LUZの熊野古道案内

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2009年 07月 31日

熊野の旅 8月 お盆の月

 熊野もお盆は一般的な田舎同様、「月遅れお盆」です。
 7月お盆なんてのは、東京の一部と「百貨店」位のものでしょう。
 少しでも早くお中元を売りたい商魂もあって、熱心に7月お盆の前にお中元セールをやった節があります。
 日本中の田舎は月遅れ8月お盆がほとんどですから、報道の方では「お盆の帰省」とは8月の物とされています。

 明日から8月です。
 本格的な夏が来ないうちに、半月先にはお盆で、その頃の夕方には秋風が吹きます。
 
 熊野の人口が増えるのは、「お盆」と「正月」です。
 近年は各企業ともに夏休みなどが長くなってきて、帰省するには都合が良いはずなのですが、帰省客は減る傾向にあります。
 今年は高速道路も1000円なんて制度があるので、多少増えるかもしれませんね。
 でも、来年になったら、「ただかもしれない」なんて色気を示して今年はパスしようなんて人も居るかもしれません。

 帰省客が減る傾向にあるのは、戦後の復興期のよそに出た人は帰ってこれないほど老齢化したし、高度成長期に出た人たちは、親が段々いなくなってきて帰る場所がなくなってきたからです。
 田舎出身の者はいろんな面でハンディを背負って社会人への道のりを歩みますが、『ふるさと』を持っているという良さもあるのです。
 『ふるさと』という心の支えが意識しないでもどこかで「田舎者」を支えてきていた面もあります。
 しかし、ここにきて、それが段々薄れてきてしまったようです。
 私の同級生など、すでにお盆に帰省する人がほとんど居なくなりました。まあ、魂になって帰って来る人が出る年ですから当たり前かもしれませんが、同級生の育った家が廃屋になったり、取り壊されて屋敷だけになった所が多くなっています。
 墓所まで空き地が目立ちだしましたからね。

 8月は行事も沢山あります。
 熊野最大の行事、8月17日の『熊野大花火大会』はお盆の『灯篭焼き』の行事から始まったものです。

 昔なら、お盆になると、夜毎夜毎いたるところで『盆踊り』がありました。
 この辺の盆踊りは、『やっさのせ』といわれるもので、地域によって歌詞も節も少しずつ違いはありますが、はやし言葉は『やっさのせー』です。
 その後ろに続く部分が結構変わりますね。
 『やっさのせーーえ よやさのせー』が私の育った飛鳥のあたり・・・
 『やっさのせーーえ よいとまかしょー』だとか・・・
 『やっさのせーーえ どっこいさのせー』だとか・・・
 まあ、全部、『正調』でしょうね。
 京都の八つ橋みたいな物でしょう。
 
 この盆踊りにはよそに出ていた若い衆が帰ってきて集まりました。
 芋くさかった女の子もちょいと磨かれて・・・
 いがぐり頭の餓鬼も髪を伸ばしていっぱしの若い衆に・・・
 都会で緊張して暮らしている生活から開放され、恋の花咲くこともある・・・てことでした。
 交換するのは携帯の番号ではなく、住所でしたね。
 片道三日も四日もかかる郵便でのやり取りですから、悠長な遠距離恋愛だったりしたわけです。

 そうして帰って来る若い衆も減ったし、地元に残る若い衆も少ないし・・・
 そういう傾向とともに、『盆踊り』も寂れてゆきましたね。
 昔より立派なやぐらを作って、ちょうちんも飾って、夜店も作って・・・
 イベント会場を用意しても、人の出は少ないし、大体、踊り手も居ません。まして、音頭とりなんて壊滅状態です。
 有名になって、観光客が集まるような、「郡上踊り」とか「おわら風の盆」なんかだと、見物人も多いので踊り子も張り合いがあるのですけどねえ・・・
 「やっさのせ」ではそれも無いですね。

 「ひさしぶりーー」
 「元気やった?」
 「おまえちょっと・・・」
 「何?」
 「いやなんでも・・・」
 「なにさ!はっきり言えさ!」
 「・・・きれいになったにゃあ・・・」
 「よう言うわあ!」
 なんて、言葉が薄暗がりでささやかれていた盆踊りも・・・

