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LUZの熊野古道案内

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カテゴリ:旅 番外編( 92 )


2019年 06月 25日

夏至も過ぎたし…

 22日土曜日が「夏至」でした。
 夏至の日      日の出4時46分 日の入り19時10分 (熊野市)です。
 ところが6月25日は 日の出4時46分 日の入り19時11分 (熊野市)なんです。
 おかしいでしょう? 
 夏至を過ぎたら日の出が遅くなり日の入りが早くなるはずなんです。
 夏至とは太陽が夏至点を通過する瞬間らしいですから、日の長さとは若干違うようです。
 太陽が真南に来るのが正午で南中だと思いますが、これも11時58分なんだとか…
 春分・秋分の日だってずれてゆくし、夏至や冬至もずれるし…
 天文観測が進んできて、そんなのが秒単位で測り、予測できると日常の暦とのズレが大きくなるのでしょうね。
 まあ、それでも日はだんだん短くなります。
 熊野大花火大会の8月17日には18時40分頃に日没です。

 今年は梅雨に入りません。
 梅雨前線が上がってきません。
 今週中頃からは雨になりそうですが、全線が来るのか、今までの雨のように低気圧で「ところにより一時雨」になっちゃうのか?
 梅雨がきちんとなくても雨が降っていれば万台なさそうですが、そうも行かないでしょう。
 これだけずれてくると、何が起きるやら…
 黒潮が蛇行して離れていましたが、土曜辺りには接近したらしく海の色が変わりました。
 これは順方向の黒潮が近づいたのではなく逆潮みたいです。
 海もやっぱりおかしいままです。
 
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 逆潮で戻ったらやはり黒潮ですからここの海水温が上がっています。
 台湾おきから30度をこす海水温がいますが、これが北上するタイミングで台風ができtたら…
 地球が狂いだしているので気になります。

 追記… 台湾沖に「熱帯低気圧」ができてますね。
 梅雨前線の北上従っているし、ちょっと厄介かもしれません。



by je2luz | 2019-06-25 04:25 | 旅 番外編 | Trackback | Comments(0)
2019年 05月 24日

揉めなければ良いのですが・・・

 「百舌鳥古市古墳群」が世界文化遺産に指定されますね。
 本当に性懲りも無く申請するんですね。 
 文化遺産・自然遺産などで今度が22番目かな?
 以前に見送りになった「鎌倉」などを含め、まだ8カ所がリストアップされているんだそうです。

 リストに入っていなくても、当然のように「四国八十八箇所霊場と遍路道」は世界遺産登録推進協議会が運動を続けています。
 「西国33カ所霊場巡り」「西国33カ所」「会津33観音」「出羽三山」なんて「日本遺産」に並んでます。
 世界遺産の候補までは行かないけど・・・というものが集まっているのが、「日本遺産」という「文化庁認定」の物です。
 このリストには、上下北山など吉野郡が固まった「美林連なる造林発祥の地・吉野」なんてのや、「鯨と共に生きる」という新宮市・那智勝浦町・太地・串本てえのもあるし、「忍びの里、伊賀・甲賀」「海女に会える町、鳥羽・志摩」「祈る皇女斎王の都斎宮」なんてのやら・・・2020年のオリンピックまでに100カ所にするなんて不思議な企画です。
 令和元年の申請では「神宮東遷」があり熊野市も入っています。
 「申請しといて損は無い」と言うことみたいです。
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 前にも触れましたが「世界遺産」に指定された所も、どんどん観光客が減る所が増えてきたようです。
 それと、入り込み客と地元民とのいざこざもあるんだそうです。
 心ない観光客は人の庭でも何処でも入り込みますからね。
 今度の「百舌鳥古市古墳群」は町中に点在していますし、ほとんどが住宅街だし、元々墓所だから静かな所だったはずです。
 そんな所に、一時的とは言え物見遊山の見物人が押しかけたらトラブルも起きそうです。
 「あんたらこんといてんか!」と、おばちゃんが怒らなければ良いのですが・・・



