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LUZの熊野古道案内

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2009年 10月 31日

熊野の旅 木本の「ひまえ道」について

 一昨日の「裏の粋」を書いたときに、ご質問いただきましたことについて少し書きます。
 木本では本町と平行に走る裏通り、「せこ」のことを『ひまえみち』(一部ではヒマイミチ)と呼んできました。
 今はこの呼び方をする人はほとんどでいなくなっていますが、そのあまり耳慣れない言葉の語源を考えて見ます。

「ひまえみち」
 広辞苑的に言うと、「ひま」は「隙」と言う字もあります。
 そして、「隙屋・ひまや」というのがあります。これは「他屋・たや」と言う物と同じだそうで、女性の月のものを不浄として忌み嫌った時代に「離れ」・「小屋」を作って隔離した所です。
 木本の「ひまえみち」もその「ひまや」から来ていると言う民俗学者の説を見たことがありますし、私もそう思います。
 表通りではなく、裏通りを抜けて、日が暮れてから今とは違う流路を通っていた町外れの「高城川・井戸川」まで身を清めるために通った道だそうです。
 まあ、それだけのために作った道では無いでしょうけどね。
 こんなに奥行きの深い敷地構成ですから。せめて裏に「せこ」位は通さないと逃げ場も無いですからね。

 この「月の物不浄説」に基づいた、隔離は日本中で結構行われたようですが、私が知るところでは、私の育った飛鳥や母親の里の下北山にもあったようです。
 屋敷の外、川の近くに粗末な小屋を立て、月の物の間、女性を隔離したと聞きました。
 本来、女性中心だった日本の社会がいつの間にやら、「女性不浄」にまで変化し、「女人禁制」なんてのが宗教の方でも政治の方でもまかり通るようになっていましたね。

 原始宗教は女性崇拝・女性器崇拝が多いし、日本でも神様の元締めの『天照大神』は女性ですよね。
 ものすごい矛盾なんですけどね。
 神に仕え、神と人間の橋渡しをするのも『巫女』さんなのに。片方ではのけ者にする…
 
 その実、女性には頭が上がらない…女性に惑う神官・高僧も多かったでしょうから、女性を遠ざけようとしたのかもしれませんね。
 姿が見えなければ少しは平常心が保てるでしょうからね。

 下々の方でも、そうした思想が広まってしまって「隙屋・ひまや」なんて物まで作る時代があったのでしょう。
 もっとも、ややこしい亭主から逃れるために「隙屋」に逃げ込んだ女房もいたとも聞きましたね。
 私が物心付いた戦後にはそんなものは無かったです。
 まだ、ナイロンの靴下が出来る前ですが、女性が再び力を取り戻しかけた時代でしたからね。
 市川房枝女史などが活躍した時代になっていましたから…

 と、言うことで…
 木本の『ヒマエミチ』はこうした語源からのものでしょう。
 子供などには説明しにくい物ですね。
 だから由来も伝承されず、木本の人でも知らない人が殆んどだし、意味の説明が憚られる様な呼び名は消えてゆくでしょうね。
 やっぱり、色っぽくも無いし…
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 カメラはコンタフレックスIV+35mm


熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2009-10-31 10:42 | 熊野 | Trackback | Comments(1)
2009年 10月 30日

熊野の旅 冬の入り口

 季節感の乏しい南紀ですが、植物たちはせっせと季節を先取りして変化しています。
 温度の変化に反応したり、日の長さに反応したり、その仕組みは色々みたいですが、毎年同じ頃に同じような変化をしますね。
 昔の俳人などはそれをすばやく見つけ出して、一句ひねって仲間を感心させたりしたようです。
 我が家の庭にも昔ながらの冬の風情が出ているところがありました。
 行き場を失ってボイラー室の前に押し込まれた『南天』と『つわぶき』です。
 『南天』には真っ赤な実がなり、足元では『つわぶき』が真黄色の花を咲かせています。
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 どう言う訳か、冬の物って意外とカラフルなのです。
 この傍では『アロエ』が蕾を伸ばし始めています。
 違うところでは『椿』の蕾が大きくなってきています。
 花畑に向かない物が多いので目立ちませんが、日本の冬って意外と綺麗な物なのですね。
 寒咲き水仙ももうすぐ咲き始めますしね。