 「久しぶりじゃのし」
 「まああ!ほんとじゃのし」
 「いそしかったかの?」
 「あかんわえ! 足は痛いしの・・・」
 「わしもじゃかえ!」
 「迎えが来るまでは頑張ろうらいの!」
 「もう、いつ来てもええけどのう・・・」
 なんて、恐ろしく色気の無い、いかにもお盆らしい会話が交わされるようでは、踊りどころでは無いですね。
 その周りには足の無い半透明の同級生が並んでいたり・・・

 こうした盆踊りの中には「熊野市無形文化財指定」なんてのもあります。
 各地の神社の神楽などもそうですが、こうした郷土芸能も『保存会』なんてものに頼らなければならなくなってしまい、『郷土芸能』ではなくなってしまいつつあります。

 昔々は私も地域外の盆踊りにまで出かけたものなのですけどね。
 もちろん、わかーーい時です。
 可愛い子が居れば、遠い夜道もハイウエーに見えた年頃ですけどね。
 時代が時代だし、その頃のハリウッド映画のようにオープンカーでとはゆかず、自転車でしたけど・・・

 こんな状態ですが、運がよければ『盆踊り』に遭遇できるかもしれません。
 遅くなったから踊られるバージョン以外は、ものの5分も見ていれば覚えられる単純なものです。
 どこでも参加自由です。
 昔のように、よその若い衆が紛れ込んだら、「おらが部落の娘っ子を盗られる!」なんて、袋叩きにされる心配はありませんからどうぞ自由に踊ってください。
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 昭和32年の熊野市飛鳥町小阪・永明寺の盆踊り風景です。
 私が中学生ですから、被写体には今日の話題の娘っ子などは入っていませんね。
 その頃は小さな子供はまだ沢山居ました。
 子供もガキどもは写していませんね。これは今でも同じです。

 カメラはオリンパス35S1.9

熊野市周辺地図です
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by je2luz | 2009-07-31 10:44 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 07月 30日

熊野の旅 もう見てきたかえ?

 田舎と言う物は中々大きな話題の無いものです。
 それだけに、お店がオープンしたりすると都会以上に大きな共通の話題になります。
 ちょいとしたスキャンダルでも町の話題になるくらいなのが田舎ですからね。

 スーパー・ジャスコが進出した時、ホームセンター・ミスタージョンができたとき・・・随分遠くからでもやってきた物です。
 そんな時は店内放送で分かります。
 「紀伊長島町の○○様、お連れ様がお待ちです」・・・「那智勝浦町の△△様。お子様が迷子になってサービスカウンターでお待ちです」・・・なんて調子で、ここまで来なくても新宮や尾鷲にもあるだろう、と言うところからのお客さんに対するものが頻繁に流されました。
 かく左様にちょいとしたことが大きな出来事になるのです。
 そして。町の挨拶は・・・
 『今度出来た、◎◎の○○・・・もう見て来たかえ?』と、いう風になるものです。
 「まだ行ってないんさ」
 『わしもまだなんやけどね』
 「ほんなら、明日でも一緒にいこか?」
 『そうしようか!』 ・・・となるのです。

 スーパーやホームセンターなどだとやることもあるのですが、何も用事の無いところでも『物見遊山』で出かけて行く人が多い物です。

 半月ほど前に、熊野市内金山町に巨費を投じた文化施設?レジャー施設?がオープンしたことは書いたと思います。関連公共工事まで含めたら十億をはるかに越えるような立派な公共事業です。
 その名も魅力的な、『紀南地区中核的交流施設』だそうです。名称はこれまた中味の良く分かる『熊野倶楽部』だったかな?(同じ名前の軟式野球チームがあったような…)

 尾鷲ではも少し町中にこれも超立派な、「県立熊野古道センター」が出来ましたけどね。
 そちらは町中なので、地元のじいちゃんばあちゃんも見物に来たようです。
 オープン当初のそうした客は継続性も無いし、お金も落としてゆかないのですが、賑わいだけでも連れて来てくれます。
 金山の施設はまだ取材に入っていませんが、地元木本で聞いてみたところ、行って来たとか、行かなくっちゃあとか、行きたいね・・・なんて聞きません。
 随分立派な機関紙?を前宣伝にも配布し、広報熊野・広報みえにも載せ、オープンにはテレビでも地元では結構有名な元先生へのインタビュー付きで報道された割に知名度も低いし、中味が全く理解されていません。
 まあ、地元の庶民なんかは見込み客でもなんでもないのでしょうからそれで良いのでしょうけどねえ・・・

