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LUZの熊野古道案内

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2007年 06月 30日

熊野の旅 熊野市の夜

 熊野古道歩きにこられる方はほとんど全部が日帰り、通過型の方ですから、熊野市で夜を過ごす方は少ないでしょう。
 それに、昼間歩き回ってお疲れなので例えここに泊まられても、夜の巷をさまようことも無いと思います。
 それでも、世の中にはどうしてもさまよいたいタイプの人が居られます。
 そんな方のために・・・
 熊野市はいわゆる『温泉場』でも『観光地』でもありません。
 かつて、交通が不便であった頃は巡航船待ち、連絡バス待ちなどでの宿泊もあり、小さな旅館がたくさんありました。そして、この地方の中核都市ですから、売春防止法が出来るまではちゃんと売春宿も存在しました。芸者衆も居ました。当時としては当たり前の都市機能は全部揃えていました。
 時代が変わり、巡航船が無くなり、連絡バスもなくなり、紀勢本線が全通すると小さな旅館は次々と閉鎖され、芸者さんも居なくなり・・・
 今では日本式旅館は一軒を残し壊滅状態です。それ以外で宿泊予約の出来るのは簡保センターとビジネスホテル数件と民宿です。
 そして、夜の巷にさまよい出ても、元々『歓楽街』を形成したことの無い町ですからまとまって『バー』『スナック』『一杯飲み屋』があるところはありません。木本町、井戸町のポツポツと点在しています。
 基本的には地元の客向けの店で、いわゆる『ぼったくり』はほとんど無いようです。
 私は、近年飲みに出ませんから、どこが営業しているのか良く分からなくなりましたが、まあ、新しく開業したところも無いと思います。そして、若いママさんがやっている店も無いと思います。それでも、ロシア人などという目の色の違う女の人の居る店もあります。「スナック」ではなく、『クラブ』を名乗っていると思います。この手の店も、まだ4軒とも残っているのでしょうかね。
 人口の割りに多いですね。
 例によって、韓国・台湾・フィリピン・タイとどこでも同じように女の子の国籍は移って行ったものです。
 このような状況ですから、熊野で飲みに出られるなら、泊まったところでお尋ねになったほうが良いと思います。さまよい出て、そぞろ歩きをしてもネオンサインには中々めぐり合えません。
 もう一つ、ここのタクシーは夜中は走っていません。12時前には呼んで貰って帰らないと歩く羽目になります。それと、外に出て何時間待っても流しのタクシーが無いので拾えませんから・・・
 スナックの類は、そんなに高くは無いでしょうが、安くもありません。きれいなねーちゃんが期待できませんから、人によっては高く感じるかもしれません。物は試し、出かけてみてください。あなたのお母さんくらいの人が居て安らぐかもしれませんよ。
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by je2luz | 2007-06-30 09:54 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 06月 29日

熊野の旅 まずはおめでとう 石見銀山

 いったんは駄目かと言われた石見銀山も世界文化遺産登録が決定したようですね。まずは、おめでとうございます。
 熊野古道と霊場のように広大な面積ではないので、ある意味では経済効果もあるかもしれませんね。
 ひなびた、廃墟的な雰囲気の中で眠っていた銀山がにわかに脚光を浴び、無理やり日の目を見させようという計画が目白押しなのでしょうね。
 最盛期には板葺きか木の皮葺きの掘っ立て小屋が並んでいたはずのところに何が出来るのでしょうね。
 尾鷲にならって、立派な会館が立つのでしょうか?そして、代官所は??
 むかし、昭和38年に佐渡相川の金山跡を見物しました。ここは『たこ穴』が残され、中でのUターンすら出来ない死の坑道が不気味でした。
 まだまだ、観光地としての整備が出来ていない時代でしたが、廃坑ですからその方が良かったような気もします。
 すでに、江戸時代に隆盛を極めた佐渡金山も閉鎖され、近代採掘をやっていた三菱の鉱山も残務整理の時代でした。
 石見銀山はさらに時代もさかのぼる感じでしょうか。
 坑道の宿命で、素掘りのトンネルでしょうね。
 昔は・・・と言うより近代の炭鉱でも坑道の落盤は松の木によって支えられているだけの素掘りの坑道の宿命でした。落盤事故のニュースが新聞紙上に載る事も私が子供の頃には珍しくはありませんでした。
 どこまでの坑道を観光用に開放するのやら・・・どこまで、安全策を講じてしまうのやら・・・それとも、人工的に安全な坑道を遊園地のように作るのか・・・
 山あいに似合うのは、小さな掘っ立て小屋のような売店のはずなのですが、それでは、お役人が自慢できるほどお金が使えませんね。
 交通の便がいいわけではありませんね。たくさんに人は入り込んでは『らしさ』が消えるでしょうが、日本人は人がいるところが好きですから・・・
 申請中のPR期間中と決定してニュースやルポのある時期、そして、正式指定直後までが花ですよ。狭い範囲なので一日100人来ても目立つでしょうが・・・
 住民がどう思おうと止まらないのがお役人の便乗予算獲得合戦です。これは、日本中がかかっている病です。
 いかれる方は今のうちのほうが『らしさ』を味わえるかもしれません。
 熊野古道はこんな道を作り出しましたが、こんなのが出来るまでに訪れた方が・・・
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by je2luz | 2007-06-29 09:56 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 06月 28日

