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LUZの熊野古道案内

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2009年 09月 30日

熊野の旅 賑やかな防災無線

 熊野市には他の自治体同様、「行政・防災無線放送」があります。
 地形が複雑で広大な山間部に家が点在するので放送設備も大変ですし、電柱の上につけたスピーカーではとてもカバーできません。
 当初からそうした家には個別受信機が設置されました。
 そして、最近、希望者には小型のラジオ兼防災無線受信機が1000円で販売されました。
 当初の富士通が調査し、松下が設置した時から膨大なお金が掛かりましたが、その後からも個別受信機や保守点検などものすごくお金のかかる施設です。

 この放送によって人命が少しでも助かるなら安いともいえるのですが、少々問題もありますね。
 放送設備の点検もかねて、この放送網で平常時にも毎日、「広報熊野」が流されます。
 行政側のニュースなどを流してくれるのですが、皆さんの耳に良く聞こえるのが…
 『金払え!』なのです。
 「市県民税」「固定資産税」「国民健康保険税」「介護保険」…納付期限が年に難解もあるし、税金相談から税金申告…大切なことなんだけど、全部。「金払え!」と、聞こえちゃうんですね。
 まあ、役所が「金やるぞ!」なんて言うのは「特別給付金」位のものですから、当たり前なのですけどね。

 最近、やたら増えたのが、「交通止めのお知らせ」みたいです。
 以前は観測設備のある『国道42号線』の交通止め以外は、崩れるまで通行可能の道が多かったのですが、観測施設もゲート施設も無い道路も閉鎖されるようになって来ました。
 国道でも観測設備の感度が良くなったのか、閉鎖が早くなった感じです。
 防災上仕方ないのですが、一度止めちゃうと完全に雨が止んで2時間経過しないとゲートは開きません。
 晴れ渡ってカンカン照りになっても曇っていても同じです。
 水を含んだ山肌は止んだあとでも崩れるのでこう決められているのです。
 目の前でゲートが閉まったり、通行止め電光板が点灯していたら、先に進まずゆっくり休める店を探すことが賢いやり方です。
 車を停めるにしても、谷の傍や切り取ったがけの下、積み上げた石垣や擁壁の上の道路は避けないと駄目ですね。
 山間部の道路ではそんな場所ばかりです。
 それでも、平野部の道路よりは災害から逃げよいかもしれませんけどね。
 あたり一面泥の海なんてありません。
 ピンポイントでやられるだけですからね。

 ずっと、天気が良くて、「金もってこい」の放送が耳についていたのですが、このところは『大雨警報』『道路の交通止め』が立て続けに放送されます。
 おまけに、今日は『津波注意報』まで流れています。
 今も放送中ですが『十二時半頃に最大50cm位の妻煮がくる可能性があるので、海岸には近付かないようにしてください…』とのことです。
 海は繋がっていますからサモア沖の地震でもこうして津波がやってきます。
 よその方にはほとんど関係の無い「広報熊野」などの行政無線ですが、たまにはこうした大事な「防災無線」に変わっていることがあります。

 全国多くの町ではこの施設があります。
 聞こえにくいことも多いですが、旅先でも放送の頭部分は聞いたほうが良いと思いますよ。
 などと言いながら、あまりにも近くにあるスピーカーがうるさくて困っていますけどね。
 家から15mほどでしょね。
 でも、この近さの大音量放送も台風の最中には内容は全く聞き取れません。
 我が家で聞こえないのですから台風時には99%の家では全く放送していることも気が付かないでしょうね。
 
 そして、1000円で購入した「防災ラジオ」の現状は…
 「金持って来い!」を聞きたくない…と言ってスイッチを切ったりボリュームを絞ったり…
 さらには電池が切れても入れ替えなかったり…
 困った物ですね。
 やっても構わないはずの、地元のイベントの予告や呼び込みはしませんね。
 その辺が「市」と「村・町」の違いなのでしょうかね。
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 この『松本峠』から見えているのが「木本町」と「井戸町」で市街地と言えるのはこれだけしかないのですけどね。
 そろそろ、この左手から津波がやってくるのでしょう。
 50cm位だとうねりにまぎれて分かりにくいのですが、うねりは内湾には来ませんが、津波は確実に入ってきます。
 『似て非なるもの』です。
 旅先でこんな放送があったら必ず、海の傍と河口付近からは遠ざかることです。
 わざわざ見物に行く人も居ますが、くっついては行かないでくださいね。