by je2luz | 2019-05-24 04:25 | 旅 番外編 | Trackback | Comments(0)
2019年 05月 12日

母の日

 5月第二日曜日、今年は12日が「母の日」です。
 私が子供の頃にも「母の日」があったので、調べてみると、日本でも戦前から会ったらしいのですが、普及し始めたのが戦後、昭和24年頃だそうです。
 GHQの影響が強かった時期ですからアメリカと同じ5月第2日曜日になったようです。
 昭和24年というと私が小学校に上がった時ですから、学校で「お母さんありがとう」という母の日の意味を教わった最初の学年くらいですね。
 私の時代には保育所も幼稚園もありませんでしたから、こうしたものは小学校で教わりました。
 「七夕」なんてのもそうでしたね。

 その頃飛鳥には花屋なんてありませんし、カーネーションなど作っていなかったし・・・
 増加などみんなが帰る時代でも無かったし・・・
 今の保育所の子供のように似顔絵でも描いたのかな?
 お袋に何かしらプレゼントしたのは覚えていますが、それが何だったかは覚えていません。
 母親が存命中なら「赤いカーネーション」母親が居なかったら「白いカーネーション」
 この風習も色々論議を呼んだりしてましたね。
 もっと論議を呼んだのが「父親参加の御璽」でしたね。
 私の頃には戦死による片親の子供が沢山居ましたから不都合だったのですし、世の中が落ち着くと離婚による片親が増えて違い面から不都合が生じたようです。
 今は色んな色のカーネーションが出回っていますから、昔のような「赤」「白」の区分は薄れているのでしょうね。
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 ちなみに日本では「父の日」は6月第3日曜日ですから、今年は6月16日です。
 いったい何割の父親がプレゼントなど貰えるのでしょう?
 そもそも、私を始めどれだけの国民が「父の日」を覚えているでしょうね?
 この6月第3日曜日を採用しているのはアメリカ合衆国を始めすごく多いようです。
 日本もアメリカにならったのでしょうね。



by je2luz | 2019-05-12 04:16 | 旅 番外編 | Trackback | Comments(0)
2019年 04月 17日

昭和24年9月28日 の三日後

 続けて毎日新聞記事を載せましたが、この三日後に世界の歴史を変える大事件?が起きたのです。
 1949年10月1日、北京天安門で「中華人民共和国建国宣言」がありました。
 三日前の毎日では「中共 翁源に広東臨時政権 広東市接収準備」と小さく出ていますが、実際は世界をひっくり返す事態の準備が整っていたのでしょう。
 すでに国府軍、蒋介石の敗北と台湾への脱出が始まっていたわけです。
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 国府軍の負けがはっきりしたのでしょう、英国の大使に引き上げ命令が出たのも並んでいますね。
 大変な時代だったのです。
 本格的な南北冷戦のスタートですね。
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 こののち、朝鮮戦争、ベトナム戦争・・・こうした代理戦争が日本の復興を支えたのですから怖い話です。
 日本は敗戦処理がうまくいって国土を南北に切り裂かれなかったことは幸いですね。
 下手すると国の境が歯舞色丹の所では無く「津軽海峡」になって居たかも知れないという話がありますからね。
 樺太や千島での終戦宣言後の守備隊による抵抗が国を救ったとも言えるのですが、あまり、表に出ませんね。
 終戦後だし日本は敗戦国だし表には出せないのかも知れません。
 国際問題って厄介なものです。



by je2luz | 2019-04-17 04:25 | 旅 番外編 | Trackback | Comments(0)
2019年 04月 16日

千葉・白石・靑田・川上 別所!?