 銀杏の木が黄色く染まるのは12月下旬だったと思います。
 秋はそこまで終わらないのかな?
 京都や江戸を基準に季語だとか季節感が語られるので、この辺りとは随分ずれがあります。
 おまけに、私が子供の頃と比べても、冬は暖かくなっているし…
 今は太陽の黒点が異常に少なくて、その影響で少し地球が冷えてくるとか言われていますが、基本的には暖かくなって山間部の霜の景色も減ったようです。

 写真のような組み合わせは、この辺りの日本式の庭には良く見られたものです。
 でも、そんなささやかな『坪ノ内』と呼ばれる中庭もどんどんなくなっているようです。
 
 『つわぶき・石蕗』も若い茎や葉っぱは食べられるのだそうですが、この辺では海岸沿いなど結構生えているのに食べる習慣が無いですね。
 鬼ヶ城の辺りにも自生して一杯花を咲かせていたように思いますけどね。
 いかにも硬そうで食べられそうに無く見えますけどねえ…
 佃煮に化けたりすると、『キャラぶき』などという名前に化けるのだそうです。
 そんなハイカラな名前の食べ物は南紀の海賊・山賊の口には合わなかったのかもしれません。


 カメラはSONY α350+SIGMA ミノルタ80-200ズーム


熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2009-10-30 11:09 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 10月 29日

熊野の旅 裏の粋

 前にも書きましたが、日本の古い町並みは軒先が道に出るくらいまで前一杯に建てられています。
 古い町並みだと、間口も狭く、3間とかせいぜい5間位しかなく、横の壁が隣の壁とくっついている家が殆んどです。
 表向に向いては引き戸の玄関、通りに直接面した部屋の窓は木の格子が嵌っているのが伝統的な民家で、端から端までガラス戸に成っているのがお店屋さんでした。
 そんな古い町並みでは、庭は人に見えない中庭や裏庭です。
 もちろん、格好つけて個性の出せる「塀」や「門」なんて表には作れません。せいぜい、玄関の戸にこったり、格子をいじったり程度です。

 そこで、考え出したのが、裏の「セコ」に面した側のおしゃれです。
 柄行きで競えない男物の着物の時代、ちらりと見える羽織の裏にものすごく請った時代があったのと同じでしょう。
 そんな日本人の『粋』と言うようなおしゃれの流れを汲むような景色が木本の「セコ」にも残っています。
 和風のものだけではなく、近代風、前衛風のものもあります。
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 近所の人以外は殆んど通らない「セコ」なんですが、その町の粋さ加減が見える場所でもあるでしょうね。
 殆んど人目にも付かないのですから。チョイチョイッとブロックでも積んでおけば住む場所なんですけどね。
 古い町にはそんな路地裏が一杯在るはずなんです。
 効率一点張りの貸しビル街ではその粋さ加減も消えていますけどね。
 繁華街の路地裏は表の賑わいの逆でうら悲しさを感じますが、木本の路地裏などは、地味な表通りに比べ、どんな人が住んでいるのかをしのばせるところがあります。
 旅なれた人はそんなところを探して歩き、ガイドブックに無いその町の「素顔」?「寝顔」?を見て回るようです。
 私は割合とそんなところに入り込む癖があるようです。
 表通りを歩けない人生を送ったわけではないのですけどねえ… 



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by je2luz | 2009-10-29 11:04 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
2009年 10月 28日

熊野の旅 木本の名店

 銀座でも新宿でも・・・全国の路地裏にはかつて、「一杯飲み屋」がたくさん在ったものです。
 戦後すぐの物が無かった時代から、「小料理」「スタンド」「酒」などという見出しで、取り立てて気取った店の名前ではなく、苗字や名前のままの店も多かったのです。
 「Bar」というものが増えた時代から、気の効いた店の名前が増え、ネオンが付き、路地裏が怪しげな雰囲気になったのです。
 でも、そうした「Bar」も減ってしまい路地裏が段々寂れていったのです。

 ここ、田舎町『木本町』にもそんな店がたくさん在ったのです。
 私が子供の頃に出来、私がお酒を飲んでも良くなって東京から帰ってきた頃にはまだ残っていたようですが、その手の店に行くには若すぎたので名前だけは聞いたけど入ったことの無い店ばかりでした。

