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LUZの熊野古道案内

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2007年 12月 31日

熊野の旅 行く年・・・2007年

 2007年も、あと半日です。
 ぽつぽつ休みながら今年もごちゃごちゃ書き続けました。
 『熊野古道においでください』などと書いたり・・・まあ、半分以上は悪口だったりしますが・・・

 たくさんの方に読んでいただけて幸いです。

 2008年にはもう一度紀州路を走って写真を撮ってきます。
 ガソリンが高いので串本までになると思いますがね(笑)

 今年もありがとうございました。
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by je2luz | 2007-12-31 11:10 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 12月 30日

熊野の旅 明日の晩は・・・

 明日の晩は徹夜になる方も多いことと思います。
 そして、明日の晩から正月三が日は、一年のうちで一番『百円玉』が価値を持つ時期です。

 『100円玉』も『100円ショップ』で物が買えない硬貨なのですが、この時期になると活躍します。

 『お賽銭』です。
 10円ではいくらなんでも・・・50円玉って意外と持っていない・・・500円も同様です。
 千円は札ですから賽銭箱に投げ込みにくい・・・
 ポケットにあって、一番手頃なのは『100円玉』ってことになるのです。

 この『100円玉』はこの時期には、ものすごく良く働きます。
 『家内安全』だと、家族の数も減っていますから一人頭にするとまあまあの額でしょうか?
 『五穀豊穣』は最近お願いする人はめっきり減ったようですね。
 『恋愛成就』なんてのは。明治神宮とか有名神社の定番の一つでしょう。これもかわいいものです。
 『学業成就』これも、受験期の年齢の人は神頼みしたくなるのも当然でしょう。
 『交通安全』これは切実な問題でしょう。
 『世界平和』に『地球環境』・・・・・・
 果ては、『満願成就』なんて漠然、広大な物まで・・・
 どんどん、願いが広くなります。
 なにせ、『消費税込みの100円』で、これらの願いを三つも四つも・・・
 これほど、100円玉が価値を持つ時期は他にはありませんね。

 それでも、『ちりも積もれば・・・』
 日本中で供えるお賽銭の額は天文学的数字になります。
 一人一人がばらばらに、口の中でぶつぶつと唱えた願い事も、ほとんどが似たり寄ったり・・・
 神様、仏様がきちんと分類してくれれば、ものすごく大きな声になっていることと思います。
 そして、一種あたりのお賽銭も大金になると思います。
 きっと、願いはかなえられるでしょう。
 ぜひ、初詣の時は普通のお願いに統一して置いてください。
 百円で一杯並べても良いですから・・・
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by je2luz | 2007-12-30 11:54 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 12月 29日

熊野の旅 宅地分譲

 昭和の大合併をして、人口も特例法をクリアーする30000人を越えていた熊野市の人口も、増えることなく、日本の高度成長に合わせて労働力をどんどん供給し続け、減少の一途をたどりました。
 最初の頃の昭和30年代は高校進学率10%台でしたから、中学を卒業する子供の数の8割ほどが流出しました。そして、ほぼ、高校全入時代になるとここにある県立木本高等学校の卒業生400人全部の分くらいは流出し続けました。これは今も続いています。
 これだけの流出を半世紀以上続けて、人口は20000人まで減少しました。これだけの減少で済んだのはひとえに寿命が延びて行ったからです。
 私が小学校に入った頃に始まった『敬老会』なんてのは60歳から招待されていました。
 それが、65歳になり70歳になり・・・どんどん伸びて、木本町等は75歳にならないと呼んで貰えないとか・・・
 世話をする地元の婦人会の人たちも、若い嫁さんなど居なくなって、60歳を越えるような人ばかり・・・一昔前の『老人会』みたいなものです。
 『老老介護』などと言う言葉がありますが、『敬老会』もその様相を呈しているようです。
 『介護』の方でも、すでに年金受給者である人がヘルパーや運転手で活躍しています。自分より若い人の介護をする状態です。
 かくかように田舎の人口構成は変わっています。
 中心地の木本町は間口が狭く奥行きばかりの宅地ですから、建て直しもしにくいので、買い手も中々付かなくて、空家と空き地が増える一方です。
 山間部では三反百姓にも満たない棚田しかないから、それでは飯は食えないし、山林も駄目・・・出てゆくしかないので急速に過疎が進み、『限界集落』が続出です。田地田畑まとめても買い手が無い状態です。
 これは、日本中の田舎で共通して見られることですね。