昭和24年9月28日毎日新聞の続きです。
 たった二面の新聞なのにスポーツ記事が出ています。
 野球がダントツで人気のあった時代です。
 「大映ー東急」「巨人ー中日」、東京六大学「慶応ー法政」。関西六大学「同志社-立命館」と結果が出ていますね。
 そして、プロ野球は選手成績も・・・
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 巨人軍を見てください!
 千葉・白石・靑田・川上・・・とならんでピッチャーは別所です。
 中日には西沢がいます。
 東映には小鶴がいます。
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 私はまだ小さくてこの頃はまだ野球放送など聴きませんでした。
 少しすると「巨人フアン」になり「靑田」が好きでした。
 このメンバーで「別所」の名前を見ると「300勝投手・巨人のエース」と、浮かぶ人が多いでしょうね。
 でも、この年は「別所事件」の年なんです。
 南海のエースを引っこ抜いた大事件だったのです。
 この事件があってからプロ野球界では協定とかが出来たのだそうです。
 巨人軍ってその後でも、「江川・空白の一日事件」なんてのを起こしましたね。
 協定違反で無くても、金田・落合・清原・川口・広沢・工藤・小笠原・・・よそのエースや4番バッターをお構いなしで引っ張っています。
 あまりにも露骨なやり方が巨人の人気を落としてきたのかも知れませんね。

 こんな小さな記事から戦後の野球の一面を思い出しました。
 広告も時代らしく洋裁学校が文化、ドレメ系列などが並んでいますし、映画の広告には「足を洗った男・長谷川一夫・山根寿子」「北ホテル・アナベラ」なんてのがでています。
 UP通信社の副社長が本社を訪問したことが飛行機の紹介と共にでているのが戦後すぐらしいです。
 「サンフランシスコ・講和条約」は1951年9月8日昭和26年でこの新聞の2年後です。
 ボーイング377と言う飛行機はB29を元にした大型旅客機だったようです。
 下のように改造されたものはアポロ計画のロケット部品輸送とかで使われ、新聞に載ったこともありますね。
 スペースシャトルはジャンボにおんぶされていましたけどね。
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 もう、パン・アメリカと言う航空会社は無いんですよね。
 航空バッグが流行った頃、パンナムは人気だったのですが・・・



by je2luz | 2019-04-16 04:25 | 旅 番外編 | Trackback | Comments(0)
2019年 04月 11日

オリンピック前夜 1963 東京 3

 続けて昭和39年のオリンピック直前の東京について書きます。
 戦後の復興期が終わりかけた頃で色んなことが大きく変わった時代です。
 この少し後になると銀座には「みゆき族」なんてのがうろつくようになりますし、世の中はミニスカート時代になって行きます。
 大学生も学生服からブレザー、スーツに変わりました。
 今載せているシリーズはその大きく変わる時代の真夜中から明け方へ掛けての銀座周辺です。
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 何てこと無い路地裏のゴミ出し風景ですが、この時代は最先端の光景なのです。
 「セキスイ」がプラスティックのゴミペールを出し、東京都に承認され五に圧名に革命が起きた時なのです、
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 同じ銀座の光景です。
 東南アジアの光景では無く、半世紀前はほとんどこの光景だったのです。
 分別も無し、ゴミは増える一方・・・
 ひたすら東京湾を埋め立てて処分・・・「夢の島」なんてすてきなものが出現してくる時代です。
 金に換わるものは明け方に大八車・リアカーを引いたゴミ集めの人が回収していました。
 今は集積場のゴミを横取りすると窃盗罪に問われますね。
 「セキスイのゴミペール」は丈夫に作られていたので、ゴミ回収の時に投げ出されても持ちこたえたのです。
 かくして、その方式が全国に広がったのです。
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 さすがは銀座!
 この時代にビニール袋でゴミ出しするお店もありました。
 もちろん無分別です。
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 諸外国と違うのはほとんどの道ではこのように綺麗にされていました。
 でも、吸い殻はゴミだと思われていない時代です。
 ゴミ一つとってみても、時代は動きますし、お国柄も出ます。
 でも、ゴミは減らないようです。
 生物分解性のプラスティックの普及も進みませんね。



by je2luz | 2019-04-11 04:25 | 旅 番外編 | Trackback | Comments(0)
2019年 04月 10日

靖国 150年

 靖国神社は今年で150年を迎えるそうです。
 その歴史の半分はこの神社が存在する理由とも言える戦争の時代でした。
 私がこの記事を書くと腹を立てる人も居るかと思います。
 私は戦死した父親を大事にしていないようですからね。
 一応、私も「遺児」の一人です。
 靖国にも何度か参拝していますし、中学の時には団参で熊野市中の同学年の遺児で東京に行った記憶があります。
 家族でも参拝したこともあるし、受験前にもお参りしました。
 東京では随分写真を撮りましたが、靖国を撮ったのは二回くらいしかありませんね。
 今回、ネガをチェックすると日本しか出てきません。
 記憶に残っている、おばあさんがもんぺを履いて急ぎ足で社殿に向かう写真が見当たりません。
 今の私の取り方に近い写真だったのですが・・・

