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LUZの熊野古道案内

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2009年 04月 30日

熊野の旅 神も昔はそばに居た?

 ギリシャ神話などでも、神々は随分人間的で浮気もすればやきもちも焼く・・・
 日本でも、神々なのに人間のようなことをして子供を作ったり、焼け死んだり、腹を立てて殺したり・・・
 昔々は神と人間の区別があまり無かったようですね。
 と、言うより、人間が小ざかしくなってくると共に、そうした神話の登場人物を神格化して、それこそ「祀り上げ」てしまったのでしょうね。
 何しろ、近いところでは「明治天皇」その臣下の「乃木希典」「東郷平八郎」から太平洋戦争の「山本五十六」まで『神』として祀り上げられていますからね。

 古代には、「神」と「民」の間に、さほどの違いが無かったのでしょうね。
 江戸時代の「お殿様」「将軍様」に比べればうんと身近だったと思われます。
 神様がものすごく大層なもので特殊な人間にしか近づけないようにした方が、都合の良い階層が出来てきて、日本の神々も空高く昇って行ってしまったのでしょう。
 今じゃあ、神主さんが「うぉーーー」とか言って降ろしてこないと自由に下界にも来れないようです。
 神様も不便になったものですね。
 このごろの神様は、お殿様じゃあないですが、『サンマは目黒に限る』なんて言っているかも知れません。

 昨日の写真が、日本最古の神社『花の窟神社』の神域です。
 境内の中、御神体の岩山の足元に百坪ほどの低い石垣で囲んだ一角があり、その入り口に小さな扉も付いていない門があります。
 普通の家の門飾り程度のしめ縄が付けられていますが、この先がこの『花の窟神社』の本物のご神域のようです。
 もちろん、誰でも出入り自由です。
 禊だ不浄だなんて言いません。
 立ち入れないのは、その中の一坪ちょっとの部分だけです。
 それとて、低い柵があるだけで大層なバリアーは張っていません。

 そもそも、神様なのですから人間に踏まれるわけもなし・・・
 仏様ほど気は長くないでしょうが、少しくらいの事では怒らないでしょう。

 今日の写真は、この神域の手前にある建物ですが、取り立てて、『拝殿』に作ってあるようでもありません。
 神主さんも常駐しない神社ですから『社務所』としても使われていません。
 お祭りの時の詰め所、受付みたいな使われ方をしているようです。
 だから、真ん中に作られた通路には扉もありません。
 通行自由です。
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 通路の向こうに先に書いた小さな門も見えています。
 このように、神も神域も誰でも入り込める場所にある古代信仰的な神社の『花の窟神社』は、仰々しい鳥居や社殿・拝殿がある、「官幣大社」的な神社に比べると有り難味に欠けると感じる人が多いようです。
 木靴を履いた神主さんも、袴をはいた巫女さんも居ませんしね。

 中途半端に中継ぎをしたがる媒体が居ないのですから、一度神様に直談判してみてはいかがですか?
 ここなら、仲介者も居ない代わり、邪魔をするバリアー無いですからね。
 日ごろの行いが悪いと、「神」ではなく「もののけ・妖怪」の類が返事するかもしれませんが・・・
 しかし、ここはやたらと明るいのでややこしいのは居ないと思いますよ。

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-04-30 11:32 | 熊野 | Trackback | Comments(1)
2009年 04月 29日

熊野の旅 ゴールデンウィークと新聞広告

 ゴールデンウィークに突入と言うことでこのところ新聞では大きなスペースをとって県単位の広告が出されています。
 私のところは朝日新聞ですが、他の全国紙でも同じようなものなのでしょうかね?
 三重県でも熊野と伊賀上野は朝日新聞大阪本社の配送範囲になります。
 ローカルの『三重版』もこの二つは名古屋本社の地域とは当然違います。普段、三重版に出てくる広告の多くが奈良県、奈良市内のが多いなんて事ですからね。
 つまり、ここは朝日新聞のほうでは今でも『関西圏』と言うことです。
 そのせいなのか、この時期の『観光広告』も近畿・中国・四国が続いています。
 鳥取・島根・岡山・香川・高知・滋賀・・・
 同じ広告企画会社が作るからかよく似た広告欄、いわゆる『名刺広告』みたいなものになります。

 ゴールデンウィークだから、『観光広告』・・・分からなくも無いのですが、始まってしまった時期になって、観光地の旅館や名物の広告を打つって、少し遅いような気もするのですけどね。
 全国紙ですから、ブロック版にしろ広告費は安くないでしょうにねえ。
 しかし、観光が「金太郎飴」になっているのは確かなのですが、広告まで「金太郎飴」ではあまり見てもらえないのではないでしょうか?