 さて、ここ熊野市では、私立金山小学校が移転した跡地利用で、『宅地分譲』をするそうです。
 その名も『金山定住促進団地』とやら・・・
 山の中腹、地盤もしっかりしている所です。
 たとえ、地球の温暖化が進んで海面が10m上昇しても関係ありません。
 映画のような数十メートルの大津波が襲ってきても下界の話です。
 実に環境の良い所です。
 おそらくこの事業であれば、補助金もあったでしょう。過疎債の発行も無条件で出来ます。
 しかし・・・
 なんだか変ですねえ・・・
 官費を持って民間を圧迫する・・・
 地方公務員ではなく高級官僚の考えそうなことです。
 ・・・今の熊野市のトップは故郷に錦を飾った東大卒です。

 そうそう、まだ、売り出しの要綱などは決まってないようですが、熊野に移住されることをご希望の方は、購入をご検討ください。
 『熊野市土地開発公社』    0597-89-4111 内線314 までどうぞ・・・
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この範囲です

by je2luz | 2007-12-29 11:55 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 12月 28日

熊野の旅 人口動態 んん???

 来年、2008年新年号の熊野市報より・・・

 お誕生    9
 おくやみ  30   (11月11日~12月10日)

 全くさみしい数字です。
 今月の亡くなられた方には38歳と58歳と言う、働き盛りの方が含まれました。
 90歳以上が6人と、やはり高齢者が多いですね。
 この数字から見ると、自然増減は -21 なのですが・・・

 人口    21.182    (+1)
  男     9.867    (-22)
  女    11.315    (+23)
 世帯数  10.190     (-7)     (12月1日現在)
  
 期間で算出するものと、日にちで切るものの差があるとは言え、同じ期間内のものです。
 自然減でー21なのに、結果は+1なのです。
 大きな町なら変動の範囲ですが、ここに現れている、女+23はどうしたことでしょうね。
 昔は、メリヤス工場が出来たとか、ハーネス工場が出来たとか言って、他所に行っていた娘を呼び戻すと言うこともあったのですが、今では市内各所にあったその手の工場は壊滅していますし、新しいものができてと言う話も聞きません。
 増えたと言うことは良い事とも言えますが、女ばかりの増加では・・・
 養老院が出来たという話も聞かないように思えますがねえ。
 万一これが、都市部でのワーキングプアーのあおりで、娘さんたちが正月前に見切りを付けて帰って来たのだとしたら・・・帰ってきても、嫁に行く先があるのやら・・・
 ここでも、他所の田舎同様、ほんの少し残った男の子には嫁の来てが無くて困っているのも確かです。
 片や、嫁に行く先のない娘さんも居るのです。
 今では、やたらと縁談を世話するお節介なおばさんも減ってしまいました。昔と違い、下手に世話すると大変ですからね。
 遊んでも、結婚は別・・・と言う考え方は、都会も田舎もあまり変わらないようですしね。
 外国から花嫁さんが少しずつ来ているようです。これも、田舎町共通の現象のようですね。
 知り合ったのが、外人さんで、好きになってしまったのなら、苦労も楽しいかもしれませんが、お見合い?で一緒になって、言葉もほとんど通じなくって・・・
 文化の違い、食生活の違い・・・さぞかし、お嫁さんも大変でしょうね。
 夫婦の間の万国共通のこと以外は意思の疎通に事欠いて・・・夢見た日本と現実の日本のド田舎暮らしとのギャップもあるし・・・

 それにしても、今月の数字は一寸不思議な物です。
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この範囲です

by je2luz | 2007-12-28 12:08 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 12月 27日

熊野の旅 初詣は?

 日本は元々、多神教の国だったようです。
 土着の多神教の所に色んな仏を抱え込んだ仏教が入って来、儒教だ基督教だ・・・後へ後へ入ってきました。
 もちろん、外来種だけではなく、自前でもどんどん神様を作って行きました。今も作り続けているようです。
 お葬式は仏式で、結婚式は基督教で・・・それでも、初詣は神式で・・・と言う人が多いようです。
 それと言うのも、仏教のお寺が、教養の中心・集落の知恵袋・悩みよろず相談所ではなく、葬式業に成り下がってしまって、『縁起の悪い所』的なイメージをもたれるようになったせいもあるのでしょうね。
 私の所では、むかし、きちんと初詣をしていた頃は、檀家寺に参って除夜の鐘を突きながら新年を迎え、次に近くの神社に参って帰るのが慣わしでした。
 近年ではどこにも参らないようになっていますがね。

