LUZの熊野古道案内

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2007年 11月 30日

熊野の旅 戸棚

 古い家、終戦までに建てられた田舎家の台所には、『戸棚』が作りつけられていることが多いです。
 今風の家もカップボードだとか食器棚のユニットを作りつけのように組み込んだりしていますが、昔の作りつけはものすごくごつくて、まさに家の一部でした。
 据え置きの食器棚などが普及してきたのはどうやら近代になってからのようです。
 この田舎家の『戸棚』と言うものの多くは、押入れの親戚のようなものが多いです。
 下の写真のように、ごつい板戸がはまり、奥行きも建物のモジュールどおりの半間と言うものがほとんどです。
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 こういう『戸棚』は日常的にはものすごく使い勝手の悪いものです。
 板戸が重くて開け閉めが大変なのはもちろんですが、なにしろ奥行きが深いので奥のほうに入ったものは取り出せないのです。

 昔の生活は『ちゃぶ台』を囲んで、「一家団欒」などと言うものでは有りませんでした。大きな家には必ず女中さんや下男の人が居ましたし、家族でも一家の主、『家長』から始まって『末っ子』、『めかけの子』までの序列がきちんと決まっていました。
 第一、食事の時にペチャペチャしゃべるなんて『お行儀が悪い』とされていたものです。
 その時代には『お膳』なる各自の小さなテーブルで食事を頂く家が多かったのです。
 そのお膳を納めるには、まあ、使えたでしょうね。
 普段の食器が増えたのは戦後生活が豊かになってからの話です。
 こうした民家が建てられた頃の平均的日本の家の食事は『一汁一菜』とまでは行かなくても、それに近いものですから、茶碗・汁椀・取り皿・小皿があれば済んだのです。だから、普段の食器をしまうスペースなんてほとんど要らなかったのです。
 そのかわりに、来客に食事を出したり、何か行事があるときには、全部その家で仕込みをしていました。だから、一寸した家だと50膳とか位の客用のお膳、食器は持っていました。下々で庭先とかで食べさせる人の分を入れると、食器の数は100人前とか持っていて当たり前だったのです。
 そうなると、こんな大きな戸棚があっても全く足りません。
 田舎家の納屋だとか蔵だとかの中にはこんなものがぎっしり入っていたものです。立派な蔵があっても『お宝』なんてほとんどは行って居ないことが多いです。
 食生活の変化、家庭構成の変化、家庭生活そのものの変化、そうしたものにはこうして台所にある大きな『戸棚』は対応できなくなってしまいました。
 『開かずの戸棚』と化してしまい、中に何があるやら家の人にも不明・・・なんて存在になったものも多いはずです。かつては。夜這いに行った若い衆が隠れたなんて話があるほど活躍したものなのですがねぇ・・・
 戦後の『新生活運動』の台所改造では、こうした『戸棚』も無用な物邪魔な物としてターゲットになり、取り払われてほとんど消えてしまいました。こうして現存する方が少ないですね。
 カメラは センチュリー・グラフィック+スーパートプコール65mm
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by je2luz | 2007-11-30 11:11 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 11月 29日

熊野の旅 東海一の話

 先日、熊野市が自治体としての財政力とか比較で東海地区再開だったと言うこと書きました。
 市長さんがこれを、いたく遺憾の思ったらしく談話を発表されたようです。
 
 就業者比率を例に挙げ・・・
 母数の中に就業できない高齢者が多ければ比率が下がるのは当たり前・・・
 一人あたりの所得水準、住宅着工数など四つの指標で高齢化の影響を受けている・・・

 このように、おっしゃられたようです。
 至極当たり前のことですよね。
 さすがは東京帝国大学?を出てらっしゃる・・・

 しかし、東海一って言われて、そこまでむきになることは無いんじゃないでしょうかね。
 中途半端に二位になるより、一位になっちゃったことを逆手に取るってことを考えた方が良いような気もしますが・・・
 確かに名誉なことではないですがね。
 かつて、平成の大合併が動き出だすまでの昭和時代、東海地区の人口の一番少ない過疎の市の首位は天竜市が長く勤めていました。それを昭和60年になる頃にようやく追い越して熊野市が一位になりました。
 その頃、市の財政とかは鳥羽市を県下で最下位争いをしていました。
 私などは天竜を追い越したとき、『どうせ人口が減ったのなら、二人や三人違いで二位になるより一位のほうが目立って良い・・・』などと言っていました。
 夕張でも、久々の破綻自治体第一号なので注目を浴びていますが、これが第二号、第三号となれば注目も浴びなければ、支援もなし、特例もなしになってしまいます。
 世の中、『やけ』より強いものはないようです。
 最下位なのですし、まともな自治体は数えるほどしかない地域ですから、『ふるさと納税』とか何とかの運動の会長になって金分捕りの先頭に立ったらいかがでしょうね。
 配分もプロ野球並みに首位がいくら。二位がいくら・・・この数字を盾にしてたくさん分捕って・・・

