人気ブログランキング |

LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ

<   2006年 10月 ( 28 )   > この月の画像一覧


2006年 10月 30日

熊野の旅 局線工事のため写真のみ

d0045383_1484022.jpg


d0045383_1491665.jpg


by je2luz | 2006-10-30 14:09 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 10月 29日

熊野の旅 何がそこにあったのか・・・

 先日載せた小さな呉服屋さんらしき店のあとでもそうですが、人間の記憶と言うものはいい加減なもので、そこのあるときは日常目にして当たり前のものでも、姿を消すと割合とは焼く忘れてしまうものです。
 店舗などはそうして忘れられてしまうものの典型です。買い物したことの無い店はすぐにそれがどんな店はと言うことは思い出せなくなります。
 昨日の写真のような店は看板を見たときは、『ああ、ここに持ち帰り寿司があったんだ・・・』と分かりますが、看板を外してしまったお店は本当に分からなくなります。
 木本の商店は前にも書いたように商売をやめるとすぐに町屋に戻ってしまうことが多いのですが、主がいなくなったりすると締められたままになります。
 店舗と住居が一緒になった尾に背がほとんどですから商売をやめてもそこに住んでいなすから人口は減りません。しかし、どんどん歯抜けになってゆき寂しくなります。
 それでも、統一したような立派な店構えの商店街になっていなかったので半分も店が無いような所まで来てもよそから来ると、一見普通の町並みには見えます。それは、他の地方都市の商店街がなまじ立派な商店街になっていて歯抜けが起きた時に真っ暗でシャッター通りになるからです。そこまで、立派にならなかったことが幸いだったのか???
d0045383_11174383.jpg

 珍しくシャッターが付いているこの角の閉められたお店は、服地屋さんだったのか???脇の通り側にはガラスブロックが入っているけど・・・ 珍しくシャッターが付いているこの角の閉められたお店は、服地屋さんだったのか???脇の通り側にはガラスブロックが入っているけど・・・その隣は履物屋さんだったような・・・
 私にはその程度の記憶しかありません。
 十年ほど前にこの商店街をアーケードで覆うような計画を建てたこともあります。既にその頃には商店も減少しているので公費を投入しても負担金の出しようも無く・・・やら無くてよかったと私は思います。通りは真っ暗になるし、薄暗い状態でも電気は垂れ流しだし、防災上も良くないし・・・
 そうなっていたら熊野古道歩きに来た人は今以上に寂しい商店街だと思ったでしょうね。
 この商店街で次の世代の跡継ぎが店に入っているのは数軒だけですね。
 皇紀2600年の記念通りが『ここに商店街ありき』の記念の通りになりそうです。いくら古くなっても世界文化遺産にはなりそうには無いですが・・・
熊野三山と熊野の地図へ   ←←←←をクリックすると案内図が開きます。


 

by je2luz | 2006-10-29 11:26 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 10月 28日

熊野の旅 こちらにも廃店舗が・・・

 木本の新しい方のメインストリートの記念通りも開通してから65年ほど経っています。その年月の間には当初何m内田圃の真ん中に作られた通りにポツポツと店が立ち始めそして両脇が店舗で埋まる全盛時代、戦後しばらくの人口増などによる商業の隆盛、そして高度成長期からの急激な人口減、さらに近年の老齢化の進行などがあります。
 よその町では立派なアーケードの商店街が形成された代わりに閉鎖店舗は住まいにもならず廃墟と貸すものが多いのですが、記念通りはそこまでの商店街の形ではなかったので、廃業したお店は表をちょいと改装して町屋となっていったものが多くあります。
 しかし、一部は奥行き1間ほどのペッチャンコの建物で店になっていたものがあり、そこは住居にもならず、借り手も現れず、締めたままのものもあります。
d0045383_12385811.jpg

