LUZの熊野古道案内

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2005年 12月 31日

熊野の旅 本日は快晴なり・・・

 電波法の規定ではないですがここ熊野はまさに『本日は快晴なり』です。
 昨夜あたりの天気予報では『初日の出』は
見られないという感じでしたが、あと20時間ほどこれがもたないのでしょうか?日本海側と違い紀伊半島南端は日本海からの雪雲は中々届かないものです。
 初日の出が見られるとすればこの辺が率の高い場所になりそうです。
 水平線上に雲の無い穂と言うのは非常に少ないですね。わずかに雲がありそこからの日の出になりことが多いですが、海を染めて上る日の出は初日でなくても感動的なものです。などpと言いつつ家の前の太平洋から上り鵜朝日を眺めたのはほんの数えるほどです。
 ことしも快晴の大晦日です。
 2007年はどんな夜明けでしょうか?

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by je2luz | 2005-12-31 12:39 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 12月 30日

熊野の旅 ミニ鬼ヶ城

 熊野の古くからの名所は『鬼ヶ城』『獅子岩』ですが、これは形は違えど同じ砂岩が侵食されて出来たものです、
 熊野市駅を降りて目の前に聳える雑木の生えた岩山も同じものです。高さは鬼ヶ城・獅子岩よりかなり高く隆起の時期が違うのかもしれません。
 この岩山『要害山』はまさに岩の塊です。前後二つの大岩から出来ています。後ろの方は鉄道と道路を通すために削られ、戦後には町を造成するために削られました。普通の小山を撤去する二と違い全部発破作業になる難工事です。広げた部分の町はほんの少しだけですが、ぎりぎり切り取った岩の上に建物が建っているのでマンハッタン同様最高の地盤ですね。私の家はこの岩山から60mほどですが七里御浜の砂利の上です。砂に比べると液状化現象も起きないので少しはましですが・・・
 この岩山は獅子岩などと同じように海に向かって侵食による洞があります。見上げるような大きなものから小さなものまで無数に開いています。
 この洞は今でも風化を続けておりどんどん大きくなっているのです。波に比べ力が弱いと言え少しずつ確実に削ってゆきます。獅子岩のあごが近年落ちました。鬼ヶ城の屋根の部分が落ちたのもつい先ごろです。私の家の駐車場の裏側の要害山の洞の下にあった小さな家は私が中学の頃につぶされました、それ以来そこには家はありません。落ちるときは本当に突然音も無く落下してくるようです。家をつぶしたものは数トンもある巨大な破片でした。
 獅子岩と鬼ヶ城が特別天然記念物に指定されていますが、普通の崖の崩壊と違い人力で支えられるような生易しいものではないですな。
 木本町周辺にはミニ鬼ヶ城のような洞のある岩は一杯あります。
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by je2luz | 2005-12-30 11:23 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 12月 29日

熊野の旅 熊野古道・・・三重県VS和歌山県

 『熊野』と言う地名を聞いて『どこですか?』と聞けば三重県内の人を除けば8割以上が『和歌山県』と答えるでしょうね。
 熊野地方は紀州の南の方全部の総称です。熊野三山の『本宮大社』『速玉大社』『那智大社』全部和歌山県にあります。だから、当然和歌山県が中心になります。
 熊野古道も都や浪速という都会からの参拝者は大阪・泉州経由で熊野三山を目指します。
 『いえにあらば けにもりぃいを くさまくら たびにしあらば しいのはにもる』などという有名な和歌も熊野に向かう道中の歌だとか・・・当然、和歌山県側の熊野古道です。
 歴史的にも三重県側はさほど有名ではなかったのですが、いまの世界遺産指定でも同じことが起きています。言い出しっぺが三重県でも世間は歴史の経緯から『熊野古道』=『和歌山県』と受け止めています。又、それで当たり前だと思います。そもそも、この辺が三重県に居ることがおかしいのですから・・・
 最近になると、経済効果の面からも『和歌山県』は一時のブームが収まりかけた観光熱を呼び戻すために宣伝活動に力を入れていますが、『三重県』はさほどでもないですね。各種関連?便乗?予算は組んでいるようですが、今以上の要りこみ客は見込めないし、今の状況ではとても観光産業などといえるものではないですからね。
 おかげさまで『熊野古道・伊勢路』は本来の静けさを取り戻しています。つまり、神々へのアプローチを感じられる『幽玄』の中に簡単に実を置ける場所になっています。
 コン高知に行きたい方は和歌山側に人気の無い古道を味わいたい方は三重県側に来られると良いのかもしれません。