 こうした数字は、数字が問題なのではなく、数字を生み出す背景の方が問題なのです。
 過疎は止まりません。従って、老齢かもそれに伴い加速します。
 私には子供が三人居ます。しかし、長男を含め三人ともに『熊野には帰ってこないように』育てました。
 今ほどではなかったですが、国の方針を見ていると、今から三十年以上も前から林業切捨て、田舎切り捨て路線を走っていましたからね。
 子供たちにはかわいそうな話ですが、『熊野に帰る』と言う選択肢を潜在的に消去しておいたのです。
 そうしたので、今は一人住まいです。
 そのように育てたのですから、納得しています。
 納得できないままに一人住まいをしている年寄りが田舎にはどっさり居ます。
 こうして輸出した傭兵たちが日本を支えてきたわけです。
 今や材木も魚もほとんど都会へ運べなくなりました。
 もうすぐ、この唯一つの輸出品目の『若者』もなくなります。
 熊野の老齢化指数は34.1%です。加速度的に40%までは行くでしょうね。
  この数字に表れる人数が年金生活・・・それも、ほとんどが国民年金受給者です。
 生活保護より少ない年金ですから、まあ、田舎は全部スラム化して行くということです。

 はてさて・・・この一ヶ月6万円ほどのお年寄りから、ものすごく異常に高く評価している土地への固定資産税、それに伴い「資産割」などと言うものを加算した限度一杯掛ける国民保険税などをどう巻き上げるか???巻き上げて暮らせるのかを考える時では無いのでしょうかね。
 死んだ後で、買い手もない家屋敷、田地田畑に課税して・・・
 でも、これをとらないと、所得税比例の住民税収はないのですから・・・
 こうした田舎の代表選手として、その辺の国策の見直しを訴えて欲しいですね。
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by je2luz | 2007-11-29 10:56 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 11月 28日

熊野の旅 本日休載

 本日休載
 写真のみです。
 仕方ないことですが・・・
 こうしてサッシに変わって行きますねえ・・・
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by je2luz | 2007-11-28 12:19 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
2007年 11月 27日

熊野の旅 たかな孝

 昨日、高菜について書きました。
 今日の朝日新聞三重版に市内飛鳥地区の『高菜漬け』の漬け込みが始まったとの記事が載っていました。私の方が一日早く載せられました(笑)

 高菜のことを、昔はあまり『たかな』とは呼ばなかったように思います。
 ことに飛鳥のほうの年よりは『ばしょば』と呼んでいました。これって、大きな葉っぱなので『芭蕉の葉』と言う意味なのでしょうかね。他には、全国的に使われていた『からしな』も結構使われていましたね。
 こと『めはり寿司』に関しては『ばしょばの寿司』と呼ぶ年寄りが多かったのですが、いまでは皆無に近いようです。
 同じように、『サンマ』は『さいれ』でした。だから、『サンマ寿司』は『さいれの寿司』で、『サンマの丸干し』は『さいれの干したの』だったのです。その中でも、カチンカチンに干しあがってしまったものを、『さいれのカンピンタン』と呼びましたね。そうなってしまったりすると、『ねこまたぎ』と呼んだのです。つまり、猫も食べないで跨いで通ると言うことです。これも、今では通じないかもしれません。
 よそに通じるように宣伝するとともに、地元で使っていた名前などが消えてゆくのも少し寂しいですね。
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 これはおととい、葉っぱを欠きとった高菜畑です。二日目に入り、残した葉がすでに大きくなり始めています。これから伸びる葉は根っこも段々しっかりしてくるので大きくて立派な物になります。大人の顔なんかよりはずっと大きくなりますね。

