LUZの熊野古道案内

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2008年 05月 31日

熊野の旅 熊野の言葉 喧嘩用語

 時代劇ややくざ映画では、主人公や三下が使う決まり言葉がありますね。
 そういう映画の見せ場では必ず喧嘩や立ち回りがありますから、それ用の台詞があるわけです。
 『許せん! 叩っ切る!』 なんてね。
 おかしなことに、悪代官だけ切ればよいのに、切られるのは宮仕えで刃向かわざるを得ない下級武士とかですね。峰打ちにもしてもらえずばっさりと・・・妻や子はどうするのやら・・・

 まあ、それは置いておいて・・・
 日本語には、威勢のよい。喧嘩用?の言葉と言うものが在りますね。
 人と言うものは、頭に血が上ると慣れ親しんだ言葉が口をついて出るもののようです。
 昔は今以上に世間では喧嘩が多かったものです。
 子供の取っ組み合いの喧嘩はもちろん、祭などの酒の出る場所では大人の喧嘩も当たり前でした。
 子供たちは今のような『口げんか』『メール喧嘩』とか言う変な物ではなく、サル山の猿以上に取っ組み合いの喧嘩をした物です。それによって上下関係も出来、ストレスも発散した物です。
 そんな時代には、そうした場面で使う言葉がきちんと伝承されてきたのです。

 関西では河内あたりの言葉がこうした物の代表のように扱われますが、どこの田舎にも一杯あったと思います。
 こうした言葉は、言葉遣いが少々荒っぽいところのほうが格好が付く物です。
 『ざーます言葉』などだと、いじめの方に走ってしまうでしょうからね。

 関西系の『どづいたろか!』と言うものは・・・
  『どし割ったろか!』
  『かち割ったろか!』
  『かち切ったろか!』
  『そし切ったろか!』
  『張り回したろか!』
 と言う風になることが多いです、
 もちろん、関西風のままで使うこともありますが、こちら風の方が、真っ二つに叩き切る感じで喧嘩に迫力が出そうです。
 そして、語尾が 『・・・か!』で終わる時は、疑問文ですからこれでも柔らかなのです。
 本当に腹が立つと、語尾が次のように断定になります。
  『どし割るぞ!』
  『かち割るぞ!』
  『かち切るぞ!』
  『そし回すぞ!』
 まあ、こんな風でしょうかね。
 発音は一番前をうんと強く早口で怒鳴らないと喧嘩になりません。
 この言葉の返答は全国同じ反応だと思います。

 『やれるもんなら やってみぃ!』とか
 『われこそ、どし割られるぞ!』似たいな物です。

 火事と喧嘩は江戸の華・・・なんていいますが、昔は喧嘩と言うものはどこでも派手だったようですね。
 戦争が終わったあたりから下火になったようですが、昔は大人同士が大喧嘩になり、けが人が出るなんて珍しくも無かったようです。
 棒を持っての殴り合いなども当たり前だったようです。
 どこの家にも武器に手頃な『薪』なありましたからね。昔の薪は今の物より長かったですし、『割り木』のものなど、殴れば無事ではすまない迫力のあるものでしたからね。
 だから、私が耳にしなかったようなもっとすごい『喧嘩用語』があったのかもしれません。
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by je2luz | 2008-05-31 11:31 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 05月 30日

熊野の旅 熊野の言葉 あなた

 何しろ熊野市は発足の時でも8か町村が集まって出来た市です。その後での合併も含めると、9か町村半も扱ったところです。
 さらに、その旧町村の中でも、山や岬に分断されて交流の少ない集落まであったところです。当然のように言葉が変わっていました。
 単純に浜・町・海などと分けられないほど、使う単語も違えばイントネーションが違っていたのです。
 私はここで生まれ、山間部で育ち、途中からは木本の町場で暮らし、一時期は職業上、市内各地の人との交流がありました。一般人としては比較的、市内の色んな言葉に接している方だと思います。
 さらに、世代的にも明治・大正生まれの人との接触もあった人間なので、今以上に強い鉛も耳にした方です。
 その私にも、いささか分かりにくい言葉があったのですから、よそから着たら下手すると外国語に聞こえたかもしれませんね。
 半世紀ほど前に全国をうろついていた頃、田舎で地元の人同士が話している言葉はどの地方でも分からないことが多かったですからね。

