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LUZの熊野古道案内

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2005年 10月 31日

熊野の旅 熊野古道歩きと公共施設 郷土資料館 2

 郷土資料館についてもう少し書きたいと思います。
 郷土資料館の建物は白塗りの蔵を模したこのと思われますが、中も蔵のように狭いものです。
 どうせ一杯になるほど宝物など無いから・・・と言う感じで作ったのでしょうか?
 二階建ての建物も展示スペースには狭すぎる感じです。
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 大体、田舎のこうした所にはさほどのものは無いことが多いですね。
 城下町などではお殿様が居て武士が居て・・・つまり、行政機関があったので記録文書も残っているし、槍・刀・甲冑の類も残されています。価値は別にして展示物としては最適です。文化的にも城下町は経済の中心でもあるのでそれなりに文化も発達しています。そうした遺産も残っています。
 ここ熊野の地は紀州藩の僻地でした。古くは日本に神社が生まれる時にはイザナギ・イザナミのような神々が住んでいるほど重要な土地だったようですし、縄文とかの土器とかも出土するようですが、およそ歴史がはっきりするような時代になると全く空白地帯になっています。
 このように熊野が歴史の上で空白になっていることを『意図して消された地域』と考える向きもあります。
 しかし、気候温暖で飢え死にの危険の少ないこの地方は原始時代には住み良かったでしょうが、『国』と言うものが生まれてくると、平野が全く無い・・・国の基盤が無い・・・所なのです。紀伊山地は北からの侵入を防いでくれますが、裏返せば進出の道も無いということです。この地方を押さえる豪族とは所詮地方豪族の域を脱しないと言うことです。やる気があれば、とうの昔にこの地を出て畿内に移っているはずです。
 たまに少し目立つと『神武東征』とか『坂上田村麻呂の鬼退治』で叩かれるのが落ちです。そういう意味ではこうして消された空白地帯かもしれません。
 残ったのは『神々の里』として信仰の対象・・・『霊場熊野』だったのでしょう。

by je2luz | 2005-10-31 11:37 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 10月 30日

熊野の旅 熊野古道歩きと公共施設 郷土資料館 1

 熊野古道は役所主導で世界遺産指定を受けたものです。従って、紀伊半島の各地で関連施設が一杯計画されています。例によって『○○会館』のようなものです。
 熊野市では民家寄付してもらって修復して開放しているものがありますが、他にも何か作ろうとしているようです。
 以前から存在する『郷土資料館』は有馬町にあります。確か月曜日閉館だったと思いますが他の日は開いていますし、入場は無料です。
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 クラをイメージしたもでしょうが少し味気ない建物です。これは世界遺産に関係なく随分以前に立てられたものです。きちんと管理人が常駐しています。
 展示スペースが非常に狭く、展示されていない資料もあるようです。資料の閲覧室も設置されていないのと保管倉庫も無いので困っているようです。
 場所的には花の窟から400mくらいの場所で、ここを経由して産田神社に回って行けます。
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 休憩がてらに立ち寄られれば良いかと思います。
 下の写真は会館を出たところから花の窟を眺めたところです。
 会館の中については次回の世帯と思いますが、残念ながら資料的には充実しては居ません。

by je2luz | 2005-10-30 12:29 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 10月 29日

熊野の旅 古道歩きと天候

 尾鷲は日本一多雨地帯として有名ですが、隣接の熊野も雨量の多いところです。目の前に太平洋、すぐ後は紀伊山地という複雑な地形なので雲が発生しやすいのと、台風のときの南からの湿った空気が背後の1000m級の山にぶつかって雨を降らせるのが原因です。
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 多雨地帯といっても屋久島のように毎日降るというような形ではありません。晴天の日数は他のところとあまり変りません。尾鷲と熊野の境の矢ノ川峠周辺は雲が掛かることが確かに多いですが多雨の意味は回数ではなく雨量のことです。
 この辺りの雨は一旦降り出すとかわいらしく無い降り方をします。
 車で走っているとワイパーを高速にしてもまったく役に立たない降り方をすることが結構多いです。
 近年では東京などでもそうした降り方をするようになって来ましたが、南方の熊野では常識です。
 時間雨量100mmとかの夕立が降ってもさほどの被害を受けないのは、こうした気象条件で地形が形作られているので。平らな河川敷などありませんし、そんなところに人は済んでいません。最大の河川『熊野川』でも河川敷と言うものは無いのです。河口に開けた小さな扇状地に出来た新宮市はずっと洪水に悩まされてきました。
 雨量がものすごく多いので、そういう日には散策も困難になります。天気予報に気をつけて、大きな低気圧や台風の近づくときは避けて下さい。造成造成で作っていった観光地の旅館とは違い山崩れで寝ているうちに流される心配は無いですが、行動が取れません。
 古道は山の中に作られていますから、斜面の水を集めて川の状態になります。その為路面が流失しないように石畳になっているのです。豪雨に遭われたら街中の散策にでも切り替えてください。

by je2luz | 2005-10-29 12:39 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 10月 28日