熊野の旅 観光客とゴミ

 通過型観光地では、『ゴミとおしっこだけ残してゆく・・・』と言う風に言われます。
 事実、通過型で宿泊客も無く、スキー場のように日帰りでもリフト代程度は落として行くところ以外はほとんど入場料なんてありません。地元に残るのは『ゴミ』と『おしっこ』なのです。
 し尿処理もただでは出来ません。入りこみ客のために各所に公衆トイレを設置しています。建設費のほかに管理費が掛かります。今は汲み取り式ではないですが、浄化槽の維持管理や水道、トイレットペーパーの消耗品、地元に委託する清掃代など結構掛かるのです。
 片やゴミの方ですが、行政はよそのゴミを処理する義務は無いのですが、残されたゴミは処理しなくては仕方ありません。
 悪いことに、観光客の残すゴミは分別されていないことが結構あります。
 熊野市のゴミ分別は他に比べ荒いほうです。理由は対策済みの最終処分地が無いためです。他では燃えないゴミに分類されるプラスチックも燃えるゴミに入れています。
 観光客の残すゴミは弁当くずなどですから、ペットボトル、ピン、缶、そして燃えるゴミに分類していただければよいだけです。
 ペットボトル、缶に関しては、買ったお店の前に戻すのが本筋ですが、自動販売機のあるところや、スーパー、酒屋さんなどには回収箱が設置されています。道すがらそこに放り込んでください。自家用車の方は当然のようにご自宅まで持って帰って地元で出していただきたいものです。
 燃えるゴミに関しては熊野市は指定袋制になっていませんから、半透明のスーパーの袋で出せます。ただ、どこでもそうですが、曜日を決めての回収になっていますから、回収場に置かれてもやはり地元住民が困ります。海辺の残されると最後は海に流れ出て海亀やイルカが飲み込んで死んでしまうことにもつながります。 自家用の方はお持ち帰りください。大してガソリン代は変わらないと思います。
 公共交通機関をお使いの方は、駅のゴミ箱や観光バスまで持ち帰ってください。こんな書き方をするとJRやバス会社に叱られるかもしれませんが、きちんと分類してから袋に入れて捨ててあれば係りも楽だと思います。
 『神々の里』の参詣道を歩きに来られたのですから、心の中もきれいに。道端もきれいにしていってください。そうでないと、熊野の神々が罰を当てるかもしれませんよ。
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by je2luz | 2007-06-28 10:19 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 06月 27日