 新聞記事では、『高菜漬けは塩だけで二日間漬け、一度出して手でもんでもう一日漬けます・・・』と、ありましたが、これは取材した組合のやり方で、必ずしも王道ではありません。
 インスタント的に満遍なく漬けるには良い方法でしょうね。
 昔の百姓さんの家で漬けていたものは、『手でもむ』なんて面倒な行程はありませんでしたね。
 それに、漬け込むときに『唐辛子』を使いましたね。私は自家用の物に『唐辛子』を使っています。
 漬け込み期間も、三日目くらいから食べられますが、元々は保存食ですから、塩を強めにしてずっと漬けておいたものです。
 日を追うごとに水がたくさん出て塩が染込み。味が変わってきます。
 しばらくすると、醗酵が始まって、浮いた水に白い膜が張ってきます。『古漬け』への道を歩みだすのです。最後は『ベッコウ色』した物になり、独特の醗酵臭がします。
 これは好みの問題ですし、新漬けとは全く違う食べ物ですね。
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 これは二日つけた状態のものです。十分食べられますし、高菜自体の辛味がまだまだ生きています。
 今の高菜漬けは、こうした状態のものを冷凍保存して、これ以上漬け込みも醗酵も進行しないようにしています。売り場に出ている全品がこの冷凍漬物だと思ってください。我が家でも、適当な状態で冷凍に回します。
 塩がたっぷり効いていますから、冷凍課程で雑菌の繁殖なんて心配無いのですが、やはり、冷凍物は冷凍物、細胞が多少破壊されるので、味ではなく、『食感』は違ってしまいますね。
 しかし、『新漬け』のおいしい状態は常温ではほんの少しの間になってしまいますから冷凍するしかないですね。
 熊野のほかで大きな産地の高知からはベッコウ色した古漬けがたくさん出荷されていますね。紀州のみやげ物でも古漬けは高知産ってことが多いです。
 高知と紀州は隣り合わせですから食べ物も結構似ているのです。高知の沖でちょいと敷衍が流されればこの辺に着いたのですからね。ここで流されると、次は房総半島ですね。それを過ぎると、カナダ・アメリカまで・・・ジョン万次郎の世界です。
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by je2luz | 2007-11-27 10:49 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 11月 26日

熊野の旅 そろそろ・・・しかし・・・

 南国熊野でも、山間部では霜が降り始めたそうです。
 熊野名物は浜の産品の『サンマ寿司』『サンマの丸干し』と山の産物『目張り寿司』があります。
 ともに、冬場になると新物が出てきます。
 『さんま製品』にかんしては、『新物』がでると、売り場に占める面積が一気に大きくなり、それらしくなります。
 しかし、『高菜製品』にかんしては、『新物完成!』とか『新漬登場!』なんてビラもノボリもでませんね。
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 これは一昨日撮影した我が家の庭の菜園で育った収穫直前の『高菜』です。
 昨日収穫して、『高菜漬け』になりつつあります。
 高菜は根っこから収穫するのではなく、大きくなった葉っぱを順に欠きとって収穫します。
 次々と大きくなって何度も収穫し、軸が30cmほどむき出しになった頃になると葉っぱも小さくなりかけ、春が近づいてトウが立って来ます。それで収穫が終了するのです。
 根っこから抜き取るよりは収量がはるかに多くてありがたいものなのですが、菜園程度はいいにしても、営業となって広い面積になると中々大変そうです。ことに、近年ではこうしたものを生産する農家は老人ばかりですからさぞかし腰も痛いことと思います。効率も悪いでしょうね。

 高菜は漬物にするばかりが能ではないのです。
 『おひたし』でも食べられます。
 さっと湯通しすると、この鮮やかな『紫色』が見事な『緑色』に瞬時に変化します。
 それを上げて、刻んで食べるも良し、先っちょの方の葉っぱを使ってご飯を包んで『目張り寿司』を作って食べるのも良いものです。漬物にしたものとは一味違う、高菜本来の『ぴりりと辛いおいしさ』が味わえます。
 握ってから醤油をつけるもよし、酢味噌を塗ってから握るもよし、茎を刻んだものに醤油をまぶしてご飯に混ぜたものを握るもよし、生節ご飯や鰹節ご飯を握るもよし・・・実に簡単に熊野の味を味わえます。
 ただ・・・高菜の栽培をする家が減ってしまっていましたから、熊野でもこの食べ方が忘れられて来ています。
 昔は、そんなにたくさんは植えなくても、便利な漬け菜として少しだけでも植えている家が多かったのですがねえ。第一、冬場に霜の降りる山間部で素人でも簡単に栽培できるありがたい野菜はそんなにあったわけではないし、遠くの野菜を買って食べるなんてなかったですからね。
 『高菜漬け』も塩をして、重石で押して二三日で水がようやく上がった頃にだして、漬けたてをたべると、これまた『高菜本来の辛さ』が生きた味を味わえます。
 これも、『旬』ならなのですが、どう言う訳か、この『旬』を取り上げることがないようですね。
 今までに数千万円かけて『高菜漬け』を宣伝した割りに・・・
 製品だけを売り出すよりは、もう少し『高菜の市民権獲得』に努力する地道な活動も必要なのではないでしょうかね。

