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LUZの熊野古道案内

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2008年 10月 31日

熊野の旅 モニュメント?

 10月28日・旧暦9月30日に朝から山に出かけたことは書きました。
 中味は、今どき行わない『山入り』の儀式でした。
 この『山入り』は伐採をする前にお払いをして無事を祈願する物です。
 古くは精霊を宿す木々を切り倒し、山の平穏を乱すのですから、八百万の神や山ノ神に感謝の意を表し、伐採の許しを請うためにきちんとお供えをし清めたものです。
 昭和の中頃まで・・・チェーンソーが入り込む前には先山(きこり)たちは伐採にかかる前に山にお酒を供えたりして『山入り』のお祈りをしたものです。
 仰々しい物ではなく気を引き締めて仕事を始めるためのものでした。
 しかし、近年では殆ど行われることも無くなりました。

 この『山入り』をやろうと言うことで、招集がかかったのです。
 伐採するのは二本の杉の木です。
 すんなりまっすぐのびて、枝下が15mほどある木が必要になったので白羽に矢が立ったのが私の山の木でした。
 大木では無いのですが、伸びがよく、道のそばで伐採搬出が楽に出来るところにあるという条件を満たす物って意外と少ないからです。
 樹齢は60年ほどしかないと思います。少々育ちすぎともいえるのですが、非常に姿の良い気が並んでいる山です。

 たった二本の木を倒すのに『山入り』をやろうなんて・・・
 この木は『日時計』の針の柱になるのです。
 今の時代にこんな巨大な日時計を作ると言うことは、普通ではありませんね。
 普通じゃないから、巨大だし、こんな仰々しい儀式も行われるのです。
 早朝に『大馬神社』に日時計の主催者・山主・伐採を請け負う森林組合・脳材を請け負う鬼の国物流の面々が集合し、神主さんのお払いを受けるところから始まります。
 テレビのカメラがNHK・ローカルテレビ・主催者の記録用と大きな物が三台入っていました。
 それに、支援者がたくさんいて山の神様がびっくりしたことかと思います。
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 まあ、おかげさんで朝日が差し込んでいる『大馬神社』にお参りすることが出来ました。
 朝早く動くこともないし、大馬神社はあまり行く事も無いのでよかったです。
 こうした場所の早朝と言うものは良い物です。
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木本町全図です

by je2luz | 2008-10-31 11:39 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 10月 30日

熊野の旅 商店街とイベント

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 昨日の続きになります。
 バンド名がこの写真で分かりました。
 『ラムディ パイプバンド』だそうです。太鼓に『OSAKA』と書いてありましたから本拠地は大阪のようです。
 大型観光バスで来ていました。
 
 このパレードの部分は『木本本町商店会』の主催するイベントになっています。
 本町は名の通り、木本のメインストリートだった道です。
 今でも、『世界遺産・熊野古道・伊勢道・浜街道』の入り口として観光的にも重要だろうと、認定されたらしく立派な石畳の道に生まれ変わりました。
 この道路は熊野市駅(旧紀伊木本駅)から鬼ヶ城東口(脇の浜)の巡航船乗り場までを結ぶ県道です。延長1Kmほどの短い物ですが、かつて、尾鷲との間の交通が巡航船に頼っていた当時は重要な道路として認定されていたのです。
 県道『木本停車場線』が名称だったと思います。
 趣があってよい名前ですね。

 そうした頃には旅人は紀伊木本駅から船着場までをこの道を歩いたわけです。
 ちょいと荒れれば小さな巡航船では船出することも出来ません。
 年のうち何日も欠航になります。
 欠航になれば泊まるしかありません。
 つまり、木本の町が栄えたのです。
 
 本町には宿屋・酒屋・呉服屋・饅頭屋・荒物屋・小間物屋・履物屋・洋服屋・食堂・本屋・文房具屋・郵便局・銀行・警察署・役場・・・果ては女郎屋まで揃っていました。
 ほんの600mほどの間にこれが並んだのですから賑やかな商店街が出来ていたのです。
 その頃だと、催し物をしなくても近郷近在の人たちは買い物と言えば本町に集まってきた物です。