 木本はきちんと碁盤の目のように道の走った古い町です。
 縦横に走る道の間に「セコ」と言われる「路地」がずっと通っています。
 北の端の親地町から始まって南の端の新出町まで、ずっと通っているのに、ブロックごとに少しずつ食い違っているので、探さないとこの先が無いのかと思うこともあるような道です。

 その「セコ」にも何軒かの「飲み屋」があったのです。
 『割烹』『料亭』は大体図体も大きくなるので表通りなり、少し広い道に面しています。
 二人並んでは歩きにくい「せこ」ではそんな店はありません。
 5人入れば一杯とか10人入れば満員と言う店ばかりでした。
 家の近所の路地裏…近所の人しか路地の入り口すら分からない道のグキグキと二回も曲がらなくてはならないところにも「ひさご」なんて店がありましたね。
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 このお店、『すぎむら』もそうした店の一つです。
 私より上の人たちの酒飲みの思い出話に良く出てくるところです。
 場所は「紀南ツアーデザインセンター・旧奥川亭」の斜め前の「せこ」に入った所です。この道もちゃんと抜けられます。
 創業50年は越すのでしょうね。
 代替わりしないで、営業を続けているそうです。
 親父さんは90歳を越されているのではないか…女将さんも80代…とのことです。
 木本の飲み屋の歴史そのもののお店です。
 ネット検索してみたら、地図にも『和風料理店』とかでプロットが打たれていました。
 
 これだけ長くやっていると、お客さんも「じいちゃんの時から三代にわたって飲みに来た」なんてあるのでしょうね。
 この店は誰にも連れて行かれなかったので入った事は無いです。
 でも、子供の頃に祖父なんかの口から「すぎむら」の名前が出たのを覚えています。
 それくらい歴史的価値のある「飲み屋」でもあります。
 「赤提灯」をぶら下げる軒先も無い路地なんですけどね。



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by je2luz | 2009-10-28 11:12 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 10月 27日

熊野の旅 見かけなくなった光景

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 先日の本町通り」熊野古道通りのイベントの光景です。
 「囲碁・将棋教室」です。
 子供に少しでも碁・将棋に親しんでもらおうと、商工会議所の玄関先に縁台を並べて、碁盤・碁石・将棋盤・将棋の駒・指導役の長老を用意していました。
 と、言っても、今の子は特殊な子供以外は「はさみ将棋」すら知らなくなってしまっています。
 まあ、私が子供の頃には遊び道具が殆んど無く、何処の家にもあるのは「将棋版と駒」「トランプ」くらいでしたからね。
 子供専用には、「面子・けん」「ビー球」「縄跳びの縄」などがあるだけで、一人で居ても、ゲームの方が遊んでくれる物など無かったのです。
 この辺りでは「碁」を打つ子供は少なかったですが、「五目並べ」くらいは誰でも出来ましたね。

 落語ではないですが、縁側にいつでも将棋盤など置いてあって、通りすがりの顔なじみと将棋を指しているなんてのが結構見られたものです。
 相手が居なくなると、子供をひっ捕まえて無理やりやらせたり…
 物の無かった時代だと、飴玉一つで子供は相手してくれましたしね。
 夜になると、たくさんの家でへぼ将棋の将棋教室が開かれていたのです。
 「へぼ」が「ガキ」の教えるのですが、それでも親子の時間はあるし、家によって駒の進み方が違うなんてことも無いので、男の子の多くは、へぼでも何でも将棋はさせたものです。
 ややこしい将棋「本将棋」が嫌だと、「はさみ将棋」「将棋崩し」なんてあったし、「伊勢参り・ぐるぐる回り」なんて「金」を4枚さいころ代わりに振ってすごろくのように進み、角に止まれば出世する…歩ー香車ー桂馬ー角ー飛車ー銀ー王でしたかな?
 前に上級の駒が居る時は追い越せない。同じところならおんぶしてもらえる。
 上級の駒に追い越されたら死んで通路の内側で誰かが通り過ぎるまで休んでいる…なんて色んなルールがありました。
 最後は盤の真ん中で止まれば「伊勢参り」完了…なんてことをやっていました。
 この式の遊びは「ローカルルール」だらけでしたね。
 各駒に「成り」を入れると倍の時間遊べますからね。
 振った金も、「表=1」「裏=5」「横立ち=10」「縦立ち=50」「逆立ち」=100なんてレートで足し算していました。
 何とか立てよう・・・なんて頑張りましたが、戦後すぐ頃に出回った安物の駒はまともに将棋の駒の形をしていないのがあって立つ見込みの無いのも在りましたね。
 すごろくと違い、ぐるぐる回るのですから、100が出たってあまり意味が無いのですが、珍しいのが出るだけで嬉しかったのですね。