熊野の旅 熊野古道の土産 御浜小石

 熊野古道を歩いた記念に何か欲しい方も居られると思います。
 サンマの丸干しや干物類、お菓子の類の他にずっと残る物に『御浜小石』があります。
 売店で売っているものは、七里御浜の石の中からきれいなものを一つ一つ手で拾い集めて磨いたものです。金魚撥に入れるも良し、鉢植えの根元に敷くも良し、記念にはもってこいです。
 七里御浜にはこの原料の石が一杯あります。この石で出来ているのが七里御浜です。
 黒い石は那智黒系のものです。真っ白なのは北山川のそばに少しだけある石です。グレーの石や茶色の石・・・実に様々な石が混じっています。
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 これらの石は熊野川が紀伊山地を削って運んできたものです。何千年、何万年もかかって出来た砂利浜です。
 この石を採取するには『砂利採取業者』の登録と許可が必要です。昔はこの砂利を勝手に運んでコンクリートを打っていたものです。今では生コンを買って使いますから運ぶ人もいません。運んでいるのが見つかれば叱られますからね。
 七里御浜に出て散策したり休憩した時には座った回りを眺めてみてください。実に色々な石があります。波が荒いので貝殻はほとんどありません。貝自体が生息していませんからね。
 採取が禁止されていても、記念品にもって変える程度ならとがめられることはありません。気に入った形と色のものをもって変えれば売店で買ったものより想い出になると思います。
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 砂利浜もダムの影響で新しい石の補給がなくなってどんどんやせてきています。波が休みなく削り続けるのでどんどん粒が小さくなっています。写真のように砂のような部分が増えています。かつては松原の根元にしかなかったものです。
 御浜小石を拾いながら資源に逆らう恐ろしさも感じてください。

by je2luz | 2005-10-28 12:22 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 10月 27日

熊野の旅 熊野古道 浜街道の歩き方


 写真は七里御浜の北の端、鬼ヶ城東口にある『脇の浜』方向を写したものです。ここから南に22Kmあまりこのような砂利浜が続きます。
 この弓なりの砂利浜に沿って熊野古道・伊勢街道のうちの御浜街道・浜街道が走っています。国道42号線も海岸線を元の松原の内側の位置を通っています。JR紀勢線もそのすぐ内側を併走します。
 御浜街道を進むと当然のこととして、このきれいな砂利浜を歩きたくなるものです。距離にして20Km一寸ですから、それくらいは『丁度良い行程』と思いがちですが。砂利浜は砂地よりもさらに足を取られるものです。踏ん張れば踏ん張るだけ足をとられて前に進みません。通常の三倍くらい疲れると思ってください。

 二枚目は南の方に向かった写真です。これで七里御浜の全貌が写されています。
 二枚の写真で波打ち際サイドの砂利の色が変って見える部分があると思います。
 今はベタナギの季節ですから、荒波で名を売る熊野灘も瀬戸内同様におとなしくなっています。
 この部分は水に濡れているわけですが、波の打ち寄せる位置よりかなり上になっています。これは何百回とかに一回大きな波が来ると言うことです。波の無い日であれば、例えこの波に足を洗われてもびっくりするだけで済むでしょう。しかし、これが普通程度の並であれば立っているのがやっとになります。台風の余波や土用波ですとそのまま海にもって行かれます。
 この七里御浜は、波頭の立つ目の前の岸辺から既に足は立ちません。立てる場所は海の中には無いのです。
 波頭を越えて岸にたどり着くことは私達のようにこの浜で泳いで育った人間以外は非常に難しいものです。叩きつけられて又海に戻され・・・先の見えた話です。まして、服を着て靴を履いてリュックまでしょったよその人では生きて帰るのは奇跡でしょうね。
 お願いですから『ふだらく信仰』の地だからといって海に入って極楽浄土を目指さないで下さい。
 浜を歩く時や、浜で遊ぶ時はこの濡れた部分には入らないで下さい。
 浜は傾斜しています。逃げようとしても思うに任せません。膝より上まで波に浸かれば逃げられません。命懸けで踏ん張って引くのを待つしかありません。動けば流されます。こんな注意を読んでいても、いざとなれば騒いで流されるのが落ちです。波の荒い日に流されたら、岸に帰らず一旦沖に出るのですが、それも思いも及ばないでしょうね。
 子供さん連れは一瞬も目を離さないで下さい。波を見ると子供ははしゃいで水に入ります。
 熊野の海はそのままあの世に繋がっています。それだけは肝に銘じてください。
 地震が揺ったら、一目散に堤防の内側まで逃げてください。沖を見て様子を見る時間は有りません。東南海の震源地はこのすぐ沖です。
 きちんと用心していれば、七里御浜は何処で海に下りてもきれいな砂利浜です。
 潮風と無限に広がる太平洋を満喫してください。

