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LUZの熊野古道案内

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2008年 04月 30日

熊野の旅 郷土史とは・・・

 どこの町でも『郷土史』というものがあり、それをまとめた立派な書籍があるものです。
 文化的?な町では戦前に作られた所もあるようですが、ほとんどの所では、戦後世の中が落ち着いてきた頃に企画され、編纂した物が多いようです。
 熊野市においても、昭和58年(1983)に上・中・下、三巻に及ぶ立派な物が編纂、出版されました。
 こうしたことにあまり興味の無い私は購入しませんでしたので、手元にはありません。

 歴史のことなので、諸説の分かれるところもあります、更には記述内容に問題のある場所もありました。
 そうしたことを巡るゴタゴタの中に身を置かざるを得ないこともありました。
 言われることは、ごもっともなこともあるのですが、こんな立派な本を簡単に発行し直す事も出来ず、『資料として保管させていただき、後年、改訂版とか発行の時には検討させていただきます』などといって、お茶を濁したこともあります。
 緊急性のあることでは、訂正文を印刷し、分かる範囲で購入者宛に発送したこともあります。
 年号のはっきりしたものでも1800年以上前の事柄からです、発行以降もポツポツと資料が出てきたりしているようです。
 そのうちに改訂版を出そうと言う時代が来るかもしれませんね。

 先日、熊野の郷土史の中心人物の前さんがお亡くなりになりました。
 他にも郷土史に熱心だった人たちが高齢のためお亡くなりになった方が多くなっています。
 クレームをつけにこられた方も同様です。
 どっちにしても、歴史などと言うものは流れはわかっても、細かいことは分からない物でしょうね。
 今起きている事件のことでも、新聞によって違っていたり、事実誤認、語法だったりするのですからね。
 日記や書付などを一生懸命解読しても・・・『・・・と、日記には書いておこう』などと言うこともありますからね。

 しかし・・・およそこうした郷土史の資料的なものにはろくなことが無いですね。
 火事だ、喧嘩だ、地震だ、津波だ、洪水だ、飢饉だ、一揆だ・・・そんなのだらけのようです。
 『世は全てことも無し・・・』なんてのは書き留めて置きませんからね。
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 こちらのブログものぞいてみてください。
 

by je2luz | 2008-04-30 11:05 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 04月 29日

熊野の旅 お地蔵さん

 一昨日、『秋葉さん』の石灯籠を取り上げましたが、その時に書いた火事が分かりました。
 大きな火事とか地震・災害の記録などは結構残っている物ですが、ここ木本町新出町の火事についても残っています。
 天明7年5月8日(1787)新出町より出火、木本火事
 文政12年11月(1829)木本火事、新出町浜側全部焼失
 熊野市史年表をパラパラと繰っただけで二ツ見つかりました。
 『新出町浜側全部焼失』と言うことは、私の家のある場所も燃えたと言うことだと思います。
 まあ、そんなあたりから秋葉さんを祀ったのではないでしょうかね。
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 この秋葉さんの現状はこういった感じなのです。
 灯篭の後ろの生垣風のものの後ろにほんの少し平らな所があり、そこの祠があったような感じです。
 そして、カメラのあるところが岩山の端っこが通りまで張り出してくるところで、その岩を削って参道?が作られています。
 ところが、そのど真ん中に、『地蔵尊』が立っておられます。
 これを避けないと、秋葉さんには近づけない不思議な配置なのです。

 『お地蔵さん』と言うものは、大体において、供養塔として建てられることが多いですね。
 この辺で道端にあるのは、『行き倒れの供養』、海のそばだと『海難の供養』、お墓やお寺だと『水子供養』なんてのが相場ですね。
 このお地蔵さんは、『六地蔵』ではなく、一体で立っておられます。
 これの由来を調べたことはありません。
 場所が場所なので・・・そして、大体が『供養』なんて物ですから、出てくるものはあまり面白い物ではないはずですからね。
 あちこちの町であるような、『地蔵盆』のようなお祭?も無い様に思います。
 立派なお地蔵さんなのに地元と少し遊離しているような感じもします。
 この横にかつて遊郭があったことと関係あるのかもしれません。
 遊郭と言っても、そんなに昔の話ではなく、昭和32年(1957)の売防法施行まで存在した物です。今では、完全骨抜きで、公娼は居なくなって私娼が昔の公娼以上に増えているようですが・・・
 どうも、調べる気がしないのはそんな感じがするからです。

