LUZの熊野古道案内

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2008年 01月 31日

熊野の旅 ノスタルジー

 昨日夕方、写真に展示をしました。
 会場の大きさを測ったわけでは無いのですが。全紙1、半切4、四つ切11、キャプション1で、一応、会場は埋まりました。
 写真のように、昔、お店をしていた所をお借りしているもので、今は、近所の人相手に産地直送の野菜を売るのも兼ねた所です。
 午前中の日当たりの良い時間には大家さんが日向ぼっこしながら店番をしています。
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 一枚、焼きがうまく行って居ないのがあったので、昨夜違うものを焼き、朝から取替えに言ってきましたが、近所のおばさんとか、南牟婁郡からやってきたお百姓のおばあさんとか、常連さんが入ってきて四方山話をしていました。
 展示した写真が、白黒で古いものを撮ってあるので・・・
 『昔はこんなのあったね・・・』
 『私の実家もこんなんやったわ・・・』
 『○○さんの所も立派やねえ・・・』
 ・・・・・・・・・
 何処の田舎でも見られる風景です。
 男どものほうが本当の土着が多く、本来は幼馴染が多いはずなのですが、少し離れた所から嫁に来たはずの女の方が、こうした付き合いの輪が広いようですね。
 田舎では・・・と言うより、私より少し上の人の時代では、祭り、葬式、町内の掃除、父兄会、果ては選挙までご近所集まってやりましたからね。
 そんな時でも、表面的には男どもが取り仕切っているようで、本当は裏方の方が長い時間一緒に居てきちんと仕事をしているものです。
 そうした、長年の付き合いが、生まれ育ちの違う女の人を、しっかり土着させるのでしょうね、
 草木でも、直播きしたものより、移植したものの方が、根をしっかり張って丈夫になるものが多いです。

 『まあーーー久しぶりじゃのし・・・』
 『ほんとにいーーー元気やったかえ?』
 『元気じゃよーーーあんたも元気そうじゃのう・・・』
 『おかげさんでのし・・・それでも、足が悪ての・・・』
 『みんなそうじゃで・・・年じゃさかの・・・』
 『△△さんは元気にしとるかえ?』
 『元気にしとるで・・・』
 『よろしう言うといての・・・』
 『言うとくわえーーー』

 こんな風な会話が生きているうちは地域社会はまだまだ生きていますね。
 田舎なのに、これを『標準語風』でやる世代になってくるとおかしくなります。
 さしずめ、プランターに買ってきた土を入れて移植したようなもので、土着しないからかもしれません。
 私は、出たり入ったり何度も移植したので何処にもあまり根を張らないで終わりましたね。
 世が世なら・・・
 『満州へ行って馬賊にでもなるか・・・』
 そんな馬力のある人間でもないですし・・・
 気楽に写真でも撮って過ごします。
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by je2luz | 2008-01-31 11:14 | 熊野 | Trackback | Comments(3)
2008年 01月 30日

熊野の旅 古民家とは・・・

 『古い』と言う言葉には随分幅があります。
 物によってはほんの少し前のものが『古い』になりますし、明治の頃でも『新しい』となります。
 『パソコン』などは前者で、5年ほど前のものだと十分『古い』になります。それに比べ、『刀』などは100年前の明治に作られても『新しい』になりますね。
 また、人によっても判断基準が変わってきます。
 私が遊んでいる『クラシックカメラ』と言うジャンルでも、世代によって随分基準が違うようです。
 一般的には、おおむね1960年頃になって、カメラに電池が使われ、一眼レフが完成に近づいた頃を境に区別することが多くなっています。
 しかし、若い人は、完全にオートになって今のカメラとほとんど変わらないものも『クラシックカメラ』扱い視します。まあ、自分が生まれる前だったり、子供の頃のものですからそう思えるのでしょうね。

