LUZの熊野古道案内

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2006年 12月 31日

熊野の旅 良いお年を・・・

 今年一年少し歯抜けにはなりましたが、何とか書き続けてきました。
 ぐたぐたと書き綴る記事にお付き合いいただいた方々、本当にありがとうございました。
 来年も少しずつネタを探して書いてゆきたいと思います。
 良いお年をお迎えください。
    
            de JE2LUZ 
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by je2luz | 2006-12-31 11:21 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 12月 30日

熊野の旅 初詣事情

 初日の出と共に初詣がお正月の行事ですが、初日の出を見る場所によって行き先も大体決まってしまうでしょう。
 房総半島に初日の出を見に行けばその近くか道中に立ち寄れる場所になるでしょう。小港のお寺とか成田山とか・・・
 日本人にとって初詣はどうやら宗派にとらわれない行事のようです。田舎ではまだ檀家寺におまいりする人が居ますが、これも減っているようです。
 初詣の最高人手を呼ぶと言われる『明治神宮』なんて不思議な存在ですが、場所はいいし境内は雰囲気たっぷりだし・・・私もこの得体の知れない神社に初詣に行きました。
 この辺りでは、一番人が多いのは?混雑するのは『那智山』です。神社とお寺とを一度の参拝できるし、滝にも参れると言うので昔から初詣客の多いところです。それに、ここは行き止まり状の道路の終点にありますからその混雑は大変なものになります。来る人の数や車の数は物凄いと言うほどではないのですが・・・
 熊野三山の中では新宮の速玉神社は隣の神倉神社と共に新宮市内の人たちの初詣で賑わいます。ここも他所から来る人のための駐車場が少ないので混雑します。
 残りの本宮大社は市街地から離れているため地元の人の数は少ないです。世界遺産に指定されてから参拝客が一気に増えた所ですから、来年の初詣も結構多いと思われますが、三山の中では一番好いているのではないでしょうか?
 熊野三山を除くと、初日の出の見物ポイントのところが、日本最古の神社『花の窟神社』です。
 ここも駐車場が少なく込むのですが、熊野三山に比べれば問題になりません。
 国道脇にずらりと車が並びますが交通停滞までは行きません。それに、食堂などありませんが、すぐ脇に「サークルK」があります。公衆トイレは神社の前にありますし、初詣と初日の出を一箇所でやれる場所としては良いのではないでしょうか?
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by je2luz | 2006-12-30 10:45 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 12月 29日

熊野の旅 海から昇る初日の出

 日本中どこでも少しの次官の違いはありますが、元旦には初日が昇ります。それが、山の稜線からだったり、ビルの谷間だったり様々です。
 そうした中で多くの人が集まるのが、高い山の山頂で雲海から昇る日の出と、本物の海から昇る穂の出でしょう。
 日本は島国なので物凄く長い海岸線があります。しかし、その海岸線は東西南北各方向に向かっています。元旦の日の出の方向東南の方向に海が開け水平線まで見通せるところ、さらに、そこに簡単に行ける所・・・と、なるとそんなにたくさんあるわけではないようです。
 ここ熊野市から新宮方面への七里御浜は元旦の時期にはお日様が真正面の太平洋から昇ってきます。海のど真ん中から上る初日の出です。
 国道42号線はこの海岸線を走っていますから、簡単にこられると言う意味では一番簡単でしょうね。迷子になることはありません。おまけに、ポイントとなっているのは『獅子岩』、『花の窟』と言う観光スポットにもなっていますから、場所を探す手間もありません。
 この海岸では、大晦日に108発の花火が上がります。これはかなり以前に熊野無線クラブの有志が始めた物ですが、今では半公のものになっています。花の窟への初詣の人たちが見物しています。真冬の澄み切った空気の中の花火はきれいなものです。
 それから数時間すると、初日の出をミニ来た車で獅子岩周辺は混雑し始めます。
 七里御浜どこの浜に出ても海栗からの日の出が見られるのですが、人間と言うものは、なんか、目標と言うかポイントがないと落ち着かないようで、ほとんどの人が木本海岸から花の窟までのほんの数百メートルの間に固まります。海岸は20Kmもあるのですから、分散すればよさそうなものなのですが・・・
 来年の元旦は晴れるそうです。3日も先の天気予報ですから当てにはなりませんが・・・
 初日の出が見られるかどうかも賭けの様なものです。運試しに。着てみませんか?
 大体、水平線上に雲があり、その上に太陽が昇る形になる事が多いです。水平線から直接対等が顔を出すことの方が少ないですね、
 雲と言っても低い物ですから、その上に出たときのは太平洋に光の筋が走りきれいなものです。一見の価値はあると思います。
 下の写真は去年の物です。
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by je2luz | 2006-12-29 11:14 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 12月 28日

