LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ

<   2006年 06月 ( 30 )   > この月の画像一覧


2006年 06月 30日

熊野の旅 紀勢西線 下里駅

 太地駅を出てトンネルを抜けほんの少し走るとこじんまりとした集落に入ります。ここが下里です。取り立てて何も無いようなところですが、大阪方面から来たここで街道が二つに分かれるところです。一つは今の国道42号線と同じように海岸線経由で勝浦経由で那智山入り口に向かうもの。もう一つは川沿いに遡り、井鹿(いじし)、色川(いろがわ)を抜けて、山越えで那智に入るルートです。このルートへは、もっと串本よりの古座から古座川沿いに遡る道からも合流できます。徒歩の時代には峠越えでも短い道のりのものを選ぶことが多かったので、良く使われたものと思います。
 少し前までは、これらの道はまさに、地図に道があるだけと言う感じで、ものすごく細い道でしたが、今は随分改良されて、都会の運転手でも走れるものになっています。道路はどこでも二車線・・・と言う感じで改良しているようですが、道路ができた頃に、この山間部に果たして何軒の家が残るのやら・・・
d0045383_12374739.jpg

 下里駅は国道から離れ集落の方にあります。下の国道は集落の中を通っていますたが、二車線化するときにバイパスかされています。こういう構造にすると、一見、集落は寂れたように見えますが、生活の面では交通事故も少なくていいものだと思われます。
 駅構内の写真を撮ると、すれ違いようの線路があり、一見、複線に見えますが、紀勢線・紀勢西線は単線です。駅を出るとすぐに単線区間に入ってしまいます。
 単線の路線でのダイヤはこうしたすれ違いようの線路や、通過用の線路を持った駅で、上り、下りのすれ違いや、特急などの優先列車の追い越しを行わなくてはならないので、自由度が随分低くなります。
 昔に比べ、特急などの所要時間は随分短くなっています。これには線路の改良や車両の改良に加え、ダイヤを組む線屋さんの苦労もあるのです。
 国道を走る人には下里は気にも留めないで過ぎてしまう所かも知れません。
 ところで、どこにでもありそうな『下里』と言う地名ですが、ほかに同じ駅名が無いようで、頭に『紀伊』が付いていません。
[PR]

by je2luz | 2006-06-30 12:49 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 06月 29日

熊野の旅 紀勢西線 太地駅 2

 今ではJRの駅も無人化されたところばかりで、寂しいものですが、中にはいろんな使い方をされているところがあるようです。土産物屋とか蕎麦屋だとか・・・人が集まると言うことと建物があるということを利用したものが考えられた居るようです。
 紀勢線全般にいえるのは、駅と国道はすぐそばにあり、便利そうな場所にありますが、駅舎自体がまともに無いところも多いです。更に、集落ごとに液を作ったようなもので、一つ一つの集客力の乏しいものが多いのです。従って、無人駅がずらりと並んでいるのに利用されるものがほとんど無いのです。
 ここ『太地駅』は珍しく駅舎が利用されています。
d0045383_1233148.jpg

 観光地と言っても列車で来る観光客は非常に少ないし、地元向けに何かしようにも町の中心からは離れているし・・・結局考え出されたのは、田舎では重要なものでした。
 『訪問介護センター』と言う看板が上げられています。このセンターも制度が出来た時には買いどの中心に位置付けられていましたが、『介護保険』が動いて、民間を含め複数の介護業者が出来てからはお役所日の丸では通らなくなっています。ここのセンターはどうなっているのか分かりませんが、ヘルパーさんらしき方々が出入りしていました。受付はかつての出札窓口です。行き先は極楽だか地獄だか・・・指定は出来ないでしょうね。
 太地駅は国道に面して高いところにあります。駅の下を国道がぬけて行きます。この国道のガードの脇に南紀で一番有名?な工場があります。
 『銘菓・那智黒』です。随分昔からある黒砂糖を固めた飴玉です。
 単純な飴玉なのに、そのネーミングも良かったのか、日持ちのよさも手伝って、那智山参拝の人だけではなく、南紀に来る人の土産に重宝がられました。地方のお菓子が全国に出回るような時代になる前から、東京方面、大阪方面の駅の名店街にあったものです。
     