 なんだかんだで、田舎の家では「縁側」、縁側の無い町場では「縁台」がそうした子供から大人までの遊び場だったわけです。
 通りすがりの人が、黙って覗き込んで自分の用事を忘れるとか…
 こんな光景が全国にあったはずなんですが…



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by je2luz | 2009-10-27 11:04 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 10月 26日

熊野の旅 ここにも過疎・老齢化の影響が…

 昨日、熊野市立木本小学校のバザーがありました。
 毎年なのかどうかは知りませんが、昔もやりました。
 会場は屋内運動場(講堂)、入場は自由です。
 二十年振り位に覗いて来ました。
 その頃の児童数は今の倍近く居たと思います。
 品物の出品は、回覧板で一般の町民にも募っていましたが、こんなのって積極的に協力するのはやはりPTAでしょう。
 そうなると、出品者の数も半減しているのでしょうね。
 福祉の方のバザーなんてのも耳にしたこともあります。
 協力してくれる人の押入れはどんどん空っぽになるでしょう。
 若い人がどんどん減れば結婚式の引き出物なども減ります。
 だいたい、地元での結婚式なんてほとんど無い位ですからね。
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 来場者は開場寸前には並んでいました。
 「行列のできる〇〇店」なんてのが無いところですから、少ないとは言え行列が出来るのは珍しいです。
 でも、この来場者も昔に比べると随分少ないですね。
 そして、会場の中・・・
 出品物もやはり随分少ないです。

 先日、どこかのバザーで大金が箱の中から出てきたとか報道されていますが、箱入りのものなんてのも少なかったですね。
 出品物で姿を消してきたのは、『砂糖』です。
 昔は砂糖が山積みされた物なのです。
 理由は、この辺では葬式の返しに昔は「砂糖」が使われていたのです。
 普通に売っている1Kg入りの袋を3個とか、はすの花など印刷した葬式用の箱に入れて持ち帰ってもらったのです。
 だから、色んな葬式に参る家では、砂糖を持て余していた訳です。そして、こんな時にどかっと出してくれた物です。
 それが、「葬儀屋さん」などが出来てきて、「香典返し」がビール券やお米券、商品券に変わって行ったのです。
 その方が重くないし、ありがたいのですから今では「砂糖」が返される事は無いですね。だから、バザーにも出ません。
 『砂糖は葬式で貰うもの…』と決まっていた常識が、『砂糖は安売りの時に買うもの』に変わったのです。
 結婚式の数や、七五三の数が減っても、今のところ、葬式の数は減っていないはずなのですけどね。

 田舎は、『少子化』ではないのです。
 『少子化』とは『産む子供の数が減って子供が減る』のです。
 田舎では、『子供を生める年齢の女の人が居なくなって子供が出来ない』のです。
 「少子化対策」をやってもほとんど効果が無いわけです。
 よく言う、『もう10年若かったら…』と言う冗談が、田舎では、『もう50年若かったら…』なんてことになります。


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by je2luz | 2009-10-26 11:38 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 10月 25日

熊野の旅 そろそろ新物

 世の中、季節感が乏しくなっています。
 家の中は半世紀前なら考えも付かなかったような、夏はクーラー、冬はヒーターで日本中の家の中が同じ温度です。
 夏が暑く、冬は寒い部屋なんてのは冷暖房を使わない我が家みたいな家だけでしょう。
 野菜もすっかり冷暖房されるのに慣れてしまって年中同じものがありますね。
 温州みかんなども、昔は10月の青切りから2月頃の晩生のものまででしたが、今では7月から3月までですね。
 夏場は汽車の中で売っている「静岡の冷凍みかん」と決まっていたのですが、今では冷凍しないみかんが真夏に売っていますからね。
で、隣は『年中みかんの採れる町・御浜町』です。