 町の中心はどこでも移って行くものです。
 木本も都市計画で『記念通り』が作られ、歩道付の近代的道路の方に商店が建ち始めて段々そちらがメインになって行きました。
 決定的だったのは、戦後になり『主婦の店』と言うスーパーマーケットが出来たことでした。
 何でも揃うスーパーの出現で周辺からの客は本町には来なくなりました。
 その『主婦の店』が今では『スーパー・オークワ』に成長しています。
 子供たちと一緒で、この『オークワ』も大きくなると木本にあった本社がよそに出て行きました。
 
 中心が移ってしまっただけではなく、過疎・老齢化に見舞われる地方の町ですから、人通りも絶えかけています。
 残った商店によって運営されている『商店会』自体も会員が老齢化して来ています。
 このように、年中色んなイベントを企画して開いていますが、『笛吹けど・・・』の状態です。
 『踊らず』と言おうにも『踊り手』が居なくなって来ていますからね。

 田舎のお年よりは『国民年金』の人が殆どです。
 都市部の『厚生年金』の『人との落差は大きいです。
 当然、購買力の差となって出てきますしね。
 頑張っている商店主さんたちも国民年金です。
 何十年頑張ってきても、『楽隠居』とは行かないようです。

木本町全図です

by je2luz | 2008-10-30 11:13 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 10月 29日

熊野の旅 遠い国・遠くなった戦争

 昭和が終わって20年、太平洋戦争が終わって63年・・・
 戦争体験者はどんどん減っています。
 日本はあれから戦争に巻き込まれたことが無いので世界の中でも一番戦争が遠くなったように感じられる国なのでしょうね。
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 このスコットランドのキルトを身につけバグパイプを吹きながら行進する集団は、太平等戦争の置き土産みたいな物です。
 去年のこの時期にも書いた『イルカ・ボーイズ』と言う英国軍の兵士が捕虜になり、紀和町の入鹿鉱山で強制労働させられたことが発端になったものです。
 捕虜の強制労働はジュネーブ条約の違反ですが、朝鮮半島から民間人を強制連行して労働力の確保に走っていた日本ですからそんなことはお構い無しだったようです。
 当然のように、異国での生活、過酷な労働、粗末な食事などでなくなられた捕虜も出ました。
 終戦を迎え、無事に帰還した兵士の方も、二度と見たくない地の一つがこの熊野・紀和の入鹿鉱山だったようです。
 戦争が終わって50年ほど経ってから、紀和町の呼びかけもあって、生還された兵士の一部の方が来日し入鹿を訪れ、供養に建てられた碑にもお参りされました。
 その時でも皆さんお年を召されていました。
 若い兵隊さんで20歳の場合でも70歳と言うことです。
 平均的な兵隊さんで25歳ならすでに75歳だったわけです。
 それから15年経った去年で『イルカ・ボーイズ』の方が訪れることは打ち切られました。
 90歳を越した方たちですから生きておられても、イギリスからこの熊野まではものすごく長い旅になりますからね。
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 去年などもそうだったのですが、『イルカ・ボーイズ』のおじいちゃんたちがこられないので、日本在住のイギリス人が中心?になったバグパイプの楽団がイルカを訪れ、慰霊碑の前で演奏して慰める行事になっています。
 前列の方はいかにも『イギリス人』と言う感じの人たちですが、後ろ半分は外人や日本人?の子供が歩いています。
 大阪にあるバンドのようです。
 私から見たのでは、スコットランド人やらイングランド人やらさっぱり分かりませんがね。

 その楽団がイルカに来たのに便乗して、『本町商店会』?が木本町の本町をパレードしてもらっているのです。
 見物人が少ないので、バンドの人は張り合いが無いでしょうけど、パラパラと出てくれている人で本町の住民ほぼ全てなのですから・・・
 石畳の石の数ほどは木本全体でも居ないのですから我慢してもらわないとね。