 カメラはミノルタ・オートコード・L



熊野市周辺地図です


by je2luz | 2009-09-30 12:29 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 09月 29日

熊野の旅 田舎の学校 後がま

 今年は三つの小学校で運動会の写真を撮りました。
 そのうちに二校はこの運動会が最後になる学校ですから、児童も幼児も居なくても不思議ではありません。
 残りの一校「木本小学校」は熊野市のど真ん中の小学校で、かつては1500人の児童を擁し、熊野の小学校のトップだった学校です。
 ここの校長になって退職するのが紀南地区の小学校の先生の頂点だったわけです。
 しかし、何処でも起きる、古い町から新興住宅地への人口移動が昭和40年代当初から始まって、『ドーナツ現象』が起きてどんどん児童が減りました。
 東京や大阪でも真ん中の小学校が児童数減になり閉校したのも同じ現象なのですが、田舎の場合は『過疎』と言うおまけも付いていますから、パイが小さくなりながらのドーナツ現象だったのです。
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 木本小学校の運動会の会場をうろついても、午前中で行事が終了したとはいえ、併設されている「木本幼稚園」の園児がほとんど見かけられないし、離れているにしろ、うろちょろするはずの「木本保育所」の園児も少なかったです。
 つまり、少なくなった児童の「後がま」がもっと少ないってことなのでしょうね。
 その分、場内が静かです。
 人が居ればはしゃいで意味も無く大声を出したり、走り回ったりする『ガキ』が居ないのですからね。
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 昔ならこんな感じの子がごろごろ居て、騒ぎまわり、けんかはするは…だったのですけどね。
 もっとも、喧嘩の仕方を知らない今の「ガキ」に喧嘩をさせておくと、相手の息の根を本当に止めかねませんからね。何しろ、「リセット」したら動き出すと思っている子が沢山居るそうですからね。

 「ど田舎」以外では、地域と学校の関係はもう何十年も前から希薄になっています。
 だから、中途半端に町場の学校では地域と連携した運動会なんて考えもしないし、考えても最早出来ないですね。
 まだこの辺は田舎ですから部外者が運動会を見に行けますが、もう少し町になると、部外者はたとえOBでも『不審者』と見なされることもあるようですからね。
 そんなことしておきながら、「地域で子供を守ってください…」と言うのも少しばかり虫が良いような気もしますね。
 子供に声を掛けてはいけない条例を作ったところもありますしね。
 嫌な『風潮』ですね。

 『田舎に似合うガキ』も居なくなったけど、『田舎に似合う爺・婆』も少なくなりましたね。
 躊躇半端に『都会的な老人』が増えてね…


 カメラはSONY α350+SIGMA10-20ズーム使用


熊野市周辺地図です


by je2luz | 2009-09-29 11:21 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 09月 28日

熊野の旅 運動会・青切りみかん

 今では運動会は9月の行事です。
 昔の田舎では運動会は10月の後半でした。
 運動会と言うのは村最大のイベントでしたから、農繁期の最中なんかに出来ませんでしたからね。
 その農繁期がうんと早まって、稲刈りの最盛期が8月なんですからね。運動会が一ヶ月余って早くなったのも頷けます。