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by je2luz | 2005-12-29 12:23 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 12月 28日

熊野の旅 そこそこ豊漁・・・少々太り気味のサンマ

 熊野名物・・・サンマ寿司とサンマの丸干しの材料のサンマが気温の落ち込みとともに獲れるようになりました。そこそこの豊漁らしく値段もどんどん下がってきました。スーパーの価格も下がりましたが、捨て値と言うところまでは行っていませjん。一匹50円ほどですからこの季節なら普通でしょうかね。
 このところ風も収まりサンマ量の船も出漁しよい状況です。今は闇夜に向かっていますから量に向いています。
 サンマ漁は夜の操業です。いさり火をつけてサンマを集めます。一番高く売れるサンマは『棒受け網』と言われる方法です。この辺では『ぼけ』と読んでいます。この網は細かくサンマが網に引っかかったりしないので傷がつかないのです。もうひとつの『刺し網』の方が効率は良いのですが傷が入りよいのです。
 もうひとつ、この辺の漁師、とくに遊木(ゆき)の漁師のこだわりはお腹に物の入っていない『空腹のサンマ』を捕る事です。これは、名物の『サンマの丸干し』と関係があります。丸干しはハラワタごと干します。いくら寒い時期とはいえハラワタが一杯あれば変質の可能性が強くなります。だから、お腹の中が空っぽの時間に漁をするのです。
 今年のサンマは少し大ぶりです。従って、熊野のサンマとしては余りよくないものです。中途半端に脂があるのです。これでは寿司にするには酢が利きません。熊野のサンマ寿司は江戸前ではなく押し寿司系の酢を利かせた魚を使うものですからね。丸干しにしても、塩が入りにくく
乾きにくいのです。脂が強いとその脂が変質してお腹の周りとかが黄色くなってしまいます。もう少しダイエットしてスマートにならないと熊野の漁師にもてませんね。それでも正月前にサンマがとれてくれて喜んでいるでしょう・・・

カメラは レチナ2c+80mm
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by je2luz | 2005-12-28 11:17 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 12月 27日

熊野の旅 旅人を迎える光る海

 伊勢路から熊野に入り熊野三山が遠望できるところと言うと、『大吹峠』の下り斜面でしょう。

カメラは レチナ2c+80mm
 ここにたどり着くのは夕方になることが多かったでしょう。すると、このように光る海に浮かぶ『鬼ヶ城』そしてその向こうになだらかな『七里御浜』さらにかすんで見える『紀伊連山』・・・この山々が目指す熊野三山です。
 この写真は大吹峠から降りて国道に合流した所からのものです。歩道の下は切り立った磯になり海に落ち込んでいます。
 この景色を見れば越えてきた険しい道も忘れて心はまさに『弥陀の浄土』へ飛んで行ったのでしょうね。
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by je2luz | 2005-12-27 11:28 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 12月 26日

