LUZの熊野古道案内

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2007年 05月 31日

熊野の旅 千年前から???

 百年前と言うと明治の後期です。日本も随分近代化されてきてはいました。
 しかし、紀州の南ではまだ鉄道も無く、徒歩が交通手段だったはずです。
 400年前だと江戸幕府が出来た頃ですね。本格的に東海道、中仙道などの街道が整備され始めた頃ですね。
 しかし、御三家の紀州藩の領地になったとは言え、紀州公も自分の領地でもこちらに来る用事も無かったでしょう。さほど豊かでない領地の端っこですからまあまあ年貢が納められてくればよい程度だったでしょうね。
 領内を結ぶ道はその昔からある大辺路、中辺路、小辺路などが使われたのでしょう。
 それよりは怖い枯れ木灘を越えての水路で物を運んだことでしょう。
 千年ほど前にこうした参詣道は切り開かれたようです。
 と言うことは大正から昭和にかけていわゆる『新道』が作られ、鉄道が南下してくるまでの間はこの南紀、紀州路は何百年もあまり変わらなかったようですね。
 まあ、南紀と言うところは平和なところで、坂上田村麻呂が攻めてきたのと、神武天皇が軍を率いて上陸したくらいで、ずっと戦乱に巻き込まれることは無かったようです。
 神々、諸仏が加護してくれたのでしょうか?それとも、とりっこする価値が無かったのでしょうか?
 気候温暖、戦乱なし・・・南方気質???
 某大手コンサルタント会社の重役級の方がおっしゃいました。
 『熊野市をはじめとしてこの辺りの人は南洋の○人みたいですね。いい意味ではのんびり・・・悪い風に言えば働かない・・・』
 そりゃあそうでしょう、千年以上前からこんな生活をしていたのですから・・・
 山賊や海賊がたまに人切り包丁を振り回したでしょうが、戦も無く平和だったのですからね。
 近代になってからは随分と海の向こうに連れてゆかれて帰らなかった兵隊さんも多かったですがね。
 そうそう、アメリカ軍も新宮の製紙工場以外は見向きもせず、上陸する気もさらさらなかったのがここ南紀なのです。
 ありがたいことです。
 しかし、困ったことに、台風と津波だけはこの辺にやたらと興味があるようです。
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by je2luz | 2007-05-31 10:58 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 05月 30日

熊野の旅 熊野古道の景色

 今回もテレビの話の関連になります。
 テレビの中でも触れられていたことですが、ここを散策にこられる方がイメージされる熊野古道、そしてポスターやパンフレット、テレビで見かける熊野古道の景色は、古のものではないと言うことです。
 『蟻の熊野詣』と言われたのは非常に古い話で、平安から鎌倉にかけての話です。
 34回も熊野にもうでたとされる後白河上皇、おじい様で9回の白河上皇たちの時代で西暦1100年前後の話です。
 鎌倉幕府の100年前、関が原より500年も昔、やじさんきたさんより600年以上も前に話です。
 紀州の山々が杉と桧の人工林で覆われるようになったのは江戸時代からだそうです。
 今の熊野古道はほとんどの場所が杉や桧の人工林で覆われています。それが、一般的に言われる『趣がある』とか『幽玄の世界』だとか言われるゆえんになっています。
 古の人々が、熊野に神々を見、仏を感じた時代の熊野古道はどんな雰囲気だったのでしょうかね。
 谷あいには、天然木の杉の巨木が立っていたでしょう。その大きさは今の人工林とは比べ物にならないものだったでしょう。
 巨木以外の場所は・・・山間部では温帯性の原生林でしょうね。そして、海岸線では亜熱帯性の原生林もあったでしょう。どちらにしても、道以外はジャングルだったのでしょう。分け入ることも出来ないような自然林の中にはあちこちに獣道が口を開け、今でもたくさん居る熊や猪、鹿のほかに、日本狼まで闊歩していたことでしょう。
 まさに、おどろおどろしい景色が取り巻いていたことでしょうね。
 それを越えて峠に出た時の景色はほっとするものだったと思います。視界の開けるのは峠かがけっぷちだけだったでしょうからね。
 温帯性の照葉樹林の見本のような山が国道42号線佐田坂沿いに広がっています。この雑木山群は炭焼きが無くなり放置されてから50年あまりです。外からは明るい雑木山ですが全く立ち入ることも出来ず、見通しは全く効きません。このままあと100年ほど放置するとかつての熊野の海岸線の山の再現がなされるのでしょうか?残念ながらここには熊野古道は通っていません。
 しかし、私が見ても、人工林でも美林の間にある熊野古道の方が熊野古道らしく見えますね。
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by je2luz | 2007-05-30 10:59 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 05月 29日