 オープンした頃から、梅雨が戻ってきたようなすっきりしない天気の日が多いので私は写真を撮りに行きません。
 ネタに困っている私が行かないくらいですから、用の無い物見遊山の人はなおさら行きませんね。
 まあ、地元の「文化人」の方々はもう行かれたでしょうけどね。
 もうすぐ晴れるようですが、暑い最中ですし、お盆になるし・・・涼しくなってから・・・なんていっているうちに本当に忘れられてしまいそうです。
 人の噂も49日・・・だとか。

 話は変わりますが、紀和町にある温泉宿泊施設の『瀞流荘』にも県のお金がつぎ込まれました。立地条件も悪く、全く宿泊客が見込めないとなると、県の出先機関の県事務所への来客を積極的に送り込みました。公共交通機関も無いので公用車が出ていた時代があります。今はどうなっているか知りませんけどね。
 官によるエコヒイキ、民業圧迫でしたね。
 今回も県などの予算が投入されています。
 同じ流れがあってもおかしく無いですね。
 視察や出張の時には、その対称になったところに宿泊先を聞いたり、お世話してもらうのがお役所仕事の慣習ですからね。
 推薦しても違法でも無いし、公金を入れたところの赤字を減らすと言う大義名分までありますからね。
 その宿泊費もやっぱり公金のことが多いし・・・
 そうした数字は絶対に表に出ない、合法的なものです。
 私から見ると、少しばかりおかしいことと言うだけです。

 金山の施設は出来たばかり、夏休みくらいは予約客で埋まっているでしょうね。出来たばかりの時にお手盛り以外で一杯なくらいなら先は明るいのですが・・・そうあってくれれば有難いですね。
 稼働率を上げるように皆さんもぜひ熊野まできて『紀南地区中核的交流施設』に宿泊して『交流』を深めてください。
 『熊野の・・・』ではなく、『熊野を名乗る・・・』料理に舌鼓を打ってください。よその人の口に合うようにしてあるはずですからね。
 これは何もここだけではなく。全国津々浦々のこうしたところや料理屋でやっていることです。
 田舎料理そのままでは客に出せないと思い込んでいますからね。民宿の人出さえそう思っています。
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by je2luz | 2009-07-30 09:44 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 07月 29日

熊野の旅 ドーナツ化現象は昔のこと

 「砂漠は生きている」なんて記録映画が昔ありました。ディズニーの製作だったかと思いますが、まだ、マクロ撮影なんてお目にかからなかった時代に鮮やかなカラーで撮った砂漠の生態がものすごく印象的でした。
 「町は生きている」とも言われました。「町」と言う物は古い時代は徐々に大きくなる物でしたが、近代になると成長速度が異常に早くなり、更には膨張に耐えられなくなるとその中心は移動してゆきました。
 これを『ドーナツ現象』と言いました。
 熊野のような田舎町でも、中心の木本町本町通りが古い町並みの商店街だったので、成長とともに手狭になり「記念通り」を増設し中心が移って行きました。
 そして、人口は増えなくても、核家族化が進むと古い町屋には住めないし、山間部、海岸線の跡取りも通勤と生活の不便さを嫌って中心部周辺に造成された新興住宅地に移り住みました。
 かくして。田舎の『ドーナツ』は真ん中から粉を集めるだけでは足りなくて、周辺の粉もどんどん集めて細ーい輪を作ったのです。

 隆盛を極めた「木本町」かくしてドーナツの原料を供給し続けましたが、元々狭くて小さな町ですからそれも長くは続きませんでした。
 と、言っても、大東京の千代田区ほどあっても町の動きで住民が激減したわけですけどね。まあ、そちらは代わりにビルが建ち、オフィスになって昼間人口は増えたんですね。
 しかし、田舎では人口移動は長男坊が家を出て「ドーナツの輪」になっただけで、出て行ったあとは「じじ・ばば」が残るだけだったのです。次男坊以下は都会のドーナツを作りに行きました。

