人気ブログランキング |

LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ

<   2008年 03月 ( 31 )   > この月の画像一覧


2008年 03月 31日

熊野の旅 玉置山

 熊野信仰は元々原始宗教に近いような山岳信仰から始まったような物です。
 都からさほど遠くなく、山又山のかなたに広がる海・・・たしかに、都人にとっては神秘的なところでしょう。
 大峰山系の絶壁を除くとものすごく険しい高い山があるわけではありません。長野や岐阜のあたりの山の方がはるかに高く、険しく聳えています。
 高野山も大峰山も寒い所です。冬はいてつきます。
 しかし、道に迷わなければ普通の装備で登れる所です。
 それが、修行僧にとって適当な場所だったのでしょう。そして、その拠点となったところも、都人など一般人でもたどり着ける所だったのが、『熊野信仰』を産んだのだと思います。
 同じような修験道の道場である『羽黒山』や『月山』では都から遠すぎます。
 「都をば 霞と共に 発ちしかど・・・・・」ほどは日にちは掛からないにしても、まさに「みちのく」の土地ですからね。

 『熊野三山』と言われるのは、『本宮大社』『那智大社』『速玉大社』の三つです。
 これを廻るのが、『熊野詣』の定番、必須条件ですが、もう一箇所、信仰を集めていた所があります。
 それが、『玉置山』(たまきさん)・『玉置神社』です。
 修験道の道場の一つで、奈良県吉野郡十津川村にあります。
 ここの起源はものすごく古いらしいですが、立地的に他の三山に比べたどり着きにくい所にあります。
 修験道の人たちには奥駆け道の一部ともいえるところであり、世俗から離れた所として大切な場所であったようです。
 今の時代でも、『熊野三山』が団体ツアーバスが横付けするのに対し、この『玉置山』は「マニア」と言っては失礼かもしれませんが、特に興味を持った人たちだけがお参りする場所です。
 残念ながら、私はその中に入りませんので、『玉置神社』におまいりしたことがありません。
 添付の地図でも分かるように、今は熊野市になった紀和町の川向にあるのですが・・・・

 時間があって、しっかり歩く覚悟のある方は、変な所をうろつくより、ここにおまいりすると、もっと昔の熊野信仰に近づけるかもしれません。
d0045383_11104290.jpg

この周辺です

by je2luz | 2008-03-31 11:11 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 03月 30日

熊野の旅 木本と有馬

 近代のこの地方の中心は「木本」です。
 隣接する「有馬」はそれに付随する郊外のような感じです。
 昭和の大合併の前の状態では、木本は『木本町』であり、有馬は井戸と一緒に『有井村』を形成していました。
 旧国道沿いには家並みが続いて、ちょいとした『街』の感じでしたが、背後は沼地を抱えた田園地帯でした。

 古代となると、奥有馬、『産田神社』の近くなどには人間が暮らした形跡が沢山あるようですし、木本周辺でも水のあるところには同じように縄文だなんだと形跡があるようです。
 歴史が残る時代になってからでは、坂上田村麻呂が攻めてきて、鬼退治したのは木本のようです。
 退治された、『多娥丸』(たがまる)なんて豪族?海賊?の根城が木本だったとかですから、多分、木本のほうが勢力を持っていたのでしょうね。
 もう少し下るり、室町だ戦国だと言うようになると、領国の支えは米であり田圃となりますから、この辺を押える豪族は有馬の方が主力だったようですね。
 ほんの少ししか田圃の無いこの地方ですから、いくら頑張っても大きな豪族にもなれませんが、有馬の戦国大名が北は紀伊長島あたりから南は紀伊田原まで手を伸ばした時代もあったとか・・・
 たしかに、南紀州ではまともに田圃の広がる所はほとんど無いのですから、有馬から近隣の志原、市木など沼地がらみの水田が開発できた土地のあるところが、強かったのかもしれません。

 江戸時代に入り、きちんと紀州公が納めるようになって、『奥熊野代官所』が木本に置かれ、落ち着いてきてからが木本が栄える時代になったのでしょうね。
 鉄道も、有馬で終点にせず、岩山をくりぬいて木本まで伸ばしてくれたことも、昭和の反映を作り出してくれたのでしょう。
 
