LUZの熊野古道案内

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2006年 08月 31日

熊野の旅 秋色・・・丸山千枚田 3

 役所の助成もあり、山に戻るかと言われていた千枚田も今はきれいに耕作されています。
 こうした棚田は田から田へ順番に水を送って水田稲作をするものです。段々の途中で耕作放棄した田圃が出るとそれから下の田圃では工作できなくなります。集落全体の協力が必要なのです。
 今の農業の現状ではもっと平らなところで耕耘機が使えるところでも耕作放棄される田が増えています。近所の人に頼んでも引き受けてがないのです。老齢化もすさまじいものですから集落で一番若いのが40代とか50代なんてところもあるのです。
 こうした段々の山田を維持することはとても不可能に近いことなのです。
 農業後継者とかいう問題を通り越した実態だからです。
 観光資源化したといっても、丸山千枚田に人が訪れても入場料が取れるわけでも無し、田の畦を踏まれて痛むとか、家を覗かれるとか、あまり良くない面も増えています。
 よそでは観光と地元の生活がぶつかってぎすぎすしているところもあるようです。幸いなことにこの丸山千枚田は家並が観光対象でもないし、道路に面した家も無いので救われているようです。
 この採算性の悪い山田を維持するには米の収入にプラスするものが無くてはなりません。そこで考えられたのが『オーナ制』です。
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 田圃の耕作権をよその人に買ってもらい、育成管理をしてその管理費を収入にしようと言うものです。オーナーは田植えや稲刈りと言った行事に参加でき、秋にはお米も送ってもらえると言うものです。梨のオーナー制度、りんごのオーナー制度など色んなオーナー制度が行われていますがその一つです。
 スポンサーが付いた水田にはこうして木の札が立っています。役所も一生懸命オーナー探しをしているようです。役所関係のオーナーも見かけられます。
 かなり熱心にオーナー探しをし続けないと大変だと思いますね。なにせ、熊野は遠いですからお米作りが体験できるだけならもっと便利な田舎が一杯ありますからね。
 もう一つ、本当にこのまま老齢化が進んだら、オーナーの田圃の管理が出来なくなりますね。自作農を兼ねて貸し出ししているからやってられるのであり、オーナー田のためだけに工作に通うことも出来ないからです。全部にオーナーが付くなら出来るかもしれませんが、難しい問題も抱えています。
 しかし、今は見事な棚田が復活しています。
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by je2luz | 2006-08-31 11:57 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 08月 30日

熊野の旅 秋色・・・丸山千枚田 2

 収穫期を迎えた丸山千枚田ですが、まだまだ真夏の太陽が照り付けています。
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 じりじり照りつける太陽の下であちこちに案山子が立っています。今様の材料で作られた案山子ですが、どうやらこれはすずめ対策ではなく猪や鹿対策のようであぜ道のそばに立っています。
 田圃はすべて電気の流れる垣根で取り囲まれています。近年増えているイノシシ対策のようです。垣の高さが低いので今のところイノシシのようです。これに鹿が加わると垣の高さは倍になってきます。この設置も棚田ゆえに大変だと思います。全部囲んであっても一部新入されて稲がぐしゃぐしゃになったところもあります。収穫直前になると現れる大泥棒です。
 都会の人はイノシシも鹿もはては恐ろしい熊までも「可愛いのに・・・」とか「かわいそう・・・」と、保護を叫びますが、実際こうした山の中に住むと生活の基盤は脅かされるし、場合によっては命まで危なくなるのです。
 田舎の百姓家は今でも外便所で庭を通って便所に行くところが多いのです。夜中に庭にイノシシが出てトイレに行けなかったなどという話もしょっちゅう出てきます。庭の周りにイノシシ、鹿よけの垣根をめぐらして檻の中に住んでいる家もたくさんあります。今のところ熊の出没が少ないだけましかもしれません。
 かつてはたくさんいた漁師や遊猟者も段々歳を取って減少傾向にあります。山を走り回るのはものすごい体力が要りますから遊猟者と言えども遊び半部員では出来ないからです。これから先、有害動物を駆除する『鉄砲持ち』がどんどん減り、動物は増える一方でしょうね。
 その頃には山里には人が住まなくなっているでしょうが・・・
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by je2luz | 2006-08-30 11:02 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 08月 29日