 魚も冷凍技術の進歩でそれこそ年中同じ魚が店先に並びます。
 輸送のため…漁獲高の乱高下調節のため…などという名目で、補助金までつぎ込んで各地に作った『冷凍倉庫』がすっかり季節感までなくしてしまいました。
 冷凍できるから乱獲する…と言う傾向もあります。
 そして、ものすごい電気代を払って冷凍保管した魚を加工したり売ったりするので、コストが嵩み、少しくらい高く売っても消えちゃいます。
 地球を暖めながら無駄なことをやっている面もありますね。
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 「熊野名物・サンマの丸干し」でも同様です。
 サンマも獲れるとほとんどが冷凍されます。
 生ものがあがったときは生ものから干物を作ります。
 安いときには大量に干しあげて「干物」を「冷凍」します。
 生物の無いときは冷凍のものを「解凍」して干物を作ります。

 生物、『無塩・ぶえんのサンマ』を丸まま塩をして丸干しを作り、その「丸干し」をそのまま口にする…
 本来の姿は今の時代にはほとんど無いと思ってよい位ですね。
 なにもこれは「サンマの丸干し」だけではなく、「塩ジャケ」「目刺」「小田原・アジの開き」「イカの一夜干」・・・みんなそうなんです。
 生からの加工品で、加工後も生のままとなれば、都会には新鮮な干物などたどり着きませんし、在ったり無かったり、黄色く色が変わっていたり…になるのです。

 熊野では今からが、「サンマ」の季節なのです。
 10月末ではまだ早いのです。
 日本中がサンマを食い飽きた頃、熊野にサンマがやってきます。
 根室沖から始まって、三陸、銚子沖、伊豆沖、遠州灘を経て熊野灘ですから三ヶ月四ヶ月後れて当たり前です。
 可愛そうに、黒潮に逆らって南下するのに疲れてサンマが痩せちゃうのだそうです。
 自転車より早いような黒潮に逆らって、何ヶ月も休み無くジョギングしてくれば痩せますよね。
 一日昼間中泳いでも一晩寝たら元通りのところまで流されますから、泳ぎ続けるしか無いでしょうね。
 おかげさんで、おいしい「サンマの丸干し」と「サンマ寿司」が作れます。
 食通には「サンマのなれ寿司」なんて珍味も作れるのです。

 後ろの山の低いところが『熊野古道。松本峠』です。
 松本峠を降りて、花の窟神社を目指して歩いていると、数軒の魚屋があります。
 普通の魚屋ではなく、干物の加工屋さんです。
 でも、そうしたところでも「丸干し」は売っていますし、直送も扱っています。
 『熊野古道歩き』を終わって、家に帰ったあくる日とかを指定して送ってもらえば、食べごろの干物が届きますよ。
 着いたら食べる分を冷蔵庫に残し、残りは冷凍しておけば長く食べられます。
 本などでは一ヶ月くらいと書いていますが、冷蔵庫の調子が悪くなければ半年でも大丈夫なものです。
 昔は冷蔵庫も無く、軒先につるしたままで半月も一月も置いたのですからね。
 そうすると、カッチンカッチンになり、焼き立てには歯が立つけど冷えたら猫の牙でも噛めなくなりました。
 人間は「勿体無い」ので、お茶でふやかして食べましたが、猫は食べません。
 そんな、カッチンカッチンのサンマの丸干しを『猫またぎ』と呼んだものです。



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by je2luz | 2009-10-25 11:50 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 10月 24日

熊野の旅 田舎を知らない田舎の子

 ふと思ったのですが・・・
 この辺りは、昔も今も「田舎」です。
 人口が1/3も減って都会になるはずはありません。
 でも、住民はなんだか都会化しています。
 特に子供は都会化したようです。

 昔は、田舎の中で更に分かれて、町場の人と山や浜の人を区別していました。
 この辺で唯一つの町だった木本の人たちは、山間部、「飛鳥」とか「五郷」の方を『奥・おく』と呼んでいました。
 まあ、たしかに「奥」なんですけどね。
 ニュアンスは「奥座敷」ではなく「山の奥」ってものでした。
 私などは、「飛鳥」で育ちましたから、木本で住んでいた従妹たちには『奥の子』と言われていましたね。