 同じように、建物についても、『古い』の基準が随分違うようです。
 安普請で管理の出来ていないアパートなどだと、『築後30年』で十分『古い』になります。
 きちんと建てられて、きちんと管理され使われている建物なら、とても『古い』には入りませんね。
 私の家は後ろ半分が築後37年、前半分の増築部分で30年になります。しかし、家の中で『おくどさん』や『囲炉裏』で火を燃やす構造でも時代でもないので、黒ずんではいません。昔の人のように柱まで空拭きするような手入れはした事ありませんが、紀州桧は勝手に自分の油で光って来ています。

 田舎で暮らしていると、回りに一杯古い建物があります。
 明治・大正に経てたなんてゴロゴロしていますね。
 『暮らす』と言う意味では、昭和の建物でも、戦後になり生活様式が大きく変わって以降に建てたか改造したかしたものでないと、まさに『前時代的』で困ったものになります。

 『古民家』と呼ぶにふさわしいもの・・・
 この基準も特に定められたものではないですね。
 戦後の建築基準法のように、『木造住宅の耐用年数25年』なんて、ふざけた感覚でしたら、私の家なども、耐用年数を越えて取り壊しの対象になる『古物』ですね。
 『古民家』と呼べるのは・・・
 それなりの『年代』が偲ばれるもので、それなりの『格』を感じさせるもの・・・のような気がします。
 つまり、私の設計したこの家のようなものは、100年は楽にもちますが。そうなっても『古民家』にはならないと思います。

 今日の新聞のローカル県版を見ていて、終戦の年に建てたらしき家の事が出ていて、記事中では使っていませんでしたが、写真説明では『古民家』となっていたので、『字数の関係かなあ・・・』と、思いつつも、ふと『古民家』と言う言葉について考えてしまいました。
 私の写真展のテーマも、『木本の古民家』ですから・・・
 開催期間は、2月1日からの一ヶ月間だそうです。ロングランですねえ・・・
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by je2luz | 2008-01-30 11:53 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 01月 29日

熊野の旅 泥縄

 一ヶ月以上も前から決まっていたのに・・・
 何をやってもこうなんです。
 『まだ時間がある・・・』
 
 とうとうなくなりました。
 31日に飾り付けだそうです。
 主催者の方から額も持ち込まれました。
 少しは準備していたのですが・・・
 写真が決まらないので作業が出来るはずもなし・・・
 切羽詰れば何とかするしかないです。

 全紙2枚 半切4枚 四つ切10枚位 を展示することにしました。
 近年まともに引伸ばしをやっていないのに、大伸ばしをしようと言う虫のよさ・・・
 昨夜もやってどうにか半切まではほぼ出来上がりました。
 全紙はやはり引伸ばし機のヘッドを逆向きに付け直さないと出来ません。
 さきほど、暗室内を再配備して引伸ばし機を移動してセットしなおしました。
 現像・停止・定着・水洗・・・全部、衣装用のコンテナです。結構間に合います。
 こうしてヘッドが逆を向いた引伸ばし気を見るのは50年近く前の早稲田祭準備の時以来ですね。
 今夜は最後の全紙伸ばしです。
 印画紙は20枚も入っています。試し焼きは四つ切を切ってやりますから、上手にやれば15枚くらいはできるはずです。
 しかし、全紙伸ばしをするような写真って早々あるものではありません。そもそも、写真を飾る習慣って無いですから・・・

 と言うことで、展示は 2月1日から10日間ほどだそうです。
 昨日予告した、『花の窟お綱掛け神事』にでもお出かけのせつは、木本町本町・関船町の『岡本さんち』へお立ち寄りください。
 全部ここに出たことのある写真ですが・・・
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by je2luz | 2008-01-29 12:08 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 01月 28日

熊野の旅 雨かも・・・

 もうすぐ、花の窟神社のお綱掛け神事の日が来るようです。
 確か、2月3日だったように思います。
 3日だとすると日曜日にあたりますね。平日に比べ、やはり人では多いかと思われます。
 多いといっても、総数で数百人と言う単位ですがね。