熊野の旅 世界遺産とテレビ報道

 最近のテレビ報道を見ていると、『世界遺産』に関して、やっとその世界的規模と言うものの大きさが分かるような物になってきましたね。
 世界中をきちんと取材したフィルムがそろってきたと言うことなのでしょうが、民間放送も放送協会もスケールの大きな『自然遺産』、度肝を抜くような『文化遺産』を丁寧に報じるようになりました。
 それによって、日本人の『世界遺産』に対する興味と認識度は上がってきたでしょう。
 そのときに、以前から書いていますように、便乗的に・・・、予算ぶん取りの手段に・・・、よく分からんが格好よいから・・・、などというに等しいような動機で立候補を続けた国内の世界遺産群とその候補群が少々・・・大分・・・色あせて見えてて来たのではないでしょうか?
 円高の時代・・・報道で円安と言ってもせいぜい1$=120円台くらいの時代では、アンコールワットを、ボロブドゥールを見に行くのと熊野三山を巡るのや奈良の古寺を巡るのとがほぼ同じ予算で済むのです。
 いつの言うように、自分たちの周りの遺産を大事にすることと、それを『観光』にして、物見遊山の客を呼ぼうと言うのは別のことです。
 先日、偶然見たテレビで、ここ世界遺産の熊野古道が予定と違い旨く行って居ない面を報じていました。ごく控えめに・・・でしたがね。
 上っ面から見てもうまく行って居ない・・・遠慮がちに報道しても旨く行って居ない・・・
 当たり前かとも思います。
 ここは信仰の地です。
 江戸以降に生まれた観光地や観光寺と違い、講を組んで物見遊山にこれるところではありません。
 厄落としと称して、飲んで遊ぶ華やかな遊郭街も無ければ遊女軍団も居ないところです。
 そして、熊野古道も東海道、中仙道などのようにきちんと整備された街道ではなく、そま道みたいなところが多かったはずです。
 ことに、伊勢街道は旅人が歩くためではなく、集落間の連絡道、物流道として部分的に維持されてきたものです。
 いまでも、この辺の熊野古道はおかげさまで静かです。中高年のグループの方たちをたまに見かける程度で俗化はあまりしていません。
 ただ、便乗事業で標識類や街路がやたらと立派に変わっていっています。そして、巨大な観光施設もどんどん整備されてゆきます。せっせと俗化させているのはお役所です。
 報道ではこの面は報じませんね。なぜでしょうね。
 
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by je2luz | 2007-05-29 12:00 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 05月 28日

熊野の旅 大又川の魚 3

 大又川の魚の中で、数が少ないと言う点では「川ムツ」は少ない魚でした。
 私たちはこれを『くそムツ』と呼んでいました。
 生息地は大又川本流よりは水の冷たい支流の谷のほうが多かったようです。冷たい水ときれいな水が好きな魚のようです。谷でつりをするとたまに掛かりますが本流では掛かってきません。

 子供たちに一番親しまれたのが『がぶ』です。『がぶ』とは「川はぜ」ですね。四国で『ごり』と呼ばれるものと同じかと思います。
 この魚は、人懐っこいと言うか馬鹿だと言うか・・・人が川の中で石など動かすと、そのときに出る虫などを狙うのでしょうかどんどん集まってきます。それに、普段も岩盤部分(なべら)に悠然と張り付いて休んでいますので、道具なしでも簡単に取ることが出来るのです。
 昔の子供は小さいときに『ザル』で『がぶ』を掬うところから魚捕りを覚えたものです。今で言うなら保育所くらいでもとれる物です。
 それと、小さい子は手ぬぐいなどで小さなハヤやウグイの稚魚をすくって遊びました。
 私たちはそれを『めだか』と呼んでいましたが、大又川のは「めだか」ではなく「ちぎょ」だったようです。
 すくった魚は『丸呑み』しました。
 『泳ぐのが上手になる・・・』というおまじないでした。