 その頃の『奥の子』は奥で育つことのメリットも享受していました。
 「町の子」はお金が無かったら、おやつにもありつけませんでしたが、「奥の子」は自力更生…季節に応じたおやつを調達できました。
 昨日書いた「山イチゴ」などもそうですが、柿・栗・ぐみ・木苺・笹竹のたけのこ・ねこじゃらしみたいなやつの未熟な穂・さつきの花・さつきの葉の虫こぶ・ゴンパチ・にんじん・ソラマメ・川魚・・・これらの中には他所の畑の物もありますけどね。
 さらには、ワラビやゼンマイなどを採って小遣いをせしめたり、茶の実と拾って業者に売ったり…色々、遊びながらサバイバル的な知識も身に付けました。
 まあ、木本なんてのは狭くて、すぐ裏が山ですから、生活力のある『ガキ』は山に入ってそれに近いことをしていたようです。
 町では簡単に買い手が付く『メジロ』なんてのを捕って稼いだのも居ますね。
 もちろんその頃も違法だったのですが、何しろ『メジロの鳴き合わせ』とか言う競技が流行っていましたからね。
 さらには木本の子でも要領の良いのは、浜で引かれていた地曳の綱にすがった、ちゃっかりおかずをせしめたりしていましたね。あくる日の飴玉代に化けますからね。

 このようにして、『田舎の子』は『田舎』を知っていると言うか、「身に付けていた」のです。
 大人になって景色を眺めても、単に「景色が懐かしい」のではなく、その景色の中に「子供時代の日常生活」が浮かんでくるのです。
 「あそこの石垣から落ちたなあ…」、「あの家の柿はうまかったけど爺さんが怖くて中々盗れなかったなあ…」 「あの淵には今でもでかいウグイがいるんだろうか…」、こんなときには暗い岩の穴でギラリと光るウグイが浮かんできます、

 でも、今の「田舎の子」は田舎に育っているのに「田舎」を知りませんね。
 「田舎」で遊ばず、都会の子と同じ服を着て同じ遊びをしていますからね。
 言葉も変な風に「標準語化」していますしね。
 この辺の、「にゃあ」「ぎゃあ」と言う猫みたいな語尾もうんと少なくなっています。
 かくして、「田舎の子」のバイタリティも段々無くなっていっているようです。
 「都会の子」ほど要領よく生きるすべは身に付かないようですし…
 なのに、都会に出て暮らすんだし…
 大丈夫でしょうかね?
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by je2luz | 2009-10-24 10:59 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 10月 23日

熊野の旅 秋の山路

 昨日は「熊野古道」ではないのですが「古い道」の「評議道」に行く用事がありました。
 少し登ったところで、先ごろの台風の片づけが済んでいないのか、通行止めの看板が出ていました。
 その近くでこんな物を見つけました。
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 からす瓜…玉章(たまずさ)・ツチウリ・キツネノマクラ・ヤマウリ などとも呼ばれるようですが、この辺りの山では自生しています。
 山を駆けずり回って遊んでいた頃は、秋になるとよく見かけたものですが、そんなことをしなくなっているので、何年ぶり???十何年ぶり???に見かけました。
 いかにも「秋らしい」実です。
 昔は、「しもやけの薬」にしたんだとか…
 いまでは「しもやけ」で手を真っ赤にしている子なんて居ませんね。
 北国に行ったら今でもそんな子がいるのでしょうかね。
 それと、ほっぺたの真っ赤な子…

 「熊野古道・伊勢街道」は海岸沿いや海の見える山が多いですから、本来は色んな植物が見えるはずなのですが、人が行きよい場所だからでしょうか、人工林が多いです。
 人工林になると、こうした色んな植物が自生するには適さない山になります。
 それでも、よく見れば色んな物が生えているものです。
 山の出口の部分などには「あけび」なんてのもたまにはありますね。
 もう少しすると、「山イチゴ」の花が咲いてくるのではないでしょうか?
 下生えの中で普通のイチゴのような白い小さな花を咲かせて…寒い頃に赤い実を成らせます。
 中々まとめて食べるほどは見つけられないのですが、ほんのり、甘味と酸味があって、上品な味ですよ。
 こいつを、水鉄砲のような竹で作った筒に入れて、つぶすとほんの少しだけ「ジュース」だ出来ます。
 それをチュウチュウすったものです。
 物の無かった頃の山の子供のおやつでした。