熊野の旅 消える村 鵜殿

 2006年1月9日、全国にもそこそこ知られていた『日本一狭い村・鵜殿村』が消滅します。10日からは隣の『紀宝町』と対等合併して?『紀宝町』になります。名前は紀宝町になり役場は今の鵜殿村の物を使うようです。役場を取って名前を捨てたようです。
 鵜殿という地名は古くある地名で紀宝と言うものは昭和の合併で考え出されたものです。元の井田村、相野谷村などが合併したものです。地形的には小さな鵜殿村をすっぽりと包み込むようになっています。だから、合併して当たり前のものです。
 鵜殿村は『紀州製紙』の城下町です。工場と社宅などを含めると一割ほどが紀州製紙のものというくらいです。
 昔は製紙工場も景気が良かったので固定資産税や償却資産税の他に、いろんなことがあるたびに巨額の寄付が貰えたので、城下町の鵜殿村は裕福でした。田舎の市町村はずっと地方交付金に頼っていましたが鵜殿村は近年までもらっていませんでした。しかし、近年は製紙業界も苦しく、新宮市にあった『巴川製紙』が閉鎖なったくらいです。紀州製紙もいつまで操業が続くか不透明です。
 こんな状況から鵜殿村が単独でいるメリットが無くなって合併を選んだようです。
 それにしても、熊野川の河口に鵜が群れていたであろう『鵜殿』もこれで単なる字名になってしまいます。
 熊野地方は合併も少ないのですが、このようにしてなじんできた地名がここ数年でたくさん消えてゆきました。紀行文を読んでもよく分からないようになってくるのでしょうね。紀行文の欄外に古文の参考書のように一杯注釈がつく時代になるのかもしれませんね。

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by je2luz | 2005-12-26 10:47 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 12月 24日

熊野の旅 山の恵み

 熊野は山と海の国です。
 木曽路はすべて山の中ですが熊野路は海の見える山路です。人の暮らしはその山すそにへばりつくように営まれてきました。それは今も変わりません。
 熊野は林業の町でした。過去形なのはこのところの材木不況で林業で暮らしを立てることが不可能になっているからです。 一般に言われる森林荒廃は熊野でも始まっています。大きな林業かがいない分、隣地の管理が良く行き届いているのが熊野の林業の特徴です。その分、管理が出来なくなってから荒れるまでに少し時間的な余裕がありました。しかし、すでに20年ほどの間、落ちつづけ、今では伐採をすると金が貰えるのではなく、経費を請求されて赤字になると言うありさまです。40年から100年管理した美林が金にならない異常事態が全国の田舎を急速に衰えさせています。
 盗伐された外在が無制限に輸入される事態は海外からの非難を浴びているのですが、マスコミは書こうともしません。
 日本の田舎はほとんど山の中です。つまり、林業の衰退は田舎が廃墟になると言うことです。食料の生産も猫の額のような農地ですから自給がやっとこさです。農産物で現金を得るなど不可能なところが多いです。
 テレビのルポなどで出てくる村おこしで直売所を作って・・・これも、ほんの家計の足しになれば良い方で一時的な趣味の世界的なものの多いのが現状です。
 この僻地熊野が永久に得られる山の恵みは『水』と『きれいな空気』でしょうね。
 車公害が叫ばれて久しいですが、ここでは国道でもラッシュがなくぽつぽつとしか車は通りません。目をつぶって横断しても車に当たる率はさほど高くないでしょうね。過疎が進行していますからこれからも車が減ることがあっても増えることはないと思います。
 山深い紀州と吉野・・・最後に残る神は山の神かもしれません。

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by je2luz | 2005-12-24 14:09 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 12月 23日

