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LUZの熊野古道案内

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2007年 09月 30日

熊野の旅 本日休載

 今日はちょっと時間がおかしくなってしまいました。
 休載にして写真だけアップします。

 あさっての『花の窟お綱掛け神事』は10時からと言うことです。
 10時からと言うのはどの部分なのか分かりませんが、天気も大丈夫そうですから、カメラを担いで出かけてみようかと思っています。
 気が変わらなかったる、近々それを載せられると思います。
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by je2luz | 2007-09-30 13:40 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 09月 29日

熊野の旅 新聞広告から

 秋になると昔からのお祭りのほかに「イベント」が一杯催されます。
 国の省庁がやるものから小さな団体がやるものまで・・・東京ドームや幕張メッセを使うものからその辺の町角を使うものまで様々です。
 今日の新聞には全面広告で熊野古道関連のイベントが出ていました。
 楽天10th Anniversary 世界遺産劇場   
 今回のタイトルは
  -紀伊山地の霊場と参詣道ー
  だそうです。

 中味は今流行のお寺や神社などを使ったコンサートとかです。
 音響とか何とかではなく、文化人の心をくすぐって雰囲気でファンとは違う人も呼んで聞かせちゃおうと言うものですね。何だかずいぶんやられているようですが、楽天さんが選んだのは大峰山の『金峯山寺』と本宮大社の『大斎原』です。もう一箇所は、出来たばかりの三重県ご自慢の尾鷲に出来た『熊野古道センター』です。
 それぞれ、違った雰囲気もありますし、どっちがついでか知りませんが、コンサートのついでに参詣するもよし、参詣のついでにコンサートを聞くもよし・・・
 同じ日に離れた所で行われるものもあるので、修行を積んだ仙人でもない限り無理な物もありますが、スケジュールを上げておきます。

 『金峯山寺 蔵王堂』
  10月13日(土) 18:30~
     押尾コータロー
      「押尾コータローLIVE in 金峯山寺」
        6500円 残り僅少
  10月14日(日) 18:00~
     角松敏生
      「TOSHIKI KADOMATSU Performance Prayer」
        7500円 売り切れ

 『三重県立熊野古道センター』
  10月13日(土) 18:00~
     村治佳織
      「海と森のささやき・村治佳織・熊野古道コンサート」
        6000円 残り僅少
  10月14日(日) 18:00~
     畠山美由紀
      「畠山美由紀 Concert in 熊野古道Center」
        6000円

 『本宮大社 旧社地 大斎原』
  10月20日(土) 14:00~
     林英哲
      「大斎原千響伽藍」(おおゆのはらせんきょうがらん)
        5500円
  10月21日(日) 14:00~
     由紀さおり・安田祥子
      「いやしの森コンサート in 熊野」
        4200円
 全席指定だそうです
 チケットに関しては
    SAP 電話 03-5226-8537
        http://www.sap.co.jp/
    楽天チケット
        http://ticket.rakuten.co.jp/
   他にも「チケットぴあ」や「ローソンチケット」でも買えるそうです。
 尾鷲の県立熊野古道センターのコンサートだけが昼間になっているのは多分・・・多分ですが、会館の営業時間のせいでしょうね。なにせ・・・県営ですからきちんとしているはずです。
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  金峯山寺 蔵王堂 きんぷせんじ ざおうどう
この範囲です

by je2luz | 2007-09-29 12:02 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 09月 28日

