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LUZの熊野古道案内

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2006年 07月 31日

熊野の旅 大泊・松崎の廃墟

 国道42号線、名勝鬼ヶ城の入り口のそば、大泊海水浴場のすぐ上、眺めは抜群・・・公衆トイレと駐車場のある場所です。
 ここの車を停めて気が付くのは目の前に廃墟があることです。
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 まだこうして看板がはっきり残っているパチンコ屋の廃墟です。
 もう20年くらいになるのでしょうかね。火事でかけたものです。今のパチンコブームの前に物です。とかく噂のあった火事ですが、それ以来中は片付けられましたが、そのまま放置されています。交通の便から言っても、眺めから言っても一等地なのですが・・・
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 こうした廃墟は不気味で不良の溜まり場になったりするものですが、ここは全くそうしたことはありません。あまりにも便利で外から丸見えなのです。雨宿りには使われているようですが、ここでは何も出来ませんね。警備会社など入っていませんがね。
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 これが海側の眺めです。泊湾をはさんで向こう側に磯崎の漁村が見えています。実に良い眺めです。
 実は廃墟はこれだけではないのです。この隣のちょいと小高い所にある建物も廃墟です。一枚目の写真の後にチラッと見えるのがその一部です。これは元近鉄の経営した『熊野ロッジ』の残骸です。これも取り壊されもせず、再利用されることもなく放置されています。これこそ20年以上でしょうね。更にはもう一つ、新築、即廃墟状態の建物も並んでいたのです。
 少し風当たりはいいものの熊野の市街まで1.5Kmほど、尾根を切り取ったところで地盤は最高、国道に面し、眺めも最高、熊野古道歩きのルートに入り、すでに開発されているので取り立てて規制も無し・・・それなのに・・・
 熊野の入り口には明るいのでそうは見えないのですが、こうした一角があるのです。
 観光ではやってゆけないことを実証するものなのでしょうね。おそらくこれからもしばらくはこのままなのかと思います。
 まあ、そうは見えないのが救いでしょうね。各地では廃業旅館などで道を歩くのも不気味な町があるくらいですから・・・
カメラは VITO II 旧タイプ
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by je2luz | 2006-07-31 12:16 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 07月 30日

熊野の旅 熊野の夏・・・大泊海水浴場駐車場

 大泊海水浴場には公的な駐車場は正式にはありません。
 国道42号線を二度改修した時に少しずつ位置がズレ、しに払い下げされた土地が出ました。二回目の改修の部分が大きかったのでその部分に公衆便所が作られて、熊野古道・松本峠を越える人の休憩所もかねています。そのトイレ用に少しだけ駐車場も確保されています。
 これはあくまでも熊野古道歩きや国道を走る車の休憩用なので本来は海水浴などに使うと具合が悪いものです。
 場所は名勝・鬼ヶ城の入り口近くです。大泊海水浴場の真上になります。
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 写真の右側を国道42号線が走っています。元の道路と山の端を削った部分をあわせて結構広い土地が出来たのですが、小さなトイレと。お役所らしい東屋と、やたらと意味の無いだだっ広い歩道?が大部分を占めて、駐車スペースは少しだけです。おまけにここの部分の土地の所有権は入り組んでしまっていて、一番古い道路部分も弓なりに残されているのですが、民間の土地も挟まるため有効利用が出来ないで居ます。
 このトイレと駐車スペースだ出来るまではもっとわかりにくく、海水浴シーズンには民間の土地が有料駐車場になるのに巻き込まれ、市の土地の部分の数台分まで料金を取られていました。
 ウイークデイであればこのスペースでも開いている状態です。この周辺には空き地ごとに有料駐車場の看板が出て、アルバイトの係りが座っていたものですが、ここまで客が減ってくると平日には姿が見えないようになってきています。それでも、民間の土地ですから無断駐車は出来ませんし、見つかれば料金を徴収されます。おそらく千円とかの話だと思います。
 ここから下にある『松崎港』に降りれば、有料の駐車スペースがありそこが一番便利です。埠頭部分は無料ですが、少し波があれば満潮時には波がかかる可能性があります。それに、いくら閑そうな波止場でもたまには漁船も入りますから迷惑になることもあります。
 この埠頭は釣りのメッカでもあります。キスとかボラを狙っているようです。
カメラは VITO II 旧タイプ
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by je2luz | 2006-07-30 09:47 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 07月 29日