熊野の旅 天気続き

 先日も書いたように、今年の梅雨は天気続きです。それも、中途半端ではなく上天気が続きます。その代わり、降る時はまとめて降りました。
 まとめて・・・と言っても、この辺では普通に近い降り方でしたが、川の水位も少し回復するだけの降り方でした。
 この雨を待っていたのは、仕事の方ではお百姓さんでしょうね。四国ほどではないですが、水田の水も不足気味でしたし、みかん畑も水切れでしたから一息ついたと思います。
 片や天気続きで喜んでいるのは『土方』でしょうね。
 昔と違い『土方』と言う言葉はあまり使われなくなりましたが、『土方殺すに刃物は要らぬ 雨の十日も降れば良い』なんていわれるほど、雨に弱い業種です。
 文字通り、土を動かす工事が主で、屋外作業、危険箇所の作業が多いので雨では効率が悪く、現場によっては危ないです。
 田舎の街中では土方作業を見かけることは少ないです。
 地下鉄工事とか地中河川工事、共同溝なんて大型工事が道路を掘り返して行われるはずも無いですから・・・
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 この半年ほど見慣れてきた木本町本町通り石畳工事はちょうど我が家もそばの工区をやっています。7月20日くらいまでの工事期間ですが文句なしに終わります。
 雨が少ないので、最終の石貼り作業も毎日順調に進んでいます。
 一枚一枚貼り付けてゆく作業ですから・・・それに、真ん中は既製品の人口石のパネルを目地を揃えて並べるだけですが、両端では現場合わせでブロックを切って貼り付けます。
 近くの浜への出口を出たところで切っています。堤防の外なので騒音もあまり聞こえないですんでいます。公害対策なしでやっていますから、石の粉が舞っていますから、良くは無いでしょうね。常設だったら困り物ですが、短期ですからまあいいでしょうか。
 違う工区ではバス通りが横切る所が残されていたのですが、そこに掛かっています。ここは一気に仕上げるでしょうね。
 本町を歩いてきて、この交差点を横切る時は気をつけてください。
 本町側のほうが狭いの、で今までは無意識にでも止まってバス通りを見ました。しあkし、これからは本町通りが石畳になりなんとなくこちらが優先に感じる可能性があります。
 今までは大きな事故が無かった交差点ですが、こうした人間の心理、錯覚が心配です。
 熊野古道歩きに来られても、友達との話しに夢中になって、バス通りを横切る時にずるずると入り込まないようにしてくださいね。歩行者天国ではありませんからね。
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by je2luz | 2007-06-27 08:47 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 06月 25日

熊野の旅 適材適所

 紀州は吉野・木曽などと並んで古くからの木材の産地です。そして、林業が基幹産業でした。
 新宮、木本、尾鷲など昔栄えた町はすべて背後にある奥深い山から産出される材木を大阪、名古屋、東京などに出荷したお金が元となって、その山林の育林管理、その人たちの生活用品を売る商業、更には芸者衆まで抱える夜の町までを栄えさせてきたのです。
 近代化とともに、新宮周辺には三つものパルプ、製紙工場が出来ましたが、これとて基幹の林業の延長でした。
 その後にはどちらかと言うと林業を破壊する、水力発電と火力発電が山間部と尾鷲にやってきました。
 林業の衰退と時を同じくして新宮からは『巴川製紙』が引き上げて行き、跡地にはなけなしの金を根こそぎ掻っ攫う、巨大なショッピングセンターが出来ています。
 金を運んでくる工場から、金を運び去る商業施設への転換です。
 この周辺の老齢化指数は30%ほどです。その年金もしっかり運び去ります。儲けは地元に残りません。
 水力発電も、『合理化』で人員が大幅削減され、一杯あるダムの発電管理も『池原ダム』のそばにある発電所一箇所でリモートコントロールしています。そのため、熊野市有馬町にあった電源開発の社宅はほとんど閉鎖され金が落ちなくなりました。
 尾鷲にある『中部電力三田火力発電所』も同じく『合理化』で人員は大幅に削減され、尾鷲市内に点在した中電関連の社宅もほとんど閉鎖されています。尾鷲市の財政に大きく響く状態です。
 外部資本は常にこうした動きをします。今の風潮以前から、こうした出先は『植民地』みたいな扱いで経済効率一点張りです。
 しかし、林業の低迷が四半世紀におよび、地元資本で何かが出来る状態にもありません。
 『木材消費拡大』を目指すと言うことで、木造の会館を作ったり、遊具を作ったり・・・
 こうした取り組みも、いわゆる『町おこしのイベント』的なものに過ぎません。
 この遊具は地元で作られたしっかりしたものです。
 紀州材で作られているので結構長持ちはしていますが、遊具の性格上防腐剤を使うわけにも行かず・・・傷みを早期発見するしかないですね。
 よその町にはお勧めできないなあとも思います。とかく、管理責任とやらを追及されますからね。
 材木の大量消費は望めませんが、討伐、乱伐の外材の輸入がきちんと止まれば適正に国産材も消費されるはずなのですがね。
 田舎を殺してでもあぶく銭を稼ぎたがる・・・それを支える商社マンも元は田舎の人間なのかもしれませんね。
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 カメラは メオプタ・フレクサレット
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by je2luz | 2007-06-25 10:09 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 06月 24日