 冬のこの時期は、ここ表日本では晴天続きで雨が降るなんてほとんど無いものです。
 しかし、今度の2月3日は雨の予報が出ていますね。
 この祭りは、何十メートルもの高い絶壁のうえから綱を下ろして人力で引っ張り、柱に取り付けるという行事ですから、雨は苦手ですね。
 時間的には短いものですが、二見が浦のように特別な人たちが引っ張るのではなく、一般参加者が引っ張るだけに大変かと思います。
 もともと、社殿とかも無い神社ですから、着替える所も暖をとるところもありません。
 綱を張る時間帯だけでも、止んでいてやって欲しいものです。

 張替えのための新しい注連縄も準備がほぼ出来てきたようです。
 注連縄といっても、出雲大社などの社殿に掛かっているようなたいそうな物ではありません。
 普通の手綯いの藁縄を何本か拠り合わせたものに、少しばかり飾りが付いているものです。
 長さは百メートルをはるかに越えるものすごく長いものです。

 長期予報のことですから外れるほうが多いですし、神事ですから多分天気は大丈夫でしょう。
 前回にも書きましたが、大きな神事と言う割りに。人では少ないです。
 飛び入りで十分綱賭けに参加できます。
 十時ごろ開始だったかと思いますから、少し早めに熊野入りして、国道42号線沿いの獅子岩と花の窟の中間の所などにある無料パーキングを確保すればよいでしょう。
 気が向いて、暇を持て余すようならお出かけください。
 これを逃すと次は10月ですね。
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by je2luz | 2008-01-28 10:30 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 01月 27日

熊野の旅 どっちが古い?

 今月も一軒、近所の町屋が解体されました。
 『解体』ではないですね。『破壊・撤去』ですね。
 昔なら、人間の手で上から順にさばいていったのですから、『解体』だったのですが、今は重機によって、とり壊すだけですからね。
 金属が高い時期なので、金属類だけはきちんと取り除いていますが、あとはかなりいい加減な分類で運び出されてゆきます。
 一軒の家を解体して整地するまで、今回の家は小さかったので、正味二日でした。

 木本のような昔からの町並みでは、今の建築基準法のように隣との間に空き地が無くてはならないなんて関係なく建てられています。
 まさに壁と壁がくっついて建てています。
 最近の工法では、隣とくっつく側の外壁は外装材を貼り付けてから、壁全体を引き起こす方法をとったりしていますが、昔からのやり方では、間に人の入れない壁は貼ることが出来ません。
 並んだ家でどちらが古いかわからない時は、家と家の間の隙間を覗くと分かることが多いのです。
 古いほうの家には、新しい家を建てる間に外壁が貼れるので貼ってあります。
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 この写真の場合、残っている居る家の方が新しいと言うことです。
 取り壊した家の形どおりに、すっぽり外壁の無い部分がむき出しになりました。
 残された家の壁は『土壁』を無ってあるのですが、この土壁は向こう側、家の中側からだけしか塗られていません。下地の荒壁も人間が入れないので塗っていません。
 こうした片方しか塗っていない壁は、自身などの時には簡単に剥れてしまいますが、こうした市街地では至極当たり前なのです。
 間口が二間半とか三間とかでは、隣との間をたとえ、1尺5寸ずつ開けたとしても、家が建たなくなるからです。
 この時期は、強い雨とか降ることも少ないですが、やはり早急に壁を貼らなくては済みませんね。
 こうした無化sぢ野町の構造が、古い市街地がどんどん寂れる要因の一つにもなるのです。

 形が悪いので、売買されるときは安いです。
 しかし、固定資産台帳では、横並びに同じ評価になっていることがほとんどです。
 しかし、日本人には土地神話を信じる人が多いので、『固定資産税が高い』と、文句を言いつつ、自分の住んでいる町の評価額が高いと喜ぶ人が多いのです。
 土地投資じゃあるまいし、代々住むだけなら、評価なんて本当は低い方が良い位なのですがねえ。
 もう少し、山間部になると、売れない土地に固定資産税が掛かっています。
 でも、目一杯かけないと田舎の自治体の財源は無いのです。
 私の『健康保険税』も、『所得割り』より、都市部では存在しない『資産割り』のほうがうんと高いのです。
 田舎に住むと、『収入0』でも、保険税は一人前に十万、二十万と掛かってきます。
 田舎住まいも中々大変なのですよ。