熊野の旅 賑やか

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 この小さな川は熊野市の市街地に流れ込んでくる『井戸川』です。河口から1Kmほどしか遡っていないのですが最早市街地を抜けてきれいな川になっています。
 昔から井戸川には幾つも学校指定の遊泳場があります。一番下流の小学校脇にあった遊泳場は農業用の堰によってできたプール状の場所でした。その堰は井戸小学校が新築されて引っ越した頃台風により破壊されてしまいました。広い田圃を賄う大きな農業用水の堰でしたが、その頃までにほとんどの田圃が埋め立てられてしまいほんの数枚しか残っていなかったのでお百姓さんの許可を貰って復旧工事を取りやめました。そして、遊泳城もなくなりましたが、ここもすでに住宅が増えて生活用水が流れ込んで遊泳に適さなくなってきていたのです。
 今では少し上流のものが幾つか生き残って近所の子供達の遊び場になっています。校区内の子供達がひとりでに集まりはしゃぎまわっています。学校のプールのように学年ごとに仕分けられた遊びではない形がここには残っています。
 昔は毎日こうした年齢ごちゃ混ぜの遊び集団の中で遊び、人間関係、遊びのルール、喧嘩のルールも教えられていったものです。先輩から後輩へ自然と大切なものが伝えられていったのです。今ではそれはなくなっていますが、ほんの少しの名残がこうした小さな遊泳上に残っているようです。こうした遊び場では事故も少ないのですが・・・
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 こんなところから飛び込む遊びもまだ生きています。
 中学生から小学生まで度胸と力に応じて飛ぶ場所が違っています。怖くても格好つけて飛ぶうちに平気になって行きます。そして一人前の悪ガキになれるのです。そう、今の悪ガキではなく、昔の悪ガキです。
 昨日の大泊海水浴場とほぼ同じ時間に撮ったものです。広い浜辺では少しの人間では賑わいませんが、こうした場所では大賑わいになります。プールなんかで生えられない思い出と知恵がこの子達には残るでしょうね。
カメラは VITO II 旧タイプ

by je2luz | 2006-07-29 10:00 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 07月 28日

熊野の旅 閑・・・海水浴場

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 写真は昨日7月27日午後1時過ぎの『大泊海水浴場です。天候は晴れ、波は無し、学校は夏休み・・・絶好の海水浴日和でした。
 閑散としています。とても、夏休みの海水浴場とは思えない風景です。
 水質は『A』です。熊野市の中心街から約1.5Kmと言う便利なところです。子供達が自転車で来れる所です。
 かつては地元の子供達とよそから来たお客さんでかなり賑わったものです。この時期だと、浜には売店が立ち並び、ビーチパラソルが立ち、歓声が響いていたものです。
 このきれいな海水浴場も今では客を呼ぶことは出来ません。
 都心、都市近郊に出来た巨大プール・・・流水プールや人工波の出るものなどに都会の人をとられます。お天気次第の遠くの海水浴場に民宿を予約するより、海のあれなどには関係なく施設も整ったリゾートプールの方が手軽ですからね。入場料が高くてもガソリンを焚くことを思えば高くなくなります。
 水族館などが都会に取られたように海水浴場も近場以外は客が減ってきています。
 茶店にとっては明日、明後日の週末が最初で最後のチャンスです。しかし、一日や二日では浜に小屋を建てて又撤去する費用は出ません。出店の数が減って当たり前ですね。最早、リゾートの海水浴場の態をなしていなくなりました。
 それに地元の子供が激減していますから自前で来るガキどももほとんど居ないのです。
 きれいな砂ときれいな海をゆっくりと楽しみたいならこうした遠くの海水浴場が狙い目です。今のところ、民宿もまだ営業していますから・・・

by je2luz | 2006-07-28 11:43 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 07月 27日

