。
 予定通り出掛けたら、報告します。
 取り立てて予約の必要も無いようですから、今から思い立っても大丈夫ですよ。

カメラはソニーα350+シグマ10-20ズーム


熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2009-11-21 10:51 | 熊野 | Trackback | Comments(4)