 普通に使う、第二人称の『あなた』と言う意味の言葉も厄介ですね。
 標準語でも あなた・君・おまえ・貴様・・・一杯あるわけですからね。
 当然。方言にも色々あって当たり前でしょう。

 標準   木本    山間部      山間部・浜筋   山間部  浜筋
おまえ   おまん    われ       あじ         じー    げー
おまえら  おまんら  われら・わっら  あじら・あじゃら  じーら  げーら
 
 きつくなると
  おどれ   おんどれ
  おどれら  おんどれら

 優しく言うと
  あんた
  あんたら

 このかなで書くと同じでも、しゃべり方が地区によって少しずつ違っていますね。
 私が育った飛鳥地区では、小学校が3校あって、中学が1校にまとまるのです。その中学に集まった時に、大又川上流大又・小又地区の子供の飛鳥小学校、中流の小阪地区の子供の小阪小学校、下流佐渡・野口・神山地区の子供の日進小学校…この三校の子供たちの間には言葉の違いがありました。同じ飛鳥神社の氏子で同じ飛鳥村だし、そんなに分断されているわけでも無いのにそんなものでした。

 町場に入って木本町など、切れ目があるではなし、広さも500m四方ほどしか無いのに、漁師町の親地町と本町では言葉が違いましたね。
 よそから見たら、どこが境か分からない木本と井戸でも随分違いましたね。
 まあ、これは紀州本藩に残った木本と新宮藩に入った有井では少し違ってもおかしく無いとも言えるのですがね。
 こんな言葉はどんどん忘れられてゆくようです。
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 1957年撮影 カメラは オリンパス35S1.9

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by je2luz | 2008-05-30 10:19 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 05月 29日

熊野の旅 話の弾む熊野の女たち

 日本では古来、『男言葉』と『女言葉』がはっきり区別されてきました。
 これも、近年では段々と均質化されてきて、区別がつきにくくなっていますね。

 昭和中期の映画などでは、不自然なくらい、近代的女言葉を使わせていたものですがね。
 『○○○○だわよ。』
 『△△△△のことよ・・・』
 『□□□□なのよね』
 ・・・普通の言葉なのに、しゃべる方が不自然にしちゃうのか・・・お嬢さん役のすたーはみんなこんな言葉でした。
 若尾綾子・新珠三千代・扇千影・・・・・・吉永小百合・松原智恵子・和泉雅子・団令子・・・歴代お嬢様役の女優さんはこんな言葉でした。
 『ぎゃはははは・・・』なんて、大声を出して笑うこともありませんでした。
 スターはうんこもおしっこも恋もしないものだと思われた時代があったくらいですからね。

 それに引き換え、この辺ではスターも別嬪さんもいなかったのか、おなごどもは賑やかでした。
 もっとも、ここに書くような女言葉は今で言う『おばちゃん』『おばやん』から『ばあさん』『ばばあ』になった人が使った物です。
 娘や若嫁はこんな言葉ではなかったように思いますがねえ・・・
 ただ・・・『おばやん』になるのが今より早かったですがね。

 『これ、あんた! 聞いたかのし?』
 「何をかえ?」
 『あそこのおとさんはのし・・・ええの作ったんじゃってさ。』
 「ほんとかのし!  おっとしいのし 」
 『ほんとじゃぜ・・・ ほんでのし・・・かあちゃんにばれてのし・・・』
 「えらいこっちゃのし」
 『とと、大喧嘩になってのし。』
 「やれよーー つらいわけよお!」
 『かあちゃんは包丁持っておとさんをおいかけまわしてのし。』
 「やっとしょーーー!」
 『まあ、けがさせんとすんだらしいけどの』
 「まーーぁ! 良かったのし!」
 『あがらも 気を付けよらのし』
 「あがいのととら、おなごにはもてんさか 大丈夫じゃで。」
 『まっことじゃ! ぎゃはははは!』

 などと言う調子で、合いの手の入れ方には、感嘆符がついて、うーーんト引っ張って強調する言葉が多かったものです。
 何事があっても、近所中寄りあって炊き出ししたりするので、こんな会話が飛び交って盛り上がっていた物です。
 今以上に下ネタも大声でやられていましたしね。
 その頃のおなごは開けっぴろげって感じでしたね。