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by je2luz | 2008-01-27 11:44 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2008年 01月 26日

熊野の旅 寒波

 寒波がやってきたようです。
 寒波がやってきても、この程度だと、外に汲んである水が凍ることは無いのですが、明け方にはその直前までさがっているでしょうね。
 我が家の中で一番寒い場所の気温が午前10時で4度ほどしかありません。
 ここまで下がると、山間部の夜中の気温は零度をはるかに下回ります。

 南紀に向かう国道は、大阪から白浜・串本経由の国道42号線の西半分ルート以外は全部紀伊山地を越えるか掠めるかします。
 名古屋・東京方面からのメインルートになる、国道42号線東半分ルートは松阪以南で紀伊長島までは海から遠く離れます、尾鷲と熊野の間には旧矢の川峠こそなくなりましたが、飛鳥町地区の極寒地帯を抱えます。
 奈良大阪京都方面からの国道169号線・309号線では叔母峰峠と言う大台ケ原の足元を抜ける紀伊半島とは思えない区間があります。もう一本の国道168号線は大台ケ原を挟んでほぼ平行に走るもので、十津川村地内とかはやはり凍結区間になります。
 西回りでも、熊野三山に向けショートカットする国道311号線も田辺を離れると、熊野古道の中辺路をたどるものですから山の中で積雪凍結当たり前の道です。

 南紀への道は名古屋からとか大阪とかから200Kmほどのものです。
 高速道路は途中で切れていますから、今のところ、3時間4時間の道筋です。
 徹夜で走るには近すぎる、かといって、朝になってからでたのでは半日は路面を見て過ごすことになる・・・
 一番効率の良いのは、夜明け前に出発して南へ南へ向かうことです。
 南国南紀に向かうはずなのに、あちこちに『凍結注意』の看板が・・・
 場合によっては『チェーン規制』なんてものまであります。

 このルートで本当に凍結するのは、1月中ごろから3月頭まで。時間帯は雪でもないときは午後8時から午前9時ごろまででしょうか?一番危ないのはやはり日の出前から日の出まででしょうね。
 南国のドライバーと大都会のドライバーは凍結路の経験が浅いです。そのほかの方は、それなりに凍結路の経験があるはずですから、油断しなければ、そして今流にスタッドレスタイヤを履いていれば事故までにはならないと思います。
 ただ・・・皆さん、『南に来たから・・・』と言うどこか楽観した所があるようです。
 国道のあちこちに設置された電光掲示板は伊達についているわけではありません。
 夜中に明々と『積雪注意』とか『チェーン必要』などと表示が光っている時は、それから先反対向きのゲートをくぐるまではそのつもりで走ってください。

 夜明けまでに熊野の海岸にたどり着けば、水平線から登る朝日が拝めます。
 海から水蒸気が昇っていることもあります。
 はるか先の新宮や太地の梶取岬が水面から浮いているのを見られるときもあります。船が空中を走っているのはしょっちゅう見られます。
 いくら交通量が少なくて、道がなだらかになっても、眺めるのは車を停めてからにしてくださいね。いくらでも車を停めて眺められる場所はありますから・・・
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by je2luz | 2008-01-26 11:09 | 熊野 | Trackback | Comments(1)
2008年 01月 25日

熊野の旅 役所の不思議さ

 『旅』とは少しは慣れるかもしれませんが・・・

 昔、関西の田舎で言われた言葉があります。
 『立派なのは役場と天○教会』
 大した建物の無い田舎では、昭和の大合併のあとに次々建て替えられた市役所と、所得が増えてきて寄進の増えた天○教が新しい教会を建てたのでこんなことを言われたのです。
 そして、かくさようにそうしたことが多かったのです。
 合併しそこなった町村の役場は古いままで残されていることが多かったですね。