熊野の旅 海の恵み

 熊野は海と山の地です。平野などと言うものはありません。海岸線から山までの直線よりは最大で1Kmもありません。当然、海と山で暮らしてきたところです。南国で水にも恵まれながら、『国』と言うものが生まれる頃から僻地になったのは、平地が少なく食料であり財政の基礎でもある『米』があまり取れないからです。養える人口は限られます。つまり兵力もないということです。おかげで合戦の記録はありません。しかし、食い詰めての一揆の記録はあります。
 ここに住み着いた人が受けた天の恵みの中でこの季節にはっきり分かるのが『海の恵み』です。これは単に食料の魚が取れるだけではありません。冬でも水が凍らないと言うことです。
 黒潮のように温かい水が目の前を流れていると当然気温も下がりにくいのです。季節風が強くて北からの空気に入れ替わると温度は下がりますが、無風だと海の水に温められた空気が包み込んでくれます。おかげで温暖な気候に恵まれます。
 海岸線では真冬でも蝶が飛び青虫が野菜を食い荒らします。困ったことですがそれだけ暖かいのです。真冬でも野菜が作り続けられます。これが昔の人にとってどれほどありがたかったでしょうね。
 海岸線だけを見ると、外に置いたバケツの水が凍るのは年に数回程度です。底まで凍るなどと言うのは十年に一回あるかどうかです。今回の寒波程度なら表面も凍りません。
 海の恵みの中で黒潮の流れる南紀や高知などが受け取れるものです。
 と言いつつも、やはり寒いです。11時現在で外気温は9℃あるのですが・・・
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 黒潮が穿った奇岩・・・『鬼ヶ城』
カメラは コダック・メダリスト I
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by je2luz | 2005-12-23 11:40 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 12月 22日

熊野の旅 大寒波襲来

 私が子供の頃の方が気温が低かったので、山間部ではよく雪が積もったものです。最近でも年に数回は雪が積もり国道も通行止めになります。この雪に湯折る通行止めが出るということを理由に『熊野ー尾鷲間高規格道路』と言う名の高速道路が着工されています。道路公団の高速道路が松阪方面から南下してきているのですがここまで来るのは何時になるか分からないと言うことで『国道のバイパス』として着工されたものです。
 今の42号線でも熊野の花火の日以外は渋滞が無いどころかがら空きの状態なのに高速道路を作ってどうなるのでしょうね。ただなら走る人も居るでしょうがお金を払ってまで・・・たった35Kmを高速に乗る意味があまりありませんからね。積極的に誘致運動をした地元の運送業界など『そんな無駄な金は使えない』と言っています。これは、全国共通の図式ですね。『他にあるのもがおらが村に無いのは理不尽だ・・・』と言う間隔ですね。永久にもとの挽けない道路ですが尾鷲側では長いトンネルの工事に掛かっています。
 その『高規格道路』の理由になった寒波がやってきています。海岸線でも昼日中に吹きラマって居ます。このままだと夕方には国道42号線が通行止めになるでしょうね。
 雪の降らないところに雪が降ると怖いですよ。自分が四輪駆動にスタッドレスだから大丈夫などと思わないでください。ほんの少しの雪で事故の山を築くのが南国の運転手です。
 こんなに雪が降っていても太陽が出れば陽だまりはぽかぽかと暖かいものです。
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カメラは プリモ・フレックス・3A
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by je2luz | 2005-12-22 13:29 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 12月 21日

熊野の旅 古道と里

 古道と言えども狭い日本を走っているのですから。フル今なの雰囲気のまま残っているところはほとんど山の中だけです。里道だった所で残っているところはほとんどありません。砂漠の中を進むシルクロードのようなわけには行きません。
 これは過疎の一途をたどる熊野市内でも同様です。ピークより1/3は減ったとは言え、これでも室町時代などに比べればうんと人口は多いのですからね。
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 これは松本峠の山道の入り口です。
 お百姓さんの作業小屋が建っています。非常に残念なことに無粋な途端壁ですね。この辺りは戦後すぐ位までは、屋根も壁も杉皮で葺いた家が多かったのです。皮でなければ杉板でした。
 この建物もせめて目立つ壁を杉皮張りにすると雰囲気が良くなるのですがね。この上からペロンと杉皮をかぶせ目板で抑えるだけですから実用上の耐久性も変わらず、お金もほんの少しで済むのですがね。変な施設や看板を毎年作るより良いとは思うのですが・・・
 松本峠ではこの建物以外は邪魔になるものはありませんね。車を降りると同時に古道の山道ですから・・・
 カメラは プリモフレックス3A
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by je2luz | 2005-12-21 12:08 | 熊野 | Trackback | Comments(0)