d0045383_12443760.jpg

 線路の向こうに見えるのが『那智黒』の工場の看板です。列車からでも国道からでも目立つものです。
 そもそも『那智黒』とは熊野市神川町で産出する黒色粘板岩のことです。それで作られる碁石の黒石や硯が那智黒の名前で売られて有名になったのです。しかし、この黒砂糖飴の『銘菓・那智黒』がヒットしてからは、『那智黒』=『飴玉』と思っている人も結構居るようです。
 南紀の観光地、どこへ行っても、この『銘菓・那智黒』は売っています。
 『大阪のオバちゃん』出なくても、飴玉は日本人の好物です。ぜひお土産にどうぞ・・・三年でも日持ちしますから・・・
[PR]

by je2luz | 2006-06-29 12:52 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 06月 28日

熊野の旅 紀勢西線 太地駅

 太地の駅は太地の中心部からはかなり離れた所にあります。
 村ごと、集落ごとに駅を作って線路を曲げた昔の和歌山県会議員や国会議員もさすがに岬の先にある太地の中心部には線路をもって行けなかったようです。持ってゆけば盲腸のように行き止まりで引返すことのなりますからね。
 太地は鯨漁で栄えた町です。
 今でも近海の鯨漁は太地漁協にのみ許されています。ここの鯨漁は江戸時代より更に昔から行われてきたようです。日本の鯨漁が近海から南氷洋に移って、キャッチャーボートにより大砲でモリを打つように変わってからも、その大切な砲手は、ここ太地の漁師が多かったようです。大型捕鯨船団の基地は下関でしたが、古くからの伝統の砲手は譲らなかったようです。
 今でも鯨漁は時々行われます。沖に出て撮ることが出来ないので、許されている追い込み漁という方法で鯨やイルかを湾内に追い込んで捕獲します。
 鯨が捕れた時だけは熊野市のスーパーにも鯨の生肉が並びます。最近では食べる人は減っていますが・・・
 太地の港に行けばいつでも冷凍の鯨肉が替えます。昔ながらの鯨のベーコンも売っています。
 鯨は安いものだと思わないでください。この冷凍物の肉は下手すると松阪牛並ですし、ベーコンも豚ベーコンより高いです。
 太地の駅は町から離れていても、かつては今以上に賑わった太地の港を控えているので結構乗降客があったようです。
 地形の関係で線路が一段高いところを通っていますので。プラットホームからは風情のある木造の屋根がかかった階段が続いています。
d0045383_50248.jpg

 この木造の渡りローカも最早手入れされることも無いのであちこち朽ちてきています。果たして何時までもつのやら・・・
 ホームは典型的な田舎の駅の風情です。狭いホームですから特急の通過時には出ていない方が良いようです。
d0045383_533064.jpg

 こうした光景はモノクロ写真の方が雰囲気を伝えられると思い、ほとんどのシーンをモノクロで撮影しています。半世紀前のカメラで半世紀前の紀勢西線の風情が写しこめれば・・・などと思っています。
カメラは レチナ2c+カータークセノン35mm

熊野三山と熊野の地図へ   ←←←←をクリックすると案内図が開きます。
[PR]

by je2luz | 2006-06-28 05:07 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 06月 27日

熊野の旅 紀勢西線 湯川駅 2

 湯川は温泉場としては古いですが、小さなものです。
湯川の特徴は『ゆかし潟』と呼ばれる湖のそばに張り付いていることです。この湖は汽水湖で、鉄道の鉄橋のところで海に接しています。標高差の無い湖ですから、満ち潮になると潮が逆流して海水が混ざります。引き潮になると水が減り水位が下がります。

この鉄橋のところは写真では河原状態ですが、満ち潮になると幅一杯の川?海?になります。今は乾いた地面に生えている草も、ある一定の高さ以下は塩水に浸かります。したがって、一見草に見えても実際は海草というものが多いのです。
鉄橋の下には引き潮の時には降りられます。どんどん歩きまわれるのですが、満ち潮になると恐ろしい勢いで水面が上昇して海水が逆流します。
d0045383_1133018.jpg

鉄橋の勝浦側は先に書いた夏山を抜ける『夏山トンネル』です。
この周辺はトンネルが多くて蒸気機関車時代は乗客も機関士も難儀したところです。目も開けられない、息も出来ない区間でした。後年になると煙突に蓋を付けた機関車が導入されたくらいです。
d0045383_1142873.jpg