 ところで・・・
 翻訳しなくても分かりますよね?
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by je2luz | 2008-05-29 11:06 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 05月 28日

熊野の旅 熊野の言葉 我輩は猫である

 昔は、よそからこられた方の熊野の印象は、言葉がきついというものだったようです。
 それと、耳につくのは猫の鳴くような言葉です。
 
 『にゃあ』『ねゃ』と言う語尾と、『ぎゃあ』という言葉です。
 ・・・
 『あのにゃあ、きんのうにゃあ・・・われんとこへ行ったらにゃあ。おらなんだぎゃあ!』
 「そうかあ・・・何時ごろじゃら?」
 『三時頃じゃったんじゃけどにゃあ』
 「そのじぶんじゃったら・・・まだ学校じゃったんじゃろにゃあ・・・』

 さほど難しい言葉ではありません。後ろの猫語の『にゃあ』『ぎゃあ』をとれば大体普通なのです。
 ただ、この語尾の部分に力を入れてしゃべるのがこの辺の特徴でしょうかね。

 この『にゃあ』『ぎゃあ』は男言葉です。
 昔は女の人も年をとると男言葉の世になってきましたから、自分のことを『おれ』と言っていましたし、道端で立ちしょんもしていました。言葉の方でも、この『にゃあ』も一部使うおばあさんがいましたね。女を捨てていたのでしょうかね。
 まあ、この『にゃあ』『ぎゃあ』は男の言葉ですから、この辺の男は『猫族』だったようです。
 つまり、『我輩は猫である』と、名乗らなくても分かる男が多かったものです。
 この『猫族』もどんどん数を減らしているようです。
 そろそろ、『絶滅危惧種』に入ってくるかもしれません。

 『さみしいにゃあ!』
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by je2luz | 2008-05-28 12:27 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 05月 27日

熊野の旅 熊野の言葉 堂々巡りの合図

 方言には実に色々ありますね。
 方言によって気質が左右されるのか、気質によって方言が変わるのか・・・
 漁場などの言葉はおおむねきつめで、さらにそれを大声でしゃべりますね。
 よその人が聞くとけんかをしているようにも聞こえるようです。
 この熊野でも、背中合わせに住んでいる、山間部の人と、漁場の人では随分と言葉も気象も違います。
 まあ、こうした物も、段々と均質化されてきているようですね。

 山間部で時々耳にする言葉の一つに・・・
 『へでも のし・・・』 と、いうのがあります。
 これが出てくると、話し合いがややこしくなる合図です。
 意味はご推測のように・・・『それでもねえ・・・』 と言うような言葉なのです。

 会合などではほとんど自分の意見を言わないことの多い田舎で、この言葉が出るときは実に厄介なのです。
 大体において。ほとんど話が煮詰まった頃に、黙って座っていた人の口から出る言葉です。
 そして、こうした言葉の後に続くのは・・・
 『わしゃあ かまんのじゃけど 他の人は・・・』 と言う言葉です。
 チビまるこのナレーション風に言うと・・・
 『一番かまっているのは本人なのである!』 となるのです。

 他人の意見と言うことにして発言するのですから、口寄せの代理人たる発言人ではその異議を撤回することも出来ない訳です。実に巧妙な反対意見の陳述と言うことです。
 さらに、これを合図に不規則発言が会場を埋めるのです。
 つまり、この発言が出るということは、寄り合い・会合が堂々巡りを始める合図のような物なのです。

 このような言葉は他の地方にもあるのでしょうね。
 ちなみに、この辺では請われるまで自分の意見を言わないのが『賢い人』の流儀だそうです。
 さしづめ私のような人間は『おっちょこちょいで阿呆な人間』、もしくは、『しゃしゃり出る生意気なやつ』の典型なのだと思います。

 それでも・・・
 『へでも のし・・・わしゃあ かまんのじゃけど・・』 と、前置きしてしゃべりだすよりはましだと思うのですがねえ・・・ 
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 カメラは アグフア・カラート36

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by je2luz | 2008-05-27 11:29 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 05月 26日