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by je2luz | 2008-04-29 11:01 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 04月 28日

熊野の旅 鯉のぼり

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 今年も七里御浜に鯉のぼりが泳ぎました。
 この行事も結構長く続いています。
 最初は本当に有志だけで始めたものでしたが、今では半分公的な扱いになっているようです。
 獅子岩から木本方面にかけ、砂利浜に支柱を立て、ロープを引き、鯉のぼりを吊るします。
 これの原型で、昔から有名だったのは『四万十川』を横切って鯉のぼりを泳がせる物です。
 熊野の鯉のぼりもそれをまねて始まった物です。
 今では全国あちこちでやっていますね。
 『子供の健やかな成長を・・・』と言う本来の五月の節句を離れて、『地域活性』という冠をかぶった物になっているようです。
 これを始めてしばらくは、地元で捨てられずに残してあった鯉のぼりが寄付されたりして、どんどん増え、ロープもどんどん長くなる様子でした。
 しかし、年が経つにつれ、そうした『蔵出し物』が無くなって、少し子供が大きくなって、家では揚げなくなったものだけになってきました。
 毎月の月例人口動態でも分かりますように、まるで子供が生まれておりません。
 鯉のぼりは『男の子』だけのものです。
 おまけに、男の子が生まれたら競うように鯉のぼりを揚げると言う土地柄ではありませんから、地元にあるものはたかが知れています。
 全国からの寄付に頼らざるを得ませんね。
 まさに、『ふるさと納税制度』みたいな物です。
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 もちろん、熊野にゆかりの無い人でも喜んで受け取ってくれるようです。
 寄付をしておいて、この時期に熊野に来て、鯉のぼりの下で子供を遊ばせるのもよいかもしれませんよ。
 ここなら、都会と違い、大きな鯉のぼりでもゆったりと泳ぐことが出来ます。
 もっとも、大きな物は風の無いときに垂れ下がり、子供にシッポを引っ張られたりしますがね。
 男の子の節句の鯉のぼりなのですが、写真を撮りに浜に出たときには、どういう訳か、走り回っているのは女の子ばかりでした。
 今年は5月6日まで泳いでいるようです。
 国道42号線沿いですぐに目に付きます。
 堤防沿いの車側帯は車のはみ出さない区間は、事実上取り締まりの無い『駐車禁止区間』です。邪魔にならないように停めて遊んでください。

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by je2luz | 2008-04-28 11:43 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 04月 27日

熊野の旅 秋葉さん??? 木本町新出町

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 この石灯籠は本町通りの南のはずれ、石畳だ終わって、紀州本藩から新宮藩に入るすぐそばにあります。町名は新出町です。
 最近は営業していないようですが、中華料理屋の脇、岩山の端っこが道のそばまで出っ張ってきている所です。
 立派な石灯籠が一基だけ残っているのですが、その背後には何もありません。
 石灯籠には『秋葉神社』の文字が刻まれています。
 『秋葉さん』と言えば、『火伏せの神』として信仰されていることが多いですね。
 この辺のことに詳しい人に尋ねてみると、この界隈では、昔、二度ほど火事があったそうです。それで、この『秋葉さん』を祀ったのだそうです。
 この灯篭の後ろにはほんの4坪ほどを岩を削って平らにした部分があります。
 どうやらここに『秋葉神社』の祠があったようです。
 今は全く何もありませんが、かといって、他の使い方もされていません。
 場所と言い、祀り方と言い、どうやら個人で管理していた物のようです。
 