 昭和の大合併の時の条件は、『市になれるのは合併後の人口3万以上』と、言うものでした。
 この『3万』と言うのが特例だった訳です。
 まだまだ過疎が進んでいなかった時代でも、人口密度が低く、地形の複雑な日本の田舎では3万人寄せ集めるのがやっとこさと言う所が多かったのです。
 『新市』と呼ばれた効した市は、三重県においては『熊野』『尾鷲』『鳥羽』『亀山』などの市です。
 『熊野市』も南牟婁郡8か町村寄せ集めてようやく『3万人』の壁をクリアーして誕生したものです。
 合併当座は庁舎も無いので木本町役場や木本町公会堂などを使って執務しました。
 対応するべく建てられたのは、今の市庁舎のある場所に建てた、木造モルタル塗り三階建てのあまり立派な物ではありませんでした。
 この建物の寿命が来る前に、『手狭になった』と言う理由で、駅裏に出来た埋立地に仮庁舎を建設し、一時移転した跡にたてたのが、現在の『熊野市役所庁舎』です。
 熊谷組施工のタイルが光り輝く立派な『外観』のものです。
 内情をばらすと、このタイル張りが仇となって、剥れて落下するタイルが危なく、張替え工事で巨費を投入したこともあります。もちろん、設計者にも施工者にも責任をかぶせないで自前で直しましたよ。
 合併から年月を経て過疎が進み、人口は1/3減少して2万人ほどになりました。そして、その間の行政改革で市役所の職員数も大幅に削減されました。
 そして、今回の『平成の大合併』で紀和町を吸収、人口が千人ほど回復したことになりました。まあ、数字合わせですがね。
 職員数も合併して紀和町役場の分増えました。

 ここで発生した不思議なこと・・・
 合併しても、人口はピークの2/3しか居ない、職員もピークほど居ない・・・
 なのに、業務担当課を市内一円に散らばらせ出したのです。
 かつての東京都がそうでしたが、バラバラに配置して、市民が用事をするのに歩いては廻れなくしたのです。
 環境衛生関係は有馬町の『ゴミ焼き場』に、福祉関係は井戸町の『福祉会館』に・・・極めつけは林業関係は紀和町の『旧紀和役場』に分散させました。
 今日添付の地図では収まっておりません。
 この建物間にはまともに公共交通機関はありません。紀和庁舎のごときは20Kmほど離れていますから歩けば、熊野古道の本宮道・風伝越えで一泊行程になります。
 役所はいつも、『行政が複雑になって・・・』と言うのですが、『電算化』に巨費をいれ、かつては中卒ばかりだった職員がほぼ全員大卒になり・・・
 人口は減り、農地も放置されて減り、山林も増えていません、漁師も船も減りました・・・増えたのは手の掛かるお年寄りだけです。
 なのに、どうしてこんなことになるのでしょうね???
 『高級官僚』の感覚を見る思いがします。

 思惑は・・・・
 『これでは市民に不便をかけるから、新庁舎の建設を・・・』と、築城することでしょうか???

 『殿! ご乱心召されるな・・・』
 『無礼な! 手打ちにいたす、そこへなおれ!』

 いやいや・・・
 私も今はただの家庭菜園百姓、ただのじじいです。直訴なんて出来ませんね。
 『そんな御無体な・・・お代官様』
 『じじい! ごたくを抜かすとただでは済まぬぞ!』・・・でしょうかね。

 まあ、平成の『奥熊野代官所』はこんなものです。
 江戸時代の代官所跡の松も枯れてしまいましたしね。
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by je2luz | 2008-01-25 10:43 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
2008年 01月 24日