 よどんだ淵の少ない大又川では『ふな』は少ないですね。急流にはフナは似合いませんからね。
 『小ブナ釣りし かの川・・・・』と言う歌詞は年中川で遊んだわたしでも、ちょいとピントがずれて聞こえます。
 
近年では、ダムのため河口まで下れない、琵琶湖産の放流鮎がダムで産卵し多少孵化しているようです。下北山村ではこれを捕獲しようと施設を作り少し捕れていましたが、とても採算の合うものではありませんでした。
 しかし、日本中のダム湖、湖、ため池がそうであるように、この熊野川水系の秘境のダムも『ブラックバス』『ブルーギル』などの外来魚が持ち込まれ、稚鮎どころか在来種の魚が激減しました。
 特定の病気でも発生しない限りもはや熊野川水系から外来魚を駆逐することは不可能でしょうね。
 いまだに、テレビではバス釣りをスポーツであるがごとき放送がなされていますね。
 『自分がよければよい・・・』の典型の遊びだと思うのですが・・・
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by je2luz | 2007-05-28 10:02 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 05月 27日

熊野の旅 大又川の魚 2

 清流で水の絶えることのない大又川は魚の宝庫でもありました。
 『熊野川総合開発』と言う名の国家プロジェクトが動くまではそうでした。
 今では、熊野川水系の河川はダムにより寸断されて、河口からの遡上だけでなく。支流同士の種の交流もなくなっています。これもすでに半世紀になろうとしています。
 大又川に生息していた主な魚
 うなぎ・鮎・・・天然物の遡上が無くなり、もっぱら放流によって維持されています。
 ウグイ・ハヤ・アメノウオ・川ムツ・川ハゼ・どじょう・ふな・・・
 本来この川にいなかったと言われた『タイショウバイ』本名「オイカワ」は、私が子供の頃にはたくさん居ました。この魚、メスは地味な虹色ですが。オスのほうは婚姻色が出てくると、口の周りには真っ黒なごつごつした髭?が出来てくるし。尾びれ、背びれ、胸びれともに立派に成長し、色も鮮やかな虹色になります。
 この魚、格好ばかりで少々馬鹿なやつでした。浅瀬が好きで浅瀬でうろつくのですが、追いかけるとすぐに頭を石の中に突っ込んで隠れたつもりになります。おまけに、体のうろこが荒くて滑らないし、オスなどは頭に滑り止めまで付いていますから、簡単に手づかみできました。
 釣りに行っても簡単につれるし・・・図体は20cmほどあるのでターゲットには面白いのですが、如何せん、骨は硬いし、身が絞まらなくておいしくない・・・猫でも食べたがらない代物でしたね。
 この魚、琵琶湖から来たのだとか言われていましたが、私が子供の頃にはやたらといたのに、大人になった頃には見かけなくなってゆきました。大又川のような急流には適さなかったのか、汚染に弱かったのか・・・
 ウグイ・ハヤ(ハイ)は相変わらず居ますが、大きなのが居なくなりました。
 川自体は富栄養化しているはずなのですが、これらの魚の餌になるものが減ったのでしょうかね。何でも食う連中に見えますが・・・
 昔は、川で洗い物をしたので、一杯寄ってきてご飯粒からなにから何まででも食べていました。大きくならないのは荒いものをしなくなったためではないでしょう。今の方が洗剤交じりの生活廃水は多いのですから。
 『アメノウオ』は昔からいました。
 数が少なくてめったに釣れないし、モリで突くのもむづかしい物でした。
 これは『あまご』が放流されるようになり、元来の『アメノウオはどうなったのやら・・・
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by je2luz | 2007-05-27 11:49 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 05月 26日

