LUZの熊野古道案内

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2005年 05月 31日

熊野古道  本宮道 風伝峠

 いよいよ、熊野市を離れ熊野三山に向かいますが、南牟婁郡御浜町に入ってしばらく進むと阿田和(あたわ)地内で街道が二つに分かれます。まっすぐ行くと2里あまりで熊野川に出ます。川向は新宮です。昔(昭和初期まで)は成川(なるかわ)に渡し舟がありました。急流熊野川ですから、ほんの少し水が出れば川止めでした。と、言うことは・・・宿場が繁盛し、女郎屋も・・・だったようです。
 今回は阿田和から右に折れ『尾呂志街道』(おろしかいどう)を進み、風伝越え(ふうでんごえ)で。鉱山跡の板屋を抜け、本宮大社に向かいます。
 今は熊野市から山を抜けて斜めにここに向かう311号線が主流になりましたが、1960年ごろまでは紀和町に入鹿(いるか)鉱山があり、賑わっていましたから、この風伝越えは非常に賑わっていたそうです。頂上には『風伝茶屋』があり、『風伝餅』が名物になっていました。今は、311号線改修に伴いトンネルが掘られ峠を越えることもなくなりました。峠を通らなくなってもしばらくは風伝餅を峠で売っていたようです。
 この風伝峠を境に裏側は熊野川沿いの寒い紀伊山地、表側は太平洋の暖かい気候と、極端に気候が変ります。そのため、晩秋や冬の風のない日の出時に霧が峠を越えて一気に駆け下ってきます。この現象は『風伝下ろし』といわれます。気象条件と時間が合わなければ見られません。地元の人には珍しくなくても外の人間には・・・
 寒い季節にこられた方は、一か八か朝日の中を風伝越えにチャレンジされたら如何でしょうか?
 この写真は、全く偶然に遭遇した時のものです。アマチュア無線の為に移動していたのですが、運良くカメラが載っていたので撮影できました。

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by je2luz | 2005-05-31 09:13 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 05月 28日

熊野古道・・・寄り道・・・熊野大花火大会

 毎年8月17日はこの地方で一番大きなイベントの『熊野大花火大会』が行われます。
 この花火は古く、江戸時代に端を発しています。
 海上は木本の前に広がる浜です。左端が鬼ヶ城、右端が獅子岩という1Kmほどの会場です。
 私は上沼恵美子流に言えば『花火は家の庭でやりまんえんで・・・』と言う場所に居を構えています。
 木本町にある一番檀家の多かった『極楽寺』のお盆の灯篭焼にはじまったとも言われています。今でも、近在の人は『木本の花火』と呼びます。
 今は熊野市と熊野市観光協会の共催で、お役所主体で、企業の寄付を当てにする部分が大きいのですが、以前は地元、『きのもと』の人たちと商店の寄付、そして初盆のお家の寄付で大部分をまかなっていました。木本中の家が何がしかの寄付をしていたものです。その分、この花火大会にはものすごく愛着があったものです。それも、広域になり、自分達の手を離れてから段々薄れて行きましたね。
 熊野の花火・きのもとの花火の呼び物は最後に行われる『鬼ヶ城の仕掛け』です。
 途中である、太平洋上で置くなわれる『海上自爆』も、尺玉を目の前の水面で爆発させるので半円形に開く大きな花火が水面に反射して美しいものです。最後に三尺玉を一つ爆発させたりしますが、600mほどの花が目の前で開きます。しかし、この花火がおもちゃに見えるのが『鬼ヶ城大仕掛け』です。
 鬼ヶ城の説明でも少し触れましたが、この鬼ヶ城が砂岩で出来ていて、破片になって飛び散る心配が無いということから、岩盤の上に花火を直に置いて自爆させます。上空、海上向けて打ち出す花火も豪華ですが、最後を飾る『尺玉』『二尺玉』の自爆の迫力は他では真似が出来ません。会場のすぐ目の前、硬い岩の上、洞穴があって天然の反響板つき・・・この条件ですから、私の家のように会場に接した家は500mほど離れていても家が揺れます。音圧で窓ガラスが悲鳴をあげます。
 この最後の仕掛けだけを楽しみに遠方から長年通い続ける人も多いです。花火の数は田舎町ですからPLなどには負けますが、絶対に負けないものがあります。テレビで放送されても絶対に伝わりません。家をゆする音圧や地面から揺れる迫力を出すことは無理ですからね。
 熊野古道巡りもいいですが、この花火を見ないと本当の南紀は語れません。ただ、宿泊などが・・・
 あまり花火の写真を撮りません。再現できないからです・・・
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by je2luz | 2005-05-28 18:01 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 05月 27日