熊野の旅 言葉 紀州のし言葉

 地方地方で言葉と言うものは随分違います。
 近年はテレビなどの影響で随分言葉の差が無くなって来ていますし、よその言葉も少しは耳にすることがあります。
 全国田舎をロケする番組が多いですが、一昔前なら通訳を入れないと全く通じないことが多かったのではないかと思います。
 お年寄りを対象にしたら、なんともかんとも・・・地元の若い者でも分からない言葉をしゃべった物です。
 生まれ育った所から一歩も出た事はなし、外の人とは話したこともなし・・・と言う人が私が子供の頃には結構いましたからね。
 こうして言葉も段々独自性を失って行っていますが、まだまだ残っている言葉の違いがありますね。
 単語は標準的になっても、話し言葉の語尾は中々標準化しませんね。
 一時期、ものすごく不自然な形で子供たちを『標準語化』使用として、語尾に『ね』などつけさせる流行がありました。本当に『とって付けた』様な物で聞いていて恥ずかしかった物です。

 紀州全般に言えるお国言葉は、語尾に付く『のし』でしょう。紀州言葉はそれによって『のし言葉』とも言われます。
 地形が複雑な紀州ですから方言などは七浦あれば七通り、七谷あれば七通りあるほどバリエーションが生まれます。熊野市内でも9ヶ町村が合併していますから9通り・・・いやその倍以上のバリエーションがあります。
 それでも、基本のなる語尾の『のし』または『のう』はほぼ共通ですね。
 これがもう少しなまった『にしぇ』『のら』になっているところもあります。
 目くそ鼻くそのようにこの『なまりのなまり』を笑った物です。

 『ありゃあ、○○のでじゃでのし・・・言葉あおかしいでのし』
 『まっことお・・・まったくおかしげな言葉じゃのし・・・』
 『そじゃさか、田舎者はつらいのし・・・』
 『あがらも 気を付けよらのし』

 明らかに『のし』勢力の方が『にしぇ』勢力より多いですからこうなるのでしょうね。
 古い言葉を話せる人も減ってしまいましたが、本当に昔式にしゃべられると同じ熊野市内でも聞き取るのに苦労する物なのです。
 それに、どこの言葉でもそうですが、活字にするのがものすごく難しい物です。
 関西形の人に読ませると少し似たように読みますが、関東の人に読ませるとまるで駄目ですね。
 
 余談ですが・・・江戸時代の熊野詣の頃に関東から来る旅人の人を『かんとべえ』と呼んでいました。『関東べえ』ですね。『行くべえ』『参るべえ』など田舎言葉を使ったからでしょうね。江戸なんて田舎物の集まりで江戸っ子と言いつつ、東北や信州の鉛を引きずったような所もあったようですしね。
 端っことは言え御三家・紀州藩の直轄地ですからね。隣りは天領ですし、田舎者意識は少なかったのかも・・・
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by je2luz | 2008-05-26 11:34 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 05月 25日

熊野の旅 目に青葉・・・

 もう、山はすっかり初夏の景色です。
 『目に青葉 山ホトトギス 初鰹』 戸やらですが、ホトトギスは食べられませんが、『カツオ』の方は非常になじみの深い物です。

 もちろん、生でお刺身にしますし、今では『たたき』にして売っています。
 この、さっと火であぶった「たたき」は土佐の食べ方ですね。
 非常に食べ物の類似性の強い土佐と紀州ですが、『カツオのたたき』はこちらではそれほど食されませんでした。
 近年は既製品で『カツオのたたき』が売られているのと、テレビなどで、カツオはタタキにするものだという風に報じているので、例の食のグローバル化でこの辺でも普通に食べられるようになりました。
 そもそも、藁などの一気に火力の上がる炎のある熱源が無いと『たたき』は仕上がりませんね。ガスも無かった時代だと一般家庭では中々うまくは行かなかったでしょうね。

 この辺では、『鰹節』もさほど良質な物を作るまでは行っていなかったようです。
 『鰹節』も『土佐』が本場といわれていましたね。
 獲れる量が少なかったのか、漁師が不精だったのか・・・
 南洋の島々の方が本場だった時代もあるようですからね。