 ところで、『熊野古道』の広告などはこうして載せられることはあるのでしょうか?
 世界遺産登録運動中と登録祝賀の頃には見た記憶があるのですが・・・
 勝浦あたりにならこうした名刺広告にお金を出せるレベルの旅館もありますが、南紀は零細企業ばかりですしねえ・・・
 『熊野古道』の行政区域は、和歌山・三重・奈良、三県にまたがっていますので、中々難しい場所にありますね。
 奈良県にとっては、「古都奈良」「明日香」「橿原」など県北の観光地群に比べれば「吉野山」「大峰山」は端っこの物です。
 三重県にとっては、「お伊勢さん」に比べると随分端っこの田舎のことですしね。
 この「世界遺産」に一番集中できるのは和歌山県でしょうね。
 有名観光資源の「高野山」「熊野三山」をそっくり含んでいますからね。

 行政がやっても、費用の割りに効果の少ないのが「広告宣伝」なのですが、それすらもやりにくいのでしょうね。
 『美し国おこし・三重』は、それを埋めうる施策なのですが、これも三重県全域ですしね。またまた、バランスの問題があるでしょう。

 熊野古道は「観光産業」ではなく「見て頂戴!」と言う趣旨でやるしかない観光地なのですから難しいです。
 道が便利になればなるほど「日帰り観光」が増えてゆきます。
 泊まるよりはガソリン+高速代のほうが安い・・・
 聞いたことも無い田舎のドライブインや大衆食堂よりは、日ごろ見慣れたコンビニの弁当の方が安心・・・
 トイレも昔と違い「道の駅」とコンビニで間に合うし・・・
 大阪・名古屋からだと、高い田舎のガソリンを入れなくても、満タンで往復できるし・・・

 いままでに「熊野古道歩き」に来られた方・・・一体おいくらこちらでお遣いになられましたか?
 そうしたアンケート調査はやられたことは無いですね。
 「熊野古道」と言う観光資源はそうしたものなのです。

 それよりも・・・
 『熊野古道って良かったですか?』
 これだけで良いと思いますね。

 何も考えず・・・
 自然の中を歩いて、風を感じ、お日様の暖かさ、木陰の涼しさ、自然の大きさ・・・そんなものを感じられればそれだけで良しとできれば、熊野まで来る価値はあるでしょう。
 具体的に何かを見たいのなら、熊野まで来なくても・・・
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熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-04-29 10:17 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 28日

熊野の旅 天と地 花の窟神社 

 NHKの今年の大河ドラマは「天地人」ですか・・・
 まあ、それの走りのようなのが「花の窟神社」でしょうね。
 そもそも、ここはお墓らしいです。
 「いざなぎ」だとか「いざなみ」なんて神話の世界ですから、一体何時の事やら定かではないですね。
 ご神体にこの岩山を選んだのは少し理解できる感じなのですが、お墓が崖の中腹なんて・・・

 日本でも「淡路島」には「風葬・鳥葬」があったのですから、そんな風な風習が古代にこの辺にもあっておかしくは無いのですけどね。
 「淡路島」も神話の世界では、日本の国を作る時にあちこちの島を引っ張り寄せる足場になったところだとか言う説があるようで、花の窟神社同様日本国の始まりに関係があるような感じもしますからね。
 淡路と熊野は歩けば遠いですが、海を行けばそう遠くないですからね。
 古代の人は意外と行動範囲が広く、出雲あたりと秋田・青森などが結構交流があったなどと近年は言われますからね。
 大体、あんなに長いシルクロードを旅したり、中国とアフリカの間に貿易があったり…
 どんな風習が流れ着いていてもおかしくない訳です。
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 この崖から空中を渡る綱が、「天と地」を結ぶものです。
 普通の注連縄とは少し意味が違うようですが、共に神聖なものとしてスタートしたのでしょう。
 この綱を、墓所のある崖の天上から地上・下界とを結ぶように張り渡す役は「人間」がにないます。
 これが2月と10月に行われる「綱掛け神事」です。
 古くからの神事と言う割りに、どちらかと言うと民間信仰に近い形で継承されてきています。
 なまじ「官製神事」にならなかった分、仰々しくならず、素朴なままで残されてきたのでしょう。
 大体において、都にある神社や大きな神社の神事は「官製神事」になっていて、下々の私たちには「見せてやらぬ」と言うものです。
 そんな神様はちっともありがたくもないし親しみももてませんね。
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 この『花の窟神社の「綱掛け神事』は全く、民間主導のもので、綱を引っ張るのに参加するのも自由参加で何の許可も要らないようです。
 綱の最初を崖の上にくくりつける役だけは、選ばれて白装束に身を固めた地元の人が勤めていますが、何しろ社殿も無い神社ですから、『お篭りをして・・・』と言う様な厳格な掟もないようです。
 信心深かった昔は少しは身を慎んだのでしょうけどね。

