秦の始皇帝に派遣され不老不死の薬草を探しに来た
徐福が上陸したと言われるのが、熊野市
波田須町(はだす)です。
リアス式海岸の入り江の一つです。
ここ波田須は紀伊半島でも特に気候温暖な場所として知られています。東と南は太平洋に向かって開けていますが、西から北にかけては切り立った山ですから、冬の季節風が吹き込まないところです。
この静かな入り江に、徐福が上陸したと言われています。
探していたものは
『天台烏薬』と言うものだそうです。この「てんだいうやく」はこのあたりに結構あります。自生しているのか、植えたものか、民家の庭先などに生えていますが、何の変哲もないものです。
以前から
、『徐福が探しに来た薬草の天台烏薬』として、地元では知られていましたが、特に薬草として使う風習も無かったですね。近年、健康ブームなどに乗り、『天台烏薬茶』などが売り出されていますね。
『不老不死』に聞くくらいなら『万病の薬』として地元で服用されていたでしょうね。果たして、徐福さんが探していたのがこれだったのかどうか・・・
この上陸した波田須には
『徐福の宮』と言う小さな祠があり、地元の人により昔から大切にされてきました。古道ブームには関係なく、今でも、地元の人により掃除されています。
入り江にへばりついた、平地の無い集落ですから、急速に過疎化、老齢化が進んでいますこの波田須には小さな無人駅があり各駅停車は停まります。トンネルとトンネルの間に作られた、駅前広場も無い駅です。