 この写真は昭和37年とかの時代ですから、戦後17年ほどしか経っていません。
 遺児の一番若い方になる私がようやく18歳とかです。
 子供を亡くした親でも40代から60代です。
 夫を亡くした妻となると30代から40代でしょう。
 私のように父親の顔すら知らない遺児はぴんと来ませんが、靖国に参る人達は今では想像できないほど生々しかったのでしょう。
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 何処の国でも国に命を捧げた英霊に対して礼を尽くして祀っているようです。
 それが権力者に利用されることも多いようですし、日本でもその過去があり、今も影響が残って居るように思えます。
 すなおに「靖国」を受け入れられない私のような人間も結構居るでしょう。
 そして、死後でも階級が生きている軍人の世界がそこに透けて見えます。
 「千鳥ヶ淵」との関係もすっきりしません。
 あと20年もすると、直接の当事者は遺児でさえ居なくなってしまいます。
 変な風に利用されなければ良いのですが・・・
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 美化してはいけないこともあるのです。



by je2luz | 2019-04-10 04:25 | 旅 番外編 | Trackback | Comments(0)
2019年 03月 30日

オリンピック前夜 1963 東京 2

 昨日の記事と写真で分かりますが、あのオリンピックで東京は大改造されました。
 青山通りなども大拡幅され東宮御所の一部にも手を付け、青山墓地もオリンピックで断ち割られましたね。
 当時の新聞には「墓地改装のお知らせ」とか何とかで延々と広告が載りましたね。
 世界でも一番送れていると言われた下水道も一気に整備されたし、夏になると断水する水道も、「オリンピックのため」という大号令で利根川水系からの分水をやっちゃいました。 時の「オリンピック担当大臣」は「河野一郎」さんでした。
 超大物を据えて走りましたね。
 今の大臣が駄目だとは言いませんが、違いすぎるように思いますね。 
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 その時代の日産のトラックです。
 何とも物々しいボンネットトラックです。
 ナンバーには「品」とか区分がありません。
 この頃までは車も少ないので品川の登録には区分が無かったのです。
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 これは西銀座の工事現場ですが、今は鉄のブロックですが木製のブロックでふたをしていたのですね。
 ユニックも単純で取り回しはしにくそうです。
 この作業員さんって「大林組」???
 後ろに移っている「右折禁止」の看板は古い時代のですね。
 東京オリンピックの頃から道路標識も分かりよい「ピログラム」の考え方が取り入れられ世界中に普及したのだそうです。
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 これが銀座4丁目交差点です。
 銀座三越も随分ぼろいですね。
 都電の後ろが銀座1丁目から日本橋、進行方向が8丁目から新橋です。
 奥が月島、手前が西銀座・皇居ですね。
 「銀座9丁目は水の上♫」なんて歌もありました。
 そして、この時期に「銀座の柳」が引っこ抜かれました。
 良いも悪いも「オリンピック」が錦の御旗でしたね。
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 銀座でも朝早くにはこんな人達が歩いていた時代です。
 おじさん達は戦闘服の名残をとどめています。
 「戦後はまだ遠くない時代」だったようです。
 それでも、日本中元気でしたね。
 初代の縦目セドリックが写っていますね。
 今じゃあ「ストライキ」する元気も無いようです。
 「一億総中産階級」になったとも思えないのですが…