 次の『お綱掛け』は10月2日です。
 今年は金曜日ですね。
 午前中に行われますから、午後には熊野古道歩きにも行けますよ。
 いかがですか?
 天と地を結ぶような神事に参加しては・・・

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-04-28 11:39 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 27日

熊野の旅 JASCO熊野店

 熊野は紀伊半島一円、三重県、和歌山県、奈良県南部では有名な中堅スーパーの『オークワ』発祥の地です。
 『主婦の店』として出発した『大桑』がどんどん成長して一部上場するまでに成長し、大手に吸収されないで残った地方スーパーになったのです。
 人口も少ない過疎地の覆い処ですから、大手スーパーも進出しにくかったのです。
 最初に名乗りをあげたのは、関西基板の『ダイエー』が新宮進出を目指しました。しかし、オークワと新宮市内の商店の連合軍の反対で当時の「大店法」がクリアー出来ずに断念しました。
 三重県側では、東海・三重県北部基板の『ジャスコ』が尾鷲・熊野と南下してきました。
 熊野店がオープンしたのは30年ほど前になるのでしょう。
 店作りもスーパーと言うより、「ショッピングセンター」のようなもので、ゲームセンター、カレ-屋、ビュッフェ、化粧品屋、喫茶店、パン屋などの専門店も入り家族で遊べる雰囲気のある、都会風のものでした。
 地元スーパーの『オークワ』は完全なスーパーでしたから、進出してきた当初は近在の人も沢山見物に来ていました。
 日曜祭日は結構賑わったものです。
 ここが賑わえば、目の前の『河上横町』の食堂街も賑わったものです。
 『JASCO』の建物も同じ社長のものでしたから、まさに相乗効果で井戸を熊野の中心に持ち上げて行ったのです。
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 二階建ての店舗の屋上は駐車場になっていて、『エレベーター』も付いていました。
 他にエレベーターのあるのは、市役所と県事務所だけですから、このエレベーターだけでもすごく都会的だったのです。
 この巨大な『JASCO』と書いた看板は、もちろんこの辺では一番大きなもので、線路をはさんで離れたところを走る国道42号線からも見えるように作られています。

 この屋上駐車場では色んな催し物が行われました。
 その頃盛んだった、『ゴレンジャー?』などのショーもやってきましたね。
 我が家の子供も小さい頃だったので、そのショーを見せにつれて行きました。
 まさに、田舎の町に都会並みの風を吹き込みにきたのです。
 国道169号線がまだまだ未改良で伯母峰越えが大変だったのもあり、奈良県の下北山村、上北山村からも随分買い物に来られていました。
 何しろ、開店当初は、わざわざ来なくても・・・と言うような遠くから、「話の種」に見物に来る人も多かったのです。
 店内の呼び出しで・・・
 『串本町の○○さま・・お連れの方が…』 串本から75Kmです。
 『紀伊長島町の△△さま・・お子様の…』 紀伊長島から55Kmです。途中にジャスコ尾鷲店があります。
 これほど、田舎にとっては楽しいショッピングセンターだったのです。

 近年では、このJASCO熊野店も撤収のうわさがずっと続いています。
 今度こそ本当だろう・・・と、今も言われています。
 そのうち本当に撤収するものと思われます。

 近在の山間部は過疎と老齢化でここまで買い物に来ることの出来る人は半減したでしょう。
 新宮にはジャスコとオークワの巨大なショッピングセンターが3箇所もあるので、隣接の南牟婁郡の客も見込めなくなっています。
 よそではこうした建物の廃墟が一杯出来ているようです。
 賑やかだったところが空き家になり廃墟化すると余計も寂しいものですね。
 南紀白浜の一角などでは旅館の廃業によって寂しい町が出来ています。
 熊野にもそんな一角が出来るとすれば寂しいことです。