 ここら辺には、『古城跡』は点在しますが、『城』と言うよりは『砦』といった風な、山城の跡ばかりです。
 『城郭』を構えるようなお殿様を支えるほどの土地でもなかったと言うことです。
d0045383_11164511.jpg

 カメラは ミノルタ・ミノルタ・オートコードL
この周辺です

by je2luz | 2008-03-30 11:23 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 03月 29日

熊野の旅 熊野詣と王子社

 昨日取り上げた本の著者の岡本実先生も書かれていますが、熊野詣とは熊野三山に詣でて、『はい、お参りしました』と言うものではありません。その道すがら、自然に触れ、難行苦行を乗り越えて始めて達成される物です。
 そんなことを言っても、今の観光を目的とした熊野古道歩きの人には分かってもらえないでしょうね。
 ガイドブックに載っているものにしか価値を見出さず、ひたすらそれを追いかける・・・悲しい、乏しい旅をしているのですが・・・
 と、言っても、昔の人とて、長い道のりを漠然とそんな抽象的な物を求めて歩けといっても無理だったのでしょうね。
 天皇、上皇なんて方々も沢山おいでになっているようですが、今以上にうっそうと茂った山道を何日も何日も歩くのですから、しんどいし退屈もしたことでしょう。
 良くしたもので、京、浪速からの参詣道には『99王子』と言われる、沢山の熊野大社の分社が作られ、道々、そこに参拝しながら進むようにしてあったようです。そうしておけば、『次は○○王子だ・・・』と、目標があり、又、そこに参拝することで、道中、雑念にまみれていた信仰心もよみがえったことでしょう。
 この王子は、和歌山県側の熊野古道に沿って整備されたようです。そして、その王子もこれが本物だ、そっちは便乗品で偽物だ・・・などと言う議論もあるようです。いかにも、郷土学者とかの言いそうなことです。
 まさに、『そんなの関係ねえ!』だと思うのですがねえ。
 『熊野詣』とは、そもそも、そんなことにこだわらないで、大きな自然に抱かれて、『心を洗う』そして、『来世に期待する』ことだったと思うのですがねえ・・・

 この『王子』はこちら側、三重県側の『伊勢道』にもあるようです。
 この辺で一番立ち寄りよいのは、『木本神社』でしょうね。
 木本神社には『若一王子権現』が祭られています。
 新田の元宮には『王子権現元宮』があるそうです。
 元宮は別として、『木本神社』がこの場所に遷座したのが、ちょうど400年前、1608年のことです。
 つまり、関が原の後で、熊野詣が下火になる頃の話です。
 まあ、そんな細かいことは抜きにして、そうした意味では、松本峠を越えて木本に入ったのなら、『木本神社』に立ち寄って・・・これが、伊勢道での熊野詣ではスタンダードな作法なのかもしれません。
 極楽寺さんには『若一王子権現別当寺』と言うものもあるようですし、『花の窟』は『岩屋王子』だそうです。
 つまり・・・どうやら・・・『王子だらけ』のようです。
d0045383_11562244.jpg

この周辺です

by je2luz | 2008-03-29 11:52 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
2008年 03月 28日

熊野の旅 お勧めの一冊

 熊野古道関連の書籍は世界遺産指定の頃からたくさん出されてどっさりあるのではないかと思います。
 ことに、和歌山県側の『中辺路』とかは、記録も多く残っているのでものすごく多いと思います。
 『熊野参詣道』でも、通った人の数や有名人の数では少しマイナーな『伊勢道』の方はそちらに比べれば少ないでしょう。
 ブームにあやかって作られた物ではなく、売れないのを覚悟で作った本の中には、地元ならではのことが載っていて、大手出版物には無い面白さがあったりします。
 私の手元にある、『金山の史話』なんて本も、その一冊です。
 発行が『金山発行委員会』などと言う、不思議な団体です。
 著者は 岡本実 さんで、美術の先生だった人です。
 発行は1991年、岡本先生の晩年の物です。
 定価5000円、724ページと言う立派な物です。
 随所に入れられているのは、写真と、絵描きだった先生のスケッチです。
 文章はものすごくやさしい口調で書かれたもので、熊野古道や熊野に関心のある方の目に止まれば、おそらく大喜びで買われる物だと思いますが、こうした自費出版の本はもう手に入らないのでしょうね。
 