熊野古道 浜街道の風物 和船

 七里御浜は砂利浜です。昔からこうした浜のあるところでは地引網が引かれてきました。ここでも、昔は木本町の2統をはじめとして集落ごとに網はあったようです。
 半農半漁が地引網漁の人たちの共通した暮らしでした。
 有馬松原を進むと三箇所ほど今でも地引の船が置かれています。
 高潮用の堤防の中に引き込まれ、シートをかけられて、ほとんど出漁するj個ともなくなりましたが、いつでも動かせるように準備されては居ます。
 松原に和船・・・日本の浜の原風景がまだ見られます。堤防がなければムードは最高ですが、堤防無しでは生活が脅かされます。外は台風銀座、熊野灘です。
 光る青いきれいな海・・・荒れる真っ黒な海・・・共に熊野の海です。
 この海の向こうには『極楽浄土』があるのだそうです。帰らぬ船旅にでた高僧も沢山居られました。それも一つの熊野信仰です。

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by je2luz | 2005-05-27 17:09 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 05月 26日

熊野古道・・浜街道 2 有馬松原

 日本の海岸美を表す言葉に『白砂青松』というのがあります。
 七里御浜は昨日の写真のようにきれいな砂利浜が20Kmもつながっているわけですが、その内側には松林が作られていました。熊野市では花の窟を過ぎたところから志原尻河口まで、ずっと松林でした。・・・・過去形なのです。
 防風林には背の高い植物が向いています。潮風にも強くなくては駄目です。松はその条件を満たしているので日本中に植えられたのです。大きくなると25mにはなります。そのくらいで有効範囲は50m以上になります。
 日本中で松枯れが問題になりましたが、これはまだまだ進行しています。あまり騒がなくなったのは、松が姿を消してしまったから騒げないところもあるのです。
 この地方の松枯れは日本でもトップを切って始まりました。原因と言われる松くい虫が媒体する線虫は輸入材についてきたと言われます。ここは、戦後すぐから大量のパルプ材が持ち込まれました。紀州製紙・本州製紙・巴川製紙と紙産業のメッカでしたから当然のことでした。そして、昭和20年代には松枯れが始まりました。
 残念ながらこの見事な松林であった『有馬松原』はわずかな松を残すのみになりました。
 今は、温帯性広葉樹林が続いています。その間に植林された若松が混じります。この樹林の中に遊歩道が作られています。地道ですから歩くには快適です。松原の外側は延々と堤防が続いていますが所々浜に出られるように門が開いています。堤防の上を歩くもよし、林の中を歩くもよし、浜に出て休むもよし2Kmほどは心の休まる浜街道です。
 途中のスーパーなどの駐車場を拝借して散策されることをお勧めします。ここは営林署の管轄ですから遊歩道以外の施設はありません。必要なものは持ち込んで、ゴミは持ち帰ってください。
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by je2luz | 2005-05-26 20:16 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 05月 25日

熊野古道・・浜街道 1 ・・七里御浜

 こんどは元に戻って熊野古道の浜街道を熊野三山の方へ進みます。
 花の窟のところからまっすぐ海に沿って進むのが『御浜街道』新宮・速玉大社に向かいます。
 ここから山手のほうを進み、今の国道311号線のルートで山を越え紀和町経由で熊野川の中流に出て本宮大社に向かう『本宮街道』もありますがこちらは険しい道です。
 御浜街道は緩やかに弧を描く七里御浜沿いを歩くもので起伏も無く楽な行程です。その道の落とし穴は途中にある志原川(しわら)・市木川(いちぎ)・尾呂志川(おろし)の河口です。大きな川ではなく橋の無い時代でも砂利で閉塞しているような河口を渡るのは簡単です。しかし、一端雨が降るとそこに足を入れるとあり地獄のように歩くことも出来ず、海にさらわれてしまいます。降っても、海が荒れても危険なところです。上流まで回れば長い川ではないので渡る事は可能ですが土地不案内の人は犠牲になることもあったようです。
 今では海岸沿いに国道が走り小さな川なので気が付かないうち気越えています。
 七里御浜は写真のように広々とした玉砂利の海岸です。新宮までの20Kmほど全てがきれいな浜になっています。何処で海岸に出られても爽快な気分を味わえます。
 次は花の窟の傍から始まる松原、『有馬松原』を案内いたします。