東宝でしたか?新東宝でしたか?『駅前シリーズ』に紀勢西線が登場したときには、ここがものすごい難所として描かれていました。『駅前シリーズ』なんて今では知る人も少ないでしょうね。加藤大助、三木のり平、森繁久弥、小林圭樹…辺りだったのでしょうか?ちなみにこの時のヒロインは新珠みちよさんでしたね。モデルになった駅弁屋さんは、今でも新宮駅、熊野市駅などの駅弁を作っている食堂です。そこの娘さんが美人だったかどうかは知りません。
もう、新宮には機関区も無く、蒸気機関車の汽笛も聞こえません。まず見ることはないでしょうが、紀勢線が舞台の『駅前シリーズ』を見ていただければ、昭和30年代後半の紀勢西線の情緒が味わえると思います。しかし、よほどの幸運か、熱意が無ければ日本のこうした映画に再び巡り会えることは無いでしょうね、これも、寂しいことなのかもしれません。
 カラー写真は ニコンF+ニッコール20mm
[PR]

by je2luz | 2006-06-27 11:05 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 06月 26日

熊野の旅 紀勢西線 湯川駅 1

 紀伊勝浦駅を出発すると続けてトンネルに入ります。その間のところが『夏山』(なあさ)と呼ばれる地区です。ここは昔、算法を山に囲まれた温暖な気候を利用した植物園などを中心としたリゾートが作られたこともあります。それはリゾートなどと言う言葉が使われなかった頃です。とうの昔に廃墟になり、今はどうなっているのか知りません。
 次に停まるのが『湯川駅』です。
 この湯川は勝浦同様温泉地です。勝浦が歓楽街を持った温泉街であるのに対し、湯川は隣り合わせなのに鄙びた温泉場としてやってきました。
 旅館の数や規模なども勝浦の方がはるかに大きいし、なんと言っても知名度がm、全く違いますから集客力はかなり違います。熱海と湯河原みたいなものでしょうか。
 湯川の落ち着いた雰囲気を好きなファンも居ますが、立地条件でも特急の停まる勝浦と通過してしまう湯川ではかなりの差が付いてしまいます。
d0045383_1385393.jpg

 『湯川駅』はトンネルとトンネルの間に作られたものですが、駅前にはバスが止められる広場が用意され、かつて。観光客が列車で来た時代をしのばせるものです。
 地下れんらく道も備えた、それなりの駅舎ですが、今では無人駅です。ほとんどの無人駅が小屋のような駅舎であるのに対し、ここ『湯川駅』のはとても無人駅とは思えません。やはり、昔は数多くの観光客が列車でここを訪れていたのでしょうね。
d0045383_13152535.jpg

 紀勢西線の列車が今のようにやたらと急がず、『準急』・『急行』の時代にはここには準急くらいは停車していたでしょうね。列車のランクが単純化されて切り捨てられた駅もありますから・・・もっとも、準急などを走らせて停車駅を増やすとコストも上がるでしょうからね。
 駅のすぐ裏は海水浴場になり、穏やかな砂浜です。この海水浴場も列車の時代は良かったのですが、今では駐車場が不足して困るようです。これも時代の流れでしょう。
カメラは真四角なのが エンサイン セルフィックス820
下二枚は
レチナ2c+カータークセノン35mm

熊野三山と熊野の地図へ   ←←←←をクリックすると案内図が開きます。
[PR]

by je2luz | 2006-06-26 13:22 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 06月 25日

熊野の旅 紀勢西線 紀伊勝浦駅 3 漁港勝浦

 観光地勝浦のもう一つの柱が漁業です。近海漁業は勿論遠洋漁業の船も多く所属する大きな漁業基地です。
 南紀の海は外洋ですから、小さな入り江では海が荒れるとすぐにつかえなくなります。良好な自然条件のところで陸路もそこそこ良い所でないと立派な漁港に育ちません。勝浦は目の前に浮かぶ島のおかげで天然の良港になっていますし、鉄路も国道も通っています。更に、さほど広いわけではありませんが、紀伊半島にしては広い方の背後地もありました。更に、古くから温泉地として関西では有名で多くの温泉旅館が建ち、観光客、湯治客がたくさん来るので高級魚の地元消費も多かったのです。色んな条件から勝浦港は大きく発展して行きました。
d0045383_1246726.jpg