 我が家では、『旬の高菜』が味わえます。
 ただし、一人住まいですから、この味わいを『独占』しております。
 期間は三月までと、ながーーい物です。
 私の審査基準を通られた方はご招待申し上げます。
 年来制限、性別差別はこの場合違法とはなりませんので念のため・・・(笑)
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by je2luz | 2007-11-26 09:57 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 11月 25日

熊野の旅 新出町稲荷さん

 昨日のお稲荷さんの小さな祠のあった奥川家の一族が誘致して作ったのが、『新出町の稲荷さん』です。
 稲荷さんにしては結構広い社域があり、後ろの岩山とともに格好のついたものです。
 この社域も隣に隣接する新出町奥川さんの屋敷と言うことになっています。
 これが、2・30年前の相続の時に問題になりました。
 土地評価の高い木本町で二百坪を越すような遊休土地を持っていると、それに関わる相続税も馬鹿になりません。
 かといって、売ることも家を建てることも出来ない、自分のものであって自分のものでない土地です。自家用ではない稲荷さんをやめる訳にも行きませんからね。
 こんな土地の場合は、税務署の方でも減免処置をしてくれるので事なきを得たものです。
 『だんなし』で不動産が町中の土地から市内や南牟婁郡に渡って所有する山林、原野、農地などものすごい筆数の不動産があると、こうしたことに気が付かないままで相続税も払って完了することもあるのです。ここの稲荷さんの場合は自宅に隣接していますから、こんなに広いものでなければ気付かないままになったかもしれません。
 今は、町内会などの法人ではない法人でも不動産を持つことが認められていますが、少し前までは、誰か個人の名義にしなくてはならない法律だったので、あちこちの小さな神社などで、所有権の争いまで起きているのです。木本でも天神様などは当の昔に他所に行かれ亡くなられた人の名義のままでした。ここは隣家に危害を及ぼす恐れのある社域の樹木の枝を払う時に調べて判明したものです。子孫の方も知りませんでした。
 日本中、田舎が荒れてくると、山間部などではこんな事例だらけになってくると思います。土地所有者の同意の要る事業が出来なくなるのではないでしょうかね。多分、法律を改正してお国の都合が良い風にしちゃうでしょうけどね。
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 この稲荷さんは、木本神社と対になって、秋祭りの時の『お神輿巡行』のお休み場所になり、出し物の目的地になっています。
 ここの鳥居から10mほどで、『紀州本藩・鬼の元』が終わって『新宮藩・井土』になる国境なのです。
 ここに国境が出来たいきさつは以前にも書きましたが、その線引き変更に関わったお人が切腹し 神として木本神社に祀られているのですから、木本の神輿は井戸には入りにくいでしょうね。
 カメラは センチュリー・グラフィック+スーパートプコール65mm
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by je2luz | 2007-11-25 10:15 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 11月 24日

熊野の旅 お稲荷さん?