熊野の旅 木本祭り

 だらだらと時間のかかる木本祭りも少し改善の方向のようです。
 以前は8時ごろに新出町の山車が出発するのが祭りの一日の始まりでした。そして、最終的に終わるのはお昼過ぎに神社を出発したお神輿が神社に戻って納められる夜中の12時ごろになるのです。なんと、16時間もかかるものでした。
 もっとも、山車などの各町内の出し物は新出町の山車が巡行する後について、町内から神社に向かい、お昼を食べて午後には新出町の稲荷さんまで同じように列を組んで本町を巡行しますが、稲荷さんに着いたら適当に町内ごとに浜で休憩をし、お神輿を置き去りにして書く町内に帰ってゆきます。そして、自主解散と言うものなのです。
 一番先に出発する新出町の出発点は稲荷さんですから、帰りは稲荷さんに着くとすぐに解散になるので一番先に終わりになります。例年、午後3時頃ですね。
 お昼過ぎに木本神社を出発した行列が7・800m進むのに2時間ほどかかります。
 これは色んな行事があって時間が掛かるのではなく、途中に設けられた何箇所かの『宿所』に引っかかるからです。
 そこで舞を披露したり神楽を奉納するわけではありません。ひたすら、男どもが飲んだくれるからです。それが盛り上がりだと当人たちは思っているようです。
 まあ、飲んだくれの嫌いな私が書くのでこうなるのでしょうが、傍から見て決して見よいものではないですね。おまけに、飲んだ勢いで神輿に乗って屋根をひっぱたくし・・・
 きちんとした神道などの人が見たら御神体を下ろしたくなるでしょうね。
 こうして時間のかかるお祭りも、少しだけスピードアップするつもりらしく。今では新出町の山車の出発が午前9時30分となっています。お昼には木本神社に入らなくてはならないので出発を遅らせれば進行が早くなるのです。
 まあ、行きはこうして早くなるのですが・・・あの、飲んだくれのお神輿を改革しないことには午後の進行は早くなりませんね。
 重い神輿を担ぐのですから酒の勢いも必要なのかもしれませんが、よそでは危険だから酒を掛ける事はあっても、飲んだくれることは禁じている所が多いのですがねえ。なにせ、午後から担ぐために勢いをつけようと、朝から飲ませるのですから、出来上がらない方がおかしいです。
 はたして今年はどうなのでしょうか?
 神輿に乗ってはいけないことをテレビでもずいぶん報道しましたが・・・
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この範囲です

by je2luz | 2007-09-28 11:52 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 09月 27日

熊野の旅 紀勢本線

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 たまにしか来ない紀勢東線?の特急ですが、相変わらず空っぽで走っています。
 この路線は紀勢本姓とか言われますが、国鉄民営化のときに分割されて区切りの具群が少しずれたにしても、東西に分かれてしまいました。
 JR西日本側は電化され、JR東海側は架線がありません。したがって、相互乗り入れは不可能で、ディーゼルで走っている東海の特急列車が新宮を通り越した西日本側の『紀伊勝浦』まで入り込んでいるだけです。
 会社も違うし、乗り入れも無いのなら、昔のように『紀勢西線』『紀勢東線』と呼んだ方が紛らわしくなくてよいような気もします。
 西日本の側は列車の数も東海側よりは多くなっていてほんの少しだけ旅客も多いようですが、赤字には違いないようです。
 西日本側と平行に走るのも国道42号線ですが、リアス式海岸をなぞるように走るので、カーブは多いし起伏は多いし、とても快適なドライブとはいいにくいものです。したがって、並行する道路でのバスによる競合も少ないのです。
 東海の側は国道42号線の方が列車よりは起伏は多いですが、海岸線を無視して伊勢路に入ってゆきますから、バス路線が列車と競合してきます。
 もっとも、まともに競合させるつもりで三重交通が開設した『南紀特急バス』も利用客が伸びず、どんどん便数が減ってしまい、無いに等しくなっています。後から出来た、名古屋行きの便はまだ存続していますが採算の方はどんなものなのでしょうね。
 全国各地から出ている長距離夜行バスは、三重交通と西武鉄道の共同運航で一日一顰はしっていて、そちらはそこそこ乗客が居るようです。
 何と言っても安いですからね。往復だと、鉄道の半値に近いくらいだと思います。
 昔はバスの方が割高と言うのが常識だったのですが・・・
 しかし、このバスとて普段は一日一台です。十数名とか二十名とかの話ですから、これが鉄道に戻っても紀勢東線の赤字の額からすると焼け石に水でしょうね。
 紀勢本線も外すのではないかと言う時期もあったのですが一応存続はしています。長い目で見たとき、鉄路を外してバスにするのが本当によいのかどうか・・・
 かといって、旅客の増える見込みもないし・・・
 運ぶ貨物もないし・・・
 カメラは イコフレックスIIa・Restyled
この辺の地図です

by je2luz | 2007-09-27 12:10 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 09月 26日