by je2luz | 2005-10-27 14:11 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 10月 25日

熊野の旅 映像散歩 写真と時間

 熊野の撮影ポイントでは一番が『獅子岩』そして『鬼ヶ城』『松本峠』『七里御浜』などになると思います。
 風景写真を撮る時は、天候のほかに時間が大きく問題になります。人物は向きを変えられますし、近距離のものはストロボなどの補助光線を使えますが大きな風景ではそうも行きません。撮影する側の位置関係もあまり動かせません。
 熊野の場合朝日は海から昇り夕日は山に沈みます。
 案内の地図のように、熊野の海は東から南かけて広がっています。
 熊野古道は基本的に海岸線に沿って延びています。
 このような条件から朝日が昇る早朝は条件のいいところが多いですね。
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 『鬼ヶ城』は太平洋に向かって洞穴が開いていますから、『千畳敷』を撮影するなら、朝日の昇るときしか無いくらいになります。その時間ならおくまで日が差し込んでディテールがきちんと写し取れます。
 松本峠に関しては斜面が南に向かっていてその方向に七里御浜の遠景が広がりますから、午前中から午後まで良いのですが、少し日が傾くとシーズンによっては逆光になってきます。杉並木を撮るのに良い時間は七里御浜が逆光です。それでもほぼ一日撮れる場所です。
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 『獅子岩』に関しては、獅子に見えるのは展望台のある西よりからだけですから、『獅子岩』をきれいに写し取れるのは少し日が西に廻る時間からになります。人物を入れての記念写真なら尚更です。冬なら午後二時、夏なら午後三時頃からでしょうね。夏至に近い時期には獅子岩を日の出に逆光で撮影することも可能です。
 花の窟も同じ時間帯です。
 七里御浜は日が傾くと半逆光になってきます。
 このように自然のものは動かせないのでベストの時間は限られてきます。真夏は太陽が真上に来るので影がきつくなりますが、冬場はお昼でも少し傾いているので撮りよいかと思います。
カメラは コダック メダリスト 1

by je2luz | 2005-10-25 11:29 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 10月 24日

熊野の旅 映像散歩 木本祭り 8

 ずっと木本祭りの出し物を掲載してきましたが、木本は道が狭い町です。従って山車なども小さめに出来ています。
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 写真は前に載せた新出町のだんじりです。つくりはきちんとしていますがミニチュア判です、この大きさで無いと町内を巡回できないのです。
 どの写真を見ても見物人がほとんど移っていないことにお気づきでしょうか?
 この写真も20年余り前のものです。既にこの頃には見物する人が人垣を作ることはなくなっていました。間口三間に一人か二人しか住んでいない古い町屋ばかりです。一割ほどは家も取り壊され駐車場になっています。
 かつては近郷からの見物人も居て人垣が出来ました。当然の当に出店も沢山出ていました。町中が祭りムードでした。各家では御馳走も作りました。この風習はまだ全国あちこちに残っているようですね。都市部では祭り復活ムードもありますが、祭りこそ過疎に勝てないのです。
 この本町通りには戦後になってから二階建てが少し建てられていますが、祭り見物に二回を使うことは出来ませんでした。とくに神輿を上から見ようものなら若い衆が駆け上がってきて引き摺り下ろされました。今ではそういうことも無いようですが、二階から眺めなくてはならないほど人が居ないし、習慣で二階から見る人は居ないようです。
 寄付の少ない家に神輿をぶっつけると言うようなこともなくなりました。こうした悪習慣がなくなると共に祭りがおとなしくなってしまいましたね。
カメラは ニコマートEL

by je2luz | 2005-10-24 11:35 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 10月 23日