 『秋葉さん』は結構激しい神様で、下手に扱うと祟りがあるなんて聞いたことがあります。
 まさに、『触らぬ神に祟り無し』の典型のような神様なのかもしれません。
 どういう経緯で、この神社が無くなったのかも知りません。
 いや・・・祠がなくなっただけで、神社自体はあるのかもしれません。
 立派な石灯籠が一基だけ座っている『秋葉神社』です。

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by je2luz | 2008-04-27 11:55 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 04月 26日

熊野の旅 さすがにこれは・・・

 この地方の特産品に、『サンマの丸干し』がありますが、サンマに限らず、『あじ』『きす』『うるめ』『いわし』『かます』・・・片っ端から丸干しにしてしまう土地柄です。
 小魚があれば何でも丸侭で干して食べるのです。
 海のそばなので、小魚が取れてきたということもあるのでしょうね。
 もちろん、開いて干す干物もあります。
 『さんま』『あじ』『きす』いわし』『さば』『うつぼ』『ふぐ』『はげ』・・・少し大きかったり肉厚だったりすると開きにしていますね。
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 『するめイカ』の生まれてすぐの小さなのを捕まえて『サラタケイカ』として食べるのが大好きな地方なのですが、この、『いか』と言うやつは小さくても丸干しにはしませんね。うまく乾かないのでしょうかね。
 この辺でも、干すとすれば『するめいか』になりますね。
 しかし、大きなスルメイカがあまり捕れないのか、イカをたくさん干している光景にはお目にかかりません。
 一夜干しはたまに見かけますが・・・

 かつて、漁船がたくさんあった頃には、『ふかひれ』もたくさん干していた物ですが、最近は見なくなりました。
 フカ・サメが居なくなったのでは無く、捕る猟師が居なくなったと言うことなのでしょうね。
 すぐそばの和歌山県側では、輸出するほど『ふかひれ』を干しているようですからね。
 こいつの肉は『醤油干し』にして食べると、まあまあおいしいですが、他にはあまり食べることに無い代物です。

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by je2luz | 2008-04-26 10:09 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 04月 25日

熊野の旅 時代の移り変わり

 近所に近在で一番大きかった農機具屋さんがありました。
 木本にしては間口の広い家で、本町通りがやはり表玄関の店で、今の国道側が修理工場になっていました。
 ヤンマー・井関などテレビにも登場した耕運機などを広く扱って、南牟婁郡、熊野市はもちろん、奈良県領の上・下北山村なども商圏に抱えていました。
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 その、農機具屋さんも随分以前にご主人が倒れて廃業されました。
 廃業される前から、農機具がどんどん大型化、高額化が進んできて、こうした民間の店より、『農協』のほうが強くなってきていました。
 百姓の財布をそっくり握っている農協の強みが、ローンなんてものの絡む商売には遺憾なく発揮されましたからね。
 考えてみれば、この農機具屋さんも、『老舗』ではありません。
 『耕運機』なんてのが出現して、重労働から百姓を開放し、借金地獄に落とすようになったのは戦後ですからね。
 あの親父さん一代限りの商売だったわけです。
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 最近、倉庫を少し片付けたらしく、古い農機具や発動機などが作業場に運び出されています。
 今ではマニアしか喜ばない、水冷の発動機も転がっています。
 こんなのを見ると・・・
 パン・パン・パン・パン・・・・ドドドドーー と、発動機が掛かる音を思い出します。
 紐ではなく、クランクハンドルで回してかけるのです。
 私の周りでは、農作業の現場より後まで、こうした発動機が働いていました。
 山の中の集材現場では重いと言っても、持ち運びが出来て、粘り強い発動機は貴重な物ですからね。
 農業現場は格好良いトラクターやコンバインなんてものに変わり、山の方も一体型集材機に変わった頃から、農山村の荒廃が進みましたね。
 お代官様の代わりに年貢米ならぬローンのお金を巻き上げてゆくシステムがきちんとできましたからね。

 そうそう・・・
 ここのご主人さんは、戦時中、ラッパ兵だったとかで、晩年には前の七里御浜でラッパをよくい吹いて折られました。
 随分昔のことです。

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by je2luz | 2008-04-25 10:27 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 04月 24日