 一ヶ月余って早くなって熱いからなのか、今の子供がひ弱いのか知れませんが、いつの頃からか運動会の時の児童の席にテントが張られるようになっていました。
 おまけに熊野市のような田舎では児童数が激減したのでテントにすっぽり収まる程度しか生徒が居ませんしね。
 それが、今年、中心部の「木本小学校」の運動会を覗いたら・・・
 「父兄席」までテントが建てられていました。
 イベント用に記念通りが買った出店等のテントなどをを利用したのですが、これまた、観客が減ったのでほとんどの客がテントに納まってしまっていました。
 大人もひ弱になったのでしょうかね?
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 昔はこの運動場で1500人もの児童の運動会をやったのです。
 両親(戦争遺児の片親も居ましたが…)やじいちゃんばあちゃん、果ては親戚まで集まってきたので運動場におさまりきらない人数になりました。
 見物席の場所取りは前の日では遅いくらいでした。
 そんな時にこんなテントを張ろうものなら、後ろが見えなくなるので暴動になりかねなかったでしょうね。
 昔ながらに本部席のテントも張られていますが、来賓席も空っぽでした。
 PTAの数も減っているのに、設営する設備が増えて大変でしょうね。
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 そして、ビデオカメラとデジタルカメラの列が出来ています。
 記録が残せるのでおじいちゃんおばあちゃんなどはゆっくり家で自分の孫の映像だけ眺めるのかもしれませんね。
 高倍率のズームが付いているビデオやデジタルカメラばかりなので観客席の位置から皆さんおとなしく撮影しています。
 私のようにワイド系のズームで撮っている人間って居ないんですね。
 これでやると、どうしても規制ラインを超えてしまいますしね。
 山間部の時はフリーで中に入りましたが、ここは一応町の学校なので遠慮して、一般参加競技の時だけ入り込んで少し撮ってきました。
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 こんな位置での撮影をする人間が増えたら大変ですけどね。
 例によって、「別嬪に撮らんしよ!」などと、走っている人に声を掛けられながら撮ってきました。
 『市の中心部』といってもここは田舎ですから、私の顔を知っている人がほとんどですからこんなのが出来るのですが、人が減っているのに段々こんな部分は減ってきているようです。
 田舎のややこしさが消えるかわり、田舎の良さも消えますね。
 私などは最後の田舎のカメラマンなのかもしれません。

 昔の運動会の時には、運動場の隅や学校の外に露天が出来て、綿菓子などの他に『青切りみかん』を売っていた物です。
 私の子供の頃には運動会が10月末なのに、今のような「ハウスみかん」は無いし、品種改良も進んでいなかったので、ほんとに『青切り』で、酸っぱくて震い上がるようなものでしたね。
 でも、私の中には、『運動会=青いみかん=酸っぱい』の公式が存在します。
 それと、『運動会=重箱=寿司=揚げの寿司・サクラデンプの入った海苔巻き』と言う定理もあります。


 カメラはSONY α350+SIGMA10-20ズーム使用


熊野市周辺地図です


by je2luz | 2009-09-28 12:24 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 09月 27日

熊野の旅 ハイカラ 紀南ツアーデザインセンター

 「ハイカラ」と言っても施設の名前ではありません。
 ここの名前はハイカラよりはお役所の臭いがしそうな和製英語の響です。

 明治に建てられた「旧奥川邸」は、明治・大正・昭和と住み続ける間に、その時代の先端を行くものが取り入れられてきたようです。
 この写真では、「縁側」にいすが置かれています。
 でも、この家ならこの季節にこれをおくことはなかったと思います。
 この季節はまだ『籐の椅子』のはずです。
 そして、丁度今頃、「そろそろ片付けようか・・・」と言い出す頃なのです。
 
 このクラスの家になると、障子も夏には「紙障子」ではなく「簾の障子」にかえられる物だったのです。
 暑い地方ですし、町屋は風通しが悪いです。
 だから、夏の間は風通しの悪い「紙の障子」は止めて、風通しの良い「簾の障子」に取り替えたのです。
 どこかへ行っちゃったのでしょうかね。
 縁側には作法どおり「風鈴」が掛かっていますけどね。
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 日本が南方に進出した時期からは『籐の家具』は随分普及した物です。
 お金持ちの人はこうした「ハイカラ」なものをどんどん取り入れて行ったのです。
 良い意味では先進的・・・悪く言えば成金趣味になるのでしょうね。
 籐の椅子とかは「エマニュエル夫人」が座る物ではなく、お金持ちのおじいさんが座る物だったのです。

 そもそも、明治期にはこうした家のご主人が洋服を着るときは「ハイカラーのワイシャツ」を着たものなんです。
 そして、大正、昭和、戦後になるまでは、口ひげを生やし、「山高帽」だとか「カンカン帽」だとか「パナマ帽」だとか「鳥打帽」などと、流行り流行りの帽子をかぶって歩いた物なのです。
 イギリス紳士風にこうもり傘やステッキを持った人も居たのです。
 最近では、歩行補助器具として使う人だけですけどね。