熊野の旅 2112 三重 熊野

 今日のタイトルを見てピント来る人は今ではごく少数になってしまったでしょうね。
 2112とはJCCナンバーといって、熊野市に割り振られた市の識別番号です。この番号はアマチュア無線のほうで付けられたもので、お役所でつけたものではありません。
 お役所の方でも当然、『県ナンバー』、『市区町村ナンバー』があります。郵便局には『郵便番号』があり、実に色んな番号が同じところに割り振られています。今問題の保険と同じで、好き勝手につけちゃったみたいなところがあります。
 今はどうなっているのか知りませんが、『県ナンバー』のようにたった47しかないものでも、省庁によって異なっていました。
 アマチュア無線の世界では、どれだけ多くの市と交信するか、どれだけ多くの郡と交信するかなどを楽しみにすることがあります。
 アマチュア無線家の多い所は確率から言って、簡単に交信できます。少ないところは当然、めぐり合うのが難しくなります。
 今から30年前、私がアマチュア無線を始めて『HF・短波帯』を運用始めた頃は、熊野市は全くの空白地帯に近いものでした。とうぜん、珍しい市、『珍市』と言うことでもてました。一度出ると何時間も全国から、場合によっては海外からも声が掛かって大変な状態でした。
 それ以来十数年は無線漬けでした。
 長男が無線を始めたのが小学校の終わりでしたが、物心が付いた時にはそばに無線機があり、ピーピーガーガーやっていましたから無線のことを『ピープー』と呼ぶくらいでした。それでも嫌いにならず、免許を取って以来無線にはまっています。免許を取った時が最年少でしたから同級生では一番長い経歴を持っていることになりますね。
 私は休止状態ですが、息子が帰ってくると我が家から、タイトルのような『JCC2112 三重県熊野市』の言葉が空に出てゆきます。
 昔と違い、常設のきちんとしたアンテナが無いので仮設で運用します。
 仮設の柱の重しに私の車が使われているので、この数日は車が動けません。あと一日くらいでしょうね。
 ひょっとすると・・・
 『 ・--- ・--- ・・--- ・--- --・- ・・-・ 』
 と言う長いモールスが聞こえるかもしれませんから、休止されているハムの人はリグに火を入れてみてください。なんていっても、ピークで200万人以上居たハムも今では何人いるのやら・・・5年で無線局の免許は切れますからね。
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by je2luz | 2007-06-24 11:46 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 06月 23日

熊野の旅 空梅雨・・・男性型

 昨日は少し雨が降りました。
 少しでしたね。
 今日は今のところ上天気です。
 今の様相では『空梅雨』ですが・・・
 自然界は大体においてつじつまを合わすものです。
 つまり・・・梅雨の後半に集中豪雨的な雨があって、トータルの雨量はそこそこ追いつくと言う形になる可能性があります。
 と、言うことは・・・後半に集中豪雨がある可能性が強いかもしれません。
 最近はあまり耳にしないのですが、『男性型』と呼ばれる梅雨の形です。それに引き換え、しとしとと降るのを、『女性型』と呼んでいましたが、これって、セクハラ???それとも、女性の方が爆発すると怖いのでこの表現を使わなくなった???
 