熊野の旅 波田須 少林寺 一番になりそこなった寺

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  熊野市波田須町 少林寺 臨済宗
 この本堂は少々風変わりです。
 大きなお寺にある講堂とかのように、玄関の無い建物です。
 何かいわれがあるのだろうと思います。

 徐福が台風で遭難してたどり着いたと言う、波田須の急斜面中腹に位置する小さなお寺です。
 道順から言っても、このお寺の所を通る人は非常に少ない物と思われます。
 旧波田須小学校・天女座のところから転がり落ちるような市道を下ったところで、この市道もこのお寺の駐車場から先には車が入りません。

 このお寺はこの辺では少ない『臨済宗』のお寺です。
 このお寺にまつわる面白い言い伝えがあるそうです。

 昔、旅の偉いお坊さんが、風光明媚なこのお寺がいたく気に入って、『ここを一番のお寺にしよう』と、思ったのだそうです。
 そして、このお寺の戸を叩いたのだそうですが、野良仕事で疲れて寝込んでいた住職さんは目を覚まさなかったのだそうです。
 偉いお坊さんはあきらめて旅を続けたそうです。
 そして、次に着いた『那智山』を一番にしたのだそうです。
 そうなんです。
 そのお坊さんは『弘法大師』で『一番』とは『西国33箇所』の一番だったのです。
 うーーーん・・・
 なんとも残念な話ですね。
 この波田須には他にも弘法さんにまつわる話がありますし・・・
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 弘法さんがお見えになったときにはこんな釣鐘は無かったのでしょうね。
 こんなのを、ゴーンと一発鳴らしてくれれば、住職さんも目を覚ましていたことでしょうに・・・
 お寺の裏手にはこんな供養等なども建っています。
 この脇を更に登ってゆくと、ネットなどでは徐福や少林寺より有名みたいな『天女座』につきます。
 天女座の外観がいささか色気の無いのは、元は「東洋ハーネス」と言う自動車の配線を作る工場だったからです。
 そう言えば、その横に保育所もあったような気がしますが・・・

 不老長寿の薬、『天台烏薬』を探しに来たのが『秦の徐福』ですが、不老長寿の里なのか、波田須は半分がお年寄りと言う長寿集落です。
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 カメラは ウェルタ・ウェルチI・テッサー50mm

by je2luz | 2008-04-24 11:20 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 04月 23日

熊野の旅 本日画像のみ・・・

 今日は書き込みのタイミングがずれてしまいました。
 又々、獅子岩の写真のみです。
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  Hermagis Paris 105mm Made in France
  

by je2luz | 2008-04-23 12:47 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 04月 22日

熊野の旅 熊野市駅 まだ頑張っている・・・

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 熊野市駅の一部です。
 元はこの部分が出口専用でした。
 専用出口がいるほど、乗降客が居た・・・出口に配置しないと余ってしまう駅員が居た・・・時代もあったのです。
 その時代も紀勢線は赤字でした。人員を大幅に減らしてからもやっぱり赤字です。
 客が減り始めてから出来たのが、奥に見える『うどん屋』です。
 これが出来た時に、熊野市駅でも駅弁が売られました。
 一日数本の特急列車、下りはもうすぐ終点、上りは始発を出たばかり・・・駅弁の売れる要素が無いので駅弁業者など出来るわけもありません。
 このうどん屋も駅弁も、『新宮』から進出してきた物です。
 
 かつて、『駅前シリーズ』なんて映画が撮られていた頃、舞台になった新宮の駅弁屋、『まる新』の支店です。
 この映画では、そこのお嬢さんはものすごい別嬪さんでしたね。
 新宮機関区とかの男どもは変なのばかりでした・・・
 お嬢さんが新珠三千代さんで、機関手などは森繁、伴淳、加藤大介・・・なんてお決まりの配役だったように思います。
 残念ながら、私はこの『まる新』の方々と面識がありません。
 だから、お嬢さんと新珠三千代さんと比べたことはありません。
 本店は新宮駅前の熊野交通バスの乗り場の所だったのですが・・・