 その動きが始まったのが、日本中の町同様、昭和30年代後半くらいからでした。つまり1960年ごろからとすると移動した若息子世代も早く出た人は80歳代、後れた人でも60歳代にはなっているということなのです。
 当然、残された親の世代は、もう、ほとんどお墓に入りました。そして、元の家の跡は空き地に・・・
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 これが、田舎の古い町並みの平均的傾向でしょう。
 こうして歩いているのは、「熊野市立木本小学校」の高学年の一クラスです。つまり、一学年です。
 まだ、団体に見えるだけましでしょうかね?
 かつては一学年250人といわれた学校の後輩たちです。

 冬は暖かいし、夏ももっと北のほうの名古屋だ大阪に比べると昼間で3度以上、夜には5度ほど涼しいですから過ごし良いところです。
 『台風銀座』といわれてきた紀伊半島南部ですが、地球の気候変動で台風の直撃が減っていますしね。
 ちょこっと庭に畑でもあれば、雪も降らないから年中野菜は作れるし・・・私など、街中でも庭の野菜で年中ほとんど野菜はまかなえています。

 土地が高く必然的に固定資産税や健康保険税などが恐ろしく高いことと、仕事場が無いことを除けば、住むには良いところなんですよ。
 働かなくて良い人、町中に家を買う気の無い人・・・つまり、『文化人』には向いているところです。ここには大して「文化」は無いですが、自分で「文化」を持ってきますからね。
 そうそう、この一体は「光ファイバー」が個人で使えるようになるのはいつか分からない状態ですが、CATVは結構山の中でも入っています。高速インターネットは一応使えます。近代文化からの隔離はされていませんよ。
 私は「文化人」では無いので少々退屈はします。その代わり「無精者」ですから、その退屈を感じる度合いは少ないのでしょうね。そして、ADSLでこうして遊んでいます。

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by je2luz | 2009-07-29 11:42 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 07月 28日

熊野の旅 熊野の土産物 干物屋 かんばやし

 熊野の名物も色々あります。
 持って帰りにくい物もありますが、一応昔からの観光地ですからそれなりに「みやげ物」は考えられてきました。
 一村一品運動以来、全国の市町村同様、色んな特産品も試されてきました。
 そして、ほぼ全国の市町村並みにコンクールも行われ、熊野市長賞なんてのも出してきました。
 これまた全国の市町村並みに、そうして生まれた「特産品」もその存在さえ忘れられた物も沢山あります。
 役所が何を言おうと、テレビがその時に褒めようと、よほどのことが無い限り「変わったもの」なんて売れません。やっぱり生き残るのはスタンダードな物・・・そして、食い物なら「おいしくて飽きない物」なのです。
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 この小さなお店は、熊野名物の『干物屋・かんばやし』です。
 場所は今までの弁当の紹介やイベントの紹介にいつも出てくる、熊野市のメインストリート『記念通り』、スーパーオークワの近くです。
 実に間口も狭く、建物の中には店が無いと言う独立した店舗では日本一狭いかもしれないお店です。
 しかし、ここの親父さんは仕事熱心、アイデア一杯でがんばってきています。
 通販で『干物詰め合わせ』なんてのを売り出したのも随分早かったですね。
 それだけに、この店先にはその時が旬の「丸干し」「開き」と「生節」などが並んでいます。
 みやげ物や進物用の箱が用意されているので予算に応じて詰めてもらえます。
 おいしかったら追加でいつでも送ってもらえます。
 品物の性格上、旬を外れると同じ魚の干物は無いときもあります。
 ここの親父さんだと、注文があったからといって、無理やりおいしくない干物を作ることは無いはずですからね。
 愛想の良い方ではありませんが、仕事熱心な人です。
 店先での応対は少し小ぶりの奥さんがやっています。
 (この奥さんにほれ込んで、今の親方がよその人なのに熊野に住み着いて魚屋になったとか・・・)これは内緒話です。
 それくらいですから、奥さんの只見はいけませんよ。開きの一枚も買ってからにしてください。

 まあ、旅行の途中で買うとすれば、到着の日にちを指定して発送してもらうのが一番だと思います。
 お土産専門店で買うよりは数倍おいしいと思います。
 本人は「干物屋」ではなく『雑魚屋』を名乗っています。
 ごちゃごちゃ書くより、本人のHPを読むほうが早いかと思いますので、URLを貼り付けておきます。

  http://www9.ocn.ne.jp/~zakoya/

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by je2luz | 2009-07-28 10:08 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 07月 27日