熊野の旅 秋色・・・丸山千枚田

 昼間は残暑と言うよりまだまだ真夏と変わらない気温のこの頃ですが、作付けの早まった水田はもう開き真っ盛りです。
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 本当なら少し肌寒い風が吹き渡る秋の田の風情が欲しいところですが、そうも行かないのが今の田舎の風景です。
 ここは丸山千枚田です。近年ではテレビにも時々取り上げられるので観光客もたくさん訪れます。たくさんといっても。昔の0に比べての話です。ポツポツ見かける程度です。
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 千枚田の真ん中辺にある見晴らしの良いところにこの看板があります。平成6年とあります。今から12年ほど前に荒れ田になりつつあったこの棚田を復活させたのです。
 勿論、地元のお百姓さんの協力があったから出来た話です。しかし、地元に残っているお年寄り達の手に負える状況ではなかったのです。作りたくても、以前にも掲載したような山から引っ張る水路の維持、機械の入らない田圃が多い非能率な田、若い量動力は居ない・・・こんな状況で泣く泣く耕作を放棄してきたのです。
 当時の三重県知事北川正恭・現早大教授が東紀州活性化の一環として復旧事業を強力に推し進めたものです。山と化していた荒れ田の復旧には補助金を入れ、今の行われている『オーナー制』をはじめて大々的に客を募集する。知事自らが田植えや稲刈りにやってきて話題づくりに精を出す・・・お陰でこの築が山になってしまうことを遅らせることが出来ました。
 この看板には『紀和町長』とありますが、昨年平成17年11月にこの『紀和町』は消滅しました。南牟婁郡一市三町一村の大合併が成立せず、残骸のような紀和・熊野の合併が成立したのです。呼び方は一部の合併に様な『区』なんて使いませんでしたから。『紀和町』のままです。南牟婁郡紀和町から熊野市紀和町になったのです。つまり、私にとってはここも『市内』なのです。
 山間部の静かな集落にも見物人がそこそこ訪れていますが、普段の時に売店を空けて商売になるでもなし・・・地元の人にとっては結構邪魔な存在かもしれません。
 わらぶきの古民家なんて無いから良いですが、そんなものでもあったら観光客は喜ぶでしょうが、覗き見されておちおち生活も出来ないでしょうね。
 まあ、公費を使ってこの辺には存在しなかった『田舎らしい古民家』を立てなかっただけましでしょうか?
 おかげでこの地区は田舎のまま残っています。都会から遠いので野次馬もたどり着きにくいですからね。
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by je2luz | 2006-08-29 11:00 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 08月 28日

熊野の旅 取材に行きました

 少し休みましたが、今日、紀和町に取材に行ってきました。
 カラーの分は後になりますが、モノクロの分は明日から掲載します。
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 今回はうえのカメラのテストを兼ねて出かけました。たぶん無事に写っているとは思うのですが・・・
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by je2luz | 2006-08-28 14:47 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 08月 26日

熊野の旅 空から見た熊野市

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 写真は高度約3000mのジャンボ機から見た熊野市の中心部の写真です。知人がデジタルカメラで撮ったものの一部です。
 このあたりを掠めて飛ぶ飛行機もセントレア(中部国際空港)が出来てからは少し見かけます。以前は自衛隊のジェット機が低空で抜けて行くくらいでしたが、航路が変更なったのでしょうね。かなり沖合いを飛ぶものとかなり内陸を飛ぶものがありますが、高度が上がっているので爆音は聞こえません。
 飛行機から見るとかなり特徴のある地形が無いと場所が確定しにくいものです。熊野市の場合、伊勢志摩から続いてきたリアス式海岸が切れて20Kmにも及ぶ弓なりの七里御浜が始まるので非常に分かりよいところです。これの反対側が新宮市になります。
 木本町と言うのはものすごく狭い範囲です。
 矢印のところが私の自宅です。そのすぐ左側からは井戸町に入ります。右上にかけての狭い範囲だけです。この小さな町に江戸時代から始まったのが熊野大花火の始まりです。今でも古い人は『木本の花火』と呼びます。
 会場は写真下側の砂利浜になります。我が家がほぼ中心で左右、正面から打ち上げがあります。右側の磯が鬼ヶ城になり、呼び物の『鬼ヶ城大仕掛け』の置かれるところです。
 浜と待ちの境に国道42号線が走っています。鉄道、紀勢線は自宅のすぐ上のこんもりした森のすぐ上を通っています。便利と言えば便利です。何せ狭いですから・・・
 もう少し広い範囲が移っていますので、その写真を使ってもう少し広い有馬町地区の解説を次の記事で行いたいと思います。
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by je2luz | 2006-08-26 12:04 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
2006年 08月 25日