熊野の旅 予告・宣伝

 今日の予告は私個人のもの?です。
 来月の頭から10日ほどだと思いますが、木本町本町通りの真ん中辺、『席船町』にある、熊野古道歩きの休憩所、各種展示場、野菜売り場を兼ねている小さなお店(旧・岡本家具屋)で、私がこのブログに載せてきた白黒写真の一部を展示します。
 あと一週間ほどしかないのに、まだ、焼付けが完了していません。
 主催者側では四つ切と言うことですが、カラーではないので四つ切だけではちょい寂しい・・・半切を加えに掛かりました。そうすると、半切は中途半端な感もありますし、全紙も加えたい・・・しかし、現像用バットも無い、もちろん印画紙なんて元々売っていませんし・・・
 バットは衣装保管用のコンテナの引き出しと言うことで決断し、ようやく印画紙の手配をしたところです。
 原判は6×9サイズを使いますから、全紙伸ばししても画質的には問題は無いのですが、さて、どれを全紙にしようか・・・中々伸ばすものがありませんね。
 昔と違い、印画紙の感度は上がっているし、号数選びと言う面倒な作業もフィルターで変えれるようになっていますから、暗室仕事は随分楽になっていますね。
 と言っても、全紙伸ばしは、40年以上も昔、学生時代にやったっきりですからね。いかが相成りますことやら・・・
 会場の関係で、総枚数も10枚一寸で済みます。
 もし、この時期に『松本峠』にでもおいでになられたら、覗いてみてください。
 ただし、機体はしないでください。ここに載せたものばかりですから・・・

 テーマは『木本町・大正・昭和』みたいな物です。
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by je2luz | 2008-01-24 10:26 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
2008年 01月 23日

熊野の旅 定年後に・・・

 全国あちこちで、定年後の人を誘致して定住してもらおうと言う企画が作られているようですね。
 地元から出て行った人でさえ、中々帰ってこないのに、他所の人はもっと来てくれにくいです。
 『老後は田舎でのんびり畑でも耕して・・・』なんていう人も居ますが、一旦住み着いた土地は、『住めば都』です。
 旦那さん方は、会社勤めとかで家を留守にすることが多いので、若いときは住所のある地域とのつながりはさほど強くありません。しかし、奥様方で専業主婦の方は、ご近所の付き合いや子育ての時期に出来た友達、文化サークルの友達など、しっかり地元に根を張っています。
 旦那が『定年で仕事に行かなくて良いから他所へ住もう・・・』なんて言っても、そう簡単に交友関係まで切ってついて行く訳にも行きません。当たり前です。
 それに、『畑でも耕して・・・』と、口では簡単に言えますが、家庭菜園でも、素人にとっては中々大変な作業です。よほど好きでないとねえ・・・
 さらには、田舎だからって、例えば、ここ木本のような町中に住んだのでは『田舎』に来た意味があまりありません。
 都会の人の描く『田舎』はここで言えば、山間部や海岸線の集落の景色です。
 水車が回り、牛が鳴く・・・までは行かないでしょうが、それに近い日本の原風景を求めたがります。
 全国、何処にでもそんな集落はあります。
 『限界集落』と今では呼ばれるところですね。
 田地田畑家屋敷全部まとめても数十万とか・・・
 こんな所では、若い文化人ならいざ知れず、老後では医療などの面でも不安ですよね。
 それに近くでは、魚一匹、味噌醤油も買えません。ものすごく不便です。
 だから、探す人でも適地は見つからないし、探す人も少ないですね。

 この辺で他所より少しましなのは、『暖かい』ことでしょうね。海岸線なら、年中家庭菜園で野菜が自給できます。

 もう一つ、ここには『三重県立木本高等学校定時制普通科』があります。
 定員40名ですが、近年では毎年数名しか入学がありません。
 今から定年を迎える世代は、高校進学率も急速に向上した時代の人でしょうが、それ以前の人とかを含め、卒業していない人もたくさん居られるでしょう。
 そんな人には良いのではないでしょうか?
 卒業まで4年掛かります。結構の年数、生きがいが続きます。
 高卒以上でも、『実業高校』とか『商業科』『家庭科』などの卒業生なら入学できるらしいです。『普通科』の卒業生は『高等学校普通過程の卒業を証する』なんて、卒業証書を与えられているので駄目だそうですが・・・
 いかがですか?
 田舎でのんびり、若い子に混じって高校生活を送ると言う老後は・・・
 それくらいしか『売り込み言葉』は見つかりません。
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 カメラは オリンパス35S
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by je2luz | 2008-01-23 10:58 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
2008年 01月 22日