熊野の旅 雨に強い熊野

 このところ集中豪雨での災害のニュースが連日流れています。
 三日間で600mmとか降ればかなり雨に強い地形のところでも災害は起きてきます。
 大体、300mmくらいから土石流だとか河川の氾濫が起きるところが多いですね。

 雨に強いか弱いか・・・
 これは、そこの地形に大きく左右されますね。
 ここ熊野や尾鷲の場合は何万年も余って台風や大雨にさらされて、谷は深くなり、崩れる山は崩れ、人が住みだす頃にはそうした気候に合う地形ができていました。
 それに、この辺に住み着いた先人は、崩れたり、鉄砲水の来ない場所を探して住居を構えました。
 山間部でも海岸線でも、平らな場所には古い屋敷はありません。
 急斜面や谷の出口を避けた一段上がったところに小さく屋敷を構えて住んで来ました。
 無理やり川を堤防を築いて押さえ込んだりしたところには住んでいません。せいぜい、農地を作っただけです。
 だから、時間雨量100mmとか一日雨量300mmとか一つの台風で600mmとかの雨でもほとんど人的被害が出ないのです。
 でも、近代に入ってからは他所ほどではないですが、家など無かった場所に宅地を作って住宅を建てたところもあります。
 そんなところでは浸水はありますね。
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 写真の『大又川』などの流域でも人家はこの川から離れて建っていました。
 深く切れ込んだ河川敷で、護岸は田んぼを作った時に積み上げた石垣が多くありますが、間違っても家を建てるために川岸に石垣を築いたりはしていません。
 本州で一番雨の多いと言われる、尾鷲との境、『矢の川峠』から流れ出る川ですから、毎年のように三日で500mmや600mmnほどの雨が降って濁流が暴れ狂います。
 この清流が濁流になり、激流が深い川の敷地一杯になります。
 山から木が流れ出し、川底の石が音を立てて転がります。
 ふらふらと川の流れを眺めに行くと言う、馬鹿な真似をする人は少ないです。
 本当に増水した時は、川岸の自分が立っている場所が石垣もろともなくなる危険性がありますからね。

 豪雨で人的被害が出たのは、もう20年以上前になりますね。
 この時は、井戸川の支流で土石流が発生し、家とともにお年寄りの方がなくなりました。
 人的被害は出ませんが、老齢化も進み、家の老朽化も進んでいるので、台風のたびに小学校や公民館に避難する人が増えています。だから、台風のたびに、夕方のローカルニュースでは熊野市山間部のおじいちゃんやおばあちゃんが写ります。

 しかし・・・
 今回の豪雨で山口市で出された「避難勧告」「避難命令」の対象が『一万世帯』を超えていました。
 熊野市だと、それだけ避難させると、『全世帯』と言うことです。
 いくら町村合併で広がったとは言え、そんな戸数に『避難勧告』なんて出さなくてはならないと言うことは、それだけ人間が川の領域を犯して住み着いたところが増えたってことでしょうね。
 おまけに、林業先進地の紀州でさえ山が荒れて危なくなってきているのですから、日本中の山は災害の巣と化してきているでしょうしね。
 更には、海水温の上昇で目の前の海域で、豪雨の元の水蒸気供給が大幅に増えていますしね。
 
 いくら雨に強いと言っても、油断は禁物です。山間部のおじいちゃんやおいばあちゃんのように降り出したら逃げ出すくらいの心構えも必要でしょうね。
 今年は梅雨前線が少し北に寄っていますから、この辺は梅雨らしい雨はほとんど無いし、降っても小型豪雨で済んでいます、
 でも、夏休みに入っているのに子供たちは泳げないですね。
 ことに川は雨が止んで晴れても水が引くまで泳げませんからね。
 そのかわり、7月末に大きな雨で川を綺麗に掃除してくれたので、今年の大又川の川遊びは快適だと思いますよ。

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by je2luz | 2009-07-27 12:12 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 07月 26日

熊野の旅 予告 響鼓in熊野 2009 8月2日

   『響鼓in熊野2009』
   紀伊半島太鼓フェスタ 
の予告です。

 日時 8月2日 日曜日 14:00 ~ 21:00
 場所 熊野市記念通り 特設ステージ
    小雨決行
    駐車場・木本小学校運動場
 主催 紀伊半島太鼓フェスタ実行委員会