 これは持ち帰り寿司の走りとして二昔以前に開店したものです。当然、チェーンのものでしたが、定着できずに閉店し、ずっとそのままです。今ではここは締まっているのが当たり前の風景で地元の人には一種の塀みたいな物で廃店舗とは見えなくなっています。
 いまはやめた店もありますが、この町は寿司屋だらけなのです。レストランもまともに無い小さな町に寿司屋は一杯あったのです。電話一本で配達してくれるまともな寿司が過当競争で結構安かったので持ち帰り寿司が受けなくて当たり前だったのです。そういう時代に進出してきたので商売にならなかった訳です。
 今は以前のように気楽に寿司屋に頼む習慣も薄れてきていますが、若い人は寿司は100円の回る寿司だと思っていますし、今は記念通りには木本高校の通学生と地元の人しか歩かないのでやはり駄目でしょうね。
 このすぐ横で、地元のお惣菜屋さんが出店しています。そこはお惣菜と地元でなじみのサンマ寿司やお稲荷さんを売っています。そちらはきちんと商売になっているようです。
 時代が変わって手抜き主婦と一人住まいの老人が増えてきたのでこうしたお惣菜は良く売れるようになってきたのかもしれません。
 そうそう、このお店ならカンマの寿司を買うことが出来ますよ。お土産用ではないですが・・・駅から松本峠に向かう時の右側、市民会館の30mほど先です。市民会館の手前角の寿司屋さんでもあるかも・・・

by je2luz | 2006-10-28 12:54 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 10月 27日

熊野の旅 隆盛をしのばせる・・・

 熊野市の中心、木本町が栄えたのは紀勢西線の終点であった頃です。紀勢本線が全通した昭和30年代の半ば頃からは時代の変化と共に人口の減少も始まりました。そして、地元の人が始めた『主婦の店』チェーンの『オークワ』と言うスーパーマーケットの出現が小さな町の商業の地図を塗り替えました。
 木本は古い方の『本町通り』と皇紀2600年にあわせて命名された新しい都市計画道路の『記念通り』の二本の道で構成されています。記念通りが出来てもまだまだ本町通りは老舗も多く、近在の買い物客も足も本町に向かっていたのですが、記念通りにスーパーが出来、スーパーでの買い物が人々の習慣になると共に買い物客の足が記念通りに向くようになりました。
 駅からも近く、バス通りでもある記念通りと、狭いためにバスも通らなくなった本町の差は歴然としていました。
d0045383_12122921.jpg

 本町通りは当然のように専門店の通りです。500mほどの通りなのに酒屋が4件酒問屋が1軒あるくらいでした。金物屋3軒、呉服屋2軒、履物屋3軒・・・アイスキャンディー製造販売も4軒もあったくらいです。良くこんなに同じ業種が並んでやって行けたものです。茶碗やなど本当にすぐそばで向かい合っていました。
 最初は中心が記念通りに移ってゆくと言う減少でしたが、途中からは何処の田舎でも見られる全部が落ち込むと言う方向になって居ます。
 パイが小さくなったのにスーパーが二社三店舗、ホームセンター二社二店舗、大型薬局二店舗など近郊型の大型店舗は一人前に揃っています。
 当然のように個人商店は跡継ぎを作ることも出来ません。閉鎖した店や当代限りの店が並ぶことに成ります。
 熊野古道散策などには鄙びた良い町並みに見えるでしょう。鄙びているのではなく寂れているのですが・・・
 お待ちください。この通りが石畳のある道路に生まれ変わります。勿論、世界遺産効果です。意味がなくても予算が付いてきますからね。そろそろ工事にかかります。
 熊野古道を歩いて先人の苦労とエネルギーの大きさを感じ、町に下りてきて現代人の愚かさを感じるのもいいかもしれませんよ。
 この膨大な税金投入が無駄にならないように、せめて皆さんが熊野古道歩きに来てください。
d0045383_123202.jpg

熊野三山と熊野の地図へ   ←←←←をクリックすると案内図が開きます。

by je2luz | 2006-10-27 12:32 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 10月 26日

熊野の旅 三重県立木本高等学校 2

 木本高等学校は谷あいのような狭い所にはめ込まれたので、基準を満たさない運動場の拡張も出来ず、敷地は女学校創立以来ずっとそのままです。
 木造平屋建ての校舎を建て替えて校舎の位置が少しだけ下がったくらいしか変化が無いのですが、正門の付け替えとともに校内の面影は全くありません。
d0045383_11221819.jpg