熊野の旅 清流大又川の川遊び 2

 大又川はきれいな川です。昔はもっともっときれいな川でした。戦後、全国の川のように川を大切にする気持ちが減って汚れてきました。そして、昭和50年代頃には少し反省する時代になり、きれいになってきました。それでも、昔のようなきれいさではありません。
 田舎の川を汚したのは、最初は農薬でした。そして、次に来たのが水道の普及でした。
 簡易水道がほとんどですが、蛇口をひねればきれいな水が出る。もう、川から水を汲んだり、物を洗いに言ったりしなくてよくなったのです。人間様はいつでもきれいな水が使えるようになった訳です。その代わり、下水道を作らないままに水だけを供給して使う水の量が増えてしまったので、昔のように排水を農地に返すことも出来ず、一部の家では排水を直接川に捨てるようになりました。当然川は汚れます。水道の普及が川を汚す力はものすごいものです。
 川には浄化能力がありますが、いくら人数が少なくても渇水期の川の浄化能力は流域の排水を浄化するまではありません。悪いことに中性洗剤という浄化できないものまで入ります。
 大又側はそれでもきれいな方です。
 今の日本では本当にきれいな、そのまま飲める水は民家と農地の無い支流の谷川しかなくなりました。大又川は国道42号線から見えている範囲にしか家はありません。つまり、国道を離れほんの5分も林道に入ればそのそばの支流の谷の水は飲めると言うことです。
 それほど水に恵まれているので、市が作った水道のほかに山から自家用の水を引いている家も多いのです。水はそちらの方がはるかにおいしいですから・・・
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by je2luz | 2006-07-27 12:21 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 07月 26日

熊野の旅 清流大又川の川遊び

 国道42号線311号線、沿いには熊野川の支流の大又川が流れています。
 この川は尾鷲との境、矢ノ川峠や下北山の境の備後を水源にするものです。流域の99%が山ですから非常にきれいな川です。普段の水量は源流からの距離が無いのであまり多くありません。河川敷は川ですが水量から言うと谷に近いかも知れません。なぜ、河川敷が川のレベルかと言うと、豪雨時には一日300mm以上台風一回で700mm以上降るのが当たり前のところですから、川はそれを流すように出来ています。そして、人間はそのときに危ないと思われるところには住まない様にしてきました。
 この大又川は水がきれいで水遊びには適しています。河原は丸いごろ石です。ごろ石のない所は地元で『ナベラ』と呼ぶ岩盤がむき出しになっています。流れも普段は危ないほどではないし、小さな淵と瀬が交互にある遊ぶにはもってこいの川なのです。
 一旦雨が降ると急流に化けて人間が近づけるものではなくなります。そこのごろ石が転がって川底が真っ白になります。山から出てすぐの水ですから水の多いときは身を切るほど冷たいものです。
 大又川流域には昔でいう村が二つあり、小学校が四つあります。鉱区ごとに幾つかの水泳場が指定されています。安全そうな小さな淵が水泳場に指定されたのです。
 昔は禁止されたところを除いて全部が水泳場だったのですが知らない間に細かく規制されたようです。
 川を下りながらモリ(カナツキ・ヘシ)で魚を捕るのが男の子の遊びだったのですが今は見かけませんね。時々けが人を出しましたが、本当に水を覚えるには最適な遊びなのですがね・・・
 夏休みには朝から日暮れまでこの川で遊び、冷たくなった体をこのナベラ(岩盤)で暖めたものです。午後になると焼けていて少し水をかけないと腹ばいになれませんでした。
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by je2luz | 2006-07-26 13:06 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 07月 25日

