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LUZの熊野古道案内

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2009年 07月 18日

熊野の旅 紀勢線全通50年 3 これからは・・・

 マスコミなどにも結構取り上げられて予告は十分だったはずの「紀勢線全通50周年」も、一つ一つの町ではさほどの盛り上がりは無かったようです。
 鉄道と生活の関係が希薄になっているからもあるでしょう。
 紀勢線が全通した頃・・・昭和30年代40年代は田舎の生活は鉄道におんぶするところが大きかったのです。
 都会に出かけようと思えば、たとえ、鉄道の駅からうんと離れていても必ずどこかの駅に出て、「汽車」に乗ったのです。
 田舎の産物の米や野菜、材木なども「貨車」で運ばれ、田舎の人が着ている服や靴、食べる塩や砂糖、郵便物に新聞なども「貨車」が運んできてくれたのです。
 それだけに「鉄路」に掛ける期待も思いも大きかったのです。
 今では他所に行くには「自家用車」、東京に行くには「夜行バス」・・・荷物を託すのは宅急便・・・郵便も赤い郵便トラック・・・
 人々の心の中から「鉄道」がどんどん薄れていっていますからね。
 だからこのイベントも、あれほど前宣伝されていても、いつものイベントより人手が少なかったのでしょう。
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 確かに、記念列車が来てもほんの20分ほどしか停まっていないし、長い沿線のどこでも見られるし・・・
 記念切符も記念入場券も今の時代はマニアしか欲しがらないし・・・

 ガソリンが枯渇してきてもう一度鉄道に時代が来るか・・・などと言っているうちに、自動車の方がガソリン離れしているし・・・
 なんだか『50周年』を祝う行事を見て、鉄道の現状と将来を見る思いでした。

 で・・・
 この暑いさなかに、歓迎の太鼓をたたく人は汗びっしょり・・・
 ステージではないところでの演奏なので張り付いて撮影できたので結構アップで連写できました。
 よく考えたら、こんな時に時間に合わせて演じられる『郷土芸能』って、太鼓の他にはありませんね。」
 開通当時のように『木本節』を踊る「綺麗どころ」も「婦人会」も無いですしね。
 そんなのをやろうとすると、あの「特攻服」を着た「ソーラン」が出てくるでしょうしね。

 かくして、記念列車は一路白浜に向かって出て行きました。

カメラは ニコンF+ニッコール85mm1.8

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-07-18 11:08 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
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Commented by ピロリン at 2009-07-19 13:31 x
紀勢線のイベント、現在の利用者の中心である沿線の高等学校に参加を呼びかけてみれば良かったのに・・・なんて読んでヨソモノは感じました。

熊野市駅なんかでももう、記念列車を停めておく線路の数の余裕も鉄道会社の経費節減でなくなっている雰囲気ですね。新宮駅なら確かにまだ確かに長い時間列車を停めておけるのでしょうけど。

鉄道の50周年でもそうですが、そちらの大きなバイパスの落成でもこんな感じでしょうし、もうバラ色自体が熊野に限らず何にも見えなくなっている気がします。どこか見えるものを探すところから始めなきゃという感じです。実は鉄道が開通しただけで喜べた時代の方が幸せだったかなと・・。私の目が熊野古道観光で見る色は抹茶色です。バラ色の元になるもの(緑)と落ち着く美味しさを、せめて見ていたい味わいたいといいますか・・・。
Commented by je2luz at 2009-07-20 15:52
 田舎ではバス路線も鉄路も高校生の通学のために走っているような物ですね。
 この50周年記念列車も地元と言うよりJRの営業で走った面が強いですからね。
 大して黒字では無いでしょうが実績だけは十分作れたと思います。
 それでも、道路よりは少しだけ観客が多いみたいです。
 ただ、乗るほうには結びつきませんけどね。

 何しろ「乗って残そう紀勢線」なんて陳情にバスを仕立てていった歴史もあります(笑)


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