 神社に初詣する場合、氏神様、鎮守様におまいりするのが普通だったのですが、都市に人間が流れ込むようになると、『氏神様』との縁が切れてしまい、有名な神社などに参るようになっていったようですね。
 近代になると、「行く年来る年」なんて番組に始まり、ニュース番組などでも、『明治神宮』『熱田神宮』『伊勢神宮』『住吉神社』・・・など、超有名神社の初詣風景が報じられるようになり、『みんなが一緒』が大好きな日本人は『初詣もみんなと一緒』・・・と、ばかりにそうした所に押しかけるように成りました。
 伊勢神宮などは伊勢から100Kmも離れたあたりから渋滞する有様です。

 このあたりでも、各地区の鎮守様はポツポツですが、熊野三山はそれぞれ混雑します。
 なかでも、『那智大社』と『青岸渡寺』が並んでいて、お寺と神社の両方に一回で初詣できろ『那智山』は最高人気です。
 おまけに、ここは那智駅前で国道42号線から別れてからは事実上行き止まりのコースです。さらに、上に登るとまるで駐車スペースがありません。混んで当たり前なのです。
 そんな時・・・『こんなに客が来るんだから、駐車場くらい作ればよいのに・・・』と、言う声が聞こえてきます。熊野の『大花火大会』と同じですね。年に一回のために・・・

 元旦早々、そんな停滞する所のお尻に付かなくても・・・
 近所のお宮さんにお参りしておいて、うんと時間や日にちをずらして有名神社にお参りするほうが賢いような気がします。
 昔、明治神宮に初詣に行きましたが、川のように流れる人並みで、まともにお願いすることも出来ない状態でした。
 きちんと、お願いが出来なかったからでしょうか?一緒に行った子と結ばれることはありませんでした。あんなに忙しい時に、ちょこっとの賽銭でお願いしても、神様は聞き届けることも、メモを取ることも出来ないでしょう。
 年末は暇そうですから、そんな時におまいりして、ご利益の予約をしたほうが割引料金で受け付けてくれるかもしれません。
 ただ・・・勝浦温泉とかは正月の頃は少し高いとか言いますね。
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  クラウン・グラフィック+テッサー135mmf4.5

by je2luz | 2007-12-27 11:06 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 12月 26日

熊野の旅 ご来光は?

 年末に来て天気がぐずついています。
 取り立てて降るわけでも無いのですが、どんよりと曇ってしまいました。
 仕事仕舞いから家の片づけで忙しいはずの時期に一雨降るとか・・・年末から年越し、新年へと、きちんとスケジュールをこなす方にはお気の毒な回り合わせのようです。
 大晦日の頃には持ち直すようですが、いわゆる、『冬らしい天気』にはならないようですね。
 低気圧がこの沖辺りをうろうろと・・・

 2008年のご来光は拝めない所が多いかもしれませんね。
 熊野市から新宮までの『七里御浜』は『初日』が海から上がるので、ご来光を迎える絶好のスポットとして、結構、遠くから来られる人も多いのです。
 日本最古の神社の『花の窟神社』で『初詣』を済ませ、そのままその前の浜で『ご来光』を迎えると言う寸法です。
 寒い時期と言っても、気温が零度以下になることはほとんどありませんから、割りと楽な物です。
 かつては、すぐ横の『獅子岩』のところに仮設の露天風呂を作り、紀和町の温泉などを運んできて初日の出と同時に行われる『初泳ぎ』の人のための風呂を作っていました。
 暮れの『獅子岩ライトアップ』、大晦日の『年越しの花火』、元旦の『初泳ぎ』と、一連の行事は『熊野無線クラブ』と言うアマチュア無線の団体がやっていたものです。
 アマチュア無線の精神に乗っ取り、『金銭上の目的ではなく、もっぱら、個人的興味にもとづく・・・』と、言うことで、すべて勤労奉仕、持ち寄りでやっていました。
 それが少し評判になると、公的な物が介入したがり・・・予算をつけてお金が解決すると言う方向になり・・・つまりはやる人の熱意が無くなり・・・

 ご来光と言うやつは、お天気任せです。
 午前7時ごろに晴天であること・・・
 上空ではなく、水平線上に雲が無いこと・・・
 と、言うことです。
 完全な冬型になれば良いのですが、来年の初日は・・・・・・
 その点、『初詣』と言うやつは良いですね。
 雨が降るとつらいですが、何も除夜の鐘と同時に参らなくても良いし・・・曇って居るくらいの方が暖かくてよい・・・なんてものですからね。
 まあ、天気図を見て、運試しに初日の出を迎えに出かけてみるのも良いのではないでしょうか?
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  クラウン・グラフィック+テッサー135mmf4.5
この範囲です

by je2luz | 2007-12-26 11:45 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 12月 25日