 かくかように、日本の昔のお金持ちは『ハイカラ』だったのです。
 建築様式も少しずつ変えてはいますが、『床の間』のある部屋に「ペルシャ絨毯」「虎の敷物」なんて平気でやったものです。
 この「奥川邸」の100年のうち、前の方50年がそんな時代だったはずです。
 どんなハイカラな物が持ち込まれたのでしょうね。
 んばにしろそんな物を季節によってトレイ換えたりするので、幾つもの蔵と納屋が用意されていたのですからね。
 もちろん、女中さんや男衆が入れ替えや掃除をしたのですけどね。


 カメラはSONY α350+SIGMA10-20ズーム使用


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by je2luz | 2009-09-27 10:47 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 09月 26日

熊野の旅 くつろぐ 紀南ツアーデザインセンター

 今では少なくなった、「縁側」・・・
 でも、これは日本の原風景の一つでしょう。

 縁側が本当に似合うのは『田舎』なんですけどね。
 『田舎』と言っても、人口が少なくて都から遠い…というだけではなく、家がぽつんぽつんと建っているような『田舎』の方が縁側は似合います。
 目の前に田んぼがあり、その向こうには緑の山があるような縁側がいかにも『縁側』らしくてよい物です。
 濡れ縁でも内側に作った縁側でも「座敷でもなく外でもない」微妙は空間を作り出してくれます。
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 日本人には不思議と落ち着く空間なのですね。
 旧・奥川邸は町屋なので小さなお庭しか見えない縁側なのですが、係りの女の子がお茶を出すと、気候の良い時はこうして縁側に座る人が多いのです。
 一歩戻ればもう少し柔らかな『畳』があるのに、座布団も無い縁側に座る方が落ち着くと言う不思議な空間なのです。

 座敷に座るとなんとなく改まってしまう、それでなければゴロンと寝っころがる…的な感覚です。
 端から横座りや体育館座りが出来るのは縁側の良さでしょう。
 暖かい時なら腰をかけることも出来ますしね。
 そのときの気分次第で使える空間です。

 日本人は積極的に自分の空間や時間を作り出す人種ではありませんが、日本家屋は日本人に合ったささやかな自由空間を作り出してくれるようです。

 そうした空間と時間を無料で提供してくれる、この『旧奥川邸・紀南ツアーデザインセンタ』は熊野古道の雰囲気に良く合っているようです。
 作り出した物では核、100年ほどかけて出来上がった空間を利用しているだけですから、余計に良いのでしょうね。


 カメラはSONY α350+SIGMA10-20ズーム使用


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by je2luz | 2009-09-26 11:57 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 09月 25日

熊野の旅 秋色 旧・奥川邸 ツアーデザインセンター

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 古びた台所の上がり框に竹ざるに入った『栗』…
 傍には『徳用マッチ』・・・
 かまどには火が入っていませんでしたが、『田舎の秋』がありました。
 少し、『栗』が沢山ありすぎかもしれませんけどね。

 ここは毎度取り上げている木本町の旧家・奥川さんの邸宅が熊野市に寄付され、熊野古道歩きの人の休憩所として解放されているところです。
 管理しているのが「紀南ツアーデザインセンター」です。
 毎度のことながら、なんとも名前が似つかわしく無いんですが、中身は中々良い物です。
 無料開放、茶の湯(番茶)の接待・・・
 採算に関係ない接客だけに、自然であり好ましい物です。
 この団体の存在がどの程度有効なのかどうかは検証しづらいのですけどね。

 開放している座敷の装飾やこうした台所などに置かれる物も、細かい心配りが出ているのも、商業主義を離れた心の余裕がスタッフにあるのかもしれません。
 
 熊野市の入り口には、『歓迎・熊野市』と書いた看板が立っていますが、あんな看板は意味も無いですが、本来の歓迎はここのような物なのでしょう。
 しかし・・・
 ここは心が和む良いところですが、『観光産業』にはなれないでしょう。
 難しい物です。
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 この時は焼き物を展示していました。
 物産会館とか資料館などで展示と違い、『座敷』での展示なので、ぱっと見は見にくいようですが、この方のように座り込んでじっくり手にとって鑑賞される方も居られる様に、うんと身近になるのかも知れません。
 照らしているのは部屋の真ん中の電灯と縁側からの自然光だけです。
 こんな条件で使われるのがこうした焼き物なのですからね。
 演出ではなく、普通に置いてあるってことですね。
 ちょいと数が多いだけで・・・