熊野の旅 中秋の名月

 昨夜は中秋の名月でした。
 今年は名月を眺めることのできた所が多いようです。
 『月』と言うものは地球に近いだけあって、天体の中では桁違いに大きいです。
 桁違いに大きく見えるのに、太陽の光を反射するだけですからそのそこの明るさしかないし、温かみがありません。
 大昔から、どこの文明でも、昼間の『太陽』と、夜の『月』が神としてあがめられて来ています。そして、扱いが少し違うにしても、ほとんどの場合、太陽が『陽』で、月が『陰』ですね。こうなるのは、まあ、当然のような気もします。
 月は定期的に満ち欠けするので、それを基準に暦を作ったものもあり、日本では昔、それを使っていましたね。動物は月の満ち欠けの影響を良く受けると言いますが、日常生活ではやはり昼間の太陽の影響の方が大きいですね。季節と言うものの変化はそちらで決まりますからね。
 月を基準の『太陰暦』では季節とのずれがどんどん大きくなり、『閏月』なんてのまで挟まないと辻褄が合わなくなるのです。『太陰暦』が廃れたのも当然でしょうね。
 昨日はその『太陰暦』・・・『旧暦』の8月15日でした。月の満ち欠けに関しては『旧暦』の法が分かりよいですね。なにせ『月の満ち欠け』が基準なのですから・・・

 私が育った頃には飛鳥村(現・熊野市飛鳥町)にはすでになくなっていましたが、その昔には、『おたばり』とか言う行事がありました。
 これは、『十五夜』の晩に、子供たちが『旦那衆』(だんなし)の家を廻って、お供えしてある団子やふかし芋などをもらってくるものです。行事はなくなっていましたが、話だけはじいさんに聞いたことがあります。
 『おたばり』とか言っていたのは、この辺では、仏様や神様に供えてあるものを下げていただくのを『たばる』と言うからでしょう。この『たばる』は『賜る』と同じで古い言葉なのだと思います。
 子供たちが廻る習慣は消えていても、縁側に文机などを出し、ススキや萩を生け、三宝に団子を載せ、サツマイモだなんだかんだと秋の実りも備える習慣はまだ残っていましたね。
 こうして、お月様を迎えるのは、やはり、『縁側』でないとうまくないですね。
 私の家のベランダからは月の出が見えます。澄み切っているときには海を照らしながら月が昇るときもあります。きれいな物ですが・・・そこに、ススキを飾っても・・・
 縁側のある家で育ったから、ベランダの月はきれいでももう一つの感じになるのかもしれませんが、違うのは間違いないと思います。
 日本の家から縁側が消えて言った分、名月も遠くなったような気もします。

 この各地にあった、名月の晩の『おたばり』のような行事もどんどんなくなって言ったようですが、この辺りでは御浜町市木地区には残っているようです。そして、今でも子供たちが家々を廻っているそうです。
 地域と子供の繋がりが、まだ残っていると言うことですから、良い事ですね。
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   紀伊市木駅
 カメラは バルダ・バルデックス
この範囲です