熊野の旅 熊野古道歩きとマムシ

 熊野古道はすべて山の中・・・木曽路ではありませんが熊野古道が残されているのは山の中だけです。
 元々、熊野古道は浪速方面からでも伊勢方面から来ても、山又山の街道です。平らで海岸沿いというのは木本ー新宮間の御浜街道の部分くらいのものです。
 梅雨時から空きまでの間は北国を除いて『蛇』の季節です。
 昔に比べ『青大将』などは少し減ったようです。それでも、一時の農薬乱用時代でかえるや虫が減った頃よりは戻ってきたようですがね。
 この『青大将』は名のごとくものすごく大きくなるので、見かけるとびっくりします。1mなんてのは小型です。1.5mくらいで一人前と言うくらいですからね。
 ただ、この青大将は民家の近くなどで暮らしますが、おとなしい蛇で毒も無いので、昔から放置されてきました。むしろ縁起が良いなどと喜ぶ人が居たくらいです。それに、毒も無いので排除する時も尻尾を持ってぶら下げれば上がっても凝れないので、ぶらぶらさせながら家から離れたところに捨てに行くだけでした。
 他にも小型の蛇が何種類かいたものですが、最近は田圃のあぜなども昔式の石積みではなくなってきたので住処を追われたのでしょうね。
 田舎住まいの人で、蛇や虫はなんとも思わない人でも『マムシ』・・・・『ハンビ』には一目も二目も置きます。特殊な人以外は手を出しません。慣れた人だけが生け捕りにします。生け捕りにすれば『マムシ酒』が造れます。皮をむいて乾かした勢力剤も作れます。
 この、マムシは水気のあるところでしか生息しません。つまり、梅雨時は山中いたるところをうろつきます。梅雨明けになうと谷のそばや田圃、水路の周辺に下りてきます。梅雨明けの方が予測しよい場所に居ます。梅雨時などは道端の木の枝に巻きついていたりするくらいです。
 ほとんどの蛇同様『マムシ』も人間に出会うと逃げ出します。しかし、機嫌が悪かったり、逃げるのが間に合わないとなると攻撃に回ります。始末の悪いのは敏捷でジャンプ力があるので素人はよけにくいようです。
 近年は田の畦とか山道でマムシに咬まれたと言う話がほとんどありません。随分減っています。しかし、これはマムシが減ったのではなく、マムシの居るような草むらの道に人間が入らなくなってきたからのようです。山の田圃の畦を子供が走り回る風景もありませんし、集落の道も皆舗装になっていますからね。
 熊野古道も随分整備されて草むらを漕いで歩くこともありませんから、99.99%は『マムシ』どころか普通の蛇も見かけることは無いでしょう。
 それでも紀州はマムシのメッカです。用心だけはしてください。私のように素足にサンダルなんてスタイルでは草むらに入らない方が良いでしょうね。私は運が良いので出会ったマムシも皆逃げてくれています(笑)
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 松本峠入り口・・・こんな道が一杯あった頃は蛇たちも暮らしよかったのですが・・・
カメラは ウエルタ・ペルレ

by je2luz | 2006-07-25 10:52 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 07月 24日

熊野の旅 熊野路の猿

 前にも書いたことがあると思いますが、熊野市には色んな野生動物が居ます。
 僻地ゆえに外来の動物の侵入はまだ少ないようですが、日本の固有種は内意でも居ますと言える位です。熊野市ですから当然『熊』は居ます。猪、鹿、狐、狸、兎、カモシカ・・・そして猿などです。
 私が子供の頃には戦中戦後の食糧難時代に獲りまくったせいか、こうした同靴は少なかったのです。猿なんて山里に育っても見たこともなかったのです。それなのに今では猪、鹿、猿の害で百姓が耕作放棄しなくてはならないのです。この中で厄介なのが『猿』です。他のは柵を作れば済むのですが、猿は天上まで作らないと止められませんし、扉には鍵をかけないとあけて入ります。地下まで網を深く入れないと尼を掘って入ります。
 これを防ぐ『檻』を農地にかぶせることは不可能です。家庭菜園程度しか作れません。数百万、数千万の世界です。
 これだけ猿が増えてくると、生息範囲もどんどん広くなります。いまや、市街地を除いて猿の出没しないところはなくなってきました。
 国道311号線で海岸線を走ると、磯崎町から先ではほとんどの時に猿の群れを見かけます。波田須に出来た売店の回りは猿の集合場所です。
 今のところ、餌付けしたりする人が居ないのでよってこないし襲っても来ませんが、観光客がうろつくと心配です。各地で起きている人間慣れしてずうずうしくなる可能性があるからです。
 そうでなくても猿は女、子供、老人を舐めてかかります。老齢化指数が40%を越す集落ばかりですから、そういう猿に育てられたら耕作放棄ではなく集落放棄になってしまいます。
 田舎で猿を見かけても無視してください。人間より猿の方が良くて自分も猿の群れに入って暮らすなら仕方ないですが、絶対に餌は与えないでください。野生動物の増加は命のかかった深刻な問題なのです。
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 波田須の夜明け
 カメラは フジカ GS645S

by je2luz | 2006-07-24 12:40 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 07月 23日