 100年ほどかけてかまどを焚いて、すすべた黒光りする、人の臭いのする民家…
 白い木をいきなり塗料で黒く仕上げた人工の臭いのする官製の施設…
 どちらが安らぐか…
 どちらが熊野に合うのか…
 ぜひ、判断するためにも熊野に来て、両方をご自分の目と感性で確かめてください。


 カメラはSONY α350+SIGMA10-20ズーム使用


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by je2luz | 2009-09-25 11:10 | 熊野 | Trackback | Comments(3)
2009年 09月 24日

熊野の旅 里創人・熊野倶楽部 9月22日

 紀南中核的交流地点、『里創人 熊野倶楽部』がオープンして2ヶ月あまりになります。
 オープンしてすぐに1ヶ月あまりの夏休み、そしてすぐに、「シルバーウィーク」なんて連休・・・
 そして、どこまで行っても1000円の高速道路が80Km傍まで来ているし…
 レジャー施設としては願っても無い時のオープンです。

 宿泊の方は夏休み中もこの連休なども一杯だとかは聞きます。
 それなのに・・・
 すでに経営危機ではないか…と言う声があちこちから聞こえてきます。
 真夏にオープンし、秋風が吹き出した時にこれではとても約束の10年を持ちこたえるのは難しいでしょう。

 9月22日連休後半の夜、この「里創人・熊野倶楽部」のメイン広場?で地元の『鬼城太鼓』の演奏がありました。
 宿泊客が食事を終えて一息つく時間とあわせるからでしょうか、夜8時からの開演でした。
 この時間なら普通の生活のままで出かけられるので、カメラを担いで撮影に出かけました。
 広場には観客が沢山居ました。
 その数100人ほどでしょうかね。
 浴衣を着た宿泊客も数組見かけました。
 残りの大多数が、この『鬼城太鼓』のファンの方と、太鼓もあるから一度『熊野倶楽部』とやらを見てみようと言う人のようでした。
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 この夜は、旧暦・長月四日で残念ながら月明かりの下…とは行きませんでしたが、少し蒸し暑く、見物人が座って聴くには丁度良い気候でした。
 闇の中でスポットを浴びての演奏なので、昼間の屋外よりは雰囲気は良いです。
 それに、競演なんてのと違い、入れ替えも無く、短時間で終わるのでマニアでは無い人でも演奏中に離れると言うこともありませんね。
 丁度良い催しでしょうね。

 熊野で本格的に『見せる太鼓』が始まったのは、随分昔、『オレンジホテル』ができた時ですね。
 今回施設とかなり違いますが、大型リゾートホテルとして作られた『オレンジホテル』はホテル、大宴会場、ボーリング場、アーチェリー場、ゴーカート場、ミニゴルフなどを備え、今回の場所の隣の尾根の天辺に建っていたのです。
 その宴会場の出し物として太鼓の集団が誕生し、週末などに出演したのが始まりで、その頃は今のように太鼓ブームになっていなかったですね。
 この『鬼城太鼓』はその流れを汲む集団なのでしょうかね。

 他に取り立てて『見せる郷土芸能』も無いですし、このグループがこうした場所での賑わかしを担うのでしょうね。
 各鎮守様には『神楽』があるし、『浦安の舞』もあるし、『やっさのせ』の盆踊りもあるし・・・
 これらは「見せるものではないし、「保存会」はあっても見せる集団は無いでしょう。
 地元の人でさえ呼ぶのが難しい時代ですから、ここのスタッフも頭がいたいことでしょう。
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 ストロボ使用でのストップモーションと無しの動きのあるのと二系統を撮ってきました。
 ステージじゃないし、夜で少しだけ目立ちにくいので張り付いて撮れました。

 カメラはSONY α350+SIGMA10-20ズームとミノルタ28-85ズーム使用


熊野市周辺地図です




by je2luz | 2009-09-24 11:23 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 09月 23日