by je2luz | 2007-09-26 12:17 | 熊野 | Trackback | Comments(4)
2007年 09月 25日

熊野の旅 お綱掛け 花の窟

 花の窟神社のしめ縄は年に二回張りかえられます。
 2月と10月です。二回なのに半年毎ではありません。秋の分は台風で切られることを考えていたのかもしれませんね。
 昨日あたりに張替え用のしめ縄作りが行われたようです。
 『しめなわ』と言っても岩山の上から下までつなぐものすごく長いものですから、出雲大社の社殿にかかっているような真ん中の膨れたしめ縄ではありません。長い藁縄です。太目の縄をあわせて一本にし、ちょうど御神体の上空になるところに飾りが来るようにしてあります。
 岡山の畳作りも畳床に使うには今の稲藁が短くて使い物にならなくて、ふるい稲丈のある品種を委託生産してもらったり、輸入したりしているようですが、ここでも長いもち米の藁を使っているようです。
 台風本体の直撃を受けたらどんな稲でも倒されますが、余波程度の時にも稲丈のある品種は倒されて、農作業がしにくいだけでなく地面に着いて発芽しかけたりして収穫量、品質まで落ちがちになります。戦後すぐの頃には丈の長いものが餅米だけではなくうるち米にも多くありました。
 その時代には、藁縄なども自家生産する農家が結構あり長いのも意味があったのかもしれません。
 戦後の品種改良は、多産型の追及から始まりおいしいおコメの追求になり、台風を避ける早期栽培品種を作り出すとともに、台風に強い稲丈の低いものへと変わってゆきました。
 今では田圃道を歩く小学生低学年の子の頭が見えるようになっています。
 お百姓さんが楽になった分、しめ縄つくりなど藁細工には向かなくなってしまったようです。

 『お綱掛け神事』は10月2日火曜日です。
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この範囲です

by je2luz | 2007-09-25 11:02 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 09月 24日

熊野の旅 秋祭り

 日本の秋祭りは水稲の収穫が終わった頃が多かったものです。
 収穫を感謝し、労をねぎらい、祭りのときだけに許された贅沢をする・・・これが原点でしょう。
 今は稲刈りが8月に始まり、9月中に終わると言うような早期栽培ばかりになってしまいましたが、昔の稲刈りはちょうど今頃から始まり、10月一杯かかるものでした。ほぼ一ヶ月のずれが出ていますね。それに、百姓の比率が下がってしまい、収穫期もピンと来なくなっています。
 この辺の秋祭りのトップを走る感じなのが『木本祭り』です。
 木本にも昔は水田があったのですが、今では山沿いにほんのちょっぴり残っているだけです。
 この祭りは雰囲気的に実りを感謝すると言う性格はあまり無いように思えます。
 この祭りも、体育の日が出来てからずっと10月10日に行われてきたのですが、この体育の日が10月10日ではなく動き回るようになってから変更なっています。
 今年の『体育の日』が10月8日と言うことなので、その前の6日土曜の夜に『宵宮』(よみや)を行い10月7日日曜日に本祭りを行います。
 その前の10月1日の夜、参加する各町の役員が集まって木本神社に祭りが始まることを報告?する『鈴あげ式』が行われます。
 これがあるということは・・・本来ならみこしを担いだりする人は祭りまで身を清めて過ごすということではないのでしょうかね。
 東京の三社祭で問題になっていますが、『神輿に人が乗ること』はやっぱりおかしいですよね。
 ここのみこしは乗られるだけではなく、屋根を酔っ払いにひっぱたかれます。
 へべれけに酔った若い衆が伊勢音頭をがなりながら拍子を取るのに思い切り見越しの屋根をひっぱたきます。
 空の神輿ではありません。木本神社を出発する時には宮司さんによって、神様を宿したお札が神輿に移されています。
 神輿に乗っちゃあいけないなんて知らないときから、これを見ていて不愉快でした。酔っ払いが嫌いと言うのもあるのですがね。不信心な私から見ても不愉快なこの行為がずっと黙認されていると言うのはどう言うことなのでしょうね。
 大昔、比叡山の僧兵などがお神輿を担いで今日の町へ嫌がらせに出てきたとか・・・
 木本のみこしもかつては、気に入らない家や寄付の少ない金持ちの家にぶっつける嫌がらせをしたそうです。まあ、ここの神輿だけでなくこれはどこにでもあったようですがね。負の歴史ですから蓋をされてなかったことにはなっていますが・・・
 10月6日の午後7時ごろから夜中までと、10月7日の午前8時ごろから終日は木本町内を車で動くのは難しくなります。松本峠木本側入り口に車で行くのはあきらめた方だよいでしょう。
 見物人で埋まるようなことはありませんから、歩いての熊野古道散策には影響はありません。
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この範囲です

by je2luz | 2007-09-24 10:28 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 09月 23日