熊野の旅 迎春準備

 お正月行事が盛んとはいえないこの地方なのですが、スーパーにも『しめ縄』や『鏡餅』が姿を見せました。
 熊野市も今ではしめ縄の産地になっています。
 飛鳥町では二十年ほど前からしめ縄作りをやっていますが、これも、季節限定の仕事なので正業に成りえず、老齢化が進んでいるようです。
 『しめ縄』も地方によって随分違いがあるようです。この辺のしめ縄は正式にはどれなのかは知りません。ただ、熊野産だけではなく、色んなのが店頭に並んでいます。好みで選んでいるようですね。

 昨日、久々に木本神社の写真を撮りに出かけました。
 出かけたといっても、自宅から500mほどしか離れていません。位置的には木本の両端に近いのですが、何せ町が狭いですから・・・
 35mmカメラだけの時は自転車ですか、大きいカメラを持ち出すとこの距離でも車で移動するほど無精者です。
 関が原の頃の棟札が残されている『木本神社』ですが、およそそれらしい雰囲気が無いのが不思議です。
 敷地も土地の無い木本と言う事もあり、石垣で囲まれた狭いものです。
 神社、鎮守様などと言うものは、大体一区画閉めているものですが、ここは小さな町の一区画をも占めていません。これも不思議な物です。
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 初詣に備えた準備が始まっているかと思ったら、まだ、境内は始まっていませんでした。
 狭い境内で、鳥居から拝殿まで十数メートルしかないのですから、見えるところの準備ってそんなにあるわけでもありません。
 初詣客も木本町の人の一部が出かけるくらいで、『花の窟神社』のように遠来の人が居るわけではないのです。それでも、氏子総代さんとかは拝殿に詰め、境内では火を焚いて初詣客を待ってくれているようです。
 私はここの生まれですから、『木本神社』の氏子のはずです。一度くらいは・・・と、思うのですが、いまだに行っていません。
 2008年の初詣の写真を掲載できるかどうか・・・『乞うご期待!』とは言いかねます。
  クラウン・グラフィック+テッサー135mmf4.5
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by je2luz | 2007-12-25 11:14 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 12月 24日

熊野の旅 記念通り いこらい市

 数年前から、毎月第4日曜日のお昼過ぎまで、熊野市のメインストリートの記念通りで行われるバザーのようなイベントです。
 『いこらい』は大体読んで分かるかと思いますが、『行こうよ』と言う言葉のこの辺版です。
 定期的の開催され、スーパーオークワの向いっ側、木本小学校沿いにおそろいのテントを立てて、近在のお店や団体が出店をしています。
 参加する数は毎回違うようですが、さほど多くはありません。
 大きなイベントでもなく、最早、背後地、見込み客となる近郷、山間部などの人口が激減、老齢化していますから、こうしたイベントに釣られて、『行って見ようかいのし・・・』と、人が集まる情勢ではないのです。
 オークワさんも店の前に平台を持ち出して野菜の特売をやって協賛していますが、この日だから取り立てて客が多いと言うほどでもなさそうです。
 記念通りの商店組合がやっているのだと思いますが、継続するのも大変かと思います。
 かつては、フリーマーケット的な店も少しあったときがあるように思いますが、客層がそうしたものを楽しむファミリーではないので段々無くなってゆくようです。
 狭い歩道上ですし、地べたに座り込んで品物を広げることも出来ませんし、しゃがみこんで物色できるスタイルでもないのがそうしたものには向かないですね。
 一ヶ月に市内全域で生まれる赤ん坊が10人ほど・・・と言う町が広い熊野市です。こうしたところが市場としてどんなものか、都会の人には一寸想像し難いと思います。
 山手線内側ではなく、環八内側より広い所に二万人が住んでいて、赤ん坊が年に200人足らず・・・です。
 それでも、がっばってやっているのを見て、近所の人が『サンマの寿司』『サンマの丸干し』『漬物』などを買い求めています。
 目の前のオークワや魚屋でも売っているのですが、雰囲気的にこうした所で買う方がおいしそうにも見えますからね。
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カメラは コダック・レチナIIIc
独逸)

この範囲です

by je2luz | 2007-12-24 11:42 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 12月 23日