 この辺では昔も今も『生節』がたくさん作られ、一般にもたくさん食べられてきました。
 今は、真空パックして日持ちする食品になっていますが、昔はそんなに日持ちする物ではありませんでした。
 これには、茹で上げたばかりのをすぐに売る物と、ほんの少し天日に干した物、ほんの少しいぶした物などありましたね。
 それぞれ、味も違いますし、日持ちの具合も変わりました。
 一気に食べない時は食べ残しを天日に干して日持ちさせた物です。
 いまは電気冷蔵庫がありますからそんなに気を使わなくても良いのですがねえ・・・

 茹でただけの物だと、手で割ることが出来ます。
 食べごろの大きさに割って、「醤油」「酢醤油」など好みの味付けで食べます。
 細かく砕いてご飯にまぶしたりすると、実に『ままの進む』おかずになります。

 この生節はこのシーズンに一杯出回ったもので、ちょうど山菜などのシーズンです。だから、昔の田植えシーズンなどの山菜の煮物や炊き込みご飯の『だし』に良く使われていました。
 こうした使い道には今の硬めの真空パック物より、ゆで揚げ物の方が適しています。
 よそでは茹であげ物は手に入りにくいかもしれませんね。

 『生節』が売り場に無いときは『ペットフード売り場』に並んでいることがあります。
 国産でしたら、作る行程は同じですから人間が食べるのと同じだと思います。

 むかし、日本橋の百貨店での物産展に『生節』も持っていったことがありますが・・・
 山の手の奥様風の方に・・・『あら、ねこちゃんの食べ物ねえ・・・うちの子はこれが大好きなのよ。』と言われました。
 『これは人間の食べ物ですよ。』と言うと・・・
 『あーら! 人間も食べるの?』といわれましたがね。
 魚の類では結構高い方に入るのですが、綱吉公の側室の亡霊のような方にはそうは見えないようです。
 猫にやるにはもったいない物ですから、手に入ったときは人間様が食べてください。
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 カメラは ニコマートEL+さくら赤外

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by je2luz | 2008-05-25 11:10 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 05月 24日

熊野の旅 山草・野草・・・おいしい?

 私は小さいころから夕食のおかず作りを良く手伝いました。
 農繁期など自分でやら無いと、それこそ毎日同じ物が続くことになるからです。
 田植え機やコンバインなどと言う農機具が出来るまでの田舎では、集落ごとに助け合いで田植えや稲刈りをやっていました。
 私の住んでいた集落の戸数は12戸だったと思います。
 その中の1軒を除いて他は少しずつ田圃がありました。
 田圃があるというだけで、『農家』なんて物ではありませんでしたね。
 『三反百姓』などと、日本の零細農家を呼びますが、その『三反』にも満たない家もあったのですからね。
 平野部なら大百姓もあったのでしょうが、山間部ではこんな物だったのです。
 もともと、見渡す限り自分の農地・・・なんて大地主もいなかったのですが、戦後の『農地改革』で更に細切れになったのです。
 これこそ、『たわけ』と言う状態になったのかもしれません。
 私のいた集落は土地が平らで条件がよいところなので、今でも農地はほぼ生きていますが、当然のように跡継ぎなどいるわけも無く・・・
 
 そんな田舎で育ったので、田植えなどは集落総出でお互いの田を植えて回った物なのです。
 お昼ごはんはその日植える番の家が用意します。そして、そのおかずの残りを分け合って持って帰って各家の夕食のおかずにしたのです。
 一番日の長い今頃から梅雨時にかけてが昔の田植え時期でしたし、暗くなりかけるまで働くのが当たり前でしたから、黙って待っていたのでは、よその家が作った、『破竹の煮物』『ゼンマイの煮物』『千切り大根の煮物』などが半月ほど続くということなのです。
 それがいやで、自分でおかずを工夫し始めたのが料理を始めた理由ですね。
 スーパーなどあるわけもなし・・・肉やかしわも麓の木本の町まで行かないと手に入らないところなので、田植え時期に手に入るものは色々試しましたね。

 普通の山菜の『ワラビ』『ゼンマイ』『ごんぱち』『破竹』などはいやと言うほどでてくるので、そのほかのものを探したのです。
 『ヨメナのおひたし』などと言うのは普通ですね。他には、『柿の若葉』『ヨモギ』『サツマイモの葉っぱ』『川原竹のたけのこ』『ごんぱち』・・・こんな物を片っ端からてんぷらにしていましたね。
 いま書いたものなどは、中々いけたように思います。
 『杉の新芽』『桧の新芽』・・・これはいただけなかったように思います。