熊野の旅 熊野大花火と七里御浜

 以前から何度も取り上げていますが、戦後の復興期にアメリカのテネシー川開発計画を真似た熊野川総合開発計画で紀伊山地の水を集めて流れ下る熊野川をずたずたにするダム群が建設されました。その電力は復興期の日本のために役立ったのは確かです。
 その影響で当然のように砂利、土石の流下はなくなりました。そして、補充の利かない砂利浜はどんどん痩せてきています。
 木本の花火(現熊野大花火)は木本町の前に広がる砂利浜を会場に。仕掛けを波打ち際に並べ、打ち上げは端っこの脇の浜から打ち上げてきました。
 花火は安元地帯を確保しなくてはなりませんが、それを確保しても観客席が確保できたのです。今より基準も甘いとは言えずっとそうしてきたものですが、砂利浜が痩せてきたため、最早波打ち際に仕掛けを作って安全地帯を確保すると観客席がほとんど取れなくなります。
 そこで登場したのが、下の写真の台船です。
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 先日の東京大停電で有名になったクレーン付きのものです。
 ここならクレーンを上げたまま走っても当たるものはありません。たまに通る海上保安庁とかのヘリでも当たらない限り問題ありません。
 このクレーン台船がここに来るのは、これも以前に取り上げましたが、木本海岸保全のための潜堤工事の時に巨大なテトラを投入しに来る時です。この手の台船は地元にはありません。リースで遠方から回送してくるのです。潜堤工事は波の静かな2月とかですから、両方兼ねて曳航してくるわけには行きません。ものすごく高いリース料を払っています。
 会場が広くなり、観客の安全になったのですが、花火の数がかなり減ったはずです。延期なったときの追加料金がどうなるのか知りませんが・・・
 こんなところにもダム建設の害が発生していますが、電源開発株式会社との賠償交渉ではこの件ついては触れていません。又、この沖で行われている潜堤工事についても国費であり、電源開発は負担しておりません。
 ちなみに、この台船か係留されるのは我が家の正面です。我が家のために台船をチャーターしてくれたわけではないのですがね・・・・
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by je2luz | 2006-08-25 11:53 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 08月 24日

熊野の旅 熊野大花火の会場

 今年は台風接近のため大幅延期され観客が激減してしまいました。おそらく例年の半分以下だったでしょうね。おまけに夕方からの豪雨に叩かれ見物をあきらめた人も居たと思われます。
 花火会場は当然のように屋外です。屋根の下で見物できる場所などは海岸に面して建てている家の中で生み向きに窓があるかそのつもりでベランダでも作っている家だけです。私の英を含めほんの数軒ですね。
 花火の開始は午後七時・・・終了が午後十時ごろですが、交通事情もあり観客が熊野入りするのは午前五時ごろからになります。駐車場の整理係もその頃から分岐点の交差点にテントをたてチェ出ています。市の職員が中心です。お昼ごろにはもうかなりのお客さんが熊野入りしていますが、会場は炎天下の七里御浜ですから、こんな所では待つことは不可能です、
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 この頃には明け方から設営にかかった露天が軒を並べています。店は並んでいますが夕方になるまで留守番も居ません。とにかく暑いです。
 この長い時間つぶしをどうするかと言う問題は解決の使用がありません。せめてもの場所提供も兼ねて、市民会館でのイベントもやります。冷房が効いた中ですから時間つぶしにはいいのですが、座席数が800を切るような市民会館です。花火のお客さんは7万人から10万人と言われます。氷山の一角にもならない数です。昔は映画館が三軒もあったのですが当然のようにとうの昔になくなっています。日陰のあるところには必ず人がいるという状態は解消できそうもありません。
 人が集まって一番問題になるのが『便所』です。会場に出てしまえば何万もの人が居る浜ですから男であっても用を足せる状態ではありません。トイレの使える駅などに戻ると言うことは難行苦行でした。十年前くらいから仮説トイレを用意し始めました。段々増やして今では出入り口付近などにトイレが長く繋がっています。
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今の総数はどの位か知りませんが、膨大な数をトラックで運んできます。しかし、100基据えても見込み需要が三万人なら一基で100人こなさなくてはなりません。結構な数です。時間によっては並ばなくてはなりません。しかし、用が足せるようになっていることは女性にとっては心配が一つ減りました。この予算100万をはるかに超すはずですが回収は出来ません。それでももっと増やせと言う声が届くそうです。無料の花火、無料のトイレ、無料のゴミの処理・・・準備や当日に動員、時間外に使う職員の人件費、全員出動させる消防団員の出動手当て・・・花火予算に組み込まれない隠れた経費が数百万、破綻寸前の熊野市にとってものすごい負担なのは確かです。あまり文句は言わないで頂きたいものです。
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by je2luz | 2006-08-24 11:56 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 08月 23日