 カメラはツァイス・ウエラIII・テッサー50mm+TRI-X

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-04-27 12:18 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 26日

熊野の旅 河上横町

 1970年代の初めごろ、熊野市井戸町がまだ寂しかった頃に、『河上横町』と言うものが出来てきました。
 最初は差ほど大きなものでもなかったように思います。
 井戸川の右岸の埋め立てが完成したとき、お店を集めようと「河上」と言う方が鉄骨の簡易的な建物を建てたのが始まりでした。
 アルミサッシ屋さん氷販売屋さんなんかも入っていたように思います。
 そのうちに食堂などが集まってきて、どんどん増築され二階建ての建物に、パチンコ屋・焼肉屋・炉辺焼き屋・おでん屋・天ぷら屋・中華料理屋・うどん屋・喫茶店・バー・肉屋・エプロン屋・・・時々入れ替わりながらここに行けば何か食べられる・・・と言う場所に成長しました。
 ここの他には食堂が固まって並んでいるところもありませんでしたから。熊野の人が外食する時には、『横町へ行こうか・・・』と、とりあえずここに来てから考えたものです。
 そして、地元発祥のスーパー・オークワよりは少しだけ都会のにおいのする「JASCO」もこの「横町」の前に誘致されてきました。
 木本にあった熊野警察署も蕎麦に引っ越してくるし、この一体が熊野の副都心?に成長しました。
 
 この「河上横町」は、「よこまち」なのかとは思いますが、「よこちょう」と呼ぶ人が多いです。
 どちらが正式なのか確認したことも無いのですけど、私は「よこちょう」と呼びますね。
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 ここの社長さんは、熱中人間で、いろんなことに実に熱心に取り組みます。
 写真のステージは「河上横町」の駐車場にある屋根付き屋外イベント用ステージです。
 ことの始まりは、仮説ステージを組んで始めた『横町まつり』と言うイベントです。
 年々、盛大になってきて、観客も多くなったので、社長が固定したステージを作り、屋根をかけ、どんどん増設して観客席になる駐車場も屋根で覆ってしまったのです。

 投資に見合うかって言うと、見合わないでしょうね。
 何しろ、このイベントは抽選でものが当たることでも人気があったものですからね。
 しかし、イベントの呼び物になる、プロの顔ぶれも大したものでした。
 東京から遠いので足代でも大変なはずなのに、「ジョージ川口」なんてジャズの大物が毎年来ていましたね。
 「シルビア」なんてのも来たことがありました。「諏訪太鼓の小口何とか」なんてのも何回も来て「ジョージ川口」との競演があったりしましたね。
 もちろん、見物はただです。
 うまく行けば、抽選で自転車など当たるのですから、その辺のイベントよりはお客さん本位です。
 いまでも、7月に行われています。
 もう何年も覗きに言ったことが無いのでよく分かりません。

 時代が変わり、高齢化も進んできたのでこの『河上横町』の集客力も落ちてきたようです。
 お店も減ってきています。
 中心が写っていったと言うより、何となく分散されていった感じです。
 しかし、この井戸町井土が賑やかになるきっかけを作った施設には間違いありません。
 いまでも広い駐車場があるし、何軒かの食べ物屋がありますから、食堂探しの役には立つ場所です。

 カメラはツァイス・ウエラIII・テッサー50mm+TRI-X

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-04-26 10:47 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 25日

熊野の旅 お休みどころ 花の窟神社

 『熊野古道』を世界遺産に申請する話が出て、地元向けにも「一大観光産業が生まれる…」と言うような宣伝がなされ始めた頃。時々聞かれました。
 『世界遺産とやらに指定してもろうたら世界中から観光客が来て熊野模様なるらしいのう…』
 『人が一杯来たら、泊まるとこも足らんし、食堂も足らんし…』
 『これで熊野市も良うなるのし…』

 そんな時、私がずっと口にしてきたのは・・・
 『四国の遍路道をしっとるかえ?あんな風に、来てくれた人にはお茶の一杯も出し、まあ、休んでって…って言うくらいの気持ちじゃないとあかんで・・・  大体、そんなに客は来んしの…』
 かく左様に市民に期待を抱かせるような前宣伝があったのですけどね。