 この『金山』(かなやま)とは、熊野市の南の外れの山際にある集落です。
 かつては、南牟婁郡神志山村に所属していました。本来なら、今の御浜町に入るはずなのですが、隣接する久生屋地区と共に、昭和32年、竹やりを持って警戒したと言うほどの大騒動の末、分村して熊野市の編入してきました。
 この『金山』の区長(久保力)さんをはじめとする有志の方が委員会を作って、本の発行元になったのです。
 今では、岡本先生や委員長さんもなくなられて直接お話を聞く事も出来ませんが、立派な本の形にされたので、これからもずっと残されてゆきます。
 ただ、先ほども書いたように、こうした自費出版の本は本当に欲しい人のところにたどり着かない物なのでしょうね。
 この本も、たまたま頂いたので手元にあるのです。
 せっかくあるのですし、この本から題材を拾わせていただこうかと思います。
d0045383_10434421.jpg

この周辺です

by je2luz | 2008-03-28 10:52 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 03月 27日

熊野の旅 熊野は関西圏

 熊野は関西圏です。
 『熊野』と言うと、『和歌山県』と言う風に考えられますが、ここ『熊野市』は『三重県』です。
 明治になって、廃藩置県が行われ、県の線引きがあちこちで手直しなど行われて、今の県境が決まったようです。
 全国的に見ると、富士山頂のように県境が確定していない所が一杯あるようですが、三重県と和歌山県の境が今のところになって、元々、御三家紀州反の領地であった、『南牟婁郡』と『北牟婁郡』が分離されて伊勢、藤堂藩などと一緒になったのは大きな熊野川があって切りが良かった面もあるのでしょうね。
 この、『三重県』と言う県は、行政上は『東海』に所属します。国の機関も『東海○○局』なんて名前のところが三重県を押えています。アマチュア無線も『東海総合通信局』の管轄でコールサインの地域識別も『2』です。
 このように、行政面では『東海』なのですが、いろんな面で、三重間全体を『関西なのか東海なのか・・・』と言う議論がなされる所です。
 三重県でも、桑名など北の端となると、まともに名古屋の影響を受けて来ています。しかし、南に来ると元々が紀州藩ですから、浪速の影響を受けて来ています。
 近代に入り、伊勢方面と同じ県になり、行政が東海管轄になり、鉄道や道路整備も名古屋方面が便利になってくると、いろんな面で、この東海地区最南端の僻地も東海圏内に変わってきました。
 商業の仕入れなどは、かつてはほとんどが大阪からでしたが、今では名古屋からが多くなっています。
 特約店制を敷いた物などは、強制的に東海管轄になりましたね。
 そんな物の中で、電力だけは熊野市の中心部までは『関西電力』です。中部電力との境は、市内大泊町の川になっています。供給会社が違っても。富士川を境にしたように50Hzと60Hzの違いなどは無いので余り意識はされていません。本の少々電気料金が違ったりはしていますがね。

 色んな物が人為的に東海かされてきても、変わらない物もあります。
 『方言』や『食文化』は変わりにくい物です。
 これとて、全国的に均質化がなされて来ていますが、まだまだ、しっかり残っている物です。
 『食文化』はここはやはり『紀州』で、関西圏になりますね。
 『うどん』であって『きしめん』や『そば』には縁の無いところです。『伊勢うどんのような物ではなく、薄い色の大阪のうどんです。
 もちろん、『雑煮の餅』は丸です。
 『たこ焼き』『お好み焼き』はそんなに普及していたわけではないですが、すんなり入り込んで、イベント、お祭りでは当たり前になっています。
 何かにつけて、食べ物は紀州藩時代の流れを残していますから、関西圏の色合いが強いのです。

 まあ、関西圏に残っても端っこ・・・東海圏に入ってもやっぱり端っこ・・・なのですがね。
d0045383_11314418.jpg

d0045383_1132315.jpg

 カメラは ウェルタ・ウェルチ I
この周辺です

by je2luz | 2008-03-27 11:33 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 03月 26日

熊野の旅 昨日の続き・映像のみ

d0045383_15212315.jpg

d0045383_15215766.jpg

d0045383_15222175.jpg

 何か他に子供のイベントでもあったのでしょうか?
 子供がうろついていませんでした。
 出店が子供向きでなかったのか???