 昨年でしたか九州かどこかで『セリ』の偽物を食べたおばさんたちが食中毒を起こしていましたね。野草の類も中には怖いのもあるのであまりお勧めでき無いのですが、中にはうまい物もありますよ。
 見かけが何となくいやだったので口にしませんでしたが、『カンゾウ』なんてのもおいしいとか言いますね。
 
 どっちにしても、今の時代となっては、『おかず』としてこんな物を探して食べる必要も無いですから、訳の分からない物に命を賭けることも無いでしょうね。
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カメラは ツァイス・イコンタ523/16

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by je2luz | 2008-05-24 12:07 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 05月 23日

熊野の旅 野草・山草 ごんぱち

 この地方では一般的に食べられるのに、他の地方ではあまり食べられない・・・学者によっては「発がん性があるから食べない方がよい」とまで言われたりする山草に『ごんぱち』があります。
 『ごんぱち』は『すかんぽ』と同じだとか言いますが・・・
 そして、この『ごんぱち』と言う名前の由来とか、使う漢字は知りません。白井権八とやらに由来するのでしょうか?
 歌舞伎とも縁の無い地方ですし、権八の在所でも幡随院長兵衛の在所でも無いようですし・・・
 この植物は、茎が竹のように中が空洞で所々に節があります。生える場所はかなり色んな所でも平気で生き延びる丈夫な物です。
 詳しい品種などは区分されているのかどうか知りませんが、私たちは二つに区別していました。
 太くて柔らかで、簡単に折り取ることが出来、折ったときに「ポン」と音のする『ごんぱち』・・・これは山や谷のそばに生えて、食用になります。
 細くて、少しいじけ気味、下の方の節から枝が出るし、うまく折れない『イヌごんぱち』・・・これは筋っぽいので採って来ません。原っぱや道端などに多く生えています。
 この二ツ、ひょっとすると同じで環境の違いかもしれません。

 ごんぱちは先が枝分かれする前に収穫します。太い物は直径で最大4cmほどになるものもあります。
 収穫は根元から手で折り取ります。『ポン』と小気味のよい音を立てて折れます。
 採った物は、大きな物は皮をむくときもあります。
 鍋に多めのお湯を沸かしておき、手で軽くつぶした『ごんぱち』をさっと湯がきます。長く茹でると、その後水でさらして保管する時に融けてくるといわれます。
 緑っぽい色が残っているくらいにさっと茹でた方がよいのだそうです。

 『ごんぱち』には『蓚酸』が含まれています。
 生でかじると酸っぱいものです。
 この『蓚酸』のせいで発がん性があるとも言われるのです。
 湯がいて、たっぷり水でさらして食べるので、残留する蓚酸も問題が無い程度だと思います。
 わたしたちが子供の頃は、シーズン中にはおやつ代わりに生のゴンパチをかじっていましたが、取り立てて問題は無かったように思います。
 そんなことを気にしていたら・・・魚を焼いて黒く焦げたら、タール分が出来るので発がん性があるまで言うのですから食べる物がなくなります。
 山菜なんて、分析すればそんなものばかりでは無いでしょうかね。
 季節を味わい、四季折々を楽しむ心の余裕があれば、ぴりぴりとしてストレスを溜めるより体にはよいでしょう。

 水でさらして、酸味もなくなったら、水を張ったシール容器などに入れた冷蔵庫で保管します。常温ですと、ゴンパチのシーズンは4月末から5月に入りますから常温ですと毎日水を替えないとどろどろになってきます。
 食べ方は・・・昔は平天などを出しに煮物にしたりしていました。田植えが今より遅く入梅の頃でしたから、田植え時期には『ゴンパチの煮物』『ゼンマイの煮物』『破竹の煮物』なんてのが毎日続いた物です。
 もう一つの定番は、小さく切って、味噌汁の具にします。結構いけますよ。味噌汁の具にするのなら、たくさん採らなくても、まともなものなら一本あれば10人前くらいにはなります。