熊野の旅 映像散歩 木本祭り 7

 木本神社 浦安の舞
 浦安の舞は全国的に残っているようですが、小さな神社である木本神社では奉納の舞を舞う『巫女』は居ません。従って、祭りのときだけ女の子を選んで巫女さんにします。写真から計算すると10歳から11歳学年ですから小学5年生でしょうか・・・
 4人の女の子が一ヶ月ほど練習して舞います。
 この舞も古くからあるようで今はもう居ない伯母達も踊ったそうです。
 今なら女の子が一学年十数名ですから神社側が探すのに骨を折るでしょうね。昔は一学年60人ほど居ましたからこれに選ばれることが大変名誉だったそうです。ロッポやヨイヤに選ばれるのも名誉だったのです。
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 かつてはちょっとしたことがあっても写真館に行って記念写真を撮ったものですから私の姉の時などは写真館の台紙に張ったものが残っています。数年前からは、近くに写真館もなくなってしまいました。我が家では自前の記念写真で済ませてきましたから子供達の写真館での写真は一枚もありません。
 舞姫役も朝早く着付けをして、午後4時ごろまでそのままですから結構疲れるようです。
 こうした行事に必要な子供の数だけでも維持できれば良いのですが・・・

by je2luz | 2005-10-23 11:20 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 10月 22日

熊野の旅 映像散歩 木本祭り 6

 新出町 だんじり
 新出町(しんでまち)は木本町では木本神社の反対側の端に位置する町です。反対側と言ってもせいぜい500Mほどしか離れていません。
 この町内には稲荷さんがあります。
 木本祭りは色んな出し物が町内を巡行しますが、御神体を載せた神輿は巡行せずに、神社からこの稲荷さんまで来て一休みし、帰ってゆくというものです。従って、この町内が神輿を迎えに出向くと言う形になり、役町でも一番重要とされ、行列の先頭を進みます。
 町としては岩山が面積を占めているので戸数の非常に少ないところです。
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 ここは私の町内なのですが、子供が小さい時には子供の写真を撮りに出ましたが、山車事態を撮ったものがあまり無いようです。
 今年このコーナー用に祭りを少し撮ったのに、この山車の行列は撮っていませんでした。まさに枚数ゼロでした。この写真で25年ほど前です。
 ここの山車を引っ張るには子供達です。25年前でも子供が減って引っ張り手が足りない・・・と、町外へ出たところの子供も動員していました。ところが今の小学生の数はさらにこの当時の1/3以下です。新出町内の小学生だけですと、一家族2名だけです。山車はびくとも動きません。ずっと祭りに携わってきた人でも。今、綱を引いてくれる子供達の顔を知らないそうです。
 山車を取り仕切り、出しに乗って『伊勢音頭』を歌う人と引っ張り手の間につながりがなくなってしまいつつあります。しかし、私が平均的年齢より若い町内では子供が生まれる見込みは無いですね。祇園さんの引き手のようにアルバイト動員するようになるのかも・・・
 昔はこの町内の役員は大島を着て参加したそうです。今でも皆さん和服ですがウールになっていますね。酒をかけられるような祭りに大島など着てられませんからね。それでも、和服を着る伝統だけは残っていますね。

by je2luz | 2005-10-22 11:34 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 10月 21日

熊野の旅 映像散歩 木本祭り 5

 井筒町 子供神輿
 ここの神輿は小型の『子供神輿』です。子供神輿の割りにしっかりした神輿なので樽神輿のように高々と差上げたり出来ないようです。背丈も違うので肩に担がずに下げて歩いています。
 そのせいなのか、掛け声の割りにおとなしい感じです。
 この町内は広いようですが、天理教会と木本小学校が場所を取るので民家の数も多くありません。かつて民家が建っていた場所も天理教会の駐車場になってしまい広場になっています。

 今では担ぎ手が少なくて苦労しているようですが昔は人数が多すぎて気の弱い子は神輿に触れることも出来なかったそうです。
 この町の宿所などは天理教会の宿舎や駐車場を使わせてもらっているようです。
 昔はこうした町内に子供が沢山居た事もありますが、木本町内でこうした出し物を持たない町や子供が皆で参加できない町があり、その子供達が押しかけてくるので大変だったようです。
 前にも書きましたように、木本小学校で児童数1500人居たのですからね。中学生を入れると2000人を超したわけです。その子供達がご褒美の駄菓子と宿所で出る薄いカルピスや酸っぱいみかんに目を輝かせた時代でしたから・・・
 今の時代、おいてある駄菓子に目もくれない子供も居ますね。その分、夢がなくなったのかも分かりません。
 カメラは レチナ1a クセナー50mm2.8

by je2luz | 2005-10-21 10:39 | 熊野 | Trackback | Comments(0)