熊野の旅 正月準備 3

 熊野には、取り立てて言うほどの正月行事があるわけではありませんが、正月の料理では他と少しだけ違うものもあります。
 今の家庭では、もう見かけなくなりましたが、この辺りの売る良い江では『寿司箱』と言うものがありました。大きさは、小さくても大体サンマの寿司が7・8本並ぶ大きさです。底も蓋も中に入り込む形の、『押し寿司』の箱です。
 この箱が用意されるほどサンマの寿司は大量に作られました。
 寿司を作る時は、このほかに『のり巻』は当然作ります。そして、定番の『お稲荷さん』、これはこの辺では『アゲの寿司』と言います。このほかでは『だて巻』と言う実に食べにくい物も作りました。今でも、折り詰めなどには一定折ることがありますが、普通の太巻きの『のり巻を』を芯にして更に寿司飯を入れて、甘めの玉子焼きで巻いた物で、とても口に入らない物です。
 この寿司は他でも見かけますが、紀州で割りとポピュラーなのに他では少ないものに、『コブの寿司』があります。
 『コブの寿司』とは『昆布の寿司』です。大阪が昆布の集散地であったことから生まれたのでしょうが、「すしこぶ」と言われる、表面を削って半透明な良質の薄い昆布です。『ばってら』の表面に貼り付けてあるものです。のり巻と同じ太さに巻ける大きさが必要です。
 以前は乾物屋だけでなく地元のスーパーでは目立つ所で売っていたのですが、今では正月前でも目に付く所には出てきません。
 家庭で巻き寿司やサンマ寿司などを作ることが減ったし、海苔巻きやお稲荷さんに比べ、子供向きじゃないのでどんどん減っていったようです。それでも、既製品の『コブの寿司』は、売っています。
 『サンマ寿司』に並んで熊野の味ですから、熊野古道歩きに凝られたときにはぜひ、ご賞味ください。料理屋で食べるようなものではないです。記念通りの市民会館の近くの『ヤマカ』さんと言うお惣菜屋さんにあると思います。スーパーオークワにもあるかもしれません。
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by je2luz | 2006-12-28 10:35 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 12月 27日

熊野の旅 正月準備 2

 お正月には全国共通で御餅という物があります。
 餅は古くから、何があっても行事のたびにつかれて来ました。この辺りですと・・・
 正月・・・お鏡
 節句・・・菱餅
 春の彼岸・・・丸もち
 さなぶり(お植え終わり)・・・塩小豆まぶし餅
 秋の悲願・・・丸もち
 などの年間行事の他は
 厄払い・・・餅撒き用小餅
 棟上式・・・餅撒き用小餅
 命名・・・お供え用、ご近所披露用
 七五三・・・餅撒き用小餅
 などにもちが付き物でした。
 夏以外はまさに年中どこかで餅がつかれて餅撒きが行われていたものです。
 この中でお正月のお鏡については飾り方には差があるにしてもここでは普通の代償に団重ねの物です。
 三宝・タカツキにウラジロシダを敷き餅を載せ上に橙またはトミカンと言うミカンの原種のようなものを載せる簡素な飾り方です。
 そして、お雑煮用や普通に食べるための小餅もたくさん作りますが、ここが関東と関西の違いの出るところです。
 ここは関西ですからこうしたもちは全部丸餅です。薄く延ばして切るのは、お雛様の時の菱餅だけです。お雑煮も当然丸もちです。
 ところが、最近、家庭で餅をつかなくなり、スーパーで買うようになってくると、「サトウの切り餅」なんかの四角い餅が入った雑煮を作る家も増えてきたようです。
 正直言って焼くのは丸餅より切り餅の方が焼きよいです。
 こうした文化も少しずつ変わって行くのでしょうね、
 そもそも、昔は関東から嫁をもらうなんてほとんど無かったですし、嫁は姑に嫌でも仕込まれて、風習を実に付けた物ですから続いてきたのでしょう。
 取り立てて大きな風習もないこの辺のお正月は他所から来たお嫁さんが簡単に変えられます。安心して嫁に来て貰って結構ですが、嫁を貰う若い衆はほとんど居ません。
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by je2luz | 2006-12-27 10:44 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 12月 26日