 と言うことで、同時に記念通りでは『いこらい市』や『ビアガーデン』が開催されます。
 このイベントもどんどんマニア好みの方向に進んでいるようです。
 プロ太鼓集団 OTO座 なんてのも出演するようです。
 ベルギーの TATAKE! Taiko ってのも出るそうです。
 紀伊半島から随分はみ出して行ったものです。
 これも、世界遺産効果なのでしょうか?
  ●三重県
熊野鬼城太鼓(熊野市)
熊野太鼓人 爛(熊野市)
御浜さざなみ太鼓(御浜町)
熊野水軍太鼓(紀宝町)
創作太鼓 紀宝楽(紀宝町)
南島豊漁太鼓(南伊勢町)
  ●和歌山県
熊野曼荼羅太鼓(新宮市)
  ●奈良県
和太鼓 大美和(桜井市)
テルプシコーレ(生駒市)
  ●大阪府
羽曳野太鼓 翔(つばさ)
  ●寄せ太鼓 優勝チーム
  ●フィナーレ 響鼓オールスターズ紀の川 良子

 以上が出演者一覧です。
 当日はカメラを肩に出掛けて行って少しばかり写真を撮ってきますが、例年、すぐに逃げ出してくるのでたまたま出演していた団体の写真しか撮れません。
 「紀勢線全通50周年」の時のように張り付いて撮ることが出来ないので面白くないのです。
 ステージの上に上半身を乗せるくらいでは…
 長い玉で引っ張るのは嫌いですしね。
 それに、和太鼓に半日も付き合うだけの根気は無いです。
 このイベントに関する予告は一杯アップされていますから検索すれば一杯出てくると思います。

 これが終わると、次は熊野の最大の行事・・・『熊野大花火大会』です。
 こちらは、8月17日 月曜日 です。
 会場に一番近い駐車場は我が家の庭です、目下、空きは一台だけです(笑)
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 紀勢線全通50周年で叩いていたこの人たちも出演するはずですが、こんな風な写真はステージの時には取れませんね。
 大きなイベントで、テレビの中継や記録用のビデオカメラを廻すので余計に撮り辛いです。
 田舎ですから偽物の「PRESS」の腕章を巻くわけにも行きませんしね(笑)
 
カメラは ニコンF+ニッコール85mm1.8

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by je2luz | 2009-07-26 10:14 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 07月 25日

熊野の旅 紀勢本線事故・・・獣害?

 紀勢本線が事故を起こして特急が遅れたそうです。
 それも昼日中の話です。
 場所は南牟婁郡御浜町内です。
 御浜町内の紀勢線はほぼ全線海岸線の人里を走ります。
 だから起きにくい筈の事故だったのですが・・・

 はねちゃったのです。
 人里ではねるとすれば人間なのですが、相手は『いのしし』だったそうです。
 両方が山と言う区間が多い紀勢本線ですが、御浜町内は線路を渡って反対側は国道と浜のですけどねえ…
 それに、イノシシは元来夜行性なんですよね。
 真昼間にこんなところまで「イノシシ」が出てくるとは・・・
 『しし神さま』の怒りでしょうか?
 以前なら、「もののけ姫」に出てくるような山を荒らす鉱山もありましたが、今では山間部はどんどん人が居なくなって、「しし神様」にお返ししていると言うのに・・・

 イノシシが闊歩し始めると、『サツマイモ』なんて、餌場を作っているような物です。
 生で食べても甘くておいしい物ですからね。イノシシも大好物です。
 私なども子供の頃は「おやつ」なんてものにはありつけませんでしたから、よその畑のサツマイモを盗んで生でかじった物です。
 山間部だったこともあるのでしょうが、食べられるほどに太るのは秋になってからでしたね。
 その頃も、山間部ではイノシシが芋の季節には山から下りてきました。