 確かに、一時期より観光客は少し増えています。
 消えかけていた党是道も立派に手入れされて迷わずに歩けるようになりました。
 その人たちが立ち寄って、少しばかり賑わうのは、お遍路道のお休み処ではないですが、二箇所の無料休憩所ですね。
 一つは木本町の『紀南ツアーデザインセンター』で、もう一つは『花の窟神社前の茶店』です。
 『紀南ツアーデザインセンター』は職員が居て管理と接待が行われていますが、『花の窟神社の茶店』の方は、地元・有馬のボランティアの人たちで運営されています。
 休日・祭日しか開かれていないのは仕方ないことです。
 でも、熱意に支えられているので結構暖かなもてなしのようです。
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 この二箇所でのお茶の接待は、番茶の接待になります。
 城下町でもなし、門前町でもない百姓と漁師の村だった地方ですから、「茶の湯」なんて作法にうるさい文化はありません。
 「お茶」と言えば「炊き出した番茶」なのです。
 このお茶があったからこそ、おかずが無くても0ご飯がおいしくいただける、『茶粥』が生まれたのです。
 上品な『抹茶』や『煎茶』などをめでていたのでは、『茶粥文化』は生まれなかったでしょうね。
 この茶屋に立ち寄られたら、遠慮しないでお茶をいただいてみてください。
 ひょっとすると、夏になると麦茶に化けるのかな?この辺では冷たいお茶も『番茶』だったのですがねえ…
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 昔ほど盛んではないようですが、こうした場所には「記念スタンプ」も用意されていると思います。
 半世紀ほど前には、ご朱印帳を小さくしたようなスタンプ帳を持っている旅行者も多かったのですけどねえ。
 今の人はパンフレットに押しているのが多いようです。
 道の駅にも必ず用意されています。
 ちょっと時代遅れ菜物を集めるのはいかがですか?
 今では『みやげ物』なんて珍しくもなくなって、もって帰る物があまり無いのですからね。

 カメラはツァイス・ウエラIII・テッサー50mm+TRI-X

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-04-25 10:46 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 24日

熊野の旅 金色週間

 空前の不景気だ・・・と言いつつ、今年の連休は海外旅行は好調、国内も高速道路料金の割引で好調の予想だそうです。
 去年の高かったガソリンが元に戻っただけなのにものすごく「安くなった」と錯覚して浮かれる人が多いようです。
 遠くまで走らないと損なような錯覚に陥っている人も多いので、ひょっとすると熊野までも走ってしまう人がいるかもしれませんね。
 1000円で走れる高速道路から降りて約100Kmで『神々の里』に着きます。
 名古屋方面からなら紀勢自動車道の出口から1時間ほど走ると『熊野路』です。
 『熊野路』に入って1時間ほどで『熊野市』です。
 ここからは1時間圏内に熊野三山すべてが収まります。
 いくら暇な『熊野古道』でもゴールデンウィークくらいは人が歩いていると思います。
 でも、ゴールデンウィークに出かけようかという人は、もっと見ろもののはっきりしたレジャー施設のほうに行くのでしょうね。
 テーマパークや水族館・・・
 ファミリー旅行は当然のようにそうなりますよね。
 先日のJRの「さわやかウォーキング」でも、親について熊野古道を歩きに来ていたのは一握りの女の子だけ・・・と言うくらいですからね。
 『なんも、しんどい目をして山を歩かなくても・・・』 と、言うことなんでしょう。
 それよりは「ラッコ」や「ジンベイザメ」の方が分かりよいですからね。
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 熊野だって、『美し国おこし・三重』が始まっています。
 連休中に何かあるとかは聞いていませんが、ここは『『美し国・うましくに』なんですから・・・
 何のもてなしも出来ませんが、新緑になった木々と草いきれ、青い空と青を通り越した群青色に近い黒潮の海がお客さんを迎えてくれます。

 天とつながっていた山々と、極楽浄土につながっていた海です。
 いまでもその通路がふさがらずにどこかに残っているかもしれません。
 トトロのトンネルのような穴が熊野古道の脇にあなただけが見える形で開いているかもしれません。
 世之助が乗ったような船があなたを待っていてくれるかもしれません。