 カメラは ウェルタ・ウェルチ I

この周辺です

by je2luz | 2008-03-26 15:24 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 03月 25日

熊野の旅 町全部が下町

 木本は典型的な田舎町です。
 一時は商業で栄え、ぎょぎぃおうで賑わい、林業で潤いました。
 しかし、小さな商業圏ですから、そんなに大もうけする人もいなかったようです。
 林業が基幹産業といわれても、和歌山県や奈良県のような大きな山林家もいるわけでもありません。全国的にみれば、この辺の山林家は、『小規模林家』と言う範疇に納まってしまいます。
 それでも、少しは『旧家』とか『旦那衆』(だんなし)と言う家もありました。でも、そうした規模がベースになっていますから、まあ、たいしたことが無いということです。
 まして、ここには『奥熊野代官所』はありましたが、まともな士族が住み着いていたわけではなく、今で言えば小さな県の出張所があった程度です。
 もちらん、皇族方に関係あるところでもなし・・・明治以降も、『公候伯男子』なんて爵位のある人にも縁は無いし・・・
 要するに、歴史上ずっと、庶民の土地なのです。
 せいぜい、『田賀丸』田やら言う、土着の豪族?海賊?が居て、『坂上田村麻呂』にやっつけられたのが関の山のようです。
 おかげさまで、木本の町には余り上下関係はありません。
 町全部が『下町』みたいなものです。
 江戸の下町なら『親方』などと言うものが居るのでしょうが、ここにはそれらしき人も居ませんね。
 でも、『お歴々』は居ました。
 その『お歴々』と言われた人たちが、世代交代できず、この先はどうなるのか良くわかりませんね。
d0045383_11433968.jpg

d0045383_1144627.jpg

 カメラは ウェルタ・ウェルチ I
この周辺です

by je2luz | 2008-03-25 11:47 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 03月 24日

熊野の旅 今年も上京することに・・・

 無精者で中々近隣の取材にもで無いのですが、去年の娘の結婚式以来ちょうど一年で、今年も上京することになりそうです。
 今回は、息子の家にアマチュア無線のアンテナを上げる手はずでの状況ですから、服まで持参の旅にはならないので少し身軽です。
 それでも、カメラをどうするか少々悩みます。
 ちっちゃいのにすれば、三台四台持っても大したこと無いのですが、ちょい大きくなるとやはり大荷物になりますね。さてどうしたものやら・・・

 お登りさんする前に、何枚か使える写真世用意して行かないと、ブログの更新で困ります。
 昨日の商工会議所のお祭りはきちんとモノクロでも撮りましたが、一杯記事の欠けるものでも無いですしね。
 少しは役目がさめたら、もう寒くも無いですし、リクエストも入っている、大又川沿いから山間部を一回りしてきましょうかね。
 今の人のフラッシュメモリーなら一杯入るでしょうが、私の資材はそれも古いのでふんだんに入れては運べません。
 でも、お金だけは今の人より多く払っていますよ。1G1000円なんてものではありません。
中古でももっと高かった物です。(自慢にはなりませんが・・・)
d0045383_11351967.jpg

 この写真は市内飛鳥町の飛鳥神社です。
 随分古くからここにあったようだといわれていますが、旧飛鳥村の中心でした。
 もう一度ここから始めて、大又川(流れ谷)を下って行きます。
 隣りには『油屋お紺』なんてお芝居の主人公になった女の在所があるのですが、取り立てて絵になるものも無かったように思います。
 他所から来ると珍しい物でも地元にいると当たり前に見えてしまうところがあります。
 近々出かけて、何かを見つけてきます。

by je2luz | 2008-03-24 11:43 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 03月 23日

熊野の旅 イベント

 今日は木本町本町石畳の通りで、『商工会議所祭り』とやらの、イベントがありました。
 珍しく、まともに見に行きました。と、言うより、我が家から100mほどの所から会場が始まっているので、わざわざ出かけると言うような物でも無いのです。
 デジタルカメラと、古いウェルタ・ウェルチIと言う小さな35mm蛇腹カメラを持っての撮影でした。
 出るときに、デジタルカメラの電池が危ないだろうな・・・と思っていましたが、ほんの二・三枚でストップしました。あとは、休ませながらごまかして使って来ました。
 本格的に撮影する気の時は、カメラにストロボが付いているので当然予備の電池も持っていますが、気軽に出ただけに対策全く無しでした。無精者は100m余りの道を自宅に帰って伝とを取り替えるのも面倒なのです。
d0045383_11504952.jpg