熊野の旅 熊野大花火終了

 延期なった熊野大花火大会も昨夜、終了しました。
 普通は『無事終了しました』と書きますが、あまり無事ではなかったのですが終了しました。
 今年は台風の余波以外には夕立など降らなかったのですが、昨日はお昼過ぎから西の方向に大きな雲が発生し、ところどころ黒い雷雲風に発達して行きました。
 『一雨来るね・・・』と地元の人と話していたのですが、夕方になってものすごい雨が降り出し雷も鳴り出しました。傘が役に立たないような雨の中浜に出ていた観客の人は逃げ惑いました。朝からの上天気で女の人の日傘意外傘を持った人など居ませんから随分の人がずぶ濡れになりました。約維持間半ほどの土砂降りと雷雨でした。JR紀勢線も落雷でダイアが乱れました。臨時列車も大幅に増やした日にぶつかったので混乱はかなりひどかったようです。
 何も無い浜で雷にあうのは恐怖ですね。この辺の雷の通路は海の上と川沿いとの二箇所ですが、川に向かってくれば海上を通ります。傘があれば尚更危ないですしね。一時は大雨警報も出たようです。短時間とは言え花火にこんな雨が降ったのは記憶にありません。昔なら導火線と火薬が湿って不発だらけになったでしょうね。
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 花火開始の7時には雨も上がり一見見物にも支障の無い状態にはなったのですが、実際は浜の砂利も濡れているし、桟敷席も濡れているので大変だty田と思います。我が家のベランダもべちょべちょに濡れていました。
 雨上がりの超高湿度の上風が無いので煙が雲状になり捌けてゆかないので高い打ち上げ以外は隠れる状態になりあまり良い条件ではありませんでした。
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 熊野の花火は緩やかな陸風・・・海に向かって風が吹く状態が一番良い荷です。夜になればこのかぜに変わることが多いのですが、昨夜は駄目でしたね。
 思うに任せないコンパクトディたるカメラを手持ちにして長時間シャッターを切るのでろくなことになりません。三脚に載った銀塩カメラの方ではどうなっているか分かるのは随分先になります。
 とりあえず、終了の報告一号です。
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by je2luz | 2006-08-23 09:37 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 08月 22日

熊野の旅 熊野大花火本日開催

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と言うことで、記事の方は休みます。

 例年よりは空いていると思います。
 名古屋からでも大阪からでも間に合います。
 ぜひお越しを・・・・

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by je2luz | 2006-08-22 07:12 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 08月 21日

熊野の旅 熊野大花火と天理教

 延期された熊野大花火大会も明日行われます。台風の発生も無く海も穏やかなので、海上自爆も鬼ヶ城大仕掛けも所定のように行えると思います。
 ほんの少しの延期ですが、この時期になると一日一日と夜は涼しくなります。よほど暑い日が回らない限り割と涼しい花火見物になるでしょう。
 この延期で、見物客は半減するでしょうね。それに、豪華客船での花火見物も無いのではないかと思います。今年も『飛鳥』あたりが沖に停泊して熊野の花火を見る予定になっていたはずですが、単に熊野の花火のためのクルーズではなく夏休みの沖縄ツアーも兼ねたものだったと思いますから・・・
 このようにこうした延期は花火を楽しみにした帰省客から始まり、近隣の花火好き、遠くからの団体や個人客、更には豪華客船のたびにまで影響を与えます。クルーズは台風の最中になったのでそれ自体がどうなったのか分かりませんが・・・
 今年はこうした状況で見物客は5万人来るか来ないかでしょうが、浜に出て見物するお客さんの残すゴミはものすごい量です。堤防の出口、国道42号線まで持ち出してくれるようにという放送は繰り返されますが、この公共の場所へのゴミの放置は全然なくなりません。家まで持って帰れとは言わないのですがね・・・他人様のゴミは汚く思えるでしょうが自分の座ったもの、自分の食べたカスなのに・・・見ていると、これは年齢にあまり関係ないように思われます。浴衣を着たギャルとか飛んじゃってる若い衆がゴミを持って出てくるのに、ちゃんとしたような風体の大人が手ブレで出てきます。その仮定を象徴しているような光景です。
 この広い範囲に散乱した膨大なゴミの回収はその番のうちに行われます。こんな作業はとても行政にやれるものではありません。地元の『天理教南紀大教会』の信者の人がが昔からやってくれます。これに信者以外の有志の方も加わり、その番のうちに浜はきれいになります。
 あくる日の昼になるまで置けば風で飛んで海に入るゴミが増えますし、日が昇れば暑くて仕事になりません。しかし、長年、このさ魚yをやってくれると言うことはありがたいことです。
 既成の宗教法人の社会活動がほとんど無い時代に天理教の『日の寄進』の活動は貴重なものに見えます。この地方は天理に近いからか、天理教の信者も多いところですが、花火の後に浜がきれいになるのはこの活動のお陰です。
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by je2luz | 2006-08-21 11:44 | 熊野 | Trackback | Comments(0)