 にこのパレードの元になっている英国軍の捕虜の話もすっかり忘れられかけています。
 そして、この『プープカ プープカ』がどこの国のものかも分からないおばあちゃんがたくさん居ます。
 『珍しい楽団が歩いている・・・』だけでは淋しいですね。
 学習能力に欠けるというか、教えられていないと言うか・・・

木本町全図です

by je2luz | 2008-10-29 12:48 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 10月 28日

熊野の旅 山は少し秋色でした

 今日は朝から山に行って来ました。
 珍しく『山主』として山に行きました。
 まともに林業かとしての仕事はしないで来ましたから、こうしたことも少ないです。
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 国道42号線の昔のルートで『評議越え』の道の頂上付近、『小坂峠』です。
 今の国道の小阪トンネルの上を越える所で、片方はそのまま泊湾に向かって水が走り下り、反対側は大又川に流れ込んで延々と遠回りして新宮まで流れる分水嶺です。
 標高は約400mですが、この海に面した大泊町側と反対側の飛鳥町ではまるで気候が違います。
 冬の夜中になりと4度も違ってくるほどです。

 今日は旧暦の9月30日です。
 つまり、闇夜です。
 それが京屋間へ行った理由なのですが、詳しいことは別に書きます。
 
 南国で秋の紅葉の無い所ですが、道のそばの木の葉っぱも少し秋模様でした。
 夏に比べると少し黄色で、生気がうせてきていました。
 やっぱり秋ですね。

木本町全図です

by je2luz | 2008-10-28 12:23 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 10月 27日

熊野の旅 風情は昭和

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 先日の『木本祭り』宵宮の晩の写真です。
 本町通りに一軒ある銭湯の入り口です。
 木本は家が建て込んでいるので面積の割りに人口の多い町でした。それに、敷地や燃料確保の面から『内風呂』のある家はあまり無かった物です。
 だから、こうした銭湯が数軒あったのです。
 昭和の後期になると、ガスやボイラー、給湯器が出てくるし、ユニットバスもあるし、大げさな工事をしなくても内風呂を作れるようになり、庶民の生活も少し楽になったので銭湯の客が急減しました。
 これは、どこの町でも同じことですね。
 この辺でも、上木本や松原にあった銭湯が廃業して行きました。
 内風呂の無い人にとってはものすごく不便になってしまったでしょうね。
 この風呂屋さんは駐車場を少し確保してありますが、夕方になってくると路上にもお風呂に来た人の車が置かれています。
 本町筋で一番人の出入りの多いのがこの『みはま湯』さんでしょう。

 我が家から100mほどなのですが、私の記憶では小さい頃に一回行ったきりです。
 銭湯に入る習慣が無かったので、東京に出て銭湯に行くのが何となく最初は恥ずかしかった物です。
 私の銭湯デビューは東武東上線常盤台の南の方の『常盤湯』でした。
 その頃だと、その銭湯も麦畑の真ん中にあったのですがねえ・・・

 ふんだんに水の使える銭湯が花形だったのは昭和時代でしょうね。
 まだまだ社交場の要素も残していましたからね。
 お金に余裕のあるときは、ビン入りのコーヒー牛乳やフルーツ牛乳・プラッシーなどをラッパのみに…
 でも、小遣いがフィルム代に消えるのでそんな一寸した贅沢もたまにしか出来ませんでした。

 我が家の子供たちは時々友達と誘い合ってこの『みはま湯』へ行っていました。
 昭和末期の子供たちですから、まだ昭和の文化を少し知っている世代なのでしょうかね?