 この船溜り(ふなだまり)は沿岸漁業のものです。小さな船で沿岸に住み着く魚や黒潮に乗って回遊してくる魚を獲ります。こうした漁船はこの沿線津々浦々にあります。勝浦の漁師は港と言う面では恵まれています。海が荒れても避難することなく自分の係留地で過ごせること、魚市場がしっかりしているので値段がつきよいことです。
d0045383_1246371.jpg

 勝浦の漁業でほかと違うのは遠洋漁業の基地になっていることです。
 写真の畝は大分県船籍の漁船です。漁船は所属する漁港を出てからは母港以外に寄航し燃料や物資の補給をし、積んだ肴も下ろします。
 よその船にもたくさん来てもらうことがセリにかける肴の量を確保して仲買人を引き付ける重要なことになります。
 陸路の搬送は決して良いとは思えません。東京までは600Km近くありますし。手前100Kmは高速道路もありません。新宮・熊野・尾鷲を通って国道42号線を走るのです。京阪神の市場にもかなり改善されたとは言え紀伊半島をぐるりと回って走るか、新宮まで戻って国道168号線にはいるかしかないのです。船が走るよりはトラックの方が早いですが・・・
 援用の船のカツオやマグロの水揚げの国内での比率か昔のように高くないようです。どうしても、資本力の大きさ、市場への近さ、加工、保管施設の規模などから。焼津、清水、三崎などに勝てないようです。こうした差は徐々に拡大しているようです。
 勝浦港は援用の船が入るので検疫所・税関の出張所があります。港と言うものは何が入ってくるか分からないところなのです。麻薬などは昔から入っていたようです。マグロのお腹に麻薬を仕込むなんて古典ですね。しかし、今や、南方ルートではなくなってきていますからこちらも重要性が落ちているのかも・・・
 那智勝浦町を地道に支えているのは観光よりは漁業の方かもしれませんね。
 旅館で出る魚はやはり新鮮ですよ。それしか取り得の無い南紀ですがね。
[PR]

by je2luz | 2006-06-25 13:10 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 06月 24日

熊野の旅 本日休刊・・・

 明日は書きますのでよろしくお願いいたします。
[PR]

by je2luz | 2006-06-24 14:14 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 06月 23日

熊野の旅 紀勢西線 紀伊勝浦駅 2 勝浦港

 勝浦は温泉場として古くからの観光地です。
 ここの特徴としては、港を利用して島や険しい岬に旅館を作り、舟でお客さんを送り迎えする旅館が二軒あることです。
 陸上にある旅館に比べ行き来しにくいと言うハンディがあるにもかかわらず、この二軒は古くから繁盛し、今では共に巨大な温泉旅館となっています。町中にある旅館に比ではありません。
 温泉場ですから、旅館へのアクセスが渡し舟であると言うハンディがムードのある楽しいものに変わるのだと思います。
d0045383_13133360.jpg

 港の近くには大きな駐車場も用意されています。渡し舟で客を送るのですから、当然、観光バスはこちら側に残りますからね。それに、発馬からは勝浦湾観光の遊覧船も出ています。
 割合とのっぺりした紀州の海ですが、勝浦周辺には小さな島がたくさんあり、松島のように遊覧船で見て回るようになっています。
 船着場には二つの旅館からの連絡渡し舟が忙しく出入りします。一軒は上の写真の右隅に見えている白い建物がそうです。
 外海から遮断された温泉郷に隔離されますから、お土産を買うのも皆、旅館の中で完結するように出来ています。今はどうなっているのか分かりませんが温泉場につき物のストリップ小屋も波止場の近くにありました。しかし、島の旅館に泊まる団体さんなどは出張のお座敷ストリップを楽しんだそうです。
d0045383_1323414.jpg

 写真は旅館への渡し舟ですが同じ桟橋に二つの旅館の船が着きます。列車連絡の時間などは同じ時間にお客さんを運んできます。JRの駅より波止場の方が、観光バスの客、列車の客両方が合わさるので賑やかになるくらいです。勿論、陸上の方が数多くの旅館があり、合計の収容人員は多いのですがね。
カメラは レチナ2c+カータークセノン35mm

熊野三山と熊野の地図へ   ←←←←をクリックすると案内図が開きます。
[PR]

by je2luz | 2006-06-23 13:28 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 06月 22日