 これが今の木高(もっこう)の様子です。古い世代の卒業生には懐かしくもなんとも無いでしょう。しかし、改築後年月が流れてきていますから、ネットでこれを見るくらいの年の人ならこれの方が懐かしく見えるのではないかと思います。
 木高には世代を超えて同じものをみてきたものがあります。
 それは周囲を取り囲む槙垣です。そして周囲を通っている道路です。
 正門前の道路は片側が川なので変化が無いのですが、ほかの三方は車がやっとの狭い道なのでこれまた変化が無いのです。
d0045383_10582070.jpg

 これは奥の角にあるお店です。
 昔は学生さん相手に営業していたのですが、今では自動販売機だけになってしまいました。かつてはお腹をすかせた学生のお腹を満たしてきた店です。
 お店は次の写真の裏の道にもあったのです。
 小さな駄菓子屋さんでした。こちらの方が便利なので私などはこちらを利用していました。
d0045383_1135570.jpg

 この立派な槙垣の途中、左側にあったのです。
 登校した生徒が途中で学校を抜け出すことは禁止されています。そして、こちら川に出る小さな門はいつも閉鎖されていました。こちら側には出られないのです。しかし、塀が生垣ですから。根元にはトトロの漫画じゃないですが潜り抜けられる穴が開いていました。
 学校は時々針金を張りましたがすぐに取り払われました。
 学生がやったのかお店の人がやったのかわかりませんが・・・
 このお店もなくなっています。それでもこの景色はちっとも変わりません。
 木高の生徒ならこの学校の周りの道を走らされたことがあると思います。一周600mあまりでしょうか、車も来ないし、走らせるにはもってこいの外周道路です。
 この風景はここに木高がある以上、これから先も変わる事は無いと思います。
カメラは オリンパス35S・1955年製

by je2luz | 2006-10-26 11:16 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 10月 25日

熊野の旅 三重県立木本高等学校 1

 紀勢線の列車の窓からも見えますが、木本町の山手の谷あいのような所に木本高校があります。
 通称、『木高』「もっこう」と呼ばれます。
 この学校の前身は旧制木本中学校と旧制木本女学校が新制高等学校になるときに合併したものです。そして、敷地は女学校の物です。
 木本町はこの地域の中核として栄えたとは言え人口もさほど大きくない町です。そんな田舎町に旧制時代に中学と女学校を持っていたのです。結構子弟の教育には熱心だったのでしょうね。
 私が在学した頃にはまだ女学校時代の木造校舎で授業をしていました。講堂なども木造のものでしたが、卒業後に次々と建て替えられ今では何も残っていません。
 昔の校門は形だけ残されていますが、出入りは出来ません。
d0045383_128856.jpg

 改築が進み新校舎になったときに取り壊しの予定だったようですがOBの要請で残すだけは残されたようです。
 この門は旧制時代からのものですから、今生きている一番お年寄りの女学校でのおばあさんから昭和40年代まで位の卒業生には懐かしい門になります。
d0045383_12125568.jpg

 位置的に校庭の真ん中よりの所にあるので具合も悪いのでしょうがなんとも無粋な閉鎖の仕方をされています。
d0045383_1215423.jpg

 旧校門の位置から通学路を振り返るとその景色は半世紀ほど前から変わっていません。左手が槙垣、右手には西郷川です。昭和40年ごろに道が舗装された以外は変わっていません。
 古い卒業生が母校を訪れても校舎は見たこともないものばかりで懐かしくないですが、この外回りの景色は全く変わらず懐かしいものです。
 新制高等学校になってからでももう半世紀を越すのですね。その年数掛ける500人近い数の青春がここにあるのです。良い想い出も苦い想い出も・・・
 今の学生さんには無い『プラトニック・ラブ』なんてのが 一杯あったのです。
 今回は私がここに入学した頃に使っていたのと同じカメラを引っ張り出して撮影しました。
 当然、このカメラで仲間を写し、可愛い子を写しました。当時は女の子と肩を寄せてピースをする時代ではなく、半分盗み撮りでした。そんな思い出の場所が敷地の中ではほとんど消えてしまっています。
 そのカメラは オリンパス35S・ズイコー45mm2.8
熊野三山と熊野の地図へ   ←←←←をクリックすると案内図が開きます。

↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください

by je2luz | 2006-10-25 12:32 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 10月 24日

熊野の旅 秋 熊野古道も暑く無し

d0045383_12145990.jpg

 南紀にも秋が来て空が高くなってきました。
 熊野古道は日陰が多い山の中が多いのですが、日陰でも急坂の峠越えばかり残っています。街道は平地にもあったのですが時代と共に変わって行き今では市街地や国道に飲み込まれています。
 江戸時代とかに栄えた街道、宿場はそれなりに整備されていたので中山道馬籠のように近代までその姿を残して保存されている例もありますが、熊野古道、それも三重県側の伊勢街道となると宿場自体がきちんとあった訳でもなさそうですから・・・
 ハイキングよりきつい道の多い熊野古道歩きには矢張り真夏はしんどいでしょう。秋から冬に掛けてが天候も安定し気候もいいでしょう。
 熊野古道と言ってもその延長は実に長く、それだけ色んな場所を通っています。
 紀伊山地の山中を通る所は冬になると霜がおり寒い朝には道が凍ります。熊野市の松本峠や大吹峠などは海を見ながらの峠越えなので真冬でも凍ったりすることはありません。共通するのは山越えの峠道だと言うことです。
 夏場は和歌山県側の中辺路道へ真冬は海に近いこの辺の熊野古道へ・・・などと、楽な方へ流れていたのでは熊野詣のご利益はなくなってしまうのでしょうね。
 今時、熊野信仰でこちらに来られる人も少ないでしょうから、ベストシーズンに楽して熊野古道歩きを楽しめば良いと思います。
 ただ、山中の熊野古道以外の暖かい場所では紅葉は楽しめません。ぽつぽつ点在する紅葉輪探して鑑賞してください。

by je2luz | 2006-10-24 12:31 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 10月 23日

熊野の旅 木本町 こんな店も・・・

 木本町は地域の拠点として賑わったと書いてきました。事実、今は本町や記念通りといったメインストリートでも店が減り取り壊されて空き地まで増えてきました。よそでは『シャッター通り』などと呼ばれるようですが、木本ではシャッター付きの店舗に改装することなく細々とやっていた店がなくなるのですからシャッター通りにはなりません。店先の戸を普通の家風に直すくらいです。
 かつての木本では表通りは勿論横道と言われる細い道にもお店が並んでいました。今でも、八百屋とか魚屋は細い道にあります。本町などに店を構えるのは大きな店だけだったのです。
d0045383_10463922.jpg

 この古風な佇まいの家は良くみると小さな陳列(ショーウインドウ)を持っています。この家は今のメインストリートの記念通りから一歩入ったところにあります。表の角にあった時計屋の隣で四辻からは見える所です。
d0045383_10504137.jpg

 陳列の横には下をタイルで張ったモダンな格子の入った出窓・・・いかにも昭和前半の建物です。
 私どころかこの近所でずっと商売をしておられる方もここが何であったか考えないと出てこないほどですが、小さな呉服屋さんだったそうです。木本には老舗の呉服屋さんもありますが、こうした小さなお店でも呉服屋さんがやれたと言うことは近郷からの買い物客で賑わったからでしょうね。
 私に家の近所でも、もんぺと着物を売っていた店もありました。それできちんと子供も育てられたのです。
 こんな風なお店もどんどん無くなってゆき、寂しくなってゆきました。地方の町は皆こうして小さくなってゆくのでしょうね。人間が老いると縮むように町も老いると縮むようです。
カメラは コダック・シグネット35・エクター44mm
熊野三山と熊野の地図へ   ←←←←をクリックすると案内図が開きます。

by je2luz | 2006-10-23 11:01 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 10月 22日