カメラは フジカST605N+クルタゴンC35mm

木本町全図です

by je2luz | 2008-10-27 12:13 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 10月 26日

熊野の旅 大又川 富栄養化が進んでいるらしい

 下の写真は熊野川の支流、『大又川』、熊野市飛鳥町小阪地内のものです。
 『大又川』は洪水の時以外は全く濁りの無い清流です。
 『水中生物調査』でもきれいな水にすむ生物の多い川です。
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 この写真を見て、昔の『大又川』を知っている人なら、『変わった』と思われるはずです。
 水辺まで下りれば昔と変わらないきれいな水が流れ、『なべら』も『岩』も『ごろ』もそこにはあります。

 『なべら』は「滑」の変形でしょうか、露出したつるつるの岩盤です。
 『ごろ』はゴロゴロ転がっている一抱えから野球のボールくらいの丸い石ころの集団です。
 これらが組み合わされれ、『ドンボ』や『セ』を交互に作り出しているのが大又川です。
 『ドンボ』は『淵』のことです。数は多くないですが、水泳場になっていることが多いですね。

 『なべら』は固い岩盤ですから水中では『鮎』の好物の苔が生えますが、水から出ると当然何も生えません。
 『ごろ』で水中にあるものは水中動物や鰻の住処になります。
 この『ごろ』は砂防ダムなどの影響でしょうか少し減ってしまい、砂や泥が間に入って層が浅くなってしまいました。
 昔はこのごろ石は厚みが1mほどもあり、下の砂地まで掘って鰻を取るのは大変でしたが、今では見かけは『ごろ』でも一並べ程度石があるだけです。当然、鰻の住処にはなりません。

 水中の『ごろ』がその通りなので、水から出た部分の川原でも同様です。
 昔は猫柳やアシノコ(葦)が根を下ろすにはそのごろ石の層を通りこさなくてはならなかったのですが、今ではすぐに砂の層に根を下ろせます。
 それに、生活廃水が入るようになって、川自体が『富栄養化』しています。
 だから、ごろ石の川原だった部分は猫柳やアシノコで覆い尽くされてしまいました。
 その結果、川を上から撮影すると全く白い部分がなくなっています。

 この状態になると、水遊びの時に水から出て移動するのが出来なくなります。
 はだしでこんな草むらを抜けるのは危ない物です。
 周りは山ばかり、『マムシ』は水辺が大好き・・・なのです。
 本当は困った情景なのですが、日本の河川はこんな物が多いので普通のように見える人が多いと思います。
 考え方では、この草むらは富栄養化した大又川の証でもあり、それを一生懸命浄化している自然の助っ人でもあるのですがね。
 農家に『牛』が居たら、牛の大好物のアシノコは刈り取られますから、もう少しましになっているでしょうけど・・・

カメラは オリンパス・ワイド
木本町全図です

by je2luz | 2008-10-26 11:02 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
2008年 10月 25日

熊野の旅 さすがは世界遺産 4 からくり

 『紀南中核的交流施設』について概要を載せてきました。
 まだまだ、企画が一杯山積みです。
 40年ほど前に国がパイロット事業として山を切り崩し作り上げた『金山パイロット蜜柑園』をさらにブルとユンボで切り崩して敷地を造成して作り出す大事業ですから、盛りだくさんの企画がないとやれません。
 以前から浮かんでは消えしていたこの土地にはめ込むプロジェクトには、「雨竜企画」「オークワ」「ミズノ」「日比谷ガーデン」など色んな企業の名前が浮かびました。

 その企画は当時生まれてきた『PFI』と言う方式で行うと言う物でした。
 『PFI』とは事業に関わる道路などの基盤事業・インフラは公共で行うが、事業本体は民間の資本でやると言う物でした。
 それでも、自前で土地を確保、買収し、取り付け道路も自前で建設するよりはるかに有利です。それに、環境影響調査・アセスメントもお役所の金でやってくれて許認可も全部フリーパスです。
 民間会社には美味しい話なのです。
 こんな美味しい話を持ち出す時は、天下り先に仕事を出すとき以外では、誰もやりたがらないほど条件の悪い場所での事業と相場は決まっています。
 折りしもバブル終盤で全国で作りすぎたゴルフ場は会員権も売れない状態になっているし、企画書が書きあがった頃にはバブルもはじけかけました。
 この立地条件では、いくらお役所が笛を吹いても乗っかる企業が無かったのです。
 準備段階の調査だけは取りっぱぐれが無いので企画が変わるたびにコンサルタント会社がもがりついて汁だけ吸って帰りました。