熊野の旅 彼岸があるのなら・・・

 子供の頃、『ひがん』があるのなら『こがん』があるだろう・・・と思ってたずねたことがあります。
 お上人に『あるよ』と言われましたが、その時の説明がどんなものだったか記憶にありません。
 『彼岸』は「かのきし」ですから。『此岸』「このきし」があるのです。
 『あっち』があれば『こっち』があって当たり前ですね。
 『あっち』が『あの世』なら、『こっち』は『この世』ですね。
 『極楽』が西にあり『西方浄土』なら『現世は東にあるわけですが、東の果てではないですね。
 日は東から昇り西に沈みます。そうすると、過去、『前世』は東にあるのでしょうね。
 お彼岸に『真東』からのぼり、『真西』に沈みます。そして、そっちに『極楽浄土』があるようです。
 同じあの世でも、地獄は地面の下なのでしょうか?三途の川を渡ってから分かれ道があるようなことを言いますが、徳を積んだ人はふるいわけにもかからずに、阿弥陀様などが直接迎えに来て『極楽浄土』に向かうようです。
 どうも、宗教の話は平等ではないですね。特権階級が存在します。
 そのくせ、すぐに『地獄に落ちる』だとか『罰が当たる』だとか言って庶民を脅します。
 教科書に『免罪符』なるものが出てきて、中世のキリスト教会がさも悪かったように言い、だから『宗教革命』など起きた・・・と習いました。
 おかしいですね。日本でだってお札を売り、祈祷をし・・・ふるい宗教ではおかしいと、親鸞や日蓮が反旗を振りかざしたし・・・なにより、それ以降も日本では『お札』『お守り』の類はちっとも減らず、いまだにまかり通っていますね。キリスト教会の免罪符が馬鹿げていて日本の神社やお寺のは馬鹿げていないのでしょうかね。
 まあ、そんなことは別にして、『彼岸』に渡る入り口はこのあたりにあるそうです。
 紀勢線『那智駅』の前の海岸から船出すれば良いそうです。
 そのあたり、今ではサーフィンのメッカになっているようですが・・・流されたら『補陀落』へ行けるかもしれません。
 この『補陀落』は死後の世界ではなく、永久に生きられる場所とも言われていますがね。
 私ならはすの葉っぱの上でのんびり過ごすより、どうせ海を渡るなら世之介の目指した『女護島』の方が楽しそうな気がします。
 もっとも、極楽も・・・『酒はうまいし、姉ちゃんはきれいだ・・・』なんて歌もありますがね。
 こんな不謹慎な調子ではとても『極楽浄土』へは行けそうもありませんね。
 写真は那智の『補陀洛山寺』ですが、こうした入り口は栃木県の二荒山や山形県の月山にもあるようです。
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この地図より広い範囲です

by je2luz | 2007-09-23 11:04 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 09月 22日

熊野の旅 天気が良いので・・・

 ものすごく天気が良いです。
 今日の天気は、夏と秋が混在したような感じです。
 気温と雲は夏のよう、吹く風は秋のようです。
 庭の菜園では枯れた胡瓜の蔓や虫に食われて葉っぱがなくなってきて大きな実がむき出しに見える冬瓜の蔓が夏の終わりを告げています。
 そろそろ、こうした夏野菜を片付けて冬野菜の種を蒔かなくてはならないのですが・・・
 冬でも暖かい地方では冬野菜も良く育ちます。種まきが遅れても食べられるのが遅くなるだけで、ちゃんと育ってくれます。
 紀州の海岸線ではこうして季節感の乏しい菜園になります。ピーマンやしし唐なんて言うやつは、開花から大きくなるまでの時間は長くなりますがお正月頃までは続きます。そして、そのまま放置しても日当たりが良い場所だと年を越して次の年の春から又収穫できます。
 同じ熊野市内でも、一山越えると冬はちゃんと冬になります。だから、冬野菜の種まき時はきちんと守っているようです。
 壁になっているたかが500mとか600mの山の向こうは別世界です。日本はそれほど微妙な位置にあるのですね。
 100mで0.6度下がるとか言いますが、ジャワ島とかだと、500m登れば3度ほど涼しくなるだけですが、日本では黒潮の流れる紀伊半島南部でも3度とか5度下がると、冬には零下の世界に入ってしまいます。
 水の凍る温度・・・水で生きている地球上の生物の世界ではものすごく大きな境目ですね。