 私は独特のやり方で、茹でる時に『重曹』を放り込みます。
 酸が中和されるのと、温度が上がっているのとで派手に泡が立ちます。
 蓚酸があるのなら中和しちまえ・・・と言う発想です。湯で時間が延びてもとろけないで済みます。当然酸味も残りにくいようです。
 ただ、これ方法は他ではやらないようなので良いのかどうかも不明です。

 日本中、どこにでもあるようですから、見かけたら、一度食してみてください。

 この『ごんぱち』の葉っぱとかは『あわびの稚貝』の好物だそうです。『アワビ』は海のものです。それがどうして山菜が好物なのかは良く分かりませんね。『蓚酸』に惹かれるもかも・・・
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 カメラは フォクトレンダー・ビトーII
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by je2luz | 2008-05-23 11:45 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 05月 22日

熊野の旅 野草・山草 

 日本全国、緑豊かな国ですから、昔から、野草・山草が食べられてきました。
 万葉集でも一番初めの雄略天皇の歌に
 
 こもよ みこもちふくしもよ みぶくしもちこのおかに なつますこいえきかな なのらさねそらみつ やまとのくにはおしなべて われこそおれしきなべて われこそませわれこそは のらめ いえをもなをも

 などと、野草を摘んでいるらしき光景がでて来ています。

 このうたは、なんとも鼻持ちなら無いくらい尊大な雄略天皇の姿が浮かんできますが、さしずめ一時期のヒルズ族が合コンで見せていた態度のような物でしょうかね。
 しかし、倭の国を押えていたのですから、勢いはそんなのに比べられないでしょうが・・・

 山菜も地域によって若干食べる物が異なるようですね。
 ワラビだとかゼンマイだとかヨメナなんてスタンダードな物は生えている地方ならどこでも食されてきたようです。
 私が小さかった頃は、こうした野草・山菜も、今のように『グルメ』『嗜好品』として食べるのではなく、大切な食料品として食べられていました。
 熊野、それも私が育った飛鳥などは、家から一歩出れば田の畦や川原には食べられる野草は生えていたし、すぐそばの山や谷のそばには山草が出てきました。
 だから、春から初夏にかけてはそんなものを採って遊んでいました。
 どこの家にでも、少し大きめの巾着のようなひも付きの袋が幾つか在って、それぞれ家族の持ち物になっていました。
 近くに行く時は一個ぶら下げ、遠出する時は背負うかごなども持った物です。

 採ってもあまり面白くない『よもぎ』は子供はあまり採りませんでしたね。
 これはこの地方では大切な野草だったのです。
 普段は怪我をしたときの止血剤として、ちぎってつばを混ぜながらもんで傷口に付けたものです。しみるのですが血は止まったように思います。
 こんな療法も一時期『とんでもない不潔なこと』とされて排斥されましたね。
 どう考えても、とっさの場合、血を止める方が先だと思うのですがね。
 もう一つの使い道は、川遊びの時の水中眼鏡の曇り止めに使いましたね。これも、けっこう有効だったように思います。
 そして、『ヨモギ』の一番の出番はやはり『お餅』でしょうね。
 いくらでも蓬が手に入るからでしょうか、お雛様の菱餅の一色にヨモギの入った緑のがありました。
 さらに、年中餅を搗くことの多い地方ですが、そのたびに『ヨモギ餅』と作りましたね。あんこの入ったやつと入らないやつ・・・一臼は搗いた物です。
 混ぜ物が入る分、硬くなるのが少し遅いのでうまく焼けた物です。

 このヨモギと言う野草は畑とかにとっては厄介な雑草です。
 ものすごく生命力があり、下手に倒すと切る捨てた茎から根っこを出して挿し木の状態になります。
 花が咲いて種がふわふわ飛んで広がります。
 地下茎がどんどん伸びて所構わずに出てきます。
 ありがたくないことこの上ない位の物です。
 町中の私の庭にも侵入して来ています。
 近所のおばさんが月遅れの端午の節句に使うために、この我が家の雑草を当てにしているので、根絶やしに出来ないで残してあります。
 この時に使うのが、ヨモギ以上に厄介な『ススキ』なんです。これも、我が家の空き地のを当てにしているようですが、先日畑のマルチィングように刈り取った時、全部刈ってしまったかも・・・そうだとしたらさぞかしがっかりするでしょうね。
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by je2luz | 2008-05-22 12:13 | 熊野 | Trackback | Comments(0)