 奥川邸の台所、鴨居の上に小さな祠が祭られて居ます。
 その神棚の中味は不明なのですが、棚板にキツネ様がすわっているので、多分、稲荷参加と思います。
 この辺の台所には『荒神様』が祀られていることが多いのですが、ここの台所の反対側の板壁には木本神社のお札があったように思います。
 この奥川家は木本町のちょうど反対側にも分家があり、そこの敷地内に『稲荷神社』を誘致して鎮座させたと言う家柄ですから、『お稲荷さん』が祭られていてもおかしくは無いのですが、ちょいと場所が・・・
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 木本と言うのはものすごく古くは、漁村として開かれたものではないかと思います。『鬼の元浦』とかいて「きのもと」と呼んだ時期もあるようです。
 近代に入ってからは、紀勢西線の終点『紀伊木本駅』を抱え、『紀勢東線』の始発駅『尾鷲駅』までの、巡航船、連絡バスの乗り継ぎ場所、周辺の村々の物流の拠点として栄えた町です。
 紀州材の中でも、優れた材質を誇る材木の生産地として、木材の町としても栄えたのです。
 この奥川家も木本で指折りの『山主』でした。
 この辺で言う『だんなし』の家です。これは多分、『旦那衆』のなまったものでしょうね。
 今の子供は使わないようですが、わたしたち子供の頃は『あそこは、だんなしじゃよってに・・・』などと言う風に使っていましたね。
 これも、『一億総中産階級』といわれるようになって『だんなし』なんてなくなったのでしょうね。
 更に追い討ちをかけるように、この20年余り前からの、材木不況、林業不振から林業壊滅への流れで完全に消滅しましたね。
 相変わらず、固定資産税だけはかかっていますがね。
 
 話がそれましたが、一時期は『商都』として、お店がずらりと並んだ木本の町ですし、商業圏も『お稲荷さん』の好きな『大阪圏』だったのに、意外とお稲荷さん信仰は盛んでもなかったようです。
 まあ、大店だったところにはちょこっと祀られてはいるようですが・・・
 お寺の境内に付属したり、神社の中に同居したりはしていますがね。
 『お稲荷さん』は『秦氏』に関係があるとか言われるようですし、この近くには『秦氏』に関連すると言う『波田須』なんて所があるのですが・・・
 まあ、あんまり信心深い土地柄でもないので、祀ってあったも大層な行事になっていないのかもしれません。
 第一、古より『神々の里』ですから、神様の一人や二人、珍しくもないですからね。
 それにしても、現代の神様・・・『お客様』はちっともお見えになりませんね。
 カメラは センチュリー・グラフィック+スーパートプコール65mm
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by je2luz | 2007-11-24 10:19 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 11月 23日

熊野の旅 再び奥川邸 モダーン

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 この写真に写っているもの・・・
 多分、最初の頃は来客を驚かせたと思います。

 鹿の首のことではありません
 この首は、うんと最近ここにかけられたものだと思います。
 『おくどさん』のある台所の壁にこんなものを飾っておいたのでは、すぐに煤びますからね。
 今日の主役は、黒光りした鴨居の上まで垂れ下がっている紐です。
 上には、今ではほとんどお目にかかれない、碍子製の丸いスイッチがついています。おそらく中はロータリースイッチでしょう。
 今もこの配線が生きているのですから動かせばこのふすまの向こうの客間か中の間辺りの電灯が点滅するはずです。

 普通の家では、家の中にぽつんと裸電球か乳白色の皿のような傘のついた電灯が一つだけぶら下がり、点けるにも消すにも、背伸びをしてスイッチをひねっていた時代です。二又だとかひも付きのソケットなどと言うものは松下幸之助さん以降の事ですからね。
 そんな時代に、家中に電灯がある豪華なお宅で、部屋に通されて待つと、人も来ないのに座敷の電気がパッと点いた・・・
 そりゃあ、田舎の客人は驚いたことでしょう。
 今の時代には当たり前のこと・・・しかし、時代を遡れば、『驚くこと』『モダーン』なことだったのです。

 そんな時・・・
 『やれよーーっ。びっくりしたわいよう・・・』
 『まっことお! 勝手に電気が点いたんじゃさかいにのし!』
 『やっぱり、だんなしは違うのし!』
 『おびえるのし・・・』
 などと、この辺の人は話したに違いありません。

 こんな紐ですが、当主の自慢げな顔が浮かんでくるものなのです。

 カメラは センチュリー・グラフィック+スーパートプコール65mm
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by je2luz | 2007-11-23 10:28 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 11月 22日

熊野の旅 町の更新・廃棄

 アメリカの西部とかに行くと、『ゴーストタウン』と言うのが現実にあるそうですね。
 西部劇の舞台になるような町に人が一人も住んでいない・・・
 風に吹かれて土煙と草の塊が通りを転がっている・・・
 そこに、何所ともなく現れたさすらいのガンマンが・・・

 なんてのは土地の狭い日本ではなかった話です。大事な家屋敷、田地田畑を放棄してどこかへ行くなんて考えもつかないことでした。
 しかし、今の日本ではそれが置きつつあるようですね。
 山間部ではすでに起きつつあるようです。
 後継者が流出した集落が、親たちの高齢化で一人欠け、二人欠け・・・集落が維持できなくなり放棄される・・・各地の山間で一杯起きてきていることです。
 山間部の集落の場合は、農業・林業ともにだめと言う社会では仕方ない話とも言えるのですが、田舎においては町場でもそれに近いことが起きつつあります。
 