熊野の旅 暖地

 熊野は暖かい所です。
 紀伊山地はものすごく寒い所です。
 一山越えると・・・と、言うほど山は高くありません。
 たかが500mから800mほどの山なのですが、切れ目無くつながって、海と内陸を切り離しています。この繋がりが、その裏側からつながる山間部と海岸線の温度差を生んでいます。
 この季節になると、海岸線の夜間気温と一山向こうの海抜たった300mほどの飛鳥町の夜間気温では4度から5度の差があります。
 国道42号線で紀伊半島をどんどん南下してきて、長いトンネルを抜けて、一番南に近い熊野市に入ったとたんに路面が凍結していてスリップして大破・・・なんて気の毒な方もたくさん居られます。
 つまり、『熊野は暖地』なのではないのです。
 『南紀の海辺は暖かい所』なのです。そして、『紀州の山は寒い所』なのです。
 この暖かさは、目の前に流れる『黒潮』のおかげです。
 日本地図は長方形の紙に納めるために少し傾けて印刷されています。そのため、紀伊半島と言うのは東京などよりはうんと南には成りますが、西方向で言うとせいぜい山口県のあたりに過ぎないのです。山口より暖かいのは、黒潮と、寒い北風を遮断する紀伊山地のおかげなのです。
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 この写真がここ、海岸線が暖地の証拠です。
 上水道の引き込み管と水道メーターです。
 この部分の工事は市の水道部が行う部分です。
 石垣で固められているから地中に入れなかったとは言え、何の断熱もしないで配管してあります。
 同じ熊野市内でも、山間部ならその年の内に破裂します。
 最近は市道や県道の側溝が整備され、その工事の時に上水道の引き込み管はきちんと地下に埋められてゆきましたが、少し前までは、引き込み管を直したりすると、側溝をむき出しのままで横断して屋敷に入ったものが結構見受けられたものです。
 この周辺で、こうした配管がパンクしたのは、もう20年以上前になると思いますが、大寒波が襲来してこの辺でも零下10度近くまで落ちた年だけです。
 かく左様に暖かい所なのですが、ここに暮らしている人にはやはり冬は寒いようです。ストーブを焚き、コタツにかじりつくようです。
 ほんの半世紀足らず前まで、日本人はもっと耐えることを知っていたのですがねえ・・・
カメラは コダック・レチナIIIc
ドイツ)

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by je2luz | 2007-12-23 11:34 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 12月 22日

熊野の旅 海と山

 一昨日のタイトルの逆です。
 昔は辺地ゆえに地元売り用の魚を捕る漁業が主だったはずの、熊野の漁業も結構大規模化して、市場を外に求めるようになっています。
 古代には、漁師の船は浜に上げるものだったはずです。
 木造船を浜から押し出し、帰ってくればロクロで浜に巻き上るのが日課でした。
 そんな古い時代には、砂利浜や砂浜のあるところが漁村としては良い所だったわけです。
 私が学生だった昭和30年代終わりごろまでは、ここ熊野の七里御浜にも一杯船が並べられていて、地引網漁などに使っていたものです。
 我が家のすぐ前の浜にも長く木造船が揚げられていました。今から、20年余り前に姿を消したように思います。
 房総九十九里浜では、ここより一回り大きな船が砂浜に上げられていて、『おっぺし』と言われる、漁師の女房たちが上半身裸で船を押し出していたものです。
 そういう光景は日本中から消えて行き、今では防波堤と荷揚げ場のある『漁港』がないと漁師町にはならないようです。

 漁の方法も随分と進歩しています。
 網がクレモナとかの耐久性のあるものに変わりました。そのために、編み直しと言う作業も大幅に減っています。
 何より変わったのは、『魚群探知機』の登場でしょうね。
 この『魚探』の登場で、闇雲に走り回っていた漁船が、網を下ろす場所をかなり絞り込めるように成りました。
 戦後の食糧難で乱獲した近海の魚は漁獲高が激減していたのですが、一時的に持ち直しましたね。
 しかし、今度は本当に『根絶やし』に近いことが起き始めます。
 昔から、捕れる時には船一杯捕る・・・と言うやり方で来た漁師も資源を少し考える方向に向きつつあるようです。
 魚探があり、魚がいても、魚が近づかなければ捕れません。
 海は広いです。
 『冷水塊』『温水塊』『黒潮蛇行』『海水温上昇』・・・漁場はどんどん場所を変えます。
 今年はこの沖のサンマの漁場が少し遠いようです。そこにやってきた、燃料高騰・・・
 コストから価格を決めるなんて出来ない田舎の産物の一つ、水産物ですから、捕れても採算割れに成りそうだそうです。
 捕れすぎ?捕りすぎ?で、あちこちに『サンマのすだれ』が出来るのも考え物ですが、あまり少ないのも・・・
 そのためか、今年は魚屋さん以外で軒先に『サンマのすだれ』が掛かっているのを見かけません。豊漁だと、こんなパラパラではなく、『どうやって食べる気だろう?』と、人事ながら心配になる風景が広がるのですがね。
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カメラは コダック・レチナIIIc
ドイツ)

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by je2luz | 2007-12-22 11:06 | 熊野 | Trackback | Comments(0)