熊野の旅 正月準備 1

 昔に比べ、各家庭でのお正月の準備や行事が随分簡略化されているようです。
 私の家ではmしめ縄や門松などと言うものはしません。
 以前、母が生きていた頃は鏡餅を持ってきて『飾っときなさい』と、言うので飾りましたが、それ以外自前で用意することも無く、母が居なくなってからは餅が来ないので『お鏡』もありません。
 しめ縄も、何度か買ってきて玄関と車につけたこともありますが、それもほんの数回でした。
 このいえに門松を立てた覚えも無いですね。
 こんな調子ですから、お正月と言っても何の準備も無く迎えます。
 この辺りの門松は絵本に出てくるようなものではありません。あんな、竹のとんがったのを三本縛って足元に松や竹を飾るのは国鉄の駅が以前からやっていましたが、一般にはやりません。
 この辺では地域によって少しずつ違いますが、町中では、松の枝を主体にした松飾の小さなのを玄関先にくくりつけるのや、榊を主体にしたものをくくりつけるのが見かけられます。
 山間部に行くと、材料が豊富だったので庭にくいをうち、大きな榊をくくりつけ松や笹、梅の枝にユズリハなどを飾っていました。家の格で榊の大きさが変わりました。
 山林所有者、いわゆる『旦那衆』(だんなし)の家は大きなものでした。山に自生する榊の中で損な大きなものを切り出して来れるのは所有者だけですから・・・
 今では、どの家も小さなものになっているようです。
 どんなに簡略化してきても、一応、正月準備をする家が多いようですが、近年ではそうしたものも、スーパーやホームセンターでそろえるようになっています。それと共に、どの古風sぐうやら分からないような飾り物が入り込んできて、元の風習など消えてゆくようです。
 本来、しめ縄一本でも地方によって少しずつ違っていたようですから・・・
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by je2luz | 2006-12-26 10:54 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 12月 25日

熊野の旅 ようやく世間並みになりました

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 散り残っていた学校のイチョウの木も、さすがにジングルベルの音を聞いてあわてて葉を落としたようです。
 常緑樹の多い地方ですが、数少ない色の変わる秋の木がようやく冬の景色になりました。
 いくら熊野でも、やはり、冬は冬らしい景色になった方がいいですね。
 今は寒咲き水仙が盛りを迎えようとしています。
 寒咲きという名があっても花が咲き出すと、もう春がそこまで来ているような錯覚に陥ります。 本当の冬はこれからで、まだ、木枯らし無吹いていないのですから紺の気分で居たらいけないのでしょうね。
 それでも、庭先ではカンナの花までずっと咲き続け、菜園では未だにしし唐が元気に実を付け続けています。
 野菜も元気で年中育つので家庭菜園をやれば年中、野菜のかなりの部分が自給できます 。 私は灯油とか焚いての暖房はしませんが、さめ狩りの人は別としても暖房代がかなり安く済んでいるはずです。それに、冬用の被服代も余りかからないし・・・
 経済研究所の話では、ここ熊野と秋田辺りでは冬越しの経費が20万円以上違うようです。所得水準は似たり寄ったりか、熊野のほうが若干低いのですが、この差が随分大きいらしく、亜も出稼ぎ時代にも季節労務での出稼ぎはほとんど見られませんでした。
 灯油が買えなくても、セーターが買えなくても死ぬこともないですから・・・ちょいと庭を耕せば冬でも菜園が出来ますから・・・
 かつて、熊野市の開発の相談役に来られていた人が、『この辺の人は南洋の○○のようですね。』と、言っていました。
 残念ながらここは日本なので座って太鼓を叩いているわけには行きません。子供も学校に入れなくちゃあ成りませんからね。
 それでも、『仕事が無い』と、ぼやきつつ熊野を離れないで居る人が多いです。つまり・・・居られるってことなんですよね。
 いいところなんでしょうか?
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by je2luz | 2006-12-25 12:15 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 12月 24日

熊野の旅 他所並みに・・・

 今年はサンマが小さめで安かったようですが、熊野ではサンマは小さいもが喜ばれました。
 過去形で書いたのは、食生活の変化で他所並みに『油の乗ったサンマ』が普段は喜ばれるようになってきたからです。
 冷蔵庫に普及で生のサンマが簡単に保存できて食卓に登るようになったから、ジュウジュウ言うサンマが美味しいと熊野でも言われるようになりました。
 昔はサンマは丸干しは味醂干にして日持ちさせたものを食していましたし、正月をはじめ結婚式でも山に神でも何かがあれば必ず『サンマの寿司』を作ったものです。
 こういう食品にする時は、油の乗ったサンマでは旨く出来ません。
 丸干しは旨く乾燥せず腐りそうになります。味醂干は一軒乾いたようになりますが、焼くとベチョベチョですぐに焦げます。寿司に到っては、寿司のネタ、『寿司菜』にするために酢に漬けてもはじかれてしまって絞められません。一見きれいな寿司になりますが、酢の効いていない寿司は日持ちもしません。
 昔はこんな食べ方でしたから、脂があると困ったのです。
 今でも、干物加工用と寿司用は小型で油の無いのが必要なのです。
 『今年のサンマは小さい』などと言われていましたが、中途半端に小さく油が少ないだけで、熊野の欲しがる痩せたサンマではなかったのです。
 ここに来て、ようやく油の無いサンマが上がりだしたようです。正月の寿司用にかろうじて間に合った感じです。これで、丸干しも本当に美味しいのができるでしょう。
 このサンマ、焼いても煙が出ません。ジュウなんていいません。ダイエット食品並みですね。生食用ではなく加工用になるので、一杯獲れても漁師さんはお金になりません。どうやら今年は豊漁貧乏になりそうです。
 下のような大きなサンマでは本当に美味しい丸干しにはならないのです。
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by je2luz | 2006-12-24 12:32 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 12月 23日