 お彼岸だそうです。
 暑さもそろそろ本格的に遠ざかってゆくのでしょうね。
 もう少し、涼しくなってから、夏野菜を片付けます。
 そうそう、熊野名物、『めはり寿司』の材料の高菜はここのような海岸線で作ると、よく育ちます。でも、早く育った分、味は薄くなるようです。
 一山越えた、熊野のチベットのような飛鳥、五郷などで育ったものの方がおいしいようです。
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熊野三山と熊野の地図へ   ←←←←をクリックすると案内図が開きます。

by je2luz | 2007-09-22 12:57 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 09月 21日

熊野の旅 田舎と都会 今昔

 田舎といっても今と昔ではずいぶん違います。
 都会といっても今と昔ではずいぶん違います。
 大東京といっても私が上京した頃にはまだまだ田舎が一杯ありました。
 昭和36年、高度成長期の入り口付近で、鹿島工業地帯が造成された頃です。そして、公害がはびこりだした時代ですが、西武新宿線でも下井草など駅の周囲にはお店もありましたが、駅から少し離れれば麦畑でした。冬には霜柱が光っていました。東京にも田舎が一杯あったのです。
 その頃の田舎ではようやくお金持ちの家にモノクロテレビが置かれて都会の生活が目の前に描き出されるようになった頃です。
 スーパーのはしりが木本に出来ていましたが、今のように全国同じ食材が並ぶ時代ではありませんでした。レタス、セロリなんてハイカラな野菜は、まだ田舎まで行き渡っていませんでした。ラーメン屋さんなんてものも田舎にはありませんでした。関西では『うどん屋さん』関東では『蕎麦屋さん』の時代です。それでも東京にはラーメン屋さんが沢山ありました。
 道路は田舎では地道、砂利道なのに都会ではコンクリートはアスファルトの舗装道路でした。
 着ているものは田舎の子供と都会の子供ではずいぶん違っていましたね。東京の女の子がかわいく見えましたからね。
 電話は東京ではダイアル式、田舎ではハンドルつきの交換手経由でした。これは便利な所もあって、電話番号など覚えなくても『○○さんとこ』と言えばつないでくれました。万能の音声識別交換機みたいなものでした。
 いろんなことで都会は都会的で田舎は田舎的、区別がはっきりしていました。
 今は日常生活などでは『ド田舎』の山の中以外ではさほど差が無いようになっています。通販も発達して何でも手に入りますからね。
 しかし・・・昔は差が無かったのに今では大きな差が出てしまったものもあります。 
 DVDで見れば見れますが、『映画館』などと言うものは当の昔に田舎から消えてしまいました。この熊野でも三軒の常設映画館があったものなのですがね。
 それに、写真屋さんもどんどん廃業してゆきました。
 焼付けはスーパーの中にチェーン店一軒と街中に三軒ほどの自営店がありますが『カメラ屋』はありません。かろうじて35mmのカラーネガフィルムが数種類手に入るだけです。
 もっとも『カメラ』の名前が付いた店でも大手のものはカメラやでは内容になって来ていますがね。
 そうそう、昔は観客動員も出来たからかもしれませんが、『美空ひばり』や『三波春夫』なんて人気歌手も興行をうっていましたが、近年ではそんな大物は田舎に来ませんね。
 映画館があってもどうせ見に行かないのですし・・・写真屋がなくなってもほとんど誰も不自由しないし・・・
 バス路線が消えても、元々乗る人は居なかったのですし・・・
 色んな格差が広がっているはずなのに、現実の田舎生活ではまだピンとこないのですね。
 中心部の木本でさえ、シャッター通りどころか、櫛の歯がかけるように空き地だらけになって来ています。後10年後暗いから先で、こうした田舎は一気に過疎が進行します。
 格差なんて言葉では最早表せないものでしょうね。
 昔と違い、目に見えるものは都会も田舎もそんなに変わらないのですがねえ・・・
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by je2luz | 2007-09-21 11:56 | 熊野 | Trackback | Comments(0)