 熊野川町辺りに行くと、田んぼをもの鉄柱で作ったものすごく頑丈な有刺鉄線で囲ったところがあります。
 あれで、鉄兜をかぶった迷彩服の人間が歩いていたら、南北朝鮮の国境みたいです。
 しかし、ここまで獣が里に住み着いてくると、どうしても百姓をしたければそんな風にする必要がありそうです。
 そうなると、道路にはゲートをつけないといけませんね。セルフサービスだと閉めないのが居るし、今の法律では国道や県道にゲートをつけて閉鎖することも出来ないでしょうしね。
 全部有料道路にして・・・と言うわけにも行かないし・・・
 それに、広い範囲に点在する農地を囲い込むことも出来ないし・・・
 それでなくても効率が悪くて百姓では食えない田舎で、どんどん作れる作物がなくなります。
 イノシシも鹿も猿も食わない辛いトウガラシ畑なら何とかなりそうですけどねえ・・・
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 動物がうろつく道には『鹿注意』なんて標識が出ていることがあります。
 紀伊半島なんて、国道42号線、168・169・309・311号線なんてのは夜になれば全線そうなりますね。
 「イノシシ」「鹿」「狸」「狐」「ウサギ」「かもしか」・・・昼間は「猿」ですからね。
 それに、車のエンジン音の聞こえない『徘徊老人』まで加わりますから、くれぐれも走行時にはお気をつけください。
 熊野の神々もとてもそこまで手が回りませんからね。
 電気自動車の方は相手が若い人でも気を付けてくださいね。こればっかりは若くても聞こえませんから・・・
 補助金まで貰って危ない車を走らせていることを自覚してください。

熊野市周辺地図です
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by je2luz | 2009-07-25 10:45 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
2009年 07月 24日

熊野の旅 小さな祭り 新出町稲荷さん夏祭り 3

 大勢の舞踏集団で賑やかだった夏祭りでした。
 二組の片方はものすごく小さな子供も入っている集団でした。
 ちいちゃな子供と言う物はこうした舞台に乗せると上手ならこまっしゃくれて受けますし、外せば外したで可愛いと受ける物です。
 一番満足するのは親御さんなんですけどね。
 最近はあまり話題にもならくなりましたが、「ジョンベネちゃん」を思い出しました。
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 このチームはよちよち歩きの入った混成チームでしたが、ソーラン独特の全体主義的なマスゲームの美しさではなく、子供のかわいらしさで受けている感じでした。
 そもそも「ソーラン」の嫌いな私から見ると単純に「かわいい」とは見えないところがあるのですけどね。

 まあ、かくして屋外ビアガーデンは舞踏入りで、蒸し暑さも手伝って、そこそこ売り上げを伸ばしていたようです。
 フィルムの終了とともに家に帰ったので、ビール券についていた福引の景品が何だったのかも見ないで終わりました。
 かつては、こうしたビアガーデンのビールは500円だったのですが、中ジョッキが使い捨てコップに変わって値段が300円に下がりました。それに福引まで付けたらぼろ儲けではないように思えます。
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 おそらく、今週末の明日の晩もどこかでこうしたビアガーデンが行われるのだと思います。
 こんな町場は歩いてこられる客も多いですから良いですが、山間部に入ると家がばらばらで・・・でも、『飲んだら乗るな!』ですし、主催者にも罰が及びますから大変でしょうね。
 もっとも、深く考えないところもあるでしょうけどね。

 次週の週末は、恒例の、『響鼓in熊野』(きょうこ・イン・くまの)がある予定です。
 こちらは大掛かりなイベントで出演者も紀伊半島一円からやってくるはずです。
 詳しくはもう一度きちんと載せます。

   カメラはエンサイン・セルフィックス16-20(英国)

熊野市周辺地図です
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by je2luz | 2009-07-24 10:16 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 07月 23日

熊野の旅 小さな祭り 新出町稲荷さん夏祭り 2

 日蝕は雨で見えませんでしたが、今日は打って変わって上天気・・・

 さて、先日の「稲荷さんの夏祭り」の続きです。
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 昔は、子供が沢山集まってきて賑わった夜のお祭りも、居ない子供に集まれと言っても無理なので、すこしずつ趣向が変わってきたようです。
 子供用の夜店が減ってきて、大人向けの地元の夜店が店開きしています。
 「神楽保存会」だとか「熊野大花火」なんてTシャツを着た人がやっています。
 熊野で見ると『若い衆』なのですが、よく見れば、「かかあも子も居る・・・」年齢ですね。
 そもそも、各地にあった『青年団』なんてのが消えてどれくらいになるのでしょう?
 高度成長期に入り中学出、高校出の若者がほとんど全員外に行くようになった頃から衰退しましたね。
 私もその口だったわけですが、私も「青年団」には縁が無かったです。