 そして、今回ようやく日の目を見たのですが、その実態は・・・
 『PFI』方式なんて物ではなく、お役所丸抱え『好きにしてくれ』方式なのです。
 『道路や水道などはもちろん、土地の造成から建物まで全部公金で作ってあげます。 10年間だけどうぞ運営してください・・・』
 と言うものなのです。
 私はこの裏側を知る立場では今はありませんからよく分からないのですが、各地の類似事業から推測すると、この表面契約以外にも付帯事項があることが多いものです。
 それも運営会社に絶対的に有利な物が殆どです。
 
 今回、この事業を引き受けてくれたのは、『株式会社エムアンドエムサービス』と言うなんとも不思議な名前の会社です。
 大阪に本社があり、全国70ヶ所以上で企業の保養所や公共の宿の運営を行っている会社だそうです。
 こんな辺地で大きな事業をただとは言えやってくれるのだそうですから、地元民・三重県民・出資元の国民、皆で感謝しないといけないのでしょうね。

 まあ、表面的は事業費はたった30億円です。
 みかんを作っても赤字なんですから・・・
 お役所的には無駄遣いでは無いのでしょう。

 公共で作った建物ってことは・・・固定資産税もかからないから、税収も無いってことですね。
 少し位固定資産税が入ったところで焼け石に水の財政ですしね。
 この施設が10年存続できるように皆様のご来場をお待ちいたしております。
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カメラは オリンパス・ワイド
木本町全図です

by je2luz | 2008-10-25 12:10 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 10月 24日

熊野の旅 さすがは世界遺産 3

 三日目になりますが、ハードではなくソフトの方の充実ぶりを紹介しておきましょうかね。
 もちろん、来年7月以降と言う先の話なので実行されているわけではありません。

 『体験プログラム』・・・
  講師は、熊野の人々。人に出会わない旅なんて、つまらない。
 これがキャッチフレーズのようです。

  『海へ』
   熊野灘の磯釣り名人が手取り足取りキス釣りハウツー
    (写真は当然のように磯ではなく七里御浜です)
  『森へ』
   木の国・熊野でツリーハウスづくり/樹上に広がるホビータイム
  『空へ』
   パラグライダー 初級講習と二人乗り機で熊野の上空悠久散歩

 散歩系・・・熊野古道歩き、熊野川川船体験、熊野古道トレッキング&写真撮影、地域の散策ウォーク、原動機付自転車ツアー、マウンテンバイクなど自転車ツーリング ほか

 農漁業体験系・・・田植えと稲刈り(英語・仏語可)、有機モデル農園、茶摘み、果樹畑とケーキ&ジャム作り、昆虫採集、ケンケン漁&タコかご漁 ほか

 文化&趣味系・・・那智黒石加工、篆刻、陶芸、伊勢型紙、苔ボール、布ぞうり、竹笛作り、竹細工、スケッチ、吹きガラス、ステンドグラス、サンドブラスト、押し花、蔓工芸、流木アート、アクセサリー、和太鼓 ほか

 実用系・・・絵手紙、書道、フラワーアレンジメント、アロマクラフト講座、着物着付け、サンマ寿司作り、お菓子作り、パン作り、布小物、マイ箸作り、木工、手話、シニアエアロビクス ほか

 いやはや、渋谷や心斎橋辺りの文化教室なんて目じゃないですよ。
 思いつくものみんな並べちゃったって感じです。
 これだけあれば、ちょいと旅に来て・・・ではなく、ぜひ皆さん定年退職後は熊野に引っ越してきてください。
 この施設と企画がある以上は毎日毎日楽しく有意義に過ごせると思いますよ。
 生徒が居なければ閉鎖されますし、端から開講もされない可能性もあります。
 地元のおばちゃんおじちゃんが参加しないと成り立たないようですね。