熊野の旅 忘れられた地名・水谷茶屋

 各地で住宅表示や合併による地名変更が盛んに行われています。そして、消え去る地名もたくさんあるようです。
 その中には由緒ある地名もあり、跡で復活運動が出たりするようです。
 先日の熊野古道関連事業の木本町本町の舗装工事も同様ですが、地域密着の事業でも民意がきちんと聞かれることは無いからです。
 今話題のタウンミーティングのようなものを開きますが、開いた実績を作るだけの場合がほとんどです。地域に密着すればするほど、役員さんとかに根回し済みで、反対意見など挟みにくい雰囲気になります。それに参加者はほんのわずかなのが現状です。
 正式の地名でさえ変更され時間が経過すると人々の記憶から消えてゆくものです。
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 ここの交差点には『水谷茶屋』と言うバス停がありました。
 一番最初の国道42号線はここから左に曲がって急坂にかかり、『評議峠』を越えて行きました。バスが走る前から評議越えの道は結構使われる道夫だったようです。そして、荷物を運ぶ牛車や徒歩の人のために茶店があったようです。
 ここの字名は西川町になるのですが、バス停の名前は『水谷茶屋』になりました。
 私のように山間部の人間にとっては結構なじみのバス停だったのです。
 それと言うのもここのすぐ奥に『三重県立木本高等学校』があり、山間部からのバス通学生はここで下車したからです。昭和45年くらいに今のルートに国道が変更されバス路線がそちらに移るまでに木本高校に山間部から通った人だけになじみのバス停と言うことです。この路線はそれ以外の人が使うものでは無かったですから。
 バス停がなくなるとすぐに地元では忘れられてしまった地名ともいえます。
 今、木本で『水谷茶屋』と言って分かる人はどれだけ炒るでしょうかね。
 カメラは ツァイス・イエナ。WERRA3
熊野三山と熊野の地図へ   ←←←←をクリックすると案内図が開きます。
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by je2luz | 2006-12-23 11:19 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 12月 22日

熊野の旅 これは何でしょう?

 熊野の海には決められた所からしか出られません。
 台風常襲地帯で高潮被害に泣かされてきたこの辺りは、伊勢湾台風の大災害の跡で巨大な堤防が海岸線一帯に作られているからです。この工事は営々として継続されておりまだ続いています。と言うか、まだほんの少しですが堤防の完成していない場所があるのです。
 熊野古道歩きに来られて国道42号線沿いに走られても、歩かれても、木本町の海岸では海も浜も見えません。あちこちに設けられた小さな開口部から浜に出るようになっています。
 山の方から海に向かう道がぶつかった所にはこの通路が付けられています。いわゆる入り浜権の確保のようなものです。
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 この浜の入り口には厚い轍の樋門が取り付けられています。この樋門は台風の接近などで高潮警報などが出ると消防署によって締められれます。夏から秋にかけての台風シーズンには何日も締まったままになっていることもあります。
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 この通路を通ろうとすると、壁になにやらややこしそうな注意書きとそのそばにオレンジ色の2mほどの筒がかけられています。
 これは救助用の物です。
 ここの海は波打ち際からの落ち込みが激しく波も荒いので、波打ち際で遊んでいて、波にさらわれると自力で帰れない人が多いのです。私たちの世代はこの浜で泳いでいましたから、体力さえ残っていれば帰るすべは知っていますが、今の人は若い人でも出来ません。
 海に流された人を見つけたら、この筒を投げ込んでやるのです。
 潮の流れのやや上流から投入すると筒が流されて近くに行くこともあるからです。確率が低い様でも、波の荒い時にはこれしかないのです。これにすがって、磯崎漁港などからの救助の船を待つしかないからです。
 昔は物干し竿などの竹ざおを放り込んだものです。今では、水に浮く竿なんかある家もほとんど無いですし、そんな常識も忘れられていますから、こうして浜の入り口に常備されているのです。
 普通の人にはほとんど見ることも無いし、まして使ったりお世話になったりすることの無いものですが、これを機会に、頭の隅にとめて置いてください。
 カメラは コンタフレックス4+プロテッサー35mm
熊野三山と熊野の地図へ   ←←←←をクリックすると案内図が開きます。
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by je2luz | 2006-12-22 11:05 | 熊野 | Trackback | Comments(0)