 もっとも、今すぐに天国や極楽浄土に行きたい人は居ないでしょうけど、昔の後鳥羽上皇などと同じように、席を「予約」することが出来るかもしれませんよ。
 都の寺や神社よりは「予約金」は少なくて済みそうな気がします。
 それに、神様もここに勤務しているとそんなに忙しくないですから、どこかの病院のように三時間待ち・5分診察・・・なんてことは無いはずです。
 じっくり願い事を聞いてくれると思いますよ。
 大体において、神様の方が退屈して、『そこの御仁・・・ご利益を進ぜようか?』ときいてくれそうな雰囲気ですよ。
 その声が聞こえるかどうかは、のんびりと熊野の空気に包まれるだけの心に余裕があるかどうかだと思いますがね。

 私ですが?
 そんなところに行った時は写真機を持って走り回るのが忙しく、神様たちに、『あとにしてくれる?』と言ってしまうので嫌われるようです。
 その方が気に入られて迎えに来られるより良いような気もしますけどね。

 こんな風に、ちょいと宣伝して、宣伝料で席だけ予約できればねえ・・・
 こちらに来られてどこかにお参りしたら・・・
 『LUZに聞いてきました・・・』と、売り込んで置いてください。
 まさに『他力本願』です。

  カメラはミノルタα7700i

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-04-24 11:17 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 23日

熊野の旅 七里御浜 鯉のぼりの会

 もう、随分前からになりますが、ここ『七里御浜』の「獅子岩」から木本へかけて。この時期に大量の鯉のぼりがあげられます。
 昔からある、四万十川の鯉のぼりなどにヒントを得て、地元の有志が手作りで始めたものです。
 何事にも機動力のあった「熊野無線クラブ」のメンバーと商友会のメンバーなどが集まって、『七里御浜鯉のぼりの会』を作り、金銭的な寄付と。家で揚げなくなった「鯉のぼり」の寄付を募って始めました。
 最初のうちは、木の足場丸太を素人集団が砂利浜に立て、ステーを引いて設営していました。
 悪戦苦闘して立てても、何しろ海辺のことで風は強いし、完全な砂利浜なので杭もまともに打てないし・・・
 ロープのテンションも思うように掛けられないし・・・
 柱ごと対されたり・・・
 四苦八苦しながら、四苦八苦・・・まさに手作りで汗水をたらしていました。
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 上の光景は、先日行われていた、今年の設営風景です。
 少し前からは、このように銃器が動員され、支柱も鉄製のしっかりした物になりてきぱきと設営されるようになりました。
 この日も、大きなユンボが二台働いていました。
 資材の運搬も、キャタピラーのついた運送車でした。
 作業をしているのも自衛隊の人を含め顔の知らない人たちがほとんどでした。
 顔なじみは一人だけで、元のメンバーの姿はありませんでしたね。
 
 そんなに日差しの強い日ではなかったのですが、砂利浜の上はものすごく暑いですから、春なのにびっしり汗をかいて作業していました。
 私などは家の裏の浜への出口から100mほど歩いて、現場まで行くだけで疲れました。
 この浜は、木本高校の野球部のトレーニングなどにも使われていたくらい、歩いたり走ったりするだけでものすごく疲れるところなのです。
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 この鯉のぼりはゴールデンウィーク中はこの海岸で泳いでいます。
 毎年、結構沢山の鯉のぼりがつるされるのですが、今では地元で生まれる子が減っていますから、補充が利きにくくなっています。
 全国からの寄進に頼ろうとしても、この式の鯉のぼりを泳がすイベントが全国的に増えましたから知名度の低い熊野では苦戦するでしょうね。

 イベントの常なのですが、手作りで始めた物も少しうまく行くと知らない間に「官」が加わってきたりして変質してきます。
 立派になっても「手作り感」がなくなり、駆けずり回った当初のメンバーも離れて行ったりします。
 この鯉のぼりもそうした流れになって、立派にはなったのですが何だか少しよそよそしくなったような気もします。

 それでも、天気の良い日には、太平洋と青空の間を海風に吹かれてたなびく沢山の鯉のぼりの姿はすがすがしいものです。
 松本峠から花の窟神社へ向かえば必ずこの鯉のぼりの脇を通ります。
 自動販売機で缶コーヒーでも買った浜に下りて一休みしてください。
 まっすぐ前は、アメリカ大陸まで何もないという、大海原が広がっています。
 気持ちの良いものですよ。

  カメラはミノルタα7700i

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-04-23 11:05 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 22日