熊野の旅 学校統廃合 最後の運動会 2

 昨日の『飛鳥小学校』と同じように、今年度一杯で廃校が決まっている『熊野市立小阪小学校』の方も、同じ日に運動会が行われました。
 こちらも「小坂区」との合同運動会です。
 いろんな場面で、『校長』と並んで『区長』が出てきます。
 プログラムの内容では、一般参加のもののほうがやはり多いのです。
 小学生だけで運動会をすれば、『徒競走』全学年で一回、『お遊戯』全校生徒で二曲くらい、『親子の競技』二回くらい・・・で終わっちゃいます。9時開始10時過ぎ終了の体操の時間になってしまいますからね。

 昔は一般参加も、『青年団』と言うものがあり。それなりに若い人が居たので、『部落対抗リレー』などの時はまさに地響きを立てて小学校の小さなトラックを大きな若い衆が回っていたものですが、今では地響きを立てるほど馬力のある「青年」は居なくなっています。
 『中高年』とよく言いますが、その中の『中』を抜いた位の人が一般参加の中心です。
 何しろ見物席は見事に「敬老会」状態ですからね。
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 こうした人達も参加して楽しめる競技を沢山用意しています。
 そして、参加賞もプログラム毎に用意されています。
 区費と寄付で用意されるのでですが、バケツ・箒・洗剤・ゴミ袋・・・元気でどんどん参加できる人は持ちきれないほどの景品を持ってかえります。
 小阪小学校の方が沢山の人が集まっていましたが、もともとの人口が少ないところですから「沢山」と言っても、よその学校の父兄の数には到底及びません。
 しかし、中々顔を見ない幼馴染などの顔が見えたことを喜んでいるおばあさんたちも居ました。
 『寂しい・・・』と言う感想はほとんども人が持っていますが、『統合はけしからん』と言う声はありませんでしたね。
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 かくして、130年に及ぶ「小阪小学校」は閉校に向かって進んでゆきます。
 たとえ、十数人しか児童が居なくても小学校があるから開催できた運動会も、『小坂区』だけで開催することは難しいでしょうね。
 公式の学校行事に乗っかるから続いてきた昔ながらの運動会ですからね。
 このように、『昭和の子供』が勢ぞろいして、青空の下で楽しげに遊ぶこともなくなるかもしれません。
 小阪に残るのは中学校です。
 中学校となると、飛鳥町全域の物ですから、地元だからと言って『小坂区』が便乗・乗っ取りまでは出来ませんからね。
 しかし、子供の教育と言う見地から見れば、二十年も三十年も遅い統合なのですけどね。

 カメラはSONY α350+SIGMA10-20ズーム使用


熊野市周辺地図です


by je2luz | 2009-09-23 11:54 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
2009年 09月 22日

熊野の旅 学校統廃合 最後の運動会 1

 二十数年前、私も山間部、熊野市飛鳥町の小学校の統廃合について、少しばかり画策してみたことがあります。
 その当時でも、統合しないと教育がおかしくなる状況になってきていたからです。
 同級生4人が全部女の子・・・違う学年3人は男の子・・・
 そんな状況も生まれてきていましたからね。
 グループ学習なんて出来るわけも無いし、私の子供の頃に映画にまで出てきた「山の分教場」よりひどい状況が出来てきていたからです。
 しかし、子供を持つ親は「賛成」、子供の居なくなったお年寄りが猛反対・・・で動きが取れなかったものです。
 おまけに、私は飛鳥には住んでいませんでしたしね。

 更に月日が流れると、子供の数は減る一方です。
 すでに、日本国の子供の数は私の同学年の半分ほどに減っているのですから当たり前の話なんですけどね。
 半分の子供が、半分の数の子供しか生まなければ・・・
 実に単純な話なんです。
 近年でも、怖すぎる話なので公には具体的な話を出さないだけです。

 ようやく、山間部の小学校の統廃合が実施に移されることになりました。
 そして、この9月20日に「最後の運動会」が行われました。
 以前から、運動会は「区」との合同開催になっていましたが、最後も「区」との合同でした。