 元々は、何もしなくても賑わうほどのお参りがあった『新出町稲荷』ですが、何か余興が無いと・・・と言うことでしょう。
 今年は仮設ステージで『舞踊』がありました。
 と、言っても、『奉納』ではなかったようです。
 演目は・・・
 ご多分に漏れず、『ソーラン』です。
 もちろん、『正調・ソーラン節』ではありません。いまの、一糸乱れず舞い狂う方の『ソーラン』です。
 ステージがカラオケになら十分なのですが、境内の幅も無いので少々手狭で、片方のチームではステージにおさまらないので、ステージの前でも踊っていました。
 二つのチームが参加してくれていましたから、それだけでも参加人数が増えて賑やかにはなっていました。

 こうした「ソーラン」は何かのイベントがあるたびに見かけます。
 こんな流行から遅れ気味の田舎でも一杯チームがあるようです。
 そして、イベントのたびに「ソーラン」を見かけるのは、どうやら全国的みたいですね。
 わたしは、こうした傾向はあまり好きではないので普段はカメラをあまり向けません。
 街中の「ヴィトンのバッグ」みたいな感じがしますね。没個性・・・流行っているから・・・みんなと一緒が安心・・・
 でも、「太鼓」同様、賑やかだし、アマチュア集団だし、気軽に出演してくれるし・・・イベント主催者にはありがたい物でしょう。
 団体の方も、こうした出番がなければ、かつての婦人会の踊りのように、見せる場所が少なくて練習に身が入らないことになるでしょうしね。
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 写真って怖いんです。
 目で見ると良く揃っている踊りでも、1/500秒とか1/1000秒に切り取ると、それぞれかなりの時間差があるのが分かるのです。
 その踊りの振りを知っていれば、決めポーズの時にシャッターを落とすのですが、何しろ興味が無いので駄目ですね。
 オートワインだー、オートフォーカスでフィルムもどんどん消化させればいいでしょうが、ノブでの手動巻上げ、目測ピントあわせ、フィルムもスナップを含めて一本限りでは話になりません。おまけに白黒ですから、こうした被写体には向きませんね。太鼓は良いですけどね。
 「別嬪さんにとってくれ」って言われたのですけどねえ・・・

   カメラはエンサイン・セルフィックス16-20(英国)

熊野市周辺地図です
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by je2luz | 2009-07-23 12:06 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 07月 22日

熊野の旅 番外 外は暗くなってきたけど・・・

 今日は『日蝕』・・・もう始まっています。
 外は暗くなり始めています。
 ピークは11時過ぎのはずなんですが、とても見られそうに無いですね。
 朝、6時過ぎには薄日が差すほどの天気に回復していたので、そのまま良い方に進めば見られるかなと思いましたが、西に豪雨が降っていた状態なのでそれは望めずどんより曇ってしまいました。
 熊野も南の方なので結構欠けるはずなのですがね。8割以上は欠けるはずなので、写真でも何とか撮っておこうかと思ったのですが全く駄目です。

 昔なら、こんな大きな日蝕があったら、熊野詣などで山の中に居たら生きた心地はしなかったでしょう。
 まして、時の政府がひっくり返るようなこと(解散)なんてあったら、てきめん『神罰が下った』となったでしょう。
 直前に辞めたから、こんな時は追い落とした側が悪人にされるでしょうし、辞めろの動きの中で起きたらその逆で追い落としに利用されたでしょうね。

 天変地異の中でもかなり派手だし、影響もわかりにくいだけに色んな使われ方があったでしょうね。
 今では日蝕を利用してうまくやれるのは、旅行業者やメガネを作るおもちゃメーカー位のものですね。
 神社仏閣でのご祈祷なんてやるのでしょうかね?

 大きな天変地異なのに、何事も無くピークに差し掛かっています。
 私はこうしたことへのセンサーが弱いらしく、逃げ出したり古江が来たりはしそうに無いです。

 今日の写真は記事とは全く関係ないです
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   カメラはエンサイン・セルフィックス16-20(英国)

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by je2luz | 2009-07-22 11:11 | 熊野 | Trackback | Comments(0)