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by je2luz | 2005-05-25 19:14 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 05月 24日

古道のわき道 6・・・大泊・清滝

 この『清滝』は地元では泊の滝(とまりのたき)と呼ばれる、さほど大きくはないが姿のきれいなものです。
 国道42号線を尾鷲方面の走ると道路の正面にあります。松本峠を下って大泊に出ると左手に見えます。
 昔の街道ですと伊勢街道二番目の峠『大吹峠』(おおぶきとうげ)の上り口の近くになります。
 全国のきれいな滝はほとんど信仰の対象になっていますが、ここの滝も民間信仰の対象になっています。滝の上には弁財天が祀られているようです。滝つぼの横には小さな祠が作られているだけですが、上の弁天さんには昔はきちんとお堂があったやに聞きます。そして、古道の途中から参道が延びていたようです。最近になってそれが分かってきたようです。お寺があってとか神社があっての信仰対象は記録も割りとはっきり残ってきますが、お寺も無かったようですから伝承以外残っていません。
 この滝の流域はあまり広くないため、日照りが続くと滝が消えてしまいそうになります。しかし、日本一多雨地帯にあるので、ほとんどのときは滝が見られます。特に梅雨時や台風のあとでは迫力のあるきれいな滝が国道を行くドライバーの目を楽しませてくれます。
 場所は国道42号線の難所の一つ『佐田坂』の上り口になります。滝の前は改修前の国道が少し残されていて、数台の車は留められれます。簡単に滝つぼに出られますから、水しぶきを浴びながら一休みされるのもよいかと思います。休憩施設やゴミ箱の設置はございません。汚さないようにしてください。 
 この写真も赤外フィルムによるものです。
 次は浜街道を少し前に進みます。

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by je2luz | 2005-05-24 17:15 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 05月 23日

古道のわき道 5・・大泊海岸

 熊野古道・松本峠を木本から越えたところに広がるこのきれいな砂浜が大泊海岸海水浴場です。
 七里御浜が砂利浜なのに対し、ここは大泊(おおどまり)は白砂です、鬼ヶ城が邪魔をして熊野川から延々と流れてきた砂利はすぐ裏側のこの浜には来ないのです。ここの浜は、この入り江の奥の山から流れ出る紀州御影の砕けた物です。
 長さはさほどないのですが、適当に遠浅で水もきれいなのでA級の海水浴場です。木本から新宮までの七里御浜は波が荒く、すぐに深みに落ち込みますから海水浴は出来ません。従って、市街からトンネル一本挟んだだけの距離のこの浜は地元の子供にとっては貴重な遊び場です。流れ込む川も山から流れてくる間にさほどの家もなくきれいな水で、流れも緩やかなので小さい子供の水泳場に喜ばれています。しかし、湾があまり奥まっていないので、土用波が出始めるとすぐに影響を受けてしまいます。後日説明しますが木本の花火・・・熊野大花火大会までがシーズンで、それを過ぎると人影がまばらになります。
 熊野にはもうひとつ『新鹿海岸』と言う、もう少し広い海水浴場があり、そちらの方が民宿などは多くなっています。新鹿は「あたしか」と読み、JRの珍駅名の一つに数えられています。そちらも、後日案内いたします。
 大泊にはきれいな滝があり『清滝』と言います。明日はここを紹介します。
 今日の写真は赤外フィルムを使っていますので新緑の山は雪が振ったように白く写ります。

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by je2luz | 2005-05-23 13:42 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 05月 23日