熊野の旅 熊野古道関連工事

 以前に触れましたが熊野古道の世界遺産登録を目指すあたりから関連公共事業がちょいちょい見られるようになりました。
 木の看板から始まって次々に看板を挿げ替えてゆく事業・・・山の中に手すりをつけ辻業・・・町によっては大きな会館を立てる事業・・・球形所を作る事業・・・色々考え付くものです。
 ここ木本町は熊野古道の浜街道の一部ということで本町筋を石畳にする計画が実行に移され始めました。関西電力による電信柱の立て直し、水道部による水道管の検査が始まりました。
 電線の完全地中化は出来ないようです、乱雑なのは整理されるでしょうがね・・・
 水道管も大きな町でやっているような耐震構造の管に挿げ替えることは無いようです。結構老朽化したものをそのままにするようです。水道事業も人口の減少で売り上げが計画より少なくなり本管を挿げ替えるような金はありませんからね。大きな地震があったら割れるのでしょうか?
 私はこの工事自体に反対です。
 この町筋は一度も一箇所も石畳であったことは無いのです。城下町でも門前町でもない田舎の漁師町でしたからそんな大層な道があるはずも無く地道でした。すぐ脇の七里御浜の砂利で出来た地盤ですから砂利を敷き詰めた道でした。昭和30年代に入るまではこの道を下駄履きで歩く人が多かったのでガチャガチャ、ザクザクと結構うるさいものでした。
 昔の風情を求めるなら今では珍しい砂利道にすれば良い訳です。
 この切り石を部分的に生める石畳の道を作るのは随分前から流行っている手法ですね。『町おこし』『再開発』などと言う名目でこれをやっている町を随分見ました。ものすごく金をかけたのが一目瞭然で首長の手柄なのでしょうが、確かに町の体裁は整いますが、それがどうなのよ・・・と思ってしまいます。そんなことをやるときは、商店の閉鎖が続き過疎も進んで末期症状の所が多いのです。木本町の本町通りなどは昭和50年代には衰退し、最早焦点も無い所にどうして何千万も掛けるのか・・・土方と計画した人間以外の誰が喜ぶのでしょうね???
 まあ、それでも工事はやるそうです。
 この道は県道です。しかし、世界遺産関連で国のお金が優先的に出るようですね。
 これがあるから、世界遺産登録がお役所にとっては魅力的なのですね。
d0045383_11583650.jpg

カメラは ツァイス・コンタフレックスIV+プロテッサー115mmf4

by je2luz | 2006-10-22 12:02 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 10月 21日

熊野の旅 木本町町並みと看板

 木本も古い町です。
 少なくとも坂上田村麻呂が活躍した時には海賊・豪族がここを根城にしていたのですからきちんとした集落があった訳です。
 江戸時代の古地図にも熊野古道の勝本峠からの道が木本に入った親地町(おやぢまち)の部分から今の新出町にかけてきちんと道路があります。ただ、家のあるのが両端で真ん中には無かったようです。これは前にも書いたように井戸も掘れない今の本町筋には住みにくかったのでしょう。
 大火があったとも聞かないのですが、伊勢湾台風の頃でも堤防は低かったのだし、その前は全く無かったのですから、高波や津波では随分被害を受けたものと思われます。
 そのせいか江戸時代からとか言う建物は残っていません。それでも明治位の建物が残った街並みです。それに、ここは商業の町として栄えた所なので親地町から本町通りは昔は商店が軒を連ねていたのです。
d0045383_114477.jpg

 古い町並みを歩く楽しみの一つに家並と古い商店に掲げられた古い看板を見かけることもあります。改めてこの通りを看板を探しながら歩いてみたのですが、それが無いのですね・・・
 ほとんどの店が廃業してしまったと言うこともあるのですが、それにしても全然残っていないに等しかったですね。
d0045383_1145379.jpg

 上の写真は木本で一番老舗の酒屋さんの看板です。こうした看板は昔では大店の証として見られた物ですが今では貴重ですね。この店の廃業も近いのではないかと思われます。
 下のものは新宮の醸造元の宣伝看板でこうしたものを配ることも無いですし、貴重なものでしょうね。改装していない古いままの店の軒下に目立たなく掛けられていました。
 私の目に止まったのはこの二つだけという寂しい町並みです。かといって今流の看板に架け替えたのではなく、看板自体がなくなってしまった普通の町屋が並ぶ通りになってしまった訳です。
カメラは コダック・シグネット35
熊野三山と熊野の地図へ   ←←←←をクリックすると案内図が開きます。

by je2luz | 2006-10-21 11:14 | 熊野 | Trackback | Comments(0)