 町の中心と言うものは移って行きます。
 新しい町並みが出来て、商店が出来、人の流れが変わってゆきます。
 人の来なくなった商店街は寂れてしまい、一軒、又一軒と取り壊され知らない間に普通の住居に建て替えられています。こうして、町は更新されてゆくものなのです。知らない間に、江戸時代の町が、文明開化風になり、さらに大正ロマン風、昭和風になりしてきたわけです。
 普通の町ではその後に戦後風になり、今度は平成風に変わってゆくのですが、田舎町では『昭和風』から先がなくなりました。
 その後に来たものは『地上げ』でも『ビルラッシュ』でもなく、単に『取り壊し』だけが続く『廃棄・放置』と言うことなのです。
 『活気がない』とか『古くさい』と言っているうちはまだまだましなのです。
 『さすらいのガンマン』の代わりに『老人車を押したばあちゃん』が歩いているうちはいいのです。
 今、ここを歩くのはまさにジョンウェイン世代の人ばかりです。
 カメラを構えている本人はもう少し若く、ウエストサイド世代ですが・・・
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 カメラは センチュリー・グラフィック+スーパートプコール65mm+ストロボ3灯
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by je2luz | 2007-11-22 11:20 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 11月 21日

熊野の旅 田舎の旅と季節

 旅をするにも季節によって赴きも変わるし、行き先も変わります。
 春はその訪れが一ヶ月以上ずれるのでその春を追いかけるように観光客の足の向きが変わるようです。
 夏になると、暑さを求める年齢と、涼しさを求める年齢で行き先が変わるようです。最も近年では山の方で、登山客の老齢化が進んでいるやに聞きますが・・・
 秋は紅葉を追いかけるように中心が移動するようです。
 冬は寒いといって昔はスキーデモする人以外、行動する人も少なかったのですが、車時代になって、寒い思いをする恐怖が減ったのか結構動き回るようです。

 晩秋から冬に向かう今の時期、観光客の恋しくなるのは、『温泉』や『鍋』です。
 寒ければそうなるのが当然でしょうね。
 かつては、黒潮洗う南国の温泉場として結構集客力のあった『勝浦温泉』『白浜温泉』も全国に2000も温泉がある時代になると名前だけが有名で、客足はがた落ちになっています。
 おまけに、この辺の名物『サンマ寿司』とか『めはり寿司』も冬場が『旬』なのですが、どう見ても『温まる』料理ではないですよね。おまけに、赤福ではないですが、こちらは本格的冷凍で年中供給されるので、わざわざ冬場に来なくても・・・と言うことす。これらの名物の『旬』なんて誰も知らなくなってしまいました。

 写真を撮りにでて思うのは、『夜の巷をうろつく楽しみのない田舎では、冬至の前後一ヶ月ほどの旅行者はすごく時間を損するだろうな・・・』と、言うことです。
 冬至の時期は今より更に30分ほど日没が早くなると思います。そして、夏に比べ『薄暮』の時間も極端に短くなります。三時には日は完全に傾いて気分もせわしなくなります。
 いくら南でも沖縄ではありませんから、朝はやはり寒いですから、遅い朝でも行動を起こしにくいです。
 山越えを歩いたりする『熊野古道歩き』では、この行動可能な時間の差最大で4時間は大きいですね。まさに、『一山』越せるだけの時間ですからね。
 私が言うように、道端に腰掛て風の音や水の音に耳を傾け、峠でぼんやり山のかなたを眺めて、神々の里の雰囲気など求めている時間もないでしょうね。
 そのかわり、朝寝坊の人でも、『早朝の景色』は見られるでしょう。
 山あいだと、9時10時になってやっと夜が明けるような感じですからね。
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 まだ午後三時ごろだというのに、海の向こうに見える紀伊山地、『熊野三山』と更に向こうの『高野山』の方に日が沈もうとしています。
 そちらに『西方浄土』とやらがあるのでしょうかね。
熊野三山と熊野の地図へ   ←←←←をクリックすると案内図が開きます。
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by je2luz | 2007-11-21 10:58 | 熊野 | Trackback | Comments(0)