 どっちにしても、今は梅雨のさなかと言うことで、観光客は極端に少ないですね。
 もともと、『ポツポツ』しかいないのに、今は『ポツ』も居ないくらいです。当たり前でしょうね。ここは『世界遺産・熊野古道』ですから、歩きに来るところですものね。歩けないかもしれない時期に計画を立てる人は少ないでしょう。
 山の中の石畳とか、木々の葉っぱは濡れているときが一番きれいです。
 雨がやんで、ほのかに湯気が立ち昇るなどという風情はいいものです。
 『・・・・・・・ 霧たちのぼる 秋の夕暮れ』なんてありますが、何も秋の夕暮れでなくても風情はあります。今で言う『秋の夕暮れ』では霧は中々立ち昇りません。今のように暑い季節の方が・・・
 しかし、そんな中を歩くとなると、大変ですね。『難行苦行』と言うところでしょうか。
 山又山を越え、ようやくたどり着くから有難かった熊野の地です。
 今のように冷房完備の特急列車や、現場までの送迎付きのシャトルバス、時間を選ばない自家用車でやってきて、つまみ食いしても『ご利益』はほとんど無いのでしょうね。
 せめて、雨の中をしょぼしょぼと・・・蒸し風呂のような『釜茹で地獄』のような山道を歩いたら、少しは『ご利益』にありつけるかもしれません。
 道端にお地蔵さんでもあれば手を合わせれば、特に立派な三山の神社に参らなくてもいいのではないかと思いますよ。
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by je2luz | 2007-06-23 11:25 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 06月 22日

熊野の旅 山崎公園

 熊野市の誇る『山崎運動公園』に付属して、児童公園があります。
 テニス場、サッカー場兼多目的グランド、野球場の順で整備されてきたのですが、この児童公園と付属の公衆トイレは割合と早く整備できました。
 計画だ立案されたのは数十年前の話ですが、野球場が出来たのはつい先年の話です。
 市役所に入所した新入職員がここの模型を見て、『これが出来たら一号ホームランは俺が打つ!』と、なかば、しめしめと思ったそうですが、完成した時には役付きになる年でした。強かった熊野市市職員チームも今はどうなっているのやら・・・
 昨日は児童公園に行ってきました。
 平日と言うことで、野球場など競技施設のほうは静まり返っていましたが、この児童公園には小さな子供をつれたお母さんとかが結構きていました。
 熊野市の出生数からするとかなりの比率になるのではないかと思うくらいです。遊ばせに来る年齢幅が6年とすると・・・全市あわせても6×12×市報に載る出生数ですから・・・
 集まっている子供が20人もいると・・・
 孫娘がシャボン玉遊びをしていると、少し小さな子が飛んできて、一緒に遊びだしました。孫娘が5歳と0歳、その子が3歳と下が0歳・・・
 お母さんに聞いてみると、鵜殿から20kM走って遊たのだそうです。
 孫たちは埼玉から550kM走ってきました。
 少なくともこの四人は熊野市民ではありませんでした。
 田舎でも昔と違い、子供を遊ばせるのは公園になっています。田舎は緑が一杯ですが、意外とこうした公園の数は少ないものです。それに、昔は空き地などはきちんと手入れされ遊んだり歩いたり出来たものですが、今の空き地は犬も入れないほど草ぼうぼうのところばかりですから、こうして公園を探して遠くまで行かないと仕方ないのですよね。
 それよりも何よりも、今となってはこうした公園を作っても何人近所の子供がいるのでしょうね。
 親が付いて遊びに来るのではなく、子供たちが勝手に集まって遊びまわる遊び場で無いと活気もないし、本当に走り回ったりすることは無いですね。
 幸いなことに、こんなに広域で遊ばせに来るような状態なので、『公園デビュー』なんておかしなことは無いようです。
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by je2luz | 2007-06-22 12:01 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 06月 21日