 本町通りは広くないし、半分ほどが出店のテントで占領されるので、通路が適当に狭くなって、少し人手があるとものすごく賑わって見えるので、こうした時には良いものです。
 年中、色んなイベントが行われますが、今日のイベントは割りと人出が多かったですね。
 理由の一つが、『商工会議所』が主催で、会員への参加呼びかけと動員があったこと、もう一つは、私は余り好きではないのですが、『太鼓』や『ヨサコイソーラン』などの団体をたくさん出演させたことです。
 『ヨサコイソーラン』及びその類の踊り集団は踊れる機会があれば喜んできてくれます。さらには子供の集団となると、友達、親、じいちゃんばあちゃんと観客動員力もあります。
d0045383_120887.jpg

 こうした団体で約100人の身内動員力だあると思われます。
 保育所・幼稚園の幼児が出演する時の動員力にはとても勝てませんがね。
 心配された雨も何とか降らないで持ちこたえてくれました。
 行楽シーズンだし、熊野古道のメインストリートとして整備した本町石畳道路なので、観光客の方の姿が見られても良いのですが・・・
 田舎の常で、おなじみさんの顔が一杯でした。
 
 こうした、イベントにうまくぶつかると、その土地の『郷土料理』らしき物が売られている物です。
 食堂や料理屋に比べ、本来の形に近い物があることが多いですね。
 避けて歩かないで、覗いてみる価値はあると思います。
 大層な器にも入っていませんし、体裁も良くないですが、それが田舎料理なんですからね。
 大体、テレビのルポでやっているような高級旅館での『郷土料理』なんて、そこの地元の人には手の出ない『創作郷土料理』が多い物です。
 イベントでも、なるべく見場の悪い物を選ぶと、昔の物に近いことが多いです。
 おいしいと言うことと、本来の郷土料理と言うことは別な時があります。

この周辺です

by je2luz | 2008-03-23 12:18 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 03月 22日

熊野の旅 一日分・・・

 先日、ここに載せた『木本神社遷座400年』の記念行事の資金作りのバザーが今日でした。
 気が付くのが遅すぎました。
 何時だったのかと、自分のブログの過去記事を探して見つけたのが、すでに11時を廻っていました。記事には、4月22日10時から12時と書いてありました。そして、今日は22日です。
 駄目だろうな・・・と、思いながら会場の木本小学校講堂へ行ってみましたが、最早、卓球台二台の上に残骸が少々残っているだけで、絵にもなりませんでした。
 おそらく、10時前から行列が出来たのだと思います。
 出口には、大量に買い込んだ人の戦果がまだ積み上げられていました。
 結構出品があったようです。
 商売人の倉庫から出たようなものもたくさんあったようです。
 何も買えなかったのも少し残念ですが、クラシックカメラなど出るようなことも無いので、そちらは、ほんの少しだけの残念で済むのですが、一日分のブログ写真が物に出来ませんでした。
 こう書き出しながら、一体、この記事にどの写真を載せようか頭を悩ましています。
 書くほうは、『遅刻したので書くことがありません』と、書けばなんとか埋まりますが・・・
d0045383_1146837.jpg

 このバザーでの収益金などで行われる記念行事は3月30日日曜日だそうです。中味のほどは知りませんが、神事の他ではおそらく『餅まき』はあると思います。『餅まき』無しではこうした行事は考えられない土地柄ですからね。
 運良くこの日に熊野古道歩きにでも来られて、松本峠越えの道中で木本神社の前を通られたら、この『餅まき』『餅拾い』を体験できると思います。
 昔は全国的にあった風習なのですが、今の都会では少なくなっていると思います。
 参加するまでは、少々気恥ずかしい物ですが、もちが飛んでくると童心に帰って皆さん無邪気に拾っています。
 まあ、中には意地悪なおばさんもいますけどね。
この周辺です

by je2luz | 2008-03-22 11:56 | 熊野 | Trackback | Comments(0)