 そろそろ、山芋の葉っぱが黄色くなってくる頃です。
 この時期が山芋が一番栄養を溜め込んでいる時期です。
 掘るのは大変ですが、山で掘って来る「山芋」は最高なんですよ。
 「とろろ汁」・・・これには「田舎味噌」が良く合うのですが、今では「自家製田舎味噌」を作る家もほとんど無くなったようです。
 たまに「味噌」を作る人が居ても、婦人会などが普及させた白っぽい「今流のインスタント味噌」ですね。
 あれじゃあ、売っている味噌とさほど変わらないでしょう。
 熊野市になった「紀和町」も「山家の嫁」だったかな??と、言うような名前の田舎味噌を売っていますが、昔風ではないですね。
 昔の味噌は醗酵臭が強くて、食べられない人も居ますけどね。
 そうしたものの記憶もどんどん薄れるのでしょうね。
 昭和の最後には消えていたのに、今はその後の平成も21年ですからね。
 『高菜漬け』も緑色の「新漬け」ばかりで、醗酵臭のする琥珀色の「古漬け」は趣味の世界になっています。

 どうなのでしょう?
 元々の紀州・田舎の味・・・くさい漬物にくさい味噌汁、カチカチの塩っ辛いサンマの丸干し…お茶は真っ黒に煤びたヤカンで煮出した番茶をヤカンのままで…これで朝ごはんを出したら…
 『名物』…「有名な」…と、名前が付けば『おいしい!』と言う人文化人も居るでしょう。
 黙って出したら…  『熊野の料理はくさくてまずかった!』と言われるのでしょうね。
 そして、田舎育ちで都会で過ごした「老齢者」の一部が何となく子供の頃を思い出すでしょうね。

 田舎も変わりました。
 山も荒れてきました。
 でも、あちこちに、昔と変わらない季節が見つかります。
 しっかり脇見をしながら歩いてください。


 カメラはSONY α350+SIGMA スーパーワイド 24mm2.8


熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2009-10-23 11:54 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 10月 22日

熊野の旅 円高は進む…不況は続く…

 政府は『観光立国』の方向に動き出したようです。
 日本人の国内観光熱は随分前に冷めていますから、中国などに目を向けたようです。
 京都、奈良などは「日本的」なのでお客さんが増えるでしょう。
 田舎では「九州」が増えそうですね。
 「秋葉原」は昔とは違う意味での集客力もあるでしょう。最早、電化製品を買いあさる時代ではなさそうですけどね、日本ブランドも中国製、マレーシア製ですからね。

 ここにも「秦の徐福」と言うそこそこ有名な人の伝説が在り、新宮にはお墓まであるのですけどねえ…
 徐福は実在の人物で、子孫も残っているようですが、少しはお客さんが増えるでしょうか?
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 外人さんの観光客でもお金持ち風の団体さんとかは中々田舎には回ってきませんね。
 日本人が海外に出かけても、田舎回りはあまり市内の著同じですね。
 限られた日にちの中で、それも団体で見て回るとすれば、その国を代表する物の中で、上から順番に、足場の良いところをいくつかピックアップせざるを得ないでしょう。
 そうなると、足場の悪い田舎の観光地は対象にならないですからね。

 この辺で「外人さん」を見かけるのは、若いザックを背負った人だけですね。
 自分の足で、「日本」を見ようと、長期間の「旅」をしている人たちです。
 これは「観光」としてはお金にはなりませんね。
 こうした若者の中で、「アメリカ人」は「円高」と言うより。「ドル安」で海外をうろつける人が減っているでしょう。
 だから、中国なんでしょうけどね。
 でも、中国ではまだまだ「団体旅行」で無いと、自由には観光もままならないのでしょうね。
 日本だって、「JALパック」が最初に認可されて、本当の渡航自由化はもっと後でしたからね。
 「熱烈歓迎」なんて看板を上げるには少々早すぎるかもしれません。
 「WEICOME」の看板も無いのですからね。

 この静かな「古道通り」の石畳が喧騒で包まれることは無さそうです。
 競歩のように歩く場所でも無いし…
 かといって、寄り道できる店も無いし…

 年末には写真の左手前に写っている建物で、私の写真を展示することになっています。
 『2009 古道通り』とか言ったものの予定ですが、まだ使う写真も決めていません。
 肖像権無視での写真選びになりそうです。
 人間抜きでの行事の写真は無いですからね。
 普段の古道通りはいつもの写真の通りで、実に静かです。
 同じときの写真ではなく十回も二十回も撮っているんですよ。
 ただ、人も車も無いから同じになるんです。
 良いのやら悪いのやら…

 カメラはFUJICA GS645S 


熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2009-10-22 11:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)