熊野の旅 大又川の魚 1

 熊野市の山間部を流れる熊野川の支流『大又川』は源流からすぐと言うこともあり、清流です。
 清流と言っても流域下水道が整備されないままに水道(簡易水道)が設置されたので、生活廃水の流入が一気に増え、さらに、一時は農薬の大量散布で全国の川同様背中の曲がった魚などが増えていました。
 環境問題が社会の常識となって、農薬も早期分解型に変えられ、さらに、山間部では耕作自体が放棄されて使用量も減少し、かなり改善されたようです。
 同じように澄んだ水が流れていても、目に見えない汚染があるので怖いものです。
 流域下水道、農村集落下水道などが検討されたこともありますが、地形の関係で集落一つ一つが小さく、下水を集めるには効率が悪く、高コストになり、とても老人だけで先では放棄される建物に下水を入れる負担金も出してもらえそうにも無く結局は整備されませんでした。
 日本の川の汚染、ことに田舎の川の汚染源はほとんど『生活廃水』です。
 相変わらず、選択や台所での合成洗剤の使用は減らず・・・
 しかし、田舎、山間部最大の問題が、河川の汚染には良い方向に働いているようです。
 年寄りが増えて、油物等も減り、洗濯も減り・・・そして、絶対的な人口もどんどん減って着ました。当然、負荷もうんと減っているでしょう。あと、20年もすると・・・さらに半分くらいになるでしょうから、川はきれいになるでしょう。
 その頃になっても『鮎の放流』は続いているでしょうかね。
 地元の人が楽しまなくなっては、他の観光同様地元の金をつぎ込んでよその人に遊んでもらうなんてことになりますからね。
 そもそも、川に下りる道の草を刈る人も居なくなり、川に近づけなくなるかもしれません。
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by je2luz | 2007-05-26 10:50 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 05月 25日

熊野の旅 久しぶりの雨

 日本一の多雨地帯といっても、飴煮に数が取り立てて多いわけではありません。
 全線の通過、台風に台湾坊主・・・まとまって雨の降る条件の時に、太平洋からの湿気が、さほど高くはないのですが1000m級の紀伊山地の連山にぶつかって大量の雨を降らすのです。
 一日雨量300mmなどと言うのはしょっちゅうあることで、そのくらいの雨だと地元の人はさほど怖いとも思いません。
 だいたい、一日雨量300mmで危ないところに人は住んでいませんからね。そんなところは何千年、何万年の間に崩れてしまい、まだ崩れそうなところは、人間も経験で分かっていますから、昔の人は集落を作ったりしません。
 それでも、都会でもないのにこの辺でも、本来、家など建てるべきところではないところを埋め立て分譲したところがあります。
 旧来の宅地はそんなところには無いのですが、一見、平で日当たりがよさそうなところ・・・つまり、大雨になれば遊水地として水没するところです。
 南牟婁郡の一部にこんな分譲地が作られ、そのために、治水対策事業が随分行われました。根本解決は不可能なのですが・・・立ち退いてもらった方が安いかも分からないのですが、そうも行かないのが日本国ですからね。
 雨の日数が特に多いわけでは無いので、春先と梅雨明け、そして冬場には晴天が続きます。
 運の悪い人は南紀に来て雨に遭い、『日本一雨の多いところだから・・・』などと、不思議と納得して帰られるのだと思います。けっして、そんなことは無く、ほんの少しかわいくない降り方をすることが多いだけです。
 このところ、日照りが続いていました。今日は久々の雨なのですが・・・
 よりもよって、こんな日に熊野古道歩きに来たらしく、歩いている人を見かけました。
 よほど日ごろの行いがよくないのでしょうか・・・
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カメラは メオプタ・フレクサレットV

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by je2luz | 2007-05-25 10:29 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 05月 24日

熊野の旅 本日休載

 
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 雲が光るようになってきました。
 夏ですね。
 今日も一人、熊野市民が減ったようです・・・
 カメラは ツァイス・ネッター523/16
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by je2luz | 2007-05-24 11:51 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 05月 23日