 統廃合になるのは、『熊野市立飛鳥小学校』、『熊野市立小阪小学校』、『熊野市立日進小学校』の三校です。
 これらは、旧・飛鳥村立のもので、同じ村の学校だった物です。
 明治時代に学校が出来る頃、この飛鳥町の地形が大又川沿いに細長く伸びる物で、小さな子供が例え中心部に学校を作っても通学困難と言うことで、上流・中流・下流の三箇所に小学校を構えたのです。
 そして130年ほど経って、1校に絞られることになったのです。

 最後の運動会と言うことで、小学校がなくなる、大又・小又地区の『飛鳥小学校』と小阪地区の『小阪小学校』に行ってきました。
 小学校・区の合同運動会と言っても、両校ともに児童数が全校で十数名とかですから、出し物のほとんどが大人参加のものです。
 私の子供の頃のように沢山の子供が居た時でも一般参加のリレーや老人の参加するものはあったのですが、今では一般参加の番組の間に『児童』の物が混じっていると言う感じですね。
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 大又の『飛鳥小学校』では一般・・・お年寄りの集まりがもう一つ良く無い感じでしたが、中学生とかの若い子が勢ぞろいするくらい集まっていて、一般参加の競技に参加していましたね。
 古典的な『飴喰い競争』を含んだ障害物競走なんてのも行われていました。
 まあ、上の光景は普通のものですよね。
 しかし・・・
 ここは小さな集落の田舎です。
 走ってきた相手次第では下のようなことになります。
 そのために、区長さんを始め、腕っ節の強そうな人が飴を入れた餅箱のところに待機しているのですからね。
 これが出来るのも、みんなが顔なじみ・・・と言う田舎の学校の良いところなんですよね。
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 私はここのOBでも無いし、住民だったことは無いのですが顔jなじみが多いのでこうして最後の運動会の記録を少し残すために出かけました。

 『飛鳥小学校の公式HP』を調べたのですが、残念ながら2001年に更新されて以来放置されているようです。
 これも、各地の学校のHPに起きていることで、導入されたパソコンも熱心な先生が居る時は動いていても、居なくなると忘れられると言うことが多いのです。
 最後だからと言って私が書き変える事も出来ませんしね。
 機会があれば、校舎の風景などを入れたページを私のHPに組み込むかどうかしておこうと思っています。


 カメラは上がミノルタα7700i+コシナ19-35ズーム使用

 下はSONY α350+SIGMA10-20ズーム使用


熊野市周辺地図です


by je2luz | 2009-09-22 11:48 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 09月 21日

熊野の旅 旅人が立ち寄られました

 今日は続けて来客がありました。
 地元の若い人と、大阪からの若い人でした。
 地味との若い人は、知り合いの人で私のブログを見て話したい人が居るみたい…ということでした。
 もう一方は、大阪からの旅人で私のブログを読んでくれている方です。
 長年書き続けているので、少しずつ固定した読者の方も増えてきたようです。
 寝た探しに四苦八苦していますが、こうしたことが張り合いになって頑張り続けられます。

 大阪からの人は、花の窟神社、産田神社、熊野倶楽部、獅子岩とざっと案内して別れました。
 熊野倶楽部についてはやはり少し疑問を感じたようです。
 新しくて綺麗・・・なんですけどね。

 昨日の日曜日は結局のところ、今年度一杯で廃校になる山間部の小学校二校の運動会に行ってきました。
 私の母校でもある、『熊野市立小阪小学校』と少し上流にある『熊野市立飛鳥小学校』です。
 両方とも私にとっては地元と言える学校ですから、最後の運動会くらいは・・・と写真を撮りに行きました。
 小坂小学校の方では、小阪地区の人たちが沢山集まっていました。
 お年よりは今以上に地元での結婚が多かったので、皆さん、OB、OGです。
 最高齢は90歳になられたと言う、近所の人でした。
 「小姑」になる人と一緒に見物されていましたが、二人とも製材工場当時とか木工所当時に働いてもらったことのある人です。
 この方たちがこんなになられたのですから、私もそれだけ歳を取ったということですね。
 でも、この人から見ると、まだ私は『ちゃん』の付く存在です。
 ありがたい話です。
 一代、「ちゃん」の付くままで居られますからね。
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 カメラはSONY α350+SIGMA10-20ズーム使用


熊野市周辺地図です


by je2luz | 2009-09-21 16:56 | 熊野 | Trackback | Comments(0)