 残念ながら、私が参加したい科目は一つもありません。
 『熊野古道トレッキング&写真撮影』なんてのがありますが、ぞろぞろ大勢で歩いて、同じ所に三脚立てて・・・なんてスタイルは私の趣味ではないですしね。
 第一、高級なデジタル一眼レフが並ぶ中でクラシックカメラは異質過ぎますしね。

 これほどまで充実した企画書、パンフレットが一年も前から新聞折込されているくらい、頑張って予算を消化しているようです。

 『乞う!ご期待!』
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カメラは オリンパス・ワイド
木本町全図です

by je2luz | 2008-10-24 11:28 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 10月 23日

熊野の旅 さすがは世界遺産 2

 今日の話は昨日の続き、今日の続きは・・・なんて、言葉で始まるラジオ番組がありました。
 古い話ですが、今日の話題よりは新しいです。

 『zutto motto』誌に載っている『紀南中核的交流施設』の基本概念に・・・
 「旧暦」の時間がゆったりと流れ、人と人、人と自然が出会う今までに無い新しいリゾート
 と、言うのがあるのだそうです。

 このキャッチフレーズであなたは熊野に出来る蜜柑園をぶっ潰して人工的に作られた敷地に整然と配置された『リゾート施設』に来て見る気が起きますか?
 ものすごく気取って一生懸命考え出したキャッチフレーズみたいな感じです。
 何社目の今ラスたんとか知りませんが頑張ったようです。

 世の中には『文化人』がたくさん居ますから、『太陰暦』に惹かれてやって来てくれる人もはじめは居るかもしれませんね。
 月を中心に動く太陰暦が体感できるのでしょうね。
 もちろん、天文観測所があるわけではないですよ。
 私のような凡人には理解できませんから、この部分は『文化人』の方々にお任せします。

 この自称ユニークなリゾートには次のような施設が出来るそうです。

 長閑の郷 (のどかのさと)
   宿坊 やすらぎの座(くら)
     全20室のリゾートホテル

   料亭 穀雨 (こくう)
     和とイタリアンのフュージョン料理をコース・解析で

   はなれ 咲ら村 (わらむら)
     10等20室のキッチン付の広い部屋

 憩いの郷
   湯浴みぼっこ
     日向ぼっこのようにミカン風呂や露天風呂でくつろぐ
   旬彩食房馳走庵
     地元のおかんの手作り料理をカフェテリアスタイルで
   星空舞台
     野外ステージ

 集いの郷
   総合案内所 熊野四方八方帳場
     「やすらぎの座」「咲ら村」のフロントを兼ねた案内所
   匠工房
     那智黒加工や染物などの工芸を見学体験
   味香場
     ミカンが主役のジャムやドレッシングの工場、即売
   山の幸、海の幸 紀南幸商店  
     昔懐かしい河岸や屋台、朝市の雰囲気と共に地域の産品を販売

 以上のようなものが、並ぶのだそうです。
 ものすごいでしょう?
 魅力たっぷり・・・???
 名古屋からたった210Km、大阪からだともっと近くて180Km、東京からでも550Kmしかありません。
 ちょいと遊びに来てください。

 せっかく熊野に来たのだから、頑張って熊野古道を歩かなくては・・・
 三日もあるのだから、熊野三山を巡って、伊勢街道の一部も中辺路の一部も歩かなくては・・・
 そんな、日本人的あくせくした観光客には合いません。
 一日や二日どこにも行かないで、何も無い所でのんびりとできる、フランス人的観光客の方はいらっしゃい。