熊野の旅 吉野熊野・・・国立公園・世界遺産

 紀伊山地、奥吉野から南紀にかけては、まさに山又山、秘境のあちこちにポツポツと人が暮らしてきたところです。
 狭い日本ですかっら、人跡未踏などというところはほとんど無いはずですが、普通では人が行くことも無い所が一杯です。そして、そうしたところはどんどん広がっています。
 人工林でさえ、それも、里山に近いところでさえ手入れをする人が立ち入らなくなってきているのですから、この山深い地帯では、過疎の進行もはなはだしく、放置される山林が増える一方でしょう。
 今日の朝日新聞に奈良県吉野郡上北山村のことが載っていました。
 定員7名の村議会議員に欠員が出来、補欠選挙をやらなくてはいけなくなりました。話し合いで集落の長『区長』二名が立候補して欠員を埋めることにして、選挙は回避したそうです。
 この上北山村も歴史は随分古いようですが、今の人口は758人だそうです。
 そもそも、今年の統一地方選4月17日の選挙で5名しか立候補者が居なかったため、欠員が生じると言う異常事態なのです。だから、いかに定員を埋めるかが大変な課題だったのです。
 たった758人とは言え、この上北山村の村域は広く役場のある河合こそ集落の呈をなしていますが、他は最早、隠れ里に戻っています。それだけに、その集落のことを知る地域代表的な議員の必要性もまだあるのです。
 この上北山村は国道169号線沿いに点在するのですが、中心の河合には『道の駅』も『温泉』もあり、通過する人は、けっこう開けていると思うかもしれませんね。更に国道脇には少しはなれた『小処温泉』(こどころ)の標識もあり、温泉好きの人にはそこそこ知られた秘湯です。小処温泉の入湯料も500円とか・・・本当に良い雰囲気のところです。
 かくかように、立派な観光資源と施設を持っていても、総人口はここまで減っています。
 上北山、下北山が合併したところでスケールメリットなどでるわけもなし・・・更に北の川上村、天川村、西隣の十津川村と全部くっついても、面積だけは紀伊半島の真ん中全部を占めますが、人口は5000人になるのでしょうか?
 それでも、合併することになるのでしょうかね。
 かと言って、廃村するわけにも行かず・・・
 これは何も上北山村が特異なのではなく、日本各地の山間部、離島で起きていることです。
 立派な観光施設があり、結構客が居るように見え・・・・・・
 そうそう・・・役場の職員を募集しても応募者が無いなんて事態も起きてきています。
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by je2luz | 2007-05-23 12:38 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2007年 05月 22日

熊野の旅 初夏の味 3

 南紀での初夏の味の横綱格に『なまぶし』があります。
 今では、真空パックされたものが、人間用にもペットフード用にも出回っているようです。
 この『真空パック生節』と『生の生節』は似て非なるものです。
 たしかに、少し乾燥させて真空パックしたものは日持ちがします。パックしたままで冷蔵庫に入れれば随分長くカビも生え無いままです。
 それに引き換え『生の生節』はたとえ冷蔵庫に居ても、端っこから乾燥してしまったり、カビてきたりして、全く日持ちしません。
 同じように、カツオを三枚におろして蒸し揚げるのですが、『生の生節』はそのまんま、市場に出てくるのです。
 『真空パック生節』は包丁で削れますが、『生の生節』は削れません。まな板に置いて、よく切れる包丁で刺身状にするのが精一杯です。
 食べ方は、手でほぐして、好みによって「しょうゆを絡める」、「酢醤油を絡める」などして、ご飯に混ぜて食べるのが手っ取り早い方法です。まさに、『猫まんま』ですね。
 しかし、これがおいしいのです。『オカカご飯』の前身のようなものですからね。おまけに、柔らかなのでふんだんにカツオを使いますから、おいしくて当たり前です。
 他には、『炊きご飯』の具にも使います。これもおいしいものです。
 『生の生節』は時として生臭い時もあります。材料の関係もあるのかと思います。すくなくとも、くっついている『皮』の部分はきれいに取ってから食べた方が良いでしょうね。
 この『生の生節』
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は絶対お勧めの南紀の味なのですが・・・
 如何せん、日持ちがしません。
 おいしいのは、作ったその日かあくる日程度まで・・・
 これでは、みやげ物にもなりませんね。 
 しかし、『真空パック生節』と『生の生節』は似て非なるものなのです。
 熊野でも、いつでも売っているものではないですが・・・
 ぜひご賞味いただけたい『熊野の初夏の味』です。
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by je2luz | 2007-05-22 12:05 | 熊野 | Trackback | Comments(2)