熊野の旅 伊勢路と紀州路

 伊勢路と紀州路を結ぶのが、私の家の前を抜ける、『熊野古道・伊勢道』です。
 今は、伊勢からこちらにまっすぐ向かう経路は事実上使われていません。
 国道・鉄道ともに名古屋・大阪から来ると、松阪・多気で『伊勢』と『熊野』の二方向に分かれます。
 伊勢に向かうのは、鉄道の方は『JR参宮線』と『近鉄伊勢線』で、道路は『国道23号線』と『近畿自動車道伊勢線』です。
 熊野方面には、鉄道は『JR紀勢線』の一本と、道路では『国道42号線』と『近畿自動車道紀南線』です。
 昔の国鉄時代から、『参宮線』は完全に並走する『近鉄線』に押され気味で。車両も古く冷遇されていました。そして、一時は廃線議論もされていたものです。
 近鉄にとっては重要な幹線路線ですから、車両などの近代かも積極的に進めて来ました。
 『伊勢湾台風』の時、並走する紀勢線・参宮線同様、近鉄線もずたずたにされました。復旧の方は近鉄線はたしか3日くらいで成し遂げましたね。ちょうどその頃に近鉄は『狭軌』から『標準軌』の変更をしました。電車を通しながら、線路を付け加え、完成と同時に、車両の台車も挿げ替えると言う大工事を成し遂げ、国鉄に比べ、圧倒的なスピードと安定性を手に入れましたね。
 それ以来、人の流れが変わりました。
 元々、名古屋方面からは『お伊勢さん』のほうが便利でなじみの深い所でしたが、もっと見込み客の多い『大阪』を中心とする『関西圏』のお客さんが、『上六(上本町六丁目)』発の近鉄特急で『伊勢』に向かうようになりました。
 国鉄ですと、『湊町』発の『関西線』で『亀山』乗り換えでの旅ですから、遠い遠い所だったのですがね。
 それまでは、大阪の人にとっての『旅』は、『天王寺』発で『勝浦』や『那智』など『南紀』に向かうものだったのです。

 『伊勢神宮』には『遷宮』と言う大きな行事が定期的に行われ、それも、一日二日と言うレベルではなく、何年もかかってやるものですから、宣伝効果もものすごく大きいですね。
 近年のテレビ時代になると、御用材の切り出しから始まって『お木引き』から『造営』『遷宮』と、順に追って行きます。一体何時が遷宮の年か分からないくらいです。
 『熊野古道』の和歌山側でやっている、『平安時代の貸衣装』や、この辺でもやる『今流のコンサート』に比べ、ここの行事は本物だけに迫力の差も出てきますね。
 名物も、何があろうとやっぱり『赤福』『お福餅』に対抗できるものは育ちませんね。
 こちらにだって、何とか賞受賞・・・なんてお菓子もたくさんあるようですが・・・
 新宮の『あゆの煎餅』『熊野(ゆや)饅頭』『鈴焼き』・・・決して悪いものではありません。何処に出しても恥ずかしくないですね。
 それに、全国レベルで名を成した『那智黒飴』もあります。
 木本にも『鬼瓦煎餅』『豆板』なんて名物もあったのですが・・・

 足場のよさもあるでしょう、正月の観光客動員数に関しては、『伊勢』かなり増加したようです。
 いつもなのですが、『伊勢』が増えれば『南紀』は減ります。
 かつての『三重・祭り博』の時なんか、『伊勢に客を呼べば熊野も増える』 なんて、誰が考えてもおかしい論法で協力要請が来ましたけどね。
 熊野三山を巡ろうと、鉄道で来たら駅で立ち往生、自家用で来ると、余分に数百キロ走ることになる・・・時間も余分に片道でも半日掛かる・・・
 やっぱり、よほどのマニアで無いと南紀までわざわざ降りてきませんね。

 こちらの人は実に気楽に、松阪だ名古屋だ大阪だ・・・と、買い物に出かけますがね。
 『難波』の人は『富田林』にはめったに行きませんが、逆は当たり前のことですからね。
 こちらの人が『お登りさん』して使うお金くらい、都会の人も使いに来てくれると、田舎も助かるのですがねえ・・・
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 カメラは センチュリー・グラフィック+テッサー135mmf4.5
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by je2luz | 2008-01-22 11:41 | 熊野 | Trackback | Comments(2)