 この基本的な姿勢は、二十年ほど前の『リゾート法』の時に説明された物と殆ど変わりません。
 どうせ客は引っ張れないのだから、煙に巻くようなテーマでさもらしく・・・なのでしょう。
 いやいや、客を引っ張れるように考えてくれたのでしょう。
 企画だけで数千万かめるのですからね。

 熊野古道歩きでさえ飽きられ忘れられてきているのですが・・・
 しかし、せっかく、皆さんのお金と知恵でこんな立派な物が出来るのですから、ぜひおいでくださいね。

 来年ですよ。
 2009年7月17日 旧暦5月25日 大安 だそうです。
 開場の時には全部揃っていないかもしれません。
 しかし、年数が経てば抜け落ちているかもしれません。
 夕張の施設のようにならないように、ぜひ応援してやってください。
 私では利用のしようがありませんので・・・
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木本町全図です

by je2luz | 2008-10-23 12:00 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 10月 22日

熊野の旅 さすがは世界遺産 1

 今日の新聞折込に、『さすがは世界遺産!』と言う小冊子が入っていました。
 『zutto motto』と言うA3、8ページ、上質紙、総天然色の立派な物です。
 発行は『里創人 熊野倶楽部』開業準備室 熊野市久生屋町 だそうです。
 これは、以前にも取り上げた『金山パイロットみかん園』を潰してリゾート関連施設を作る事業の一部です。
 事の発端は今では忘れられた『リゾート法』です。
 消えていたものが復活し、知らない間に『世界遺産』と合体した物です。
 和名は『紀南中核的交流施設整備事業』だそうです。
 尾鷲には『県立熊野古道センター』が出来ていますが、それでは片手落ちですから、熊野市にもてえことです・・・

 著作権があるので、この冊子のコピーや写真を掲載できませんが、Vol.2『全国版』だそうです。
 地元では各紙に折り込んだでしょうが、一体どこまで折込みをやったのやら・・・
 一面は石畳の山道に、『神々の宿る土地熊野に 新しい『里』を創る。』
 と、言う文字が躍ります。
 サブタイトルは『2009年7月17日、祈りと再生の地熊野に 現代人の心を癒す新しい「里」、『里創人 熊野倶楽部』が誕生。』 と、あり『里創人』には『リゾート』とふりがなを振ってあります。

 実に立派な物です。
 民間の別荘地開発業者の宣伝冊子ではここまで金はかけられませんね。
 何しろ親会社が『国』ですからこんな物を発行するために千万単位の金がかかっても痛くも痒くも無いのでしょう。
 当然、こうした時にはコンサルタント会社が絡み、企画会社が製作に携わりきちんとやってくれます。
 そもそも、準備室ってえものは、金を使うため・・・それも、こうした事業にぶら下がった『コンサル会社』が飯の種にするためにあるようなものだと思います。

 そもそも。スタートがリゾート法であり、何度も何度も計画を書き直し、そのたびに数千万円が闇に消えた事業です。
 誰がどう考えても、客が来るわけの無い万年赤字、税金垂れ流しの施設なのですが、頭が良くて作文の上手いコンサルタントが考えると、集客見込みがあり地域振興にも役立つようになるのです。
 立案するコンサルタントがそういうのですが、全国でほぼ100%のこうした施設が見込みの半分も客が来ません。
 それはそれで、かの業界には都合の良いことなのです。
 駄目な時は『地元の運営が良くないから、改善のために経営改善のコンサルタント会社を入れましょう・・・』と言うことになり、又一社、飯の種に出来るからです。

 この施設は尾鷲同様、県立です。
 県営となると身近な市営と違い、クレームの届く率も減ります。住民からは感覚的に遠い物なのです。
 だから、誰も腹も立てない・・・と言う図式ですね。
 中味については別に書きます。
 実に立派な物です。

 皆様のおかげでこんな立派で無駄な物を熊野に作っていただけます。
 市民の一人としてお礼とお詫びを申し上げておきます。
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木本町全図です

by je2luz | 2008-10-22 11:09 | 熊野 | Trackback | Comments(0)