熊野の旅 紀勢西線 紀伊勝浦駅

 『紀伊天満駅』を出発した列車は今回も加速する間もなく『紀伊勝浦駅』に到着します。JR西日本の特急『くろしお』なら『新宮駅』を出発して最初の停車駅です。JR東海の特急『南紀』なら終着になります。
 JR当会の列車がわざわざここまで入ってくるほど『南紀勝浦』は昔から有名で入りこみ客の多い観光地なのです。
 有名な観光地と言っても昔に比べると賑わい方が少なくなったようです。
 ここ南紀勝浦は古くからの温泉地です。少し前まで300箇所も無いくらいだった温泉場が今では2000箇所以上あるそうです。まあ、客が減って無理は無いでしょう。おまけに、円高の関係で東京から何機まで来るよりバリ島辺りへ行く方が安いご時世ではね。
d0045383_123542.jpg

 これが、『紀伊勝浦駅』です。駅前からは国道42号線を各方面に向かうバスが発着しています。全く平行に走る国道42号線と紀勢西線・・・補完・競合しています。そして、共に赤字に悩んでいるようです。
 この駅舎は新宮駅同様『近代的』なものですっきりはしているのですが、田舎に来たイメージはありませんね。金太郎飴式に明るくてガラス張りならお客が喜ぶと思うのはいかがなものでしょうか。
d0045383_12404927.jpg

 二階が駅になっているのですが、この角度で見ると、ますます、温泉場の駅には見えなくなりますね。駅がムードのあるものになっても客は増えないでしょうがね。
 駅前には観光地らしく土産物屋や大衆食堂もあります。まだまだ、昔ながらの観光地勝浦の面影は残しています。
 この駅前から真直ぐ進むと、勝浦の中心ともなる勝浦港に出ます。駅よりそちらの方が待ちの中心かもしれません。
カメラは真四角なのが エンサイン セルフィックス820
下は
レチナ2c+カータークセノン35mm

熊野三山と熊野の地図へ   ←←←←をクリックすると案内図が開きます。
[PR]

by je2luz | 2006-06-22 12:49 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2006年 06月 21日

熊野の旅 紀勢西線 紀伊天満駅 3 神社・津波

 紀伊天満の駅の目の前に高い石垣があり、こんもりした森になっています。駅の真正面に小さな鳥居がたっています。駅前はこの神社の木々で心地の良い日陰になっています。
d0045383_12374953.jpg

 天満も海に面している海抜の低い土地です。駅は一段高くなっていますが、海抜にすれば数メートルしかないのかと思われます。その駅より更に一段上がった形でこの神社は作られています。神社自体は天神さんとからしきものの小さな祠が並んだものです。社務所なども無い小さなものですが。大木に囲まれ気持ちの良い境内です。
d0045383_12422178.jpg

 訪れる人も無いのでゆっくり休憩するには丁度良い空間を作り出しています。ドライブインなどでは得られない安らぎの空間です。
 この神社の裏手には津波の記念碑があるようです。
 紀伊半島の沖合いには東南海地震の震源地が横たわっています。早ければ620年くらいの間を開けるだけで大地震が起きます。前回が昭和19年でしたか・・・もう、何時起きてもおかしくないのです。
 海岸線に居る時は常にどちらが山で、どちらが海かを頭に入れておかなくてはなりません。海辺に居る時は海を意識しますが、海が見えなくなると忘れるのが人間です。
 この神社の辺りに来るとすっかり忘れてしまうでしょうね。しかし、ここは津波が通過したところです。更に山よりの国道42号以上高いところでないと駄目なようです。
 紀伊天満の駅はすっぽり津波に飲まれたようです。しかし、こうした記録は忘れられてゆきます。私の住む熊野市でも甚大な被害が出たのですが、今の市民の頭の中には残っていません。
 脅すつもり打破ありませんが、海岸沿いの観光地に居る時は頭の片隅に『津波』を残して置いてください。逃げることの可能な場合が多いです。しかし、時間的余裕はさほどありません。サイレンや防災関連の自治体放送には耳を傾けてください。
 ・・・紀州だけではなく、日本中・・・いやインドネシアなどを含め多くの国々では同じ気持ちを忘れないことが大切だと思います
[PR]

by je2luz | 2006-06-21 12:57 | 熊野 | Trackback | Comments(2)