熊野の旅 美し国おこし・三重 4

 『美し国おこし・三重』の熊野市分のイベントを取り上げてきていますが、そのときに貰ったパンフレットの一つに、『あむあむ』と言うA3一枚裏表の新聞状のものがあります。
 発行は『美し国おこし・三重』実行委員会(三重間政策部『美し国おこし・三重』推進室内)とあります。
 この小さな新聞の一番最後の欄外にこの壮大な施策の正体が見えました。
 一時的なものではないから当然なのでしょうが、完全な官主導・官製イベントが続くと言うことのようです。
 民間が適当に協力してやら無いと、実績作りの行事がどんどん出来てきて、まさに講演会だとかフォーラムだとかが人知れず行われるようになる予感がします。
 この新聞によりますと、ここ熊野市では準備段階の2月に県事務所に各種団体の長の方などが集まって『美し国おこし・三重』に対する取り組みなどが熱心に討議されたそうです。
 前に書いたように『プロデューサー』が参加してアドバイスしてくれたようです。

 二面に行くと・・・
 『県内初のワールドカフェ』・・・
    「総勢100人を超えた参加者の夢と思い
    つむぎ合う言葉はイメージの意図となってー」
 と、言う記事が踊っています。
 これも、準備段階の2月に名張市桔梗が丘公民館で行われたようです。
 ここも何十年か前には新興住宅地として、大阪や名古屋に通う『ニューファミリー』の町だったところです。
 名張市の旧住民との乖離が問題視されたと所ですが、今では結構老齢化も進んでいるやに聞きます。
 こうした、文化活動に生きがいを見出す退職者層も多くなっているのでしょうね。

 と言うような記事で裏表が埋まっていますが、座談会の予告は半分以上終わったものでした。熊野市のイベントで配ったのは発行からかなり経ってからだったようです。
 この『美し国おこし・三重』については三重県のHPの中のこの企画専用のページを見てくれとのことです。

 貰った新聞はこんなものでしたが、木本のイベントはおじちゃん・おばちゃんを通り越した、おじいちゃん・おばあちゃんパワーと木本高校吹奏楽部の若い女の子パワーに支えられ、観客のおじいちゃんおばあちゃんを喜ばせていました。
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 カメラはニコマートEL+シグマワイドズーム+TRI-X

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-04-22 10:46 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2009年 04月 21日

熊野の旅 美し国おこし・三重 3

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 世話役の名物雑貨屋『丸田さん』の挨拶でイベントがスタートしました。
 もっとも、表向きにはここからですが、『餅つき』がメインですから、前の日のもち米洗いから、当日早くからの振る舞い用の餅握りなどがあるので、随分早くから始まってはいたのです。
 イベント用の『臼と杵』による手搗きは二臼とかですが、機械では休まずに搗き続けていました。
 脇では年配の人には懐かしい、『蒸籠・せいろ』によって、もち米がどんどん蒸し上げられていました。
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 こうした『木の蒸籠』などと言うものも、この辺のようにやたらと餅を搗くところではどこの家にもあったのです。
 そして、こうした蒸籠で大量の米を蒸し上げるのは普通のガスコンロや石油コンロではうまくないのです。
 台所の『くんど・かまど』が新生活運動で壊されていった時からは、鋳物で出来た簡易の「外くんど」が普及したのです。
 そして、庭で薪を焚いてもち米を蒸し、家中総出で餅を搗いたものです。
 それが『餅つき機』などという何もかも自動でやってくれる機械が出てきて、思い立ったら奥さんだけでちょこっとの餅でも作れるようになりましたね。
 最初の頃には、『便利になって』それこそ年中餅を搗く家もあったようですが、その分、餅にも飽きちゃったようです。
 かくして、一杯売れた『餅つき機』もまさに『お蔵入り』しちゃった家が多いようです。
 まして、『臼』だとか『杵』なんてのは『民族資料館』だとか『郷土資料館』なんてところに行かないとお目にかかれなくなっていますね。
 こうした文化は消えてゆくものですね。
 今じゃあ、市場bb見かけるのは、保育所とかこうしたイベントとかで行う行事ですね。
 この日も、本格的に杵を振るったのはお年寄りの方々でした。
 高校生や一般の人のはまさに余興と言うもので、手つきも腰つきも・・・
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 カメラはニコマートEL+シグマワイドズーム+TRI-X

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-04-21 11:16 | 熊野 | Trackback | Comments(0)