熊野の旅 南紀の物価

 南紀は僻地だと書きました。
 おかげで日本列島改造論時代もバブルの時代にも開発の波が及ばなかったので弄り回されないで来ました。それだから世界遺産の指定を受けることが出来たのでしょうね。点ではなく面的なものが要求される熊野古道部分は開発されていたら駄目だったでしょうね。
 今回初も及ばなかったほどの僻地でも、大型店舗の波は押し寄せてきました。尾鷲、熊野、新宮の三つの市には大型ホームセンター、大型スーパー、家電量販店が進出してきています。小さなパイを狙ってそれぞれの場所で複数の資本が争っています。見込み客なんて尾鷲で3万、熊野2万5千。新宮4万くらいのものでしょう。そのうち老齢者が三割・・・しんどいでしょうね。
 しかし、これらが進出してくるまでは地元資本のスーパーだけで、競争もなく結構物の高いところでした。日本でも指折りの物価高の地域だったのです。給料は指折りの低賃金地域でしたが・・・
 こうして、生活物資は安くも無いが、全国の普通のスーパー並みになりました。
 一つ相変わらず全国のトップレベルを走るものがあります。旅行社を直撃するものです。
 ガソリンの高さでは昔も今も皆さんびっくりします。このところ、値上げ値上げで一体本当はいくらなのか分かりにくい状態ですが、この周辺は『この状態だから高い』のではなく、恒常的に高いのです。四日市と和歌山に精製所があり、産地からの距離が遠いからとはいえないと思うのですが・・・
 ただ、車の数の割りにスタンドの数が多いのも確かです。田舎は車の数は結構所有していますが走行距離は多くないですね。数多いスタンドが食ってゆくには高く売るしかないからでしょうかね。
 近年、尾鷲、新宮にはセルフで安く売るスタンドも出現していますが、数が少ないので探さなくてはなりません。
 車で来られる時は松阪を離れるにつれてガソリン価格が上がると思ってください。それと。交通量の関係で夜間営業のスタンドがほとんどありません。早めに、ガソリンスタンドを見つけ次第、夜の分の給油を済ませることをお勧めします。
 時代が変わって他の物価が世間並みに近づいても、ガソリン価格だけは日本有数の高さであります。
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by je2luz | 2006-07-23 17:45 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 07月 22日

熊野の旅 南紀は僻地

 南紀には田辺、新宮、熊野。尾鷲と三つの市があります。それだけ見ると結構賑やかなところに思えます。紀勢線や国道42号線で旅をしても集落が点在し、町らしきものもありものすごい田舎とも見えません。
 実態はこの見たところよりずっと田舎で僻地なのです。
 紀伊半島は紀伊山地と言う山の塊で出来ています。付け根に流れる紀ノ川には河川敷がありますが、南紀の川には河川敷らしきものがありません。『瀞八丁』に代表されるような警告の連続です。雨水が無理やり流れる道筋を作って海に流れ下る道筋なのです。
 これはきれいな川を作りますが、一方では川筋に人間が住むことを拒む地形なのです。
 前にも触れたことがありますが、南紀は紀勢線と国道42号線から見えるものが全てに誓いのです。いわゆる背後地というものが無いのです。
 かつては平地も無いような山間部にももう少し人が住んでいましたが、『熊野川総合開発』と言う国家プロジェクトによって水の底に沈んで過疎が始まったのです。
 交通面で見ても南紀は都会から時間がかかります。大阪と名古屋から熊野三山の中心地の新宮に来るにも四時間近くかかります。博多よりずっと遠いのです。車で来ても山又山の都会の人には苦手な道を走らないと来れません。信号などが少なく、取り締まりも少ないので地元の私などは走りよい道なのですが・・・
 高いから遠くて不便なところを言うなら南紀は僻地です。
 鉄道も道路も無かった時は命懸けでお参りに来るこの世とあの世の境みたいなところ、やっと人波になった頃には過疎が始まり、大都市を結ぶ区間では交通時間地図がどんどん縮んで行きました。今、役にも立たない高速道路を作っていますが、走る車も減ることはあっても増えないのに、無駄な出費です。遠いから来ないのですが、ここの世界遺産は霊場と自然です。物見遊山の客を集める筋のものではないでしょう。
 お役所はせっせと整備と言う名で破壊を企てているようです。そのうちハイヒールで歩ける熊野古道が出来るかもです。
 素朴であまり壊されない熊野古道を歩けるのは今だけかもしれません。熊野三山の神社はそこそこ客が居るようですが、熊野古道は充分すいてきていますから・・・
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 新宮市・神倉神社
 速玉神社の元宮とも言われるところです。早玉神社よりこちらの方がずっと素朴で素敵な神社です。
 カメラは コダック・レフレックスII

by je2luz | 2006-07-22 12:08 | 熊野 | Trackback | Comments(0)