 熊野市駅の支店も、出来てから30年ほどになってきているのかと思います。
 乗降客がものすごく少ないのですが、まだ頑張っています。
 地元の人にもファンがいると聞きますが、私は一度も食べたことがありません。

 かつて、列車のドアが手動だった時代・・・東北本線などで旅すると、時刻表で立ち食い傍のある駅を確認し、停車時間も調べておいて、まだ動いている列車から飛び降り、立ち食い傍田に駆けつける。食べ終わる前に動き出した列車を横目で見ながら最後まで食べ切って飛び乗る・・・
 これが、旅行通のやり方でした。
 蕎麦屋の方も心得た物で、駆けつけると同時に、そばが出てきたものでした。そして、出されるそばは食べごろの温度・・・
 駅弁を買うのもやっぱりコツがありましたね。初心者は駅弁も買えない事態が起きたものです。

 そんな時代の旅は時間が掛かっても情緒がありました。
 列車のドアは自動になり、窓は開かなくなり・・・座席はロマンスシート(死語)になり・・・効率は良くなってもふれあいも何もなくなってしまいました。
 駅弁も、列車の中で選り取り見取り・・・
 ・・・・
 このうどん屋もホーム側からではなく、外向きを前提にした物です。
 昔の『僕は特急の機関手』なんて流行歌に・・・
  わずか三分停車では
  キスする暇さえ ありゃしない・・・
 なんて、歌詞がありましたが、今の列車は1分停車とか、時刻表では着発同時刻に表示される30秒停車ですね。
 三分停車ならそばも食えたのですが・・・

 鉄道の・・・と、言うより・・・『旅』自体がなくなってきているような気がします。

by je2luz | 2008-04-22 12:38 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 04月 21日

熊野の旅 熊野市駅前

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 熊野市駅前の写真です。
 建物は昔のように並んでいます。
 良く眺めると、『建物があります』としか言えないのです。
 看板も昔ながらに賑やかに揚がっています。しかし、一部はスポンサーの物です。
 あまりにも寂しいので、公金を突っ込んで体裁を整えているようです。

 かつて、ここが交通の要衝であった頃、この建物群には、大食堂からうどん屋まで4・5軒の駅前食堂が並び、駅前旅館も4軒ほどありました。結構大きな土産物屋もあって、商売が成り立っていたのです。
 今では大食堂などやってゆけるはずも無し、昔からある小さな食堂は一軒だけ残っています。
 土産物屋は事実上タバコ屋さんになっていますね。そして、そのタバコさえ斜陽になって・・・
 三重交通と奈良交通の切符売り場をかねていた食堂はとうの昔になくなっています。 バス待ちの人で結構賑わっていた物ですがね。
 元、駅前食堂兼駅前旅館だった所は『熊野市観光公社』になっていますし・・・
 さびれかけた駅前に移ってきていた、銀行も一行は熊野から引き上げ、もう一行は少しはなれたところに引っ越しました。
 鉄道の駅は完全に見放されてしまいましたね。
 熊野市駅で降りて、通勤するとすれば、市役所、県事務所、郵便局、職安・・・見事にお役所だけですね。
 あとはスーパーのパートとか・・・
 本数の無い列車では通勤できませんから、乗降客はもっぱら、県立木本高等学校の生徒さんですね。
 朝夕の列車通学生の列は昔と変わりません。
 しかし、この生徒の数も、私の頃はたしか、一学年、普通科5.商業科2、家庭科1の8クラス・・・定員400名でした。
 今は普通科と総合科になって、定員も減っているはずです。
 進学率20%ほどの時代でも不合格者が出たのですが、今のように100%の進学率でも最早定員割れ寸前のようです。
 観光客、旅行者の居なくなった駅前は商売にはなりませんね。
 固定資産税だけが掛かり続ける一等地の姿です。

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by je2luz | 2008-04-21 12:24 | 熊野 | Trackback | Comments(0)