熊野の旅 紀州は広い

 今回も帰省している息子関連の話題です。
 昨日は息子たちは『せっかくこちらに居るのだから・・・』と、白浜サファリ・パークに出かけました。
 パンダの子供が居るそうですね。
 少し前に、白浜周辺の竹に花が咲いて枯れたので、この隣の南牟婁郡御浜町から運んだとか聞いたような気がします。白浜で無かったのかな?
 白浜も同じ紀州です。一括して『南紀』と呼ばれてきました。
 『南紀白浜』『南紀勝浦』『南紀鬼ヶ城』だったのです。
 今は、三重県側は『東紀州』と言われています。私は未だにピンと来ない呼びかたなのですがね。
 紀州の一番南は『串本』です。そして、紀州の中心地、紀州公の居城の和歌山から見れば紀州はほとんど全域が南にあります。
 紀州をどんどん南下してくると。串本からはU字型にターンして再び、鉄道も国道の北上を始めます。
 その折り返し点までここから75kMです。一番東?の端の荷坂峠まではここから60Kmほどもあります。
 つまり、折り返してからでも、国境まで130Km余りもあるのです。
 串本から白浜まで約35Kmです。
 南紀の端っこではない熊野市から同じ南紀の白浜まで110Kmもあります。
 東京から沼津までの距離です。
 その間、全線景色は良いです。大きな工場も新宮の巴川製紙が無くなって、今は鵜殿に紀州製紙があるだけです。海と山・・・まともな町を抜けるのは新宮、勝浦、串本だけです。
 新宮を抜けると、国道42号線もJR紀勢線もカーブだらけになります。国道を走るドライバーは居眠りする暇はありません。
 しかし・・・ずっときれいな景色の中を走ると言うのも退屈なものです。
 だからでしょうか、あまり車を止めて景色を眺めている人も居ませんね。
 と、いうより、このルートをぐるっとまわって走る車は、物好きな日本一周の旅でもしている人のものだけでしょうね。
 『一度くらい、国道42号線西側ルートを走っておかなくては・・・』と、昔、和歌山の基点から我が家の前まで走りましたが・・・実に遠い・・・実にしんどい・・・でした。
 やっぱり、南紀と難波とかを結ぶのは、山越えルートですね。
 国道169号線、最悪でも国道168号線です
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 いやーーー。紀州は広いです。

by je2luz | 2007-06-21 11:35 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 06月 20日

熊野の旅 尾鷲湾 向井

 先日、熊野では『潮干狩り』というものが出来ないと書きました。
 昨日は朝霞に住む息子たちが帰ってきているので、その『潮干狩り』に出かけました。
 場所は隣の尾鷲市です。
 尾鷲の市街地は尾鷲湾の奥にあり、元は砂浜があったところです。そして、矢の川に流れ込む河口には『あさり』が居ます。
 いまは中部電力三田火力発電所の対岸に少しだけ浜が残されて居るだけで。他は埋め立てられて浜はありません。
 市街地のはずれ、発電所の隣なので、あまり言い感じではないのですが、この辺では一番まともな潮干狩り場所です。
 田舎ですから、入浜料なんて要りません。駐車場が無いので、地元の向井地区の管理する有料駐車場や民間の庭先を貸す有料駐車場くらいしかないのですが、平日なら無料でとめることも可能と言うところです。
 昨日の干潮は午後二時ごろと言う時間的には絶好なのですが潮の引きは上弦の月とかで小潮でした。
 それでも、潮の引いたところで砂を掘れば数が少なくて小さめですが『アサリ』が出てきます。川?海?に入って砂を掘って籠で篩い分けると少しまともなアサリが採れました。
 この川のそばには石油の備蓄タンクもあるのですが、事故でも起こさない限り油臭いこともありません。どこのアサリでも、きれいな海などで採ったものは無いのですからこんなものでしょう。
 発電所も『火力』です。『原子力』ではないので怖くは無いですね。
 今、砂抜き中です。少し食べるのが面倒そうなのもありますが、なんと言っても『ただ』ですから・・・
 貝の類は泥の中の栄養分を取り込む関係で、重金属、農薬などをどんどん溜め込むものです。アサリにしろシジミにしろ河口の泥交じりの砂地に居るものですしね。
 昔に比べ、農薬の使用量が減ったとは言え、おおよそ日本の河川で周りに農地や民家の無いのは知床にでも行かないとめぐり合えないでしょう。
 同じ場所の貝を長年毎日食べていたら何が体にたまってくるやら・・・
 尾鷲の貝はまともな方でしょう。
 それに、私にとっても一生で、もらったのを入れてもこれで数回口にするだけです。
 どう見ても私の食べたアサリとかの産地は韓国や北朝鮮の方がはるかに多いです。たまっているとすればそちらの方の汚染物質でしょうね。
 ありがたく、おいしく戴かせてもらいます。
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by je2luz | 2007-06-20 10:39 | 熊野 | Trackback | Comments(0)