by je2luz | 2019-03-30 04:18 | 旅 番外編 | Trackback | Comments(0)
2019年 03月 29日

オリンピック前夜 1963年 東京・銀座・有楽町1

 前回の東京オリンピック直前の東京の写真が出てきました。
 東京中が「鉄板道路」と言われる突貫工事の最中です。
 西銀座日劇前の道路にも都電の線路があります。
 東京駅では「缶カラ部隊」と言われた「担ぎ屋さん」が歩いています。
 西銀座に土方が…
 そして、西銀座には「数寄屋橋ここにありき」の碑が…
 そんなに変わっていないのに見えているものが随分変わりましたね。
 この写真が懐かしいという人は「後期高齢者」でしょう。
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 日劇はこの写真では「丸の内東宝劇場」になっていますし、大きい看板は「Music Hall」になって居ますね。
 この頃はロカビリーの平井昌晃・山下敬二郎・ミッキーカーチスなどの時代ですね。
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 「数寄屋橋ここにありき」の碑の後ろには首都高高架下の西銀座ショッピングセンターがあり、写真にも窓ガラスに「富士フォトサロン」と張り出されています。
 写真の展示場では最高とされ、私たちの写真部もここに展示する機会がありました。
 私が銀座の写真を撮ったのは昭和37年38年のオリンピック前です。
 真夜中の銀座の撮影に行き、朝まで…
 カメラと三脚が無ければ不審者ですね。



by je2luz | 2019-03-29 04:28 | 旅 番外編 | Trackback | Comments(0)
2019年 03月 28日

オリンピック

 オリンピックの話題が少し下火ですね。
 あまり大きな顔が出来ないことがあるからでしょうか?
 それに、毎回大騒ぎする、「日本選手のメダルラッシュ予想」も、今回は抑え気味ですね。
 水泳界でも卓球界でもマイナス情報が出ていますしね。
 スポーツ界の不祥事も多くて胸を張れないのでしょうか?
 巨費を掛けてトレーニングセンターも作って強化したし、「コンパクト五輪」をやめて「垂れ流し五輪」にしたのに、成果が期待できないのかな?
 オリンピックって、クーベルタン男爵さんが提唱したように「参加することに異議あり」なんでしょう?
 当て込んで放映中の大河ドラマまでけちが付いたし…

 聖火リレーは2020年4月26日に福島県をスタートし、各県2・3日ずつ掛けて全国を回るようですね。
 三重県は福島ー栃木ー群馬ー長野ー岐阜ー愛知ー三重ー和歌山ー奈良-大阪・・・の7番目で4月8・9日(水曜・木曜)の二日のようです。
 聖火は県と県などの間は車や船で運ぶとのことですから、愛知ー三重ー和歌山のルートだと桑名から南下してR23ーR42で紀宝町ー新宮と思い浮かべますが、細切れにリレーし、たった二日ですから全線走ることはなさそうですね。
 前回の聖火リレーは田舎はかすりもしなかったようです。

 三重県は南北200Kmを越しますからね。
 家の無い所を車で走れば町中はカバーできるのかな?
 所々でセレモニーとか記念写真とか???
 町中をカバーするなら我が家の前を通るの???
 御輿じゃ無いから上から見下ろしても大丈夫でしょう。
 ランナーの公募ってあるのかな?
 あまり興味は無いのですが、公平にやってあげて欲しいですね。

 オリンピックの五輪マークとかロゴとかは著作権保護に関わっていて、関係機関の許可が要るんだって???
 五色のマークなんて最早、特許切れの代物みたいに思えますけどねえ…
 オリンピックは興業でありとんでもない利権ですから…
 放送権料もすごいらしいですね。
 それより。訳の分からないコンサルタントに大金を支払うなんて、海外でだまされ続ける日本らしいですね。
 でも、「Under control」の方が罪は深いんですけどね。
 「世紀の大嘘」でしょう。
 ???
 放射能の半減期から言うと「世紀」ではなく「生物の歴史上」かも知れませんね。
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 1964年10月12日十和田湖
 オリンピック3日目ですね。
 このオリンピックは秋でしたから選手も観客も楽だったでしょう。
 私はブルーインパルスの描く五輪マークを新宿御苑で眺めてすぐに、東京脱出して十和田奥入瀬へ…
 この時代のカラーで色が残って居ることは優秀ですね。
 AGFAカラーです、
 カメラはもちろんNIKON Fですね。
 湖畔の「裸婦像」は今でも立っているのでしょうね。



by je2luz | 2019-03-28 04:25 | 旅 番外編 | Trackback | Comments(7)