古道のわき道 4 鬼ヶ城2

 鬼ヶ城は伊勢・志摩まで続くリアス式海岸の始まりです。
 熊野の山は『紀州御影』といわれる硬い御影石のところ、『那智黒』で知られる真っ黒な石の『黒色粘板岩』のところ、そしてこの一角が細かい砂が固まった『砂岩』・・・この三種類で出来ています。
 鬼ヶ城や獅子岩・花の窟など海岸に出ている砂岩の部分が侵食されて無数のくぼみになっています。それが獅子に似ているのが『獅子岩』と呼ばれ、大きな祠みたいにになったところが『鬼ヶ城』隣、その中で平らで広い部分が『千畳敷』と呼ばれるようになりました。
 一般的に鬼ヶ城観光というのは鬼ヶ城の東側から入り、売店などの施設があるところから千畳敷まで行くコースです。千畳敷を過ぎたところからは断崖とその向こうに七里御浜や紀伊山地が見えます。昨日の写真はそこのものです。そこまでも50mは無精しないで足を伸ばしてください。
 鬼ヶ城を見るなら、日の出のときがいいでしょうね。それも秋から早春までなら目の前の太平洋から昇った日が千畳敷を照らし出します。人影なく最高の景色です。駐車場も鬼ヶ城もいつでも入れます。
 鬼ヶ城の入り口側が松本峠から降りてきた大泊町です。街道口から鬼ヶ城東口までは800mくらいです。
 次はその大泊の案内をします。ちょっと逆行していますが、熊野三山参りはもう少し先です。
 写真は鬼ヶ城より臨む日の出です。

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by je2luz | 2005-05-23 04:18 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 05月 22日

古道のわき道 3 鬼ヶ城1

 熊野古道からほんの少し外れたところにあるのが、熊野の名勝『鬼ヶ城』です。
 新宮から続いた緩やかな砂利浜の最後のとこらから始まります。
 地殻変動で『獅子岩』などと共に海底からせり上がってきた岩壁です。約1Kmつながった、太平洋の荒波に突き出した奇岩の連続です。熊野灘に面しているため夏場になると荒波のため通行が不能になります。今は、遊歩道が一部台風で壊れていますから立ち入り禁止になっていて、東口から西の千畳敷との間が通れません。
 一般的には東の千畳敷側からの観光で鬼ヶ城を見たことになっていますが、本当の魅力は一周して初めて分かると思います。
 千畳敷は日の出と共に朝日が差し込む洞穴で、海賊の本拠になっていたと言われます。しかし、台風には高波がここまで届きますから、本拠にしていたことは無いと思います。
 松本峠の展望台から少し海岸より、鬼ヶ城の上の山に来ると、古い物見用の古城痕があります。遠くは太地の梶取岬、串本方面まで見渡せるので、海賊にとっては最適な見張り場だったでしょうね。
 黒潮がものすごい速さで流れていますから、串本から鳥羽大王崎までの間は陸地から離れて航海する事は昔の船では遭難を意味しますから、手の届くところを船が行くと言うことが海賊にとって、これまた好都合でした。かくして『鬼の元浦』木本が栄えたこともあります。坂上田村麻呂などと言う変なやつが来るまでは・・・
 写真は夕日の鬼ヶ城の荒磯です。
 カメラはバルダ・バルディックス・・レンズ・エナゴン75mm3.5 です。

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by je2luz | 2005-05-22 20:15 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
2005年 05月 21日

古道のわき道 2 大馬神社

 大馬神社「おおま」と読みます。これも馬が付く最古に神社という説もあります。
 浜街道の入り口、木本と花の窟の間に流れる『井戸川』の上流にあります。この川は熊野灘に面した急峻な山から流れ出てほんの数キロで太平洋にそそぐものです。そんなに短い川でも水が切れることはありません。
 その川に支流のひとつをたどると突然大きな岩倉と滝が出現します。それが大馬神社です。うっそうと茂った杉の大木の陰から恐ろしいような岩とその脇から流れ落ちる見事な滝・・・古の人がそこに神を見ても不思議ではないところです。
 熊野の『花の窟神社』『産田神社』『大馬神社』の三社の中では一番しっかりした神殿と拝殿を持っています。ここには神主さんが居られますが、熊野の三社は全て民間信仰の対象になっていますから、随分遠くからのお参りと寄進があるようです。
 国道(浜街道)から分かれて3Kmくらいのものでしょうかね。途中から500m位は未改修の狭い道ですが、対向する車はほとんどありません。
 神域の入り口には駐車場が用意されています。駐車場から滝と拝殿まで約300mくらいです。神域の木立と滝と岩に圧倒されることだと思います。
 日本古来の神は自然そのものであることが実感できる場所です。信心心とは別のものだと思います。
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by je2luz | 2005-05-21 19:55 | 熊野 | Trackback | Comments(2)